この有馬記念記者会見の様子を中継したテレビ局は、
夕方の時間帯だったにもかかわらず、この年1番の視聴率を記録。
またネット中継では、URA公式チャンネルの視聴者が、
同時接続で100万人に達し、一時は接続障害にも陥るほどであった。
さらには、各SNSで『ファミーユリアン引退』がトレンド1位を独占するなど、
世間に与えたインパクトは計り知れないものとなる。
(……お姉さまが、引退)
会見終了後、控室に引き上げたスーパークリークは、
会見の模様を思い返していた。
(皆さん、冷静に聞いていたみたいですけれど……)
見聞きしていた限り、ほかの参加者たちは、
リアンの引退を冷静に受け止めていたようであった。
少なくとも、動揺していたようには見えなかった。
……
(私は……ダメだった……)
今にして思えば、よく発狂しなかったものだと思う。
画面越しでは冷静に、動じていないように見えただろうが、
それは
ニコニコ笑顔を維持し、無表情になりそうなのを必死に留めた。
その後に自分への質問もあったはずだが、
何を話したのかを含めて、まったく覚えていないのだから重症だ。
ようやく同じ舞台に並び立てるかと思った矢先に、
これから何度も戦えると思っていたのに、
憧れの人は、これで引退?
最初で最後の、一緒に走るレースになると?
「……ふざけないでくださいっ!」
思わず感情が爆発してしまった。
隣の部屋の子は、突然の大声に、何事かと驚いただろうか。
だが知ったことではない。
今の自分にとっては、そんなことは二の次もいいところだ。
「………」
数秒して、怒りが収まってくると、
今度はまた別の感情がふつふつと湧き上がってきた。
「……いいでしょう。わかりました」
そして、決意する。
「せめてもの手向けとして、私が引導を渡してあげます。
タマちゃんでも、オグリちゃんでもない。この私が」
それくらいしなければ、気が収まらないではないか。
他の誰でもなく、この私が、『最強の絶対王者』を沈めてやるんだ。
「ふ……ふふ、フフフ……」
いつもの温和なものではない、
不敵にして不気味な笑みを浮かべるクリークが、
そこにはいた。
有馬記念、当日の朝
とうとうこの日が来てしまった。
目覚めはあまりよくなかった。
いや、最悪と言ってもいい。
早めに布団の中に入ったのはいいが、
寝つきが良くなかったのが1番の要因。
平静を装っているようでも、やはり心の奥底では、
どこか興奮したり、何か思うところがあるんだろうか。
まあ競技からの引退だしなあ。
ここまでの人生の半分近くをかけて必死になって励んでいたことを、
明日からはしなくてもいいんだという思いもある。
ホッとするような、残念なような、非常に複雑な心境だよ。
「あまり眠れなかったみたいだな」
「まあね」
身体を起こすと、待ちかねていたかのごとく、
心配そうにルドルフが言ってきた。
相変わらず朝は弱いルナちゃんなので、先に起きているのは珍しい。
気遣ってもらったようだな。ありがたい。
「ルナはどう……ああ、そうか。
ルナの場合は、最後だと決めて走ったわけじゃないんだっけか」
ルドルフの引退レースの朝はどうだったのか気になったが、
思い返してみれば、引退レースとして臨んだわけじゃなかったか。
その後、家族会議を経て、急転直下的に決まったんだった。
“先輩”の心境を聞いてみたかったんだけどな。
「いや、半分以上はそういう気持ちもあったぞ。
もしかしたらこれが最後になるかも、とな」
「そうなの?」
「ああ。薄々、そんな気配は感じていたし、
ピークを越えた感じはまだなかったが、
もう1年、まるまる持つのかは不明だったからな」
「ふーん、そうなんだ」
今だからこそ聞ける話だなあ。
史実では、もう1年現役を続ける気は満々だったみたいだけど、
早々に故障しての引退になっちゃったわけだし、
無事だったらどうなっていたのか、海外で勝てたか、興味は尽きない。
「それにしても、君の場合は、なんというか……
とにかく急すぎた。ペースがここまで早いとは」
何のペースかは、あえて問う必要もないよな。
うんまあ、自分でもびっくりだった。
ほんの2ヶ月前までは、こんなに早く衰えるとは思ってなかったよ。
「ピークが長かった反動かな?」
「かもしれないな……」
なにせ、ここまで長く第一線を張った存在が非常に珍しい、とのことだ。
比較できるケースがほぼ存在しない。
それこそスーちゃんとかしか出てこないし、
彼女だって、常に勝ち負けしていたわけじゃない。
着外なんてのもざらにある戦績だった。
自慢みたいに聞こえてしまったら申し訳ない。
「………」
「………」
沈黙が下りてきてしまった。
俺もルドルフも何も言えず、ただその場に佇むのみ。
まずいぞ、何か言わないと……
しかし、そう考えれば考えるほど、言葉が出てこない。
まだ感傷に浸るには早いというのに。
~♪
「ッ……!」
突然鳴り響いた音楽に、2人ともビクッとなってしまった。
何事かと思った。携帯の着信音か。
音からして俺のほうだ。
これ幸いとばかりに、枕元に置いておいた携帯を確認する。
「……って迷惑メールかーい!」
メーラーを開いてみて、思わず携帯を放り投げそうになった。
グッドタイミングだと思ったが、良かったんだか悪いんだか。
「……はは」
「ふふ……」
そんな様子がよほどおかしかったのか、
ルドルフから笑みが漏れ、つられて俺も笑った。
先ほどまでの重い空気は、どこかに消え去っていた。
「何はともあれ、無事を願っているよ。
最後のレース、楽しんできてくれ」
「うん、ありがとう」
ドリームリーグに行かない俺は、正真正銘、
この有馬記念が生涯最後のレースになる。
これを楽しまないのは人生の損失だよね。
流石ルナちゃん、良いことを言ってくれる。
楽しんで頑張ってきましょうか!
