本年もどうぞよろしくお願いいたします。
「え? 明日、応援しに来てくれるの?」
「ああ」
俺が問い返すと、ルドルフは笑顔で頷いた。
有馬記念の前夜。
寮の自室で、就寝前にルドルフと話していたところ、
明日は中山まで応援しに来てくれるとのこと。
いや、現地まで来てくれるのは、何も初めてというわけじゃない。
デビュー戦の時もそうだったし、だいたいレース場まで来てくれていた。
しかし、それは大抵の場合がトレセン学園生徒会長の公務としてで、
そちらのほうで忙しく、当日に現場で会うことはできていなかった。
それが今回は、無理やり時間を作って、控室まで陣中見舞いしてくれるという。
「クリスマス会も終わって、手が空いたんでね。
これまでは直接応援しに行けなくて申し訳なかった」
「いやいや」
申し訳なさそうに謝るルドルフに、俺のほうが恐縮してしまう。
きっと今回も忙しい中を、無理に無理を重ねた結果なんじゃないか。
本当に、俺のほうこそ申し訳ない。
「父様と母様も、明日は見に行くそうだよ」
「そっかあ」
シンボリのお父様とお母様は、デビュー戦の時こそ現地観戦したいと言っていたが、
外せない用事という話で叶わなかった。
以降、特に何も言わなくなったので、安心していたところだったのだが。
なんでかって?
そりゃあのお二人が生で見ているなんてことになったら、
ただでさえ緊張する中を、余計な力が入ってしまいそうでしょ?
「『愛娘』のレースを現地で直接見たいと常々言っていたからな。
ようやく夢が叶うって喜んでいたよ」
「……そっかぁ」
相変わらず、お父様お母様も愛が重たい件について。
俺よりも、もっと関係の深い関係者がもう1人出ているんですけどねぇ。
「大丈夫だ。シリウスも出るんだから、
世間はそちらの応援に来たんだと思ってくれるさ」
俺のため息の理由を察して、ルドルフがその関係者のことを言ってくるが、
違うんだ、そうじゃないんだよ。
確かに、シンボリとの関係が公になることは大いに困るが、
それ以上に、プレッシャーになるんだってことわかってますかね?
「……がんばらないとね」
「ああ、期待しているぞ」
目の前の皇帝陛下、あなたの言動も大概ですぞ。
いっそレース後まで秘密にしておいてくれたらよかったのに。
ホントそういうとこやぞ、陛下。
まったく、やれやれだ。
お二人に無様な姿をお見せするわけにはいかない。
けど睡眠不足にならないといいな?
『それでは第32回有馬記念、パドックに参ります。
ファン投票によって選ばれた優駿16人をご紹介いたしましょう!』
『グランプリの栄えある1番人気は、もちろんこの子、
無敗記録継続中の6戦6勝、2枠3番ファミーユリアンです』
係の案内に従って出て行って、いつものようにポーズを取る。
やっぱり1番人気なんだなあ。
いまだに信じられないよ。年末の大一番で、俺が1番人気だなんて。
『圧倒的な強さで今年のクラシック二冠を制しました。
今日も必殺の「幻惑」、そして逃げて差すが見られますでしょうか。
解説の○○さん、いかがですか?』
『程よく気合が乗っていて良い感じですね。
仕上がっていると見ていいかと思います』
『ジャパンカップを回避した影響はなさそうですか?』
『そうですね。万全を期しての回避ということでしたし、
調整は順調だったようですので、問題はないんじゃないでしょうか』
またジャパンカップの話をしてる……
もういい加減許してやれよ。
あれが今年のURAができる精一杯だったんだ。仕方なかったんだ。
惨憺たる結果を招いてしまった当事者の1人なだけに、複雑だけど。
なんてことを考えつつ、出番を終えて引っ込む。
『2番人気は、皐月賞ウマ娘サクラスターオーです。
前走菊花賞では、ファミーユリアンから離された2着。
彼女はどうですか?』
『これは、ものすごい仕上がりです。120%と言えるかもしれません』
『陣営からも、これまでで最高の出来、というコメントが出ていますね。
ファミーユリアンへ雪辱する気は満々といったところでしょうか』
『まさにそんな感じですね。
展開がはまれば、一発あるかもしれませんよ』
2番人気はやはりスターオーちゃんか。
解説が言っているように、今回の彼女、最高の仕上がりみたいなんだよね。
故障も癒えて、充分にトレーニングを積めた結果だって。
本人は至っていつものペースだったけど、内には秘めたるものを隠していそうで怖い。
菊花賞の時のような展開を想定しているが、どうだろうか。
解説が言う『一発』とは?
