「そういうわけで、乾杯っ!」
「はい乾杯」
「どういうわけなんだ」
「同感です」
人、人、人。酒、酒、酒。その間を埋め尽くす様々な料理と喧噪。要するに酒場である。
ポエニスは旧聖都であり、その名の通り百五十年ほど前までは聖都だったのだ。この国の中でも現聖都であるグリフォネアに次いで大きく、人口も多い。人が多ければ商売も盛んであり、それは酒場も例外ではない。否むしろ酒場こそ商売の華、人流の要であると言わんばかりに、その店の数も尋常ではなかった。
大きな店から小さな店まで、騒がしい店から静かな店まで、上品な店から下品な店まで。様々な客の様々な需要に応えるべく、その店の特色も千差万別。今回カーリヤが選んだこの店は非常に大きく、非常に騒がしく、下品ではないが上品でもない、そのような酒場であった。
「ちょっとシスネ! 乾杯だって言っているでしょう!」
「いえ、私お酒はあまり、」
「えぇ? なんですってぇ!?」
ガヤガヤガヤガヤ。所狭しと並べられた机と椅子は満席であり、どこを見回しても人、人、人である。その喧噪の中にあってはシスネの声は虫の羽音に等しかったか。……否おそらくはカーリヤの恫喝だろう。
「諦めたまえよ。こうなっては何を言っても無駄だ」
「悪いなぁ、シスネ。付き合わせちまって」
「はぁ……」
カーリヤとライアーはともかくとして、こういった場の似合わないシスネと、そもそも下戸のレーベンが酒場に来ていることには理由がある。それは当然、無理矢理カーリヤに連れてこられたからだ。
あの森での一夜から既に七日が過ぎていた。
ポエニスに戻ってから報告と事後処理を這う這うの体で済ませた後は、シスネと二人揃って医療棟へと放り込まれた。なにせ、ライアー達の処置と再生剤によって致命的な傷こそ残らなかったが、本来であれば五体満足であることが不思議な状態だったのだ。よく生きていたものである。
しかも名目上は正式な聖女と騎士ということになっている為か、宛がわれた病室は二人部屋だったのだ。レーベンとしては嬉しい誤算だったかもしれないが、当然シスネは不満だったのだろう。その鬱憤の矛先が誰であったのかは言うまでもない。幸せだが辛い日々であった。
そしてようやく居住棟に戻る許可がでた矢先、それを待ち構えていたカーリヤが現れたのだ。
「仕事の後はお酒! やっぱりこれに限るわ!」
「もう七日前なんだが」
「そうだよ、七日前にも飲んだんだよこいつは……」
「えぇ……」
ぐびぐびぐびぐび。既にカーリヤの前には空になった木のグラスがいくつも並んでいる。旧知の仲のレーベンは彼女の酒豪ぶりを知っていたが、シスネは戦慄したかのような顔をしていた。そのシスネに、酔いどれ聖女の目がギラリと光る。
「シスネ何度も言わせないでちょうだいね! 何飲むのよホラ!」
「だから私は、……あぁもう、なんでも良いです」
「あらそう? ちょっとー! この店で、いっちばん強いお酒を頂戴な!」
「やめてくださいやっぱり自分で選びますから!」
ぎゃあぎゃあと姦しい二人を眺めつつ、随分と仲良くなったものだと、そんなことをレーベンは考えていた。考えている内に、各々が注文した酒や料理が机に運ばれてくる。
「じゃあ改めて、乾杯!」
「はいはい乾杯乾杯」
「乾杯」
「乾杯……」
もう何杯目かの麦酒を流し込むカーリヤを後目に、ライアーは薄い安酒をちびちびと舐める。レーベンは何の味気もない水を傾けていると、葡萄酒に口をつけるシスネの黒い瞳と目が合った。
「……本当に飲めなかったのですか」
レーベンが下戸なのは元からだが、それ以上に薬との相性が悪いのだ。今回のようにカーリヤから誘われるのは初めてではないが、魔女狩りの後のレーベンは常に薬漬けであった。そのような状態で酒を飲めば、吐くだけでは済まない。