普段のレース時よりもだいぶ早く、中山レース場に入った。
各所に挨拶しておこうと思ってさ。
別にそんなことする必要は全くないんだけど、
やっておかないと、なんか収まりが悪くてね。
お世話になった人たちも多いし、感謝はちゃんと伝えておかないと。
「今日で引退します。お世話になりました」
「いやいや……」
「こちらこそ……」
レース場やその他の関係者の皆さんに挨拶して回るも、
逆に深々と頭を下げられてしまって、こちらが恐縮してしまう。
余計な真似だったかな?
だけど、やっぱりやっておいてよかった。
気分がほっこりすっきりしてくれた。
そんなわけで挨拶を終え、控室に入ったのも、
いつもよりもかなり早い時間。
これは計算通り。
あとは、他の子がやってくるのを入り待ちして、
1人1人に直接言葉をかけるつもり。
引退レースを一緒に走る子たちにも、挨拶しておかないとね。
さて、レース場に選手として入るのも、これが最後か。
そう考えると、やはり非常に感慨深いものがある。
簡易的なテーブルと椅子、モニターがあるだけの殺風景な部屋だけど、
この光景を脳裏に焼き付けておこうと思う。
最後が東京じゃないのは、ちょっと残念かな。
デビュー戦の折、初めて入った東京レース場の控室の模様が、
昨日のことのように思い出されるよ。
「………」
あれから5年かあ。
つくづく、月日が流れるのは早いと感じる。
色々な苦労に挫折もあったけど、それ以上に喜びと栄光があった。
最後のレースが始まってもいないので、振り返るのはまだ早いと思うけど、
悔いはない。……うん、ないと思う。
非常に良い競技人生だった。
「……っと、いかん、手が止まってる」
荷物を持ったまま固まってしまっていた。
早いとこ整理して落ち着いて、出待ちならぬ入り待ちに向かわないと。
俺の後に最初にやってきたのは、タマちゃんオグリの芦毛コンビ。
相変わらず仲が良いなあ。
直後のレースではライバル同士なのに、一緒に現地入りとは恐れ入った。
まあ普段からルームメイトなんだし、
ここまでは、日常からの延長線上なんだろうな。
「お、先輩やん。早いな、もう来とったんか」
「こんなに早くに、どうしたんだ?」
そう言う2人も、結構はやい時間なんだよなあ。
オグリは道に迷いやすいらしいし、タマちゃんの同行は、
そういった面からというのあるのかもしれない。
「2人ともお疲れさま。
今日で引退だから、みんなに声かけとこうと思ってね」
「マジか! か~、そない気ぃ遣わんでも罰は当たらんで。
なあオグリ?」
「そうだ。むしろ、気を遣われるほうなんじゃないか?」
そうは言われてもね。
みんなに何も言わずに引退するほうがつらいのよ。
突然発表しちゃった負い目もあることだしさ。
「2人とも、今日はよろしく。良いレースにしよう」
「ああ、こちらこそや」
「私のほうこそ、よろしく頼む」
それぞれと握手して、いったん別れた。
次にやってきたのは、フルマーちゃん。
さすが名家のご令嬢は時間厳守で、
それどころか、指定されているはずの入り時間よりも、
だいぶ早いご到着である。
「ファミーユリアンさん?」
俺の顔を見るなり、怪訝な表情になった彼女。
どうやら事態を飲み込めていないようだ。
「どうされたのですか?」
「ほら、今日で引退だからさ。
最後に一緒に走るみんなに、ひとこと挨拶しておこうと思って」
「……そうでしたか」
説明すると合点がいってくれたようで、
ふっと表情を緩めてくれた。
そして、笑顔を見せてくれる。
「私のほうこそ今日で引退なので、お礼を申し上げねばなりません。
お互い頑張りましょう」
「うん、よろしく」
フルマーちゃんとも、固く握手を交わして別れた。
お次は、イナリ。
「姐御! 何やってるんでぃ?」
「実はね──」
彼女にも同様の説明を。
フルマーちゃんと同じように、イナリは納得してくれた。
「何とも姐御らしいというか、なんというか。
自分もレースなんだぜ? そこまでしなくてもいいのによぉ」
「そうだけど、そうしないと気が済まなくてさ」
「はは、やっぱり姐御らしいぜ」
苦笑するイナリ。
自分でも難儀な性格だなと思うよ。
笑っていたイナリだが、
その表情が引き締まった。
「今日こそ姐御に勝つぜ。
1度も勝てないまま引退されるのは、夢見が悪いからなあ」
