もう一度、君とミスターシービーの対決を

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オレはカツラギエース

 ミスターシービーが嫌いだ。

 

 誰よりも才能に満ち溢れているくせに、それを真面目に活かそうとしない。

 あいつの基準にあるのは、いつだって楽しいか・楽しくないかだ。

 真面目に走っていれば、シンボリルドルフにも負けないウマになれただろうに。

 

 ミスターシービーが嫌いだ。

 

 いつだって自分勝手で、オレにちょっかいばかりかけてくる。

 生徒会の仕事だって会長のくせに、実行はいつもオレに任せっきりだ。

 そのくせ、トレセン学園の誰よりも魅力的で、誰からも信頼されている。

 

 ミスターシービーが嫌いだ。

 

 普段は葉っぱみたいにフラフラとしてるくせに、レースだと大樹のようにスキが無い。

 何度前を走っても、いつも最後はオレに背中を見せつけてくる。

 オレは永遠の2番手。名前のようなエースになることすら出来ない。

 

「でも……だからって…! 諦める理由にはならねえよなッ!」

 

 オレはカツラギエース。

 3冠馬(キング)対決の前座じゃない。2人まとめて喰らう、最強のエースだ!!

 

 

 

 

 

 オレはこの妙な世界に転生してきた存在だ。

 人間が馬と呼んでいた種族は姿を変え、ウマ娘という人間の形をした奇妙なに変わっている。

 そういうオレも馬ではなくウマ娘と呼ばれている。

 初めは夢を見ているのかと思ったが、ここは夢ではなく現実だ。

 

 しかし、時代的には前世の自分が生きていた時とあまり変わらないのか、以前見たことがある景色が辺りには広がっている。では、ウマ娘に変わった状態で同じ生の繰り返しなのかと言えばそれも違う。行動次第で以前とは違う結果が発生する。

 

 

 

 かくいうオレも、()()()()()()()()()()()記録を変えている。

 

 まず、クラシック三冠を目指すレースでは、シービーに次ぎ全て2着だった。

 2着なのは甚だ不本意だが、前の世界より良い成績だったとは言えるだろう。

 そして何よりも、ここが前世とは違うと痛感したのはつい先日の宝塚記念だ。

 前の世界でカツラギエースが勝ち取ったはずのG1の栄光。それをオレは──

 

 

 ──―掴めなかった。

 

 

 結果はいつもの2着。別にシービーが突然参戦して負けたわけでもない。

 無意識のうちに、宝塚なら記憶通りに取れるだろうと慢心したツケだ。

 いや、もっと言えば、いつまでもこの世界を現実だと認識していなかったオレの不誠実さが仇となったのだろう。

 

 ずっと心のどこかに甘さがあったのだ。

 夢のような世界なのだから、ただ走ることを楽しめばいいと。

 2回目であれば、前の世界よりも当たり前のように良い結果を出せると。

 以前のカツラギエースより、今のオレの方が優れていると。己惚(うぬぼ)れていた。

 

 そこで初めて自分の醜さを知った。

 覚悟も意思もなく走っていたオレは、カツラギエースを名乗る資格などなかったのだと。

 この身に与えられた名前の意味を、多くの人間が讃えてくれたこの名の重みを。

 忘れていたのだ。

 

 そうだ。

 カツラギエースというウマ娘が勝てないのは他でもない、オレの心の甘さのせいなのだと。

 オレの頭でなく、この身に宿る魂で理解した。

 

「トレーナー……話がある」

 

 オレは覚悟というものを忘れていた。

 

 自分の夢のために走る覚悟を。

 誰かの想いを背負って走る覚悟を。

 そして、それらを踏みつぶして走る覚悟が。

 

「次の出走レースの天皇賞秋は回避させてくれ」

 

 前の世界で出ていたとか関係ない。

 腹をくくれ。

 全てを一走に懸けろ(駆けろ)

 

「ジャパンカップに全てを懸ける。燃え尽きたって良い、ただ1勝をあげれるならそれでいい。このジャパンカップは…()()()()()()()だけは……負けられない…ッ」

 

 オレはカツラギエース。

 

「だから…オレを……ッ」

 

 3冠馬ミスターシービー。

 3冠馬シンボリルドルフ。

 オレが知る限りで最強のウマ娘2人を相手に。

 

 

「──―勝ち逃げさせてくれ!!」

 

 

 ()()()()するウマ娘だ。

 

 

 

 

 

 ミスターシービーは彼女と出会った日のことをよく覚えている。

 

「お前が……ミスターシービーだな」

「うん、そうだけどキミは?」

 

 トレセン学園への入学間もない頃だった。

 どうやって顔や名前を知ったのかは今でも分からないが、彼女は練習中のシービーを訪ねて来た。

 

 折り目正しく短く切り揃えた黒い髪の中央に、チャームポイントのように白い毛。

 ジャージもピシリと整えて着ており、変に余らせてダボつかせたりしていない。

 一見して真面目な優等生。何か注意しにでも来たのかと、シービーは思ったのだが。

 

「オレはカツラギエース。ミスターシービーを倒す()()だ」

 

 どういうわけか、いきなり喧嘩を売ってきた。

 正直、シービーとしては無視をしてもよかったのだが、自信というよりもどこか確信に満ちた不思議な言葉に興味を引かれてしまった。

 だから、間髪を入れずにこう返したのを覚えている。

 

「アタシはミスターシービー。キミのライバルだよ」

 

 自分でも何故ライバルと言ったのかは分からない。

 強いて言えば勘というやつ。だが効果はてきめんだった。

 自分で喧嘩を売って来たくせに、カツラギは目を白黒させて『まさか、お前も…?』などと良く分からないことを呟いていた。

 

 普通なら変な奴だと不気味がるところだが、シービーは気にしない。

 むしろ、先程とのギャップを面白がり、もっと驚かせようと思った。

 

「よし、じゃあ模擬レースをしよっか!」

「は?」

「アタシを倒すんだよね? 早くそれを見せてよ!」

「いや、別に今すぐとは……て! 袖を引っ張るな! 袖が変に伸びたらどうしてくれる!!」

 

 そして、強引に模擬レースに持ち込み勝利を飾った。

 先行を得意とするカツラギに対して、シービーは追い込み型。

 終盤で相手を抜き去って行くのは、いつものことだがそれでもカツラギは食い下がって来る。

 

 体力を出し尽くしていても、根性で食らいついてくるのだ。

 初めてだった。簡単に引きちぎれない相手というのは。

 だから夢中で走った。

 

 全力を尽くして、本能を剥き出しにして、なおかつ冷静に思考して。

 

