策が浮かぼうが浮かぶまいが、そこに魔女はいて魔女狩りはまだ終わっていない。逃げることもできないのならば戦わなければならないのだ。例え、勝ち目が薄くとも。
「援護してくれ。無駄には撃つなよ」
シスネの返事も待たず、ゆっくりと間合いを詰めていく。機械剣は背に、右手に手斧、左手に短剣。相手の手札が速さであることは既に分かっている。故に大振りな機械剣よりも、小振りな片手武器を選択した。
ただ岩の上で佇む、少女の姿をした魔女に一歩ずつ近付く。それは奇しくも、昨日の夕方にあの幽霊のような何かと遭遇した時と似た状況だった。あの時は隙を作って組み伏せようとしたが幻のようにすり抜けてしまった。今回は通じるだろうか。レーベンを押し倒した時には確かな重みを感じていたが。
レーベンが近付く。魔女は動かない。
レーベンが近付く。魔女はまだ動かない。
レーベンが近付く。そろそろか、否まだ遠いか。
レーベンが近付く。もうすぐそこ。
レーベンが近付く。やれよ臆病者。
あの時のように手斧を振り上げる。動かなかった魔女が、ゆらりと顔を上げる。
そのまま手斧を投げつける――ふりをして、足元の小石を蹴り上げた。狙いは過たず小石は魔女の眼前に迫る。だが魔女は瞳すら閉じず、何の威力も無いそれをただ顔に受けた。
――くそが!
小細工はあっけなく失敗し、だが既に駆け出していたレーベンはもう止まれない。魔女の顔に当たった小石が地に落ちるより早く間合いを詰め、その脳天に手斧を振り下ろす。
ばきん、と。刃が骨を打つ音と感触を捉えた。
「……くそが」
確かに手斧は魔女の骨を打っていた。だがその骨は魔女の左手そのものであり、魔女の左手は手甲のような骨に覆われていた。つまるところ、魔女の手が手斧の刃を掴み取っていた。
「お――」
ぶん、と視界がぶれる。ぐるぐると回る視界の中に逆さまになった魔女や眼下に広がる夜空が見え、背と頭に固い木と柔らかい地面が叩きつけられる感触を覚え、最後にようやく己が投げ飛ばされたことを知覚した。
「ぉ、うえ」
体を起こそうとして、こみ上げてきた物を地面に吐き出す。血の混じった胃液をぶちまけてから立ち上がり、ぐらぐらと揺れる視界が再び横倒しになった。
目の前に機械剣が転がっている。短剣はどこに行った? 手斧は、目の前の魔女が握り潰した。
「ご、」
平手に頬を張られる。体術や拳闘などというものではない。ただ子供が我武者羅に手足を振り回すような、技の欠片もないただの力。だがその単純な力が、あまりにも強すぎた。
骨の手甲に覆われた右拳がレーベンの全身を滅多打ちにする。同じく骨に覆われた左手がレーベンの頭を掴んで引き起こす。倒れ伏した体を、骨の足甲に覆われた両足が何度も蹴り上げた。
力任せ。ただただ力任せ。速さなど、その力の副産物に過ぎなかったのだ。あの巨体が全てを破壊する災害ならば、今のこの魔女は全てを叩きのめす暴力そのものだった。
付け入るならば、もうそこしかない。
蹴り転がされた勢いを使って立ち上がり、次の瞬間には顔面に迫っていた右拳を頭を振って避ける。魔女の虚ろな目は、だが次に打とうする位置を愚直に見つめていた。それを読んだ。
「う、おぬあぁ――っ!」
最後の気力を振り絞り、魔女の躰をすり抜けて後ろをとる。そのまま腰に両手を回して持ち上げた。だがその小さな躰は信じがたい程に重い。無理を重ねた体が悲鳴をあげ、だが放すわけにはいかない。これこそが突破口。頭上に垂らされた光の糸、その最後の一本。バタバタと打ち上げられた魚のように暴れる手足に体を打たれながらも、絶対にその足は地面に着けさせない。もう後は無いのだ。もう本当に。
「シ――」
「動かないで!」
呼びかけるまでもなく、シスネはすぐ傍に来ていた。魔女の背に組みついたレーベンの背に更に組み付くようにして密着し、魔女の手足の届かない最短の位置から短銃を押し当てる。
