魔女狩り聖女   作:甲乙

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序章 聖女なき騎士
白聖女


 まったく聖女らしくない女だった。

 月明りに浮かびあがる、真っ白な長い髪。纏っている物こそ聖女の装束だが、その上から巻かれた何本ものベルトがほっそりとした体を締めあげ、その全てに様々な武器が括りつけられていた。短剣に短銃、それはまだどの聖女でも持っている物だが数がおかしい。見えただけでもそれぞれ三つ以上持っている上に、腰のベルトに連なるのは炸裂弾と焼夷弾、更に背中には長銃まで担いでいる。

 荒く息を吐きながら震える手で弾薬を装填している聖女に、黒髪の騎士――レーベンは声をかける。装備よりも、ずっと気になっていたことがあるのだ。

 

「貴公、騎士はどうしたんだ?」

 

 聖女と騎士は一対の存在だ。契りを交わした時から常に生死を共にする。どちらかが役目を降りるか、あるいは死ぬ時まで。この「狩り」の中で聖女が一人でいるとすれば、それは騎士が死んでひとり逃げているということだが、彼女はどうもそうは見えなかった。

 ガチン、と。乱雑に弾倉を戻した聖女がやっとレーベンを見る。その瞳は、夜空のように黒かった。

 

「……あなたこそ、聖女はどうしたのですか」

 

 澄んだ声に聞き惚れてしまったが、痛いところを突かれた。レーベンに聖女はいない。死んだのではなく最初からいないのだ。

 故に、こうして負傷した体の治療も「薬」に頼るしかない。雑嚢から取り出した再生剤の蓋を開け、容器から突き出た針を動かない足に突き刺す。これで三本目。副作用が怖いが仕方ない。

 続けて武器の状態も確認する。刃こぼれした片手剣はその場に捨て置き、背負っていた斧を手にした。残りの武器の数も心許ない。聖女がいればこんな面倒とも無縁なのだが。

 横目で隣の聖女を見れば、こちらに背を向けていた。雑に束ねられた白い髪が尾のように揺れている。隠れていた岩から顔を出して「敵」の様子を見ているのかと思ったが、様子がおかしい。

 

「それに、なぜ裸なのですかっ」

「下は履いているんだが」

 

 鎧はとっくに破損し、その下の騎士装束も襤褸(ボロ)布になって脱ぎ捨ててしまった。ズボンが無事で良かったと心底安心する。白髪から覗く、月明りだけでも分かる程に赤い耳。潔癖なことだ。

 

「そういう問題じゃ――」

 

 

『お父さん』

『お父さん、どこにいくの』

『お父さん、お父さん』

 

 

 澄みきった森の空気にその女の声はよく響いた。まだ年若い女の声。そこに下手糞な弦楽器のような雑音を混ぜれば、こんな声に聞こえるだろうか。それに加え、草を踏む軽い足音と、土を踏みしめる重い足音が同時に聞こえてくる。聖女が息を飲み、短銃を両手で握りながら身を固くする。

 レーベンもようやく動き出した足で立ちあがった。まだ感覚は戻ってきていないが、まあ何とかなるだろう。立ち上がって、まず口を開いた。

 

「なあ貴公、貴公」

 

 返事は無言の平手だった。頬を張られるように口を塞がれて、間近に迫った黒い瞳に睨みつけられる。「静かにしろ」と、唇の形だけで伝えてきた。

 

『どこにいったの?』

『お父さん、ねえ』

『どこにいくの』

 

 女の歪んだ声は徐々に大きくなっていく。聖女にひとつ提案があったが、その時間は無いらしい。諦めて斧を握る。口を塞いだままの手を舐めたらどんな反応をするのかと、(よこしま)な気持ちが湧いてきたところで白い手は離れていってしまう。もったいないことをした。聖女の肩を軽く叩いてから、レーベンは岩影から飛び出した。

 

『お父さん、そこにいるの』

 

 月明りだけでは森の奥まで見通せない。相手の姿もまだ見えない。声だけを頼りに走る。

 

『お父さん』

 

 声が近い。おそらく、あと二十歩ほど。まだ姿は見えない。背を低くして走るレーベンの姿も、向こうには見えては――。

 

『どこ!』

 

 声と共に、かすかな金属音と、弦が撥ねる音と、矢が空を切る音を聞いて。

 

「ぬがっ」

 

 体を横に転がす。回る視界の中で、地面に突き刺さる矢。飛来する矢は見えなかった。運が良かっただけ。故に次は絶対に撃たせてはならない。転がる勢いのまま立ち上がり全力で走る。二射目がいつ来るかなど分からない。それが十秒後だろうと一秒後だろうと、レーベンにできることは間合いを詰めることしかない。

 

『どこにいったの!』

『そこにいるの!』

『お父さん! お父さん!』

 

 草を踏み散らして、木の根を飛び越えて、大きな木の影を抜けた先で、月明りに照らされた相手の姿をレーベンは見た。

 

