【IF】Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜【番外】 作:しらなぎ
青の肖像
まずい!
私はほぼ半泣きで走っていた。腕の中にスケッチ用の羊皮紙ブックと絵画セット。そして変身術の教科書。
入学して1週間、友達も数人でき、ホグワーツ生活にも慣れ始めたから、最近は休み時間にスケッチにちょうどいい場所を探して散策していた。
今日は西塔から見える花畑が美しくて、タレットで絵を描いていたらすっかり時間を忘れてしまったのだ。さらに悪いことに、次の授業まであと10分しかないのに自分がどこにいるか分からない。
走りながら階段を駆け下りて、気付けば見覚えがあるような無いような道に出ていた。乗り換える階段を間違えたのかもしれない。
なんで階段が幾重にも分かれていたり、トラップの扉があったりするの?絶対辿り着かせる気がないでしょ!
心の中で毒づいても状況は好転しないが、思わずにはいられなかった。
その日の気分が乗る場所を求め、色々な道を歩き回っているから、その分知っている道が多くなって全部見覚えがある気がして、正しい道が分からないのだ。
マクゴナガルは遅刻した私から容赦なく減点するだろう。
入学した日に監督生から通達があった。生徒同士の自助努力で勉学に励み、一致団結になって寮の得点の獲得を目指すこと。
スリザリンは意欲が高く、2年生を筆頭にお互い勉強会を開いたり、上級生が下級生に勉強や点の稼ぎ方を教えて寮杯優勝を目指して努力していた。
その甲斐あって、今はスリザリンが1位とリードしている。他の寮に比べても減点は滅多に出ない。
なのに私が引かれたら……。
考えるとさらに焦り、目が潤みそうになる。
キョロキョロしながら走り回っていると、タペストリーの裏からヒョイッと緑のローブが出てきた。「助かった!」と「バレた!」の気持ちが同時に出てきたけど、生徒の顔を見たら後者の気持ちの方が強くなった。
スリザリンの有名人のシャルル・スチュアートだ。
ハッと息を飲むような美しさだ。
顔立ちは可愛らしいけれど、どこか儚げで消えそうな雰囲気を纏っている。
この人の噂は色々聞くけど、あまりにも有名すぎて近寄りがたくて怖い人だった。
彼女は、泣きそうな私を見て「あら」と眉を下げた。
「どうしたの?たしか……エイダ・トレンブレイだったかしら?」
頬に細い指を添え、おっとりと首を傾げるスチュアート。
まさか名前を覚えられているとは思わなかったから仰天してしまった。
「知ってたんですか?私のこと……」
「もちろん。純血でしょう?それより、こんなにうるうるとして、どうしたの?」
「道が分からなくて……」
「そうよね。まだ1週間だもの。次の授業は?」
「……変身術です……」
「あら……」
ローブからくすんだシルバーの精緻な懐中時計を取り出し、さらに困った顔をした。
「うーん、走ってもギリギリ間に合わないくらいね。急ぎましょう、こっちよ」
彼女はたたたたーっと駆け出した。慌てて後を追う。何回かチラチラ振り返りながら、スチュアートはすぐに息の上がる私に合わせて走ってくれた。この人、走るんだ……。
動作がすごくゆっくりとしていて優雅だから、バタバタ駆けるなんてことと結び付かないけれど、意外と俊敏に走る。遅れないように必死について行った。
知らない抜け道を通り抜け、途中で動く階段を止めたりしながら、小さな背中を必死に追ううちに、馴染みのある道に辿り着いた。何をどう走ってきたか疲れ過ぎて覚えていない。
変身術の教室の前で、肩を上下させて汗を拭う。
「間に合わなかったわね」
えっ、こんなに急いで走ったのに!
