魔女狩り聖女   作:甲乙

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三章 ある騎士の黄昏
嵐の先触れ


 聖女と騎士の物語は、いつだって悲劇で終わる。

 

 それは最初の聖女と騎士たちも例外ではなく、多くの英雄譚で語られる彼らと彼女らも、悉くが悲劇に散っていった。

「もっとも悲劇的な最期を遂げたのは誰か」

 そんな罰当たりな話を大っぴらにする者はそういないが、全くいない訳でもない。誰だって、他者の不幸は甘いものなのだから。

 九人の恋人が魔女となり、その全てを狩り尽くした果てに自刃したコルネイユだろうか?

 病に侵され、戦いの中で散ることができず失意の中で死んでいったヴァローナだろうか?

 誰からも称えられず、理解されず、後世にまでその悪名を刻まれたジャック・ドゥだろうか?

 魔女に捕らえられ、その美しい顔も体も、見る影もなく八つ裂きにされたシーニュだろうか?

 あるいは、聖女キノノスだろうか?

 

「はじまりの聖女」キノノス。

 その名の通り、この世で初めて聖性を操る術を発見した、最初の聖女である。

 カエルム教国を救ったのが敬虔な教徒である彼女であったことは、正しく名の無い女神の思し召し。魔女によって苦しめられていた民に差し伸べられた救いの手であると、誰もが疑わなかったという。

 

 だが彼女は、別の名でも知られている。

 「殉教者」キノノス。

 彼女こそが、もっとも悲劇的な最期を遂げた聖女であると語る者は数多い。

 何故ならば、彼女は最初の――

 

 

 ◆

 

 

 やる事は単純だ。

 (はり)に渡された鉄の棒にぶら下がり、体を持ち上げる。持ち上げたら、今度はゆっくりと下ろす。その繰り返し。回数は決めず、数えることもない。腕の筋肉が悲鳴をあげ、もう体が持ち上がらなくなった時が終わりだ。終わりのはずなのだが。

 

「もう一回! もう一回いけるわよレイ!」

「ぐ、ぞ、がぁ……っ!」

 

 ぶるぶると震える腕が鉄棒を手放そうとした矢先、無慈悲な声援が響いた。たかが一回、されど一回。その一回が果てしなく重いのだ。簡単に言ってくれる。

 

「ぐ、ぬお、が、がぁ……っ!」

「うわ、本当にもう一回やったわよこの馬鹿」

「せめて誉めてやれよ」

 

 気が遠くなりそうな思いで体を持ち上げ、次の瞬間には限界を超えた両腕がレーベンの意思に関係なく鉄棒を手放す。着地と同時に虚脱した体が崩れ落ち、鍛錬棟の床に仰向けで倒れた。

 季節は雨季。数日前から降り続ける長雨も相まって、鍛錬棟の中はひどく蒸し暑い。その中で騎士たちは皆、一心不乱に己の鍛錬をこなしていた。匂い立つ熱気、飛び散る汗、はち切れんばかりの筋肉。旧聖都ポエニスの騎士たちは今日も元気である。

 

「……女騎士ヴァローナは言った、“今日も元気だ、肉が美味い”」

「言ってねえよ」

 

 鍛錬棟の広間の中央には、そのヴァローナの石像がこれ見よがしに鎮座している。鎧どころか衣服すらほぼ纏っておらず、女性とは思えない程に筋骨隆々の肉体を見せつけていた。特にその見事な角度で天を指している両胸を眺めていたレーベンの耳元で、踵の高い靴音が響く。

 

「女騎士ヴァローナは言ったわ、“我が身は卵で出来ている”」

「だから言ってねえよ」

 

 洒落た靴から伸びるしなやかな脚線を辿り、だがその付け根に視線が達する直前で頭を踏まれる。顔の向きを無理矢理に変えられたレーベンの視界は、屈強な騎士たちの筋肉でいっぱいになってしまった。見られたくないのなら晒さなければ良いのではないか。レーベンの長年の疑問である。あと尖った踵が頬にめり込んでいるので非常に痛い。

 なんとか彼女の足から脱し、体を起こしたレーベンの傍にはそれぞれ趣の異なる肉体美を持った男女がいた。

 

「いいかお前ら、ヴァローナ卿に格言は無い。彼女は喋る間も惜しんで己を鍛えて魔女を狩ったんだ。見ろあの姿を。この鍛錬棟に彼女の御像が建てられているのはつまり――」

 

