9月8日、体育祭の説明から丁度一週間が過ぎた金曜日の放課後。
人気の無い校舎の中、夕日が差し込む階段の踊り場で綾小路は高円寺と向き合っていた。
「――これが、オレの得た五条に関する情報の全てだ」
「ふむ……ま、そんなものだろうねぇ」
(あの異様な経歴を聞いてもこの反応か)
先週、茶柱から得た五条に関する情報。
あの不自然極まりない経歴を聞いてなお高円寺の表情には些かの驚きも浮かんではおらず、その反応はまるで既知の事柄を聞いたかのようなつまらなそうなものであった。
「……どうやら、期待していたような情報は無かったみたいだな」
「元より期待などしていなかったさ。所詮一介のティーチャーに得られる情報など、たかが知れているからねぇ」
逆に言うならば、高円寺は教師ですら知り得ない情報を持っているという風にも捉えられる。
いや、事実持っているのだろう。少なくとも、あの経歴を聞いて疑問を抱かない程度には五条護という人間の背景を理解している。
(少なくとも『五条』というのがまともな家じゃないのは間違いない。問題は、
分からないのは、何故高円寺が五条との繋がりを求めているのか。
茶柱から聞いた五条の家業は寺社仏閣の経営。大企業の御曹司である高円寺が繋がりを求める理由は無いように見える。
仮に家の情報がフェイクだとしてもだ。綾小路にはこの男が単純な富や権力を目当てに動くような人間とは思えなかった。
(五条には……いや『五条家』には何かしらのそういった『力』がある。
金でも権力でも無く、ルールや道理を捻じ曲げてしまえる『力』が。そうであると仮定する)
それが何かは分からないが、綾小路は茶柱から得た情報、高円寺の態度からただそうであるという事実のみを飲み込んだ。
(おそらく、ここが境界線だな)
綾小路は直感した。自分は今、淵に立っている。
自分にとってホワイトルームの存在がそうであるように、ここから先は真にマズイ領域へと足を踏み入れることになると。
「……生憎とデータの持ち出しは許されなかったんでな。あくまで覚えてる範囲の話になるが、一応全部伝えたつもりだ」
これ以上、五条護の背後関係や過去を
調べるならば過去ではなく現在。今後はより遠巻きから、五条護本人を観察するに留めておくべきだろう。
そのように方針を定めながら、しかし綾小路としてはあと一つ確認しておきたいことがあった。
「ただ……一つ言うべきか迷ったことがある。
これはあくまで茶柱先生の推測で、仮に事実だとしてもそこまで重要な情報とも思えない事なんだが……」
「話し給え。重要かどうか、その価値を決めるのは君ではなく私だ」
その言葉に、綾小路は言葉に迷うフリをしながらそっと高円寺の様子を注視する。
「……五条の家が、菅原道真の子孫なんじゃないかという話だ」
茶柱に聞いた時から、然程重要とも思えないのに妙に頭の隅に引っ掛かっていたこの情報。
果たしてこの男は如何な反応を示すのか。何気ない表情で様子を窺う。
「ほぅ……」
ほんの一瞬、高円寺が薄らと目を細めたのを綾小路は見逃さなかった。
僅かにだが、確かに垣間見えた関心の色。但しその矛先は、告げた情報そのものに対してというより、綾小路自身に向けられているような気がした。
しかしその表情もすぐさまかき消し、高円寺はいつものように気取った笑みを浮かべる。
「フッ……何かと思えば、随分とゴシップめいた情報だねぇ。
君はそのような情報に何か価値があると思ったのかい?」
「いや……さっきも言ったが、俺自身はそこまで重要と思った訳じゃないんだが。
ただ、これが事実なら少しは納得できる部分もあると思ってな。古くから続く名家のサラブレット。学問の神とも呼ばれた人間の血筋なら、お前が繋がりを求める理由になるかもしれないと」
「ハッハッハ、君は随分とイマジネーション豊かなようだねぇ」
「別にウケを狙ったつもりは無いんだがな」
「謙遜することはない。いっそ将来はジャーナリストでも目指したらどうだい? 君が描く記事は、中々ユーモアがあって面白そうだ」
