ファミーユリアン(欧字名:Famille Lien、****年4月24日 - )は、
日本の元競技ウマ娘。不遇な生まれであり、事故や故障などに悩まされながらも、
諦めずに走り続け、数々の伝説的偉業を成し遂げた。
その競走成績はずば抜けており、日本ウマ娘のG1競走における最多勝(17勝)、
史上初のシニア級王道完全制覇(年間無敗)、欧州勢以外での初の凱旋門賞制覇、
北米勢以外での初のBCクラシック優勝、史上最高のレーティング値、
芝2400mとダート10Fでの世界レコード樹立など、
まさに並び立つものなどいない実績を誇る。
生い立ち
ファミーユリアンは孤児である。
東京都内のある孤児院の門前に捨てられていたという。生後1週間ほどと見られた。
産みの親の手掛かりになりそうなものとして残されていたのは、
「ウマ娘を育てる自信がない」と殴り書きされた1枚の紙きれだけだった。
名前の由来はフランス語であり、皮肉なことにその意味は『家族の絆』。
公表されている誕生日も、孤児院に拾われた日ということで
戸籍に登録されているものであり、本当の出生日は不明である。
トレセン学園入学まで
小学校卒業までは、拾ってくれた孤児院で育った。
経済的に苦しかっただけではなく、慢性的に人手不足な状態だったため、
年下の子の面倒を見たり、院の仕事などを手伝っていた。
孤児院院長(以下、院長)は取材での独占インタビューで「手がかかったという覚えがない。
非常に大人びた子」だったそうであり、「むしろ助かった面が大きい」とまで述べている。
小学校卒業に当たり、「せっかくなんだから」という鶴の一声によって、日本ウマ娘
トレーニングセンター学園(以下トレセン学園)の受験を強く勧めた。
ファミーユリアン本人としては、「こんなに小さくて*1非力」なので、
受かるわけはないと思っていたそうだ。
ところが蓋を開けてみれば合格しており、大層驚いたと回想している。
現役時代
デビューまで
挫折からスタート
のちに数多の伝説を作るファミーユリアンの競技生活は挫折から始まった。
本人によれば、最初に出走した学内での選抜レースにおける成績は、
それはもう『惨憺たる有様』だったそうである。
具体的な結果については言及されていないが、
ただでさえ各地から優秀なウマ娘たちが集って入学してきた中を、
何も準備していなかったゆえの結果だろうと語っている。
これに焦って慌てて独断でトレーニング強度を上げた結果、
ウマ娘の命ともいえる足を骨折してしまう。
右足脛骨の骨折で、全治2ヶ月との診断だった。
親友との“絆”
自他ともに認める親友、無敗の十冠・皇帝シンボリルドルフとの友情は、
これを機に一層深まっていくことになる。
両者の出会いは学園の入寮時で、たまたま同室になったこと*2が関係の始まり。
ファミーユリアンの骨折を受けて、当初はルドルフもかなりのショックを受けたというが、
治療のために、名門シンボリ家御用達の先進スポーツ医学栄養学研究所を紹介する。
この研究所は、ルドルフの祖母であり、かつて年度代表ウマ娘に輝いたこともある
往年の名ウマ娘スピードシンボリも通っていた所で、
研究所は実力を発揮し、スピードシンボリは長い現役生活を大きな故障をすることなく全うした。
その手腕はファミーユリアンに対しても如何なく発揮されることになる。
かくしてファミーユリアンは故障の治療やその後のリハビリだけでなく、
食事などの栄養面も指導され、食が細い体質などの改善にも取り組んだ。
これが飛躍の第一歩となった。
出会い、2度目の骨折、入院
怪我からは夏前に復帰し、トレーニングも再開する。
その夏はルドルフから招かれ、シンボリ家のトラックにおいて合宿に励むことになった。
のちに名勝負を繰り広げることになるシリウスシンボリと、
担当トレーナーとなるスピードシンボリとはそこで運命の出会いを果たした。
スピードシンボリは当初の感想として、「なんてでたらめな走りをする子」との印象を
抱いたそうだが、ファミーユリアンがひたむきにトレーニングをしている様子に
感銘を受けたか思い直し、その後トレーニングに顔を出すようになった。
時にはシンボリ家のトラック、時には近くの運動公園、
またあるときには、トレセン学園まで出向いたこともあるという。
この一連の流れの中で、スピードシンボリは中央トレーナー試験の受験を決意。
現役引退後は、子供を対象とした育成教室を開いたり、
海外で関連の勉強をしていたらしいが、詳しいことは不明。
ひとつ確かなのは、すでにそれくらいの実力は身に着けていたということだ。
家族にも伝えない極秘の受験だったらしいが、難関を見事に突破。
合格報告会見時には「そばで見てあげたい子ができた」と急な転身の理由を語った。
ファミーユリアンにとっては朗報以外の何物でもなく、
半分担当トレーナーが付いたような状態で
順調にトレーニングに励んだ結果、翌年4月の学内選抜レースに出走する。
ところがこのレースで、大アクシデントに遭遇してしまう。
情報が出回っていないので詳細は不明だが、
本人や周囲の言動などから推測すると、最終コーナーでの事故であり、
内側から接触されたファミーユリアンは衝撃を吸収しきれずに転倒。
勢いあまって外ラチ付近にまで吹っ飛ばされるという大事故だったようだ。
この事故で、全身打撲に加えて、左足足首付近を骨折。
即座に入院手術となり、骨折部を補強するプレートとボルトが埋め込まれた。
全治については、当初は1年とも、それ以上とも見込まれたという。
さらに深まる親友との“絆”
折り悪く、皐月賞が数日後に迫るというタイミングでの事故であり、
さらに悪いことに、この年はシンボリルドルフが出走を予定していた。
親友の大アクシデントに、一時は前後不覚になるほど動揺したというが、
そこは皇帝との異名を付けられるほどの彼女である。
持ち直して無事に出走、大勝利を収めた。
この勝利には裏話がある。
というのも、ルドルフの戦法は好位抜け出しが主で、
当時もそのように思われていたのだが、皐月賞では意表を突いた逃げを敢行。
それも、後続を大きく離して逃げるという大逃げに打って出た。
大逃げした理由についてルドルフは勝利インタビューにおいて、
「“友人”が事故で怪我して入院している」
「彼女を励ますために、少々派手なパフォーマンスをする必要があった」
と述べており、その友人が誰のことを指しているのかは、
ルドルフもファミーユリアンも明言してはいないが、
時系列的に見て明らかであろう。
ルドルフは二冠目のダービーも圧勝。
ファミーユリアンは外泊許可をもらって現地で観戦、口取り式にも参加した。
正式な退院はダービー翌週の6月初頭。
休学していた学園にも復帰し、以降は前述の研究所に通って、
リハビリに励むことになる。
府中CATV、地元商店街との“絆”
リハビリに努めている中で、ルドルフは史上初の無敗での三冠制覇を達成。
そんな折、学園に対して地元のケーブルテレビ局から、1件の取材要請が入った。
このテレビ局こそが、後々、他の追随を許さない関係にまで
発展する府中ケーブルテレビ(府中CATV)であった。
このときの局側の企画としては、華々しく活躍して輝くウマ娘がいる一方で、
なかなか未勝利から抜け出せない、それも故障から復帰を目指すウマ娘、
言い方は悪いが『底辺のウマ娘』が対象で、選ばれたのがファミーユリアンというわけだ。
この企画のチーフであったのが、メディア側の人間としては
1番の関係者となり、公私の付き合いとなる乙名史氏である。
取材は無事に完了し、インタビューやリハビリの模様などの様子が、
府中CATVでのウマ娘専門番組「週刊ウマ娘放送局」で放送された。
さらにその後、買い物に出た学園地元の商店街で、運命的な出会いをすることになる。
たまたま入った商店で買い物を済ませたところ、店主から声をかけられる。
彼こそが何を隠そう、のちにファンクラブの会長に就任することになる『おっちゃん』、
その人であった。
彼は件の府中CATVの番組を見て一発でファンになっており、
自分だけファミーユリアンと会って話すのはもったいないと、商店街中の
知り合いという知り合いに片っ端から電話をかける。
地元での普及率は非常に高く、また、トレセン学園のお膝元というだけあって、
件の番組の視聴率はおっちゃん曰く「100%」とのことで、
彼の店の前にはたちまちのうちに数十人の人だかりができたという。
即席のファンイベントも同然となり、これがファミーユリアンが出演した
最初のイベントになった。このとき集まった人々が文字通りのファン第1号である。
彼らは結成されるファンクラブの初期にして根幹メンバーとなり、
『絆の力でどこまでも!』と書かれた横断幕や、ゴール板前に陣取る姿が
ファミーユリアンが出走するレースでの風物詩と化した。
なおこの一件で、無断でのイベント開催との誤解を受け、
後から生徒会に呼び出されて怒られたと、ファミーユリアンはのちに苦笑している。
クリスマスイベント、SNSで人気爆発
前述の商店街との縁がもとで、その年のクリスマスに商店街が企画した
イベントへの出演依頼が舞い込む。
いち商店街だけあって、非常にこじんまりした規模のものであったが、
ファミーユリアンが登壇してトークショーを行っている最中、
客席に大物が紛れ込んでいることにファミーユリアン自身が気付いた。
前年に史上3人目のクラシック三冠ウマ娘となり、秋の天皇賞とJCをも制して
五冠ウマ娘となったミスターシービーと、この年、史上初の
無敗での三冠を達成、さらにシービーとカツラギエースとの3人同着優勝となった
JCを加えて四冠となっていたルドルフである。
ファミーユリアンは2人の姿を認めると、一緒にトークショーを行なっていた
おっちゃんに了解を取って、即座に2人を壇上に呼んだ。
シービーとルドルフも快く了承し、以後のイベントに参加し、盛り上がりを見せる。
シービーやルドルフとの絆が、世間に初めて認知された瞬間だった。
2人の登場もあって、イベント自体は大盛況で終了したが、
彼女たちの影響によって、思わぬところから意外な形で大爆発することになる。
このイベントの模様を映した映像が、ある動画サイトにアップされると、
当時の二大スターが出演していることから話題になり、
SNSでトレンド1位を獲得するなど、いわゆる“バズった”状態となる。
一緒に出演しているサンタコスしている子もかわいい、
と本来はイベントの主役であったはずのファミーユリアンのほうが
副産物的な扱いで人気となり、知名度が一気に全国区となる。
これに乗っかった府中CATVの動きは早く、
ただちにネットへ公式チャンネルを立ち上げると共に、
