真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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百十一話

 昼休みの学食は、いつも戦場だった。

 チャイムが鳴るや否や、生徒たちは教室を飛び出し、階段を駆け下り、限られた時間と小遣いを握りしめて列を作る。

 

 慶一はそんな生徒達の様子を見ながらあることを考えていた。

 

 

 それからしばらくの間。慶一のお昼ご飯は毎日同じだった。

 それは焼きそばパンだ。特別に好きというわけではない。ただ、妙に学生に人気のあるパン。

 慶一が食べているのは、毎日違うコンビニ、違うスーパーの焼きそばパンだ。

 

 

「またそれ? よく飽きないね」

 

 背後から声をかけてきたのは、モロだった。

 彼もまた片手に、総菜パンにを持っていた。

 

「研究ってのは、飽きる飽きないんじゃないんだ」

 

 そう言った慶一の口調は、自分でも驚くほど真剣だった。

 

 焼きそばパンは、ただの炭水化物の塊ではない。あれは設計された食べ物だ。少なくとも、そうでなければならない。

 

 慶一は席で包み紙を開く。

 濃厚で甘みのあるソースの匂いがふわりと立ち上がる。

 その瞬間に、慶一はすぐに「確認した。

 麺が暴れていないか、具がはみ出していないか、パンが必要以上に湿っていないか。

 これらは味覚ではなく、経験から身についたチェック項目だった。

 

 焼きそばパンの本質は、食べやすさにある。

 片手で持ち、時間に追われながら食べることを前提にしている以上、そこには明確な条件がある。

 噛み切れること、パンから逃げないこと、そしてリーズナブルなことだ。

 この三つを満たさない焼きそばパンは、どれほど味が良くても不合格だ。

 

 まず麺だ。長すぎる麺は罪深い。

 噛んだ瞬間、必要以上の長さが抵抗し、結果として中身がずるりと引きずり出される。

 シャツに跳ねたり垂れたソースは、その日の気分を確実に落とす。

 理想の麺は、あらかじめ短く整えられているか、少なくとも軽く切られているべきだ。それは品位を落とす行為ではない。

 焼きそばパンという形式に対する敬意だ。

 

 次に具材。キャベツは必要だが、万能ではない。

 大きすぎれば歯に逆らい、小さすぎれば存在感を失う。二、三センチ角、火は通っているがまだ芯を残している程度が理想。

 パンに挟むことを考えると、茎よりも葉の部分を使ったほうが、具材がこぼれにくい。

 

 豚肉はさらに厄介だ。脂は欲しいが、繊維は要らない。

 細切れを刻み、ほとんど形を感じさせない程度が最適解になる。必要なのは、肉を噛みしめる満足感ではなく、噛むことで広がる肉の旨味だ。

 

 もやしや玉ねぎは、焼きそば単体では名脇役だが、パンと組むと途端に問題児になる。

 水分はパンを破壊し、繊維は噛み切りを妨げる。

 玉ねぎを入れるなら極薄の千切り、もやしは最初から入れない。

 その判断ができない焼きそばパンは、作り手の想像力が欠けている。

 

 慶一はようやく焼きそばパンに一口かじりつくと、静かに咀嚼した。

 

 麺とパンが同時に歯にかかり、抵抗なく切れる。

 キャベツは軽く音を立て、豚の脂がソースと混ざり合う。

 何もこぼれない。その事実に、慶一は小さな満足を覚えた。

 

「そんなに真面目に食べるものじゃないと思うけど」

 

 モロが笑いながら言う。

 だが彼の手元を見ると、具の多い惣菜パンからレタスがはみ出し、すでに包み紙は油で湿っていた。

 

「真面目に食べるからこそ、金につながるんだ」

「あっ、やっぱそこなんだ。なら、納得」

 