「……考えて置く」
結局こちらの問い掛けに対する明確な答えが返されることはなく、煙に巻くように軽口を叩く高円寺。
しかし綾小路としては、今の言い回しに少し引っ掛かる部分があった。
(ジャーナリスト――か)
普通こういう時、想像力を揶揄する言い回しをするなら『作家でも目指したらどうだ』とでも言う方が多いのではなかろうか。
ここで『ジャーナリスト』と言ったのは、ある意味ではこれが単なる空想ではないと、こちらの調査力を認めたようにも捉えられる。
少々深読みしすぎのような気もするが、先程僅かに垣間見えた高円寺の反応と合わせて考えるとあながち間違ってはいない気がした。
「さて、どうやらこれ以上愉快な話は聞け無さそうだ。私はそろそろお暇させてもらうよ」
用は済んだとばかりに、唐突に話を打ち切る高円寺。
こちらが言葉の端々から情報を拾っていることに気付いたのか。
去っていく背中に向かい、綾小路は最後にもう一つと声を投げ掛ける。
「待ってくれ。お前はこれからどうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「お前の目的は五条と関係を結ぶことだった筈だ。
結果的にお前が望むような情報は無かったみたいだが、かといって学校側からこれ以上の情報が引き出せるとも思えない。何か方針はあるのか?」
「それを君に話す義理は無いねぇ」
「そうか……なら、俺も勝手に言わせてもらう。
今のままじゃ、お前が何をしたって五条と繋がりを持つのは無理なんじゃないか?」
無遠慮に言い放った一言に、去ろうとしていた高円寺の足が止まる。
「無人島試験の時、五条はお前に言っていたな『自分では何の成果もあげず、他人の労働の上に胡坐をかいている人間』。
ハッキリ言って、あいつの中で今のお前の評価は最低に近いだろう。今のままじゃ、何をしたところで友好的な関係を築くのは難しいんじゃないか?」
「君は何が言いたいのかな? 綾小路ボーイ」
「単に気になっただけだ。お前が五条とどういう関係を望んでいるのかは知らないが、良好な関係を望むならお前自身が変わる事は避けて通れない。お前自身にそのつもりが有るのかどうか」
「愚問だねぇ。たった一度の説法で、私が自分のポリシーを曲げるとでも?」
まぁ、そう言うだろうとは思っていた。
他人の機嫌を窺って自らの行いを改めるなど、高円寺という男からは想像できない。
「勘違いしているようだが、私は何も彼とフレンドリィな関係を結びたい訳では無いのだよ。
打算によって結ばれた友好など、所詮は偽りの関係でしかない。私が求めているのはもっと
「……つまり、お前は今後もクラスの立ち位置を変えるつもりは無いと?」
「その通りだよ、綾小路ボーイ。私が尽くすのはあくまでその価値があると思ったモノだけさ。そして君達にその価値は感じない」
「その理屈で言うなら、お前は五条に自分の価値を示す目算があるのか?」
「さてね。元々私にとっても彼の存在はイレギュラーなのでね。明確なノルマもリミットも無い以上、焦らずじっくり考えさせてもらうさ」
そう言い残し、今度こそ本当に去っていく高円寺。
その背を見送り、綾小路は静かに嘆息する。
(やはり駄目か……)
現状において、Dクラスの戦力不足は明確。
自身が目立ちたくない綾小路としては、五条の件を機に高円寺が少しは協力的になってくれればと思ったのだが、やはりそう虫の良い話は無かったか。
とはいえ、落ち込んでばかりもいられない。今日はまだ、これからやるべきことがある。
綾小路はすぐさま意識を切り替えると、高円寺の背が見えなくなるのを待ってから自分も歩き出した。
◆◇◆
高円寺との会話を終えて、綾小路が向かったのはケヤキモールにあるカラオケルームだった。
夕方、遊び盛りの学生達で賑わう時間帯。一人入店した綾小路は手早く受付を済ませると、店内の奥の一室に迷いない足取りで歩いて行った。
