激励の声も多くいただきました。ありがとうございます。
『ゴール直後の悲劇!』
『サクラスターオー競走能力喪失!!』
『あまりに大きい勝利の代償!』
『日常生活への復帰すら困難か!?』
翌日の各新聞の1面に吹き荒れる不穏な見出しの嵐。
どれもこれも好き勝手に書いてくれているが、事実だけに居た堪れなくなる。
自分の敗戦よりも腹立たしいことこの上ない。
肝心のスターオーちゃんは、もちろん即入院して手術となった。
結果的には成功し、一時は歩行すらも危ぶまれたという話だけど、
上手くいけば歩けるようにはなるって聞いた。
歩行不能という最悪の事態だけは回避した格好だが、競走からの引退は免れそうにない。
運命とはここまで残酷なものなのか。
手術後しばらく面会謝絶の状態が続いていたが、このほど解除されたと連絡があった。
もちろんすぐにも飛んでいきたいところだったけど、
こちとら学生の身で、そのうえトレーニングもある。
サボってでも会いに行きたい気持ちはやまやまだったが、
そこまでして行っても、逆にスターオーちゃんに心配されてしまうのではと
思いとどまり、週末まで待ってからのお見舞いとなった。
「なんだか久しぶりに会うような気がしますね、リアン先輩」
病室で迎えてくれたスターオーちゃんの声は、意外と明るかった。
表情も暗くはなく、サッパリしている。
むしろ、憑き物が落ちたかとでも言うべきか。
天皇賞までのスターオーちゃんは、何かに取り憑かれていたかのごとく。
今にして思えば、目が普通じゃなかった。
顔色も悪くはない。無理しているという可能性もなくはないが、
これが今の彼女なんだと自分を言い聞かせることにする。
……そうでもしないと、胸が張り裂けてしまいそうだ。
枕元には、勝ち取った天皇盾が置かれてある。
きっとトレーナーさんが持ってきてくれたのだろう。
俺も手にしたからわかる、ずっしりと重く大きな盾だけど、
今は心なしか小さく、その色つやも陰って見えるから不思議だ。
「あれからすごく時間がたったような、そんな気さえします」
そう言って微笑むスターオーちゃん。
実際に会うのはレース以来だから、数日ぶりにはなるけど、
彼女が言っているのはそういうことではないよな。
俺も、なんだかすごい時間がたつのが遅い1週間だった気がするよ。
「これお見舞いの高級ニンジン詰め合わせ。後で食べてね」
天皇賞前までの拒絶するような気配は消え去っていたので、
安心して声をかけることができた。
変わっていなかったらどうしようかと思ってたよ。
「ありがとうございます、いただきます。座ってください」
「うん」
持ってきたニンジンセットを渡して、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
改めて、ベッドの上のスターオーちゃんを見てみる。
言うまでもなく、手術直後の左足は固定されているようで、
絶対安静という状態のよう。
怪我の具合としては、俺よりもさらに数段悪いんだろうし、
なかなか心に来るものがある。
俺も、競技への復帰は難しいかもとは思ったけど、
スターオーちゃんほどではなかった。
……いかんな。少しでも気を抜くと、目頭が熱くなってしまいそうだ。
「まずは、謝らないといけませんね」
何を話したらいいかと迷っていると、彼女のほうから切り出してきた。
「春の天皇賞と宝塚記念での敗戦で、改めて、
先輩との力の差を思い知らされてしまったんです。
特に宝塚では、先輩の影すら踏めませんでした」
彼女にとって、初の二桁着順という大敗だった宝塚。
様子がおかしくなったのはそのあとからだから、直接のきっかけなのは間違いない。
「だからわたし、思ったんです。
このままじゃ永遠に先輩には敵わない。
先輩の隣に立っている資格すらない、って」
「そんなことあるわけ――」
「そうですよね、先輩ならそう言ってくれると思ってました」
資格って何だよ。
スターオーちゃんでダメなら、俺の側には誰も立てなくなっちゃうぞ。
思わず反論しかけるが、ニッコリ笑顔の彼女に制されてしまった。
「先輩の優しさに甘えてしまうのも良かった。
ですけど、そんな甘ちゃんな自分はもう嫌だったんです。
もうこれ以上、先輩に甘えるのはやめようって、そう思いました」
「……だから、距離を取ろうと?」
「はい」
「………」
なんて言ったらいいかな……
ちょっと極論過ぎないか、スターオーちゃんよ……
確かに理解はできるけど、そこまで覚悟決めなくてもいいんじゃないというか。
……いや、勝負の世界だから厳しいことは重々承知しているけれども、
交友関係を断つところまで自分を追い込む必要があったか?