ファミーユリアンを特集したあの番組などをアップする。
するとこれらもまた、1日もしないうちに10万再生を数えるなどバズった。
かくしてファミーユリアンは、未デビューの身ながら、
ウマ娘ファンなら知らないものなどいない、という存在になった。
ジュニア級
衝撃のデビュー戦、逃げて差す末脚
その後も研究所の指導でリハビリに励み、翌年1月にはトレーニングにも復帰。
事故から丸2年が経過した4月の選抜レースにて好成績*3を収めた結果、
スピードシンボリ師と専属担当契約を結んだ。
スピードシンボリはこの前月に見習いという肩書が外れ、正式なトレーナーとなっていた。
彼女にとっては初めての担当がファミーユリアンということになる。
夏の合宿を無事に過ごし、ついにデビューが決定する。
10月5日、4回東京2日目の第5レース、芝2000mメイクデビュー戦であった。
当日は、ファンクラブの自主的な動員がかかったことと、
以前からの動画などによる抜群の知名度もあって、1番人気に推される。
パドックには出身の孤児院から子供たちも応援に駆けつけており、
温かい声援が送られた*4。
レースでは抜群のスタートから先手を取り、前半1000mを61秒6というペースで逃げた。
正確無比なラップ逃げ*5であり、この頃から体内時計の精密さは窺い知れる。
最終直線を向いても脚色が衰えるどころか、むしろ加速。
以降ファミーユリアンのトレードマークとなる、上体を極端に倒した前傾走法を初披露、
上がり33秒8というとても逃げたウマ娘が発揮するようなものではない末脚を見せ、
ジュニア級の芝2000mでは初めて2分を切る1分59秒4を記録して圧勝した。
これは前年の秋の天皇賞を制したミスターシービーからわずか
コンマ1秒遅れるだけの時計であり、2着に3.5秒もの大差をつけるものであった。
また奇しくも、ルドルフが皐月賞で記録したタイムと全くの同タイムである。
見事なデビュー勝利を収めたファミーユリアンであるが、
実は最終直線に向いてからの記憶が残っておらず、
初勝利の実感を得られなかったのは心残りであると語っている。
それを証明するように、ゴール後もトップスピードを維持しながら
2コーナー過ぎまで走り続けており、1人だけ2400m戦をしていたと云われた。
驚異的なスタミナと持続力の片鱗も垣間見せていたのだ。
まるで差しウマのような末脚だということで話題にもなり、
『逃げて差すウマ娘』として名を馳せる結果にもなった。
我に返ってスタンド前まで戻ったファミーユリアンは、
以上の理由から自身の勝利を自覚しておらず、ゴール板前の客席にいた
ファンクラブの人間から教えられて掲示板を確認して、初めて認識したという。
ようやく勝利を知ったファミーユリアンはその場で涙を流し、立ち尽くすしかなかった。
ウイニングライブ後に、控室に孤児院の子供たちを呼んで、喜びを分かち合った。
院長を含めて抱き合って涙する姿は全国に感動を呼び、
この模様を取材した府中CATVのネットチャンネルでの動画は、
ファミーユリアン関連での最多の再生数となっている。
なお、この前日にサクラスターオーもデビュー勝利を飾っており、
仲の良い2人は、翌日に揃って祝勝会をしたそうだ。
連勝からの脚部不安
2戦目は、12月中山開催の初週、芝2000mの葉牡丹賞を選んだ。
スタート直前のゲリラ豪雨的な降水によって、バ場は極端に悪化。
発表では稍重に留まったが、それ以上の状態だったという。
この雨で濡れた芝に足を取られたか、スタートの反応は良かったものの、
足を滑らせて大きく出遅れてしまう。さらには外、外を回らされる結果となり、
さすがに今回は厳しいかと思われた。しかしファミーユリアンは諦めない。
バ場の悪化を嫌って他の娘が4コーナーで大外へと膨れる中、
ただ1人ファミーユリアンだけが最内に突っ込んで経済コースを取り、
一気に距離を詰めて一瞬で3番手まで浮上する。
ここから前走のような末脚を発揮して逃げた2人を難なく抜き去り、
デビュー2連勝を飾った。歓声はG1にも劣らないほどであった。
表彰式後、滑った際の影響を懸念して、医務室へ。
当初は異常なしとの診断であったものの、
翌日になって左足に脚部不安を発症してしまう。
ホープフルステークスへの出走を期待されたが、
今後の予定はすべて白紙ということになってしまった。
クラシック級
ダービーまで
脚の違和感は強弱を繰り返しながらもなかなか消えず、
最初は1週間の予定だった休養が徐々に伸びていき、
最終的には年内は全休ということになる。
年明けからトレーニングを再開したが、夜間の
就寝中に足の違和感で目が覚めるという事態になり、
さらに1ヶ月の休養を要すことになった。
本格的にトレーニングに復帰できたのは、3月になってからであった。
スターオーの弥生賞勝利に刺激を受けて、
ダービーを目指して青葉賞への出走を決める。
その後は違和感が出ることもなく、順調にトレーニングできたという。
スターオーが皐月賞を勝ったことで、想いはさらに強くなる。
共にダービーに出ようという約束をしていたことが、
菊花賞時の記者会見で明らかとなった。
そうして迎えた青葉賞。
半年ぶりの実戦、脚部不安明け、初距離ということが嫌われたか、
3番人気での出走となる。連対できないとダービーへの出走が叶わないばかりか、
オープンから降格が濃厚という正念場の一戦である。
大外の枠から好スタートで先頭に立つと、1000m60秒1の平均ペースを刻む。
4コーナーを回った時には2番手との差は1バ身だったが、
そこから伸びて突き放していき、最後には4バ身半をつける快勝。
また、ルドルフが記録したダービーレコードに0.3秒まで迫った。
優先出走権を得て無事に約束を果たせることになったわけだが、
スターオーには故障が発生。スターオーは無念の出走断念となってしまう。
さすがにスターオーは落ち込んだそうだが、ファミーユリアンは
「秋に菊花賞がある」「菊花賞こそ一緒に走ろう」と新たな約束を持ちかけて励ました。
スターオーの返事がイエスだったことは言うまでもない。
記録尽くめの日本ダービー
迎えた第54回東京優駿(日本ダービー)。
枠順抽選で1番枠を引き、あまり本心を出さない彼女にしては珍しく、
わずかに口元を緩ませた。直後の会見でそのことを聞かれると否定したが、
堂々と逃げ宣言をしたので、狙っていたものと思われる。
50年以上の歴史で、逃げ切りはわずか9人だけのいばらの道。
それでもファミーユリアンは「私は私の走りをするだけ」と自信を覗かせる。
前走青葉賞からは過去1度もダービー勝利者が出ていないことについても尋ねられたが、
ジンクスを破れるように頑張ると発言した。
1番人気は皐月賞2着のマティリアルに譲るも、僅差の2番人気で続く。
初披露した勝負服は、トレーナーのスピードシンボリが着ていたものを譲り受け、
手直ししたもの。このあとに本格化を迎えて身体が大きく成長したため、
着用はこの1度限りの幻の勝負服となる。
レースは宣言した通りに逃げ、向こう正面に向いた段階で2バ身のリードを取る。
3コーナーへ向けて徐々に差が詰まり、4コーナー手前ではその差はほとんどなくなった。
しかしここからがファミーユリアンの真骨頂。
青葉賞と同様、いやそれ以上の末脚を見せて、瞬く間に差を広げていく。
2番手には前年ジュニアチャンピオンのメリーナイスが抜けてきたが、
すでに絶望的な差となっていた。
最終的には、メリーナイスに9バ身もの差をつけて圧勝する。
これはURA発足以前からも含めて、ダービー史上における最大着差*6である。
また、ルドルフのダービーレコードを更新する2分24秒7をも記録。
さらには第1回ジャパンカップでドイツのメアジードーツが作った、
芝2400mの日本レコードをも更新するタイムとなった。
加えて前走青葉賞組からのダービー初勝利、URA発足以降最小キャリアでの優勝*7と、
まさに記録尽くめの勝利となったのである。
この偉業に、スタンド前に戻ってきたファミーユリアンに対して、
観客たちは一斉に彼女の名前を呼んで称えた。
このような事態が起こったのも初めてのことになる。
引き揚げたファミーユリアンを、再び驚きが襲う。
なんと、現役時代から冷静沈着で知られたスピードシンボリが、
情熱的にファミーユリアンを抱き締め、大はしゃぎして大喜びするという一面を見せる。
映されていることに気付いて取り繕ったものの、時すでに遅しである。
勝利インタビュー中に話を遮ったファミーユリアンは、
自らサクラスターオーに向けてメッセージを発信した。
「秋に京都で会いましょう!」
この約束は、今度こそ、果たされることになる。
『幻惑』炸裂、菊花賞
夏を超えて本格化を迎え、文字通りに大きく成長したファミーユリアン。
菊花賞へのステップとして、トライアルのセントライト記念に出走する。
このレースから履いていた靴を一新し、以前にミスターシービーが
履いていたものとほぼ同じデザインのものとなる。
これはシービーの引退を受けて、彼女が使っていた靴などを譲られたことによる。
レースは玉砕気味に逃げた2人に前へ行かれて3番手での追走となるが、
残り600mから動いて2人を呆気なくかわすと、そのままゴールして
2着のメリーナイスに5バ身をつけ快勝する。
タイムはまたしてもレコードの2分12秒9を記録した。
クラシック最終戦の菊花賞。
故障の癒えたスターオーも無事に出走し、ここに約束は果たされた。
スターオーは事前記者会見で『約束』についてすべて認めて肯定した上で、
ファミーユリアンへの感謝と、初対戦となるレースが楽しみだと発言する。
当のファミーユリアンは、3000mの長距離でも逃げると宣言。
競りかけてきても譲らないとまで言い切り、周囲を牽制した。
これにはある“狙い”があったことが、レース後になって判明する。
成長に伴って着られなくなったものに変わり、新たな勝負服がお披露目となった。
今度は名前の由来のフランスの民族衣装らしくデザインされたものを着用。
前の和風テイストから180度の方針転換となる。
この勝負服は、海外に出るまで使用された。
第48回菊花賞は、ファミーユリアンの有言実行な逃げから始まった。
スタートから飛ばし、1周目の直線を向いた段階で5バ身のリード。
最初の1000mを60秒ちょうどで通過すると、ここでスローダウン。
2番手との差が一気に詰まりかける。
何事かと思われたが、これこそがファミーユリアンの狙いであった。
最初をハイペースで入ることで、中盤でペースを落としても、
ペースを落としたことを悟らせない、錯覚させるという手法だ。