向かう先は10人規模の団体客が利用するような中規模サイズのカラオケルーム。
到着した扉の前、軽くノックをして中に入ると、室内には既に三人の先客の姿があった。
壁に備え付けられた巨大なモニター。それに対しコの字型に備え付けられた大きなソファの内、中央に座るのは二人の男女――平田と軽井沢。
そして二人から少し離れた位置、モニターに向かって右側のソファには一人読書をしている堀北鈴音の姿があった。
「うわっ、本当に来た」
入室したこちらの姿を見るなり、何やら軽井沢から失礼な呟きが飛んでくる。
綾小路としてはむしろ軽井沢がこの場に居る事の方が意外であったのだが、そんな疑問はおくびにも出さず堀北の横へと腰を掛ける。
「……随分と遅かったわね」
「今日が返却期限の本があったんでな。少し図書館に寄ってたんだ」
高円寺とのやり取りを馬鹿正直に話す訳にもいかない為、そんな言い訳をする綾小路。
「そういう事は、もっと事前に済ませておきなさい。今日の予定は前以て言っていたでしょう」
「悪いな。今日になって期限の事を思い出したんだ」
「
(むしろお前は張り詰めすぎだと思うがな)
口には出さず内心でツッコミを入れる綾小路。
一見すると普段と変わらず不機嫌そうな表情の堀北だが、よくよく見ればページを捲る手はいつもより遅く、読書に集中できていない様子が見て取れた。
どうやら、余程これから行われることに対し緊張感を抱いているらしい。
「まぁまぁ、予定の時間までまだ余裕はあるし、そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
そんな堀北の心情は察せずとも、ピリピリした空気を感じ取ったのかフォローを入れてくれる平田。
一方で、そんな風に気を遣わせてるのが気に食わないのか、その横で軽井沢が邪魔者を見るような視線を向けて来る。
「ていうか何で綾小路君も来た訳? なんか場違いっぽくない?」
果たして自分は、彼女に何かしたのだろうか?
綾小路自身、この場で浮いているという自覚はあったのでその疑問自体は否定しないが、なんともまぁ、随分と邪険にされたものである。
内心でヒッソリ傷ついていると、綾小路に代わって堀北が口を開いた。
「単なる人数合わせよ。私の予想が正しければ、向こうで来るのはおそらく三人以上。
話し合いをする以上、こちらも最低限それに合わせた人数を揃えておきたかったのよ」
「それにしたって他に誰か居たと思うんだけど……櫛田さんとか」
「……私としては、あなたの方こそ呼んだ覚えは無いのだけど。軽井沢さん」
「だって私、平田君の彼女だし。彼氏が他の女子とカラオケに行くって聞いて、一人で行かせる訳なくない?」
「遊びに来た訳じゃ無いのよ」
平田の腕にしがみつく軽井沢。
傍から見たら何ともバカップル丸出しな二人の様子に、ただでさえ気を張り詰めていた堀北は心底呆れたように溜め息を吐いた。
その一方で、綾小路は平田達の様子を静かに観察していた。
(独占欲というより……これは依存か)
元々平田にベッタリではあったが、ここ最近の軽井沢はやけにそれが顕著に見える。
普通に考えるならば、恋人として何かしらの進展があったのかと思う所なのだろうが、それにしては平田の方の距離感が不自然。
元からよそよそしい部分はあったが、だからこそ軽井沢との温度差で一層それが浮き出て見えた。
思い当たる節があるとすれば夏休みの船上試験。兎グループのディスカッションでCクラスの女子と揉めた時からか。
あの時から密かに抱いていた違和感。綾小路の中で、それが確信めいた具体像を帯びてくる。
(やはりこの二人……)
――コンコンコン
ふと、そこまで考えた所でノックの音が響く。
一瞬にして引き締まる堀北と平田の表情。
ゆっくりと開かれる扉に視線を向けると、そこに居たのは二人の男子と一人の女子。
「ご機嫌よう皆さん。どうやらお待たせしてしまったようですね」
Aクラスの葛城と坂柳、そして五条の姿がそこにあった。