「あははは! 予想通りだ。()()()()楽しいね、キミとのレースは!」

「くそッ……やっぱり、お前の余裕そうな顔は嫌いだ」

「そう? アタシは君の悔しそうな顔は何だか好きだよ」

「……次は絶対に負かす」

「アハハ、いいね! じゃあもう一回しようか!」

「は? いや、今すぐは流石に──―だから袖を引っ張るな! バカ!!」

 

 カツラギと走るたびにシービーは強くなった。

 もちろん、カツラギもシービーと走るたびに強くなっていくがイタチごっこだ。

 

 練習でも、本番でも、いつもシービーはカツラギの前を行った。

 それでもカツラギは諦めずに挑み続けて来た。

 他のウマ娘達が、シービーには届かないと諦めて学園を去って行っても。

 まるで、いつかは勝てると分かっているようにカツラギは挑み続けた。

 

 わざわざ、シービーが出るレース全てに出走したりもしたし。

 学校生活でも何かと突っかかっていった。

 シービーが面白そうだからという理由で生徒会長になったときも、こいつに任せたら学園が崩壊すると言って副会長になり、シービーの突拍子もない考えに振り回されていった。そんなカツラギだからこそ、シービーもライバルだと思いそれを公言し続けて来た。

 

「次のジャパンカップはルドルフがライバルになるかって? うーん、そうだね。ルドルフと走れるのはとっても楽しみだよ。でも、アタシのライバルはカツラギだけかな。もちろん、ルドルフじゃ相手にならないって言ってるわけじゃないよ」

 

 それは出会いから3年が経った、ジャパンカップ前の記者会見でも変わらない。

 そしてこれからも、この関係はずっと続いて行くだろうと何の疑いもなく思っていた。

 

 だから。

 

「次のジャパンカップでの作戦ですか? ()()()()しますよ、オレは。ええ、思いっきり逃げます」

 

 カツラギの発言にも、少し変な言い回しだと思っただけで何も疑わなかった。

 むしろ、普段は真面目で神経質なくせに、こういう時は大胆になる所が好きだなと呑気に考えていた。

 

 後で、その言葉の意味を問いたださなかったことに、後悔するとも知らずに。

 

 

 

 

 

 シンボリルドルフにとって、カツラギエースは良き先輩だ。

 生徒会の門を叩いて以来、基本的な仕事内容は全て彼女から教わっている。

 カツラギの方も、真面目で優秀なルドルフを気に入っており、良くシービーにルドルフの爪の垢を煎じて飲ませたいとボヤいている。

 

 一見して男勝りな口調のカツラギは、初対面だと雑な所があると思われがちだが実際の所は真面目かつ神経質だ。5分前行動を破ったことは一度もないし、どんなに忙しくても仕事を頼めばキッチリと期限以内にこなす。

 

 たまに怒鳴っている所が見られるが、基本的に会議をサボったり、書類をまとめずに雑に放置しているシービーに対してなので、生徒会の面々はまたかとしか思っていない。ただ、神経質過ぎる面があり、それが結果として彼女の集中力を奪い、シービーに勝ちきれない勝負弱さとして出ているのではないかとルドルフは分析している。

 

 つまるところ、ルドルフにとってカツラギは良き先輩というだけで、敵にはなり得ない存在だ。

 

「夢の3冠ウマ娘対決に対してですか? そうですね。まず、ファンの方々に満足していただけるようなレースを心掛けたいですね。そして、その上で私がミスターシービーという先達の上に行ければ、これ以上ない程の結果になると思います」

 

 敵はあくまでもミスターシービー。

 世間が3冠対決にしか目が行っていないように、ルドルフもシービーにしか目が行っていなかった。

 

 “シービーする”という動詞を生み出した程の追い込み。

 これをどう攻略するか、あるいは躱していくか。

 インタビューを受けながらも、その対応に頭を悩ませている。

 

「いつまで無敗でいくかと言われましても、無敗はあくまでも結果でしかないので。勝つときは勝つ、負けるときは負ける。レースに絶対はありません。ですが、私は皆様に絶対の走りを見せたいと思っています。そう、常勝無敗の皇帝として」

 

 だから、この時は思いもしなかった。

 自らの無敗が破れるなど。

 そして、それが。

 

 無警戒のエースなどとは。

 

 

 

 

 

『世界のウマ娘がここ府中に集う、ジャパンカップ! まもなく開催です』

 

 耳を澄ます。

 観客達の喧騒や解説の音がよく聞こえる。

 

『今回のレース、やはり注目は史上初の3冠対決でしょう』

『ええ、1番人気にミスターシービー、2番人気にシンボリルドルフというのが注目の高さを表しています』

『ミスターシービーが先輩としての意地を見せつけるのか。はたまた、シンボリルドルフが時代を我がものとするのか。このレース目が離せません』

 

 会場の誰もがシービーとルドルフの激闘を期待している。

 とうのオレと言えば10番人気。

 普段はもっと上に行くことの方が多いのだが、天皇賞秋の出走辞退が響いてか大分下の方だ。

 どうやら回避した理由が調整不足だと思われているようだ。

 

『さあ、各ウマ娘がゲートに入りました』

 

 目を凝らす。

 会場全体が1つの生き物になったように、視線が注がれてくるのが分かる。

 ゲートが開くまでの一瞬とも永遠とも言える時間。

 

 これがオレはずっと嫌いだったのだが、今となってはどこか心地いい。

 時が止まったっていい。そんな冗談すら思い浮かぶ。

 だが、時間は待ってくれない。いつだって残酷に無情に動き出す。

 

『そして今! 一斉にスタート!!』

 

 ゲートが開かれるのと同時に足を踏み出す。

 きっと、スタートの下手なシービーよりも先に行けただろう。

 だが、こんなものは誤差みたいなものだ。

 

 そもそもシービーが追い込みなんて戦法を使うのは、スタートが上手くないからだ。

 逆に言えば、そんなスタートの悪さを踏み捨てて勝てる末脚があるということに他ならない。

 いつだってオレはそんな末脚に刺し殺されてきた。

 

 だからこそ、今回は。

 

『おっとぉ! まず初めに飛び出したのはカツラギエースだ! これは珍しい』

『普段は先行で行くことが多いのですが、これが記者会見で言っていた勝ち逃げということでしょうか?』

 

 絶対に追いつかれない距離まで逃げを打って引き離す。

 強力な末脚を持つウマ娘を相手にするには、ある意味でセオリーな手だ。

 だが、もちろんそれにはリスクがある。

 