この思惑は見事に成功し、中間の1000mは64秒6と極端に遅い流れとなったが、
後続はファミーユリアンを追いかけず、むしろ自分たちのほうが
オーバーペースなのではという疑心を生み、つられてペースを落としてしまい、
再び差が開いていった。
2周目の第3コーナーから動いてさらに差を広げ、
3分3秒2という日本レコードで逃げ切り無傷の6連勝を記録、二冠を達成した。
この驚異的な走りっぷりに、ウマ娘レース評論家のK氏は、自身恒例のレース回顧で
周囲を惑わす『幻惑』と表現。ファミーユリアンとファンクラブはすぐに反応して
公認した為、以降は二つ名として定着することになる。
初黒星の有馬記念
ジャパンカップは疲労が抜けずに回避となり、次走は有馬記念となる。
ファン投票は20万票を超える支持を集めて1位。
2位のニッポーテイオーにダブルスコアをつけての選出になった。
また、20万票を超える票を得たのはこれが初めてのこと。
ファン投票上位10人のうち適正距離外のニッポーテイオー以外は出走を表明し、
メンバーの揃わなかったジャパンカップとは打って変わって、豪華な面子となる。
この一戦に人一倍の闘志を燃やす娘がいた。
菊花賞の雪辱を期す2番人気のスターオーである。
今度こそファミーユリアンに勝とうと、120%の仕上がりをもって臨んだ。
スタート直後にメリーナイスが転倒するという波乱で始まった第32回有馬記念。
これまで通り先手を奪ったファミーユリアンだったが、
1コーナーを過ぎたあたりでバ群が密集する事態になる。
再びの幻惑炸裂かと思われたが、最初の1000m通過は64.5秒の超スローペース。
レース後にスピードシンボリ師が「今回は最初からスローで逃げよう」と
指示していたことを明らかにする。
前走でのハイペースの逃げからのペースダウンが強烈すぎたかがために、
今度はそれを逆手に取って優位を築こうとの意図だったと説明した。
結果的に見れば、これが初めての敗戦となった原因となったようだ。
残り1000mとなった時、ファミーユリアンが動いてペースを上げた。
多くの娘は突然のペース変化に対応できず置き去りにされたが、
シリウスシンボリとサクラスターオーは待ってましたとばかりに追随し、
並んで上がっていってファミーユリアンに迫った。
両者の差は4コーナー手前で2バ身にまで縮まる。
これにはさしものファミーユリアンも驚いたのか、思わず振り返って後ろを確認した。
直線に入り、シリウスとスターオーはなおも迫り、
ファミーユリアンは必死に逃げるも並ばれてしまう。
シービー、ルドルフ、カツラギエースの3人同着優勝となった
ジャパンカップの再現かというほどの争いになったが、
ゴール前の急坂でまずシリウスシンボリが一杯になって脱落。
ファミーユリアンとスターオーはなおも競り合って、ゴール板を通過。
ゴールの瞬間にほんの僅かだけスターオーが前に出ており、アタマ差で勝利し、
菊花賞での雪辱を成した上に、憧れの先輩を追い越した初めての歓喜となった。
一方のファミーユリアンは、これでデビュー以来の連勝がストップ。
スターオーとの対戦成績は1勝1敗の五分となる。
レースは転倒したメリーナイスも大きく遅れたもののゴールし、全員が完走した。
ファミーユリアン自身は敗因について、「上手く切り替えられなかった」と
述べており、いつもの前傾走法が不発に終わったと認めている。
現役引退後に出演した番組において、このレースについて聞かれた際には、
明確に失敗したので1番やり直したいレースであると語った。
URA賞では、皐月賞、有馬記念を制したスターオーとの争いになったが、
大差をつけて*8この年の年度代表ウマ娘に輝いた。
シニア級1年目
高速逃げの確立、春の天皇賞
初めての敗戦の悔しさを胸に、シニア級の戦いへと臨む。
以降、自身のライフワークとなるチャリティ活動やイベント出演などで忙しかったオフを経て、
大阪杯には向かわずに日経賞で始動した。
日経賞では、後々『絶対王者最大のライバル』と称されるメジロフルマーと初顔合わせ。
当時のフルマーは重賞を制してはいたが、それほど注目される存在ではなかったものの、
支持率95%を超える圧倒的1番人気のファミーユリアンへ敢然と挑んでいく。
しかし2人で引っ張る形となったレースは当然のごとくハイペースとなり、
フルマーは向こう正面で口を割り早々と失速。大差の最下位に沈んだ。
一方のファミーユリアンは涼しい顔で逃げ続け、2分30秒の壁を初めて突破する
2分29秒9の日本レコードを出して圧勝する。
そして、大阪杯を制したスターオーとの3戦目となる春の天皇賞。
いつも通りの好スタートを切ると、最初の1000mを中距離戦並みの59秒3で通過。
シリウスシンボリが最後方に構え、結果的に見ると、レースの1着2着が
先頭と最後方に陣取る形となった。
ファミーユリアンはペースを落とさずに逃げ続け、難所の京都の坂へ。
スターオーが2番手に上がってきて、シリウスもまくって3番手まで上がる。
しかし得意の下り坂でさらに加速。内ラチ沿いを綺麗にコーナリングして
最終直線へ向く。スターオーが伸びを欠く中、シリウスは猛然と追い込んだ。
さしものファミーユリアンも、長距離でのハイペースでの逃げが祟って
最後の1ハロンは13秒5と足が止まりかけるも、シリウスを1バ身半抑えて勝利した。
勝ちタイムは驚愕の3分13秒2。従来のニチドウタローが持っていた
レコードを5秒半も更新するものであった。
これには実況を担当したアナウンサーも、スーパーレコード樹立と声を上ずらせた。
ファミーユリアン自身が菊花賞時に作った3000mの日本レコードが3分3秒2である。
つまり、3000mのレコードより3秒以上も早いペースで逃げ続け、
それでいて逃げ切って勝ってしまったのだ。
日経賞とこの1戦のレースぶりを鑑みるに、他者を圧倒するハイペースで逃げて、
そのまま押し切るという、ファミーユリアンの卓越したスピードと
圧倒的なスタミナをもって、『高速逃げ』が確立されたとみられる。
ところがゴール直後、本人曰く足がもつれて転倒し、しばらく起き上がれない事態となる。
スーパーレコードに沸いていた観客席は即座に静まり返り、ゴールした
スターオーやシリウスが駆け寄るなど状態が心配されたが、
そのあと身体を起こし、手を振るなどして観客に向かって無事であることをアピールした。
雨中の決戦、宝塚記念
昨年の有馬記念に続いてのファン投票断然の1位選出で宝塚記念に出走。
レース前の1週間は雨天が続いており、当日も朝から雨が降り続く悪天候となる。
そんな中、通常は前日入りになるところを、ファミーユリアンは前々日の金曜夜に阪神に入り、
土曜の早朝にバ場のスクーリングを行なう万全の態勢でレースに挑んだ。
当日のバ場状態は、宝塚記念と同距離で行われた第7レース(自己条件戦)では、
通常よりも7秒以上遅い2分20秒台が記録されるなど、極悪状態だったと推測される。
なおも雨が降り続く中でレースはスタート。
再び顔を合わせたメジロフルマーが再度競りかけていって、日経賞の再現となり、
バ場を考えると超ハイペースの1000m59秒1で入る。しかしフルマーは奮起したのか
今度は失速せず、最終コーナーまで2人の一騎打ちムードとなった。
しかしファミーユリアンはここでフルマーを突き離し、独走状態となって
2着に入ったニッポーテイオーに6バ身差をつけて優勝した。
記録したタイムは2分13秒9。前述の極悪なバ場状態だったとことを考えると、
良バ場であったらどのようなタイムが出ていたのか、興味は尽きない。
メジロフルマーは3着に粘り込み、日経賞からの成長を見せた。
一方でスターオーは終始バ群の中で何もできず、初めて二桁着順の10着に終わる。
ゴール後、勝ち誇ることをしないファミーユリアンにしては珍しいことに、
小さくではあるが右手でガッツポーズを見せた。しかもわざわざフルマーに歩み寄り、
「いいレースができた、ありがとう」「また一緒に逃げよう」と声をかける。
自らライバルと認めた瞬間だった。
これは気分が高揚しての行動だったと、後から反省気味に語った。
フルマーはこの発言にさらに奮起したのか、次の秋シーズンからは
ファミーユリアン張りの高速逃げを見せるようになり、頭角を現すことになる。
原因不明の不調、大アクシデントの秋の天皇賞
クラシック二冠に加え、天皇賞と宝塚を連勝したことで、
押しも押されぬトップスターになったものの、夏ごろから不調が伝えられる。
本人や周囲からも言及がなかったため、原因はいまだ不明である。
不調のまま出走したオールカマーでも、トレセン学園同期入学のスズパレードとの
ワンツーフィニッシュを決め、前年のセントライト記念で出したコースレコード、
さらには芝2200mの日本レコードをも更新する。
勝利で調子が上向くかと期待されたが、大きな改善は見られないまま、
初めての春秋連覇を目指して秋の天皇賞へ。
ファミーユリアンが不調にあえぐ中、スターオーは極限とも言えるトレーニングを敢行。
前年の有馬時以上に身体を虐めて鍛え抜き、本番を迎える。
スタート前からアクシデントが発生する。
なんとファミーユリアンがゲート入りを渋り、係員に背中を押されてようやくの
ゲートインとなった。
不穏なムードが漂う中で発走を迎えるも、ファミーユリアンは大きく出遅れてしまう。
しかも、先頭にはスターオーが立って後続を引き離していくという予想外の事態に、
東京レース場は大きな動揺に包まれる。
スターオーが1000m58秒2の大逃げを見せ、ファミーユリアンは最後方。
3コーナー過ぎから動いていき、大外をまくって上がっていく。
直線を向いてスターオーのリードは7バ身程。
後続はバ場を横いっぱいに広がって追うが、差はなかなか縮まらない。
ファミーユリアンただ1人がバ場の真ん中から突き抜け、スターオーに迫った。
残り100mで脚色の違いは顕著であったが、それでも1バ身届かず、
スターオーが逃げ切って勝利を収め、ファミーユリアンは2着に終わり2敗目を喫する。
結果的に、国内での2敗はいずれもスターオーに敗れたことになる。
ゴール直後、悲劇がスターオーを襲った。
突如としてスターオーは挙動を乱し、内ラチに接触しそうになるほどになる。
ゴール後に追い抜いていたファミーユリアンがいち早く事態に気付き、
振り返ってスターオーを受け止めたことで大惨事は回避されたが、
このときスターオーは左足に故障を発生させて既に意識を失っており、
そのまま救急搬送となった。
勝者不在のウイニングライブは中止が発表され、場内に悲痛なムードが漂う中、
ファミーユリアンは事態の鎮静化に努め、さらには観客のために、