……あったんだろうなあ。
俺なんかの思考では、到底追いつけないほどのものが。
「何が何でも次は先輩に勝つ。
そう思ったからこそだったんですが……」
何が何でも……か。
確かにレース前のあの気迫は、鬼気迫るものがあった。
思わず身震いしてしまって、集中できずに出遅れちゃったくらいだから。
そういえば、スターオーちゃんが俺に憧れてくれたのも、
例のリハビリ動画をたまたま見つけてハマって、
他の動画も探し回って食い入るように見てたってことだったよな。
この子、これと決めると頑として譲らないというか、
思い込んだら一直線みたいなところがあるんだよなあ。
長所でもあるし短所でもある。
今回は全部マイナス方向へ振れてしまったかぁ。
「先輩には、色々と気を遣わせてしまったようですね。
レースの結果的にも、勝てたとはいえ、この体たらくですし」
まあ、うん。
ことごとくお断りされてしまったからなあ。
「改めまして、申し訳ありませんでした。
数々の無礼非礼、お詫び申し上げます」
「もういいよ。そんなことよりも大切なことがあるよ」
そう言って深々と頭を下げるスターオーちゃん。
ベッド上で上体を起こしている格好だから、
90度というわけにはいかないけど、今の彼女にできる最大限の謝罪だった。
もちろん受け入れないわけがない。
「やっぱり先輩は優しいですね」
頭を上げたスターオーちゃんは、そう言って自虐気味に笑う。
「トレーナーさんにも無理を強いてしまいました。
半ば無理やりわたしのわがままに付き合わせてしまいましたからね」
俺も何度か顔を合わせたことがあるから、わかる。
人当たりの良いやさしそうな人だからなあ。
ぜひともと頼み込まれては、断り切れなかったんだろう。
彼もきっと、本心ではこんなことはしたくなかったんだと思う。
「契約解除しても構いませんって言ったら、逆に怒られてしまいました。
それでは怪我したからって見捨てたみたいに言われるって。
逆効果にしかならないし、そんなつもりもないって。
確かにトレーナーさんの仰る通りだなって」
自虐度合いがさらに増していく。
「わたしってば、つくづくダメな子ですね。
やることなすこと全部、悪いほうへ行っちゃって……」
「そんなことないよ」
「いいんです。自分が1番よくわかってますから」
一部には、故障するほどの過酷なトレーニングを強いた、
として彼を非難する声も上がっているというが、
術後のスターオーちゃん自身が即座に出したコメントで否定したことで、
世間的には落ち着きを見せている。
スターオーちゃん自身の希望だったことが何より。
だがそれでも、トレーナーとして、1人の大人として、
少女の暴走を止めるべきだったという批判もあるにはあった。
いずにせよ、一概に言い切れることではない。
無関係の外野ならばなおさらだ。
それはともかく、俺も君に謝らないといけないことがあったんだった。
「私もスターオーちゃんに謝らないとね」
「リアン先輩が、わたしに?」
「うん。出遅れちゃって、ごめんね」
100%の力を出し切った真剣勝負ができたかと言えば、疑問符がついてしまう。
もしかしたら、スターオーちゃんと一緒に走るレースは
あれが最後になるかもしれないと思うと、謝らずにはいられなかった。
「出遅れ? そう言われてみれば、
前にいるかと思っていた先輩がいませんでしたね」
虚を衝かれたような感じのスターオーちゃん。
今の今まで気付いてなかったんかーい。
「映像は見てませんし、レース中のことは正直、そこまで覚えてなくて……
気が付いたらゴールしていて、足に激痛が走ったと思ったら、
先輩に抱きかかえられていて……」
「あ、ああいい、思い出さなくていいから」
「す、すいません」
みるみる青くなっていくスターオーちゃんの顔。
慌ててやめさせた。
つらい記憶を無理に思い起こすことはない。
「でも先輩が謝る必要はないじゃないですか。
出遅れなんて誰にでも起こりうることですし、
結果論になってしまいますよ」
「そうなんだけどね……」
理由が理由だけになあ。
気になっちゃって仕方なかったのよ。
「発走前のスターオーちゃんの様子すごかったから、
妙に気圧されちゃってね……
そのせいか、心が落ち着かなくなっちゃってさあ。
いや、あくまで集中保てなかった私が悪いんだけどね」
「……そうだったんですね」
茶化すつもりで言ったんだけど、スターオーちゃんはショックを受けている様子。
いや、事実は事実なんだけど、そこまで責任感じなくても――
「重ね重ね、申し訳ありません」
再び頭を下げるスターオーちゃん。
改めて、俺のパフォーマンスにまで影響を及ぼしてしまっていたことに気付いて、
愕然としているようだった。
「……すべて自業自得ですね。
先輩と一緒に逃げられる、最初で最後のチャンスを自分で潰したと」
「え」
そ、そうなの?