『カツラギエース、グングンと集団を引き離していくぞ!』

『見事な逃げっぷりです。ですが、このペースで最後まで脚が持つでしょうか』

 

 逃げという戦法は必然的に集団の先頭に立つことになる。

 それは自分のペースが集団のペースになるということに他ならない。

 他のウマ娘はオレについてくればいい。ペース配分もオレに合わせて考えればいい。

 

 だが先頭を行くオレは、ゴールまでのスタミナ配分を自分で考えなければならない。

 集団のペースを作っているが故に、相手の出方などを知ることが出来ないのだ。

 故に、逃げウマ娘は勝利を期待されず、ペースメーカーという認識になる。

 

『カツラギエースのペースに合わせてシンボリルドルフが率いる集団が続く! そして、最後方にはミスターシービーが不気味に息を潜めている』

『シンボリルドルフもミスターシービーもカツラギエースに置いていかれない程度に流していますね。やはり、後半での勝負にかけているのでしょう』

『ずばり、今後はどういった展開になりそうですか?』

 

『そうですねぇ、後半になるまでは全員が今のままで静観。そして、後半になればシンボリルドルフが先頭付近に順位をあげる。そこでミスターシービーの追い込みを躱せる距離まで離そうとするでしょう。ですが、ミスターシービーも負けじとスパートをかけて来るのは見えています。なので、他のウマ娘達もそこで仕掛けてくるはずです。下手に序盤で急いでスタミナを消耗すると、終盤での勝負についていけない可能性が高いですよ』

 

 シービーの援護か?

 観客席からそんな冗談交じりのヤジが聞こえてくる。

 オレが全体のペースを作り、最後の直線でシービーがルドルフをまくれるようにする。

 きっと観客からはそんな風に見えているのだろう。

 

 永遠の2番手。

 シービーの引き立たせ役。

 いつまでもシービーに勝てないオレにつけられたイメージだ。

 

 腹立たしいことに違いはないが、今のオレにそれに言い返す言葉はない。

 この世界でシービーに勝てていないのは事実で、2番手に甘んじていたのはオレの心の弱さ。

 覚悟の無さだ。

 

 だが、そんなオレとも今日でおさらばだ。

 いや、思い出したと言うべきか、オレは──

 

 ──―()()()()()()()だ。

 

『なんと!? 先頭を行くカツラギエースがさらにペースを上げて来たぞ!!』

 

 負けられない。

 絶対にこのレースだけは。

 脚が折れても、肺が潰れても、例え死んだとしても。

 

 ──―負けられない!!

 

『スタミナ配分など知ったことかとばかりに、カツラギエースが駆けていく! しかし、後続は続いて行かない!?』

 

『これは……ミスターシービーを警戒しているからでしょうかね。今、カツラギエースを追って行けば、後半でミスターシービーを躱す体力がなくなる。恐らくはそういう考えでしょうね』

『それだけシービーの末脚が脅威だということですね!』

 

 息を荒げながら耳を後ろに向けてみるが、他の奴らが追ってくる気配はない。

 きっとオレがすぐにつぶれると思っているのだろう。

 

 それに後ろにはシービーが居るので、ルドルフはそちらを警戒し無駄にスタミナを消費できない。

 同時にシービーはシービーで、ルドルフを抜くために後半まで脚を温存するしかない。

 

 賢い奴らだ。

 オレなんかとは違って、レース全体をよく考えている。

 

 そして、オレは序盤に飛ばしたツケが回ってここらでバテてくる。

 実際問題、オレの身体はさっきからいい加減スピードを落とせと悲鳴を上げている。

 オレをよく知っているシービーやルドルフが気づかない訳が無い。

 だから、悔しいが奴らの読みと作戦は当たっている。

 

 今までならな。

 

『どういうことだ、カツラギエース!? まだスピードを上げていくぞ!! これでは丸っきり暴走だ!?』

『何を考えているのでしょうか? これでは体が持ちません!』

 

 上げたらいけないギアを無理やり上げる。

 ピシリと鳴ってはいけない音がオレの内側から響いてくる。

 だが、オレはそれを無視して足を動かす。

 

『それにつられるように、ここでシンボリルドルフが仕掛けて来たぞ! さらにミスターシービーも加速体勢に入った!!』

『これは流石の2人も、これ以上は引き離されたくないと考えたんでしょう!』

 

 まず、ルドルフが気づいた。

 以前と変わらず、抜群のレース脳をしている。

 そして、シービーもいつもより早めに仕掛けてくる。

 そうだ。仮に今のオレのペースが続くなら、今ここで仕掛けるしかない。

 

 あの2人なら、仮にオレが今のペースを保てたとしても勝つだろう。

 悲しいことにオレとあいつらにそれだけの才能の差がある。

 だが、その差は──―絶対じゃない。

 

『逃げるカツラギ! 追うルドルフ! 負けじと迫るはミスターシービー!』

『この展開は予想できなかった! 予想できない!!』

 

 ビキリと足に罅が入る──―無視をする。

 ミシリと肺が締め付けられる──―無視をする。

 ギシギシと何かが歪んでいく音を──―無視する。

 

 ピシリ、ピシリ、ピシリとオレが壊れる音が聞こえる。

 

 

 

 ピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシリピシ──―

 

 ──―うるせえ、黙れ。

 

「     」

 

 世界から音が消える。

 自分の声も、観客の声も、迫る足音すら聞こえない。

 まるで自分だけが世界から置き去りにされたように。

 

 いや違う。オレが──

 

『逃げる逃げる逃げる!!

 カツラギエースが世界を相手に独走だ!!』

 

 ──―世界を置き去りにしているんだ。

 

『起きるのか!? 下剋上が!! 三冠王2人を相手に! 世界を相手に! あのカツラギエースが奇跡を起こすのか!?』

 

 今までのオレに足りなかったものは覚悟だ。

 

 ずっと甘えていたのだ。

 オレはカツラギエースなのだから、以前のようにいつかはミスターシービーに勝てると。

 オレはカツラギエースなのだから、ジャパンカップでシンボリルドルフを負かすと。

 命を懸ける覚悟もないのにそう思っていた。

 

『ゴールが! ゴールが近づく!! カツラギエースだけがゴールに近づいていく!!』

『シンボリルドルフもミスターシービーも追っていますが、これは厳しいか?』

 

 いや、忘れていただけだ。

 以前のように走ることを忘れていただけ。

 あいつらと張り合うには、命を懸けて初めて対等になれるのだと忘れていただけだ。

 

『3冠王2人も必死に追うが距離は縮まらない! 王冠など飾りに過ぎないとでも言うのか!? カツラギエース!!』

 

 思い出せ、()()()()()()()()()()()を。

 思い出せ、4()()()()で駆けていたあの感覚を。

 

『何という爆発力!! カツラギエース!! まるで足が倍に増えたかのようだ!!』

『これは決まるか!? 誰も予想しなかった結末が訪れるのか!?』

 

 思い出せ! あの日を!