 焼きそばパンは、偶然の産物だ。

 安く腹を満たすため、その場の工夫で生まれた。

 それでも生き残ったのは、状況に適応したからだ。

 放課後の空腹、短い休み時間、立ったまま食べる現実。

 それらを受け止めるために、焼きそばパンは少しずつ形を整えてきた。

 

 川神学院の学食で売るとなると、また形を変えなければならない。

 そうでなければ、今食べている焼きそばパンと同じだからだ。

 同じならば定期的に電子クーポンが届くコンビニには勝てない。

 かと言って、素材と味にこだわりすぎた高級な焼きそばパンに手を伸ばす生徒は少ない。

 

 慶一がまず考えたのは、トッピングだ。

 コンビニやスーパーでやっていないこと、それは自分で味を変えられること。

 紅しょうがは少量なら救いになる。酸味が口を切り替え、最後まで飽きさせない。

 ダイエットが流行っている昨今マヨネーズは危険だが、使いどころを誤らなければ強い味方になる。

 

 ただし、何かをプラスするたびに食べやすさは損なわれる。その天秤を理解していないと、ただの過剰になる。

 その末路は、紅生姜で真っ赤に染まった牛丼や、天かすで埋まったうどんにだろう。

 

 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る頃、慶一はようやく最後のひとくちを口に押し込んだのだった。

 

 

 

 

 

 その夜。

 慶一は台所に立ち、スーパーで買ってきたコッペパンが入ったビニール袋を、キッチンテーブルの端に寄せた。

 今日の主役はパンではない。合わせるための焼きそばを作るのが目的だ。

 焼きそばパンに挟まれるための焼きそば。

 それ以外の役割は、最初から与えていない。

 

 作業台の端に置かれたコッペパンを一瞥する。

 茶色く、柔らかく、主張がない。

 だが同時に、厄介な相手でもある。水分を吸い、具を拒まず、そして簡単に崩れる。

 あれに挟まれて破綻しない焼きそばを作る。

 

 慶一はいつもどおりの手際の良さで調理を始めた。

 

 フライパンに火を入れる。

 油を落とす量も最小限だ。普通の焼きそば通りの油の量を使うと、パンが重たくなってしまう。パンに吸わせるのは豚肉の旨味でいい。

 なので、フライパンにくっつかない最低限で済ませる。

 

 豚肉は細切れを、さらに刻んである。

 焼いた瞬間、脂の匂いが立つが、肉の存在を誇示するような強さはない。だが、ひき肉ほどのつまらなさもない。

 

 肉が溶けるように色を変え、脂がフライパンに薄く行き渡る。

 

 キャベツを入れて、その脂をまとわせる。

 水蒸気が沸き立つ音と同時に、青い匂いが一瞬だけ跳ねる。すぐに火を通して水分を飛ばす。

 キャベツの葉の部分を使っているので、炒めすぎると歯切れがなくなってしまう。

 

 理想は青臭さが消え、甘みと歯切れが残る。あとは茶色一辺倒の焼きそばパンに、華を添えるような緑が食欲を誘う。

 その点から考えても、白い茎ではなく、緑の葉の部分を使ったのは正解だ。

 

 

 麺を入れる前に、一度それを見た。

 長すぎる。

 ためらいなく切る。焼きそば単体なら不要な行為だが、やはりパンに挟まれるなら必須だ。

 噛んだ時に全て引っ張り出される可能性もあるが、それよりもソースでコーティングされた麺どうしが滑るほうが問題だ。

 

 

 フライパンに入れた瞬間、焼けた小麦の匂いが立つ。

 だが、それは屋台の焼きそばの匂いとは違う。油を吸いすぎない、軽い香ばしさ。

 パンの匂いと喧嘩しない温度の匂いだ。

 

 

 麺は蒸し焼きにするが、入れるのは水ではなくお茶だ。

 お茶はなんでもいい。

 今回は烏龍茶を入れたが、ジャスミンティーでも、緑茶でも構わない。

 