自らウイニングライブに代わるイベントの開催を申し出る。
こうして行われたのが、異例の観客のお見送り回である。
公私ともに仲の良い後輩の大アクシデントの直後にもかかわらず、
率先して皆を鼓舞し率いていく姿は、各方面から称賛された。
病院に担ぎ込まれたスターオーは診断の結果、左足繋靭帯断裂および左足首の脱臼、
左膝関節の粉砕骨折を発症しており、競走能力喪失と発表された。
“星”に捧げる世界レコード
次戦のジャパンカップには、この年の凱旋門賞を制した欧州チャンピオンの
トニービンが早々に参戦を表明。ほか、各大陸から10人のウマ娘が集まり、
四大陸決戦と称される。
スターオーのアクシデントで影響が心配されるも、それまでの不調は
なんだったかというほどに調子は回復。むしろ絶好調でレースに臨んだ。
ファミーユリアンはパドックでピンク色の細長い布状のものを取り出し、
頭に巻いた。これはスターオーが故障した際に左足に巻いていたリボンであり、
事前に彼女のトレーナーに了解を得て、借り受けていたものであった。
今日はスターオーのために走る、という強烈なメッセージである。
レースも前走とは打って変わったロケットスタートを決めて先頭を切り、
最初の1000m58秒4というハイペースで一人旅となる。
最終直線を向いても圧倒的な優位は変わらず、一時トニービンが
ものすごい脚を発揮して一団から抜け出しかけるが、その後沈黙*9。
誰の目にもわかるほどのセーフティリードを築いて独走のままゴールイン。
2着のペイザバトラーに8バ身もの大差。
2分22秒2という世界レコードを叩き出し、スターオーに捧げた。
勝利インタビューでは、トニービンから認められ世界に出るべきだと言われたと明かす。
途中、話を遮って自ら「この勝利をスターオーに捧げる」と発言した後、
競走能力喪失を宣告された彼女に対して、復帰できると信じていると言ったあと号泣して
インタビュー継続困難となり、ここで打ち切られた。
“絶対王者”、降臨
この年もまた、ファン投票1位で有馬記念に選出。
得票数は史上最多の30万票を数えた。
当日の支持率85%は、ハクチカラが持っていた有馬記念史上の最高支持率を更新。
メジロフルマーとは3回目の対戦。フルマーはこの秋、G1には目もくれず
京都大賞典、アルゼンチン共和国杯とG2を連勝してきており、
明らかに有馬一本に絞ったローテーションであった。
大方の予想通り、フルマーとの2人での逃げとなる。
1000m通過は驚異の58秒0。前走ジャパンカップ以上のハイペースとなり、
とても2500mのレースとは思えないペースとなった。
並走状態で残り1000mまで進み、ファミーユリアンがわずかに前に出るも、
フルマーも離されずについていく。残り600mで前傾走法発動。
差は少し広がって2バ身差で最終直線へ。
ファミーユリアンは平然と坂を駆け上がったが、フルマーはここで失速。
一気に差が開き、5バ身差で優勝。
ミスターシービーを抜いて歴代単独2位のG1・6勝目を記録すると共に、
芝2500mの日本レコードをさらに塗り替えて2分29秒4とした。
「フルマーさん、一緒に逃げてくれてありがとう。
おかげでこんなに素晴らしいレースが出来ました」
と勝利インタビューで発言し、フルマーへの感謝を表す。
また、トニービンとムーンマッドネスへのメッセージも発信し、
先立って友人になっていたことを発表、世間を驚かせた。
こうしてシニア1年目を7戦6勝2着1回、G1・4勝というほぼ完璧な成績で終え、
2年連続で年度代表ウマ娘に輝く。その圧倒的なパフォーマンスと戦績から、
いつしか人々は彼女を『絶対王者』と呼ぶようになる。
シニア級2年目
ファミーユリアン王国健在
シニア2年目は前哨戦は使わず、直接大阪杯に向かった。
大外の18番枠を引いてしまう不利を被るも、関係ないとばかりに好スタートから先行。
前半1000mをキャリアでも最速の57秒6で通過し、2番手以降を大きく引き離す。
追いついてくる娘は現れず、終始の独走で8バ身差をつけて圧勝した。
勝ちタイム1分56秒9は、57秒台どころか56秒台へ一気に突入する日本レコード。
シニア2年目になってもその権勢は衰えるどころか、ますます強まる絶対王者。
勝利インタビューでは、先日退院したスターオーに対する良いお祝いにできたと喜んだ。
芝2000mでも日本レコードを記録したことで、芝中距離以上のG1競走のある主要距離
すべて*10の日本レコードを更新保持することになった。
180度方針転換の天皇賞
続いて史上初の連覇を狙う春の天皇賞に出走。3000m超の重賞を連勝し、
長距離適性なら引けを取らないスルーオダイナが対抗と目されるが、
メジロフルマーが回避したため、ファミーユリアンの優位は揺るがないとの
予想が大勢を占める中、スタート直後の異変に皆が己の目を疑った。
毎度のごとく1番に飛び出していったが、すぐに後方へ下がっていく。
誰もが予期していなかった後方待機策に、周囲は大混乱に陥り、
皆が皆キョロキョロとファミーユリアンの姿を探す事態となる。
結局先頭には、押し出される格好でダイナカーペンターが立ったが、
最初の1000mに63秒7を要するスローペースになった。
煽りを受けたかバ群が固まってひしめき合い、遅い流れもあって
皆が窮屈そうにレースを進める中、1人最後方でほくそ笑むのはファミーユリアンだった。
第3コーナー過ぎの下り坂から、ひとつ前のポジションにいた
シリウスシンボリと共にスパートをかけて進出開始。
ダイナカーペンターが先頭のまま最終直線へと向いたが、
大外からシリウスとファミーユリアンが一気にかわして行く。
シリウスとの叩き合いになるかと思われたが、そこからさらに突き離し、
最後の200mだけで5バ身もの差をつけて快勝、史上初の春の天皇賞連覇を達成した。
また、師匠のスピードシンボリが持っている重賞最多勝記録(12勝)にも並んだ。
大逃げから追い込みへという正反対の作戦を採った上でのこれだけの圧勝劇に、
関係者はおろか日本中が震撼することになった。
この方針転換に対して、勝利インタビューにてトレーナーの指示であることを明かし、
周囲が阿鼻叫喚のさなか、すべて想定内であったことを冷静に語り強調した。
スピードシンボリ師はこの指示について、今後のためと発表。
前年の同レースでのゴール直後での出来事や、アクシデント等との
兼ね合いを考えて作戦変更を打診したと述べている。
ファミーユリアンとしても思うところはあったらしく、
師曰く「素直に受け入れた」そうである。
今後のレースでの作戦については、当日の気分次第と語り、
「ゲートの中で決めるかも」とほのめかした。これで他陣営は、
いつもの大逃げに加えて、追い込みの可能性も考慮せざるを得なくなり、
頭痛の種がさらに増すことになった。
絶対王者と最大のライバル、高速逃げ対決で魅せる
30回目という節目のレースとなった宝塚記念。
ファン投票1位ファミーユリアンは、2位トウショウファルコの3倍近い得票数を得た。
また、3位にもダービーを制したタマモクロスが入り、シニア級の役者不足が露わとなる。
しかしファルコとタマモは秋に備えて休養し、宝塚には出走しないと早々に表明した。
こうなると世間は、『最大のライバル』と称されるメジロフルマーの動向に注目する。
当日は大阪杯2着のリクドラゴンが出走を取り消し、15名がゲートイン。
阪神レース場は、入場者レコードが更新されるほどの大盛況であった。
フルマーが2番枠、ファミーユリアンが3番枠、ダイナカーペンターが4番枠と、
逃げの有力ウマ娘が内枠に揃った中、ファミーユリアンがハナを切っていき、
フルマーも負けじと追いかけついていく。ダイナはさすがに自重したか離れた3番手。
通常運転だとばかりに1000m58秒1のハイペースを刻む中、
レース中盤でフルマーがファミーユリアンの前に出た。
逃げたレースで他の娘に前へ行かれるのは初めての事態になったが、
慌てず騒がず、ぴったりと後ろにつけて3コーナーを回る。
3番手以降は大きく離し、フルマー先頭で最終直線に入る。
ファミーユリアンは1バ身差に付けていたが、まもなく並びかけ、
文字通りの一騎打ちとなった。この並走はゴール前100mまで続いたが、
ファミーユリアンはもう1段ギアを残していたか、さらに加速して突き離し、
2バ身をつけて勝利した。フルマーはまたしても及ばず2着。
タイムは2分9秒7を記録。芝2200mで2分10秒の壁を突破する。
実況アナは驚きを通り越して呆れすら覚えたのか、
「いったい何度、どこまで更新すれば気が済むのか!」と絶叫した。
これでG1を5連勝とし、初の宝塚記念連覇に加え、初めての春シニア三冠も成し遂げた。
ゴール後、フルマーのもとへ小走りに駆け寄ると、
フルマーへと抱き着いて何事かの会話を交わしたようであった。
ファミーユリアンが言うには「喜び勇んで」抱き着き、お互いの健闘を称えたという。
無論詳細については不明であるが、フルマーの心境を変化させるには十分だったようで、
まもなく、前年は見向きもしなかったエリザベス女王杯への出走を表明。
初めてのG1制覇を目指すと発表している。
初の盾春秋連覇、皇帝に並ぶ
史上初めての天皇賞春秋制覇を目指す中、新たな話題は、南関東(大井)から
編入してきたイナリワンの存在である。イナリワンは東京ダービーと
ジャパンダートダービーを制し、地元の大きな期待を背負って中央へと移籍してきた。
この移籍にもファミーユリアンが絡んでいる。(詳細は後述)
クラシック級であるにもかかわらず、イナリワンは秋の天皇賞への出走を表明。
その目的は、中央移籍のきっかけとなったファミーユリアンとの再戦の約束であった。
移籍初戦の毎日王冠で、イナリワンは中央の諸先輩を蹴散らして勝利を挙げる。
中央でも通用することを見事に証明して見せた。
世間的に対抗評価は固いとされ、当日もファミーユリアンに次ぐ2番人気に推される。
そうして記念すべき100回目の天皇賞がスタート。
ファミーユリアンは恒例となった好反応で先頭に立つと、
向こう正面に出た時にはもう後続を大きく引き離した。
前半1000mは大阪杯時を上回る57秒4で通過。
あまりのハイペースに、中継映像は大きくカメラを引いたが、
それでも後方まで収まりきらないという事態になる。
状況は変わらずに最終直線へと向き、相変わらず脚色は衰えない。
イナリワンも後方から上がっていって脚を伸ばしたが、まったく届かずに7バ身差の2着。
勝ち時計1分56秒4で日本レコードをさらに更新。
史上初の天皇賞春秋連覇の偉業を達成。G1を6連勝とし、
G1での勝ち星も10個目で親友シンボリルドルフの最多勝記録に並んだ。
