魔女狩り聖女   作:甲乙

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二章 弱者たちの夜
逢魔が刻


 最初の騎士たちの一人、ジャック・ドゥ。

 英雄譚に謳われる聖女と騎士の中でも、その存在は極めて異質である。

 

 曰く、不自由な身体で戦い続けた不屈の男。

 曰く、最弱の騎士と呼ばれながら、多くの魔女を狩った最良の騎士。

 曰く、悪辣な手口で魔女を罠に嵌め、時には同胞をも犠牲に魔女を狩った最悪の騎士。

 曰く、聖女を道具として扱い、幾人もの聖女を使い潰した聖女殺し。

 曰く、聖女が生まれる以前から魔女を狩り、更にそれ以上に多くの女を「予防」した女殺し。

 

 その他、幾つもの悪名を轟かせる彼は多くの英雄譚で悪役として描かれ、そして他の騎士の例に漏れず、彼もまた悲劇で終わる。だがその最期は魔女狩りの中には無かった。

 彼に狩られた魔女、その家族達による報復。捕らえられ、生きながら炎に焼かれるその瞬間まで、彼は悔い改めることは無かったという。

 

 ――救えぬ莫迦(ばか)どもめ

 ――貴様らの大事な家族とやらを、我は殺してやったぞ

 ――どれだけ涙を流して悼もうが、あれらはもう欠片も人では無かった

 ――脳味噌の底まで腐った売女のように

 ――泣いて我に礼を言うだろうさ!

 

 いったい、どれ程の情念を魔女に抱いていたのか。

 片目と片腕を失っても尚、魔女を狩り続けたのは何の為だったのか。

 どこにでもいる平凡な農夫であったはずの男を、何がそこまで変えてしまったのか。

 彼の心の内など今となっては知る由も無く、仮に目の前で蘇ったとしても答えなど得られないだろう。

 

 

 だが確かなのは、魔女も元は人であり、そして家族がいたということだ。

 

 

 ◆

 

 

 ゴトゴトと揺れる馬車の中で、レーベンは何度目かの目覚めに至った。荷台の中は橙色の光に満たされており、幌ごしでも今が黄昏時であることが分かる。ずり落ちそうになっていた体を持ち上げ、狭く固い座席に座り直した。

 カクトの町を出て六時間というところか。未だにライアーとカーリヤが向かった町には着かない。これだけの時間があればレーベン達だけポエニスに帰ることもできたが、馬車の運行については教会の本棟が決めていることだ。一介の騎士に口出しできるものではない。

 欠伸を噛み殺し、小さく体を伸ばすと体中の骨が音を鳴らした。血の巡りが悪くなっていそうな足を揉んでいると、正面の席に座っていた同乗者がかくりと頭を垂らす。

 その白髪の聖女――シスネもまた、座席に座ったまま眠っていた。特徴的な黒い瞳は閉じられ、薄い唇が半開きとなった寝顔は少女のようにあどけない。……涎さえ垂らしていなければ。

 更にその手には、栓も抜かれたままの果実酒の瓶が緩く握られていた。先日にレーベンが買ってきた物であり、己が下戸である以上はシスネが飲むしか無い。それ故、一仕事終えたシスネが一杯飲もうと非難される謂れは無いが、やはり人に見せられる姿とは思えなかった。酒は苦手などと言っていたのは何だったのか。

 

「……」

 

 どうしたものか。とりあえず酒瓶だけでも回収しておこうと慎重に手を伸ばす。もし体に触れでもしたら彼女の短銃が火を吹きかねず、揺れる馬車の中ではそれなり以上に気を遣う作業であった。ゆっくりゆっくりと手を伸ばし、同時にシスネの瞳が開かないか注視する。馬車の揺れに合わせて頭と白髪が揺れ、その毛先が鼻を掠めた時には眩暈を覚えたが、気合いで堪えた。

 なんとか無事に酒瓶を掴み、だが同時に馬車が急停止する。

 

「ぁいた……っ!」

 

 レーベンは素早く座席に戻り、シスネは慣性で頭を壁に打ちつけた。しばらく頭を押さえながら俯き、痛みを堪えるように唸った後で顔を上げる。寝起きなこともあってか、生理的な涙で潤んだ黒い瞳は黒曜石を連想させた。

 目が合ったが、じっと見るなと言われた手前レーベンは目を逸らし、だがそれをシスネが何か勘違いしたらしい。

 