……まあいい。
スターオーちゃんがどう出てこようが、俺は俺の走りをするだけだ。
『13番人気、トウカイローマンです』
奇遇なことに、元クラスメイトにして現クラスメイトでもある、
オークスバ・ローマンの姿もあった。JCからの転戦である。
ルドルフの同期デビューなので、長い現役生活を送っている。
そんな彼女もこれがラストラン。
もはや完熟の域に達したお色気を見られなくなる世の中のオジサマ方は、
さぞかし残念がっていることだろう。
レース後は、ルドルフも含めて、何かやろうってことになっている。
それも含めて、がんばらなきゃいけないよね。
うし、行ってくるぜ!
『発走直前の人気が発表されました』
場内実況が、発走直前の人気投票の結果を伝える。
同時に、ターフビジョンにも大写しとなった。
『1番人気は、他を圧倒する支持を集めてファミーユリアンです。
2番人気はサクラスターオー。以下、ダイナアクトレス、
マックスビューティ、メリーナイスと続きます』
それだけで、リアンの勝利を期待する面々が歓声を上げている。
観客席は足の踏み場もないほどにごった返している状況。
そんな中、ゴール板前の特等席に、いつものメンツの姿があった。
ファミーユリアンファンクラブ一同である。
「いやールドルフちゃん、毎度毎度ありがとね!
君のおかげで、こうやって毎回ゴール前に陣取れるよ」
「いえ、たいしたことではありませんよ」
ファミーユリアンファンクラブの会長、通称『おっちゃん』。
隣にいるルドルフと親しげに話している。
リアン本人がブログ等でそのように呼称していたことから、
ファンの間ではすでに定着したものである。
クリスマスイベントでの飛び入り参加で知り合った2人は、
リアンのことなどを語り合っているうちに意気投合し、
いつのまにやら仲良くなっていた。
連絡先も交換しているので、ルドルフのプライベートナンバーを知る、
唯一の一般人ということになるのかもしれない。
ルドルフの手引きによって、関東圏の開催では、
ゴール前に集団で陣取ることができているというわけである。
今回はその輪の中に、ルドルフ自身も加わっていた。
ちなみに孤児院御一行は、今回は招待客として、貴賓席からの観戦だ。
「リアンちゃんは、何か言っていたかい?」
「特には何も。ですが皆さんお分かりのことかと思いますが、
リアンは特別表に出すタイプではありませんからね」
「だな。静かに燃えるというか、内に秘めるタイプだよな」
「それで痛い目に遭ったこともあるんですけどね」
本人ともどもね、と内心で苦笑するルドルフ。
つくづくあの件は痛かったなと思い返す。
しかしあれがなければ、自分の両親と知り合う機会もなかった。
無論、シンボリ家で援助を、なんて話もなかったことになるわけで、
あくまで結果論だが、よかったということになるんだろうか。
(今となっては、考えるだけ無駄ということだな)
内心が少し顔に出て、口角が少し上がってしまったところで、
ルドルフはそう結論付けた。
「先ほど控室に行って様子を見てきましたが、
いつもと変わらない調子のようでした。期待できますよ」
「そうか、何よりだな。
ライバルになるのは、やっぱりスターオーちゃんかな?」
「だと思います。パドックを見ましたが、
究極とすら思えるくらい最高の仕上がりなのは間違いありません。
急場しのぎだった前走よりは立ち向かえるでしょうね」
「やっぱりそうか。菊花賞のリベンジ狙ってんだな」
「ええ。普段から仲が良い分、余計にでしょうね」
おっちゃんの問いに頷くルドルフ。
誰がどう見ても、今回のスターオーは究極だった。
「動画で見たけど、2人は普段からあんな感じなのかい?」