 お茶を入れる理由は香りをつけるためだ。

 烏龍茶なら香ばしさ、緑茶なら爽やかさなど、麺を口に含んだ時、ソースの奥に僅かに香る。

 それが次の一口を誘う呼び水となるのだ。

 

 麺が蒸し上がると、ソースは麺にだけかけて和えた。

 具材にかけてしまうと、ソースの味一辺倒になってしまいm焼きそばパンではなく、ソース麺のパンになってしまうからだ。

 

 ソースが熱に触れ、甘辛い匂いが立ち上がる。

 その瞬間、台所の空気が一変する。

 

 よくある屋台の匂いではない。

 

 学食の匂いだ。目を閉じれば、学食で焼きそばパンを売っている自分の姿が想像できる。

 

 紙袋に包まれ、昼休みに広がる、あの甘さと酸味のバランス。

 噛む前に腹を決めさせる匂い。

 香りに「輪郭」だけを与えるように、胡椒を落とす。ほんのわずか。

 パンの甘みを引き立たせる程度。

 

 火を止めると、焼きそばは湯気を立てる。

 

 コッペパンに包丁を入れて開く。

 

 パンの白い内側を、ソースで汚しながら焼きそばを収めた瞬間――景色が変わった。

 

 

 

 

「――わかるか? モロ。味気がなくて食べやすいコッペパンと、味が濃くて食べるのに食器がいる焼きそば。その二つが完璧に合わさったのがこれだ」

 

 数日後の昼休み。場所は教室。

 慶一はその台詞とともに、モロに今日から売る予定の焼きそばパンを試食させた。

 

「いやね……慶一が作ったんだから、食べる前から美味しいのはわかってるし、ケチのつけようはないんだけどさ……」

「言うなよ……オレだってわかってるんだから」

 

 そう言って慶一は自分で作った焼きそばパンを食べた。

 味は普通。ものすごく美味しいわけでがはない。

 だが、この焼きそばパンの値段が100円なら別だ。

 

 モロもひとくち食べて「美味しいよ。慶一」と言った。

 

「だってよ! 美味しいとさ!」

 

 慶一大声で言うが、反応はない。

 

 そう、昼休み。いるのは慶一とモロの二人だった。

 100円という破格の焼きそばパンは、当然個数限定であり、早いもの勝ちだ。

 つまりイベントあり、イベントというのは川神学院の生徒の過半数が好きなものだ。

 

「慶一が自分で広めたイベントでしょう。その成果なんだから、そんな顔しないの」

「キャップはともかく、一子も大和もだぞ」

 

 焼きそばパンを昼の風物詩にして、生徒を学食に誘導させる商戦をすると、風間ファミリーには話してあったのだが、イベント大好きなキャップは、焼きそばパン争奪戦となれば、裏の意図など全く気にしない。

 いつでも慶一に作ってもらえる立場の一子も、学校で自らの力によって手に入れる焼きそばパンの魅力には負けた。それに対抗するクリスとガクト。

 メンバーが動けば調和するように動くのが大和だ。

 そして、それにぴたりとついて行く京。

 

 慶一が相談あると言わなければ、モロもついて行っただろう。

 

「でも、慶一の勝ちだよ。学校中、慶一の手のひらの上で踊らせれてるみたいなもんだよ。とりあえず学食に行けば、焼きそばパンが買えなくても、結局別の注文するもんね」

「モロ……薄々気付いてるだろう?」

「僕の口からは言えないよ……」

 

 慶一が濁している事実は。

 これが本当に焼きそばパン効果か。ということだ。

 

 正解は半分だ。

 

 ある程度は焼きそばパン効果が見られる。

 だが、人がいなくなるほどのイベントになったのは、初日ということ。

 そして、漫画のようなイベントに、キャップが張り切り過ぎた側面の力が多かった。

 

 風間翔一が走ることにより、その風に背中を押され、意味もわからず走り出した生徒がほとんど。

 

