「……うぁ~」
選抜レースを終え、寮の部屋へと戻ってきたその足で、
自分のベッドへと倒れこんだ。
結果云々の話はとりあえず置いておくとして、
やはりというか、1日で何レースも走るのは、相当堪えたみたい。
もう全身バッキバキで、倒れこんでしまったが最後、
ちょっと今は起き上がれそうにない。
明日は確実に筋肉痛や……
え? 結果を聞かせろって?
わかったようるさいなあ……人の黒歴史をそんなに聞きたいか!
……そうだよ黒歴史確定だよ!
ではお待ちかねの結果を言ってやろう。
出走した全レース最下位ですよ。それもダントツのな!
1番酷かったのが、最初に走った芝のスプリント戦。
スタートはうまく決まったものの、徐々に離されていく一方で、
果ては緊張からか出遅れた子にまであっという間にかわされてしまった。
全力出さないとか言ったけど、しまいにゃムキになって
なんとか差を詰めようとしたものの、直線を向いたときには、もう先頭は遥か彼方。
ひとつ上の順位の子からも1秒以上離された、大惨敗もいいところだった。
リアル競馬なら、タイムオーバーで出走停止食らってる。
あれだね、一発で短距離適性ないってわかっちゃったね。
だからダートの千二には出なかったよ。棄権した。
それでも4レースには出たわけだが、どれも最下位なのは変わらなかった。
脚質もいろいろ試してみようと思ってたけど、そんなレベルじゃない。
そもそもスプリント戦は逃げようと思ってたくらいだからな。
追走すら困難って、ホントどういうことなの……
唯一と言ってもいい収穫は、ダートよりは芝のほうが走りやすかったってことくらいかな。
もちろんトレーナーたちからの声掛けなんてものはなかったよ。
まあそれは仕方ない。弱者は見向きもされない、厳しい世界なのだから。
「……はぁ」
ため息しか出てこない。
なんか思った以上に、他の子たちとの力の差が大きいみたいだ。
ウマソウルの有無というのは、ここまで違ってくるのか……
本当にやれやれだぜ。
これは相当に無茶をしないと、あっという間に退学処分になりそうな予感。
詳しいことはよくわからないが、ほんと洒落にならない。
よし、明日から本気出す。
いや、決して今日までが本気じゃなかったというわけじゃないけれども。
せめて掲示板内を争えるくらいにはならないと、
トレセン学園に通っている意味すらなくなってしまう。
「………」
目を閉じると、猛烈な睡魔が襲い掛かってきた。
脳裏に浮かんでくるのは、孤児院を出たときの風景。
まるで普通に通学するときに送り出すかのごとく、
「いってらっしゃい」と笑顔で見送ってくれた院長と、職員さんたち。
俺よりも年長の子も年下の子も、レースは必ず見に行く、と言ってくれた。
レース、出られるかな……デビューまで行けるかな……
はぁ……
先は……なが、く……
……けわし……
「リアン? 帰っているのか?」
私、シンボリルドルフは、寮の自室へと帰ってきた。
ルームメイトはもう帰っているだろうか。
予め話を受けていたスカウトの件で、トレーナーに呼ばれて
いろいろと話をしていたため、少し遅くなってしまった。
「……リアン? いるなら返事を……寝ているのか」
靴はあったから、すでに帰っているものとして声をかける。
室内へと入りながら見回すと、彼女の姿はベッドにあった。
我がルームメイト、ファミーユリアンは、
制服姿のまま、うつ伏せで寝入っている。
「さすがに疲れたみたいだな」
1日で複数のレースに出る、なんて無茶をするからだ。
理由を聞いて理解はしたが、だからといって納得できるものではない。
最初に聞いた時も耳を疑ったが、今でも信じられない。
普通はレースを絞って出走する。多くても2つまでだろう。
それが彼女は、今日4つものレースを走った。
当初は5レースすべてにエントリーしていたが、さすがに思うところがあったらしく、
ダートのスプリント戦だけは回避したそうだ。
選抜レースは、何も今日だけというわけではない。
今日がダメでも次、そこでダメでも次というように、
自分を鍛えながら挑戦していけばいい。
いったい何が、彼女をそこまで突き動かしたのだろうな?
「……ふふ」
自然と笑みが漏れてしまった。
突拍子もないことをしでかすのは、彼女の癖、なんだろうか?
