宝塚記念が終了し、日本のレース界はいったん落ち着いた。
これからは夏のレースが始まり、
一線級の者たちの多くは、秋に備えて休養するか、
さらなる力をつけるための特訓に励むことになる。
まずは、中央に移籍後、無敵の4連勝。
それも、クラシック級でありながら、シニア級のG1を連覇という、
まさに前人未踏の成績を挙げたオグリキャップ。
「来たぞ、トレーナー」
「ああ、おつかれさん」
宝塚制覇後、ご褒美と休養を兼ねて、
1週間の充電期間を取った後、トレーナー室に顔を出したオグリ。
2人が直接顔を合わせるのも1週間ぶりになる。
「座ってくれ」
「うん」
出迎えたトレーナーが、まずは席に着くよう促す。
オグリは軽く頷くと、促されるままにソファへと腰を下ろし、
テーブルを挟んだ対面にトレーナーも座った。
「早速だが本題に入ろうか。考えてきたか?」
「ああ」
「それで、おまえさんはどうしたい?」
「とにかくレースに出たい」
「……まあ待て。早まるな」
オグリの意見を聞いたトレーナーは、思わず天を仰いだ。
1週間の期間を設けたのは、単なる休養のためだけだというわけではない。
宝塚記念を制し、ある意味、日本の頂点に立ったと言っていい。
そんな状況下で、今後どうするのか、ゆっくり考えてこいと宿題を出した。
そこまでお膳立てしてやっての結論がこれか?
少なくとも、真顔で言うことではなかった。
「疲れは取れたのか?」
「ああ、問題ない」
「そうか」
想定外の返答に少々呆れつつ、別の質問をする。
頷いてはみたものの、この春シーズンの激戦の疲れが、
このわずかな期間で完全に取れるはずもない。
「なあ、オグリよ」
今はまだ表面化していないが、彼が見たところ、
本質的にそこまで丈夫なタイプではないことも、
呆れ具合に拍車をかけている。
ひとつ、小さく息を吐き出してから、
改めてオグリに声をかけた。
「地方上がりだとあえて言うが、とにかく走って勝ちたいっていう、
そんなおまえさんの気持ちもわからんではない。
だがな? おまえさんも、意識を変えなきゃいかんぞ」
「? どういうことだ?」
「今のおまえさんが世間でどういう扱いになっているのか、
考えてもみてくれ。クラシック級の春にしてシニア級のG1を連勝。
それも、メジロフルマーとタマモクロスという、
シニアの二大スターを破っての勝利だ。
こんなウマ娘は、過去には1人もいないんだぞ」
「……」
「ファミーユリアンが海外にいる以上、
今やオグリキャップといやあ、人気実力ともに
日本のナンバーワンウマ娘だ。わからないわけはあるまい?」
「……ああ」
トレーナーからの問いに、少しの間を開けて頷いたオグリ。
理解に時間を要したというよりは、気付かされた、という感じだろう。
「そんな存在がホイホイとレースに出てみろ。
周りからしたらたまったもんじゃない。
レースの格ってなんだってことになるし、
下手したら、勝てるレースを横取りされたって妬み僻みが出てくるぞ。
まあ完全な逆恨みだけどな」
「……うん」
神妙な様子で頷くオグリ。
今さらながら、自分の軽率な発言に気が付いたようだ。
「レースに出たい気持ちはわかるが、おまえさんは挑戦者から、
受けて立つ立場に変わったんだ。
王者にふさわしい立ち居振る舞いをしなきゃいかん」
「……ああ!」
競技ウマ娘としての在り方に関わる、
わりときつめの指摘にシュンとなっていたオグリだったが、
チャンピオンという言葉に反応し、奮い立ったようだ。
今度は顔を上げ、しっかりと頷いた。
「よし」
そんなオグリの様子に、トレーナーのほうも満足して頷く。
「ってぇわけで、オレが考えてきたローテがこれだ」
「毎日王冠、天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念……か」
結局は、これを披露する羽目になるんだなと思いつつ、
トレーナーは自分が考えてきた今後のローテーションが
書かれた紙を、オグリの前に提示した。
「毎日王冠というのは、いつのレースだ?」
「10月の最初、東京の開幕週だ。
