「やっほーファミーユちゃん、おまたせ~」
天皇賞が終わった後の週末。
俺は再びシービー先輩から呼び出されていた。
といっても、俺は先輩から『学園外で2人だけで会って話がしたい』って言われただけで、
場所のセッティングから時間まで、全部俺が手配したんだけどね。
そういうのは普通、誘う側がするものなんじゃないかと思うが、
もうこの人には何も言うまい。
それに、下手に任せて、変なところに連れられても困るし。
というわけで、誰にも見つからない、バレないような場所探し。
もちろんそんな当てなどないので、破れかぶれで
商店街のおっちゃんに相談してみたところ、「任せておけ!」ってなって、
紹介してもらったのがこのお店ってわけ。
商店街の一角にある小料理店だが、個室が完備されており、
俺は時間前に先乗りして、その個室で先輩が来るのを待っていたというわけだ。
裏口から秘密裏に中へ入れる素敵仕様。
密会するにはもってこいだね。
「あ、おつかれさまです」
「待たせちゃったかな~?」
「いえ、まだ時間前ですから」
約束した時間よりもだいぶ早く現れた私服姿のシービー先輩。
なんかでっかい紙袋を持ってきているのが気になるな。
「じゃあお話しするね」
「はい」
お茶を出してもらい、お互い一口ずつ飲んだところで、
先輩のほうから話を切り出した。
「引退しようと思うんだ」
「!! ……そうですか」
先輩の口から出たのは、衝撃の一言。
いや、確かに衝撃ではあったが、予期できない言葉ではなかった。
「やはり足元が?」
「それもあるけど、ルドルフについていけなくなっちゃったからな~。
おまけに、やる気もあんまり湧いてこなくなっちゃったし」
「……」
また足元が悪化したのかと思ったが、衰えというのは隠せないもんな。
誰にでも等しく訪れるものだが、こうして実際に目の当たりにすると、
とても切ないものを感じる。
体力とモチベーションの低下。どちらも致命的だ。
「他の誰かには言いました?」
「君が最初だよ」
「……なぜ私に?」
「うーん」
今度の質問に対する返答は、正真正銘の衝撃だった。
そんな大事な決断を最初に打ち明けるのが、どうして俺なんだ?
家族とかトレーナーさんとか、他にもいっぱいいるでしょうに。
「なんていうかな、君に最初に言うのがいいと思ったんだよ。
君にはお世話になったからね。ジャパンカップも勝たせてもらっちゃったし」
「だからあれは……」
少し考えて出された答えに、俺も言葉に窮してしまった。
まだそんな風に考えてくれてたのか。
そう思うと、なんだか胸が締め付けられてきて、
二の句が継げなくなってしまったのだ。
俯いてしまった俺を見て、先輩はくすっと笑った。
「相変わらずだね君は。そんな君だからこそ、
アタシも最初に言わなきゃって思ったんだと思うよ」
「先輩……」
微笑むシービー先輩。
笑顔だけど、その微笑みはとても寂しそうで。
……いかんな、俺のほうの涙腺が決壊しそうだ。
「そ・こ・で! 君に餞別を贈ろうと思ってね」
「え……」
そう言って、先輩は持参してきた紙袋を机上に置いた。
なんだって? 餞別?
マジで? うれしいっ!
……なんて思うかボケぇッ!
申し訳なさと恐れ多さのほうが勝ってしまうわ。
「じゃーんっ。アタシの履いてた靴と蹄鉄、君にあげる。
もういらないからね」
先輩が袋から取り出したのは、まさに先輩が言ったとおりの品物。
お世辞にも綺麗とは言えない状態だが、それだけ愛用していたってことで、
年季と想いが詰まった一品ということになる。
「三冠と天皇賞、ジャパンカップはこれで獲ったんだ。
G1用のお気に入り。少し汚れてるのは勘弁してね~」
「……」
「いま思うと、有馬から靴を新調したのは良くなかったんだな~。
五冠を達成して心機一転って思ったんだけど、途端に勝てなくなっちゃった」
「………」
黙ってしまった俺をよそに、先輩は淡々と語り続ける。
そんな様子が、逆に痛々しくて。
「そんなわけで、君にあげる。匂い嗅ぐも舐めるも君の自由さ」
「そ、そんなことしませんっ!」
「本当にぃ~?」
「しませんって……」
ニヤぁ、と意地の悪い笑みを俺に向けてくる先輩。
どんな変態だと思われてるんだ。
「おっかしいな? アタシが得た情報によると、
世の中の人は、女の子の靴とか靴下が大好きだって聞いたんだけど」
どこから得た情報なんだ、それは。
その手の人がいるのは確かだと思うが、極めてマイノリティだと思います。
それに、そういう人は男性なんじゃないかと思う。
なんで現世ウマ娘の俺に言ったんですかね?