 思い出せ! あの覚悟を!

 思い出せ! ()()()()()()

 

 

 ──―()()()()()()()()()()!!

 

 

 ミスターシービーとシンボリルドルフを相手に勝った──―“馬”だ!!

 

『ゴール!! ゴール!! ゴールッ!! 今ここにッ!! 史上最大の下剋上がなされましたぁあ!! 2人の王の首を取った者の名前はカツラギエース!! カツラギエースだぁあああっ!!』

 

 世界に音が戻る。

 だというのに、観客共の歓声は聞こえてきやしない。

 聞こえるのは実況が必死に盛り上げようとしている声と、戸惑いと困惑の声だけ。

 どいつもこいつも、オレが勝つなんて微塵も思ってなかったという顔で見つめてきやがる。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 オレが声を聞きたいのは、声を聞かせたいのは1人だけだ。

 

『2着はシンボリルドルフ! そしてアタマの差でミスターシービー!』

 

 遅れてゴールしてきた2人の方に向かって歩いていく。

 凄まじい形相でこっちを睨んでくるルドルフは怖いので無視をして、シービーの方を向く。

 

 ムカつくことにシービーは笑顔だった。

 レースが楽しくて仕方がなかったって顔だ。

 負けたくせにオレにはこういう表情を向けて来るから、オレはこいつのことが嫌いなんだ。

 

 まあ……それも今日で最後だろう。

 

 ピシリ──―

 

「楽しいレースだったね、カツラギ。次はもっと楽しいレースをしようね! ……アタシの勝ちという形で」

 

 明るく飄々と、それでいて最後にほんの少しの悔しさを見せるシービー。

 調子に乗るなと言ってやりたいところだが。

 生憎それどころじゃない。

 

 ビキリ──―

 

「……カツラギ? どうしたの? 様子が──」

 

 ■■■■■──―

 

 何かが砕け散る音がした。

 瞬間、大地が歪む。まるで地面が豆腐になったように、足が支えられずにグニャリと曲がる。

 ああ……仕方ない。これは代償だ。

 

 オレは前世での馬としての走りを思い出して走った。

 ウマ娘はウマのように速い人間だ。人間より力が強く頑丈な存在。

 だとしても。

 

 2本の脚が4本になるわけがない。

 2つしかない脚に4本分の力を籠めたら、そりゃ壊れるだろう。

 

「カツラギ! 大丈夫!?」

 

 顔を真っ青にして焦るシービーに、ボンヤリとこいつもこんな顔をするのかと思う。

 ルドルフの方も慌ててこちらに駆け寄って来る。

 その姿に世の理不尽を呪う。

 

 こっちが死ぬ気で走って勝ったっていうのに、こいつらにはまだ余力がある。

 きっとこいつらは、今日のオレをこれから軽々しく超えてゆくだろう。

 だとしても、今日は今日だけは俺の勝ちだ。

 だから胸を張って言おう。

 

 

「ざまあみろ、オレの──―勝ち逃げだ」

 

 

 カツラギエースは2人の3冠ウマ娘に勝ったのだと。

 

 

 

 

 

『ジャパンカップ栄誉の代償は右足! カツラギエース有馬記念を回避!!』

『シンボリルドルフ圧巻の有馬制覇! されど、ライバルの不在に笑顔無し!』

『カツラギエース独占取材! 勝ち逃げですみません。本人の晴れやかな笑顔に周りは困惑!?』

『カツラギエースの大学受験参考書を購入場面を激写! 引退は決定的!?』

 

 グシャリと新聞を握り締める音が生徒会室に響く。

 幸いなことに生徒会室には新聞を握り締めた張本人しか居ない。

 仮に今の光景を見たものが居れば、まず間違いなく悲鳴を上げていただろう。

 

 それ程までに、新聞を握り締めた人物。

 シンボリルドルフの表情は恐ろしかった。

 皇帝の異名すら息を潜め、今の彼女はまるっきり魔王である。

 

「勝ち逃げなど……許せるものか」

 

 淡々と語るその言葉には感情は宿っていない。

 だが、それが逆に冷え冷えとした絶対零度の怒りを良く表していた。

 

 無敗の三冠。それを破った初めての相手がカツラギエース。

 なのに、その相手はもうターフに戻ってこないかもしれないのだ。

 ルドルフからすればやり逃げされたような気分である。

 

 自分を倒した相手というだけで、ブラックリスト入りなのにそこに勝ち逃げが加われば、名前に赤ペンでラインを引いた上で、そのページにしおりを挟むレベルである。端的に言ってシンボリルドルフはカツラギエースに対してブチギレていた。

 

「いや、本当に許せないのは私自身か……」

 

 だが、それよりも何よりも許せないのは自分自身だ。

 正直に言おう。シンボリルドルフは生まれた瞬間から自らが、最強であると思っていた。

 

 自分が頂点でそれ以外が下。

 両親の幼少からの厳しい教育により、その傲慢さは上に立つものとしての誇りに変わった。

 だが、本質は何一つとして変わっていない。

 

 彼女はいつもこう言う。

 全てのウマ娘、みんなが幸せになれる世界を創りたいと。

 その言葉を聞く度に人々は、なんと素晴らしい博愛精神に満ちた人だと褒めたたえる。

 

 だが、実際は違う。

 彼女の目線はウマ娘達と共に幸せな世界へ歩いていく目線ではない。

 自分が創り上げた理想の世界で、全ての人が幸福な姿を見たいという目線。

 すなわち──―神の目線である。

 

 自らが唯一絶対の神として頂点に立つ。

 そして、その上で弱き人々に平等に愛を注ぐ。

 周りに対して、どこまでも優しいのは誰一人として対等に見ていないから。

 かよわき存在として絶対たる私が守ってやろうと、自然に見下している。

 

 だからこそ。

 

「私が負けるなど…! 誰かが私と並ぶなど…! 絶対に許せないッ!」

 

 他人に負ける自分が。他人に並ばれる自分が。許せない。

 唯一絶対たるわたしに触れようとする者は何者か。

 わたしは慈悲深く、そして嫉妬深い。

 わたしの怒りに触れたものは必ずや神罰を下さねばならぬ。

 そうでなければ、わたしは絶対でなくなってしまうのだから。

 