優雅な仕草で挨拶を述べる坂柳に、平田は笑みを浮かべながら迎え入れる。
「……ううん、時間通りだよ。どうぞ座って」
三人は促されるまま室内に入ると、綾小路達の対面のソファに葛城、坂柳、五条の順で席に着いた。
五条が座ったのは、綾小路から見てテーブルを挟んだ対角線の位置。
彼の姿を視界に収めながら、綾小路は思う。
(……やはり、慣れないな)
相変わらずと言うべきか、五条の存在感には未だ慣れない。
まるで大型の肉食動物の前に、無防備で立っているかのような心許ない感覚。
これが一方的な警戒心であることを理解しながら、綾小路は背筋に走る薄ら寒い感覚を拭いきれずにいた。
間違ってもこちらが裏で探りを入れている事を気付かれてはならない。かといって変に意識して視線を逸らしすぎるのもそれはそれで不自然。
綾小路は努めて自然体であるよう意識しながら、Aクラスの三人全員へまんべんなく視線を彷徨わせた。
そうして五条以外にも意識を向けていたからだろう。
綾小路はふと、坂柳がこちらを見て何やら意味深な浮かべたことに気付いた。
「ひとまず、ドリンクでも頼もうか」
しかしそれも一瞬。
次の瞬間には、平田が坂柳達に差し出したメニュー表で、その視線は遮られてしまった。
「そうですね。では私はコーヒーを」
「俺はウーロン茶を頼む」
メニュー表を受け取るなり、チラリと見てすんなり注文を決める坂柳と葛城。
続いて綾小路達も適当にドリンクを注文し、最後注文していないのは五条だけとなった。
ジッと真剣な表情でメニューを見つめる五条。
何ともやけに真剣な表情。たかがドリンクを選ぶのに、何をそんなに悩んでいるのか。
そんな思いでその様子を見ていると、しばらくしてようやく口を開いた。
「……じゃあ、俺はコーヒーと――『デラックスショコラベリーハニートースト』一つ」
――――ん?
その場に居た全員――いや、注文した本人とニコニコと笑みを浮かべる坂柳以外の全員が、聞き間違いかとばかりに五条に視線を向ける
それは同じクラスの葛城も例外ではなく、そんな皆の視線を受け五条はどうかしたかと首を傾げた。
「ん、なに?」
「いや……それ、食べるのか?」
「そりゃ、カラオケ来たらとりあえずハニトー喰うでしょ」
同じクラスの葛城の問い掛けに、何を当たり前の事をばかりに言葉を返す五条。
いや、確かに何を頼むかは個人の自由だが、これからクラスを交えた話し合いをしようという中で、よくもまぁガッツリスイーツを頼めるものである。
「五条君ってこういうの食べるんだ? ちょっと意外かも」
皆がリアクションに困る中、一人呑気な声を上げたのは軽井沢。
それを聞いて、坂柳も微笑みながら言葉を返す。
「護君は甘党ですよ。偶にご一緒にスイーツの食べ歩きをしていますし」
「うわっ、急に惚気るじゃん。やっぱ二人って付き合ってるんだ?」
「フフッ、ご想像にお任せします」
「いや、付き合ってないから。有栖もそこはちゃんと否定しとけ」
急に始まるガールズトーク。
場所がカラオケということもあって、まるで遊びに来ているかのようなノリの会話に、一気に場の緊張感が緩むのが感じられた。
「ン゛ンッ……注文はこれでいいな?」
咳ばらいをして場の空気を引き締め直そうとする葛城。
「あ、折角だし私もハニトー頼もうっと。大きいのは食べきれないから、こっちのプチハニトー」
「では私も、折角なのでこちらのケーキを。護君、どうせならシェアしませんか?」
「別にいいけど」
「オイ……」「あなた達……」
一連のやり取りを見ながら頭痛を堪えるような仕草を取る葛城と堀北。
平田は苦笑しながら、ともあれ全員の注文を纏めて電話で店員へと伝えた。
何やら一気に気が抜けてしまった気もするが、葛城は再びコホンと咳ばらいを一つ。気を取り直して口を開く。
「……まずは、先に礼を言っておこう。今日は話し合う機会を設けてもらい感謝する」
「こちらこそ。Aクラスとは同じ赤組同士、一度話し合っておきたかったからね」