「こっちが妬けてしまうくらい仲良しですよ。
学年を超えて、暇さえあれば一緒にいるような間柄ですね」
「はっは、そうかいそうかい。
お友達と仲が良くて安心だ。おっちゃん感激!」
何時しかのことを思い出して、再び苦笑するルドルフ。
私も若かったなと思うシンボリルドルフ、16歳である。
「しっかしそんな彼女たちのプライベートな姿、じかに見てえよなあ」
「あなたは十分リアンのプライベートに関わっているでしょう」
「違いねえ」
ファンクラブの会長なのだし、普段からちょくちょく
顔を合わせている人物から出てくるセリフではなかった。
ルドルフのツッコミに、おっちゃんは頭を掻く。
「ですが感謝祭の時ならば大歓迎です。お待ちしていますよ」
「そうだよなあ。なまじ近いと、出不精になっていけねえや」
すかさず、ルドルフは営業スマイルに切り替える。
ファンがトレセン学園内に入れる、唯一の機会だろう。
すぐ近くの商店街に居を構えているのだから、
行こうと思えばすぐに行けるはずだが、そうならないのは逆に近さゆえか。
「おっと、そろそろ発走だな。おらーリアンちゃんファンクラブ一同!
一層気合入れて応援すっぞ!」
「お~!」
「羽目は外しすぎないように」
会員に檄を飛ばすおっちゃんを見て、
目を細めつつ釘をさすルドルフだった。
中山2500mのスタート地点。
発走を待つウマ娘の中に、当然、彼女の姿もある。
(……私は6番人気か)
一昨年のクラシック二冠バ、シリウスシンボリ。
翌年の春の天皇賞も制して、G1を3勝している。
これは現役の中では最多だ。
(はっ、落ちたもんだ。あいつの眼中になかったのも当然か)
自嘲気味に笑うシリウス。
最近は勝利を挙げられていないため、人気が落ちるのは仕方ない。
だが、ある特定の人物にだけは、覚えていてもらいたかった。
実戦ではないとはいえ、1対1の勝負をした仲だというのに、
眼中にもないというのはあまりに薄情ではないか?
(思わず声をかけちまったが、正解だったな)
枠順抽選会の際。
すれ違う際に声をかけてしまったが、かけておいてよかった。
以降の彼女は、まるで違う生き物になったかのように、
それ以前の目つきとはまるで異なるものに変わっていたのだから。
(私の期待に応えてくれよ。……いや違うな。
私こそがあいつの決意に応えてやる番か。ふっ、やってやるぜ!)
遠巻きに聞こえてきたファンファーレをBGMに、
シリウスは颯爽とゲートへと向かった。
(リアン先輩……)
サクラスターオーが見つめる先には、発走に備えて、
準備運動をしているリアンの姿がある。
この夏から秋にかけて、身体的にも大きく成長した、入学前からの憧れの先輩。
それだけではなく、いつも親身になって接してくれて、
故障した際には、リハビリ施設まで紹介してくれた、優しく大恩のある先輩。
(きっと先輩はわたしのこと、かわいい後輩だって思ってくれてる。
でももう、それだけじゃ嫌なんです)
リアンの優しさに甘えてしまっていたことも多い。
もちろん優しくされるのもいいが、正直どっぷり浸かってしまいたいが、
それだけでは満足できない自分がいることにも気づいてしまった。
(前走では負けちゃいましたけど、今度は先輩に勝って、
先輩にわたしのこと『ライバル』だって、認めてもらうんだ)
菊花賞での敗北が、鮮明に思い出される。
絶対的に思えた、遥かかなた前方のあの姿。
あの背中に追いつきたい、追い越したい。
幸い、今日の自分は最高に調子が良い。
絶好調でもまだ足りない。生涯最高のコンディションだ。
いける。いや、やってみせる。
(改めて勝負です、リアン先輩っ!)
