「どうすれば良いと思う」
「あっしが知るわけないでしょうが」
雨こそ止んでいるが、それも一時のこと。つい先刻まで雨が降り続き、そしてまたいつ降ってもおかしくはない。そんな曇り空の下を、教会の馬車は走り続ける。
魔女の捜索作戦。レーベン達に割り振られた場所は、この国でも最北端といえる場所であった。国の中心となるのは当然ながら聖都であり、その聖都はほぼ最南端の海沿いに位置している。聖都から離れる程に田舎という認識で概ね合っており、つまりレーベン達が向かっているのはこの国でもっとも田舎ということになる。
なお、旧聖都であるポエニスは国土のほぼ中心に位置しており、だからこそ聖都に次いで多くの聖女と騎士が配置されている。どの町や村から魔女狩りの依頼が来ても、迅速に討伐に向かえるという訳だ。それ故、ポエニスの聖女と騎士たちは自ずと場数を踏むこととなり、その質もまた聖都に見劣りはしない……らしい。騎士擬きでしかないレーベンには関係のない話である。
「貴公は女の扱いに慣れているんじゃないのか。何でも良いから教えたまえよ」
「女の扱いを? あっしが? この顔で女に言い寄られるとでもお思いですかい。けっ!」
お世辞にも整っているとは言えない顔を更に歪ませながら、御者の男が道端に唾を吐く。教会の使いとして誉められた所作ではないが、既にポエニスからも遠く離れた街道でのこと。周囲には人っ子一人いない。狭苦しい御者台にレーベンも座りながら、憂鬱な曇り空を見上げた。
「というか騎士サマの聖女じゃないんですか、あの御方は。じゃあヤっちまえばいいじゃないですか」
「俺が? 彼女を? 今ここで? 貴公が見ているのにか」
「あっしは一向に構いませんぜ?」
グヘヘ! と嫌らしく笑う御者と共に、荷台の中をそっと覗き込む。薄暗い荷台に置かれた荷物の中で、自分も荷物の一つだと言わんばかりにシスネがじっと座り込んでいた。特に反応は無い。
二人して視線を前に戻し、同時に溜息をつく。
「……いい加減にしてくれやせんかね。陰気な殉教者の巡礼じゃあるまいし」
「……そういえば、前回はカーリヤ達も一緒だったな。ほら、あの写銀が高く売れた」
「ああ! あのとんでもない
「そうだな。あの聖女も黙っていれば聖女シーニュにも引けを取らんというのに。胸は豊満だしな」
「後ろの聖女サマのお胸は貧相ですがね!」
ギャハハ! と下品に笑う御者と共に、再び荷台の中を覗く。シスネはただあの銃――自決銃をじっと見つめていた。特に反応は無い。
二人して視線を前に戻し、冷や汗を流す。
「……銃持ってやしたぜ。後ろからズドンとか勘弁してくださいよ」
「心配するな。あれなら楽に死ねる」
「笑えもしねぇや」
深い溜息の音が二つ重なり、レーベンと御者が黙ってしまえばまた陰鬱な沈黙が漂い始める。
今回の目的地――ノール村までは馬車でおよそ十五時間。訓練された馬と御者であれば休みなしで進めなくもないが、特に急いでいるわけでもない。途中で野営を挟めば丸一日はかかる計算だ。ポエニスを出たのがちょうど昼前であり、分厚い雲の向こうでは日が沈もうとしている。
その間およそ六時間、シスネはああしてずっと黙り込んでいるのだ。前回は同席したカーリヤとライアーが喧しいほどに賑やかであったことを考えれば、御者とレーベンが辟易することも無理はないだろう。
なお、そのカーリヤとライアーは今回の作戦には参加していない。非常時に備えてポエニスで待機というのが、彼らのような腕利きに下された命令である。きっと今頃、暇だ退屈だと喚くカーリヤをあの苦労人が宥めていることだろう。
「ところで、あの聖女サマのどこが良いんです? あっしにはそこまでイイ女には見えませんがね」
「まあ正直、性格には難があるな。気難しく気も短い。俺など何度痛い目に遭わされたことか」
「……騎士サマも随分と良いご趣味をされていらっしゃるようで」
「だが胸は貧相でも可愛らしいところもあるのだよ。性格に難がある上に胸まで貧相だが」
「二回も言うことないでしょうが!」
ハハハ、と乾いた笑いを漏らしながら、御者と共に荷台の中を覗く。特に反応は無い。
「……はやく着きやせんかね」
「同感だ」
また溜息が二つ重なり、また雨が降り出した。
◆
木陰に停めた馬車の傍で、じっと篝火を見つめる。
幸い、野営の前に雨は止み、簡単に食事を済ませて休むことができた。その間、やはりシスネは黙り込んだままであり、レーベンと御者もまた諦めて黙っていた。馬が喋るわけもなく、ただ沈黙の中で味気無い食事をとる破目となってしまったのである。
適当に折った木の枝を火の中に投げ入れ、橙色の光を見つめる。人というものは本能的に火に癒されるという話をレーベンは思い出したが、レーベンにとって火とは魔女狩りの象徴だ。魔女は火に弱く、レーベンも狩りには多用している。更に、かつての暗黒時代では多くの女が「予防」と称して火刑に処されたらしい。
ならばこの国の民は皆、火に癒されなどしないのではないか? そんな疑問を抱き、北側に目を向ける。夜空に浮かび上がるように、巨大な山の影がそこにあった。