焦る私とはうらはらに、スチュアートは淡々と、何にも思っていないトーンで呟いた。
「ううっ、すみません、遅刻してしまって」
「仕方ないわ、ホグワーツは広大だもの」
「でも点が……」
「大丈夫、今日のうちに取り戻しておくわ。次は魔法薬学だからね」
スチュアートは悪戯っぽくウィンクした。当たり前のように言われたセリフにポカンとして、それから顔に熱がぽわっと昇ってきた。2年生にもなるとこんなにカッコイイことを言えるようになるのだろうか。
「あの、ありがとうございました」
「いいのよ」
これから怒られるのか……と覚悟を決めようと深呼吸するうちに、スチュアートが慈愛めいた微笑みを浮かべ、ガラッと扉を開けた。
なぜ?と戸惑う私をよそにスタスタとマクゴナガルの元に向かい、おずおずと後をついて行くと教室中の視線が集まってくる。
「どうしたのです、スチュアート?今は1年生の授業ですよ」
赤くなって俯いている私を庇うようにスチュアートが私の背に手を回した。
「迷っていたみたいだったので連れて来たんです、マクゴナガル教授。遅れてしまって申し訳ありません」
「そうでしたか。ですが、2人とも遅刻ですよ。トレンブレイ、もう入学して1週間も経つのですから……」
厳格な響きの声が降ってきたが、マクゴナガルはそこで言葉を止め、コホン、と咳をした。
「まぁ良いでしょう。スリザリンから5点減点。次はありませんよ、いいですね?さぁ、早く席にお着きなさい。スチュアートも授業へ早く向かうように」
もっとお説教をくらうと思ったのに、私が泣いていると思ったのか、手早く許してもらえた。恥ずかしくて赤い顔だろうし、目がまだ潤んでいる気がするから、そのせいかもしれない。半泣きだったのは事実だし。
「ありがとうございます、マクゴナガル教授。それでは失礼します」
ニッコリしたスチュアートが軽く私の背を押し、友達が小さく手を振ってい席に座る。最後にもう一度微笑みが飛んできて、廊下に消えていく。
私は胸がドキドキして、頭がぼーっとする感じがした。スチュアートはすごく優しい人みたいだ。
*
「トリック・オア・トリート!」
甘い香りが漂う談話室にそんな掛け声が飛び交っている。今日はハロウィーン。私達もホグワーツでの初めてのイベントに浮かれ、お菓子を持ち寄って微笑みを交わしあった。
いつもは石煉瓦作りの、シンと冷たく高貴な優雅さの漂う談話室が、今日ばかりはみんながニコニコと陽気だった。先輩方も楽しそうだ。
3年生以降はホグズミード休暇があるらしく、よく話しかけてくれる先輩に「お話聞かせてくださいね」「お土産をいただけるんですか?嬉しい!」とまとわりついてお見送りをした。
先輩方がいなくなって、談話室はやがて静かになった。残っているのは下級生だけだ。
暖炉の前で、マルフォイとパーキンソン、グリーングラスがお茶会をしていて、1年生は邪魔しないように端っこの方で静かに息をひそめる。
クラッブとゴイルもお菓子を美味しそうに口に詰めていた。
「ねえ、声をかけに行ったら迷惑かな?」
ベティが囁いた。私は思わず目を丸くした。「本気?」
「だってこんな機会滅多にないのよ。今日は他の先輩もいないし」
スリザリンには独特の階級があり、明文化されていないルールも数多く存在する。聖28一族の純血家系やクィディッチ・チームの選手たちは、スリザリンの中では明確な上位者で、ドラコ・マルフォイは2年生ながらにスリザリンの支配者と言って良かった。
魔法界で最も高貴で力のある一族であり、チームの花形のシーカーに決まったばかりのご子息だ。
過ごす友人はみんな高名な純血家系ばかりで、私やベティのような家なんかとは到底比べ物にならない。私の家はそんなに思想にうるさくはないけれど、スリザリンに入って何ヶ月かも過ごせば、すっかり彼らに近寄りがたいオーラのようなものを感じるようになっていた。
「エイダお願い、私グリーングラスと話してみたいの。落ち着いていて、優しくて、とっても素敵なんだもの」
ベティはダフネ・グリーングラスに憧れていた。数年前に魔法省の役人が集められたパーティーで、泣いているところを一度慰められたらしい。それ以来話したことはないけど、密かに憧れているのだ。