俺が出遅れたから、咄嗟の作戦変更で大逃げしたんじゃないのか?
「この際だから白状します。
先輩と一緒に逃げて、文字通りの直接対決するつもりだったんです。
そのために色々と鍛えたんですから」
そうだったのか……
懸念のひとつに、俺が出遅れたから大逃げに変更して、
無理がたたった結果の故障だったんじゃないかというのがあったんだが、
深読みしすぎていたようだ。
しかしまあ、自身の脚質を無視してまでとは。
そこまでするとはなあ。
「まともにぶつかっては勝てないって、思い知らされましたから。
それに……」
「それに?」
「……メジロフルマーさんが羨ましかったですし」
「……え?」
いまなんて?
よく聞き取れなかった。
「や、やっぱりなんでもないです!」
「あ、うん」
自分で言っておいて自分で否定するスターオーちゃん。
心なしか顔が赤くなっているような気がするけど、大丈夫か?
「もう1度謝罪させてください。本当にすいませんでした」
「わかった。もういいから、これで水に流そう」
「はい……」
気を取り直したスターオーちゃんが、3度頭を下げる。
ここまでしてもらえたんだから、もうこれで手打ちにしよう。
手痛すぎる報いも受けているんだから。
「次のジャパンカップだけどさ」
「今年の凱旋門賞を勝ったトニービンさん、来るって話ですよ」
「そうみたいだね」
話が一段落したところで、重くなった空気を換えるために話題も変える。
ジャパンカップ最大の目玉は、今年の凱旋門賞を制したトニービン。
史実と同様にこっちでも参戦を表明していて、出走してくるのが確実だ。
他にも、史実の勝者アメリカのペイザバトラー、
イギリスなどでG1・2勝の強豪ムーンマッドネスなどが招待を受諾、
来日の予定である。
すでに来日して、ステップとして富士ステークスを使い、
勝った子すらいるのが現状だ。
「強敵ですけど、負けないでくださいね?」
「もちろん」
スターオーちゃんの応援に、力強く頷いて見せる。
嫌われたんじゃないってわかった以上は、これ以上の励ましはないよ。
「私の2回の敗戦は、どっちもスターオーちゃんだからね。
この先これ以上、先着を許す気はないよ。ましてや君以外にはね」
「わたしなんかには過分なお言葉ありがとうございます。
わたしが言うのもなんですけど、そう願っています」
そう言うと、わずかではあるが笑みを見せてくれた。
しかし不意にその表情に影が差す。
瞬間的に、これはまずいと思った。
「あの、リアン先――」
「ところでスターオーちゃん、何かしてほしいことない?」
「……あ、はい、そうですね……」
「今なら出血大サービスで何でもやっちゃうよ!」
無理やり遮って話を変える。
ここで彼女に主導権を渡したら、
取り返しのつかないことになりそうな気がして。
「ほらほら、何でも言ってごらん!」
「あはは……どうしようかな」
強引な俺の態度に困って苦笑するスターオーちゃん。
でもそれだけはダメだ。自分で口にしてしまったが最後、
本当に何もないもぬけの殻になってしまうよ。
気持ちの整理が大変だろうけど、決して諦めないで頑張ってほしい。
手前勝手だと思われようと何だろうと、切実にそう願う。
結局この日のこれ以降は、その目的のために奔走することになった。
「よし、今日はこれで上がりね」
「はい」
ジャパンカップまでの中間トレーニング。
とはいえ期間がそこまであるわけじゃないから、
できることには限りがあると思うけど。
「先週までとは見違える動きね」
スーちゃんが驚いている。
「何があった、なんて聞くだけ野暮かしらね?」
「はあ」
そして、これでもかというくらい苦笑した。
まあ、はい。
自分でも驚くというか、非常に現金だとは思うんですけど、
やっぱりメンタル面ってのは大きいんだなあと。
「とにかく、今度は負けられないからね。
これまで以上に気合入れていくわよ」
「はい」
言われるまでもない。
トニービンをはじめとする海外のウマ娘たち、
大和魂を見せてやるから、首洗って待っとけよ!