アスピダ山脈。この国の北から東にかけてに広がる、前人未踏の霊峰である。南から西にかけて広がるシルト海と対を成す、カエルム教国を外敵から守ってきた天然の防壁であり、同時に文字通りの壁でもある。元より教国は他国との交流に乏しかったらしいが、魔女禍の蔓延によりそれすら完全に途絶したのだという。故に、あの山を越えていく者もいなければ、越えてくる者もいない。シルト海にしても同じだ。
――曰く、この国の外に魔女はおらず、教国は魔女を閉じ込める檻である。
――曰く、この国の外には魔女しかおらず、教国は最後の楽園なのである。
どちらにせよ、ひどい話だとレーベンは思う。
アスピダ山脈もシルト海も越えることはできず、ならば結局は魔女に怯え、魔女を狩りながら生きていくしかないのだ、この国の民は。魔女禍を根絶するには女を根絶やしにする他なく、だが本当にそうしてしまえば、あとは緩やかに滅んでいくだけのこと。国の外にも出られない。魔女禍も根絶できない。八方塞がりだ。
「だいたい男ばかりの世界なぞ、つまらんだろうしなぁ」
「何の話ですか」
思いのほか近くから響いた声に、思わず手にしていた薪を圧し折る。振り返れば案の定、分厚い外套を羽織ったシスネが不機嫌そうに立っていた。
「……交代にはまだ早いが」
「あなたの独り言がうるさかったものですから」
「誠に申し訳ない」
どうやら夜番が暇すぎて無意識に独り言を漏らしていたらしい。レーベンは二番目であり、三番目の彼女とも交代する気は無かったのだが。
篝火の近くまで歩いてきたシスネが、じっと黒い瞳で見下ろしてくる。座る場所が無いのかと倒木から腰を上げる前に、彼女はレーベンの隣に腰掛けてきた。なんとなく気まずくなって篝火に目をやり、彼女もまた篝火を見つめる。
「私の過去が気になりますか」
唐突な言葉に顔を横に向ければ、シスネはじっと火だけを見ている。
「……いや、特には」
「どうしても聞きたいなら、話しても構いません」
「お、おう?」
レーベンの答えは無視された。いきなり起きてきて、いきなり何だというのか、この聖女は。
「ただし、条件があります」
シスネが一人で話を進めていく。レーベンはただ黙って先を促した。
「あなたの話も聞かせること。あなたが話した分だけ、私も話してあげます」
こちらを見たシスネの黒い瞳は、いつも通りに強くレーベンを見据えている。だが今日はどこか縋るように瞳が震えても見えた。
要するに、彼女は吐き出したいのだろう。
誰かに聞いてほしく、だがここには御者とレーベンしかいない。あの御者は論外として、レーベンに話すのも癪だ。だから、レーベンから頼みこまれた末に仕方なく話してやったと、そういう事にしたいのだろう。
まったく、本当に。
「面倒な……」
「聞こえていますよ」
いつもの不機嫌な声。だが今日はどこか子供っぽくも聞こえ、レーベンは苦笑したつもりで口を開いた。
「俺は――」
※
俺は孤児だった。
あぁ、そうだ。魔女にやられたらしい、村ごとな。別に珍しくもない。
それで赤ん坊だった俺を、聖女と騎士が教会に持ち帰って、そのまま孤児院に入れられた。
あぁ。あぁ、教会の方のだな。だから子どもの頃にはもう訓練を受けていた。騎士になる為のな。
ライアー達と会ったのもその頃だ。あぁ、そういえばな、彼は今こそあんな
……悪かった。悪かったからやめたまえよ、痛いから。
あぁ、それで、……まあ、あとは見ての通りだな。
俺は騎士になったが、適合する聖女はいなかった。だから一人で魔女を狩っていた。
そんな折、貴公と会ったというわけだ。
◆
「……それで?」
「なに?」
「それだけですか?」
「それだけだが?」
シスネの瞳がじっとりと胡乱になっていく。その視線に耐えられず、レーベンは特に必要もない薪を篝火に投じた。
改めて語ってみれば、己の歩んできた道のなんと薄っぺらいことか。故郷が滅んだ。孤児院に入れられた。騎士になった。言葉にしてみれば、本当にただそれだけだ。波乱万丈な人生を送りたかったなどとは思っていないが、もう少しこう、何か無かったのだろうか。何もありはしない。
無性に気まずくなって木の枝で篝火を突っついていると、隣から深い溜息が聞こえた。
「私は――」
※
私は聖都の生まれです。両親は教会とは関係のない仕事に就いていましたが、私は自分から教会の門を叩きました。
……えぇ。
えぇ、そうですよ。悪いですか。誰だってそうじゃないですか。私にだってシーニュやキノノスに憧れていた時期もあったんですよっ。
……話を戻しますね。
私は聖女になれました。それで、私の、最初の騎士が。
えぇ、そうです。レグルス。それが、あの人の名前です。あの人は模範的な騎士でした。あなたとは比べものにならないぐらい強く、高潔な。
……。
すみません。言い過ぎましたね。
あなたは馬鹿でどうしようもない上に穢い人ですが、悪い人ではないと思っていますよ。本当ですよ。
……今でも嫌いですが?