思えばリアンと初めて会ったときも、驚かされたものだったな。
『ド、ドーモ、シンボリ=ルドルフ=サン。ファミーユリアンです』
ドアが開いて現れた、明るめの栗毛の小柄なウマ娘は、
なんと手を合わせて私を拝みながら自己紹介した。
初対面の相手に、なんて反応を見せるんだ。
思わず呆気に取られてしまったが、次の瞬間には、笑いが込み上げてきた。
『ふふ、面白そうな子で安心したよ』
寮長さんも一緒に笑っていたな。
ああ、何か一瞬で、いろいろと考えていたことが吹き飛んでしまったよ。
ルームメイトはどんな子だろうか。
上手くやっていけるのだろうか。
学園生活に馴染めるだろうか。強くなれるのだろうか。
その時点で頭の中の大半を占めていた負の感情が一気に消え去り、
温かいものが心の中に流れ込んできた。そんな感じだった。
その後、部屋に入ってもう1度自己紹介しあって、
荷物を整理しながら彼女と少しずつ話をした。
その折、どうしても気になることが出てきてしまうのだ。
私の荷物がまだ幾分も整理し終わらないというのに、
リアンはとっくに終えて、ベッドで横になっている様子。
聞けば整理がものすごく速かったというわけではなく、荷物が少ないらしい。
『もともと私物なんてほとんど持ってなかったから』
『持ってきたのは勉強道具と、服が数着くらい』
瞬間、私の中でものすごい疑念と懸念が浮かび上がり、
自分でも、全身の毛が逆立つのが分かった。
彼女の発言は、それくらいの危ういものだった。
とどのつまり、少ないというのは、親に買ってもらえなかった、
ということに他ならないのではないのか。
彼女自身が欲しくても、与えてもらえないような状況だった。
私たちくらいの年頃において、私物がこんなに少ないのはあり得ない。
色々なことに興味があって当然だろう。
人気アニメのキャラクターグッズ然り、
オシャレな服や、アクセサリーや、その他諸々……
改めて考えてみれば、彼女の体格は、小学校の中学年以下かと
思わされるくらいに小さく、細い。
あのとき着ていた服の下が七分丈なので、膝下が見えているのだが、
本当にウマ娘なのかと思えるほどの細さだ。
私は年齢の割に大きいほうだから、余計にそう思えるのかもしれないが……
考えれば考えるほど、あるひとつの結論が見えてくる。
即ち……
『虐待じゃないから!』
そんな私の思考を、彼女の悲鳴に近い声が引き留めてくれた。
彼女曰く、生まれて間もなく捨てられて、孤児院で育ったとのこと。
世の中のご多分に漏れず、その施設も裕福ではなかったので、
贅沢とは程遠い生活を送ってきたと。
『もし本当に虐待されてたなら、
こうやってトレセン学園に入ることもできてないでしょ?
受験するのだってタダじゃないんだしさ』
彼女の言葉は、非常に的を射ていた。
確かに言われてみればその通りで、もし本当にそうだったのなら、
あの日あの場に、彼女がいるはずもなかった。
完全に私の早とちり。
恥ずかしさと共に、猛烈な申し訳なさが湧いてくる。
すべてのウマ娘を幸せにする
私の秘かな、大それた夢だ。
なまじそんな思いがあるがゆえに、完全に掛かってしまったらしい。
私もまだまだ未熟である。
いきなりこんな身近に、この夢の実現に際して、
問題になる子と出会うことになるとは、全然思っていなかったんだ。
本当に、出会って間もない相手にするような質問と態度ではなかった。
お詫びに、何か欲しいものはないかと聞いてみたのだが、
今は特にないと断られてしまった。
むぅ、本当にそうなのか?
さっきも言ったとおり、私たちの年代では、
むしろあれもこれも欲しいという状態なのではないかと思ったのだが。
……ダメだな、また空回りだ。
『何かあったら、相談とかに乗ってもらってもいいかな?』
すると、彼女のほうからこんな提案がなされた。
もちろんOKだ!
ウマ娘のことが分かる人が周りにいなかったというのは、地味に辛い。
幸い、私は名家と呼ばれる生まれで、人も知識も相応にある環境で育った。
だから彼女の心情まではわからないが、
自分のことが理解されないということがどれだけ辛いことなのか、
それくらいはわかるつもりだ。
私にできることであれば、なんでも……
いや、シンボリ家の総力を挙げて、最善を尽くすと誓おう!