ジャパンカップ、レース2日前の金曜日。
「やあやあスターオーちゃん、調子はどうかね?」
「リアン先輩、いらっしゃい」
ダービー時のルドルフが俺を見舞ってくれた時のように、
俺は再度、スターオーちゃんのお見舞いにやってきた。
スターオーちゃんは笑顔で迎えてくれつつも、
少々の申し訳なさを感じさせる表情。
「本当に良かったんですか?
レース直前にわざわざ来ていただかなくても」
「これくらいなら訳ないよ。打算がないわけじゃないし」
「打算?」
「どこぞの皇帝陛下も、ダービーの時にやってくれて、圧勝したからね。
それにあやかろうってわけさ」
「へえ!」
首を傾げるスターオーちゃんに説明してあげると、彼女は目を輝かせた。
当時にして、ネットに上がっている俺関連の動画をすべて見たと豪語した彼女だ。
それくらいの事実関係は既に把握していることだろう。
もはや詳しく言う必要もないくらいに、俺のことをわかっている。
たぶん、ルドルフが皐月の勝利インタビューで言った友人というのも、
俺だって気付いてるんじゃないかな?
「そうだったんですね。先輩と会長の絆、さすがです」
「それほどでも。あ、座っていいかな?」
「どうぞどうぞ」
スターオーちゃんの状態は、一進一退というところか。
まずは怪我自体が良くならないと話にならないし、
リハビリ云々はまだまだ先の話だ。
この前のお見舞いの時に、ソレを言わせないよう仕向けた甲斐もあって、
今のところ彼女自身の口から確かな言葉が出たわけじゃないし、
今日はそんな気配もしなかった。彼女もまだ諦めてはいないということを信じたい。
それを信じて、ジャパンカップを走るだけだ。
そして、勝つ。
欧州、北米、豪州から10人のウマ娘が来日参戦し、
『四大陸決戦』とも称されし第8回ジャパンカップ。
枠順抽選の結果、俺は3枠5番になった。
他の有力バたちは、
1枠2番スズパレード、3枠6番トニービン、4枠8番シリウスシンボリ、
8枠15番ムーンマッドネス、8枠16番ペイザバトラー。
奇しくもトニービンとお隣さん、同じ枠に同居することに。
垂れ目で赤毛の縦巻きロールの可憐なお嬢さんだが、
軍服のような制服を着ていることもあって、威圧感がすごい。
さすが欧州王者という感じだ。
抽選後の記者会見でも、まだ10代の少女とは思えない、
冷たいくらいの威厳を発揮して、日本の記者たちをビビらせていた。
「1番のライバルは誰ですか?」
という質問に対し、トニービンは事もあろうに
「Vorrei dire al mio amico Moon Madness、
non è quello che vuoi sentire?
È il numero 5 del mio vicino」
と発言。
ちょっと小馬鹿にしたような鼻で笑った感じで言った。
イタリア語だろうから、言った瞬間は何とも思わなかったが、
翻訳を聞いて俺もカチンと来たね。
『友人であるムーンマッドネスと言いたいところだが、
諸君が聞きたいのはそういうことではないだろう?
