「あー、ひどい目にあった」
「あんなのとやり合って本当によく生きてたわね、あんた達」
戻ってきたライアーとカーリヤはげんなりとした顔をしつつも、傷らしい傷も負っていない。先ほどまで鳴り響いていた破壊音からも、レーベンには逆立ちしても真似できないような激闘を繰り広げていたことが容易に想像できる。あの魔女に、無傷で勝利したのだ。
やはり彼らは格が違う。本物の騎士と聖女に比べれば、己など紛い物でしかないのだと改めて痛感した。
「……、それは良かった。だが貴公もシスネを見習いたまえよ、たまには服の一つでも破いたらどうだ」
「あんたやっぱり死になさいよ」
「……最低」
わりと手加減の薄い力で頭を蹴られ、そこにシスネの投げた小石が命中する。所々が破けた装束を手で押さえているシスネから目を逸らし、眼前に伸びるカーリヤの脚線を眺めながら、寝転んだままで情報を交換した。
昨日の夕方、レーベン達が伝言を託した御者は真面目に仕事をこなしてくれたようだ。深夜に町で伝言を受け取ったライアー達は、なんとそのまま走ってきたのだという。馬車では間に合わないかもしれないというカーリヤの判断だったそうだが、ほぼ夜通し聖女を担いで走る破目になったライアーの苦労と体力は想像を絶する。もっとも、伝言通りに馬車で向かっていれば、彼らが発見したのはレーベン達の無残な死体だっただろう。彼女の判断によって命拾いしたのだ。
「レイはどうでも良かったけど、せっかくの後輩が傷物にされちゃあ堪らないもの」
「は、はあ……」
言いながら、甲斐甲斐しくシスネの傷に薬を塗って包帯を巻いていくカーリヤは、まるで世話焼きの年増女のようであった。そんな彼女にシスネはどこか困ったような顔をしながらも抵抗する気力は無いようだ。……そういえば、彼女らはどちらが年上なのだろうか。恐ろしくて聞く気にはならないが。
捨て置かれているレーベンを介抱してくれたのはやはりライアーであった。彼の篤い友情には涙が出そうである。
「ああ言ってるけどな、大騒ぎしたんだぜ? レイの馬鹿が死んでたらどうするの! ってよ」
「ほほう」
「そこ! 聞こえてるわよっ!」
顔を赤くしたカーリヤが包帯を投げつけ、それを難なく掴み取ったライアーが朗らかに笑いながらレーベンの腕に巻いていく。なお喚くカーリヤの傍にいるシスネも、口許を手で覆いながら笑いを堪えているようだった。
「シーニュみたい」と、そう呟く声はレーベンにだけ確かに届いた。
「で、あの子はどうする?」
弛緩していた空気を変えるように咳払いしてから、ライアーが切り出す。彼の固い声に、カーリヤも含む全員が表情を引き締め、今なお動かない少女――ミラを見た。
「あの子は――」
努めて平坦な声で、レーベンが語る
あの魔女はミラの姉であったこと。彼女の父親は妻と娘を魔女禍によって失くし、狂ってしまったこと。その父親と二人、魔女となった姉を匿いながらこの森でずっと暮らしていたこと。姉を守る為に、レーベン達を害そうとしたこと。
語れば語るほど哀れな家族であった。黙って話を聞きながらカーリヤは唇を噛み、ライアーは固く目を閉じていた。それでも、レーベンを含めここにいる皆は教会の使い。魔女は狩らなければならなかったのだ。
「教会に引き渡すしか、ないわね」
感情を押し殺したような声でカーリヤが告げる。
魔女を匿う罪は決して軽くはない。一体の魔女が生み出す被害が甚大なものであることは、あの魔女を見れば明らかだ。あれほど強力な魔女が町で暴れでもすれば、いったい何人の命が失われたというのか。想像するだけでうすら寒いものを感じる。
加えて、ミラとその父親は腐っても教会の騎士と聖女であるレーベンとシスネに銃を向けたのだ。魔女の隠匿、魔女狩りの妨害、聖女と騎士の殺害未遂、教会の銃の不正な使用……。その罪の重さと、それに対する罰の厳しさを考えるだけで気が重くなっていく。
「聖都に行くか。ここからならポエニスより近い」
ほんの僅かに明るい声でライアーが提案する。
彼の言う通り、この森は旧聖都であるポエニスよりも聖都――グリフォネアの近くに位置している。あそこには教会の本部である大聖堂があり、そしてそこにはこの国の主である教皇と、そして聖女長がいるのだ。聖女たちの長であれば多少は寛大な裁きを期待できるかもしれない、言外にそうライアーは言っているのだろう。
「駄目です」
だが冷厳とシスネが切り捨てた。件の聖都の出身である彼女の顔は、どこか青褪めて見える。
「ポエニスに戻りましょう。騎士長の判断を仰ぐべきです」
「おいおい……」
「ちょっと、シスネ」
ヴュルガ騎士長の冷酷さはポエニスの者なら骨身に沁みて知っている。シスネとて、あの男に本意ではない仕事を強要されたからこそ今ここにいるのだから、知らないはずも無いだろうに。……それによって、レーベンはシスネと組んで仕事をできているわけだが、それはそれだ。
なんにせよ、よりにもよってその騎士長にミラ達を引き渡すと言い放ったシスネに、ライアーとカーリヤが非難の目を向けた。だがシスネの黒い瞳は、まるで怯まない。
「あなた達は、聖女長に会ったことがあるのですか」
シスネ以外の皆が口を噤んだ。