そう決意したところで、彼女から、盛大な爆弾が投下されたのだ。
『よろしくね、「ルドルフ」』
彼女は……リアンは、笑顔でそう言った。
私のことを、ルドルフ、と自然に呼び捨てた。
こんなことは、もしかすると、いや、記憶の限り、初めてかもしれない。
もちろん、親や兄、先生などから呼び捨てにされたことは、何度もある。
しかし同年代、それも長く付き合うことになるであろう人物から
そう呼ばれたのは、間違いなく初めてだった。
私がウマ娘であり、なによりシンボリ家の一員であるということは、
周囲の人間たちを思いのほか委縮させるらしい。
公の場では主に「お嬢さん」、良くて「ルドルフさん」だ。
それは幼いうちであっても同様らしく、周りの子供たちは、
遠慮というか敬遠して近づいてこないか、話しても一言二言だけ、
という状態が続いてきた。
いつしか私自身もそんな環境に慣れてしまい、なんとも思わなくなっていた。
そんな状況が……このとき、彼女によって、打破されたのだ。
それも、こんな望ましい形で!
『ああ、任せてくれ!!』
後になって思い返してみると、このときの私の声は、
自分でも驚くほど弾んでいた。
彼女にどう思われたのは不明だが、彼女はやさしく微笑むだけだった。
先ほどの件、さっそく明日にでも実家に伝えるとしよう。
呼び捨て合えるような『友達』ができたと知れば、
両親も兄も妹も、他の人たちも間違いなく協力してくれる。
こうなると……そうだな。
久しく忘れていた、もうひとつのささやかな願望も、叶えさせてもらえるだろうか。
少し迷ったが、ダメもとでお願いしてみることにした。
『私も、君のことを、呼び捨てにしてもいいだろうか?』
勇気を出して行なった提案に、彼女は、相変わらずの笑顔で
『友達同士で遠慮なんかしないしない』
こう、言うんだからな……
わかっているのか?
あのときの私にとっては、それは最高の殺し文句だぞ?
うん、そうだな。友達同士で遠慮なんかしないな!
『では改めて、よろしく頼む、リアン』
『こちらこそよろしく、ルドルフ』
こうして、友人同士で親しく呼び捨てしあう、という普通で当然な行為を、
私は齢12にして、人生で初めて経験したのだった。
……おっと、思わず考え込んでしまった。
リアンは……まだ寝ているな。
このまま寝かせておいてやりたいが、そうもいかない。
仕方ない、起こそう。
「リア……涙?」
寝ているリアンに近づいて声をかけようとしたところで、気付いてしまった。
彼女の目元には光るものが浮かんでおり、枕に向かって流れた跡があることに。
「よほど悔しかったんだな」
そうだ、仮にもウマ娘たるもの、競争して勝つことが本望。
あのような結果で、悔しく思わないはずがない。
私のレース前に顔を合わせたときには、笑って私の激励をしてくれたが、
カラ元気だったかな。申し訳ないことをさせてしまった。
それはそうと、入浴と食事の時間の関係もある。
良心は痛むが、起こさなければ。
「リアン、リアン。起きろ」
「……んぅ……ん……?」
声をかけ、肩に触れて軽く揺する。
すると気が付いてくれたようで、目がうっすらと開いた。
「起きたか」
「………」
「ああ、寝るな。眠いのはわかるが、せめて着替えてからにしろ。
制服がしわだらけになってしまう」
しかし、いまだに眠気のほうが勝っているようで、再び目が閉じてしまった。
「起きろー」
「……やー」
「………」
幼児のような反応に、心ならずも、吹き出すのを堪えるのに苦労した。
なんだそれは。狙ってやってるのだとしたら卑怯だぞ。
無意識なんだとしたら、余計にたちが悪い。
「リアン」
「やー……ねるぅ……」
気を取り直して声をかけるが、またしてもこんな反応だ。
リアンは普段から大人びていて、子供じみた思考や行動とは無縁だと思っていた。
それがどうだ。今の彼女は、まさしく年相応、いや、より幼さを感じさせる。
「ふふ」
思わず笑みが漏れてしまった。
学園内や外では、絶対に見せないであろう、完全にプライベートな姿。
それを見ることができるのはルームメイトの特権だな。
彼女の新たな一面が垣間見えた、貴重なシーン。
貸しひとつ、ということでどうだろう?