お隣さんの5番だ』
一緒に来日して気心も知れている彼女だと思っているが、
日本の記者の心情を察して、わざわざ言い換えたわけだ。
5番、つまり俺だと。
名前を言わずに枠番で言ったところに、欧州王者たる自負が垣間見えるが、
そこまで言うんだったら名前出してくれよな~と思ったわけである。
前走2敗目を喫したとはいえ、これでも一応G1・4勝の、
今の日本では1番だという思いが芽生えていたわけで、
そんなちっぽけなプライドを刺激されたというわけで。
まあこの時代のあちらさんのトップとしては、
辺境の片田舎で走っているウマ娘のことなんざ、どうでもいいんだろうね。
というか、リップサービスで口に出すくらいなら、そっとしておいてくれ。
「ファミーユリアンさん!
トニービンさんからライバル宣言がなされましたが、どうですか!?」
ほら、案の定飛び火してきた。
記者さんたち、実に嬉々としている。
待ち望んでいた返答だったんだろうな。
……勘弁してくれ。
レースを目前にして、余計な火種を放りこまないでくれよ。
というか、会見に参加している日本のウマ娘が俺だけって、どういうこと?
他5人はみんな海外勢だよ?
スターオーちゃんが出られていたら……
助けてシリウス!
……ダメだ。
裏でほくそ笑んでいる様子しか思い浮かばんかった。
「彼女ほどのウマ娘から見込まれているのは光栄に思います」
「勝てますか? 欧州王者に」
ここでそれを聞いてくるか。
レースを見てくれとしか言えないんだがなあ。
それに、負けられない理由がある。
「負けません。負けられない理由があります」
「その理由を窺っても?」
「今はまだ言えません。レース後にお話しします」
「そこをなんとか」
「お願いします!」
しつこい記者たちだな。
いつになく粘着だ。本当に勘弁してほしい。
すると……
「Vincerò e basta,solo questo le dico」
隣席から、そのような声が差し込まれた。
無論トニービンから発せられたものだ。
すぐさま翻訳されて皆に示される。
『勝って示す、それだけだ』
周囲が騒然とする中、彼女はただ無表情で佇んでいる。
もしかして、助け舟を出してくれた?
いや、単に記者連中がウザかっただけかもしれない。
自惚れるのはやめておきたいが、お礼は言っておくかな。
ええと……
「グラッチェ」
「……hh」
彼女は目を閉じ、小さく笑うだけだった。
『四大陸決戦、第8回ジャパンカップ、パドックに参ります!』
『1番人気は我らが日本代表! 3枠5番ファミーユリアンです。
前走、秋の天皇賞では出遅れて不覚を取りましたが、
それでもサクラスターオーにあと一歩まで迫りました。
さあどうでしょうか?』
『完全に復調したようですね。本来の出来に戻りました』
引き続き懸念されていた状態は、天皇賞後に大きく改善した。
むしろ以前よりも調子が良いであろうことは、
追切で出したタイムからも一目瞭然であった。
『おや? 懐から何かを取り出しました』
リアンは懐から、隠し持っていたであろうものを取り出し、
皆に示して見せている。
『あれは……どうやら薄桃色の細長い、布状のもののようですが……』
『ファミーユリアン、ヘッドドレスを外して頭に巻きつけました。
あれはいったいなんでしょうか?』
『ただの鉢巻き、とは思えませんが……』
すべての人に対して見せつけるようにして示し終えると、
リアンはいつもの黒いヘッドドレスを外し、
桃色の細長い布状のものを、鉢巻きのようにして自身の頭に巻きつけた。
『情報が入りました。あれはサクラスターオーの勝負服の一部です。
スターオーが故障した左足に巻いていたリボンだということです』
『なるほど、スターオーの……
スターオーと共に走る、ということですね。
今日は彼女のために走る、との決意表明でしょうか』
『なんと、なんと美しき友情でしょうか!』
情報が入ったところで、実況も解説も思わず唸ってしまう。
2人の関係性を知らないものなどおらず、その意味が分からないものもまたいない。
現に、それを聞いた観客たちも、一斉にどよめきを上げていた。
同時刻、入院中のスターオーは――
「……リアン先輩、いつのまに」
テレビに映し出された光景に、我が目を疑っていた。
無理もない。前々日に見舞いを受けたときにも、
もちろん口にしなかったし、そんなことは微塵も感じさせなかった。
それもそのはずで、これはリアンが彼女に内緒で用意したものであり、
スターオーのトレーナーに頼み込んで実現させたものであった。
「……っ」
彼女自身の大切な勝負服であるから、気付かないわけはない。
説明する声が聞こえてくるよりも前に気付いていた。
思わず熱くなった目頭をぬぐうスターオー。
そして潤んだ瞳を、再び画面上のリアンへと向けた。
「ご健闘を……」
正面スタンド前の発走地点。
ゲートを前にして招集を待っている。
スターオーちゃんは喜んでくれたかな?