銃声が一発、二発、三発。全てが魔女の後頭部に命中した様をレーベンはまさに眼前にした。血のように噴き出す泥を顔に浴びながら、祈るように魔女を凝視し続ける。頼むから、もう死んでくれ。
『ど、うじで』
祈りは届かなかった。
ぐるりと魔女の頭が真後ろを向いてレーベンを見つめる。吐息が唇を舐めるような距離にある魔女の顔、その額に開いた三つの穴からは赤黒い泥が流れ落ちていた。
ばきばきと魔女の四肢が逆方向に折れ曲がり、レーベンの胴体に巻きつく。そのまま万力のように締めあげられた。
『なんで、なんでなんで』
「……っ、……」
もう呻きすらあげられない。それこそ魔女のように手足を逆方向に折り曲げられるまで、この締め技は続くのだろう。くしゃくしゃに丸められた紙屑のようになる己の姿を幻視しながら、レーベンは意識を手放そうとしていた。
「やめなさい! やめてっ!」
悲鳴のようなシスネの声に意識が浮上し、同時に全身の骨が軋む激痛に内心で悲鳴をあげた。
シスネは白い髪を振り乱しながら、魔女の胸とも背とも分からないそこに短剣を何度も突き刺している。懇願するような悲痛な声とは裏腹に悪鬼のような様相だなと、現実を放棄し始めている脳は呑気なことを考えていた。
「やめ――」
そのシスネの姿も、一瞬で消えてなくなった。魔女の左腕であった右腕が鞭のように振るわれて彼女を弾き飛ばしたのだ。悪い冗談のような速さで吹き飛んだシスネが、遠くの木に当たって地面に転がる。その音も悲鳴もレーベンには聞こえなかった。それ程に遠い。
『なぜ』
魔女の手足が解け、支えを失ったレーベンは地面に倒れる。狭くなり始めた視界の中で、首と手足の向きを戻しながら魔女が歩いていく。その先には、人形のように転がるシスネ。
シスネは死んだのだろうか。否、きっと生きているのだろう。何故なら、魔女は聖女を簡単には殺さないのだから。
「が……っ、ぐ」
立ち上がることは諦め、這って魔女を追う。ただそれだけで手足が悲鳴をあげ、動くことを拒否していた。それでも動かずには、進まずにはいられない。
魔女に捕らえられた聖女は、拷問じみた残虐な方法で嬲り殺されるという。レーベンもそれを直に見たことは無い。ただ何度か、その死体を見たことがあるだけだ。どれも、もう二度と思い出したくはない有様だった。
「――!」
視界の端に光る、白銀の輝き。聖銀の長銃。見失っていたそれが今になってレーベンのすぐ傍に落ちていた。這いずり、体を転がして手に取る。レバーを引いて俳莢、次弾が装填された。まだ弾はある。
だがこの弾は散弾、撃つ
『どうして、どうしてなんで』
当然、魔女の方が先にシスネの元に辿りついた。しばし動かない聖女を見下ろした後で、その左腕を無造作に掴み上げる。そうまでされてもシスネは動かなかった。レーベンは全力で地面を這いずる。
死体のように動かないシスネ。彼女が生きていると分かったのは、魔女がその背を踏みつけ、左腕を引き千切ろうとし始めてからだった。
「……ぅあっ!? ぁ、い゛っあああぁぁ――――っ!」
痛みに覚醒させられたシスネの絶叫が響き渡る。その悲鳴が己を責めているようで、だが立ち上がることは出来ず、ただただ這いずる。
彼女の自決指輪はたしか左手にはめられていた。あの状態では使えないだろう。短銃は弾切れ、短剣は持っているのだろうか、他の自決道具は、毒薬は。
魔女を止められないのなら、自決できないのなら、せめてレーベンが介錯しなければならないのだ。
撃ちたいはずもない。だがこのまま手足を一本ずつ千切られていくシスネを見ているというのか。それこそレーベンには耐えられない。
魔女はただシスネの腕を捩じりあげ続け、シスネは叫び続け、レーベンは這い続ける。
シスネに近付く。まだ遠い。
シスネに近付く。まだもう少し。
シスネに近付く。そろそろか、否まだ遠いか。
シスネに近付く。もうすぐそこ。
シスネに近付く。撃てよ卑怯者。
撃て!