オグリよぉ、毎度のことだが、もう少し勉強しような」
「勉強は苦手だ……」
相変わらず、レース関係の情報に疎いのはどうにかならないものか。
普通の勉学はともかくとして、こっちの知識はつけてほしい。
苦笑するトレーナーと、顔を背けるオグリである。
「それはさておき、いわゆる王道という路線だな。
ジャパンカップは2400、有馬は2500になるが、
まあ宝塚でも問題なかったし、おまえさんならいけると踏んだ。
去年のファミーユリアンに続いて、秋シニア三冠も夢じゃないぞ」
「大先輩に続いて……うん、私はやる」
ファミーユリアン、という名前を聞くと、俄然やる気になる。
彼女に執着というか、強い
オグリも同類だったということが判明した。
(編入試験の時の話や、わざわざ笠松まで会いに行った*1、
ってことから察するに、まあそうなるわな)
何度も頷いているオグリを見ながら、トレーナーはますます苦笑した。
(肩入れしてんのはどっちだ、って言いたくなるわ)
あの時点では、地方に所属している、ただのいちウマ娘に過ぎなかったのに、
編入試験に自分から飛び入り参加するわ、
海外遠征出発直前という極めて重要な時期に、
遠方まで時間を割いて会いに行ったなんて、何の冗談かと思ったほどだ。
それも、何もオグリだけに限った話というわけでもなく、
他の娘にもそういった逸話がいくつもあるのだからたまらない。
走りだけではなく、他のウマ娘を見る目まで超一流と来た。
(本当に、
おそらくは日本中の、いや、今となっては、
世界中の人々からそう思われているに違いない。
最低でも、ここに
「でも、10月か。それまではどうするんだ?」
「今月いっぱいは軽めの調整程度にして、疲労をしっかりとって、
8月は合宿で特訓だ。秋に向けてさらにパワーアップを図るぞ」
「合宿……! 特訓! いいな」
合宿と聞いて目を輝かせるオグリ。
『かんたんオグリ』になっているのは言うまでもない。
「フルマーやタマモだって、黙って見ているわけじゃない。
おまえさんもがんばらんと、次は勝てないかもしれんぞ」
「ああ、がんばる!」
鼻息荒く頷くオグリ。
単純な様子にさらに苦笑度を増すトレーナーだったが、
確かな手ごたえも感じているのだった。
「トレーナーさん、お待たせしました」
トレーナーを前にして、ジャージ姿の彼女、
スーパークリークはそう言って笑顔を向けた。
「本日より、トレーニングに復帰いたします」
「ああ、歓迎しよう」
「ありがとうございます。
……本当に、長くお待たせしちゃいましたね」
骨折してのダービー断念から3ヶ月。
めでたく完治となり、今日より本格的に復帰となる。
(すべては、素晴らしいリハビリ施設を紹介していただいた
お姉さまのおかげ。海外で頑張っているお姉さまに負けじと、
私も頑張ります!)
リハビリは完ぺきだった。
その他多岐にわたる指導の結果、むしろ骨折前よりも、
自分の身体が強靭になっている自覚がある。
(菊花賞は必ず勝ちます。そして、お姉さまと……!)
年末になるであろうその機会に向けて、
まずは、同じ舞台に立てるよう、結果を残さなければならない。
すべての話はそれからだ。
「実戦復帰は神戸新聞杯を予定している。
それまでに身体を作って、必ず権利を獲ろう。
いけるね、クリーク?」
「はいっ!」
トレーナーの言葉に、クリークは力いっぱいの声で頷いた。
「トレーナー! もう1本や!」
精力的に夏合宿を過ごしているタマモクロス。
その原動力は、宝塚記念での敗戦だ。
(アレに限ったことやないけど、届かへんっちゅうのは悔しいもんや)
届かず敗退というのは、それ以前にも経験している。
しかし、あれほどの悔しさを感じたのは、初めてのことだった。
(……やっぱり、オグリやったっちゅうのが大きいんやろな)
その原因を推測するに、普段から仲の良いルームメイトが、
よりによって相手だったというのが本命だ。
年下ということもあり、1番負けたくない相手、ということなのだろう。
(次、天皇賞では絶対負けへん! 見とれ!)