G1競走のファンファーレが、
サクラスターオーの闘志に火をつけていった。
ファンファーレ後、ゲート入りは順調に進んで、
あっという間に全員がゲートへと収まった。
一瞬の静寂が訪れる。
『第32回有馬記念、スタートしました! まずまず揃ったスタート。
大きな出遅れはありません。ファミーユリアン、ハナを切ります』
いつもの反応の良さで、当然のようにリアンが先頭を行く。
そして早くもここで異常発生。
『おっとメリーナイス転倒しました!』
何かに躓いたのか、メリーナイスが発走直後に転んでしまった。
無論バランスを保てるはずもなく、横倒しになってしまう。
史実でもスタート直後に落馬というアクシデントに見舞われたが、
それに沿ってしまった格好だ。
観客からは、大きなどよめきとわずかな悲鳴が漏れた。
『大丈夫でしょうか? 怪我がなければいいですが、レースは続行されます』
『ファミーユリアン早くも2バ身のリード。2番手レジェンドクイーン、
1バ身離れて3番手ミスブレンディ、さらに1バ身で昨年の覇者ダイナガリバー、
そしてダイナアクトレスのダイナ勢が続きます』
アクシデントの有無にかかわらずレースは続く。
リアンの後方は後続が等間隔で並んだ。早くも縦長になりそうな気配。
『2番人気サクラスターオーは後方、12、3番手くらいの内々を追走しています』
『1周目、ファミーユリアン先頭で直線に入ります。隊列落ち着きました。
2バ身差でレジェンドクイーン、さらに1バ身でダイナ2人、
シリウスシンボリ続いて5番手、少し離れてトウカイローマン6番手、
タレンティドガール、スダホーク、ジェイムスユウ、このあたり固まっています』
『客席からは大歓声が上がる。後方勢、サクラスターオーは変わらず12、3番手。
直後にメジロデュレンが付けます。カトリウイング、マックスビューティ並んでいます。
クシロキング最後方追走』
『前から後ろまで10バ身くらい。3番手以降は密集した態勢になった』
当初は縦長になるかと思われた展開だったが、
1コーナーに差し掛かるころになって、バ群がぎゅっと固まった。
実況はこれを、リアンの『罠』だと捉える。
『再びファミーユリアンの「幻惑」炸裂か? ペースはどうなんだ?』
しかし、実況がペースを判断できないあたり、すでにリアンの術中だった。
彼でさえこうだから、実際に走っている後続たちは、もっとそうだろう。
事実、このときの1000m通過は64.5秒。
G1、それも有馬記念ほどの大レースにしては、超弩級のスロー。
3000m級の長距離戦でも遅い、言うならば新馬戦クラスのペースだった。
しかし、そう感じさせないほどのイメージが、すでに先行していたのだ。
即ち、リアンの逃げ=ハイペースという、一種の刷り込み現象。
(……良い感じだ)
実際に、先頭を快走中のリアンは、内心でほくそ笑んでいた。
(今度はみんな必要以上に警戒してくるだろうから、
なんだったら今回は最初から超スローに落としてみようかって、
スーちゃんが言ってたけど……)
前走の菊花賞の、前半飛ばして中盤落とす、という印象が強烈過ぎたがために、
だったら最初からスローペースにしたら、周りが勝手に勘違いしてくれるのではないか。
――その通りになった。
(スーちゃん恐るべし)
私の担当トレーナーの眼力、戦術眼すごすぎ?
尊敬を通り越して、恐ろしさすら感じるほどである。
一応プランBとして、無理に逃げる子がいそうなら番手で控えるパターン。
プランCとして、それでも構わず一緒に逃げるパターンを想定していたが、
このまま当初の予定通りに進められる。
これならプランAのまま、後半にペースを上げられそうだ。
(
前半抑えて、後半爆発させる。
後方待機勢が考えていそうな青写真を、彼女は今、実現させようとしていた。
(……遅すぎやしねぇか)
(ペースが遅い)
一方で、その目論見に気付きかけた子が2人ほどいた。
リアンから3バ身ほど後方の6番手で1コーナーを回ったシリウスシンボリと、
そこからさらに3バ身ほど後ろの内に控えるサクラスターオーだ。
(なんで誰も競り掛けて行かねえんだ?