「――シス、ネ」
苦悶に歪むシスネの顔に銃口を向ける。この距離ならば確実に彼女の頭を吹き飛ばせる。一瞬で、楽にしてやれるだろう。
「……」
一瞬だけ絶叫が止み、その黒い瞳と目が合った気がして。
レーベンは引き金を、
「お姉ちゃん!」
甲高い声に、その場の全員が動きを止めた。レーベンも、シスネも、魔女ですら。動きを止め、声の方に首を向け、そこに立つ小さな少女の影を見る。
「なんで……!」
『なんで』
シスネの悲痛な声と、魔女の歪んだ声は同時。
「お姉ちゃん……、お姉ちゃんだ!」
だが少女――ミラは笑っていた。今まで見せた虚ろな無表情ではない。満面の、花が咲くような、喜色に満ち溢れた笑顔。
無理もないだろう。今の魔女は異形などではない。ただ黒い泥に塗れた衣を纏い、白い骨の具足を着けた少女にしか見えないのだ。ましてミラにとっては二年ぶりの姉との再会。歪んだ育ち方をしてきた幼い少女に冷静な判断などできるはずもない。
「だめっ! 来ないで!」
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
踏みつけられたままシスネが叫び、だがもうその声はミラには届かない。ミラの目には、ただ姉の姿しか映っていなかった。
「会いたかったよう……!」
足元に倒れるシスネに気付いた様子もなく、ミラは魔女の腰に抱きつく。顔に泥が付いても構わず、猫のように頭を擦りつけていた。
『どうして』
「どうしてって、なにかすごい声が聞こえて、見に来たらお姉ちゃんがいて」
『なぜ』
「だって、お姉ちゃんだよ? もしかしてお姉ちゃんかもって、そしたら本当に……っ」
成立するはずのない会話が続く。その間もシスネは叫び続け、だがミラはもう一瞥もくれない。
「そうだ、お姉ちゃん、これ」
魔女から体を離したミラが懐を探る、取り出したのはくしゃくしゃの紙袋。シスネからミラに渡された、焼き菓子の袋だった。その中から、崩れて粉屑になった菓子を手にする。
「これすごくおいしいよ! お姉ちゃんにもとっておいたから!」
『なんで』
「一緒に食べたかったんだもん! だから、」
『なんで』
「……お姉ちゃん?」
『なんで、なんで、なんで』
魔女の両手がミラの顔を包む。顔を上げ、そこでようやくミラは姉の額に穴が開いていることに気付いた。血のような泥がボタボタと少女の顔を汚す。
「ひ――っ!」
『なんで、――ばっかり』
みしりと、骨の両手が少女の頭を潰そうと、
「おいっ!」
呼びかけにこちらを向いた魔女の胸に、レーベンの長銃が火を吹いた。
轟音と共に、魔女の胸から血と泥と肉と骨とその中身が飛び散り、間近にいた三者に降りかかる。顔にかかった血をレーベンは拭い、頭を伏せていたシスネの白い髪を泥が汚していく。
「おね、ちゃ」
最も近くにいたミラは、その全てを全身に浴びていた。地面にへたり込み、その手に持っていた焼き菓子の残骸が、姉の残骸に塗れている様を見つめ、頭を抱えて絶叫した。
それでも。
『ど、じで』
それでもまだ魔女は倒れない。胸に大穴を開けられ、圧し折れた肋骨が胸の外に飛び出しても尚、未だ無事な口から歪んだ声を発し続けていた。自身の血肉に塗れて叫ぶ妹の姿に何の表情も浮かべず、再びその手をミラに伸ばす。