通算での重賞勝利数ではルドルフの13勝を上回って14勝目。
地下バ道へと引き上げ、スピードシンボリに出迎えられ声をかけられると、
感極まったのか思わず抱き着いて涙を見せる。
同じ舞台、同じ距離でのデビュー戦を思い起こさせる状況となった。
なんとか堪えて離れるも、今度はルドルフが登場して
「君に並ばれたのなら本望だ。むしろ、さっさと超えていってくれると嬉しいな」
と発言。再び感極まってしまったか、ルドルフにも抱き着いて涙した。
この模様は、一部始終がテレビ中継に映されており、全国に生放送された。
“世界”を相手にする駆け引き
第9回ジャパンカップが迫り、この年も凱旋門賞バが参戦してきた。
凱旋門賞ウマ娘キャロルハウス以下、イブンベイやアサティスといった各地のG1娘が
参戦するが、日本のウマ娘も含めて12人の出走に留まり、少数精鋭のメンバーとなる。
その中でも異彩を放ったのが、独オイロパ賞やイタリア大賞を制していたイブンベイと、
前走の芝2400mでのG1戦で2分22秒台という高速時計を出していた
アメリカのホークスターである。両者は事前記者会見で大暴れとなった。
まずイブンベイが、記者の存在などお構いなしに日本語で喋りまくる。
これに反応したホークスターがうるさいとなじったことで、口げんか寸前まで発展。
昂ぶったホークスターは、勝つのは私で、世界レコードを出すとまで宣言した。
この争いは同席していたファミーユリアンまで飛び火し、勝負を挑まれる。
挑発された格好になったが、勝負というなら受けると冷静な対応をする。
ホークスターに対し、正々堂々勝負しようと応じたが、すでに“駆け引き”は始まっていた。
レースでもイブンベイとホークスターでの諍いは続き、熾烈な先頭争いを演じる。
先手を取ったのはイブンベイで、スタートで飛び出すとそのまま逃げの態勢に入った。
負けじとホークスターも絡んでいき、ハイペース必至となる。
一方でファミーユリアンはこの展開を読んでいたか、“挑発”には乗らず、
春の天皇賞時のように最後方へと位置し、隊列の1番後ろで1コーナーを回った。
1000mは58秒5で通過。前年のファミーユリアンが58秒4であるので、
同じようなペースを刻む。イブンベイとホークスターが依然やり合う中、
3コーナー過ぎからファミーユリアンが動いた。
前年2着のペイザバトラーを従える形で、大外をまくって上がっていく。
直線を向いた段階で、イブンベイとホークスターは7バ身ほどのリードを取っていたが、
直線中ほどの坂でイブンベイは後退。ホークスターはなおも粘っていたが、
残り200mで大外からファミーユリアンとペイザバトラーが強襲する。
脚色の違いは明らかで、ホークスターは全く抵抗できず。
ファミーユリアンとペイザバトラーは並んでいたが、残り100mを過ぎると
ギアを引き上げてもう1段の加速を発揮。2バ身差をつけてのJC連覇となった。
これで皇帝を超えるG1・11勝目の新記録。師スピードシンボリが保持する
重賞での連対記録17戦にも並んだ。また、デビュー以来の連続連対を19戦まで伸ばし、
偉大な先達シンザンが持っている記録にも並んだ。
数々の記録に、この日、東京レース場を埋め尽くした入場者レコードの
19万人の大観衆は、リアンコールの大合唱をもって偉業を讃えた。
“集大成”、王道路線完全制覇
この年のファミーユリアンは、大阪杯、天皇賞、宝塚の春シニア三冠を達成。
秋シーズンも天皇賞、JCと連勝しており、史上初の王道路線の完全制覇に
王手をかけると共に、これも史上初の秋シニア三冠にも手をかけた。
年間無敗も維持しており、達成されれば、文字通り並ぶものなどいない不滅の大記録となる。
そのような状況下でファンが黙っているわけもなく、有馬記念のファン投票では、
史上最多の40万に近い票を獲得する。2位以下もタマモクロス、トウショウファルコ、
メジロフルマー、イナリワンと続き、5位までファミーユリアンとなんらかの関係がある
娘たちで固められて、事前記者会見は関係者で占められる格好になった。
会見では、各娘たちがそれぞれにレースに臨む心境を語る。
その中でもファルコとフルマーは堂々と逃げ宣言。これを受けたファミーユリアンの発言が
注目される中、ファミーユリアンは「集大成をお見せしたい」と応じ、
レースの作戦については、「ゲートの中で決める」とはぐらかした。
ファミーユリアンは2枠4番からの発走。前走のエリザベス女王杯で独走しての圧勝で
念願のG1タイトルを手にしたフルマーと、ファルコを加えた3人に注目のスタートは、
にわかに降り出した雨の中、綺麗に切られた。
一気の出足で先頭に立つファミーユリアン。ファルコとフルマーも続いて、
三つ巴のハナ争いが展開された。1000mは57秒9が記録され、通常ならば
大暴走と判断されるほどのペースとなる。
向こう正面に出ると、4番手ダイナカーペンターとの差が詰まっていった。
菊花賞以来、久々に見せる『幻惑』である。フルマーがこれに合わせてペースを落とす一方で、
ファルコは突然の事態に対応しきれず、そのままのペースで先頭に立っていった。
3コーナーを前にして先頭ファルコ、4バ身離れてファミーユリアン、直後にフルマー。
タマモクロスとイナリワンは後方に控えており、先頭からの差は15、6バ身と見られた。
ここでファミーユリアンが再び動く。再加速してファルコとの差を詰めていくと、
フルマーも離されずについていく。後方から上がっていくタマモとイナリ。
場内は大熱狂に包まれた。
600を通過し、先頭ファルコとファミーユリアンの差がみるみる詰まる。
並びかけたところで直線に向き、ファルコも粘り込みを図るが抵抗できず、
ファミーユリアンが再度先頭に躍り出る。1バ身差フルマーだが、
この差は最後まで詰まらず、むしろ開いていって突き離されてしまった。
こうして日本ウマ娘レース史上に残る大記録、
年間無敗による王道路線完全制覇が達成される。
同時に秋シニア三冠も達成。シンザンの連続連対記録も塗り替えて、
通算成績を20戦18勝2着2回とした。
シニア級3年目、満を持しての海外遠征
突然の会見通告で混乱
有馬記念翌日の午前10時、ファンクラブホームページ上において突如として、
『明日記者会見を行い、重大発表する』との告知が出される。報道各社の反応は早く、
10分後には多くのところが速報を出した。そのさなか、10時半ごろには『引退か?』との
憶測が流れ始め、同40分ごろにはテレビ各局においてもそのように字幕での速報が流れた。
グランドスラムの歓喜に沸いたファンたちにしてみれば、一転して冷や水を
かけられる事態になり、情報を求めたファンたちが殺到したか、
ファンクラブホームページは早々にサーバーがダウンして閲覧不能に陥る。
煽りを受けた府中CATVのサイトも繋がりにくい状態になった。
翌火曜日の16時、指定された時刻場所に、ファミーユリアンは静かに現れた。
まずレース後の体調に問題はないことを伝え、異常はないことを強調する。
その後、半年以上の長期にわたる海外遠征を発表した。
発表された挑戦するレースについては以下の通り。
ドバイワールドカップ(UAE、G1)
コロネーションカップ(英、G1)
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(英、G1)
フォワ賞(仏、G2)
凱旋門賞(仏、G1)
この際、一部の記者から引退するのではないかとの質問があったが、
ファミーユリアンは「いつ誰がそのように言ったか」と一蹴。
同席していたスピードシンボリ師も、「勝手な憶測でしかない」と不快感を示した。
質疑応答では、大事な海外初戦を実績を積んできた芝ではなく、ダートになったことに
質問が飛んだ。「どうせ出るなら世界一を」と応じ、実績がないことについても、
1年前の大井でのイベント(後述)を引き合いに出して問題はないとアピールした。
最大目標は凱旋門賞であるとも語り、アクシデント以外では必ず出走すると明言する。
凱旋門賞後については、凱旋門賞での結果次第であり、
その時点ではアメリカのブリーダーズカップに出走するプランもあると明かした。
またその際には、ターフかクラシックの二択であるとも語った。
“カミカゼ”、ドバイを制圧す
3月5日の深夜、成田空港から直行便で出発。無事に現地へ到着した。
現地での調整中、ゲート練習でゲートに激突、鼻血を出して関係者やファンを
ヒヤッとさせたものの、それ以外は順調でレース当日を迎える。
ドバイワールドカップに出走するライバル勢は、ダートの本場アメリカにおいて、
前年のクラシックで鎬を削った2人、サンデーセレニティとビーフィーゴアが非常に強力。
他にもG1を11勝しているバヤコヤがいるなど、一筋縄ではいかない相手ばかりである。
パドックでは、スピードシンボリが現役時代に着ていた勝負服のデザインに戻した、
新勝負服を着用して登場、ファンを驚かせた。
当日の人気は、サンデー、ゴアに続く3番人気で、衛星中継の解説では、
『ダートの経験はないですが、見る人は見ている』と評される。
遠く離れた異国の地でも絶好のスタートを切って飛び出すと、
日本でのように差をつけて逃げていく。サンデーは2番手。
ゴアはそのサンデーを見るような形で5、6番手となる。
1000mの通過は、公式発表で58秒44。これは当時のメイダンのダート2000m史上、
最速記録であり現在でも破られていない。
4コーナーを迎えてもリードを保ったまま逃げ続け、追い上げてきた
サンデーとゴアのほうの脚が先に上がってしまう。
ファミーユリアンは後続の苦しげな様子などどこ吹く風で、余裕を持って逃げ切り勝利。
ダート2000mで2分を切る1分59秒50のレコードタイムを記録し、
海外でも変わらぬレコードブレイカーぶりを見せつけた。
直前の準メインレース、シーマクラシックにて同胞のシリウスシンボリも
大逃げからの逃げ切り勝利を収めており、日本ウマ娘の海外G1初勝利は持っていかれたものの、
それを補って余りある大勝利であった。
日本ウマ娘が準メインとメインレースを続けて、それも大逃げで制したことにより、
欧米各メディアは、『カミカゼ、ドバイを制圧す』との見出しで速報した。
日本でも、早朝にもかかわらず各地で号外が配布され、多くの人が群がった。
いつもとは逆で、喜びのあまりスピードシンボリのほうが号泣。
のちの府中CATVの引退特番中に、このときのことで家族から怒られたそうだ、
とファミーユリアンが暴露している。
レース後の取材においては、賞金を全額寄付すると発言。
当時のレートで10億円を超えており、この点でも全世界を驚かせた。