その気持ちが私には分かる。
私にも憧れの先輩がいる。
「そうだね……、お菓子は充分あるよね?」
「ええ、足りるはずよ」
話しているうちに階段から黒髪をたなびかせた少女が降りてきて、暖炉前の集団に合流し、話し始めた。シャルル・スチュアートだ。
「ああっ……」
ベティが悲愴な落胆の声を零した。歩き出そうとしていた気持ちがしゅうううっと萎んでいく。
「タイミングが悪かったね。いずれ話す機会はあるはずだよ」
肩を落とす友達を慰める。
「そうよね……。仕方ないわ、授業の準備をするわね」
ベティの曽祖父は、親族の反対を押し切って混血の魔女と血を結んだ。暗黙の了解として、純血以外の生徒はスチュアートに話しかけないようになっている。
彼女は純血主義を誇るスリザリンの中でも特に、その思想が強いことは有名だった。
でも、立ち上がった私たちに気付き、スチュアートが横目でチラリと視線を寄越した。
「あら、トレンブレイ!あなたもいたのね、こっちへいらっしゃい」
「え、あ……」
迷子のところを保護されてから、スチュアートはたまに話し掛けてくれるようになった。嬉しいけど、嬉しいけど……。
逡巡を見抜いたかのようにベティが「行かないと!」ときらきら瞳を輝かせて背中を押した。でも、彼女を置いて、あの場所に一人で行くなんてとてもむりだよ。
「お友達も連れておいで」
「えっ!」
ベティが虚を突かれて、口を丸くした。顔を見合わせる。ベティは混血なのにいいの?でもスチュアートが来いと言ってるのだったら従った方がいいのだろう。
急に水を向けられ、紅潮する彼女と一緒にドキドキしながら彼らの元にそろそろ近付いていく。スチュアートは杖を振って二人がけのソファを持って来ると、視線で座るように促した。
パーキンソンはどうでも良さそうな態度で、マルフォイは片眉を上げて「誰だ?」と顔に浮かんでいた。緊張で強ばった身体に冷めた視線が突き刺さる気がして、心臓がうるさく鳴っている。グリーングラスは穏やかに微笑んでいて、「シャルルが最近目をかけている子ね?」と空気を和らげた。ベティがほー……っとうっとりしたように彼女を穴のあくほど見つめているが、気付かないのか、気にしないのかサラリとした態度だ。
私たち、場違いにもほどがある。手汗がじわっと滲む。
「トリック・オア・トリート!お菓子はある?」
「あります!」
「は、はい」
用意していたフィフィ・フィズビーをその場の全員に配る。ベティが自分もあげていいのだろうかと窺うような、不安そうな表情をしたが、スチュアートがベティにも手を伸ばしたので嬉しそうにカップケーキを載せた。
「やったぜ」「これ、腹に溜まるんだ」
クラッブとゴイルがくぐもった声で喜び、ベティが安堵にほっと肩を緩める。
「あなたたちは?」
「え?」
「まだ言ってないわ」
え、私たちもねだれってこと!?そんなこと考えもしなかったのに、促されて、私たちは小さな声で口に出した。
「ト、トリック・オア・トリート……」
「はい」
スチュアートはマダム・ミレアムのトライフル、グリーングラスからクッキー、パーキンソンからショートブレッドを渡され、私たちはあたふたしてお礼を言った。クラッブたちはテコでもよこさない姿勢で、マルフォイは顎でテーブルを示した。切り分けられたクランブルケーキが乗っている。好きに取れってことだろう。
「この子達、誰?」
「あ、と、エイダ・トレンブレイです。この子が……」
拳をギュッと握り、顔を真っ赤にしてベティも名乗る。
「聞いたことないわね」
「こ、混血で……」
「ふうん」
パーキンソンのジロッと舐めるような視線にベティが小さく震えたが、誰も何も言わなかった。怖い。スチュアートに気まぐれにかまってもらうのは、嬉しいけれど怖かった。
スリザリンは純血主義を掲げる寮とはいえ、混血やマグル育ちの生徒もかなり在籍している。けれど、ここにいるメンバーはほとんど純血だけで固まっているコミュニティなのだ。
「マルフォイ、知らないの?」
「何がだ?」
「アブラクサス・マルフォイ──つまりあなたのお祖父様が、多額の寄付で魔法文化の発展に寄与したと表彰された時、肖像画を描いたのがトレンブレイのお祖母様なのよ」