 まず目につくのは、ぬらぬらと(うごめ)く黒い泥。

 不定形のそれから覗く体は女特有の丸みを帯びているが、その所々から変形した白い骨が突き出ている。特に後ろ腰から伸びた二本の骨は泥を血肉のように纏い、一対の後ろ足を成していた。異形と化した下半身に対して、その上はまだ人としての面影を残している。

 

 ()()

 レーベンは狩りの対象と、ようやく対峙した。

 

『お父さん、そこにいたの』

 

 四足二腕。半人半獣。そんな姿となった魔女がレーベンに顔を向けてくる。だがその頭はもう泥に覆われ、どんな表情をしているのかも分からない。ただ肥大化した左目だけがギョロギョロとレーベンの姿を捉えていた。この暗がりで遠距離からの狙撃を可能とした秘密はあれだ。暗かろうと遠かろうと、こちらの姿は丸見えに違いない。

 魔女が新たな短矢(ボルト)を装填した石弓(クロスボウ)を向けてくる前に、レーベンは斧を振り上げていた。遠距離は完全に魔女の間合い。断じて距離を離してはならない。今ここで狩る。

 だが、そう考えていたのは相手も同じだったか。

 斧は虚しく空を切り、魔女の姿が消える。視線だけで追えば、泥の後ろ足で力強く地面を蹴り飛ばしながら暗がりに走り去っていく魔女の姿が見えた。

 

 ――まあ、そう来るか

 

 これで仕切り直し。またレーベンは一方的に狙撃されながら後を追わなければならない。泥沼の消耗戦。本来の聖女と騎士であればむしろ有利な戦いだが、ここに聖女はいない。

 だが味方がいないわけではなかったか。

 暗い森の奥で火色の閃光が散る。それにほんのわずかに遅れて銃声が鳴り響いた。その音が鳴りやまない内にレーベンはまた走り出す。

 

 

 

『お父さんっ』

『おどっ、おどうっ!』

 

 パン、パン、と等間隔で鳴り響く銃声と、魔女の悲鳴。銃声の発生源はすぐに見つかった。暗い森の中で火薬が放つ光はよく目立つ。

 太い木から半身を出して短銃を撃ち続ける白髪の聖女。胴体を狙った二連射、基本に忠実な教本通りの射撃。六発目が命中するのと、魔女が石弓を構えたのはほぼ同時だった。

 巨大な左目の瞳孔が蠢き、正確無比な矢が聖女に放たれる。だが的である聖女は既に木に身を隠していた。どんなに正確であろうと石弓は石弓、太い木を貫くほどの威力は持っていない。矢が幹に突き刺さると同時に、反対側から聖女が短銃を突き出す。装填するには早すぎる、おそらく別の銃に持ち替えたのだろう。懲りずに魔女が短矢を矢筒から抜くが、そうはさせられない。

 

「ぬんっ」

 

 まず足を潰す。振り上げた斧が今度こそ魔女の後ろ足に叩きこまれた。見た目以上に硬い泥を抉り、中心の骨を半分断った感触。聖女がいれば一撃だったが、いないものはいない。逃げられない内に斧頭を踏みつけて骨を断つ。

 

『ああ゛っ! おどうざん、お父ざんっ!』

 

 痛みに悶えているなら好都合。すかさず残りの後ろ足も断つが、それで斧の刃は限界を迎えた。聖銀(せいぎん)の斧も聖女の力――聖性(せいせい)を通さなければこんなものだ。むしろ鉄より脆い。だから一撃で狩ってやることもできない。

 

「悪いな」

 

 薄っぺらな謝罪を口にして、魔女の手からこぼれ落ちた石弓を蹴り飛ばす。人の姿に近くなった体を踏みつけて、刃こぼれした斧を頭めがけて振り下ろした。

 

 閃く鈍色の光。砕けたのは斧の方。

 

 一瞬の怯みを突かれ、足を払われる。転倒し、起き上がろうとした時にはもう魔女は獣のような身のこなしで駆け出していた。聖女に向かって。

 

『たすけて! お父さん!』

 

 意味の無い叫びを向けられても聖女は冷静に見えた。両足を広げ、両手で握った短銃をピタリと魔女に向ける。だがそれは。

 避けろと、声をあげる間も無かった。耳障りな金属音と共に銀色の短銃が宙を舞う。魔女の右手に握られた、鈍色の山刀。

 

「あっ!」

 

 押し倒される聖女。眼前に迫る山刀を握る魔女の手を、聖女の手が掴み止めていた。その手はぶるぶると震え、刃は徐々に下がっていく。単純な体格と筋力の差だ。女としては太い魔女の腕に比べて、聖女のそれはあまりにか細い。

 そうはさせられない。

 

「なあ、おい」

 

 後ろから声をかければ、おそらく反射的に魔女は振り向いた。その左目に、右手を突きこむ。

 

