魔女狩り聖女   作:甲乙

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ひとでなし

 一度だけなら、耐えられたのだ。

 

 

 

 ユアンという男は、どこまでも平凡な男だった。

 聖都からも旧聖都からも遠く離れた辺境の村。つまりは田舎に生まれ、そこで人並の幸福と不幸を甘受しながら、ただ平凡に生きてきた。

 平凡に成長し、平凡に働き、平凡に恋をし、同じく平凡な女と結ばれた。

 だがその平凡な女は、ユアンにとってどんな聖女よりも美しい妻であった。彼女の手料理より美味いものなど知らなかったし、彼女との間に授かった二人の娘より愛らしい存在などこの世にいなかった。

 ユアンという男は、たしかに幸せだったのだ。

 

 

 

 ある日、妻が魔女となった。

 いつものように妻と娘に見送られながら働きに行き、いつものように家に帰ると、妻は見たことのない化物に変わっていた。

 何が起こったのか。なぜ妻が魔女になったのか。何も分からなかった。

 何も分からないまま、妻だった魔女が村人を殺す様を見ていた。

 何も分からないまま、妻だった魔女が聖女と騎士に殺される様を見ていた。

 心中お察しする。誠に残念なことだった。だが貴方とお子さんは生きていた。不幸中の幸い。女神の導きのあらんことを。そんなことを言って、連中は去っていった。

 村人たちは泣いていた。妻に殺された村人の死を悼んで、そして妻の死を喜んで、泣いていた。

 だれも、妻の死を悼んではいなかった。みんな、妻の死を喜んでいた。

 もう、何も分からなかった。

 

 

 

 ユアンが悲しみと絶望の底から這いあがるまでに、一年の時を要した。その間、家に閉じこもり、酒に溺れ、自暴自棄になって、ただ生きていた。

 上の娘――ミルスには、本当に苦労をかけた。穀潰しの父親に代わって、毎日働いていた。いなくなった母親に代わって、幼い妹の世話をしていた。こんなどうしようもない、父親とも呼べない男にも優しく笑いかけてくれた。

 その笑顔は、妻にとてもよく似ていて。

 少しずつ、少しずつ、ユアンは力を取り戻していった。ただ悲しみが風化しただけかもしれない。ただ酒で忘れただけかもしれない。

 だがそれでも、ユアンという男は、再び立ち上がったのだ。

 

 

 

 ユアンは働いた。今までの自分を振り払うように働いた。すべては娘たちの為。ミルスとミラ、二人の娘たちの幸せの為。苦労をかけた分、もっと美味いものを食べさせて、もっと綺麗な服を着せて、もっと愛情を注いで。

 そしていつか、娘たちが自分の家族を得たら、それを笑って送り出そう。思い出の中の妻と笑いあって、娘たちの家族に囲まれて、老いて死のう。

 それで良い。それが良いのだ。それがユアンという平凡な男の、ちっぽけな幸せ。

 ひとつの大きな苦難を乗り越えた。それがユアンの小さな誇りだったのだ。

 

 

 

 ある日、娘が魔女となった。

 

 

 

 一度だけなら、耐えられたのだ。

 一度だけなら、乗り越えられたのだ。

 二度はもう、無理だった。

 

 

 ◆

 

 

 狂い叫ぶユアンの言葉を、レーベンとシスネはただ聞いていた。

 家族の魔女化という、この国ではありふれた悲劇。それは一度ならず二度までも、ユアンから幸せを奪っていった。

 そしてユアンは全てを捨て、全てを拒絶してこの森の奥へと逃げ込んだ。魔女となったミルスを洞窟に閉じ込め、ミラとただ二人、ここでひっそりと生きていたのだ。

 二年間、ずっと。

 

「出ていけ」

 

 半狂乱で叫んでいたほんの数秒後に、ひどく冷めた声でユアンが言う。その急激な落差は、彼が半ば狂気の中にある証左でもあった。

 

「出ていけ、ここは俺達の家だ」

 

 そう言って、また長銃をレーベンの眼前に向ける。引き金を弾かないのは、彼の最後に残された理性のせいだろうか。

 

「あの子は殺させん。出ていかないなら、殺してやる」

 

 

 

「そうかい」

 