軽くお辞儀をする葛城に対し、こちらもにこやかに礼を以て応じる平田。
これこそが本日の本題。今日カラオケに集まったのはAクラスと体育祭に向けての打ち合わせをするためだ。
最初の集会の時に保留となった協力関係の擦り合わせ。それを行うための集まり。
「では、早速だが本題に入らせてもらおう。今回同じ赤組として共同戦線を張るに当たり、我々Aクラスはお前達Dクラスと、より踏み込んだ協力関係を構築したいと考えている」
「うん、僕達も君達と協力して戦えるなら心強いと思ってるよ。
けど、それが実際に簡単な事じゃないのも分かってるつもりだ。僕達は同じ組で戦う同士ではあるけど、クラスとしては競い合ってるライバルでもあるからね」
「当然だな。こちらも無条件で信用し合えるとは思っていない。
そうだな、先に言っておこう。踏み込んだ協力関係とは言ったが、こちらとしてはDクラス側の競技者の選出に口を出そうなどとは考えていない」
「……そうだね。確かにそこはお互い踏み込むべきじゃないと思う」
当然と言えば当然の取り決め。
今回の体育祭において参加表の存在は生命線。互いが互いに信用しきれていない現状、そこに口出しを許すのは正しく自殺行為。
これに関しては、最低限の線引きという物だろう。
(しかしそうなると、向こうが何を以て『協力』と言っているかだ)
参加表に口出しできない以上、互いにクラス同士で干渉できる範囲はかなり限られる。
果たしてAクラスは、何を以て『踏み込んだ協力関係』などと言っているのか。
「こちらの提案は主に二つだ。
まず一つ目、本番までの練習期間の間どこかで最低でも一度、団体競技の合同練習の機会を設けたい」
「合同練習か……確かにそれは必要かもしれないね」
「ああ、今回の体育祭において『棒倒し』『玉入れ』『綱引き』『騎馬戦』この四種目に関しては、あくまで加点されるのは組に対してであって、クラス間の順位には影響しない。
我々で競い合う理由が無い以上、協力し合っても問題無いと考えた」
これに関してはまず無難な提案だろう。
今葛城が言った通り、これらの団体種目に関しては競い合う理由が無い以上、腹の探り合いも何もない。
しいてデメリットがあるとすれば、こちらの選手の情報が相手側に漏れることだが、それに関してはお互い様。元より練習時間に偵察されているだろうことを考えるなら、そこまで大きな影響はない。
平田はチラリと視線を横へ。堀北が頷くのを確認すると、了承を返した。
「わかった。一応クラスの皆にも確認してからの返答になるけど、その方向で進めさせてもらうよ」
「よろしく頼む」
「うん。それで二つ目は?」
「二つ目は……」
ふと、そこで葛城の視線が隣に座る坂柳へと向く。
「もう一つに関しては、私の方からご説明させて頂きます」
「坂柳さんから?」
ここに来て会話に加わる坂柳に、平田と堀北の表情が僅かに硬くなる。
二人にとって、船上試験での竜グループ敗北は未だ記憶に新しい事。綾小路自身はあくまで伝聞でしか知らないが、今目の前にこの三人が並ぶ光景はまさにその時の状況を彷彿とさせるものだろう。
そんな二人から警戒の籠った視線を向けられながら、坂柳は口を開く。
「私から提案したいことは一つ。
各クラスの個人競技における成績上位者、その内上位三名の出場順を教え合いませんか?」
「「は……?」」
(また、随分と踏み込んできたな)
一瞬、思わぬ提案に呆気にとられる平田と堀北。
しかし堀北はそこで思考を停止することは無く、いち早く我に返ると即座に問いを投げ返した。
「……どういうつもり? つい先程、お互い競技者の選出には口を出さないと決めた筈だけど?」
「先程の取り決めは、お互い参加表の内容には口出ししないというものです。
そして今回の提案は、あくまで自分達の情報を公開しようというもの。内容として何ら食い違う物ではありません」
「えっと……それはつまり、お互いのクラスで能力の高い人同士が、潰し合わない為にってことだよね?」
