原作でも宇随さんから煉獄さんへの言及描写は多かったですが、アニメだとより一層の影響力というか繋がりを感じた気がします。
また、最終決戦では槇寿郎さんと若干ながら会話があったので、この二人の関係性はどんなものなのだろう……という想像も入れ込んでいます。
楽しんで読んでいただけたなら幸いです。
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山肌が紅や黄金の錦に染まる、晩秋。
あでやかな椛に覆われた森林の奥で、その場所は常変わらぬ閑けさに満ちていた。
鬼殺隊の墓所。
お館様の屋敷や刀鍛冶の里と同じく、鬼殺隊でも限られた者しか所在を知らぬ土地。
鬼との戦いで命を落とした無数の隊士の亡骸が、ここに埋葬されている。
縦横に整然と立ち並ぶ墓標。
その合間に、ひとつの影が見えた。
亜麻色の内着に紫苑の羽織をまとい、颯爽と音もなく歩いてゆく。
一見すると長尺の美丈夫だが、腕や胸元からは包帯が覗き、左目には派手な装飾の眼帯を巻いている。
やがて男はひとつの墓の前で足を止め、正面に居直った。
他よりも相当に古いが、手入れは行き届いている。親族や隠が丁寧に管理してきたのだろう。
「よう。すまねぇな、遅くなって」
煉獄家之墓。
鬼殺隊を創設から支える、最古参の剣士一族が眠る場所。
当然ながら、煉獄杏寿郎も。
宇随天元がここを訪れるのは初のことだった。
本来なら、訃報を受けて直ぐにでも香を焚きに来るべきだったろう。
だが、当時は既に遊郭で捜査の任に就いており、事が済むまで動けなかった。
戦いを終え、歩き回れるほどに快復してようやく、こうして墓参りへと赴く機会ができた。
黙祷ののち、天元は懐から小さな瓢箪を取り出す。
「好んでた覚えはないが、あいにく俺が供えられるのはこれくらいだ」
語り掛けつつ、墓石の上で瓢箪の口を傾ける。
とくとくと石肌をつたう清酒。漂う酒気が風に巻かれ、木陰へと散ってゆく。
「そっちへ行ったら好きなだけ飯を奢ってやるから、しばらく待ってな」
何度か食事を共にした際の、煉獄の壮快な食い振りを思い出す。
うまいうまいと連呼して大量に食べるものだから、何とも奢り甲斐のある男だった。
───そっちへ行ったら、か。
果たして、そのときはいつ訪れるだろう。
上弦の陸、堕姫と妓夫太郎との死闘は、宇随天元の肉体に数多の傷を残した。
中でも左手首の欠損と左目の裂傷は、呼吸で治癒力を向上したところで元に戻るものではない。
もはや音柱として、また元忍としての技巧を十全に発揮することは叶わなくなった。
「お前程度でも居ないよりはマシだ」
伊黒はああ言ったが、ろくに役目を果たせぬ者が柱の位に居座っても、士気を下げるだけだ。
よって先ほど、お館様へ柱の引退を正式に申し入れてきた。
このような用向きでお時間を頂くのは些か気遅れしたが、文で済ませてよい案件でもない。
屋敷でお館様にお目通りした瞬間、思わず息を呑んだ。
病の進行が想像以上に早い。前回の柱合会議では目元までだった腫瘍が、今や顔の全面を覆い、指先まで達しつつある。心音も、前よりずっと細く弱い。
以前、お館様が自ら話してくださった。これは呪いであると。
鬼舞辻無惨という忌まわしき存在を輩出した血族が、代々受け継ぐ呪い。
妓夫太郎の毒を受けた自分には、いくらか想像がつく。
刻一刻と肉体が蝕まれ、一呼吸ごとに激痛が神経を犯し、血反吐が喉を逆流する。
無惨を滅殺するまで永劫に続く、地獄の責め苦。
ある意味で、お館様は隊士よりもずっと過酷な戦場に身を置いているのだ。