 自分でも意外なほど、冷えた声が出た。

 そのレーベンの声に、シスネが俯いていた顔を上げ、ミラが怯えたように父親の足にしがみつく。ユアンはただ、レーベンを睨み据えていた。その濁り切った目を、正面から見返す。

 

「なら、もう止めんよ」

 

 レーベンにユアンの苦しみなど分からない。何故ならレーベンに家族はおらず、故に家族が魔女となる苦しみなど知りようもない。そんなレーベンの薄っぺらな言葉など、何の意味も成さないのだろう。

 説得はできないのだ。ならば。

 

「だがな」

 

 レーベンは短剣を抜いた。あの巨大な魔女には何ら役に立たず、だが人の一人なら容易に殺害せしめる凶器を。

 

「それでも俺は、あの魔女を狩るんだ」

 

 魔女。その言葉に、再びユアンの目に激情が宿る。

 

「魔女じゃない、ミルスだ! あの子は俺の娘だ!」

 

 レーベンの言葉はユアンに届かない。そしてそれは逆でも同じことだ。元よりユアンの言葉も、その幸福も不幸も、レーベンには理解できないのだから。

 だがアレは魔女で、己は騎士で、そしてこの父娘(ふたり)はもう敵なのだ。それだけは理解できる。

 

「俺はアレを殺す。邪魔するなら貴公(あんた)達も殺す。文句があるなら止めてみろ」

 

 

 

 ユアンの背後に忍び寄っていたシスネが、その首に中和剤を打ち込んだ。

 少なからず鎮静作用もあるそれは、耐性の無いユアンには効果覿面(てきめん)だったようだ。すぐに気を失って地面に倒れ、手から零れた長銃をシスネが素早く回収する。

 

「お父さん!?」

「ごめんね。大丈夫、寝ているだけだから」

 

 血相を変えて父親を揺り起こそうとするミラの手を止め、優しげな声とは裏腹に鋭い瞳をレーベンの手元に向けてくる。視線に気付いたレーベンは短剣を背に隠した。

 

「ミラ、よく聞いて」

 

 屈みこんでミラの肩に両手を置きながら、シスネは黒い瞳でミラを見上げる。ミラも不安げに瞳を揺らしながらも、目を逸らそうとはしなかった。

 

「お父さんのことは、好き?」

 

 こくり、とミラは頷いた。何故そんな当たり前のことを聞くのか分からないと、そんな疑問すら抱いていそうな顔だった。

 

「お姉さんのことは?」

 

 今度は、ほんの一瞬だけ間があった。だがそれでも、ミラは頷いた。

 

「聖女のことは、嫌い?」

 

 ぎゅう、とミラが唇を噛んだ。それは少女のたどたどしい言葉よりも雄弁に、その心情を物語っていた。

 二年間。大の大人であっても決して短くはない時間だ。この幼い少女にとっては、もはや半生と言って良い。その間、例えユアンにそのつもりが無くとも、彼の教会に対する不信と憎悪はミラにも伝播していったのだろう。

 母を殺め、父と姉と自分をこの森に追いやった仇。それがミラにとっての聖女であり騎士なのだ。

 

「……そう。そうだよね」

 

 シスネが頭を垂れ、解けていた白髪もはらはらと地面に垂れる。その髪に付いていた枯れ葉を、ミラの手が摘まんで落とした。

 

「私もね、そこの騎士さんのことは嫌いなんだ」

「おい」

 

 思わず抗議の声が漏れた。何故いきなりそこでレーベンの話になるのか。しかもまた嫌いだと言われた。非常に傷つく思いである。

 

「でもね、気持ちは同じなの」

 

 そう続けて、シスネもまたミラのように唇を噛んだ。言いたくないことを言おうとするように。

 

「私も、あの魔女を、……ミラのお姉さんを、狩るよ」

「――っ!」

 

 表情に乏しかったミラが、はじめて顔を歪めた。歪めて、腰帯に差していた短銃を小さな手で掴む。

 

「あっ!?」

 

 だがその短銃は、次の瞬間にはシスネの手にあった。目を見張るような早業、ミラの手は引き金にかけた指もそのままに固まっていた。そのまま弾倉を開くと、全弾が込められているのがレーベンからも見える。

