倒れ伏すレーベンの目の前で、シスネと魔女の戦いが始まった。
本来、聖女が単身で魔女と戦うことなどあり得ない。騎士が倒れ、聖女が健在ならば退くのが定石だ。無理ならば騎士を介錯した後に自決する。それが本来の聖女と騎士の在り方。
だが、今ここには真っ当な聖女も騎士もいなかった。
右手に長銃を提げ、左手の短銃を歩み寄りながら連射。魔女との距離はさほど離れてはいないが、不安定な姿勢の上に左手一本で放たれたというのに六発すべてが魔女の躰に突き刺さる。
『逃が、にに、逃げ、げ』
既に頭も失くした魔女が声をあげる。いったいどこから声を出しているのかまるで分からないが、今それは重要ではない。むしろその躰の形の変化こそがよほど大事であった。
生まれたての獣のように立ち上がろうとする魔女に対し、素早く屈んだシスネが長銃を構える。遠くも近くもない最適な距離で放たれた散弾が、魔女の足を一本ずつ丁寧に撃ち潰していく。
『ごわ、ご、ごうぇあっ』
再び地面に倒れた魔女にシスネは容赦なく焼夷弾を放った。魔女の絶叫と共に燃え上がる赤黒い炎に煽られて、白い髪と灰色の装束が靡く。その間もシスネは魔女から目を離さず、手元も見ないまま長銃と短銃に弾薬を装填した。
シスネらしい堅実で丁寧な戦い方だった。その後も全身を焼かれた魔女が立ち上がろうとするも、その足を挫くようにシスネの銃が火を吹く。彼女は必要以上には魔女に近寄らず、常に最適な距離を維持していた。銃声が響き、魔女が倒れる。ベルトから弾薬を抜き取り、淀みの無い動きで装填する。シスネは無駄弾を撃たず、弾薬の残りも充分。このまま続ければ、まず間違いなくシスネが勝つだろう。
だが魔女というものは、何をしてくるのか分からない。
『ごわ、いぃ――っ!』
魔女の全身から骨が突き出す。もはや獣でも虫でもなくなった泥の躰が収縮し、それは爆発寸前の炸裂弾を思わせた。
シスネがトロッコの陰に飛び込み、レーベンは機械剣を手に体を丸めた。
炸裂。小さな矢と化した骨が、泥と共に全方位へと射出される。それこそ炸裂弾で魔女を狩った時に似た光景だが、これは魔女自身が起こした現象であった。百をとうに超えるであろう骨の矢が無差別にばら撒かれ、衝撃で舞い上がった砂利と泥が遅れて雨のように降り注ぐ。仮に数人がかりであの魔女を狩ろうとしていたならば、一網打尽にされていてもおかしくなかった。それ程の規模の攻撃。
「大丈夫ですか!?」
シスネは無事なようだった。いくつも矢が突き刺さったトロッコから顔を出し、魔女から目を離さないまま大声でレーベンの安否を尋ねてくる。
「まだ死んでいない」
レーベンも生きてはいた。地面を這っていたのが幸いしたのか、機械剣しか盾が無かったにしては上出来だろう。そのまま、ずりずりと這って岩陰に隠れる。
「見れば分かります!」
「それは良かった」
「怪我は無いか聞いているのですよ馬鹿っ!」
シスネはいつにも増して短気で、なかなか会話が噛み合わない。何を言っても罵声が返ってきそうな予感がして、ひらひらと手を振って答えた。「もういいから大人しくしていて!」と吐き捨てられるが、言われなくとも何もできそうもない。だが戦う準備だけはしておかなければならないだろう。
飛散した泥で黒く染まった広場の中心で、魔女がまた形を変えていた。頭も手も足も無く、ただ蠢く不定形の泥。そこから生えた、先端に眼球をぶら下げた触手。
「……そういうことか」
もう見間違えようもない。あれは集積場でレーベンが取り逃がした魔女そのものだ。それを裏付けるように、先程はまるで違う「声」を魔女があげる。
『逃げ、てぇ――っ!』
叫びと共に、眼球の触手が伸びる。否、躰そのものが細長く伸び、蛇か
トロッコから飛び出したシスネが短銃を連射する。だが魔女は細長い躰を激しく蠕動させ、的を外した銃弾は無意味に土埃をあげるだけで終わった。シスネの舌打ち。ああも的が細ければ、当てるのは容易ではない。短銃をホルスターに戻し、長銃を手に魔女に走り寄る。確かに散弾ならば当てやすいだろう。だが、しかし。
魔女の眼球がシスネを捉え、恐れおののいたかのように全身を震わせる。そして、再び骨を生やした。