「そうなのか?」
「そうなんですか?」
「何で当事者がどちらとも知らないのよ」
呆れてスチュアートが吐息で笑ったが、祖母が誰の絵を描いたかなんて知らない。だって、ばあばのアトリエには本当におびただしい数の絵画が飾られているのだ。
「なぜ知っているんですか?」
画家としてばあばが成功したおかげで、分家の傍流筋の我が家は金銭的にも成功し、社交界に出られるほど余裕が出てきたが、成り上がりとも揶揄される。それに、ばあばと違い、ママは平和主義だし、パパはただの真面目人間だ。
「純血紳士録に載ってるでしょう?」
何を当たり前のことを、とスチュアートが怪訝そうに答えた。そんなこと言われても、紳士録なんか私たちくらいの年齢の子供が見るものじゃない。
当主や、いずれ家督を継ぐ後継者か、婚約相手を探す年頃の子息子女の一部か、政治家くらいしか普通見ないものだ。
マルフォイが呆れた顔しているからやはり普通じゃないのだろう。さすがスチュアート……。感嘆のような、畏怖のような感情が浮かぶ。
しばらく祖母について話に花が咲いた。その間ベティは憧れのグリーングラスに相手をしてもらっていたようで、見てる私がはずかしくなるくらい周囲に花が飛び、頬も紅潮しきっている。
石扉が開き、セオドール・ノットが本を抱え談話室に入って来た。暖炉前には目もくれず、スタスタ部屋に戻ろうとするのをマルフォイが呼びつけると、やや面倒くさそうにやってきた。
「こんな日にまで朝から本の虫かい?まったく、君には呆れ返るよ」
「僕には生産性のない茶会を飽きずに繰り返す方が、呆れて物も言えないが」
「純血に社交界は切り離せないものだろ?ほら」
端により、自分の隣を開けて見せたが、ノットは肩を竦めて首を振る。彼は純血名家の子息だったが、スリザリンの中では変わっていて、いつも本を読んでいて一人を好み、独特の孤高感を纏うまるでレイブンクロー生のような人だった。
誰かとつるんでいるところは滅多に見かけず、強いて言うならマルフォイかスチュアートと交流が多いくらい。たまにお茶会に参加しているのを──恐らく参加させられている──のを見るけれど、大抵の場合、さっさと寝室に戻ってしまう。
眉をしかめたマルフォイにも涼し気なノットだったが、「もういいか?」と言う前に、スチュアートの言葉に珍しく大きく顔をしかめた。
「セオドール、トリート・オア・トリート」
見るからに嫌そう~な表情だ。
「持ってると思うか?僕が?」
「部屋には?」
「ない」
「あら……」憮然と、吐き捨てたとも言えるように素っ気なく呟く彼に、スチュアートは大きな瞳を三日月型に細めた。
「それじゃあ悪戯しないといけないわね?」
ブルーの瞳に楽しげな輝きが宿り、幼い子供みたいな笑みを浮かべる。普段どこか飄々とした雰囲気の彼女らしくない無邪気な顔に、私は思わず惹き付けられた。
「付き合ってられない」
去ろうとするノットを引っ張り、スチュアートが無理やりマルフォイの隣に座らせる。彼はため息をついて足を組んだ。諦めの体制が早い。
「うーん、悪戯……悪戯……」
スチュアートは唸って頭を捻らせる。パーキンソンが「双子のお菓子を食べるとか」と笑うと、「ふざけるな」とすぐさま却下されている。
「悪戯なんてしたことがないから、いざとなると思い浮かばないわね」
「じゃあもういいだろ。食事のデザートをやるから」
「ビュッフェスタイルじゃないの!逃がさないわよ」
パーキンソンも面白がってニヤニヤ目を猫のようにしている。
「何がいいかしら」
スチュアートはぽやーっとした顔で、ノットの頬を人差し指でツンとつついた。「やめてくれ」
止められても、考え込んだ顔でズブズブ突ついている。うんざりした顔でしばらく好きにさせていたが、やがて「鬱陶しい」と雑に手を掴んだ。
「意外とほっぺたは柔らかいのね」
「なんなんだ……」
「悪戯しようと思って」
「じゃあこれで終わっただろ」
「ダメよ。つまらないもの」
マルフォイとパーキンソンは気にした様子もなく、まだ悪戯のことを話しているが、私はぽかんとしてしまった。ベティと目が合う。彼女も「キャーッ!」と内心で叫びをこらえるように、口を手で隠している。