何ですか、その顔は……。話を戻しますね。
私はあの人と一緒に魔女を狩りました。自慢ではありませんが、聖都の中でも優秀な部類と評されていたのですよ。
……。
……えぇ、そうです。
あの人は、亡くなりました。
魔女の手にかかった彼を……私が、介錯しました。
◆
「そして私は、“騎士殺し”と呼ばれるようになりました」
シスネの話はそれほど長くもなく、おそらくは相当に端折られているのだろう。「レーベンが話した分だけ話す」とは、そういう意味だったらしい。……レーベンとしては特に端折ったつもりもないのだが。
「だから私は一人で魔女を狩っていたのです。“騎士殺し”なんかと組む騎士はいませんでしたから」
だがその短い話だけでも、幾分かは気が晴れたらしい。シスネの声には自嘲が多分に含まれているが、口調自体は軽かった。倒木から立ち上がって背伸びする姿も、どこか晴れやかだ。
「さあ、もう交代しますから、あなたはさっさと寝て下さい」
「俺は、」
篝火から目を離さないままレーベンは口を開いた。見なくとも、シスネの瞳がこちらを向いていることが分かる。
「俺は構わんぞ。貴公が、その……“騎士殺し”でも」
言うつもりは無かったが、半ば無意識での言葉だった。だがそれは間違いなくレーベンの本心である。火を見つめたままレーベンは答えを待つ。パチパチと、火が弾ける音だけが夜に響いていた。
どれぐらい待ったか、シスネの答えは聞こえず、ただ彼女の靴が砂利を踏む音を近くに聞く。顔を上げた先で、黒い瞳と目が合った。彼女の顔に普段の険は無く、だが笑顔も無い。その表情の裏にどのような感情があるのかレーベンには分からず、己の顔も他の皆からはこのように見えているのかもしれないと、そんなことを考えた。
やがて、ふとシスネの顔に笑みの影が掠める。
「私が嫌なのです」
「あぁ、そう……」
皆から疎まれたという聖女からも疎まれるとは、レーベンはいったい何だというのだろうか。流石に落ち込みそうな気分で篝火を突っつきまわしていると、その木の枝を手から奪われる。「さっさと寝ろ」と黒い瞳が言っている気がして、レーベンはとぼとぼと馬車に向かった。
「気遣いなんて、しなくても良かったのに」
馬車の幌に手をかけたあたりで背後から声が響く。振り返ると、篝火を背景にしたシスネの細い背中だけが見えた。
「……でも、ありがとうございました」
シスネの言葉は独り言のようで、きっと答えなど期待していないのだろう。ぱきり、ぱきりと、小枝を折る音だけが鳴っている。答えるべきではなかったかもしれないが。
「何か出来たとは思えんがな」
「そうでもないですよ」
ばきり、と一際大きな音が響く。
「あなたが私をどんな目で見ていたのか、よーく分かりましたから」
怒りの裏返った、笑いを含んだ声。もう何度か聞いた、彼女がだいぶ、否かなり怒った時の声である。それを耳にしたレーベンの本能が警鐘を鳴らす。
やはり答えるべきではなかった。あのまま黙って馬車の中で寝てしまえば良かったのだ。悪手も良いところであった。レーベンはもはや進むことも退くこともできず、ただ中途半端な姿勢で固まっていた。
「ヤるだのヤらないだのと、本当に穢い人たち……。我慢できた自分を誉めてあげたい気分です」
「貴公、貴公、まずは話を聞いてはくれないだろうか」
「えぇ聞いてあげますとも。何せこの私は、性格が悪くて気難しくて気も短くて暴力的で、おまけに美人でもない上に、む……体まで貧相な、どうしようもない女なのですから」
そこまでは言っていない。
……だがやはりこの聖女、客観的に見て良い性格をしているとはお世辞にも言えないのでなかろうか。今こうして愚痴愚痴とレーベンに当て擦りしていることが何よりの証拠である。レーベンはそう考えた。
レーベンとしても内心穏やかでなくなった頃、「それで?
だから言ってやったのだ。
「まったく……、胸だけでなく器まで小さいな貴公は」
飛来した薪がレーベンの後頭部に突き刺さった。