ソッチ方面の欲望はもはや湧いてこないというか、
元から持っていませんから。
そういや、アプリのレジェンドレースの報酬も靴だったっけ。
良からぬ妄想をしていた連中もいるとかいないとか。
「とにかく、そんな大事なもの、受け取れません」
「受け取ってくれないなら、捨てちゃおうかな」
「え……」
「それでどこの誰ともわからない人に拾われて、ペロペロされちゃんだ」
「……
ふざけるのは大概にしてほしい。
こっちは真面目に話してるんだ。
「ファミーユちゃん」
「はい」
すると、俺が少し怒気を含んだことに気付いたのか、
先輩も雰囲気を変えた。やっと真剣になってくれたようだ。
「君にだからこそ、あげるんだよ。
ほかの人にはこんなこと言わないよ」
「……」
「この意味、わからない君じゃないよね?」
「……わかりますけど、わからないです」
先輩の気持ちはとてもうれしい。
わかるからこそ、俺なんかが受け取っていいものじゃない。
こういうものは、もっと立派で、大きな志のある、
五冠ウマ娘ミスターシービーの後継者たりえる人物に――
「ファミーユちゃん」
「ぁ……」
「受け取って?」
「……わかりました」
先輩は腰を上げて身を乗り出し、俺を見据え、俺の手を取って握りながら言う。
ついには俺のほうが根負けしてしまった。
だって、相手はあのミスターシービーだぞ?
バッチリ見つめられて、両手で手をがっしりと握られて、
これで断れるやつがいるなら会ってみたい。
「そっかそっか、よかった~」
「まったく……強引な人だ」
「我が道を往く。それがこのアタシ、ミスターシービーさ」
靴やらを紙袋と一緒に俺に押し付け、満足そうに言う先輩。
あの豪脚がもう見られないと思うと、やっぱり寂しい。
翌日、ミスターシービー引退のニュースが、世間を大いに賑わせた。
さて、明日はいよいよ宝塚記念だ。
ルドルフが凱旋門へ向かう壮行レース。
遠征プランは先立ってすでに発表されており、
シービー先輩の引退によって、ルドルフに敵うライバルはもういないと見なされ、
世間的には、もうフランスへ行くのは決定事項みたいになっていて、
皆の関心は、凱旋門賞自体の展望へと移っている。
聞いたところによると、今年の欧州戦線は、
去年の同レースを制したサガス、コロネーションカップを勝ち、
日本ではサクラローレルの父として有名だったレインボウクエストらの争いとのこと。
懸念だったダンシングブレーヴの存在だが、
どうやら来年以降の登場のようだ。
ルドルフには悪いが、一安心した。
あいつ的には、より強いやつと戦いたいという思いもあるんじゃないかと思うが、
史上最強とも名高いやつが相手じゃ、アウェーということもあって正直、ねぇ。
なんにせよ、まずは明日のレースで勝つことだ。
調子も引き続き良いってことだし、まあ普通にやれば負けはしな――
プルルル♪
……電話?
シンボリのお母様からだ。なんだろう?
明日も一緒に新幹線で応援に行くことになってるから、その確認かな?
「もしもし、リアンで――」
『リアンちゃんっ、大変なのっ!』
「……ど、どうしました!?」
電話に出るなり、俺の言葉を遮ってまで、お母様の大声が響いてきた。
彼女がここまで大慌てするのも珍しい。
『ルドルフが……』
「……!」
シンボリルドルフ、出走取り消し。
これは夜の番組で大々的に報道された。
テレビで流されるニュースを、俺は歯ぎしりする思いで見つめている。
くそ……まずった……
そうだよ、『これ』があったじゃないか……
史実のルドルフも、レース前日になって、宝塚記念の出走を取り消している。
原因は、阪神競馬場の杜撰な芝の張替えによって芝が剝がれ、
ダートが剥き出しになった部分であわや落馬かという転倒をしたこと、という話だ。
体調不良を察した調教師と、牧場側の対立とかもあったらしい。
知らないわけじゃなかったが、忘れていた。
いや、忘れていたじゃ済まされない話だ。
せめて一言伝えておくべきだったか。
阪神レース場の芝に気をつけろって。
なんでお前そんなこと知ってんの、ってなことになるのは明白だが、
言い訳なんざ後からどうにでもなる。
阪神の芝状態良くないらしいよ、ところどころ剥げてるらしいよってさ。
クラスメイトが話してるのを聞いたとか、どうだろう?