更にレーベンはもう五年もの間、薬の過剰服用を続けてきたのだ。薬は体に沁みついてしまっており、そう簡単に抜けることはない。今後、己が酒を飲むことは生涯ないと思っている。
そう話すと、シスネは呆れと憐みと怒りが混じったような目を向けてくる。なんとなく居心地が悪くなり、彼女に問い返した。
「そういう貴公は飲めるんだな」
カクトの町長にもカーリヤにも酒は苦手と言いつつ、随分と進みは早い。ライアーなど一杯の安酒を延々と舐め続ける勢いだが、シスネは既に次の杯を注文していた。
「人を酒飲みのように言わないでください。得意ではないというだけです。嫌いではありません」
「お、おう」
どうも彼女は既に酔い始めているようだった。酒に弱いが酒は好きとは、それはある意味カーリヤよりも質が悪いのではないだろうか。レーベンは不穏な気配を感じた。
「私だって人間ですから、お酒ぐらい飲みますよ。寝る時とか、寝られない時とか……」
明らかに口数の増えたシスネが喋り続ける。だが酒精が悪い方向へと働いたのか、徐々に憂鬱そうな表情にもなってきていた。馬車の中で睡眠薬代わりだと言っていたことを思い出す。彼女にとって酒とはそのような時に飲む物なのかもしれない。
「今回だって……」
酔っているのかいないのか、今の彼女は危うい境目の上に立っているようだった。
それこそ、あの時のミラのように。
「本当に、あれで良かったのでしょうか……」
気が付けばライアーは勿論、カーリヤでさえ神妙な顔でシスネを見ていた。周囲の喧噪も聞こえなくなるほどの、重苦しい沈黙がその場に漂う。
ユアンとミラ。あの父娘への裁きは昨日に下された。罪状は、魔女の隠匿と魔女狩りの妨害、その他いくつかの罪。
まず、ミラはあまりに幼いということから、その責は父親であるユアンにあるとされた。彼自身もそれを受け入れ、結果としてミラの罪は不問となった。
ユアンに下された裁きは監獄での労役。期間は最長で十二年とされ、あとは監獄内での働きによるのだという。また教会の銃の入手方法については全て自白したことで、多少は減刑される可能性もあるらしい。
教会の上位職員たちとヴュルガ騎士長、彼らが教国の法と過去の判例とを照らし合わせた上で下した判決であった。レーベンも含め、ここにいる皆が法に明るいわけでもない。故に、その裁きが厳しいものだったのか寛大なものだったのかは分からなかった。
ただ確かなのは、あの父娘はこれから十年近くも引き裂かれるということだ。不運に次ぐ不運。運命に翻弄された、どこまでも哀れな家族であった。
「もっと、上手くできなかったのかなぁ……っ」
シスネの握る木のグラスが軋んだ音を立てる。その音に我に返ったらしいシスネが、皆の顔を見回した。
「すみません、こんな話を」
「シスネはよくやったわよっ!」
ドンッ! とカーリヤがグラスを机に叩きつける。その音と大声に周囲の客から注目されるが、元より喧噪の絶えない店でのこと、皆すぐに興味を失った。
「犠牲者が一人でも出ていたら、もっと重い罪になっていたわ。きっと十年どころじゃ済まない」
「あそこまで強力な魔女になっていたのは、魔女化から二年も時間が経っていたからよ」
「発見が遅れていれば、もっと力を増していたかもしれない」
ひどく真剣な顔でカーリヤが語る。既に十杯ほど飲んでいるとは思えないほど芯のある声であった。手にしていたグラスを飲み干し、近くの店員に次の酒を注文してから再びシスネに向き直る。向き直った時にはもう、元の真っ赤な顔に戻っていた。
「だからぁ! あんた達がミラちゃん達を見つけたおかげよ! えらいっ!」
「彼女、酔っているのか酔っていないのかどちらなのですか」
「こいつ波があるんだよ、気にしないでやってくれ」