ノットは嫌そうな顔でスチュアートの手を握ったままだ。たぶん、手を離したらまたつつかれるのが鬱陶しいからなんだろうけど……。
なぜか私たちはいたたまれないような気分になり、胸のあたりがソワソワする。
「分かった、もう好きにしてくれ。とりあえず授業に行かせていただいても?君たちが集団で遅刻したいなら、僕は止めないけど」
「もうそんな時間?」
ノットが気だるげに髪をかきあげ、大きくため息をつく。逃げられないと悟ったようだ。じろっとスチュアートを睨んでも何処吹く風で、マルフォイもパーキンソンも楽しそうで、ノットの無表情が友達の前では僅かにだが、たしかに分かりやすく動いてすこしドキドキする。
入り込めない世界の一幕を覗いてしまった気分だ。
ノットが手を掴んだままスチュアートを立たせ、腰を支えた。
解散の雰囲気になり、挨拶とお礼をして暖炉前を後にした私とベティは、教科書を取りに寝室に戻ると、同時に「はーーっ」と興奮を吐き出した。
お互い手を握って、そうしたらもうドキドキが足元から駆け上がってきた。
「えーっ、えーっ!」
「今の、もう、何もかもが凄かったわね!もうっ、もうっ、言葉が出てこないわ!」
「私はスチュアートと話せたし、あなたはグリーングラスと話せたし……私たちマルフォイグループの中に混ざってたのよ?」
「やっぱりダフネって優しくてすごく素敵……あっ、ダフネって呼ぶのを許してもらえたの!今度、薬草学を教わる約束もしちゃったわ!」
「良かったね!憧れだったもんね!」
ひとしきり吐き出し、落ち着いたところで、お互いそーっと目を合わせる。
「……見た?」
「ええ……。スチュアートとノットって……」
「でも周りは何も気にしてないみたいだったけど……でも……ねぇ?」
「あのふたりってとてもお似合いだわ!そう思わない?なんだか、ふたりだけの雰囲気があるというか……」
「うんうんっ、なんか、スチュアートも見たことない顔してたし……」
彼らがあんなに仲がいいなんて知らなかった。不思議なほど気分が高揚して、ずっと鼓動が早鐘を打っている。関係を想像するなんて下世話だけど、邪推しないではいられないというか……。
甘くない空気なのに、二人とも心を許しているのが漂っていて、逆にそれがいたたまれないというか……。
私のほうが照れくさくって顔が熱くなってしまう。
画家には、ピン!と来るインスピレーションのきっかけがある。源泉とも呼ぶかもしれない。私はたぶんそれを見つけたんだ。スチュアートとノットが並ぶ構図が、次々と頭の中に浮かび、今すぐに筆を取りたくて仕方なかった。
*
小さい頃の思い出は、両親よりばあばとの方が多い。触れ合った時間はそう変わらないのだろうけど、ばあばは強烈だから、記憶に残りやすいのだ。
私は両親が仕事でいない時はいつもばあばのアトリエで過ごしていた。
吹き抜けの見上げるほど高い天井と、壁中に飾られた肖像画や気色や動物、植物、建物、ありとあらゆるカラフルな絵。壁に入り切らずに、空中をたくさん額縁が泳いでいる。
ばあばはいつもキャンパスで絵を描いていた。
板の上に魔法みたいにみるみる出来上がっていく、ばあばの描く世界を見るのが好きだった。自然と私も筆を取るようになり、ばあばは私が欲しいものは全て与え、私の描く世界になんの感想もよこさなかった。
賞賛も、否定も、アドバイスも。
描いた絵を見せると、厳しそうな顔つきを緩め、深く頷いてただ話を聞いてくれる。
私の脳内の世界は私だけのもの。それを画家であるばあばは分かっていて、尊重してくれたからきっとのびのび好きなように、絵を描くのが好きなまま成長出来たのだと思う。
トレンブレイの本家は元々フランスに起源を持ち、そこそこながい歴史を持つ純血家だけど、うちは分家の傍流の傍流もいいところだし、マグルの血が何度も混じったこともある、そう大したことの無い家柄だった。
けれども本家の手前、一応純血主義を守り、血を繋いでいる。
両親も激しい純血主義というわけではなく、お友達はたくさん作りなさいね~結婚はママとパパが相手を決めるからね~というゆるい感じで、婿養子のパパはスリザリンだけど、ママはハッフルパフだった。
うちの全ての決定権はばあばが握っているが、ばあばにも思想のことをあれこれ言われたこともない。