それとも、無断でそんなことするなって怒っているかな?
お叱りは甘んじて受けよう。
勝利に免じて許してもらうしかない。
勝てなかったら?
うん、それは今は考えなくてもいいかな、うん。
すべては結果が出てからだ。
「………」
それよりも、なんかめっちゃ視線を感じる……
突き刺さってきてる……
「………」
「……!」
その視線の主が、何を思ったか歩み寄ってきて、すぐ隣に立った。
いかん、平常心平常心……動揺を悟られては負けだ。
にしても、でっかいなあ。
横目でちらっと確認しただけだけど、頭ひとつ分はでかい。
180センチくらいはあるのではなかろうか。
俺も成長して160超えたんだけどねぇ。
さすがは海外ウマ娘。
これほどでっかいウマ娘に会うのは、グリーングラスさん以来だ。
まあアメリカから来てるのには、もっとでっかいのがいるんだけどね。
「Ti mostrerò quanto è grande il mondo」(世界の広さを知ることになる)
「……」
そんな彼女が何事かを呟いた。
イタリア語なんで当然わからない。
さあなんて返したものだろう?
それとも、ただの独り言だったとかのオチか?
そうだとしたら返答するのも変だしなあ。
スぺちゃんみたいに『調子に乗んな』って返すべき?
いや、あれはフランス語だったな。
そもそもなんて言うのか覚えてないし。
でもなんかニュアンス的に挑発されたような気がするから、
受けて立つ的なことを言っておこうか。
「I wish」
俺も独り言を装って英語で呟いた。
すると、トニービンは
「……hh」
記者会見のときみたいに軽く笑みを漏らしてから、
一足先にゲートへ向けて歩いて行った。
はたして、伝わったのか、伝わらなかったのか。
満足したのか、しなかったのか。
さて、ぼちぼち時間だ。
俺もゲートへ向かうとしますかね。
『第8回ジャパンカップ、全ウマ娘ゲート入り完了。
スタートしました!』
『前走出遅れたファミーユリアン、今回は万全の好スタート!
いつもの調子でぐんぐん飛ばしていきます』
リアンが好スタートを切っただけで大歓声が上がる。
前走の出遅れがいかにショッキングだったがわかるだろう。
『1コーナーを回って、ファミーユリアン早くも5バ身以上のリード。
2番手メジロデュレンが付けました。3番手フリーラン、
イギリスバのシェイディハイツ並んでいる』
『向こう正面に入ってファミーユリアン飛ばす飛ばす!
メジロデュレンとはもう既に10バ身は開いています』
『2番手シェイディハイツが上がった。その後ろペイザバトラー、
マイビッグボーイ、フリーラン付けています。
2番人気の凱旋門賞バ・トニービンは中団7、8番手くらいだ』
まだまだ記憶に新しい、
1ヶ月前のサクラスターオーを思い起こさせる、リアンの大逃げ。
観客たちからは再びの大歓声が上がる。
『まもなく1000mを通過。58秒4! これはハイペースになりました』
2400m戦で、2000mでも早いくらいのペース。
これはリアンにしてみても未知の領域だった。
『縦長になっています。カメラがこれだけ引いても、
全員収まり切りません!』
3コーナーに近づいていくにつれ、隊列が長く伸びていく。
2番手シェイディハイツがこれはまずいと見たか上がっていくものの、
その差は明らかであった。
『快調に飛ばすファミーユリアン、リードを保ったまま直線へ。
これはどれだけ離していますか、20バ身はあります』
『このまま逃げ切れるかどうか。さあ直線へ向いた』
『ファミーユリアン逃げる逃げる! 差は詰まらない!
トニービンどうした!? バ群をさばいてようやく上がってきた!』
『いやしかしトニービン伸びない! 脚が止まった!』
1人リアンが坂を駆け上がったころ、
トニービンがようやくバ群から抜け出しかけたが、
そこでぱったりと脚が止まってしまった。
『代わってシリウスシンボリ大外から突っ込んできた!