「うん、その意気で頼むよ」
「ああ。勝ち逃げは許さねえぜ姐御!」
最近はあんまり元気がなかったイナリだけど、
ここに来て血気盛んなようで何よりだね。
もちろん握手して健闘を誓い合った。
「おつかれ、ファルコちゃん」
「ファミーユリアンさん?」
ファルコちゃんには、姿が見えるなり、
こちらから声をかけた。
「えっと、何をされているんです?」
文字通り、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔のファルコちゃん。
滅多に見られなさそうな表情だけに、得した気分になる。
「そうなんですか。お疲れ様です」
同じように説明すると、
同じように腑が落ちた表情で頷いた。
そして、こう宣言してくる。
「私も勝ちたいので、遠慮なんかしませんよ。
タマモさんじゃありませんけど、
全力で打ち負かしにいきますからね」
「うん、かかってきなさい」
「はい、お願いします!」
綺麗な顔をしておいて、ノリは体育会系なんだよなあ。
まあ望むところだ。がんばろう。
「リアン先輩!」
そして、スターオーちゃん。
俺の姿を認めると、小走りに駆け寄ってきた。
「お疲れ様です。
こんなところにおひとりでどうしたんですか?」
「スターオーちゃんもお疲れ。かくかくしかじかで──」
「そうなんですか。さすが先輩というか、
一歩間違えると、呆れるくらいのキ〇ガイと言いますか」
酷い言われようだ。
スターオーちゃんくらいになると遠慮もないな。
「私も引退です。お互いベストを尽くしましょう!」
「うん、がんばろう」
力強く握手して、手を振って見送った。
その後も、続々とやってくる出走者たちと言葉を交わし、
挨拶をして握手して別れて、時間がたった。
他の子たちは、恐縮したり笑ってくれたりで、反応は様々。
中には、俺と握手をするのに、慌てて自分の服で手を拭いて見せる始末で、
苦笑するしかなかったさ。
ところで……
有馬出走者のうち、クリークだけまだ来てないんだけど、
あの子は何やってるんだ?
彼女の性格からして、遅刻なんて絶対にしないタチだと思うんだけどなあ。
むしろ早乗りして、みんなにお茶菓子を振舞ってそうなイメージなんだけど。
本当に何してるんだ?
そろそろ控室に入らないと、パドックの時間に間に合わないぞ?
時計とにらめっこしつつ、入口のほうを見やる。
……来ない。
マジで遅刻なのか?
そう思い始めたころ──
彼女は、ゆっくりと姿を現した。
瞬間的に、これはやばいと感じた。
背筋に冷たいものが走る。
「……お姉さま?」
「……おはよう、クリークさん」
「おはようございます……」
「……」
とりあえず挨拶はしたものの、それ以上は言葉が出てこない。
クリークからも飛んでこない。
血走った
こいつ……記者会見の時は普通にニコニコしてたじゃないか。
この数日間で一体何があった!?
「……今日はよろしく」
「はい……」
とりあえず、それだけは発することができた。
クリークからも反応が返ってくる。
しかし……
ゾクリッ
「っ……」
「……勝つのは、私です、から」
「………」
「失礼します……」
そう言って、クリークはゆっくりと去っていった。
残された俺は立ち尽くすしかない。
「………」
呆気に取られていることしばし。
「……そうだ、思い出した」
なんか既視感があるというか、不意に脳裏に蘇ったのは、
いつぞやの天皇賞を前にしたスターオーちゃんの様子。
……間違いない。
レース前の彼女の、鬼気迫った姿にそっくりなんだ。
危なかった。
あの体験がなければ、完全に“呑まれて”いただろう。
走る前から気圧されて終わってしまっていた。
「……」
わかってしまえば、どうということはない。
ほう、経験が活きたな、ということだ。
何があったのか、どういう心境なのかは定かじゃないが、
そっちがそう来るなら、こっちも相応に臨むだけよ。
それにしても、アニメでのライスといい、
スターオーちゃんといい、今回のクリークといい……
「ウマ娘、恐ろしいヤツ多すぎ」
そして、俺の周りに集まりすぎ問題。
さらには、普段はおとなしい子ほど覚悟決まりすぎ問題。
海外の猛者たちからも、ここまでのプレッシャーは感じなかったぞ。
国内の娘のほうがよっぽど恐ろしいじゃないか。
どうなってるんだ畜生!