 珍しく饒舌に語る騎士――ライアーもまた鍛錬に汗を流した後らしい。上半身には何も身に着けず、その鍛え上げられた肉体を露わにしている。

 大柄な者が多い騎士の中でも更に抜きんでた長身。その体躯に纏った筋肉は固く引き絞られ、それでもなお圧倒的な威容を誇っている。ありふれた茶色の髪と鳶色の目を持った、だが精悍な顔付きの偉丈夫だ。

 

「えぇ……いきなりどうしたのよ、ライアー」

 

 彼の隣で彼を見上げる聖女――カーリヤは化粧が崩れるのが嫌なのか、しきりに手巾(ハンカチ)で汗を拭きとっている。それでもなお、その美貌は健在であった。

 女としては高い背丈は、その靴の高い踵によって更に嵩上げされている。長くしなやかな脚線、見事な曲線を描く腰、目を見張る程に豊かな両胸、それらを強調する過激な改造装束。輝くように波打つ金髪と鮮やかな碧眼を持った、非の打ちどころのない美女だ。

 

「そうだった。貴公はヴァローナの信奉者、つまりは鍛錬と筋肉が好きだったな」

「これさえ無ければまあ、悪くない男なんだけどねぇ」

「うるせえ! ヴァローナ卿を馬鹿にすんな、この不敬者どもが!」

 

 体躯に見合わず控えめな態度の多い彼にしては珍しい強硬姿勢。その剣幕には然しものカーリヤも若干引いたようであった。「怒らなくてもいいじゃない……」と唇を尖らせると、彼もすぐに冷静さを取り戻してはいたが。

 こう見えてもこの二人、ポエニスの聖女と騎士の中でも優秀とされる一組である。高い実力は勿論のこと、人柄も充分に良いとなれば当然だろう。カーリヤに至ってはその美貌と豊麗な肢体から更に人気を集めており、聖女シーニュの再来であるとまで言われている。今もまた、腕立て伏せの真っ最中であった少年のような騎士が眼前を歩くカーリヤの脚線に目が釘付けになり、その傍らにいた少女のような聖女が顔を真っ赤にして彼の背中を踏みつけていた。頑張りたまえよ、これも鍛錬だ。

 

「悪かった。何を隠そう、俺も筋肉は嫌いではない」

「ライアーに比べれば鶏ガラね。……傷はすごいけど」

「お前は少食すぎるんだよ、肉食え肉。……あと薬を控えろ」

 

 レーベンとて腐っても騎士。充分に鍛えられているはずの体を見せつけてみるも一瞬で斬り捨てられた。相手が悪すぎる。体だけでなくあらゆる面でレーベンより遥かに格上の二人であるが、何故こんな己などと友人を続けているのか。それもまた長年の疑問であった。

 現に、鍛錬に戻った二人は他の聖女や騎士から頻繁に声をかけられており、彼と彼女が相当に慕われていることが分かる。特にカーリヤが若い聖女たちに囲まれた様など、ここが殺風景な鍛錬棟だということを忘れてしまいそうな程に華やかだ。ライアーもまた屈強な騎士たちに囲まれているが……。レーベンは見なかったことにした。

 

 なお、この鍛錬棟に用は無いはずの聖女たちまで大勢集まっているのはカーリヤの影響である。彼女が言うには、騎士が一人でただ鍛錬するよりも聖女が傍で見ている方がより鍛えられるらしい。更に効果を上げたいのであれば声援を送れば良いのだと。

 今もそこかしこから、「頑張って!」「もう一回!」「輝いてる!」など聖女たちの高い声と、苦痛と快感を綯い交ぜにしたような騎士たちの低い唸り声が響いている。皆、仲が良くて羨ましい限りである。

 

 一方、名目上はレーベンの聖女ということになっている「彼女」は、鍛錬棟の隅で黙々と銃を撃っていた。延々と銃声が響く中に立つ、その細い背中に近付いていく。

 まず何よりも目を引く、真っ白な髪。色も癖もないそれは腰まで伸ばされ、今日は普段と異なり後頭部に結いあげられている。おそらくは暑さの為だろう。馬の尾のように揺れる白髪から覗く細い首筋は汗に濡れていた。ほっそりとした痩身を包む灰色の装束も着崩されており、肩掛けを外したせいで露わになった肩は輝くように白い。

 カーリヤの改造装束などに比べれば慎ましやか極まりないというのに、僅かに覗いた彼女の素肌を正視できず、レーベンは目を逸らした。

 

「なあ貴公、貴公、あれは良いものだと思わないか」

「……何か言いましたか?」

「誠に申し訳ない」

 