「はい、それが一番の目的になります」
確認するように問い掛ける平田に対し、坂柳は頷きを返す。
「言うまでも無いことですが、今回の体育祭は運に左右される部分が大きいと言えます。
どんなに優秀な生徒であっても、組み合わせ次第では満足な結果を出せず苦戦を強いられる可能性は十分に在り得るでしょう。
そういった事態を避けるためにも、お互いのクラスにとって、切り札となる生徒同士の衝突は避けた方が得策だとは思いませんか?」
言っていることは間違っていない。
今回の体育祭において、クラス順位を決定づけるのは主に個人種目による配点だ。
クラスとして勝利を目指すのなら、能力の高い者には確実に上位を取ってもらい、逆に能力の低い者は元から勝ち目の低い相手に当てるといった、効率的な戦力運用が肝要となる。
一見するなら、優秀な生徒同士が潰し合わない為の措置。合理的な提案と言えるだろう。
だが、それはつまり――
(メリットは確かにある。だが、これは……)
綾小路は気付く。この提案に潜む落とし穴。
果たして堀北は気付いているのか。そう思いチラリと視線を横へ向けると、彼女は思案気な表情を浮かべたままゆっくりと口を開いた。
「……言いたいことは分かったわ。その上で二点程、聞かせてもらってもいいかしら?
まず、あなた達が正しい情報を渡すという保証は?」
「ご希望とあれば、無人島の時のように契約書を作成しても構いません」
嘘の情報で騙されないか。これはまず真っ先に思いつく懸念点だろう。
しかしそれ自体は然したる問題ではない。今坂柳が言ったように、契約書を作成するなど偽証を防ぐ手段は幾らでもある。
「そう……それじゃあもう一つ。あなたは成績上位者の情報を公開するだけで、こちらの組み分けには口を出さないと言ったわよね?」
「ええ。あくまでお互いに情報を渡すだけ。得た情報に対し、どのような対策を練るかはそちらの裁量にお任せします」
「……つまりAクラスは、私達と勝負をする気が無いと受け取っていいのかしら?」
「そのように取って頂いて構いません」
「そう……」
にこやかな笑みで肯定する坂柳に対し、堀北はただ一言小さく呟くと、口元に手を当て深く考え込む素振りを見せた。
するとそのやり取りを見て、理解が追いつかないのか軽井沢が疑問気な声を上げる。
「え、なに? どういうこと?」
彼女は問いかけるように隣の平田へ視線を向けるが、当の平田も今の二人のやり取りは理解しきれていないのか困惑の表情。
そんな二人の様子を見て、堀北は説明の意も兼ねて情報を整理する。
「まず、今の坂柳さんの提案はお互いが互いの成績上位者に対し、成績下位の生徒をぶつけるという前提の下で成り立ってるのよ。ここまではいいかしら?」
「まぁ、それくらいは分かるけど」
「これ自体は、お互いに優秀な生徒同士がぶつかって負けるリスクを減らせるというメリットがあるわ。それはいい。
けど……本来クラスとして一番の理想を言うなら、相手側の優秀な生徒にこちらのより優秀な生徒を当てて上位をもぎ取るのが一番理想的な勝利の形なのよ」
そこまで説明されたことで、ようやく平田も得心がいったように頷いた。
「そうか、坂柳さんの作戦はその戦略を捨てることになるんだ」
例えば、仮にDクラスがAクラス側の優秀な生徒に対しこちらの優秀な生徒を当てようとしても、こちらが組み分けを明かせば相手はそれを見て更に組み分けを変える。それでは鼬ごっこにしかならない。
互いが互いに組み分けを公開し合うやり方では、堀北が言った理想的な勝利の形を目指すのは難しい。
「そうですね。ですがそれ自体は然したる問題にはならないでしょう。
元より、狙った選手に対し自陣の実力者を都合よくぶつけるなど、相手チームの参加表を知り得ていなければ出来ないのですから」
「ええ……そうね。あくまで私が言ったのは自分達にとって都合の良い展開の一例に過ぎない。
偶発的に起るかも分からない希望的観測を、戦略には組み込めないわ」