「シンザンを超える前に必ず落とし前をつけなければな……画竜点睛を欠いては意味がない。汚名返上は必ずなさねば……そのためには彼女には再び戦ってもらう必要がある……何が何でも」

 

 望むのはカツラギエースとの再戦。

 そして完膚なきまでの勝利。

 

 もはや、ミスターシービーのことなど目に入っていない。

 今の彼女の目にはカツラギエースの憎き背中しか映っていなかった。

 

 そんな再戦に燃える彼女の耳に、1つの足音が近づいてくる。

 明らかに不自然でぎこちない足音。

 加えて、コツコツと硬いもので床を叩く音。

 間違いない。今、私が懸想している人物に他ならない。

 

 そう、判断した彼女はゆっくりと腰を上げ、件の人物を迎え入れるために扉に手をかける。

 

「カツラギ先輩、松葉杖では扉を開けるのも一苦労でしょう。もっと私や他の人を頼ってください。いえ、遠慮しないでください。私はあなたの怪我が1秒でも早く治ることを()()()()()祈っているのですから」

 

 そう言って、ルドルフはカツラギエースに寒気がする程に美しい笑みを向けるのだった。

 

 

 

 

 

 ルドルフがめちゃくちゃ怖い。

 

「どうしましたか、カツラギ先輩? 私の顔に何かついていますか」

「いや……何でもない」

 

 ニコリと世の女性を狂わせる笑みで問いかけて来るルドルフ。

 そんなルドルフに何を言うことも出来ずに、オレは逃げるように手元の資料に目を落とす。

 だが。

 

「怪我が痛むのならすぐに言ってください。小事と見て侮るなかれ、些細な変化も油断大敵です」

「いや、大丈夫だ。傷が痛むわけじゃない」

「痛みが無くとも違和感があるのなら無理をするのはよくありません」

 

 ルドルフはオレを逃がさない。

 顔は笑っているが、内心は逃がしてたまるかと鬼の形相をしている。

 オレには分かる。何せ、前世でも同じ目でガンをつけられたのだから。

 

「生徒会の仕事も今日は少ないですし、帰って安静なさってはいかがでしょうか?」

「そういう訳にもいかないだろう。これはオレの仕事だ」

 

 帰って休めという言葉に、反射的に自分の仕事は自分でやると返してしまう。

 そして、しまったと思う。

 今の言葉通りに帰っていれば、ルドルフから逃げられたはずだと。

 

「先輩なら、()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、いつもの呆れのこもった言葉とは違う、確信に満ちたルドルフの言葉に冷や汗を流す。

 まず、間違いなくこの流れはあいつの計略通りだ。

 オレの性格を熟知しての発言。

 

 その証拠に今のあいつの顔は、いつもの困った先輩だという愛想笑いではない。

 まるで人形のように完璧に整えられた機械的に美しい笑み。

 だが、その細められた瞳の奥が笑っていないのは誰にでも分かる。

 

 ──―逃がさん、お前だけは。

 

「しかし、先輩がそれだけ問題が無いとおっしゃるのなら、怪我の経過は良いのでしょうね?」

「ぼ、ボチボチと言った所だな」

「なら、大阪杯には間に合いそうですか?」

「いや、無理だろうな……」

「では、天皇賞春には?」

 

 丁寧な言葉遣いだというのに、オレには罪人に刑罰を言い渡す王の言葉にしか聞こえなかった。

 いや、実際に皇帝様にとってはオレは罪人もいいとこなのだろう。

 皇帝の冠に泥を塗りつけた大罪人。それがオレだ。

 だが、罪人だからといって、粛々と皇帝の言葉を受け入れる気はない。

 

「ルドルフ……オレは今年でトレセンを卒業するつもりだ」

「何故でしょうか?」

 

 生徒会室の温度が下がる。

 思わず、そう錯覚してしまう程の怒気がオレに襲い掛かる。

 顔は笑っているというのに器用なことをする奴だ。

 

「怪我さえ治れば貴方はまだ走れるはずです。もし、治療に難航しているということでしたら、私の実家の伝手で良い医者を──」

「──―()()()()()()()()

 

 なおも喋ろうとするルドルフを一度黙らせる。

 このまま話していても平行線だ。

 お互いに本音で話す必要がある。

 

「下手な敬語はやめろ。皇帝(ライオン)が腰を低くするな」

「……では、単刀直入に言おう」

 

 一瞬面を喰らったような表情をするルドルフだったが、それもすぐに消える。

 本来ならば年上に見せることの無いであろう、強者ゆえの上からの目線を向けて来る。

 

「──―私から逃げるな」

 

 百獣の王がこちらを睨みつけて来る。

 腹を満たす獲物としてではなく、誇りを満たす敵として。

 

「逃げも立派な戦術だぞ?」

「つまらない会話はやめようと言ったのはそっちだろう? ……本音を言え」

 

 虚偽は許さんとばかりに、ルドルフがオレの肩に手をかけ瞳を覗き込んでくる。

 ああ、思い出す。最後のレースだった()()()()を。

 ピッタリとオレの後ろについてきた死刑執行人(シンボリルドルフ)の足音を。

 そして同時に思い出す。レースが終わった後の奇妙な充足感を。

 

「満足したんだよ」

 

 もう、腹いっぱいだと。今のオレは満足しているのだ。

 

「満足だと…? 私とシービーを倒したから満足したとでも言うのか」

「そうだ」

「たった一度の勝利で満ち足りると言うつもりか!」

「もちろん。お前に……いや、一度でもシービーに勝った。それだけで十分なんだよ、オレは。それに次走ったらまず負ける」

 

 肩にかかる手に力が入る。

 怒りか、困惑か、悲しみか。

 瞳を震わせるルドルフにオレはどこか同情の念を覚える。

 

「理解できないな……たかが一度の勝利で満足するなど」

「だろうな。皇帝(お前)には一生理解できんだろうよ」

 

 ただ一度の勝利の栄誉。

 それは負け続けて来た者にしか分からない。

 現実でも夢の中でも追い続けて来た背中がある者にしか分からない。

 だから、絶対(ルドルフ)には理解できない。

 

 

「悪いな、ルドルフ。オレは──―お前のライバルにはなれない」

 

 

 初めて見せる動揺。

 その隙にという訳でもないが、ルドルフの手を肩から退かし、松葉杖で立ち上がる。

 止められるかと思ったが、もうルドルフは何も言ってこなかった。

 

「シービーも……この先お前を負かすであろう誰かも……決して、お前のライバルにはなれない。お前に勝ったカツラギエースが断言してやる。シンボリルドルフは──―絶対だ」