ちいっ、消極的な奴らばっかりで参るな)
(リアン先輩、相変わらずレースが
両者はそれぞれに展開について考え、それぞれに感想を覚えるが、
結局のところ、思いつくところは同じであった。
(リアンのやつが動くまでは、このままだな)
(先輩が動くまでは、このまま待機です。
見逃しませんよ、リアン先輩!)
レースは、残り1000m地点へと差し掛かる。
(……よし!)
最初に動いたのは、やはりリアンだった。
1000mのハロン棒を通過した直後、ペースを上げる。
『!? ファミーユリアン早くも動いたか? 後ろとの差が広がっていく!
後続は反応できないか? 3バ身、4バ身と開いた!』
突然の加速、それもこんなに早くと思ったのか、
2番手以降の子たちは咄嗟に反応できなかった。
あっという間にリアンとの差が開いていく。
(動きやがったな!?)
(っ……ついていくなら、今しかないっ!)
そんな中で、待ってましたとばかり、同様に動いたのもまたこの2人。
『シリウスシンボリも動いた。加速してファミーユリアンを追う。
そしてサクラスターオー、バ群を縫って上がってきた! 単独3番手に浮上!』
『3コーナーに入って、先頭ファミーユリアン。2番手2バ身差でシリウスシンボリ。
並んでサクラスターオー。その後方は5バ身以上開いた。
3人が完全に抜け出しました。勝負はこの3人に絞られたか!?』
ファミーユリアンを追う2人が、ここで内、外に並んだ。
(引っ込んでろ小娘!)
(リアン先輩に勝つのは、わたしです!)
レース中なので目こそ合わせないが、すでに火花バチバチの両者。
リアンに挑む前に、おまえこそ先に沈めてやると言わんばかりに、
激しく競り合いながら前を追った。
(……おかしい)
一方で、4コーナーへと向かう最中、ここまで順調に来ていたリアンに誤算が生じる。
(いったん離れた足音がまた大きくなった。
それも複数だ。どういう………っ!!?)
予定では、すでに後続の足音など聞こえないくらいに引き離しているはずだった。
しかし、いまだ聞こえてくるのはどういうわけだ?
それも1人のものではなく、最低でも2人以上のものだ。
疑問が生じ、思わず後方を確認したリアンの目に飛び込んできたのは、
信じられない光景だった。
「うおおおおっ!!」
「やああああっ!!」
怒涛の勢いで追い上げてきている2人の姿。
(シリウス! スターオーちゃん!?)
その必死の形相に、寒気すら感じられてしまう始末だ。
『ファミーユリアン思わず後方を確認した。振り返ったぞ!
どうなんだ? 予定の行動なのか? 初めて見せる仕草です!』
「っく……!?」
残り600のハロン棒を過ぎ、いつもならここで超前傾走法に切り替えるところであるが、
想定外の事態で焦ってしまったか、心のスイッチを上手く押せなかった。
(まずい、これじゃ差し切られる……!)
焦れば焦るほどうまくいかない。
向こうも必死なのはわかるが、こちらのほうがよっぽど必死だった。
「くそっ……!」
歯を食いしばり、力を振り絞って脚色を維持する。
そんな状況下で、レースは佳境を迎え、
中山の直線310mの攻防へと入った。
『ファミーユリアン必死に逃げるが、いつもの伸びが見られない!
どうしたファミーユリアン? ファミーユリアン、ピンチか!』
『並んだ! 3人が完全に並んで直線へと向いた!