『第35回有馬記念、パドックに参ります』
『注目はなんと言っても、電撃的に引退を表明したファミーユリアン。
状態はどうでしょうか。共同会見で、本人も
調子はあまりよくないと発言していましたが、さあどうでしょうか』
『本日も圧倒的1番人気での出走になります。
国内では初披露のこの勝負服も、これで見納めです』
口上もそこそこに、パドックにリアンが現れ、
いつものようにポーズを取った。
すでに海外ではお馴染みになった和風の勝負服も、
国内では最初で最後の披露になるだろう。
人々の注目も最高潮で、本日の入場者は、
午前のかなり早い段階で入場者レコードを更新し、
早くも入場制限がかけられる事態となった。
パドック周りには何重もの人垣ができており、
蟻の這い出る隙間もないほどのすし詰め状態で、
多数のシャッター音が中継に乗る事態になった。
もちろん、あの横断幕も当然のように張り出されていて、
抜群の存在感を放っている。
『いかかですか?』
『言っていたほどには悪いとは感じませんね』
場内実況の言葉に、解説者はこう応じた。
『追切での動きも、軽めではありましたが、
そこまで悪いとは思いませんでした。
もちろん、強めのトレーニングをしていないことは気がかりですが』
『能力を発揮できる状態にはあると?』
『私はそう思います。しかし、海外帰りということと、
やはり調整がうまくいかなかったというのは、割り引く要因です』
解説の言うとおり、トレーニングを再開した以降も、
軽めのメニューばかりで、以前のような強いものはまったく見られなかった。
あとは、中間に病気になったりと、順調さを欠いたこともまた事実。
だがそれでも、ファンは圧倒的1番人気に推している。
『マイナスがそれだけあるにもかかわらず、
これだけの人気です。つくづく惜しい存在ですね』
『ええ、これだけのウマ娘は、今後現れないかもしれません。
日本のレース界は、長い間「シンザンを超えろ*1」をスローガンにし、
新しいところでは「シンボリルドルフ」に変わりましたが、
今後は「ファミーユリアンに追いつけ」と云われるでしょうね』
『超えろではなく、「追いつけ」なのが……
しかしそれすらも、非常に難しいと言いますか……』
『ええ……ですから、今後現れないかも、と申しました。
得難い存在です。ええ、本当に……』
実況席は、早くもしっとりとした空気に満ちた。
某掲示板群でも、同様であったという。
パドックでのお披露目を終え、地下バ道を本バ場に向けて歩く。
周りの子や関係者たちは気を遣ってくれているらしく、
誰1人として話しかけてこないばかりか、
近寄ってくる気配すら皆無というありさまだ。
まあ、いいんだけどさ。
特別扱いはやめてほしいというか、それはそれで気になるというか……
まあ無理だよな、こうなっちゃうとさ。
それだけ敬ってもらってるんだと思うことにして、
感謝しながら参りましょう。
しかしそんな状況の中を、静かに歩み寄ってくる人物が2人。
「リアンちゃん」
「リアン」
スーツ姿のスーちゃんと、制服姿のルドルフ。
いま近寄ってこられるのは、この2人しかいないな。
俺も歩みを止めて、彼女らのほうに向き直る。
「問題はない?」
「はい」
スーちゃんからの問いに頷く。
「何か異常を感じたら、すぐに競走中止すること。
いいわね? 必ずそうして頂戴。
約束してくれないようなら、今からでも出走を取り消します」
「わかりました、約束します」
凄い念の押しようだなあ。
俺だって命は惜しいので、もしそうなったらやめますよ。
なにせ心臓関連なんでね。発症したら即刻、命に関わるんだ。
そういう事態にならないことを祈るしかない。
「幸運を祈る」
「がんばってくるよ」
ルドルフからはその一言だけ。
俺も一言だけ返し、再び歩き出そうとしたところで気付いた。
向こうに、トニーとムーンの姿もあるじゃないか。
来てくれてたのか。
大丈夫だとの思いを込め、サムズアップして見せる。
すると、2人からも同様の反応が返ってきた。
……よし。改めて気合入った。
最後のレースに出陣じゃ!
仮にリアンが海外遠征する場合、初戦は何が良いですか?
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ガネー賞(仏)
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クイーンエリザベス2世カップ(香港)
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アメリカ遠征