ルドルフ自身の身体こそが1番だったのに。
畜生……時すでに遅し。
『やあ、リアン』
21時ごろ、ルドルフから電話がかかってきた。
容態が心配でずっともやもやしていたから、速攻で出た。
『すまない。私の不注意で怪我をしてしまった』
思ったよりも声は明るかった。
が、それで安心はできない。
「私こそ、ごめん……」
『なんで君が謝るんだ?』
「あーうん、いや……なんでだろうね……」
『私に聞かれても困るぞ』
申し訳なさから思わず謝ってしまい、
電話するのもつらいであろうルドルフに苦笑させてしまった。
つくづく不肖な親友で申し訳ない。
「それで、怪我の具合はどうなの?」
『軽く捻った程度だ。世間で言われているほど重くはないんだ。
多少の痛みはあるが普通に歩ける』
「そう……」
現役引退か、なんて報道も一部でされてたけど、
どう見ても大げさすぎるよね?
本人がこう言うんだから、本当にそうなんだろう。
とりあえず、重くはなくて安心、安心か?
俺は相槌を打つことしかできない。
『ただ、これで、海外遠征に影響が出るのは間違いない。
こちらから頼み込んでおきながら、君には申し訳ないが……』
「あ、いや、私のことなんて全然気にしなくていいよ。
今は自分のこと、怪我を治すことだけ考えて?」
『ああ、すまないな』
そう言うルドルフは、本当に申し訳なさそうで、
声を聞いているだけで、こちらまでつらくなってくる。
特に、誰にも言えない負い目があるだけに、俺にはなおさら効いた。
ルドルフの体調に比べれば、俺の初海外なんて事情は月とスッポン。
比べることすらおこがましいんだから、マジで気にしなくていいさ。
……惜しいなんて思ってないよ。本当だよ!?
予定では、8月の頭に渡欧して、9月に前哨戦を使い、
本番へと臨む計画だった。
前哨戦はどこに使うか決まってはいなかったが、
同距離同レース場のフォワ賞が有力だった。
愛チャンピオンステークスやバーデン大賞という線も考えられた。
しかし、これで少なくとも、8月の渡欧は無理だろう。
前哨戦を使うチャンスも失われたと言っていい。
それでも強行して遠征してぶっつけ本番で臨むか、
あくまで中止するかはこれから検討されるだろうが、
おそらくは……中止だろうな、と思う。
くそっ、こういうところでは史実に忠実でなくてもいいのに……
シリウスの脚部不安の件といい、つくづく運命というのは残酷なものだ。
「とにかく、気をつけて帰ってきてね。
移動で悪化させたなんてことになったら目も当てられないよ」
『ああ、明日の朝には発つから、昼前には帰れる。帰ったらまた話そう。
いろいろと話したい。ほかならぬリアンと、話をしたい』
「うん、待ってる。いっぱい話そう」
『ああ、頼む。それじゃ』
「うん、おやすみ。……はあ~っ」
電話を切った途端、大きなため息が出てしまう。
あいつ、努めて冷静を装っていたが、内心はぐちゃぐちゃだったんじゃないか?
テンション高めっぽかったのがその証拠。
わざと意識して、俺に心配かけさせまいとしてたんじゃないの。
俺と話したいって言っていたのも本心だと思う。
電話で話せないこともあるだろうし、顔を合わせてしっかりと、ってことだろう。
「話、しっかり聞いてやらなくちゃな」
愚痴っぽい、というか、全編にわたって愚痴大会になるんじゃないか。
俺はそれをきちんと受け止めてやらねばならない。
あいつが弱みを見せられる相手なんて、そうそういないと思うし、
それだけでも非常に光栄なことなのだから。
翌日の午後、めっちゃ話を聞いた。
……夜までかかった。
普段から不満とか鬱憤とか、色々と溜まってたんだと思う。
あいつの立場上、表立って口にすることなんてできないだろうし、
性格からしても、人前で弱音を吐くなんてことは絶対にしない。
シリウスと同じような膨れっ面してたんで、失礼ながら、
血縁ってごまかせないんだなって、何度も笑いそうになっちまったよ。
幸い、吐き出し終わったときには、すっきりした顔していたし、
最悪の事態だけは避けられたと思いたい。
ストレスのはけ口でもいいから、あいつの役に立てたのならよかった。
後日、ルドルフの海外遠征の中止が正式に発表された。
仮にリアンが海外遠征する場合、初戦は何が良いですか?
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