並んでムーンマッドネスもやってくる!
バ場の中ほどからはペイザバトラー抜け出してくる!』
『しかしファミーユリアンもはやこれは安全圏だ。
2400で負けるわけにはいきません。日本レコードホルダーの意地!』
200を過ぎた段階で、誰の目にも明らかなセーフティリード。
後続よりもむしろ脚色が良いのだから。
『ファミーユリアン堂々の逃げ切り!
凱旋門賞バを歯牙にもかけずに逃げ切った~!』
レースはそのまま、リードを保ってリアンが先頭でゴール。
2着にアメリカのペイザバトラー、3着にはシリウスシンボリが入った。
『勝ち時計、な、なんと2分22秒2!
春の天皇賞に続いて、とんでもないレコードが飛び出しました!』
『従来の自身が持つレコードを2秒半も更新です!
これは世界レコードとの情報が飛び込んできました。
凱旋門賞バを破っての世界レコードを樹立!』
『まさに日本が世界に誇れるウマ娘、ファミーユリアンですっ!』
場内実況をも搔き消さんばかりの大歓声。
『リ・ア・ンっ! リ・ア・ンっ!』
そして始まるリアンコール。
それは、リアンがスタンド前に戻ってきて、
手を振って応えても衰えるどころか、膨れ上がるばかりであった。
正面スタンド前に戻って、お客さんたちの声援に応えていると
「FamilleLien」
名前を呼ばれたので振り返ってみる。
なんかイントネーションが日本語と違うと思ったら、案の定で。
「あ、トニービンさん……」
トニービンがそこにいた。
史実では5着に敗れていたが、掲示板を見る限り、
こちらでも同じ5着だったようだな。
「Congratulazioni. Rendere omaggio al vincitore」
(おめでとう。勝者には賛辞を)
また何事かイタリア語で言ってるけど、祝福してくれてるんだよな?
右手を差し出してきてるし、そうだよな?
「えっと、グラッチェ」
表情も柔らかいので、安心してこちらからも礼を言い、手を取った。
「……」
「……? えっと?」
「Sei forte. Dovresti uscire nel mondo」
(君は強い。世界に出るべきだ)
「……???」
握手して手を離そうとしたところ、ギュッと握られて離してくれない。
不審に思って彼女のほうを見上げたら、真剣な眼差しになってまた何か言うんだ。
だからイタリア語じゃわからんってばよ。
せめて英語にしてもらえませんかね?
いや、英語でも聞き取れるとは限らんけども。
「Ah~……」
すると状況を察したのか、トニービンは少し考えてから
「You are very very strong, should go out into the world」
「……!」
こんなことを言うんだ。
今年初めから始めていたス〇ードラーニングの効果が出てくれたか、
非常にわかりやすい英語だったし、ゆっくり喋ってくれたから、
さすがにわかったよ。
「The world is waiting for you. They are sure to welcome you」
(世界は君を待っている。きっと歓迎してくれる)
「あー……」
記者会見時の冷たい表情とは一変して、柔らかく微笑んできてくれる彼女。
今度こそ答えに困っちゃったなこれは……
さて、なんて答えたものだろう?
「I still have something to do in Japan,
so I will go after that」
(まだ日本でやることがあるから、それからかな)
将来的には、ルドルフの夢を継いで、
世界に出ることもやぶさかではないというか。
実績を挙げていけば、当然そういう声も大きくなっていくだろうしさ。
もちろん実力が伴ってこその話だけど、
今はまだ、そのつもりはないんだ。ごめんね。
「Well, waiting for you」
(そうか、待っているよ)
俺の返答に、トニービンは笑顔のまま、そう答えてくれた。
そして手を離し、踵を返して引き上げようと――
っちょ、トニービンあんた!