 短銃を下ろし、耳栓を抜いた白髪の聖女――シスネが黒い瞳でレーベンを横目に見る。彼女は本当にただ聞こえていなかっただけなのかもしれないが、思わず謝ってしまった。いつだってレーベンに対しては険のある口調なのだ、この聖女は。

 

「ああして鍛錬の質を高めているらしい。俺の聖女もそうしてくれて良いとは思わないだろうか」

「あなたにも聖女がいたのですか。それは初耳ですね」

 

 平坦な口調で非常に傷つくことを宣った聖女は再び耳栓をして射撃の訓練を始めた。もうレーベンには一瞥もくれようとはしない。慈悲は無かった。

 この射撃訓練の場は以前から鍛錬棟にあったが、シスネが来るまではほとんど誰も使用していなかった。騎士が銃を扱うことは少なく、聖女もまた銃で本格的に魔女と戦うことは無いのだから当然と言うべきか。そういうわけで、今現在もシスネの貸し切り状態である。

 撃ち終わった短銃を折り曲げ、開放された弾倉から薬莢が飛び散る。細い指先に挟まれた弾薬が次々と装填され、落とされた薬莢が床を転がる頃には振り上げた銃身が元の位置に戻っていた。その間、シスネの黒い瞳は的から一瞬も外されていない。

 その後もシスネは黙々と的を撃ち続けた。両手で、右手で、時には左手だけで。立って撃ち、屈んで撃ち、寝そべって撃ち、時には歩きながら撃つ。様々な姿勢から放たれた銃弾はだが悉く的の中心近くを撃ち抜いており、その腕前は見ていて飽きないものだ。

 

「……何度も言わせないでもらえませんか」

 

 見ていて飽きないのだが、当のシスネは心底嫌そうに呆れた声を向けてくる。視線に敏感らしい彼女はレーベンが凝視することを良しとせず、じろじろ見るなと再三言われている。レーベンとて気を付けてはいるのだが、己の視線はどうにも彼女を追おうとするらしい。

 

「それは誠に申し訳ないのだがな」

「だが、何ですか」

「見ているのは俺だけではないぞ」

「え?」

 

 さっとシスネが振り返り、そして黒い瞳を見開いた。

 レーベンの周りには既に人だかりが出来ていた。当然、彼らはレーベンを慕って集まってきたのではなく、シスネの銃の腕前を見物していたのだ。その最前列の特等席で見ていたカーリヤが手を叩きだすと、他の聖女と騎士たちも続いて手を叩きはじめる。鍛錬棟には場違いな拍手の音に、鍛錬に集中していた他の者たちまで集まってきた。

 

「~~っ!」

 

 突然に注目の的となったシスネの変化は劇的だった。白い顔がカッと赤く染まり、机に放られていた肩掛けを慌てて身に着ける。この場から立ち去ろうとするような素振りも見られたが、人垣が壁となってそれもできなったらしい。視線から逃れるよう的に向き直るが、その手付きは先程までとは比べものにならないほど危なっかしいものだ。

 

 ――まずいか

 

 レーベンは内心で歯噛みした。チラと見たカーリヤもばつが悪そうな顔をしており、彼女はシスネが皆と馴染めるようにこの場を用意したのであろうが、逆効果となってしまった。否、効果がありすぎたと言うべきか。

 今も聖女と騎士たちからは「見事だな!」「すごい!」「やるな!」と賞賛の声があがっているが、それを向けられるシスネの細い肩はふるふると震えていた。髪を結われて露わになった耳など遠目に分かる程に赤い。

 どうしたものかと、無い頭を働かせていたレーベンが答えを出す前に、カーリヤが前へと出た。

 

「ちょっと御免なさいね」

「え、」

 

 体を縮こまらせていたシスネの横にカーリヤが並び、そのスカートの切れ込みを開ける。露わになった太腿に括りつけられたホルスターには、繊細な彫刻を刻まれた短銃。いつ見ても派手なその銃にレーベンは呆れと感心を同時に抱き、銃よりむしろ脚を凝視していた少年騎士が傍らの聖少女に足を踏まれて悲鳴をあげ、次の瞬間に轟音が響く。

 レーベンを含めた皆が目を見張り、その時にはもう、カーリヤの手の中で銀の短銃がクルクルと踊っていた。ストン、とホルスターに銃が戻され、同時に大穴を開けられた的がガラガラと崩れ落ちる。