でもばあばは私にスリザリンに入ってほしいのかなと感じていた。ばあばは出身寮に愛着が湧くタイプでもなく、純血主義でもなく、あらゆる業界、あらゆる階級、あらゆる出身の知り合いがいたけど、スリザリンは優れた寮だといつも言っていた。
入学が決まって、改めて二人で話す場を設けられた時のことが強く頭に残っている。だから私はスリザリンに入ろうかなと思った。
「エイダ、あんたは絵を描くのが好きかい?」
入学の祝いの言葉もなしに、開口一番分かりきったことを尋ねた。ばあばは勝気な微笑を浮かべていたが、目が強い光を放っている。私は即答した。
「好きだよ」
「あんたにゃ才能がある。母さんは情けない爺さんのほうに似ちまって、あたしに似たところはとんとないが、あんたには受け継がれたようだ。将来は画家としても食っていけるだろうね」
「ほんと!?」
ばあばに直接褒められたり、絵や将来について言及されるのは初めてだった。私はなれるなら画家になりたかった。そこまでの才覚が己にあるかは分からなかったし、まだ知らなくても良いと思っていた。それはこれからゆっくり自分で確かめていけると思っていたから。
でも成功しているばあばから太鼓判を貰うと、足元が空中に浮かび上がった気分になる。
「あんたの人生だ、指示は言わない。だが、画家としても、あんたの祖母としても、ひとつ口を出させてもらおうかね。エイダはこの世で最も強い力はなんだと思う?」
「強い力……?」
「画家に限らず、全てにおいて成功するために一番必要な力だ」
11の子供に聞く内容ではないと思ったけど、ばあばの顔が至極真剣だったので私も真面目に考えた。でも、パーティーにも数えるほどしか出たことがない、社会を知らない私には難しい。
「……権力?」
「権力はもちろん強い。でも権力を得るためにも、使うためにもその力が必要になる」
「ええ……うーんと、お金?」
「金は大抵の場合手段にしか過ぎんよ」
ばあばの返事は哲学的だった。ばあばが成功した中で、見つけた答え……ばあばの持っているもの……。
多分、愛情とか、優しさとか、家族とか、そういう答えを求めているわけではないことは何となくわかる。
「才能?」
「それを十全に発揮するためにばあばが掴んだものさ」
「思想……とか」
「それは生き方の指針さね。信じてる奴らには全てなのかもしれんが、あたしらには違う」
「もうっ、分かんないよ」
「ヒントをやろう。母さんも持っているものだ。そしてよくあんたに教えている。もちろんあたしとは意味合いが違うがね」
「……ママも……。うーん……」
のほほ~ん、としているママはばあばにまったく似ていない。絵を見ても「上手ね~」とか「凄いわね」としか思わないし、優しくて大好きだけど、取り立てて優れたところのない、本当にばあばの娘か疑うくらいに似ていないママが掴んでいる、この世で最も強い力。
そんなものをママも持っているとは思えないけど……。
わかんない。よく言われるのは「お友達と仲良くね」とか「お友達をたくさん作るのよ」とか「人に優しくすれば、お友達が増えて、手助けしてもらえるのよ」とか。
え~?うーん……。
「友達……?」
「おう、そうさね」
「えっ?」
ダメ元で言ったのに、まさか肯定されるとは思わなくて間抜けな顔でばあばを見つめる。たしかにばあばには知り合いがたくさんいるし、ママも友達が多いけど、そんな穏やかな答えがばあばから出るなんて。
「友達がこの世でいちばん、成功に必要な強い力?」
「そう、つまり人脈さね。いいかい、エイダ。この世で最も役立つ力は人脈だ。コネとも言うね。このアトリエに、それが集結されてるだろう」
ばあばが部屋を見渡した。飾られている絵、絵、絵。
「ばあばが誰かのために描いてきた全てがばあばの人脈さ。友達までといかなくていいんだ。知り合い、顔見知り、友達──そういうツテが多いほど、成功を引き寄せられる」
ばあばは野心に燃える目をしている。私は彼女ほど野心が強くないから、ピンと来ないけど、ここにある全てががばあばが掴んできたものだと思うと、胸が少し熱くなるような感覚はある。
画家として人生を賭けて築いてきたもの。
でもなんで急にこんな話を?