『おどうぁぁ――――っ!』

 

 固いような柔らかいような、巨大な眼球を掴んだ感触にレーベンは口を歪めた。強化剤で筋力を(かさ)上げした右手に全力を注ぎ、握りつぶす。

 魔女の絶叫が声量を増し、滅茶苦茶に振り回される山刀を寸でのところで避けた。悠長にはしていられない。早く止めを。

 何か武器は無いか見回し、聖女の背中に括りつけられた長銃が目に留まる。引き抜こうとして、だが金具が外れない。聖女が何か言っているが、もう時間がない。仕方なく聖女ごと抱きかかえるようにして長銃を魔女に向ける。

 祈りの言葉より先に、引き金を弾いた。轟音と共に放たれた散弾が魔女の頭を吹き飛ばす。潰れた巨大な左目も、頭を覆っていた黒い泥も、すべて吹き飛んだ。残ったのは口と、右目だけ。

 

『お、とう、さ……』

 

 倒れ伏した魔女の残った口が最期の言葉を遺し、残った右目からは黒い泥が涙のように流れていた。

 すぐに長銃のレバーを引いて、次弾を装填する。銃口は魔女から外さない。そのまま十数えても動き出さないことを確認し、ようやくレーベンは息を吐いた。

 だが胸元に熱を感じて視線を下げる。そこにはレーベンの胸板に顔を埋める聖女の、震える白い髪と赤い耳が見えた。そういえば上半身はずっと裸だったことを忘れていた。よく無傷で切り抜けられたものだ。だがさすがにこの体勢はまずいのではないか。そう、思い直して。

 

「誠に申し訳ない」

 

 薄っぺらな謝罪と、聖女の平手打ちはまったくの同時だった。

 

 

 ◆

 

 

 森を進んだ先に建つ山小屋。そこに三人分の死体があった。聖女と騎士、そして魔女の犠牲になった猟師の男。その内、猟師の死体は狩られた獣のように解体され、騎士はその最中で放置され、聖女だけは唯一きれいな状態を保っていた。

 暗い森の中で、()せ返るような血臭が充満している。もちろん気分の良いものではないが、この程度で吐いていては騎士など続けていられない。ランタンを手に死体を検めている聖女も、顔を(しか)めはしても狼狽(うろた)えた様子は無かった。

 

「お父さん、か」

 

 バラバラになった死肉の傍に置かれていた猟師の頭を照らしながら、レーベンは呟く。この魔女狩りの前に近隣の村で集めた情報によれば、森の山小屋には猟師の父娘(おやこ)がいたはずだ。ならば娘はどこにいったというのか。もう今更、考えたところで仕方のないことではあるが。

 同じく転がされている騎士の顔に見覚えは無かった。眉間に突き刺さった矢から、あの魔女を狩ろうとして返り討ちにあったのだろうと推測できるだけ。最後に、聖女の死体を見ていた聖女に声をかける。

 

「知り合いか?」

「……はい」

 

 そういえば、聖都(せいと)から増員が派遣されるという話を聞いた気がする。この二組、正確には一組と一人がそれだとすれば辻褄が合う。小さく祈りの言葉を紡いでいた聖女が、ひとつ頷いてから話しだした。

 聖都からの道中、立ち寄った村で魔女出没の話を聞いた。教会への依頼はまだ出されていなかったが、被害が増える前に狩ることにした。二手に分かれて森に入り、だが見つけた時にはもう手遅れだったのだと。

 

「諦めて、自決したのでしょう」

 

 死んだ聖女の胸元は血で赤く染まっていたが、矢は刺さっていない。その右手に握られたままの短銃を見るに、騎士が倒れた直後に自決したと考えるのが自然だろう。聖女が持つ短銃の、()()()使()()()だった。

 聖女と騎士は一対の存在。契りを交わした時から常に生死を共にする。この聖女が自決したのは騎士に対する信頼の証だったのか、それとも魔女に(なぶ)り殺されることを拒んだのかは、もう分からないが。

 どちらにせよ、この二人は最後まで聖女と騎士であったのだ。レーベンと、この白髪の聖女とは違って。

 

 

 

 木々の隙間から光が差し込んできていた。夜明けが近い。死んでいない方の聖女の横顔を眺めながら、レーベンは遂に切り出した。

 

「俺を、貴公の騎士にしてはくれないだろうか」

 

 聖女が、ゆっくりとレーベンを見る。

 朝日に照らされた髪と肌は輝くように白く、それに対して瞳は吸い込まれそうなほどに黒い。清貧を現す灰色の装束と相まって、その姿は白黒(モノクロ)画のようで、どこか病んだ印象すら覚えるほどの、美しい聖女に見えた。

 端的に言えば、一目惚れだったのだ。

 

「俺の、聖女となってはくれないだろうか」

 

 

 

「お断りします」

 

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