「――っ!」
シスネが踵を返し、トロッコに隠れる。炸裂。再びばら撒かれた骨の矢をやり過ごし、間髪入れずシスネが飛び出してくるが、今度は無傷とはいかなかったようだ。白い頬に赤い血の痕が鮮やかに残っており、解けた髪の一部も赤く染まっている。
魔女は動きを鈍らせていた。あれだけ派手な攻撃だ、それなりに消耗するのかもしれない。なんにせよ好機であり、シスネも大胆に近付いて長銃を構える。だが引き金を弾く前に、黒い瞳が見開かれた。
銃身の一部が破損していた。おそらく、先の攻撃で矢が掠ったのだろう。掠っただけで聖銀も破壊する威力にはゾッとしないが、良くも悪くも大雑把な攻撃だ。対処は難しくない。それに、聖銀とは聖性を流すことで修復される特殊金属。聖性を扱えない
その、はずだった。
「く……っ」
何故か、シスネは長銃を投げ捨ててしまった。代わりのように、脇のホルスターから短銃を抜く。短銃とはいえ、その大きさは他の二丁とは段違いであった。銃身に至っては倍も長く、大ぶりの短剣ほどもある。その大短銃を両手で握り、魔女の躰に押し当てる。
轟音。
『おぶぉぇあっ!』
間近で落雷でもあったかのような音と共に、魔女の躰から泥が噴き出す。一か所ではない、銃口を押し当てられた場所と、その反対側からだ。なんという威力か。見た目以上に硬くそして柔らかいあの泥を、ただの一発で貫通してしまった。
だが、銃弾の威力とはつまり反動の強さでもある。騎士でも持て余しそうなあの銃を撃ったシスネは無事なのだろうか。
「ぁ……ぐ、」
無事ではなかった。発砲と同時に二歩分ほど吹き飛ばされて尻もちをついたまま、苦悶の表情を浮かべている。銃身を中ほどで折ると巨大な薬莢が飛び出し、地面に落ちたそれは空気を揺らめかせるほどの熱気を放っていた。なんとか体を起こしたシスネが次弾を装填しようとするが、その手はぶるぶると震え上手くいかないようだ。どちらにせよ、あれ以上は撃てそうにない。
『逃げて!』
『逃げて逃げて逃げてぇ――っ!』
過剰なまでに強力な一撃に、ついに魔女の
「あがっ」
「ああぁっ!?」
レーベンは隠れていた岩を粉砕され、破片と綯い交ぜになって吹き飛ばされた。シスネは直撃こそしなかったものの、崩れ落ちた木箱の下敷きとなってしまった。それでもなお魔女は暴れ続け、封鎖されていた坑道の入り口、その一つの蓋が鉄格子ごと粉砕される。
まずい。
頭を打って朦朧とする意識の中でも、それだけは確信した。あの魔女は隠れ、逃げようとしている。ならばあの坑道に逃げ込むことは火を見るより明らかで、しかもあの蛇のような躰は坑道では極めて有利な武器となる。断じて逃がしてはならない!
そしてそれは、シスネも同意見だったようだ。
「こ、んの――っ!」
坑道の中へと頭をつっこみだした魔女の躰に、木箱に押しつぶされていたシスネが短剣を突き刺す。そのまま魔女に引きずられる形で木箱から脱し、長いスカートの裾が破れる音が聞こえた。
『はやくはやくはやはやくやくはやく――っ!』
「あ、ぐ、あああぁぁ――――っ!」
そこから先は我慢比べであった。魔女は何をおいても坑道の中に逃げ込もうとし、両手の短剣を魔女に突き刺したシスネは、剥き出しになった足を岩壁について踏ん張る。魔女が逃げようとする程に短剣がその躰を切り裂き、だがもう止まろうとはしない。シスネは女の恥じらいもかなぐり捨てたような顔と体勢で魔女を引き留め、だがもう限界は近いようだった。
「もらうぞ」
「……へ?」
気の抜けた声を無視し、シスネのベルトに手をかける。その下をなるべく見ないようにしながら炸裂弾を抜き取り、機械剣に装填した。
「ちょ、あなた――!」
言葉を返す時間は無い。左手だけで握った機械剣を引きずりながら、坑道の中へと飛び込んだ。
暗がりの中で、黒い泥の躰が蠕動している。既に全長の半分以上を逃げ込ませている魔女の頭を目指して走り、小さくなり始めた入り口からの光、それがわずかに反射する魔女の眼球を、見た。
「なあ、おいっ!」