だというのに、お館様はいつもと変わらぬ穏やかな声色で言葉を掛けてくださった。
「よくやったね、天元。君は本当に凄い子だ」
「勿体ないお言葉でございます」
「君たちの成し遂げたこと、これは”兆し”だと私は思っている」
「”兆し”、ですか?」
「ああ。先祖から数百年繋いできた悪鬼滅殺の刃が、ついに上弦まで届いた。きっとここから、私たちの運命は大きく動き出すだろう。天元、炭治郎、善逸、伊之助、そして禰豆子。君たちが投じた一石が、私は誇らしい」
正直、今回の一件がどんな意味を持つのか、まだ自分にはピンと来ない。
だが、詠うように語るお館様の声を聴いていると、心が不思議な安堵感に包まれる。
「それで、誠に心苦しいのですが」
改めて背筋を正し、柱の引退を申し出る。
「うん。君は葛藤を抱えながら、今まで鬼殺隊に命を懸けて貢献してくれた。たとえ柱でなくなっても、その事実は変わらない」
既に予想していたのだろう、お館様の表情は少しも揺るがなかった。
「面目ありません。引き続き、鬼殺隊の一員として身命を賭す所存です」
「そうだね。君は、今の君ができることをしてくれればいい」
今の俺ができること。
その言葉が、何故か胸に残った。
生きていれば勝ちだと、その考えは今も変わらない。命を拾えた天運には感謝している。
だが、まだ何も終わっちゃいない。
お館様が予見するように、鬼との戦いはむしろ苛烈さを増すだろう。
守らなければならない、これまで以上に。妻たちを、鬼殺隊を、罪なき人々を。
だというのに、この身体で何ができるのか。
指先から零れ落ちてゆく命を、今や眺めることしか許されないのか。
元より才能のない自分には歯噛みしてばかりだったが、懊悩は強まるばかりだった。
「こんな地味なことで悩むなんざ、柄じゃねえんだけどな」
自嘲気味に笑う。悩みに囚われ足を止めることは、己の信条に反すると。
ただ宇髄天元にとって、こうした葛藤は珍しいものではない。
そもそも、冷酷に心を殺す忍の在り方に疑問を覚え、自分は里を抜けたのだから。
「なあ、お前なら───」
煉獄なら、どう考えただろうか。
最期まで正面を向き、信念に殉じた彼ならば。
どんな姿であろうと、あの眼差しで己の責務を見据え続けただろうか。
ふと、後方に気配を感じて振り返る。
よく見知った赫髪。太い眉、鋭い目尻。
一瞬、煉獄が黄泉の国から戻ったのかと錯覚する。
「……あんた、は」
だが、年を重ねた風貌に彼のような炎の威容はない。
そこに佇むのは、元炎柱であり杏寿郎の父、煉獄槇寿郎であった。
─ ─ ─
「君は、確か宇随君だったか」
「ああ。邪魔してるぜ」
「いや、息子に会いに来てくれたんだな。ありがとう」
頭を下げる槇寿郎。その手には水入りの桶と柄杓のほか、布巾や束子、替えの花などを提げている。
おそらく墓の手入れに来たのだろう。
天元と槇寿郎は初対面ではない。音柱に任命されたとき、炎柱は杏寿郎ではなく彼だった。
もっとも、当時から既に槇寿郎は覇気を失っており、程なくして柱合会議にも来なくなった。
済し崩しで柱を引退した彼の後釜として、杏寿郎が炎柱を継いだ形となる。
以前は杏寿郎と同様、炎の如く熱き気迫の持ち主であったという。
そんな彼が豹変したのは、妻の病死が原因であろうとも。
情けない、とは思わない。
どれほど強い心でも、それを上回る絶望や悲愴に打ちのめされることはある。
自分とて、先の戦いで三人の妻のうち一人でも失っていたら、果たして再起できたかどうか。
だからこそ、この場所で槇寿郎に遭遇したのは意外だった。
「よく墓の世話に来るのか?」
「いや。昔は通ったものだが、再び足を運び始めたのは最近のことだ」