「キャップ効果か……」

 

 慶一は仕掛けてもいない勝負に、急に負けの二文字を眼前に突きつけられた気持ちだった。

 

「そう、気を落とさないでよ。慶一らしくないよ。キャップは気まぐれな風なんだから」

「風か……そうだよな」

 

 慶一が顔を上げると、その表情にモロはホッとして笑った。

 

「そうそう」

「風が吹けば桶屋が儲かるってな」

 

 慶一は雑に焼きそばパンを口に押し込むと、

 

「あれ? 今日は休みなんじゃないの?」

「風が吹いてる。儲けろって合図だ」

 

 計位置はもったいぶって、後ろ手に指を振ってみせた。

 

 今現在。

 学食には、キャップの風に乗って走り出した大量の学生がいる。

 お昼前の運動は、育ち盛りの学生の食欲に火を付けるには十分過ぎる。

 

 学食のおばちゃんだけでは対応が大変だ。

 混み合って購買部や、学生の闇市に客が流れてしまう前に、客を捌いて儲けてしまおう。

 それが、計位置の考えだった。

 

「流石というか……抜け目ないね~」

「勝ち馬に乗ることも大事だって、大和に教わったからな。焼きそばパンもどうせ一過性のブームだしな」

「タピオカとかパンナコッタと一緒だよ。また流行ると思うよ、僕は。特にアニメとかでヒロインが食べだしたらね」

「オレ的には、グミとか歯ごたえを求め出したから、ナタデココが来そうだけどな。だいたい十年周期だと考えると……」

「学食行かなくていいの?」

「そうだった! ありがとなモロ!」

 

 慶一が小走りで教室を出ていくのを、モロは「まったくもう……」と呆れながら手を振って見送った。

 

「その時、モロは心臓が高鳴るのを感じた。まるで新婚の妻のような気持ち。モロは焦った。僕は男だ。そんなことを考えるだなんて……」

 

 突然の京の声に、モロは慌てて振り返った。

 

「京!? いたの!? じゃなくて……変なモノローグ入れないでよ!!」

「新妻の送り出しをしてる方が悪い」

「もう……。京は焼きそばパン良かったの?」

「出来る妻は、事前に色々済ませておくものなのだ。エヘン。婚姻届とか、妊娠とか、焼きそばパンーーとか」

 

 京は慶一と事前に契約して、焼きそばパンを一つ取置してもらっていた。

 それが慶一のカバンに入っている。当然、大和が手に入れられないと踏んでの用意だ。

 大和の頭脳と交友関係の根回しがあっても、キャップの気まぐれの風には敵わない。

 

 彼女は台風の前に買い物を済ませるという。賢い道を選んだのだ。

 

「焼きそばパン前に物騒な言葉が続いたせいで、色々ボヤケちゃったよ……」

「婚姻届も妊娠も物騒じゃないでしょう。モロってばぁ、考えすぎだよ。ところで大和――」京は大和が肩を落として教室に帰ってきたのを気配で悟ると、振り返った。「この焼きそば“判”が食べたければ、婚姻届に“パン”を押して」

 

「あーあ……急に振り返るから……」

 

 大事なところで噛んでしまった京を尻目に、モロは残りの焼きそばパンを、無理やり口に押し込んだのだった。

 

 これで大和は、モロに一口頂戴と小さな欲を解消することができなくなり、結局いつも大和と京のやり取りが繰り返されるのだった。

 

 

 

 

 

 数日後。慶一の読み通り、あっという間に焼きそばパンのブーム去った。

 

 昼休みの学食は、いつも戦場だった。

 チャイムが鳴るや否や、生徒たちは教室を飛び出し、階段を駆け下り、限られた時間と小遣いを握りしめて列を作る。

 

 だが、その中には、まだ限定の焼きそばパンに狙いを定めている生徒も少なくなかった。




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