レーベンの大声が坑道内に反響する。びくりと魔女の躰が震え、反射的に振り返った魔女の眼球と目が合った。人らしい反応。魔女も人であった証。それを利用する。
そういえば、シスネと初めて会った夜もこの手を使った。頭の片隅でそんなことを思い出しながら、機械剣を振り上げ、引き金を弾く。
「――――――っ!」
言葉も発せないほどの衝撃。
焼夷弾を用いた機械剣が炎の刃とするならば、炸裂弾を用いた機械剣は純粋な破壊の刃だった。爆炎が噴き出したのは刃ではなく峰。瞬間的に噴出した炎が刃を加速させ、同時にその刃を激しく振動させる。
まして、今回は炸裂弾を
「ぬあ――っ!?」
そんな状態で、暴れ馬そのものとなった機械剣を御することなどできるはずもない。英雄譚で語られる騎士たちなら可能だったかもしれないが、生憎レーベンはそうではなかった。ただ柄から手を離さないでいるのが精いっぱいである。
『に、げえぁぇぇ――っ!』
加速した刃は魔女の眼球に深々と食らいつき、振動する刃が内側から魔女の躰を破壊する。だがまだ刃は止まらず、細長い躰を縦に裂き、両断し、地面にまで刃が達し、冗談のような亀裂を坑道の壁まで走らせて、ようやく止まった。
斬壊音が響き渡り、反響し、それも止む。魔女はもう声を発さず、だがすぐに不吉な音が坑道内を満たしはじめる。
「……あぁ、これは、……まずいな」
魔女の、おそらくは首を落とした。だがもうそれで安堵していられる状況ではない。踵を返し、パラパラと小石が降り始めた坑道を出口に向かって走りだす。
レーベンも寝台で安らかに死のうとは思っていない。だが崩れ落ちる坑道で生き埋めというのは、死に方としては下に位置するように思えた。つまるところ、今ここで死ぬのは御免こうむりたい。そう考え、未だ力の入りきらない足を必死に動かしながら出口を目指す。その内に地鳴りのような音が響き始め、だがまだ出口は遠い。
なんとか間に合うかどうか、そんな瀬戸際。よりにもよってその時に、レーベンの足を引く者がいた。
『に、げえぇ……ああぁ……』
一体目の魔女と同じ、干からびた死体のような姿。そんな姿の魔女が、横たわる躰から上半身だけを生やして、レーベンの足を掴んでいた。
「……、……そうか」
足元から坑道の揺れが伝わってくる。もういつ崩落してもおかしくはない。
だが魔女はまだ死んでおらず、レーベンも死んではいない。ならば、戦わなければならないのだ。
己は騎士。いつか魔女狩りの中で死ぬ。それは今だった。それだけの話だ。
レーベンが機械剣を構え、魔女がその口から骨の矢を生やし、
「――どいてっ!」
レーベンを押しのけたシスネの、大短銃が火を吹いた。
魔女は、断末魔すらあげずに頭を粉々に吹き飛ばされた。もしかしたら何か叫んでいたのかもしれないが、どちらにせよ坑道内で反響した銃声にかき消されていただろう。現に耳元で発砲されたレーベンは聴覚が麻痺し、更に平衡感覚も失くして転んでしまった。
「――、――――!」
シスネが何か言っているが、まったく聞こえない。立ち上がろうとすると頭がぐらぐら揺れて、たたらを踏む。そんな状態のレーベンをシスネが担ぎ上げるように肩を貸し、一歩一歩、倒れこむようにして揺れる地面を走りだした。
地面は揺れ続け、頭も揺れ続け。耳は聞こえず、前方からの光が目を焼いて何も見えない。口の中は血臭で満たされ。感じるのはただ、すぐ傍で走るシスネの体温だけ。
真っ白な光で満たされた、無音の世界。何故だかそんな、どこか神秘的な世界の中をひたすらに走り、走り、走って。
「いやああああぁぁぁ――っ!?」
回復した聴覚が最初に捉えたのは、すぐ傍でシスネがあげる、聞くに堪えない悲鳴であった。
同時に、すぐ後ろで天井が崩落し、その衝撃で二人まとめて出口から吹き飛ばされる。
「ぐあっ」
「ぶえっ!」
二人でもんどりうって地面に転がり、すぐに降り注いだ土砂と小石に全身を叩かれ、最後に降ってきた機械剣が二人の頭のちょうど真ん中に突き刺さった。
「……」
「……」
もうもうと立ち込めていた土煙が過ぎ去り、見上げた先は、腹が立つほどに澄んだ青い空。
もはや何も言う気も起きず、ただ二人の深い溜息だけが青空に溶けていった。