「……言いたいことがあるなら言えば良いでしょう」

「何の話だ」

「お酒を飲んで居眠りする女がそんなに滑稽ですか」

 

「笑いたければ笑ってください」とそっぽを向くシスネはひどく子供っぽく見え、案外本当に酔っているのかもしれない。現に、回収した酒瓶はそれなりに軽い。その後も睡眠薬代わりだの捨てるのは勿体ないだのと聞いてもいない言い訳を並べ始めるシスネから逃れるように、レーベンは御者台に出た。

 

「ああ騎士さま、申し訳ない」

「構わんよ、何があった?」

 

 人の良さそうな顔をした御者に尋ねれば、困った顔をして前を向く。その視線を追えば、夕闇に沈もうとする街道の中央に、細い人影があった。

 何の変哲もない、若い娘に見えた。地味で質素な平服を着た、どこぞの村娘のような。だがその顔は背にした夕日のせいで影となって見えず、腰まで伸びた亜麻色の髪だけが印象的だった。

 

「どいてくれと言っているんだけども、あのまま動かないんでさ」

 

 御者の言葉を聞きながら、レーベンも娘の姿から目を離せない。どこにでもいそうな娘だというのに、どうにも違和感を覚える。

 

「この近くに村なんてありましたか?」

 

 いつの間にかシスネも御者台に出てきて娘を凝視していた。思いのほか近い距離と、わずかな酒精の香りに思わず仰け反りそうになる。そんなレーベンの様子に構わず、シスネは御者の広げた地図を覗き込んでいた。

 

「……いちばん近い所でも、三里はありますな」

 

 ちらとシスネの黒い瞳がこちらを向く。それに頷き返し、レーベン達は荷台に戻った。

 

 

 

 荷台の裏から降り、シスネにはここに残るよう小声で伝える。頷いたのを確認してから、レーベンは街道に出た。

 

「貴公、こんな所でどうした? 何かあったのか?」

 

 威圧的にならないよう注意し、大きな声で娘に話しかける。人並以下であるレーベンの表情筋では笑顔も見せられないが、かわりに両手に何も持っていないことを見せながらゆっくりと歩み寄っていった。

 

「俺たちは教会の使いだ。何か困っているなら力になれるかもしれんぞ」

 

 教会。その言葉に娘はわずかに反応したように見えた。俯き加減なまま微動だにしなかった体が揺れる。人里離れた場所の怪しげな娘。そしてあの反応。

 当たりか。レーベンは内心で確信した。

 

「――魔女でも、出たのか」

 

 娘が顔を上げる。

 その顔は、黒い泥に覆われていた。

 弾かれるようにレーベンの右腕が動き、後ろ腰に隠していた手斧を掴み取る。一挙動で投げ放ち、それを追って走り出した。

 だが。

 

「――――っ!?」

 

 娘――魔女の顔面に斧を投げ、その隙に組み伏せて短剣で止めを刺す。そんな脳内で描いていた戦術は初手から覆された。投げられた斧は魔女の頭を割ることもなく、街道に刃をめり込ませて終わる。避けられたのではない。外してもいない。

 信じがたいことに、斧は魔女の頭をすり抜けたように見えた。あまりに異様な結果に、レーベンも思わず足を止める。

 

『……』

 

 多くの場合、魔女は意味も無く喋り続ける。人であった頃の口癖や習慣、あるいは断末魔を連呼することが多く、壊れた弦楽器のように歪な声で喋り続ける様は魔女の恐ろしさと悍ましさの象徴でもある。だがこの魔女は一言も発さず、ただじっと街道で佇むのみだ。前例の通じない異様な魔女。短剣のみで戦うのは無謀でしかなく、故にレーベンは動けなかった。

 その沈黙を破るように銃声が鳴り響く。振り返るまでもない、シスネの短銃だ。弾丸の軌跡など見えるはずもないが、やはり当たっているようには見えない。魔女は微動だにせず、その衣服すら絵画のように動かなかった。三度の銃声が木霊しても、魔女はまだそこにいる。

 

「どうして……」

 

 近くまで走り寄ってきたシスネが、再び短銃を構える。それを手で制し、視線だけは魔女から外さずにおく。

 

「やめろ。弾の無駄だ」

「この距離ならもう外しません」

「外してはいない。だが当たってもいない」

 

 意味不明なことを言っている自覚はあるが、実際にそうなのだから始末に負えない。結局はシスネも短銃を構えたまま何もできず、ただ沈黙だけが漂っていた。

 