 

 シンボリルドルフは最強の馬だ。

 何故最強なのかと世の人々は口々に言葉を交わすだろう。

 だが、オレには、カツラギエースには分かる。

 シンボリルドルフが最強な理由は簡単。

 

 絶対(孤独)のまま走り続けられるからだ。

 

「じゃあな、悪いが今日は早めに上がらせてもらうぜ」

 

 返事などないと分かっているが、一声かけて生徒会室から出て行く。

 ふと、廊下の窓を見てみると大粒の雨が降っていた。

 

「……こりゃ、どっかのバカが散歩にでも出かけてそうだな」

 

 

 

 

 

 引退だな、こりゃ。

 

 耳にこびりついてはがれなくなった言葉を振り払うようにシービーは首を振る。

 それに合わせて、長い髪から雨粒が飛び散り廊下を濡らす。

 ああ、そう言えば散歩から帰って来て体を拭いていなかったなと、ボンヤリとシービーは思う。

 

 雨の日に傘もささずに散歩に出かける自由人な彼女であるが、流石にいつもは校舎に入る前に体を拭いている。だが、今日はそんなささやかな常識も忘れてしまう程に心が今を見ていなかった。目はカツラギの包帯を巻かれた足を、耳はどこか晴れやかな引退宣言を。何度も繰り返し過去を思い出していた。

 

 ずっと一緒に走っていられると思っていた。

 自分が負けたのなら今度は追う側に変わるだけ。

 そう思っていたのに。

 

「1人だけ勝ち逃げなんて……ズルいよ」

 

 カツラギエースは自分の隣から居なくなる。

 考えたこともなかった事態に、いつもの飄々とした態度は身を潜め1人のか弱い少女だけが残る。

 

「アタシはまだ走れるし、走りたい。でも……」

 

 いつも競争してきた。

 思い出すのは楽しい思い出ばかり。

 負けても、次はもっと楽しいレースになりそうだと思ったほどだ。

 

 だが、どうだろうか。

 カツラギエースの居ないレースというのは?

 

 何度想像しても、幾度も勝利する自分を想い描いても。

 ちっとも、心は踊らなかった。

 

「キミの居ないターフは……つまんないや」

 

 雨粒が頬を伝い、顎から滴り落ちる。

 まるで天女が涙を流しているようだ。

 そう思わせる程にシービーの姿は美しく、儚げであった。

 

「まったく……傘が嫌なら合羽でも着て歩けといつも言っているだろう」

 

 そんな彼女の濡れた耳にコツコツと不愉快な音が響く。

 走ることが本能に刻まれているウマ娘達にとっては、魂の死とも言える足の故障。

 それをまざまざと見せつけられる松葉杖というのは、彼女にとって嫌いなものだった。

 特にそれが。

 

「カツラギ……」

 

 自分の終生のライバルが鳴らすものだと理解するのは。

 

「ほら、こいつで体を拭け」

 

 フワリと、片手で器用に投げられたタオルが頭にかかる。

 なんでそんなものを持ってきたのかと、聞かなくても分かる。

 いつものことだ。

 

 シービーが気まぐれに雨の中散歩に出かけ、帰ってきたところをカツラギが廊下が濡れて危ないと怒りながらタオルを投げつける。何度も繰り返してきたじゃれ合い。まあ、カツラギの方は本気で怒っていたような気がしないでもないが。何はともあれ、今回も同じセリフが返ってくると思っていた。だが。

 

「風邪ひくなんてバカなことするなよ。今度の天皇賞に出るんだろ?」

 

 返ってきたのはいつもとは違う優しい言葉だった。

 それが悲しくて、やりきれなくて、シービーはグッと奥歯を噛みしめる。

 

「どうした? まさか本当に風邪でも引いたか?」

「……てよ」

「あ?」

「拭いてよ……キミが拭いてよ」

 

 タオルを握り締め、カツラギの眼前に突き出す。

 シービーの突然の行動に、困惑した表情を浮かべるカツラギだったがやがて小さく溜息を吐く。

 

「たく……今は片手がふさがってるから上手くできねぇぞ」

 

 違う。いつものキミならワガママには辛辣な言葉を返すはずだ。

 自分で拭けというはずだ。

 

 ねえ、お願いだからそんなに優しくしないでよ。

 

「次のレースの主役が風邪で寝込みましたなんて、かっこつかないから少しは体調に気を使え。オレ達の世代で、ルドルフに勝てる可能性があるとしたらお前しかいないんだからな」

 

 何を言っているのだ、目の前の女は。

 自分が、自分こそが、その勝てないと言っている相手を打ち破った張本人ではないか。

 そんな抗議を込めてアクアマリンの瞳で睨むが、ごまかす様に顔を拭かれて遮られる。

 

「卒業しても応援には行くからな。しっかり走ってくれよ」

 

 違うだろう。お前は観客(あっち)側じゃない。選手(こっち)側のはずだ。

 それなのにどうして他人事のように言う。

 もっと牙を見せてくれ。いつものように痛い程の敵意を向けてくれ。

 だってキミは。だってキミだけが。

 

()()()のレース、楽しみにしてるぞ」

 

 ──―アタシのライバルでしょ!

 

「……てよ……やめてよ……アタシに優しく…しないでよ!!」

「シービー…?」

「いつものように喧嘩を売って来てよ! もっと燃えるような目で睨んできてよ! どうして、そんな穏やかな目をしてるの? もう、何もかも終わって自分には関係ないみたいな顔しないでよ!!」

 

 カツラギの胸倉を掴み上げる。

 怪我人だとかそういうのは関係ない。

 ただただ、変わってしまったライバルが許せなかった。

 

「アタシに優しいキミなんて嫌いだ! アタシのことが嫌いなキミが好きだったのに!!」

「……知ってたか」

 

 嫌われていることなど分かっていた。

 もともとの性格が正反対なのだ。

 自由奔放なシービーはともかく、神経質なカツラギはストレスを溜めていく。

 まあ、嫌われても仕方がないのだろう。

 

 だが、シービーはそれを気にしたことなど一度もない。

 全ての人に好かれるなんてあり得るはずもないのだし、何よりカツラギが向けて来る嫌悪には尊敬の念が込められていた。自分よりも強い上の者への敬意。結局の所、カツラギがシービーを嫌っていたのは、ライバルとして特別視していたからに他ならない。逆に言えば、今の嫌悪感を持っていない状態というのは。

 

 もう、シービーをライバルだと思っていないということだ。

 

「勝手にどこかに行くなんて許さない! 勝ち逃げなんてさせない!!」

「………オレの勝手だろ。オレがどうしようとお前には関係ない」

 