 武器を失くしたミラの顔は怯えの一色に染まっていた。後退ろうとする少女の手をシスネが掴み、ミラの喉からひゅっと音が漏れる。

 シスネの黒い瞳とミラの大きな瞳が交差し、そしてシスネは短銃を再びミラの手に握らせた。

 

「え……」

「ミラはここにいて。あなたがお父さんを守るの、いい?」

「う、うん」

 

「いい子」と、伸びっ放しの髪を撫で、シスネも立ち上がる。長銃を手に立ち去るシスネを追って、レーベンも足早にその場を後にした。

 

 

 

 暗い森を無言で進む。沈黙に耐えかねたレーベンは前を歩くシスネに声をかけた。何故か、そういう気分だった。

 

「上手いものだな」

 

 レーベンを囮にしてユアンの背後に忍び寄る冷静さも、中和剤で無力化する機転も、ミラを体よく丸めこむ話術も、レーベンには無いものだ。皮肉ではなく本心からの言葉だったが、シスネは皮肉と受け取ったらしい。

 

「あなた程ではありませんが」

「そう言ってくれるなよ。これでも自信を失くしそうなんだ」

 

 レーベンがしたことと言えば、ただの力押しだ。刃と暴力をちらつかせて、それでユアン達が引き下がるならそれで良し。だがそうでなかったのなら、その時は――。

 

「……脅しでも、あんなことを言うのは感心しません」

 

 足を止めたシスネが、正面からレーベンを見返す。その黒い瞳は、今まで見た中でもっとも厳しい光を放っているように見えた。

「脅しではなかった」そう言おうとして、口を噤む。「脅しだったということにしておいてやる」と、そういうシスネの気遣いなのではないか。特に根拠もないというのに、何故かレーベンにはそう思えた。

 

「……誠に申し訳なかった」

「二度としないでください。いいですね」

 

 声もなく頷くと、踵を返したシスネが再び歩き出す。その細い背中を見ながら、己に姉というものがいたらこのような感じなのだろうか、などと。そんなことをレーベンは考えた。

 

 

 ◆

 

 

『どうして、どうしてよ』

『なぜ、なんで』

『なんでなの』

 

 地鳴りのような足音の合間に、歪んだ少女の声が木々の上から響いている。巨大な影がゆっくりと森を歩く様を、木の陰からレーベンは眺めていた。

 ミルス。ユアンの娘。ミラの姉。魔女。

 不運な娘だとは思う。母が魔女となって幸せは崩れ去り、壊れかけの家族を必死に支え、ようやく元の形に近付けたかと思えば、最後は自分自身が魔女となってしまった。何故だ、どうしてだと繰り返されるその問いはもっともな物なのだろう。この世の全てを憎んでいたとしても何らおかしくはない。

 運の無い、哀れな少女なのだ。

 

「……悪名高きジャック・ドゥは言った。“構うものか――」

 

 ――構うものか。殺してしまえ

 ――目を閉じろ。頭を凍らせてから、もう一度ようく見るが良い

 ――アレのどこが、人間だ?

 

 月夜の森に、銃声が木霊する。

 魔女の声が途絶え、重い足音がこちらを向いたのが目を閉じていても分かる。空に向けた長銃を下ろしながら、かの悪騎士の言葉通りに頭の芯を凍らせ、レーベンは灰色の目を開いた。

 

「……でかいな」

 

 最初と同じ感想が口から零れた。大きい。あまりにも大きすぎる。木々よりも背の高い人間など、この世にいるはずもない。そうだとも、アレのどこが――。

 

『お姉ちゃん!』

『あなたは、人を殺めたことは、ありますか』

『何が聖女だ! 何が騎士だ! この人殺し共が!』

『なんで、どうして』

 

 ガチン、と。最後の炸裂弾を機械剣に装填する。それを背に戻し、手に長銃を提げ、レーベンは魔女と対峙した。

 

「構うものか」

 

 もう全て遅すぎるのだ。

 ミルスはもう魔女となり、二度と人には戻れない。

 この森に隠れ潜んでいた家族は、レーベン達に暴かれた。

 魔女は洞窟から脱し、もう止まることはない。

 己は騎士であり、今まで何体(なんにん)もの魔女(おんな)狩って(ころして)きた。

 今更、何を躊躇うのだ。

 

「殺して、しまえ」

 

 誰に見せることもなく、レーベンは笑った。

 上手く笑えたと。そう思った。

 

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