内からファミーユリアン、真ん中シリウスシンボリ、外サクラスターオー!』
『三つ巴の叩き合い! かのジャパンカップの3人同着優勝を思い起こさせる戦いだ!』
観客から、歓声とも悲鳴とも取れる大音声が沸き起こる。
そんなことは、わざわざ実況に言われずとも、まだまだ記憶に新しいところ。
『さあ抜け出すのは誰だ!? 最後の坂、
年末のグランプリを制するのは誰だ!?』
3人共に全く譲らず、ゴール前の急坂へ。
と、ここで最初の脱落者が。
(……っち、ここまでか)
決して諦めたというわけではない。
わけではないが、もはや身体がついていかない。
さしものシリウスも、ここまで使った脚で限界だった。
「……認めてやるよ。おまえは、強い」
負けを認めつつ、シリウスは満足そうに笑みを浮かべた。
それと同時に、隊列から遅れて離れていく。
「大きくなりやがって……」
離れていく背中に向かって放たれた呟きは、
はたして物理的にか、それとも精神的なものか。
誰にも聞かれることはなかった。
『シリウスシンボリいっぱいになったか! 坂で遅れた!』
『ファミーユリアンとサクラスターオー、
身体をぴったり合わせて必死に追う! 最後は人気両者の争い!』
ゴール寸前。粘るリアン、もがくスターオー。
シリウスが後退して空いたスペースも、お互いに体を寄せて埋め、
タイマンの叩き合いになる。
最後は2人とも完全に足が上がる勢いで、それでもなお争うが……
『内か、外か!? わずかに外かぁー!?
2人並んでゴールインッ!!』
『どうでしょう……ほんのわずかに外、
サクラスターオーが出たかのように見えましたが……』
もつれあうようにゴール板を通過したが、若干、外側のほうが有利に見えた。
ターフビジョンに、スローで大映しになるゴールの瞬間。
大きなどよめきと共に、落胆のため息がその場を支配した。
『ああこれは、わずかに出てますね……。サクラスターオー勝ちました!
菊花賞の雪辱成る! 暮れの中山に桜が満開ですっ!
季節外れ、真冬の中山で、皐月に咲いた桜が再びまんか~いっ!』
『そしてファミーユリアンの連勝ついにストップゥ!
止めたのはクラシックを争ったサクラスターオーとなりましたぁ!
有馬記念の歴史の中に、「サクラ」の名が初めて刻まれます!』
『大きく離されましたが、転倒したメリーナイスもゴールしました。
全員完走です』
サクラスターオー勝利、ファミーユリアン敗北の現実がまだまだ受け止めきられない中、
転倒しつつも起き上がって最後まで走り切ったメリーナイスに、
観客たちからは大きな声援と拍手が送られていた。
第32回有馬記念 結果
1着 6 サクラスターオー 2:33.3
2着 3 ファミーユリアン アタマ
3着 16 シリウスシンボリ 2
「……はぁ……はぁ……」
ゴール板を通過後、すぐに足を止めた。
肩で大きく息をしながら、ターフビジョンで再生されている映像を見ている。
ゴールした瞬間にはわからなかったが、改めて見てみると、これは……負けてるな。
最後の一瞬、スターオーちゃんがぐいっと伸びたところがゴール。
……いや、違うな。
俺のほうが、最後の最後で失速してしまったんだ。
失速というか、根負けというか。
今回はそれだけ、スターオーちゃんの執念が強かったということだろう。
こういうところで日頃の行いというか、性根の差が出るんだろうな。
超前傾走法が不発に終わったのがでかすぎる。
いざ発動というタイミングで、予想外に真後ろにつかれてて焦りすぎてしまった。
反省するべき点と言えば、真っ先にそこ。
何はともあれ、スターオーちゃんが故障しなくてよかった。
それに比べれば、1度の敗北くらい――
「リアン先輩……」
「スターオーちゃん……」
ここでかけられた声に振り向いてみると、
なんだか困り顔というか、浮かない表情をしているスターオーちゃんがいた。
おいおい、なんて顔をしてるんだ。
勝者がそんな顔をしてたらいけないぞ。
「おめでとう、負けました」
「あ……」
菊花賞の時は彼女から認めてくれたから、今度は俺から言わないとな。
笑い掛けつつ、右手を差し出した。
「は、はいっ、ありがとうございましたっ!」
するとスターオーちゃんは、大慌てで両手で俺の手を取るのと同時に、
ぺこりと頭を下げた。
勝ったんだから、もう少し勝ち誇ってもいいんじゃないかな?