 もし、以前のカツラギなら、こんなことを言えば怒鳴り返して来ただろう。

 だが、今はどこかバツが悪そうに目を逸らすだけだ。

 そんな軟弱な瞳が気に入らず、シービーは口づけする程に顔を近づけて叫ぶ。

 

「関係あるよ! だって、アタシは──―キミのライバルなんだから!!」

 

 ハッとしたようにカツラギの目が見開かれる。

 ようやく、本当の意味でこちらを見たカツラギを逃がさないように、シービーが追い込む。

 

「アタシの方がずっと勝ってるのも忘れちゃったの? たった1回勝っただけで満足しないでよ。ほら、アタシはまだ負け越してない。だから、アタシは今もキミよりも自分の方が強いって思ってる。他の人だってそうじゃないかな? でも、キミだけは違う。キミはカツラギエースだ。そんなことを認められるのはカツラギエースじゃないでしょ?」

 

 煽るように、案ずるようにシービーは言の葉を紡いでいく。

 そうすれば、いつものように言い返してくれると信じて。

 そして、その想いは──

 

 

「うるせぇな……カツラギエースは()()()()()()

 

 

 届かなかった。

 

「あれで終わりなんだ。足も、心も、魂も。あの日のジャパンカップで勝ったからそれで終わりなんだ。ジャパンカップの栄光に全てを懸けたんだ……ここで終わるのも本望だ」

 

 傷つけないように優しくシービーの手を握り、自らから引き剥がすカツラギ。

 そんなカツラギに納得できずに、シービーは唇をワナワナと震わせる。

 

「……自分勝手なこと言わないでよ。ずっとアタシに勝つことにこだわってきたのに……1回勝ったら、アタシにはもう飽きちゃったって言うの? 出会った時のキミは違った。あの時の模擬レースでキミが勝ってたとしても、きっとアタシと()()を続けてたよ」

「そう…だったかもな……悪いな」

 

 一瞬、何かが引っかかったような顔をするカツラギだったが、すぐに首を振り後ろを向く。

 話は終わりだ。もう、用はないと言外に表して。

 

「嫌いだ……アタシに優しくするキミなんて……大嫌いだ」

「そうかよ、オレは結構好きになれそうだぜ……お前の泣いてる顔」

 

 その言葉が2人の交わした最後の言葉だった。

 

 

 

 

 

「何やってるんだろうなぁ、オレは……」

 

 シービーと別れた後、寮に帰る気にもなれずにブラブラと歩いていたのだが、本能か習慣かは分からないが、トレーナー室の前に来てしまっていた。

 

「もう、走らないのに来てもしょうがないだろうに」

 

 前までだったら、用もなくここに来てトレーナーと話したりしていたものだが、今はめったに来ることが無い。トレーナーも次の担当の子を探すのに忙しいだろうから、邪魔をするわけにもいかない。そう考えて立ち去ろうとしたところでドアが開く。

 

「あ、トレーナー……久しぶりだな」

 

 珍しいものを見たように目を丸くするトレーナーに、何故だか気恥ずかしい気持ちになり、どことなく硬い言葉を返してしまう。だが、トレーナーの方はオレに会えたのが嬉しいのかすぐに満面の笑みに変わり、オレを部屋の中へと手招きする。

 

「良いお茶が入った? ああ……そうだな。ご馳走になろう」

 

 いつもと変わらない柔和な笑み。

 それにどこかホッとしたような気分になり、オレも釣られて笑う。

 

 いつもの特等席。ソファーの右側に腰かけ、軽く息を吐く。

 この特等席も直に後輩ウマ娘のものになるのかと思うと、何とも言えない寂しさを覚えるがどこか楽しみな気持ちもある。そうなれば、一体どんな子がオレの後輩になるのだろうかと思うのも当然だろう。

 

 オレはお茶を淹れているトレーナーに隠れるように、机の上にあった資料を眺めてみる。

 見たらまずそうな書類は、トレーナーの性格からして机の上に置きっぱなしにしないだろうから、見ても大丈夫なはずだ。そう、心の中で言い訳をしながら資料をめくる。

 

「…………なあ、トレーナー」

 

 そして、たまらずトレーナーに声をかけてしまう。

 どうしたのと、少し気の抜けた声が返ってくるが、オレの心臓は早鐘のようになっていた。

 何故という言葉が頭の中で渦を巻く。

 どうして、どうしてオレが引退をすることに納得したトレーナーが。

 

「このリハビリトレーニングのメニューって……オレの分か?」

 

 資料の中身。

 それは足を壊したウマ娘専用のリハビリメニューだった。

 

「いや、うんって……トレーナーもオレの引退に納得してただろ?」

 

 トレーナーには伝えていたはずだ。

 もう、燃え尽きたから、ジャパンカップで勝てたから引退すると。

 足のケガについては死ぬほど心配されたが、引退そのものには何も言われなかったはずだ。

 

「もしかして、ルドルフかシービー辺りに何か言われたか?」

 

 心変わりの原因。

 それを最も起こしそうな2人の名前を挙げてみるが、トレーナーは首を横に振る。

 それどころか、オレの方に質問をふって来る。

 

「オレが走ってた理由? シービーを倒すため……まあ、最後の方はルドルフも倒そうと思ってたけどな。……言っておくが、オレは満足してる。後悔なんて微塵もない」

 

 ひょっとして、オレが走れなくなったことを気に病んでるのかもしれないと思い、強く言い切る。足を犠牲にしてまで勝ちに行ったのはオレの判断だ。トレーナーが後悔することなんて何一つないのだと言い聞かせるように。だというのに。

 

「トレーナーに後悔がある…? だから、こうなったのは全部オレのせいで──」

 

 

 ──―私が一目惚れしたあなたの走りを、もう一度見たいから。

 

 

 そんなことを真顔で言い切って来るのだから、思わず赤面してしまう。

 ああ、そりゃあ諦められないよな。

 オレが自分に満足したのと違って、トレーナーは満足できていないんだから。

 

「そ、そうか……でもなぁ、いくらトレーナーの頼みと言ってもな……魂に火が灯らないともう走れねぇよ」

 

 オレ以外の奴らは満足できていない。

 それを理解したとしても、オレは走りますとは頷けない。

 そもそも、オレがずっと走るのを渋っているのは魂が走る気にならないからだ。

 

 前世だってそうだ。

 ジャパンカップの後にこれで引退させると言われて糸が切れた。

 有馬記念も出たが個人的にはお祭り気分だった。

 まあ、シンボリルドルフに思いっきりトラウマを刻み込まれたんだが。

 