カーリヤの豹変ぶりにレーベンも思わず溜息が漏れる。これがポエニスでも十指に数えられる聖女とは、彼女に憧れる他の聖女たちには見せられない。彼女の赤ら顔を眺めていると、焦点の怪しい碧眼と目が合った。
「レイもよく頑張ったわねえらいっ! ご褒美に揉ませてあげる!」
「恐悦至極」
彼女がその豊満な胸を両手で持ち上げ、遠慮なく手を伸ばすがシスネに襟首を掴まれて引き離されてしまった。机の向こうでは同じくライアーに襟首を掴まれたカーリヤが椅子に座らされている。
「あまり穢い真似をしていると刺しますよ」
「誠に申し訳ない」
短剣など持っていないはずなのに本気の声であった。心なしか冷たく感じる水を飲みながら、内心で冷や汗を流す。
黒い視線から逃れるように前を向けば、酒精と人いきれで暑くなったらしいカーリヤが服を寛げようとし、それを止めるべくライアーが奮闘していた。カーリヤの姿はいつもの改造装束ではなく、ライアーもまたそれなりに洒落た私服を纏っている。だがカーリヤの私服はいつにも増して過激であり、胸元やら肩やら腋やら太腿やらが大胆に曝け出されていてレーベンとしても目が離せない。それは周囲の酔っ払い共も同様らしいが、不埒な輩が近付く度にライアーが睨みを効かせているので問題はないようだ。……彼の心労はともかくとして。
なお、隣に座るシスネはいつもの地味な灰色の服、つまりは聖女の装束姿であった。場に相応しくないと言えば相応しくない服装にカーリヤは憤慨していたが、当のシスネからは「私服を持っていない」という恐るべき答えが返ってきたため流石の彼女も天を仰いでいたのが酒宴の前の話である。
閑話休題。
「それにね、」
また
「ミラちゃんを助けられたのは、シスネのおかげじゃない」
その言葉に、水が一層冷えた気がした。ライアーもまた何かに耐えるように目を伏せている。
「私達じゃ、あの子を助けられなかった」
「ライアーとレイなら
「ほんと、情けないわ……っ」
震える声でそう言って、両手で顔を覆ってしまった。今にも嗚咽が聞こえてきそうな彼女の姿に、シスネが慌てた様子で腰を上げる。
「そんな、私は……私なんか、ただ」
「謙遜禁止ぃぃ――っ!」
「ぎゃああぁぁ――っ!?」
再び豹変したカーリヤの両手が机ごしにシスネの脇腹を鷲掴み、飛びあがったシスネの口から色気の欠片もない悲鳴があがる。あまりにあられもない声にライアーが激しく噎せかえり、レーベンはといえば彼女が放り投げた葡萄酒を頭から浴びていた。大惨事である。
「この私が誉めてやってんのにいちいちいちいち
「揉んだじゃないですか! もう揉みましたよね!? ねえっ!」
「貴公、とりあえず座りたまえよ。頼むから落ち着いてくれ」
「……元はと言えば、あなたのせいですよね?」
カーリヤにも負けないほど豹変したシスネが静かに怒りの顔を向けてくる。彼女にとってレーベンは諸悪の根源か何かなのだろうか?
「おね……姉といいカーリヤといいあなたといい、なぜ触るなと言った所を触るのですか。あなた達には人の心が無いのですか。騎士長なのですか。ジャック・ドゥなのですか」
「ライアー、帰っても良いだろうか」
「ふざけんな」
「どうせ私は臆病者よぉ……! 笑いたきゃ笑いなさい! もう一杯!」
静かな声で絡み酒を始めるシスネに、レーベンは段々と逃げたくなってきた。顔が近いがまるで嬉しくない。そもそもレーベンはシスネに自分から触れたことは無く、あの騎士長よりは人間性を保っている自信はあり、かの悪騎士より悪評を頂いてはいない……はずだ。それにしても彼女には家族が何人いるのだろうか。
何故か今度は泣きだしたカーリヤを宥めるライアーに同情しつつ、レーベンの頭を
長い夜になりそうだと、レーベンはひそかに溜息をついた。