「ほら、お客さんに応えてあげなきゃ」
「で、でも今日はみなさん、先輩の勝利を望んでいたんでしょうし、
わたしなんかが出しゃばっていったりしたら……」
確かに彼女の言うとおり、圧倒的な1番人気だったから、
俺の応援をしてくれてた人が1番多いのは事実だろう。
だからといって、スターオーちゃんの勝利を祝福してくれないわけがない。
大丈夫、アニメ2期みたいなライスシャワー状態にはならないよ。
いや、俺がさせない。
「ほら」
「ぁ……」
彼女が取っていた手を逆に取り返して、彼女の右手を高く掲げさせた。
すると……
『うわああああっ!!!』
客席から大歓声が飛んできた。
スターオーちゃんの表情がみるみるほぐれていく。
「行っといで」
「はい、行ってきます! 先輩、また後でっ!」
俺にそう言うと、弾ける笑顔でスタンド前に向かって駆けていくスターオーちゃん。
2500mレースをした後だとは、とても思えない軽い足取りだった。
「………」
さてそれじゃ、敗者は潔く去るとしますか。
「ふぅ……」
ウイニングライブの前に、いったん控室に戻った。
息を吐きつつ、椅子へと腰掛ける。
スーちゃんは俺を出迎えるのもそこそこにして、二言目には控室へ直行するように指示。
初めての敗戦で、ナーバスになってるとか思わせちゃったかな?
あはは、気を遣わせちゃって申し訳ない。
つくづく不肖の担当で、すいませんねぇ。
その様子もマスコミにはバッチリ撮られてたけど、
後で色々聞かれそうだな。覚悟しておかないと。
「負けちゃいましたね」
「リアンちゃん」
「あそこで真後ろまで迫られてるとは思いませんでした。
焦ってしまって、いつもの走り方ができませんでした」
「リアンちゃん……」
「あはは、情けないですね。ちょっと突つかれただけでああなるなんて」
「もういいわ、少し黙りなさい」
「え? あ――」
そこまで愚痴ったところで、いつのまにやら正面までやってきたスーちゃん。
座ったままの俺を、自らの胸へと押し付けるようにして抱き締めた。
「貴女の悪い癖よ。そうやって自分を押し殺そうとするの」
「……そう見えますか?」
「ええ。悔しいときは悔しいって言っていいのよ。
泣きたいときは泣いたっていいの」
「………」
「負けて悔しくない?」
「……悔しいです」
「そうでしょう」
そりゃね、イエスかノーかで言えば、当然イエスになるよ。
でもだからって、感情を爆発させても、良いことなんて何も――
「安心したわ。逆にここで悔しくないだなんて言われたら、
あなたの正気を疑ってしまうもの」
「……」
「大丈夫。その気持ちがある限り、あなたはまだ戦える。
まだまだ走れる。たった1度の敗戦が何よ。
スターオーさんともまた戦って勝たないとね。
決してこれっきりというわけじゃないんだから、大丈夫よ」
モチーフ馬が顕彰入りしているスーちゃんだけど、
他の顕彰馬に比べて、敗戦が多くて顕彰馬には相応しくない、
なんて声も一部にはあるのも事実。
そんなスーちゃんにこんなことを言われてしまうと、
否が応でも、心にダイレクトアタックになってしまうじゃないですか。
ああ、あかんわ……
ほら、こういうところがウマ娘としての本能に忠実で……
……もうあかん。
「……ふええええ」
「よしよし」
言うまでもなく涙腺崩壊してしまう俺。
俺の頭を抱き寄せたまま、やさしくあやしくしてくれるスーちゃん。
このあとウイニングライブがあるんだから、
早く気持ちの整理をつけなきゃいけないのに、そう思えば思うほど、
とめどなく涙が溢れてきてしまう。
負けて悔し涙を流す日が来るなんてなあ。
ド底辺だのモブだのとわめていていたころが懐かしい。
「ふええええっ」
「よしよし」
結局、ライブの時間ぎりぎりまで、俺はスーちゃんに抱き締められていた。
スターオーが故障しなかった有馬の世界線。
その運命力には主人公といえども逆らえない……
仮にリアンが海外遠征する場合、初戦は何が良いですか?
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ドバイワールドカップ
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ドバイシーマクラシック
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ガネー賞(仏)
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クイーンエリザベス2世カップ(香港)
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アメリカ遠征