「ウマ娘にとっての走る原動力、魂と心の方が隠居モードに入ってるんだ。お遊びレベルじゃないともう走れない」

 

 カツラギエースの魂も、オレの心も燃え尽きたと満足気に言っている。

 これはそう簡単に変わるものじゃない。

 そう思っていると、トレーナーが封筒に入った手紙を渡してくる。

 

「これは……ファンレターか? しかも差出人不明」

 

 自分も納得していたつもりだったが、このファンレターを見て気が変わった。

 そんなことを言うトレーナーにオレも手紙への興味が湧く。

 

 何だかんだファンレターは貰ってきたが、そこまでの名文には会っていない。

 いや、初めにもらったファンレターは今でも大切に保管しているが。

 しかし、オレ以上にファンレターを検閲として見ているトレーナーの心を動かすとは一体。

 

「さて、一体どんなことが書かれているのか」

 

 折りたたまれていた紙を広げる。

 

 ──―瞬間、魂が揺れ動く音がした。

 

 

 

──────────────────────────────────────────―

 

     あの“ジャパンカップ”を想い出します

     “ジャパンカップ”の感動を!!

     もう一度、君とミスターシービーの対決を!!

 

──────────────────────────────────────────―

 

 

 

「知らない……オレも…カツラギエースも…知らない……のに」

 

 初めて見る文章のはずだ。

 今世も前世も含めて見たことがあるはずもない文。

 だというのに、どうして。

 

「なんでオレは……泣いているんだ…?」

 

 温かい涙が止まらない。

 心に魂に熱が宿っていく。

 だが、それは炎のような熱ではない。

 どこまでも優しい温もり。

 

 例えるのならそれは──―愛。

 

「ああ…そうだ……これは間違いなく……()()に贈られたものだ」

 

 心が、魂が、脳を追い越して理解する。

 このたった3行の短い文はカツラギエースに贈られ、オレに引き継がれた想いだ。

 

 ずっと不思議だった。

 どうして他のウマ娘とは違ってオレには前世の記憶があるのか。

 だが、今なら分かる。

 

 贈られたこの文を読むためだ。

 馬として生まれたカツラギエースには、墓に刻まれた文字など読むことが出来ない。

 だが、ウマ娘として生まれたオレには読むことが出来る。

 

 カツラギエースと共に笑い、涙した人々の想い(あい)を理解することが出来る。

 

「なあ、トレーナー……オレの走る姿を……シービーと走る姿を見たいか?」

 

 もちろん!!

 子供のように、大きな声で頷くトレーナーに思わず吹き出す。

 だが、そんなに楽しみにしているのかと思うと悪い気はしない。

 

「ハハハ、しょうがねぇな。偶には……自分以外のために走ってみるか」

 

 魂に宿る熱はきっと炎ではない。

 しかし、それは炎と違い燃え尽きる類のものではない。

 いつも胸のうちに宿り、絶えず力を送り続けるもの。

 

「オレはカツラギエース。ミスターシービーの──―永遠のライバルだ」

 

 想いの力だ。

 

 

 

 

 

『さあ、今年もやってまいりました、ジャパンカップ! 会場の熱気は既に最高潮です!』

『誰もが去年の熱戦の再現を待ちわびていますねぇ!』

 

 ゆっくりとゲートに足を踏み入れる。

 去年と同じ感触だが、違うのは観客の視線。

 今年は間違いなくオレを中心に視線が集まっている。

 

『まずは1番人気の紹介です。皇帝シンボリルドルフ! 皇帝の無敗神話に泥を塗られた昨年の雪辱を果たすことができるでしょうか!』

『彼女には珍しい程に気合の入った表情です。余程、去年の敗北を払拭したいのでしょう』

 

 そして、それは左隣のゲートにいるルドルフにも当然。

 パドックでは絶対に許さんという、殺意の籠った懐かしい視線を向けて来ていたのでオレは既に嫌な汗を流している。というか、現状でも隣のゲートから密度の高い殺気が飛んできている。何だ、この化け物。

 

『次に2番人気の紹介をしましょう。前年の覇者カツラギエース!! 復帰明けということで人気は2番ですが、会場の1番注目は間違いなくこの娘でしょう!』

『一時期は引退も噂されていた彼女ですが、見事に復活してきました。3冠王2人をまとめて倒した逃げ足は今日も顕在か! 大注目です』

 

 次にオレの紹介が始まる。

 結局、足のケガを治して実戦に出れるレベルまで鍛えなおすのに、この時期までかかってしまったがコンディション自体は万全だ。去年の脚を壊すレベルの走りとはいかずとも、良い走りを見せることが出来るだろう。

 

『そして3番人気はミスターシービー。一時期は調子を落としていた彼女ですが、ライバルの復帰が決まると共に調子を上げてきました。今日もあの追い込みを見せてくれるか!』

『カツラギエースとミスターシービーのライバル対決にも要注目です!!』

 

 右隣のゲートに居るシービーの方に意識を向ける。

 結局、あの別れの後から話す機会がなかったので、気まずい空気が続いてしまっている。

 よくよく考えると前世も含めて、現役中にこれだけ話さなかったのは初めてかもしれない。

 というか、隣で少しソワソワしているような気配がある。ルドルフとは大違いだ。

 

 ……仕方ない。気まずさでレースに集中出来なかったと言われても困る。

 少しだけ話してやるか。

 

「……シービー」

「……なにか用? アタシに優しい優しいカツラギさん」

 

 ゲート越しに、予想していた以上にジットリとした声が返ってくる。

 そう言えば、こいつはかなり面倒な奴だったと今更ながらに思い出す。

 というか、嫌なら無視すればいいのに反応だけはしっかりするから面倒くさい。

 そう言えばあの時も……クソ、思い出したら腹が立ってきた。

 

『さあ、全てのウマ娘の準備が整いました』

 

 ああ、もう。考えてたらもう時間が無くなった。

 仕方ない。端的にオレの気持ちを伝えるとしよう。

 毎度毎度オレに迷惑かけて来るんじゃねえよ。

 

「やっぱ、オレお前のことが──―大嫌いだ」

 

 一瞬の息を呑む声。

 そして、吹き出す様な音と共に。

 

「フフ、アタシはそんなキミのことが──―大好きだよ」

 

 満面の笑みで言ったであろう言葉が返って来たのだった。

 




レース前の3人の心境

カツラギ「誰かのために走るのも悪くない」
シービー「またカツラギと走れて嬉しいな」
ルドルフ「カツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さんカツラギ許さん」


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