絶対王者、欧州上陸
その後イギリスへ渡り、ニューマーケットに拠点を置いて調整する。
ヨーロッパ初戦となるコロネーションカップには、この時点ではG1勝利はないものの、
のちにサンクルー大賞、BCターフを勝つインザウイングスや、
昨年のJC以来の再戦となるイブンベイ、ドイツでG1を4勝のモンドリアンなどが出走。
ファミーユリアンが会見においてぜひとも走ってみたいと語っていた、
“ザ・ダービー”のコースにして、坂が続く天下の難コース、エプソムの芝2400m。
レースはイブンベイが逃げ、ファミーユリアンは2番手につける。
そのままの態勢で最終直線へ向くと、他の娘が次々とスパート態勢に入る中、
ファミーユリアンはジッと我慢。耐えに耐えて残り200mで追い出し、
逃げ粘っていたイブンベイをかわすと、最後の急な上り坂にも耐えて、
ヨーロッパの地でもG1制覇を成し遂げた。2着インザウイングス、3着イブンベイ。
続けて予定通り、ヨーロッパにおける上半期の総決算、キングジョージへ。
英愛ダービー娘のオールドヴィック、インザウイングス、
前年の凱旋門賞バでこちらもJC以来の再戦となるアサティスなどが出走してきた。
順風満帆なファミーユリアンだったが、このレースでは欧州の厳しい洗礼を受ける。
好反応で飛び出したファミーユリアンだったが、外から被さるようにして
数人が上がっていき、1人には完全に前へ出られてしまう。
他陣営やファミーユリアン本人もあくまで認めてはいないものの、
外側から見れば明らかな『包囲網』の構築であった。
最内枠からの発走が災いし、このままでは内側に閉じ込められると感じた
ファミーユリアンは、咄嗟の判断で最後方へと下がることを決断。実行する。
前代未聞とも言えるレース中での作戦変更、それも180度の方針転換に、
他の娘たちは対応することができず、レースは欧州では異例のハイペースで流れることになる。
無理なペースが祟り、先行勢は早々に失速して脱落。
最後方を進んだファミーユリアンは、最終直線で大外に持ち出すと、
1人だけ次元の違う脚で豪快に突き抜け、2着ベルメッツに6バ身もの差をつけて圧勝した。
異国の地、それも包囲網を敷かれた上での圧勝に、
欧米メディアは降参とばかりにこぞって称賛。
日本でも世界にも敵なしと諸手を挙げて持ち上げた。
勝利インタビューでファミーユリアンは、最後方まで下がったことについて
「直感が働いた」と称し、それ以上の発言は避けた。
のちの引退特番でこのことについて触れられた際には、
やられた、という思いはあったと語り、それでもルール上は問題のない行為とも
語り、わだかまりは残っていない様子であった。
“頂き”へ、凱旋門賞
イギリスでの2レースを制し、意気揚々とフランスへと移動する。
8月に発表された上半期の国際ウマ娘ランキングにおいて、ドバイWCでの
結果が評価されてダートI部門で136ポンドを獲得。これはこの時点のダートでは
史上最高値となる。また芝でも、キングジョージでの結果から芝L部門で
134ポンドを得て、並み居る強豪を押しのけてのトップ評価となった。
9月、凱旋門賞へのステップとして、同舞台同距離のフォワ賞に出走する。
ところが折しもパリでは数日間雨が降り続いており、バ場は最悪のコンディション。
解説のゴーダ氏も、「近年では類を見ないほど」と評するほどであった。
一抹の不安がよぎる中、レースはスタート。
いつものように1歩目の反応は良かったものの、出足がつかず、
先頭から5、6バ身を追走するのがやっとという状態に陥ってしまう。
200を切ったところで逃げ込みを図ったザルトタをかわし、
抜け出したインザウイングスが優勝。勝ちタイムは2分45秒台となり、
これは2600mのタイムよりも遅いというものである。
ファミーユリアンは終始そんな異常なバ場にてこずり、
3着に敗れた。2年前のJCから続いていた連勝が11で止まり、
デビュー以来守り通してきていた連続連対記録も、ついに23で途絶えた。
レース後、スピードシンボリ師によりすべての取材がシャットアウトされたため、
何かあったのではないかと心配する声が寄せられたが、
翌日取材に応じ、身体に異常はなく予定通り本番へ向かうと話して、ファンを安心させた。
敗因については、大方の予想通りバ場であったらしく、
「足が沈んでしまって前へ全然進んでいかなかった」と述べて、
経験したことのない状態だったことを明かした。
この結果を受け、ファミーユリアンがテルテル坊主でも作ろうかという発言をした
せいもあってか、凱旋門賞本番前には、熱心なファンがテルテル坊主を作って
SNS等に画像や動画をアップするという現象が起こり、『テルテル坊主』がトレンド入りする。
こうしたファンの願いが叶い、凱旋門賞当日は、抜けるような青空となった。
昼休みには散水も行われたが、気温が高かったため、バ場は急速に乾いていく、
という状態だったようでファミーユリアンには追い風となる。
出走は23人。前年覇者のアサティスをはじめ、インザウイングス、
英国ティアラ2冠に加えて愛ダービーをも制したサルサビル、同舞台パリ大賞勝ちの
ソーマレズなど、世界最高峰の名に相応しい好メンバーが揃った。
10月7日、現地時間16時5分(日本時間23時5分)、レースは発走を迎えた。
引退後の例の特番の際、直前まで作戦には悩んでいたと語る。
スタート前にシリウスシンボリから発破をかけられたことによって、
逃げることを決めたそうである。
発走後、ファミーユリアンとシリウスシンボリが飛び出して逃げていく。
9番がサルサビル陣営が用意したペースメーカーと見られていたが、
そんなことなどお構いなしにグングン引き離していき、長い上りを経て
下り坂に差し掛かったところで、まさに前例のない超ロングスパートをかける。
シリウスも負けじとついていき、3番手とは10バ身以上離れた。
フォルスストレートに向いても状況は変わらず、3番手以降を大きく離して
最終直線へ出る。しかしロングスパートの影響からか、
ここでファミーユリアンの脚が鈍りかけてしまう。
例の引退特番によると、シリウスが何らかの形で励ましたようで、
ファミーユリアンは最後の力を振り絞って再加速する。
反面シリウスには余力が残っていなかったらしく、急速に失速していき14着に敗れた。
後続勢も良く追い上げたが、前傾走法を繰り出して逃げるファミーユリアンには追い付かず、
2着ソーマレズに3バ身の差をつけて逃げ切り勝利を収めた。
2分24秒90はロンシャンで行われた凱旋門賞としてはレコードタイム。
欧州以外を拠点とするウマ娘としては、史上初の勝利ともなった。
師匠スピードシンボリが日本ウマ娘として初挑戦した凱旋門賞を、
弟子のファミーユリアンが初めて制するといったドラマ性も話題となった。
ゴール後、結果を確認したファミーユリアンは、両手でガッツポーズを取ると、
そのまま背中からターフに倒れ込んだ。
彼女にしては派手なリアクションに、その喜びようが窺い知れる。
ところがその後、数分しても起き上がらないといった異変が生じる。
心配したのかシリウスが様子を見に行ったところ、手を貸してもらってようやく起き上がった。
身体がふらついてもいたことから、『起き上がれない』という状態だったとみられる。
過度な緊張から解き放たれて脱力しすぎてしまった、
逆に喜びすぎて力が入りすぎていたなどと云われたものの、引退特番にて、
このときからすでに身体に“衰え”が生じていたと認めた。
以上のことから、フランス当局は式典の一部省略や簡略化など、
ファミーユリアンの体調を考慮した対応を行なった。
日本の各新聞社は、この快挙に対し各地で号外を発行。
明けて月曜日の真夜中にもかかわらず、主要駅前には号外を求める
人だかりができる事態になった。
5ヶ国3大陸王者へ
凱旋門賞のゴール後に見せた異変から、帰国するのではないかとの憶測も流れたが、
陣営は予定にあったアメリカBCへの参戦を表明する。
BCではメインレースのクラシックに出走。この年のケンタッキーダービー娘の
アンブライドルドをはじめ、前年ジュニアチャンプのリズム、ジョッキークラブ金杯勝ちの
フライングコンチネンタル、欧州からもイブンベイなどが集まった。
その中でも注目は、8月に故障を発生させ、医師の引退勧告を拒否して
「約束がある」と語り現役を続行していたサンデーセレニティである。
僚友のビーフィーゴアは7月の故障で引退していたため、
ドバイで敗れたファミーユリアンとの再戦には並々ならぬ意欲があったと思われる。
展開的には、JCで逃げ、英コロネーションカップでも同様であり、
内枠絶対有利な枠順抽選で2番枠を引いて大喜びしていたイブンベイの逃げが予想された。
ファミーユリアンも、抽選後の取材で「挑まれちゃいました」と発言している。
かくしてレースはその通りの展開を見せることになった。
5番枠から発走したファミーユリアンは好スタートを切ったものの、
枠順の差で内からスタートしたイブンベイを抑えることはできず、並走状態となる。
前半1000m通過は手動測定で57秒9。芝並みの時計が出るバ場とはいえ、
相当なハイペースになった。
そんな中、サンデーは故障が癒え切っていなかったか、
発走して間もなく苦悶の表情を浮かべつつ競走を中止している。
3コーナーに入ったところで、イブンベイが前に出た。
ファミーユリアンは1バ身差で追走し、最終直線へ向かう。
イブンベイは粘り込みを図るが、残り200mで捉えて先頭に立った。
そのまま離していき、2番手に上がってきたアンブライドルドに3バ身半の差で勝利。
日本、ドバイ、英、仏に続いて5ヶ国目、3大陸でのG1制覇となり、
G1通算としては17勝目の勝ち星になった。
おまけに記録された1分57秒65は、スペクタキュラービッドが保持していた
ダート10Fの世界レコードをも上回った。
ドバイWC、凱旋門賞、BCという世界三大レースとも言える大レースを、
それも同一年に制覇するという歴史的快挙であった。
しかし凱旋門賞に続いて、このレースのゴール後にも異変が生じる。
ゴール直後すぐにスピードを緩めると、倒れ込むようにしてばったりと膝をつき、
苦しげに肩を激しく上下させるという状態になってしまう。
スピードシンボリも即座に駆け付けたため、場内は一時騒然となった。
このBCではアクシデントが相次いでおり、ファミーユリアンにも
ベルモントの悪魔が牙を剥いたのかと思われたが、幸い間もなく回復。
介抱に来たイブンベイと共に観客に手を振って無事をアピールした。
レース確定後に医務室で検査したが、このときは異常は見つからなかった。