「……無礼を承知で言わせてもらうが。動けるんだな、あんた」
妻に加え、息子の杏寿郎までもが早逝したのだ。折れた心を砕き尽くすには十分な現実だろう。
「ああ、そうだな。少し前までの私なら、無理だった」
弱々しい声色だが、芯は通っている。ともすると、天元が初めて出会った頃よりも。
数歩下がり、墓前を譲る。
槇寿郎は合掌してから、手入れに取り掛かった。
慣れない様子ながらも丹念に束子で墓石を磨いていく。
供え物とはいえ、酒を浴びせたのを少し後悔した。
沈黙が続く。元より面識の浅い間柄だ。
ひとまず目的は済んだし、これ以上居座っても邪魔なだけだろう。
「なあ、煉獄さんよ」
ただ、ひとつ聞きたいことができた。
「あんたは───どうやって立ち直った?」
「……」
一瞬、束子を動かす手が止まる。
動揺ではない、居住まいを正すような落ち着いた呼吸の音。
「杏寿郎の遺言を受け取った。体を大切にして欲しい、と」
やがて、槇寿郎がぽつりと吐き出す。
「死を目前にしても、私や弟の千寿郎、そして後輩たちに言葉を遺して逝ったそうだ。私などには勿体のない、立派な子だった」
「確かに、あいつは凄い男だったよ。上弦の参を前に、自分以外の一人の命も奪わせなかったと聞いている。俺には真似できない芸当だ」
「……そうか。君も先日、上弦の鬼と」
「ああ。奴らは想像以上に化け物だった。俺の身体はこの様だし、死人も大勢出した。生き延びられたのは奇跡中の奇跡みたいなもんだ。譜面が一つでも狂っていれば、今ごろ俺も墓の下だったろうよ」
あの戦いは本当に限り限りだった。
上弦の鬼を倒したと言えば聞こえはいいが、その裏でおびただしい犠牲を許してしまった。
もしも戦ったのが自分だけなら、十中八九命を落としていたはずだ。
「そうならなかったのは、まあ、引き連れていった隊士どもが根性を見せたからだ」
蝶屋敷で遭遇し、渋々ながら同伴させたあの四人。
階級の低さと反抗的な態度から全くアテにはしていなかったが、戦闘では並外れた執念で鬼に喰らいつき、自分と共に”二体同時に首を斬る”という難題を成し遂げた。
「どいつもおかしな連中だが、特に竈門炭治郎って奴は面白い。妹を鬼から人間に戻すだの、鬼舞辻無惨を倒すだの、派手に大見得を切っただけのことはある」
柱合会議で発言を耳にしたときは流石に正気を疑ったが、吉原では己の覚悟が本物であると身をもって示した。
まだまだ未熟ではあるものの、期待を掛けられる男だと思っている。
「待て。竈門君が、君と共に?」
その名を聞いた槇寿郎が、驚いた面持ちで振り返った。
「そうだが、あいつを知ってるのか?」
「ああ。実は遺言を届けてくれたのは、彼なんだ」
「……そういえば」
無限列車の一件に関して纏められた報告書。そこには煉獄のほか、同行した隊士の名前も載っていた。
今思えば、それがあの四人だったような覚えがある。
ならば煉獄の最期を看取り、今際の言葉を託されたのも。
「まだ自棄だった私は、わざわざ遺言を届けてくれた竈門君へ酷い仕打ちをしてしまった。だが彼は何よりも、私が杏寿郎を侮辱したことに憤った。泣きながら、自分の無力さを悔いていた」
「なるほどな。合点がいったぜ」
あの隊士たちが見せた、尋常ならざる執念の根幹。
おそらく煉獄の生死を通じ、力及ばぬ悔しさをその心に刻んだのだ。
だからこそ、遊郭ではどれほど劣勢に陥ろうとも、諦めず立ち上がったのだろう。
「竈門君の叱咤は胸に刺さったが、同時にこう思った。杏寿郎が遺したのは言葉だけではない。あの子の信念を、確かに受け継いだ者がいると。そう感じた瞬間、哀しくも救われた心地になった」