その手を、震える白い手が掴んだ。
「ミラ! 逃げ――」
全て言い終えることもなく、再びシスネが蹴り飛ばされる。水切りのように地面を跳ね転がり、だが今度は受け身を取れたらしい。木に縋りついて立ち上がり、ズタズタになった装束と左腕を垂らしながら、それでも這うように戻ってこようとする。
魔女はそんな聖女と、足元に蹲る少女と這いつくばる騎士の姿を見比べ、ぷいと聖女に向き直った。まずは彼女を嬲り殺すつもりか。
その足を、レーベンの手が掴んだ。
「……いい加減にしろよ、お前」
その姿にレーベンの中で珍しく、怒りに似た感情が湧き上がった。
あまりにしぶと過ぎる事にか、シスネを嬲ろうとした事にか、ミラを弄ぶような真似をした事にか。どれでも良い。もう何でも構わなかった。
そうだとも、構うものか。こいつのどこが人間だ!
『な、げ』
怒りに任せ、言うことを聞かなかった体をねじ伏せるように動かす。魔女の足を掴んで引き倒し、性懲りもなく喋り続ける口に手を突っ込んで黙らせる。
――黙れ! 死ね! 死ねよっ!
その胴体に長銃を押し当て、胸に、腹に散弾をぶち込んでいく。いったい何処をどれだけ撃てば死ぬというのか。だったら死ぬまで撃ってやる!
振るわれた魔女の腕が長銃を弾き飛ばし、ならば穿った傷口に手を突っ込む。魔女の足がレーベンを蹴り上げ、ならば口と傷口に捻じ込んだ手を離さない。
魔女がレーベンを打ち据え、レーベンが魔女の傷を抉る。お互いに守りを考えず、ただ相手を殺すことだけを考える。己が死ぬより一秒でも先に相手が死ねばそれで良いと言わんばかりの泥沼の消耗戦は、だがやはり魔女に軍配が上がった。
もう何度目かの蹴りにレーベンの体が遂に倒れる。意思に反して力の抜けた指先が、魔女の口と傷口から引き抜かれた。その手はもう、己の血と魔女の血と泥に塗れきっていた。
『どう、じ、で』
何本か歯の折れた口から血と泥と歪んだ声を垂れ流す魔女が、レーベンに止めを刺すべく迫ってくる。その顔と行動に、レーベンは倒れ伏したまま口を歪めた。
結局は狩れなかったが、注意はこちらに向けられた。後はすぐそこまで這ってきているシスネがミラを連れて逃げてくれれば良い。彼女はそうしないかもしれないが、それならそれで上手くやってほしい。どちらにせよレーベンはもう本当に指の一本も動かせない。
もう何も出来ない。もう何も、しなくて良いのだ。
――悪いな
正直なところ、シスネをこの手で殺めずに済み安堵している自分がいた。魔女を狩れず、聖女の介錯も満足に出来ないレーベンは、本当に最後まで半端者の騎士擬きだったということだ。
眼前まで迫る魔女から目を逸らし、近くまで這ってきていたシスネと目を合わせる。黒い瞳を目に焼き付けるようにしてから、レーベンは目を閉じた。
タン、と響く銃声にレーベンは目を開けた。高く澄んだ、よく通るその銃声には聞き覚えがあった。
遅れて、魔女が倒れる。レーベン達が何をしても倒せなかった魔女が、いとも簡単に。
森の奥に青白い炎が見えた。鬼火にも似たそれは、だが俊敏な獣のように近付いてくる。
聖性の光は、いつだってそんな色をしていた。