「えっと、友達をいっぱい作れってこと?」
「ハハッ!」ばあばは仰け反って大声で笑った。ビクッと肩が揺れる。「そういうところは母親似だね」
「友達でもなんでも、顔は広い方がいい。そのためにスリザリンは一番いい場所だよ。次はハッスルパフだね」
「スリザリン……」
なるほど、寮の話だったのかと、ようやく話が見えてきた。
「あの子にも話したもんだが、言葉のまま友達いっぱい作るねなんて言ってね……。理解もしてなかったね、ありゃあ。だが、ハッフルパフで宣言通り友達を作りまくって、結局はばあばの思う力を手に入れてる。向上心の欠片もない子だが、あれはあれで天性の才能だねぇ。だがあんたはスリザリンが向いてると思うね。画家になりたいならなおさらだ」
多分ばあばは、ママに話した時もこんな感じだったんだろう。口は出すけど、結局本人の選択に任せるスタンスだから、理解しなくとも構わないという風な語り口だ。つらつら話す言葉を、聞き逃さないように私は耳に意識を集中した。
「純血主義なんぞ古臭い考え方だがね、名家というのは力を持ってるもんさ。魔法界で頭角を現すやつは、結局階級社会から逃れられない。幸いあたしらは純血で、古臭い人間たちとコネを繋ぐ血筋を持ってるんだ。絵画を望むような連中っちゅうのはある程度立場がある奴らだから、それを利用しない手はないよ。ばあばはそうやって画家としてのし上がった」
なんとか咀嚼しようとする私を穏やかな目で見つめ、ばあばはシワシワの手で雑に私の頭を撫でた。頭が左右にグラグラ揺れる。
「あんたにゃ難しいかもしれんな。まぁ、決めるのはあんただ、好きなようにするといい。だがいずれ分かるだろうよ。画家は傲慢で強欲な生き物さ。あれもこれも欲しくなるから、そのために必要な瞬間を逃がすんじゃないよ」
*
スチュアートを見ていると、ばあばの言いたいことが分かるような気がした。彼女は聖28一族じゃないけれど、周りにいる友達は名家の人ばかりで、本人も古い家柄で、生まれた時から影響力が高い。
容姿、経済力、成績、影響力……そういう者を全て持つ人たちが立つ、スリザリンのカーストトップの中に彼女はいる。
そんな彼女に顔を合わせた時、ちょこちょこと構ってもらっていると、ハロウィンの時みたいにマルフォイたちと知り合えて、あれ以来彼らともたまに話すようになった。
話しかけづらいから私からは近寄れないけど、彼等は目に付いた人間に臆することなく、大した用事ではなくとも、思いついた時に話しかけるということが当たり前に出来る。
名家の子息子女からの覚えがめでたくなると、同級生で関わりがなかった影響力の強い同級生も私に話しかけてくれるようになった。マルフォイやスチュアートが私の祖母の話をしてくれたみたいで、何人かに「うちも彼女の描いた肖像画があるよ」と言われることもある。
顔が広まればそれだけ、私がいないコミュニティで話題が上がる機会も増えた。
ばあばの言っていたことが、カチリカチリとハマる感覚がして、私はドキドキした。私はすでに血筋は備えている。ばあばという最強の人脈も持っている。
あとは自分の才能を証明するだけ。
そして、その機会は自分で選べるのだ。方法もたぶん分かる。スチュアートに見せればいい。もし彼女が気に入らなかったとしても、純血家に固執する彼女なら、人に話を広めるくらいは善意でしてくれると思う。
なんて贅沢な環境なんだろう。
スリザリンはたしかに優れた寮だった。ばあばや私の夢を叶えるための。
私は暇さえあれば羊皮紙と筆と絵の具を持って絵を描いた。まだ、人に見せられるほど自分の絵に納得いっていないし、これだという構図に出会っていない。
景色を描くのも好きだけど、私のばあばのように人を描きたかった。きちんとした道具を使えば、絵の中の人物が圧倒的リアリティを持って、生きているのと変わらないくらい多彩な表情を見せて紙面の中で動き出す。絵は魂を吹き込むのと変わらないのだ。