「いいから起きろ。着替えて風呂だ。それから食事」
「……んぅ」
ここでリアンは、ようやく身体を起こした。
女の子座りで、眠そうに両手で目を擦っている。
まだ寝ぼけているな。
しょうがない。乗り掛かった船だ、面倒を見切ってやろうとも。
「着替えは?」
「……たんす」
「私が開けてもいいのか? では失礼するぞ」
自分から動く気配がないので、私が替えの服を取りに行く。
他人のタンスの引き出しを開けるのは気が引けるが、仕方なかろう。
「……本当に少ないな」
引き出しを開けてみて、改めて思う。
1段目、何も入っていない。
2段目、下着類。すぐにそっと閉じた。
3段目、入ってはいるが、ぱっと見て2着ほど確認できるだけで、
半分以上のスペースは使われることがなく、がらんとしている。
そういえば、リアンは寮に帰ってきても制服か、ジャージ姿でいることが多い。
私服姿を見たのは、最初に会ったときくらい、だろうか。
事情があるのはわかるが、ちょっと少なすぎやしないか。
夏冬で1着ずつあるとしても、それ以外の物が全然ないんだぞ?
少ないを通り越して、異常であった。
「リアン、何を着るんだ?」
「んー……ジャージ……?」
なぜ疑問形なんだ?
ジャージというと、学園指定のやつか?
上3段目までにはない。さらに下か?
当たりだ。もうひとつ下の段に、きれいに畳まれて入っていた。
「ほら」
「………」
「リアン?」
ジャージを手に取って持って行ったのだが、
リアンはベッドの上に女の子座りしたまま、ぼ~っとこちらを見上げている。
まさか、着替えまで手伝えと?
……ええい、最後まで面倒みると決めたではないか。
行くところまで行ってやる!
「ほら、バンザイして」
「ん~」
……ああ、すべて着替えさせてやったさ。
さすがに下着1枚になったときには、目を逸らさせてもらったが。
リアン、君、まだ上は着けていないんだな……
……コホン。
それはさて置き、ここまで服を持っていないとは思わなかった。
2日も雨が続いたら、着るものがなくなってしまうぞ。
24時間、制服かジャージで過ごすつもりなのか? それは問題だな。
「……ルドルフ?」
「目が覚めたか?」
ここにきてようやく、リアンの意識が覚醒したようだ。
今までのは無意識の寝ぼけた状態だったんだな。そうだと思ったよ。
「おかえり。あー、私、寝ちゃってた?」
「そうだな。疲れたんだろう」
「あー、うん、そうかも……って、なんで私、着替えてんの?」
「覚えてないのか」
覚えていないほうが幸せな気がするな。
言っても信じないだろうし、あれは私だけの脳裏に留めておこう。
特権、特権だ。ふふふ。
「話は変わるが、リアン、君の生まれは今月か?」
「うん、一応24日ってことになってる」
「24日か」
よし、ギリギリだがまだ間に合う。
いきなり渡しても困惑されるだけだろうから、大義名分として申し分ない。
グッドタイミングだったな。
「よく今月だってわかったね?」
「ウマ娘の生まれは、なぜか上半期に集中しているからな。
外れたらしらみつぶし大会になるところだったぞ」
「なにそれ」
おかしそうにけらけら笑っているリアン。
上手く誕生日を聞き出せた。あとは……
「あ、言い忘れてた。選抜レースの1着おめでとう」
「ああ、ありがとう」
「圧勝だったね。もう契約してきたの?」
「とりあえずは仮契約、というところだ。
入学してすぐでは体裁が悪いとのことで、折を見て、ということだな」
「ふーん。いいなあ」
リアンは私の勝利を、自然に祝福してくれた。
あの涙を思い出して、若干居心地が悪い。
ダメだ、そんな風に考えることこそ、彼女に対して失礼だ。
こちらも自然に、普通にするんだ。
「リアン」
「うん?」
「お互い、がんばろうな」
「……うん、がんばろう」
レースに勝ち、トレーナーとの契約も目途が立って、
おまけに、普段は見ることもできない、友人の珍しい姿も拝めた。
当時はそんな自覚なんてなかったが、こうして振り返るに、
このときの私は、やはり少し浮かれていたのかもしれない。
……そう。
私は、私の言葉に対してリアンの表情が、
わずかばかり曇ったことに気付けなかった。
気付けていたら、また違った結果を導けていたのかもしれないと思うと……
私は……
仮にリアンが海外遠征する場合、初戦は何が良いですか?
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