忍び寄っていた病魔、そしてラストラン
BCの3日後に帰国し、成田空港内の特設会場で凱旋会見を行なった。
到着ロビーではファミーユリアンの到着を大勢のファンが待ち構え、
姿を見せた際には大歓声とリアンコールで、英雄の帰国を出迎えた。
会見でファミーユリアンはホッとしていると心境を語り、
スピードシンボリは堂々と誇れる素晴らしい教え子だと語り涙を見せた。
トレセン学園に戻ったのも束の間、インフルエンザにかかって40度近い発熱に見舞われ、
深夜に病院へ向かうと大事を取って入院となる。インフル自体は完治したものの、
この際に受けた健康診断で、軽微ではあるが心臓の異常・不整脈が発見される。
さらには古傷の左足に違和感が再発。ここに来て悪いことが重なってしまう。
また、これも後日の引退会見で判明したことだが、凱旋門賞や
BCでのレース直後の状態を見る限り、能力的にピークを越えて
衰退期に入ったことが強く示唆されることがわかった。
そのような状況下でレースなどできるわけもなく、前週になってJC回避を発表。
心身ともに整わない状態で、年末のグランプリ有馬記念が迫る。
11月末時点で発表された国際ウマ娘ランキングでは、ダートI部門での数字を
139ポンドに更新。芝でもL部門で137ポンドへと上積みされた。
139ポンドはダンシングブレーヴの138ポンドを上回る史上最高値となった。
有馬記念ファン投票では、史上初の4年連続1位。
状態が心配され回避するのではないかとも思われたが、
「ファンの期待には応えたい」と出走を決意する。
事前記者会見の場において、突如として「最後のレースになる」と現役引退を発表する。
理由については、後日また会見を開くとだけ語り、この場での明言は避けた。
すると、会見に同席していたタマモクロス、メジロフルマー、
大怪我から奇跡的に復帰したサクラスターオーも相次いで引退を発表。
トップウマ娘4人が同席する場で引退発表するという異例の事態となる。
いずれもファミーユリアンと関係の深い者たちである。
調子が良くないと報道される中でも、当日は1番人気に推された。
稀代の英雄のラストランを生で見ようと、中山レース場は例年以上の混雑になり、
午前の早い段階で入場者レコードを更新した。
レースはメジロフルマーが飛び出し、逃げていく。1バ身でトウショウファルコが続き、
そこから2バ身開いてファミーユリアンは3番手で進む。スーパークリークが
中団前目に位置し、その後ろあたりにオグリキャップとスターオー。
イナリワンとタマモクロスは定位置と呼べる後方に陣取る形。
1000mは59秒1で通過。おとなしめに感じる数字だが十分なハイペース。
隊列はほぼ変わらず3コーナーにかかり、残り600を通過。
ファミーユリアンがここで動き、前との差を詰めにかかる。
ここぞとばかり後続勢もスパート態勢に入る中、事件が起きた。
外目の7番手に位置していたクリークが、加速するのと同時に鋭く内へと切り込んでいく。
その際にすぐ内側にいたミスシクレノンに接触。ミスシクレノンは内側の
リアルアニバーサルに接触、さらにはリアルアニバーサルは最内にいたオサイチジョージにも
接触するという連鎖が起きてしまう。接触された3人は転倒こそしなかったものの、
大きくバランスを崩して後退してしまった。発端となったクリーク自身は影響を受けず、
内に潜り込んで優勝争いを演じたが、ゴール後、この件で失格処分になった。
近走では早々に失速することが多かったフルマーが後退せず粘り、
2番手のファルコも脚色は衰えずに前残りかと見られた中、オグリが伸びてくる。
後方からはイナリワンとタマモクロスが並んで脚を伸ばす。
その中でファミーユリアンも内から伸びかけたが、坂に差し掛かったところで
ばったりと脚が止まり、それどころか、完全に停止してその場に跪いてしまう。
緊急事態を察したスターオーは自分のレースを顧みず、介抱に向かった。
スピードシンボリも、万が一のためにと準備していた医療班と共にすぐさま向かう。
ゴール前は内にクリークとオグリ、外から伸びてきたイナリとタマモの争いになり、
横一線のゴールで肉眼では全く判別できずに写真判定となる。
長い判定の結果、1着イナリワン。ハナ差で2着同着タマモ、オグリという結果になった。
ファミーユリアンは一時的に意識を失っていたようで、駆け付けた
スターオーの声に反応して意識が戻ったようだ。故障発生というわけではなく、
急病でもなかったのは、直後に立ち上がり、医療スタッフもさしたる処置を
行わなかったことからもわかるが、詳細は不明である。
その後、ファミーユリアンとスターオーは並んで歩きだし、ゴールを目指した。
競走中止はあくまで
が、ゴールまで文字通りあと一歩というところで、またしても事件が発生。
立ち止まったファミーユリアンにスターオーが抱き着き、
そのままの格好で横歩きに2人同時にゴールするという、まさに前代未聞のゴールの図になった。
これについてファミーユリアンは「こうなった以上2人一緒にゴールしたかった」とだけ
語っており、スターオーは「私たちの絆です」と述べた。
結果、正式記録ではタイムは記載されず、2人同着の14着という結果になった。
ラストランで初めて掲示板外ということになったが、
ゴールの仕方が仕方であっただけに、様々な反響を呼んだ。
こうして絶対王者はターフに別れを告げた。
また、スピードシンボリもファミーユリアンに合わせてトレーナー引退を発表した。
往くも退くも愛弟子と一蓮托生だと語り、絆の強さを感じさせた。
特徴・レーススタイル
最大の特徴は、他者を圧倒するスピードとスタミナである。
これを最大限に生かした高速逃げは、シニア級以降の代名詞になった。
クラシック級までは、正確な体内時計を背景にしたラップ逃げを得意にしていた。
菊花賞では、前中後半でそれぞれペースを大きく変動させるという
いわゆる『幻惑』作戦を採り、周囲を大いに惑わせた。
シニア級2年目の春の天皇賞では、誰もが予想だにしない後方待機策を採り、
日本全国をアッと言わせて見せた。スピードシンボリ師は、高速逃げが
身体にかかる負担が大きいことから、将来を考えて作戦変更を打診したと述べている。
これがのちの海外遠征にも活きた。
キングジョージに出走した際、先頭に蓋をされ、最内枠発走が災いして
外からも被せられて閉じ込められそうになると、レース中に180度の方針転換。
急減速して最後方まで下がり、追い込み作戦へと変更して圧勝している。
またファミーユリアンと言えば、『逃げて差す』とまで云われた、
独特の前傾走法から繰り出す末脚が魅力である。
超ハイペースで逃げながら、最終直線でさらに伸びていく様子は、
文字通り人々を魅了してやまない。
高速でのコーナリングにも定評がある。最高速で内ラチ沿いを
綺麗にコーナリングしていく様は、美しさすら感じさせるものだった。
長年その活躍を見続けた府中CATVの乙名史氏によると、
ファミーユリアン独特の尻尾の使い方に、その秘訣があるという。
坂を全く苦にしないパワーの持ち主でもある。
上りは言うに及ばず、下り坂を利用したスパートは幾度となく見られた。
道悪も得意である。雨中の不良バ場でのレースになった宝塚でも、
良バ場並みのタイムを出して快勝している。
しかしそんなファミーユリアンをもってしても、ロンシャンの不良バ場は
桁が違ったようで、「想像の斜め上だった」と言わしめ3着に敗れている。
競走成績
新馬 東京 芝2000m 良 1着 1:59.4R
葉牡丹賞 中山 芝2000m 稍 1着 2:05.3
青葉賞(Ⅱ) 東京 芝2400m 良 1着 2:25.3
東京優駿(Ⅰ) 東京 芝2400m 良 1着 2:25.0R
セン記念(Ⅱ) 中山 芝2200m 良 1着 2:12.9R
菊花賞(Ⅰ) 京都 芝3000m 良 1着 3:03.2R
有馬記念(Ⅰ) 中山 芝2500m 良 2着 2:33.3
日経賞(Ⅱ) 中山 芝2500m 良 1着 2:29.9R
天皇賞春(Ⅰ) 京都 芝3200m 良 1着 3:13.2R
宝塚記念(Ⅰ) 阪神 芝2200m 不 1着 2:13.9
オールカ(Ⅱ) 中山 芝2200m 良 1着 2:12.0R
天皇賞秋(Ⅰ) 東京 芝2000m 良 2着 1:59.0
JC(Ⅰ) 東京 芝2400m 良 1着 2:22.2R
有馬記念(Ⅰ) 中山 芝2500m 良 1着 2:29.4
大阪杯(Ⅰ) 阪神 芝2000m 良 1着 1:56.9R
天皇賞春(Ⅰ) 京都 芝3200m 良 1着 3:16.8
宝塚記念(Ⅰ) 阪神 芝2200m 良 1着 2:09.7R
天皇賞秋(Ⅰ) 東京 芝2000m 良 1着 1:56.4R
JC(Ⅰ) 東京 芝2400m 良 1着 2:22.4
有馬記念(Ⅰ) 中山 芝2500m 良 1着 2:30.4
ドバイW(Ⅰ) メイダン ダ2000m 良 1着 1:59.50R
コロネC(Ⅰ) エプソム 芝2420m 稍 1着 2:34.43
KGⅥQ(Ⅰ) アスコット 芝2406m 良 1着 2:28.60
フォワ賞(Ⅱ) ロンシャン 芝2400m 不 3着 2:45.86
凱旋門賞(Ⅰ) ロンシャン 芝2400m 稍 1着 2:24.90R
BCクラ(Ⅰ) ベルモント ダ10F 良 1着 1:57.65R
有馬記念(Ⅰ) 中山 芝2500m 良 14着 ─
27戦23勝 2着2回3着1回
受賞歴
・URA最優秀クラシック級ウマ娘
・URA最優秀シニア級ウマ娘(2年連続)
・URA年度代表ウマ娘(3年連続) 最多記録
・URA特別賞 シニア級3年目:海外での特別な活躍による
・カルティエ賞*11年度代表ウマ娘
・カルティエ賞最優秀シニア級ウマ娘
・エクリプス賞*12特別賞 BCクラシックでの顕著な活躍による
現役引退後
府中CATVの特別番組『ファミーユリアンさん引退! 長い間お疲れさまでした、
たくさんの感動をありがとうスペシャル!』に生出演し、3時間近く
自身の現役生活を振り返ったり、スペシャルゲストとして登場した
ニュージーランドのウマ娘ホーリックスと語らった。
番組内で自身の将来についても言及し、大学へ進学することを明かしている。
チャリティ活動、基金について
孤児であるという境遇のためか、弱者救済という意識が高く、
実際その通りに行動している。シニア級に上がった際の行動が最たるもので、
その目的のための基金を創設。自身が獲得した賞金の一部を寄付すると発表している。
この『ファミーユリアン基金』はすぐさま活動をはじめ、
感謝する声が各方面からSNS等に投稿されている。