下書きはいくつか描いていて、モデルは友達だったり、先生だったり、絵の中の誰かだったりするが、一番多いのはやはりスチュアートだ。
彼女は何か目を惹き付ける雰囲気を持っている。
何枚か、ハロウィンの時に感じた興奮を形にしたくて、スチュアートとノットの構図や、スチュアートと誰かの構図、暖炉前に彼らが集まった時の、高貴で優雅で、けれど張り詰めたような気品が漂う絵を練ってみたけれど、これだという着地点は未だ見つからない。
今日もインスピレーションを求めて、ウロウロと校内を彷徨う。静かな雰囲気の気分だったから図書室に足を向けた。談話室と迷ったけれど、寮はいつでも見れる。
湖のほとりは、静かだけど今日の晴れ晴れとした天気では爽やかすぎる気がした。
書籍が林のように並び、風の音のような紙がめくれる音の中をふらふらと歩く。マダム・ピンスが目を光らせているので、ささやくような話し声やひそやかな笑い声しか聞こえて来ない。
窓から射し込む光で埃が煌めいて舞っている。厳かとも言えるような穏やかな静けさ。
心に留まるものを探しながら、不自然にならないよう視線をそっとあちこちに走らせていると、どんどん人が少なくなっていく。
上級生が幾人か座るだけになり、書籍も教科書や参考書からもっと専門的な、高度な分野に変わっている。おそらく錬金術系統や、外国の呪術、他にも触れたことの無い学問。奥に進んでいく。
本棚に隠れるようにぽっかりと隔離されたような席がいくつかあり、ひと目から逃げるように誰かが座っている。隠れ家みたいな席があることを私は知らなかった。見かけるのはレイブンクロー生やスリザリン生ばかりだ。
ふと、細い小道のような場所を見つけた。大きな本棚が入り組み、まるで道のようになっていて、向こう側に窓ガラス光が落ちている。棚の合間を縫うように歩かなければ見つけることも出来ないようなところだ。
誘われるまま足を向ける。
道の先、開けた小さなテーブルでは一組の男女が座っていて、私は咄嗟に本棚に隠れた。スチュアートとノットだ。
目の前の光景を見た瞬間、額縁に飾られた絵が浮かんだ。私は描くべき絵を見つけたと思った。
柔らかい陽光の下で、ノットが羊皮紙を広げている。でも彼の視線は、手元ではなく、向かいで文字を追っている俯いた彼女に捧げられている。長い睫毛に光が宿るように反射し、空色の瞳が陽光で万華鏡のように僅かに色を変える。
彼の横顔はゴシックに硬質で、しかしその静かな瞳には常になく穏やかな色を湛えているように見えた。
艶やかな黒髪が一筋、顔の横に垂れる。白魚のような細い手が小さな耳をなぞるように髪をかけるのを、ノットがぼうっと眺めている。彼の顔は相変わらず無表情で、何を考えているのか読み取ることは出来ない。
「……どうしたの?」
視線に気づいた彼女が顔を上げて、首を傾げた。
「いや……」
歯切れ悪く彼は答え、視線を逸らして羊皮紙に目を落とす。スチュアートは何回かまばたきを繰り返し、「何それ」と小さく笑って、また本の世界に戻った。ノットがまたちらりと彼女を見つめると、それから二人は黙り込んで、ノットは羽根ペンを動かし始めた。
机の下で、あと少しでも足を動かせば触れ合うか触れ合わないくらいの距離で、お互いの靴が向かい合っている。
切り取られたような一瞬を、私は焼け付くほどに強く見つめ、瞼の裏で何度も反芻した。熱が体内を巡っていたが、心はひどく落ち着いていた。触れてはならないもののように、私のひっそりと踵を返す。
今を絵にすれば、額縁の中で永遠に彼らは彼らだけの世界で生き続けるだろう。それはずいぶん甘美に思えた。彼らの中にある感情が、私の見たものとは異なっていても、私が描けば絵の中の彼らはそれが事実になる。
画家とはどこまでも傲慢だ。
私は自然と笑みを浮かべていた。私の感じたことを永遠に生きた幻想として残し、閉じ込める。あの瞬間はたしかに、世界に二人しかいなかったのだ。