 一瞬の静寂、そして喝采が響き渡った。

 恐るべき早撃ちであった。カーリヤはあの一瞬で短銃を抜き放ち、碌に狙いもせず三連射したのだ。だがそれでも全弾が的を撃ち抜き、結果としてあの大穴ができあがった。精密で丁寧なシスネの射撃とはまるで異なる、豪快で大胆な射撃だ。

 一瞬にして注目を集めたカーリヤはいつものように自信に満ちた笑みを浮かべ、その陰でシスネは安堵したような顔をしていた。そのまま、そそくさと人垣に紛れて逃げようとしている。だがそれをカーリヤは許さなかった。

 

「……」

「……」

 

 言葉は無かった。二人の視線がただ交差しただけ。

 ふふん、と。カーリヤの碧眼が勝ち誇ったように歪む。細められた青い眼光がシスネを見下ろしていた。

 むっ、と。シスネの黒い瞳が眦を吊り上げる。挑むように、黒い眼光がカーリヤを睨み上げた。

 無言で踵を返したシスネがつかつかとカーリヤの横に戻り、再び肩掛けを脱ぎ捨てた。カーリヤもまた無言で銃に弾を込め、コキリと首を鳴らす。

 そして、二人が同時に銃を振り上げた。

 シスネが見惚れるほど無駄のない構えで銃を連射する。等間隔に六の銃声が響き、的の中心に小さな穴が一個だけ開いた。

 カーリヤが踊るような動きで銃を連射する。反動のまま薙ぎ払うように六の銃弾が放たれ、的を斬り裂くように六個の穴が開いた。

 鍛錬棟に響く銃声の残響。それが止むと同時に、場が再び拍手と喝采に満たされた。

 ふん、と。シスネが鼻息を漏らす。

 

「まぁ、動かない的ですからね。こんなものです」

「え? でも一発しか当たってないぞ」

 

 思わずといった様子でライアーが呟く。言ってから過ちに気付いたらしいが、もう遅かった。シスネの黒い瞳がライアーを捉える。

 

「全部同じところに当てたのです。あなたの目は節穴ですかっ」

「わ、悪い……」

「えー、本当にぃ?」

 

 静かに怒るシスネ。狼狽えるライアー。あからさまに挑発するカーリヤ。そしてレーベンは知っている。彼女は存外に短気なのだ。

 ひくり、とシスネの唇が引きつった。

 

「……だったら的を確認しますか。それとももう一度、いえ何度でもやってみせましょうか。あなたには一度も出来ないでしょうけど」

「でも同じ所に当てたからって何なのかしら? 実戦では役に立たないでしょう、そんな小技」

「当たらない銃こそ何の役にも立たないではないですか。だいたい何ですか、その撃ち方は」

「大事なのは速さよ、は・や・さ。トロトロと狙ってたら魔女に食べられちゃうわよ?」

「はっ! 銃に無駄な飾りなんてしておいてよく言いますね。銃も胸も重そうで見ていられません」

「ちょっと、胸は関係ないでしょう!」

「だったらなんでそんなに見せているのですか!」

 

 ぎゃあぎゃあと脱線し始めた口論を重ねながらも、二人の手は淀みなく銃に弾薬を込め、引き金を弾き、的を穿っていた。シスネはもはや周囲からの視線など見えてはいないらしく、カーリヤも最初は演技だったのだろうが今は明らかに本気だ。

 ライアーはいつものように額に手をやり、聖女たちは各々がどちらを応援するのか話し合っている。騎士たちに至ってはどちらが勝つのか賭けまで始めていた。

 レーベンは、すこし離れた位置からその喧噪をただ眺めていた。

 

 

 

 きっと皆、不安なのだ。

 魔女狩りの依頼は減り続けており、ここ数日はついに一件も無くなった。魔女が出ないことは喜ばしいことだ。だがそれで安心するほど、ここにいる者たちは能天気ではない。何か恐ろしいことが起きようとしているのか、()()()()()()()()()()()()()

 皆が不安で、だが不安だからこそ、ここでこうして集まり、鍛錬に没頭しようとしているのだ。レーベンもそうだ。ライアーも、カーリヤも、他の皆も。きっとシスネも。

 鍛錬棟の外では今も雨が降り続けている。まるで、嵐の先触れのように。

 

 

 

 鍛錬棟の中では、いつの間にかシスネとカーリヤが取っ組み合いの喧嘩を始めていた。すこし目を離している間にいったい何があったというのか。

 ライアーも頭と腹が痛そうな顔をしているが、周囲の聖女と騎士たちは楽しそうに囃し立てているのだから問題はないのだろう。

 ……たぶん。

 

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