オグリも出てくるであろう、春秋連覇のかかる天皇賞。
今度という今度は、先輩の威厳を見せつけてやるのだ。
史上初めて春秋連覇を達成した、
大恩ある
「もう1本いくでぇっ!」
「だ、大丈夫?」
あまりの張り切りようにトレーナーからの心配をもらいつつ、
自慢の末脚にさらなる磨きをかけるべくトレーニングに精を出す。
対オグリ、必勝の策を思い描きながら。
意気揚々と合宿に励む者たちばかりではない。
「……」
ここにも1人、悩める者がいた。
やはり自慢の金髪もいささか陰って見える、
皐月賞ウマ娘トウショウファルコ。
デビュー僅か3戦目にしてクラシックを制し、
ダービー、菊花賞と激戦を繰り広げ、僅差で粘り込んだ、
そこまでは良かった。
その後もG1に出続けるものの、勝利からは見放された。
ついに前走の宝塚記念では、G1未勝利の娘にも人気で負ける始末。
しまいには、『金メッキ』などと揶揄され始めて……
年頃の繊細な乙女の心は、ボロボロになっていた。
「ファルコ、今日はもう上がっていいぞ」
「……では、これで失礼します」
夕刻、少し早めに切り上げにしようと、声をかけるトレーナー。
僅かに逡巡したファルコだったが、
彼の言葉に従って頭を下げると、宿舎へと引き上げていった。
その足取りは弱々しく、おぼつかない。
「……思った以上に深刻だな」
そんな後ろ姿を見て、心配そうに呟くトレーナー。
かといって、自分にできることがあるか?
「いや、やらなきゃな」
彼女の担当は自分なのだ、と思い直すトレーナー。
教え子1人守れなくてなんとする。
ある決意を胸に秘めて、その日のほかの子のトレーニングが終わるのを待った。
翌日。
その日のトレーニングも満足にできなかったファルコは、
今日も早々に切り上げることを命じられて、部屋へと戻っていた。
「……そろそろトレーナーにまで見放されそうですね」
自分の置かれた状況を自虐気味に笑って、
ベッドへと倒れ込む。
「………」
そのまま動かないことしばし。
「本当に……誰か……誰でもいいから……
っ……どうしたらいいか……教えて、っ……ください……」
嗚咽が聞こえ始める。
なまじ、早い段階で頂点を極めてしまったがための葛藤。
その後のライバルたちの活躍ぶりと、不甲斐ない自分への怒り、失望。
そんな折だった。
無造作に放り出していたスマホが、着信音を奏でたのは。
「………」
とてもではないが、電話に出られるような心境ではない。
しばらく放置すると、音はやんだ。
ホッとしたのも束の間である。
再び着信が鳴り始め、またしても放置、再度音がやむ。
そして3回目の着信。
「……あーもうっ!」
ついに我慢できなくなったファルコは、
年相応の少女らしい癇癪を起こして身体を起こすと、
スマホを手に取って通話ボタンを押した。
通話相手などどうでもよかったので、画面は見なかった。
よく確かめずに電話に出たことを、酷く後悔することになる。
「誰ですかッ!!」
『うわっビックリした!』
「……え?」
怒りに任せて叫ぶと、向こうはいきなり怒鳴られると思っていなかったのか、
心の底から驚いたように声を上げた。
この声には、聞き覚えがある……
『えっと、直接話すのは久しぶりだねファルコちゃん。
元気ないって聞いたけど、思ったより元気そうでよかった』
「……ファ、ファミーユリアンさん?」
『うん、そうだよ』
「………」
『ファルコちゃん?』
「しっ……失礼しましたっ!!」
なんと電話してきたのは、返し切れない恩のある先輩で、
敬愛尊敬するリアンだったのだ。
怒鳴られたことに戸惑いつつも、心配そうな声が聞こえてくる。
ファルコは数瞬だけ固まると、すぐに大声で謝った。
「ファミーユリアンさんだとは思わず……
と、とんだご無礼を……申し訳ありませんっ!」
『あはは、いいよいいよ。
いきなり海外から電話してくるとは思わないよね』
「本当に失礼をいたしました……」
頭を下げる勢いで謝罪するファルコ。
いや本当に、電話口で頭を下げている。
「そ、それで、ご用件は?」
『うん、それだ。
ファルコちゃん、色々と悩んでるんだって?』
「!! ど、どなたからそれを?」
『君のトレーナーさん』
「……」
『彼、すごいね。どうにかして私と連絡取れないかって、
方々当たってみた挙句、最後は理事長にまで直談判電話したみたいでさ。
ルドルフ経由で理事長から連絡が来たときは、何事かと思ったよ』
「あの人……そんなことを……」
理性的な人だと思っていたので、
そのような掟破りの行動に出るとは、と驚愕するファルコ。
いち個人の悩み程度のことで、理事長へ突撃する。
ましてや、海外にいる担当以外のウマ娘に連絡を取ろうとするなど、
見ようによっては、良からぬことを想起されかねない。