そもそも聖都には当然、多くの聖女と騎士がいる。ポエニスにまでわざわざ応援の依頼を出す必要など無いのだから、レーベンも聖都に行った経験は無く、故に聖女長に会ったこともない。他の二人も同様なのだろう。シスネが続ける。
「聖女長は、あなた達が思っているような方ではありません」
シスネの右手が自らの装束を握り、皺を作った。そこに込められている感情が何なのかまではレーベンには分からない。
「それに騎士長は、その……冷静な方ですが、なんというか……独特な判断をする事は無いでしょう?」
シスネの口調はどこか歯切れが悪かった。人を悪く言うことに抵抗があるのかもしれない。……ならば彼女に悪く言われてばかりのレーベンは何なのだろうか。謎であった。
つまり、裁きに私情を交える可能性のあるらしい聖女長よりも、良くも悪くも無感情な騎士長に任せる方が公正な判断を期待できると、シスネはそう言いたいのだろうか。無意識なのか、身振り手振りも交えて語る様は必死さを感じさせ、彼女がミラ達への裁きをどうにか軽くしたいと願っていることが分かる。
レーベンでさえ分かるのだから、ライアーとカーリヤには言わずもがなであったか。
「あぁ分かった分かった、ポエニスに帰ろうぜ」
「素直じゃないわねぇ」
「あなたには言われたくないです……」というシスネの呟きは、だがカーリヤにも聞こえていたらしく彼女の指に白い頬を抓られてシスネがくぐもった悲鳴をあげた。いっそのこと、脇腹が弱点だと教えてやろうかという細やかな悪意がレーベンの中で湧き上がったが、報復が恐いので黙っておく。
今後の方針も固まったところで、一行は重い腰を上げた。未だ足元の覚束ないレーベンはライアーに肩を貸してもらい、カーリヤもそうしようとしたがシスネはそれを固辞した。かわりに、まだ俯いたままのミラの傍にしゃがみ込む。
「ミラ、聞こえる?」
ミラは何も答えず、身じろぎもしない。ただ虚ろな目で、姉の血に汚れた手を見下ろしていた。
「お父さんの所に行こう? そこで、その、大事な話があるから、だから、」
「――お姉ちゃん?」
徐にミラが顔を上げる。その顔は元の無表情に戻っており、ただでさえ翳のあった瞳はもはや夜のように暗い。
「……っ、ミラ、お姉さんはね、」
「お姉ちゃん?」
シスネの声など聞こえていないように、ミラが辺りを見回す。その際にレーベン達にも視線が向くが、ミラの目には映っていないようだった。そのまま、安物の
レーベンは、遂にミラの心が壊れたのだと思った。ライアーとカーリヤも同様だったのだろう、やるせない溜息がすぐ近くで聞こえ、カーリヤが奥歯を噛みしめる音も聞いた。悲痛な顔で、それでもシスネがミラの肩に触れる。
その、瞬間だった。
『どう、して』
歪んだ声が響く。
「嘘だろ!?」
「どこ!?」
レーベンを降ろしたライアーが剣を抜き、狙撃銃を構えたカーリヤが忙しなく周囲を見回す。シスネはミラを抱き寄せようとして、だがその手は空を切っていた。
「ミラ!?」
ミラは思っていたよりも遠くにいた。ふらふらと、風に吹かれる枯れ葉のように暗い森の奥へと歩いていく。それを追おうとしたシスネが、だが足がもつれたのかその場に転倒した。
身構えるライアー。警戒するカーリヤ。叫ぶシスネ。止まらないミラ。
ただ横たわったレーベンは、ミラの視線を辿る。その先の、木の上、枝葉の間。そこに、それを見た。
「いたぞ!」
常にない大声。レーベンが指差した先に皆が視線を向け、ライアーが駆け出し、カーリヤが銃を構える。
だが誰よりも先に、それがミラに飛び掛かった。
『どうして――!』
それはもう、ただの頭蓋骨。
愛らしかった少女の顔は焼け落ち、ただ炭化した皮膚の残滓だけが貼りついている。長く伸びていた亜麻色の髪はもう無く、割れた頭の中には泥しか詰まっていない。剥き出しの眼球が一つだけ、右の眼窩からはみ出しながらミラを見ていた。
残骸になり尽くした魔女の残骸が、蜘蛛の足のように伸びた骨で枝を蹴る。その口を大きく開け、何本か欠けた歯で文字通り、ミラに牙を剥いた。
「だめ――っ!」
シスネの絶叫。
「おね――」
ミラの声。
銃声。
『ど、う……して』
放たれた散弾は、魔女の頭蓋を今度こそ粉々にした。
最後の最後に残った口が、かちかちと歯を鳴らしながらも、歪んだ声を響かせる。
『お、とうさん……ばか、り――』
それが最後。
それを最後の言葉として、魔女は――ミルスは、ようやくその歪んだ命を終えた。
「ミルス」
皆が呆然と沈黙する中、ただ一人の声が虚ろに響く。
「ミルス……」
がちゃりと、彼の手から長銃が滑り落ちた。彼が何処からか手に入れ、レーベンが取り返し、そして今また彼の手に戻った長銃。
「ミルスぅ……っ」
彼は――ユアンは、泣いていた。
狂気の抜け落ちた彼の顔は、どこにでもいる平凡な男そのもので。涙と鼻水を垂らしながら、ミルスの残骸を手にかき集める。
自らの手で止めを刺した、娘を。
「お――お、おおおぉぉぉ…………っ」
娘の残骸に顔を埋めながら、ユアンは、ただ泣いた。
運命に弄ばれ、狂気に囚われていた男は、その狂気を自ら断ち切ったのだろうか。
それとも、
あるいはただ、その心の弱さ故の凶行だったのだろうか。
答えなど誰にも分からないまま、哀れで、平凡な男の慟哭だけが、夜明け前の森に響いていた。
「もう――、やだ』
ミラの歪んだ声。