「そうですね。なので私からの提案は、あくまでBクラスCクラスに焦点を当てた作戦とお考え下さい。
例えば100m走であれば男女それぞれ各十組の内、六組に我々AクラスとDクラスの優秀な生徒を配置することができます」
「成程……確かにそれなら白組の獲得点数を削りながらクラスの得点も底上げできる」
どこまでも合理性を押し出した坂柳の説明に、平田の表情に感心の色が浮かぶ。
クラスとしては確実にリスクを回避できる坂柳の提案は、比較的安定志向な見方をする平田にとっては魅力的に映るだろう。
一方で、堀北が浮かべるのは渋い表情。
(気付いてるみたいだな)
どうやら堀北は気付いたらしい。
今の説明の中に潜む、僅かなリスクの存在に。
――コンコンコン
そこでふと、部屋にノックの音が響く。
どうやら今になって最初の注文の品が届いたらしい。開かれた扉から、店のスタッフが各自の注文の品を持って部屋へと入って来る。
「どうやら注文の品が届いたようですね。丁度良いタイミングですし、この辺りで一度小休止と致しましょうか。そちらとしても考える時間はご必要でしょう?」
「ありがとう、そう言ってもらえると助かるよ」
わざわざこちらに考える時間を与える余裕の態度。
こういう所がAクラスに対してやり難いところだ。恐らく向こうにしてみれば、こちらが提案を呑もうと吞むまいとどちらでもいいのだろう。
提案を蹴られた所で、向こうにとってただ真っ当に戦えばいい最初の状況に戻るだけ。少なくとも悪化することは無い
あくまで選択権はこちら側。向こうはただ純然たる事実を並べて、選択肢を与えているだけ。だからこそ――やり難い。
Aクラスが用意する選択肢は、例えるなら綺麗に舗装された路だ。
歩きやすく、苦労が少ない。ただ言われるままに進んで行けば、こちらもメリットを享受できるように整えられている。
(さて、どうするか)
目の前に置かれたコーヒーに口を付けながら、綾小路は考える。
坂柳が口にした提案。そのメリットとデメリットの存在について。
そう、綾小路は理解していた。
(――この提案を受ければ、DクラスはAクラスに負ける)
前回一週間目標とか言って、またもここまで遅くなってしまい申し訳ありません。
出来ればもう少し簡潔に分かり易く内容を纏めたかったのですが、書いてる内にどうしても説明がグダってしまいグダってしまい……。
他にも色々描きたい描写はあったんですが、会話の流れ的にねじ込むことも難しかったり、どう纏めたらいいかもわかんないしで、色々諦めてぶった切ることにしました。
Q.高円寺って五条家の先祖のこと知ってんの?
A.御三家と呼ばれる所以として、一応噂程度には聞いている。本人的には「だから何?」っていう程度の情報だけど、紛い形にも呪術の世界に繋がり得る部分に綾小路が独力で辿り着いたこと、その事実に少し驚いた。
Q.軽井沢って、平田のこと名前呼びじゃなかった?
A.軽井沢が平田を名前で呼び始めたのは1年生編5巻から。ただ、これに関しては4巻で綾小路が苗字呼びに対する違和感を指摘したこととか、綾小路に影響された部分が大きいと思ったので、それらのイベントが無くなった今作じゃ未だ苗字呼びです。
Q.ここから軽井沢さんが救われる道はあるんですか?
A.わからねっス。一応綾小路の方に意識させては居るけど、別に原作通りに救われなきゃいけないとも思ってないんで。当面成り行きに任せます。
Q.護君、禄に話さなかったけど何しに来たんすか?
A.有栖がハニトー奢ってくれるって言うからついてきただけ。
夏休みの締めくくりの水着回、開催するならどっちがいい?
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よう実4.5巻準拠。学内プールに行こう
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高専メンバー参加型。学外で皆と楽しもう