「待っ……Wait!」
咄嗟にトニービンを引き留めた。
だって彼女、足を引きずってる。
史実でも骨折してたんだっけか、忘れてたぜ。
「救護班! 来てくださいっ!」
俺は慌てて、係の人を呼んだ。
第8回ジャパンカップ 結果
1着 5 ファミーユリアン 2:22.2R
2着 16 ペイザバトラー 8
3着 8 シリウスシンボリ 1
4着 7 マイビッグボーイ アタマ
5着 6 トニービン 1/2
6着 15 ムーンマッドネス クビ
12.9-11.1-11.5-11.4-11.5-12.4-12.4-12.2-12.1-11.8-11.4-11.5
4F46.8 1000m 58.4
3F34.7
「見事世界レコードでジャパンカップを制しました、
ファミーユリアンさんにお越しいただきました。
おめでとうございます」
「ありがとうございます」
恒例の勝利ウマ娘インタビューを受ける。
平静を装いつつも、ダービーの時と同様に言いたいことがあったので、
実は内心ドキドキしつつの受け答えだ。
上手いことタイミングを見計らわないと。
「圧勝でした。いかがですか?」
「はい、前走で不甲斐ないところをお見せしてしまいましたから、
今回ばかりは一層気合を入れて走りました」
出遅れの件もそうだし、言いたいことのためにも、な。
「世界レコードです」
「ええ、はい。まあ時計は二の次の話ですから」
ホーリックスがオグリと競って出したタイムと同じだな。
史実的には1年早いのか?
まあオグリ世代がまだ未登場なんで、もう史実なんだのは関係ないか。
それにしても偶然とは恐ろしい。
狙ったわけじゃないからね? 本当だよ?
「凱旋門賞バのトニービンさんの動向は、気になりましたか?」
「事前という意味なら少し。スタートしてからなら全く。
毎回そうですが、私は私のレースをするだけですから」
「そのトニービンさんと、レース後、何か話していましたね?」
「えっと、最初イタリア語で言われたので、全くわからなかったんですけれども。
気を遣ってもらったのか、英語で言い換えてもらえたので少しは、はい」
「差し障りなければ、お聞かせ願えませんか?」
「ええと、世界が待ってるよって言われました」
「!!」
世界が、と言った途端、周りの目の色が変わった。
世界制覇は日本の悲願だからね、仕方ないね。
「あの欧州王者に認められたと、そう受け取ってよろしいですか?」
「さあ、それは彼女に聞いてください」
それは俺から言うことじゃないし、言えることじゃない。
社交辞令だって可能性もなくはないし。
さて、ここらがタイミングかな?
「すいません、私からお話があります。構いませんか?」
「あ、はい」
そう切り出し、了承を得た。
よし。すー、はー……
心の準備をしてからじゃないと、俺のほうが泣いてしまいそうだからな。
……よし。
「この勝利を、サクラスターオーさんに捧げます」
「……」
再び、場の空気が変わった。
先ほどとは違って、重苦しいものが下りてくるが、構わずに続けた。
「復帰は難しいと聞いていますが、私は必ず復帰できると信じています。
スターオーちゃん、見てますか? 私は……」
……いかん。
準備はしたというのに、涙腺が崩壊しそうだ。
何かが込み上げてきて言葉に詰まってしまった。
必死になって堪え、視線を上げて涙が零れないようにしつつも、
どうにか最後まで言い切る。
「……私は、待ってます。……っ」
ダメだ、言い切った途端、堰が決壊してしまった。
涙がとめどなく溢れてきて、もう言葉が出てこない。
インタビューなど、到底続けられる状態ではなかった。
「すいません、ここまでで」
「は、はい。ファミーユリアンさんでした……」
察したスーちゃんが割って入ってきて、インタビューは強制終了となった。
同時刻、スターオーは……
「っ……リアン先輩……っ……!」
リアンと同様、目元を手で覆って泣き崩れていた。
テレビの番組はもうレース回顧へと移っているが、
それでも視線は外さずに、画面をきっちりと見つめたままで。
「はい……はいっ……きっと、復帰、っ……しますから……」
引退に傾いていた気持ちは、大逆転で復帰へと振り切れた。
「決して諦めません……きっと……必ず……!」
そして、最後にはそう言い切った。
魂の大逃げリアン、
世界レコードの圧勝でスターオーの不屈を促す
仮にリアンが海外遠征する場合、初戦は何が良いですか?
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ドバイワールドカップ
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ドバイシーマクラシック
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ガネー賞(仏)
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クイーンエリザベス2世カップ(香港)
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アメリカ遠征