失われた命は回帰しない。ただ、生きた証は残る。
灯火を燃え移すように、心から心へと。
「私が再び立ち上がれたのは、彼のおかげだ」
─ ─ ─
槇寿郎は一通りの作業を終え、後始末に移っていた。
「最近、再び剣を振るい始めたんだ。怠惰を貪り続けた身体では、もう炎の呼吸など到底扱えないが。結局はこれ以外に、できることが思い浮かばない」
「できること、か」
本人が言うように、衰えた肉体での呼吸法の再習得は困難を極めるだろう。
実戦へ復帰しても、かつてのような活躍は望めまい。
「だが俺から見れば、あんたは煉獄の育手だ。実戦は無理だろうが、指導ならできるんじゃねえか?」
「いや、私が杏寿郎を指南したのは幼少の頃だけで……」
「だとしてもだ。今や、あんたほどに炎の呼吸を知る者は、他にいない」
煉獄に継子はおらず、彼の弟も剣の才には恵まれなかったと聞いている。
であれば、炎の呼吸を後世に継承できるのは、炎柱にまで登り詰めた実績を持つ槇寿郎だけだ。
「なんて、俺も偉そうに語れる身分じゃねえわな」
「君には、継子はいるのか?」
「いいや。あいにく、音の呼吸は忍術との掛け合わせだ。教えるのには向かねえよ」
「……言葉を返すようで済まないが、君は上弦を倒した唯一の柱だ。呼吸法は継承できずとも、死線を潜り抜けた経験なら伝えられるだろう。それはきっと、君にしかできない」
言われてみれば、そういう道もあるのか。
今の自分にできること。前線に立つのではなく、後進を育てるという選択肢。
「どうだかな。俺が他人にモノを教えるなんざ、想像できねぇ」
正直なところ、つい先日まで現役の柱だった身だ。いきなり頭を切り替えるのは難しい。
しかし、同じ方針を槇寿郎に勧めた手前、無下に否定するわけにもいかない。
「私も最初はそうだったさ」
「そういうもんかね」
「ああ、そういうものだ」
槇寿郎が微笑む。自分が知る限り、初めての表情。
快活に笑う煉獄の面影が、ほんの少しだけ重なった。
─ ─ ─
手入れを終えたあとも、槇寿郎はしばらく残る様子だった。
妻と息子に、積もる話があるのだろう。
今度こそ自分がいては邪魔になる。
「じゃあな、煉獄さん。あんたと話せて良かった」
「ああ。君も息災で」
一礼し、踵を返して宇随天元は墓所を去った。
西日で一層鮮やかに燃える椛を眺めつつ、道すがらぼんやりと考える。
「人を指導する……ねぇ」
迷いが晴れたわけではない。
他人に根気強く技術や経験を伝授するという行為が、果たして自分にできるのか。
そもそも人材不足が嘆かれる鬼殺隊において、自分のしごきに耐えられる隊士は存在するだろうか。
だが、あの四人の例もある。探せば他にも気骨ある者がいるかもしれない。
「つか上弦に勝たせるなら、何十編殺してでも鍛え抜くしかねえか。気骨とか資質とか関係ないわ」
そう、もはや状況は一変した。
上弦の一角を失った鬼舞辻無惨が、このまま静観するはずもない。
他の上弦を含む十二鬼月共が、死力を尽くして鬼殺隊を滅ぼしに掛かるだろう。
ならば、向き不向きを論じている場合ではない。
それが今の俺にできることだというのなら、死ぬ気で取り組むだけだ。
方針は決まった。そのためにも、まずは───。
「よし。景気づけに、美味い飯でも食いに行くか!」
腹が減っては何とやら、だ。
それに、まだ戦勝祝いの宴が済んでいない。
上等な料亭を貸し切るも良し、秋空の下で紅葉を狩りつつ弁当を広げるも良し。
妻と竈門たちを呼び集め、大勢の喧しい声に包まれながら、ド派手な宴会で仕切り直すとしよう。
─ 了 ─