『それだけ君のことが心配だってことさ。わかるよね?』
「……はい」
『理事長やルドルフも、
教え子想いの良いトレーナーさんだって褒めてたよ。
ちゃんと感謝を伝えるんだよ?』
「そうします……」
リアンから諭され、先ほどまでとはまた違った意味の涙が零れた。
乾きかけていた目元が再び濡れる。
見放されるなんて考えていた自分が見当はずれだった。
実際にはその正反対だったのだ。
「それで、その……彼は、なんと?」
『君が悩んでるから、話だけでも聞いてやってもらえないかって』
なんとか涙を拭って聞き返すと、
想像だにしていなかった答えが返ってきた。
『気の利いたことなんて言えませんよって言ったんだけど、
それでもいいからって。5分、いや3分でいいから時間をくれってさ』
「……」
息を飲んだファルコ。
想像した以上に必死になっていたようだ。
改めて彼の思いが伝わってくる。
『今朝はルドルフからの電話で起こされちゃった。
おかげでちょっと眠いよ、ふふ』
「も、申し訳ありません」
自分が元凶で、大事な遠征に悪影響が出てしまっては、
とファルコは青くなる。
が、もちろんこれはリアンの、
少し前まで滞在していたイギリス仕込みのジョークである。
『それでね、ファルコちゃん──』
「わかりました」
『──えっ?』
話が本題に移りそうになったところで、
なんとファルコから話を遮った。
これにはリアンのほうが目を丸くしたことだろう。
「うじうじ悩むのはやめにします」
良い意味で踏ん切りがついた。
というよりは、吹っ切れた、というほうが正しいか。
そう言い切ったファルコの表情は、すっきりしていた。
「他人の真似をしたってしょうがない。
私は私だから。そうですよね?」
『うん。他人の評価なんて関係ない。
あくまで自分らしく、楽しく走れるかどうか、だよ』
「はい。……はい、そうですね」
リアンの言葉を反芻するように、何度も頷くファルコ。
結局は、今の自分ができることを、精一杯やるしかないのだ。
誰かの真似ではなく、トウショウファルコとしての走りを。
「わざわざありがとうございました。
トレーナーと話してきますので、これで失礼します」
『うん、がんばって』
「はい。本当にありがとうございました」
再び、電話口だが本当に頭を下げて、
新たな決意のもと、ファルコは電話を切った。
その足でトレーナーの部屋を訪れたファルコは、
これまでの謝罪と感謝、そして札幌記念への出走を伝えた。
そうして迎えた、札幌記念当日。
『トウショウファルコ、快調に逃げています。
ペースはどうなっているか?』
北の大地で行われる真夏のスーパーG2*2。
苦戦続きのファルコだが、それでも熱心なファンはいるもので、
この日の彼女は1番人気を背負って出走した。
他に逃げウマもいたが、彼女らを寄せ付けず、
単独での逃避行、大逃げとなって観客たちを沸かせる。
『1000mを57秒9で通過。これは早いぞ』
想定された以上のハイペースで前半を乗り切った。
これがゴールまで続くか?
『後続はついていけないか?
リードが広がっていく』
ファルコの逃げに後続はついていかない、いや、いけない。
3コーナー過ぎにして、早くもリードが広がっていく一方となった。
『直線に向いてトウショウファルコ悠々と先頭。
後ろはもう追いつけないか、かなり離れた』
『これはもうセーフティリード』
直線に出ても脚色はまったく衰えず、
後続勢はまったく追いつけない。
『後続を大きく引き離して、トウショウファルコ逃げ切ってゴールインっ!』
『クールな彼女にしては珍しく、小さくですがガッツポーズを見せました。
黄金は輝きを取り戻した。トウショウファルコ、大圧勝の逃げ切り!』
『勝ち時計は1分57秒9のレコードタイム!*3』
そのまま逃げ切ってファルコが圧勝。
レコードが記録されたばかりか、2着に大差をつけた。
「もう迷いません。我が道を行きます」
勝利インタビューでファルコは、真っ先にこれまでの低迷を詫びた後、
このように宣言。秋は天皇賞に向かう*4ことを表明した。
百戦錬磨の名将である老トレーナーの脳まで焼いていた模様
ファルコはリアンというよりはトレーナーの献身の結果
誰ですか、トレーナーと宿舎の部屋で2人きり、
何も起こらないはずなどなく……なんて考えたのは
……はい、私ですw(自首)
札幌記念、開催時期もレースの意味合いも今とは違ってますが、
翌年の91年はメジロパーマーが勝ってるんですね
97年にG2に昇格、以後は夏のスーパーG2として親しまれてます
仮にリアンが海外遠征する場合、初戦は何が良いですか?
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