 

 

 どれぐらいそうしていただろうか。

 魔女が背にしていた太陽が地平線に沈み、魔女の姿も朧気になってきた頃、遂に魔女が動いた。弾かれるようにレーベン達も身構え、だが魔女はこちらに向かってくることはない。ただ、ゆらりと体を揺らめかせて、街道の横の森へと吸い込まれるように消えていった。

 

「……どうしますか」

 

 短銃を下ろしたシスネが考えあぐねたように意見を求めてくる。だがレーベンとて考えあぐねているのは同じだ。

 攻撃の当たらない、正体不明の魔女。まるで喋らないことといい、襲ってくることもなく去ったことといい、魔女の性質からも離れすぎている。情報があまりにも足りない。

 更にレーベン達は装備の大半を失っている状態だ。手持ちの武器は手斧とシスネから借りた短剣のみ。機械剣はあるが、燃料となる焼夷弾と炸裂弾がほとんど残っていない。薬も鎮痛剤以外は使い切ったか、シスネに処分されてしまった。シスネは長銃を失くしたぐらいだが、肝心の弾薬が心許ない。

 冷静に考えれば、退くべきだろう。このまま予定の町に向かい、ライアー達と合流する。彼らがまだ戦えそうなら共闘し、無理ならポエニスに戻って報告する。そして日を改めて再び狩りに来れば良い。

 だがレーベンは、荷台に置かれた装備を手に取った。

 

「このまま追おう。どうにも嫌な予感がする」

 

 魔女は何をしてくるのか分からない。あんな得体の知れない魔女なら尚更だ。

 ライアー達と合流するにしても、彼らがいる町までは更に六時間以上かかる。往復すれば戻ってこられるのは明朝だろう。それまであの魔女がここに留まる保障は無く、近くの村や町に向かうとすれば間に合わない。まして、あのカクトの町を襲いでもしたら寝覚めが悪いなどというものではない。

 そして懸念は他にもあった。

 

「最近、魔女狩りの依頼が少なすぎるとは思わないか」

 

 荷台で残り少ない装備を身に着けながら独り言のように漏らすと、同じく装備を整えていたシスネが顔を向けてくる。

 

「カクトの共喰魔女もそうだ。あんな珍しい魔女、そう見られたものじゃあない」

 

 複数の魔女が融合した姿――共喰魔女。それ自体も相当に珍しいが、レーベンはそれ以上にあの魔女の様子が気にかかっていた。積極的に襲ってくることもなく隠れ潜み、まるで何かから逃げていたかのような。あるいは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 減少する魔女。逃げる魔女。そして、あの亡霊のような魔女。これらは果たして偶然なのだろうか。

 

「……それは、私やあなたが考えることではないと思いますが」

「そうだな。だから俺達が探りに行くのだよ」

 

 仮に何か大きなモノが動いているとして、それに対してどうこうするのは教会の上位職員たちの仕事だ。一介の騎士とすら呼べないようなレーベンが考えることではなく、だが彼らにしても考察の材料が無いことには何も始まらない。それを探し、持ち帰る者が必要なのだ。

 

 

 

 夕闇に包まれた街道を、大型のランタンを掲げた馬車が速度を上げて走り去っていく。それを見送ってからレーベン達は森の前へと立った。

 あの御者には、カクトの町と今回の魔女狩りについての簡単な報告と、ライアー達への伝言を手紙に纏めて渡してある。最悪、ここでレーベン達が死んだとしても教会へ報告は届くという算段だ。

 

「さて、行くか」

 

 返事の代わりのように、シスネが短銃を抜いた。その腰には頑丈なランタンが重そうに吊るされている。それを横目に、レーベンは己の装備を改めて確認した。手斧、短剣、機械剣、焼夷弾と炸裂弾が一つずつ、そして即席の松明。それで全てだ。魔女狩りには明らかに装備が足りないが、今回はあくまで偵察。あの魔女に関してある程度の情報を手に入れられれば良い。もっとも、それでも充分に危険ではあるのだが。

 

「状況が状況だ。二手に分かれるとは言ってくれるなよ」

「……分かっています」

 

 心底嫌そうな顔でシスネが答える。今回はやけに素直だった。

 太陽は完全に沈み、目の前には月明りに浮かび上がる森の暗闇が広がっている。人の本能をかきたてるような恐怖を抑え込んで、レーベン達は暗い森の中へと足を踏み入れた。

 

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