また各種イベントなどへの出演も積極的に行っており、
時には自身の都合よりも優先する姿勢が見られた。
関係のあるウマ娘・交友関係
きわめて温厚な性格で、他者への支援を惜しまないためか、
交友関係は広く、多くの者に慕われている。
以下、主たるところを示す。
シンボリルドルフ
学園寮でのルームメイトにして親友。2人合わせてG1・27勝というとんでもない部屋。
怪我した際にリハビリ施設を紹介したり、自身の現役時代を含めて記録を達成した際には
常に寄り添っていたくらいには仲が良い。
スピードシンボリは祖母であり、ルドルフを通じて知り合ったものと思われる。
サクラスターオー
憧れの先輩にして、競技ウマ娘を目指すきっかけとなった原点だと公言して憚らない。
生まれつき身体が弱かったせいで半ば諦めかけていたが、ファミーユリアンの
リハビリ動画を見て自分も頑張ろうと一大決心し、トレセン学園に入学した。
自身の競技生活もファミーユリアンとは切っても切れない縁が続く。
故障でダービーを断念した際の、「秋に京都で」という約束は有名。
秋の天皇賞でゴール直後に故障発生した際には、転倒しかけたところを
ファミーユリアンに抱きかかえられて救われている。
動画などにも一緒に出演しており、親しげな様子を見せている。
ミスターシービー
生徒会室の前で会ったというひょんな出会い方をしたらしい。
「ファミーユちゃん」と呼んでかわいがっていたようだ。
引退の際には、家族やトレーナーよりも先にファミーユリアンへ報告。
そのとき自身が使っていた靴や蹄鉄を譲り渡した。
タマモクロス
本人曰く「お節介な先輩」。そのお節介のおかげで、
食の細さなどの体質が改善し、ここまでの存在になれたと認めている。
トウショウファルコ
学園内のイベントで知り合い、もらったアドバイスを実践すると、効果は覿面。
以降の走りは劇的に良くなり、わずか3戦目にして皐月賞を制覇した。
イナリワン
知り合ったときは大井所属の1人に過ぎなかったが、
急遽決まった模擬レースにおいて1バ身まで迫る末脚を披露する。
これがファミーユリアンに認められ、芝なら、と中央へ誘われた。
以後快進撃を見せて東京ダービーとJDDを勝利して中央へ移籍。
シニア級の有馬記念にてついに中央G1初優勝を遂げた。
当時はデビュー直後の1勝バでしかなく、芝は走ったこともなかった。
にもかかわらず能力の高さを認め、芝適性まで見抜いたファミーユリアンの
相馬眼は恐るべきものがある。いわゆる伝説の『大井イベント』である。
スーパークリーク
出会いは不明だが、「お姉さま」と呼んで慕っている。
骨折した際には、ファミーユリアンも通っていた研究所を紹介され、
たいへん助かったと感謝を示している。
サクラチヨノオー
ジュニア級では、レースへの出走を迷った際に相談に乗ってくれ、
背中を押してくれたとコメント。皐月賞やダービーを勝った際にも、
お祝いしてもらったと取材に対して答えている。
実はトレセン学園入学以前にファミーユリアンのブログに出ていたことが、
有志により指摘され確認されている。(スターオーお見舞いの記事)
その際には『未来のダービーウマ娘に出会いました』と綴られており、
改めて見る目の正しさが証明されている。
スターオーを通じたヴィクトリー倶楽部関連での出会いだと思われる。
サクラホクトオー
朝日杯勝利時に、姉チヨノオーと一緒にファミーユリアンも観戦していた。
姉と一緒に口取り写真にも収まっている。
ヤマニングローバル
有馬でのアクシデント直後にもかかわらず、ホープフルSを生観戦。
勝利を祝い、本人に直接声をかけていたとの目撃談がある。
引退特番では、自分が引退した以降も魅力的な娘がいるとの発言の中で、
当時のクラシック級からは唯一名前を連ねた。
メジロフルマー
一介の逃げウマ娘に過ぎなかったのが、ファミーユリアンと初顔合わせした
日経賞をきっかけに大きく変わり、高速逃げを会得して最大のライバルにまで至った。
ファミーユリアンがわざわざ声をかけに行ったり、
感謝のあまり抱き着いたりするくらいには、本人同士も認め合っていた。
大阪杯では前年にファミーユリアンが作ったレコードを塗り替えて勝利。
現状では唯一、ファミーユリアンのレコードが破られた例である。
オグリキャップ
凱旋門賞の当日、毎日王冠を勝利した際のインタビューで、
「“大先輩”がんばれ」と珍しく声を張って盛大に応援した。
大先輩とは言うまでもなくファミーユリアンのことで、
どういう経緯があったかは不明だが、仲は良いとみられる。
TTG、マルゼンスキー
トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの3人は
ファミーユリアン入学時の生徒会役員。
マルゼンスキーを含めてファミーユリアンとの関係性はよくわからないが、
凱旋門賞の際には、揃って現地まで応援に来ている姿が中継に映された。
トニービン、ムーンマッドネス
トニービンはイタリアの、ムーンマッドネスはイギリスの元競技ウマ娘。
それぞれG1を勝っている一流であり、共に第8回JCに参戦しファミーユリアンと戦った。
凱旋門賞ウマ娘のお眼鏡に適ったようで、ゴール直後にトニービンから
「君は世界に出るべきだ」との言葉があったことを勝利インタビューで明かした。
この一戦でトニービンは足を骨折して都内の病院に入院していたが、
お見舞いに病室を訪ねていたことが後に判明。その際、
元から友人同士で一緒にいたムーンマッドネスを含めて友誼を交わしたらしく、
有馬記念の勝利インタビューの時に急に発表して周囲を賑わせた。
また海外遠征の際には、2人の経験が大きなアドバイスになったようで、
たびたび感謝を口にしている。
現在は2人ともURAの職員であり、国際部国際交流室に所属している。
ホーリックス
ニュージーランドのウマ娘。第10回JCに参戦して優勝、南半球出身ウマ娘としては
初めての優勝となった。レース前にリラックスのため箱根の温泉へ赴いたところ、
なんとそこでファミーユリアンと遭遇、意気投合していたことがのちに判明する。
引退と聞いて自ら放送局に問い合わせするほどになり、引退特番には
わざわざ赤道を超えて駆け付けて生出演し、ファミーユリアンを驚愕させた。
エピソード
・最初に骨折した際にはさすがに9割以上諦めたそうだが、
病院まで付き添ってくれた理事長秘書の女性の言葉により、救われたという。
・前述のシービーから贈られた靴は、綺麗に磨いて自室の机上に飾られている。
よほど感銘を受けたのか、セントライト記念以降に履いていた靴は、
シービーが使っていた靴のデザインに似せて作られている。
・ファミーユリアンモデルのランニングシューズも開発、発売され、
ファンクラブが現地へ応援に行く際の必須装備になったという。
・普段は冷静で何事にも動じないが、デビュー戦の際やスターオーへ捧げるJCの
勝利インタビューでの号泣など、感極まると自分を抑えられない面もある。
・第8回JCでスターオーの勝負服の一部のリボンを頭に巻いたことに関しては、
自分で考えて自分で彼女のトレーナーと交渉したと述べている。
なお、スターオー本人には無断だった模様。
・ライバルと言えばメジロフルマーを指すのが通例だが、
シリウスシンボリとの関係も非常に興味深い。シリウスは
様々なシーンで絡んでいくような言動態度を見せており、
凱旋門賞に揃って出走した際には、レース中にもかかわらず叱咤してくれたという。
ファミーユリアンはシリウスのことを「真意を測りかねる」と評して
「あいつ」呼ばわりしているわりには、ドバイの時には
ツーショット写真に収まったりしていて、不思議な関係性が窺い知れる。
・3人同着優勝となったJCの前に、当事者のルドルフとシービーと一緒に
作戦会議をしたことは伝説的なエピソードになっている。
ルドルフシービーの両人が言うには、非常に正確な判断と解析で、
実際その通りの展開になり、あれがなかったら後方のまま沈んでいたと断言している。
・超一流の競技者であったことに議論の余地はないが、それ以上に、
他者を見る目もまた超一流であったことが証明されている。
ファミーユリアンが関係しG1を勝ったウマ娘は、サクラスターオー、タマモクロス、
トウショウファルコ、イナリワン、スーパークリーク、サクラチヨノオー、
サクラホクトオー、ヤマニングローバル、オグリキャップと枚挙に暇がない。
特にトウショウファルコには具体的にアドバイスをして大成させ、
イナリワンはたいして走っていないうちからその適性を正確に見抜いている。
本人は否定しているものの、それゆえにトレーナーへの転身を望む声はいまだに多い。
・頭も良く、学園の成績は常にトップ10に入っていたとか。
リスニング教材で勉強した英語は堪能で、海外のマスコミやウマ娘とは、
通訳を介さずとも意思疎通できるレベル。
・パリに入った際には現地のマスコミに囲まれる事態となり、
急遽開くことになった会見では、冒頭にフランス語で挨拶した。
・BC参戦のため渡米したところ、空港までサンデーセレニティと
ビーフィーゴアが来ており、出迎えてくれたのだという。
・引退特番に出演したホーリックス、番組中に公然と母国旅行に誘う。
どうやら温泉が好きなようで、ニュージーにも良い温泉があるとファミーユリアンを誘った。
なお5月の大型連休明けに実際に行って楽しんできたことが、ブログにて報告されている。
・引退会見では涙を見せなかったファミーユリアンだが、
府中CATVでの引退特番にて、キャスターから労われた際には目を潤ませており、
改めて両者の絆の深さを感じられる一幕となった。
非常に長いのでお時間があるときにどうぞ(あとがきで言うな
ここ間違ってる、この話がないぞ、これ載せてくれなどのご意見はお気軽にどうぞ。
(作者自身も把握しきれていない可能性……)
仮にリアンが海外遠征する場合、初戦は何が良いですか?
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ドバイワールドカップ
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ドバイシーマクラシック
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ガネー賞(仏)
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クイーンエリザベス2世カップ(香港)
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アメリカ遠征