黄昏の空を
鴉とは存外に賢い鳥であり、カァカァと鳴くあの声にも意味があるのだと、そんな話をレーベンは思い出していた。もっとも、魔女狩りにも魔女の捜索にも何ら関係のない知識ではあるが。朝から降り続いていた雨はついさっき止み、遥か遠くの地平に沈んでいく夕日がよく見えた。
「……今日も一日が終わったな。夕日が赤い」
「黄昏ているなら置いていきますよ」
鬱陶しげに外套を脱いだシスネが先に立って山を下りはじめる。特に意味も無く周囲を見回してからレーベンもそれに続いた。全身に括りつけた武器たちの出番は今日も無く、それらの重みが抗議でもしているかのようだった。
「おぉ、帰ったんか。お疲れさん」
「今日も見つからんかったんか? そら良かったわ!」
「聖女さん、おかえり!」
山を下り、村の中に入るとそこかしこから
シスネはニコニコと外向けの笑顔で受け答えしながら村を歩き、レーベンも精一杯の愛想を振りまくつもりで後に続く。目が合った幼い子供が泣きだした。
「ただいま戻りました」
「おーう、お帰り」
もはや慣れた手付きでシスネが扉を開き、中にいた老人も慣れた様子で適当な返事を返した。
ノール村。教国の中でも最北に位置するこの村で魔女を探しはじめてから六日が経過していた。国中でもっとも田舎と言える小さな村のこと、教会どころか宿屋すら無い。その為、村長の厚意によって自宅に泊まらせてもらうことになったのだ。
「今日は山の方まで探してみましたが、魔女はいませんでした」
「ほうか、ほうか、良かったわ」
村長も含め、村民の皆が同じ答えを返してくる。「魔女が見つからなくて良かった」と。当然ではあるのだが、その見つからない魔女を捜してこいと命令された身としては内心複雑であった。いるかどうかも分からないモノを捜し続けるということは、思いのほか厳しい。
宛がわれた部屋で、今日も使うことはなかった装備を外しながら今後のことを考える。滞在予定期間は十日。その間、この村の周辺をくまなく捜索しなければならない。今日で全体のおよそ七割は捜し終わっており、経過としては順調と言えるだろう。だが少なくともあと四日はこの不毛とも言える作業を続ける必要があることを考えると、気も重くなるというものだ。
何もしていないのに疲れた体でのろのろと装備を外していると、対して手早く装備を片付けたシスネが部屋を出ていく。その足取りはどこか軽かった。
「遅れました」
「あらら、いつもごめんねぇ」
レーベンが居間に顔を出した時にはもう、シスネは台所に立っていた。村長の妻である老女と肩を並べながら野菜を刻み、竈に鍋をかけ、
教国の民は聖女と騎士に協力する義務があるとされ、特に魔女狩りの際はその宿や食事を無償で提供しなければならない。今回の捜索においてもそれは同様とのことだったが、依頼も出していない村に押しかけて寝床と食料を寄越せなど、やっていることは野盗と変わらない……とはシスネの弁だ。
そういう訳で、彼女はああして村長宅の家事をいくつか引き受けている。そうなればレーベンも何かしなければならないが、己に出来ることなど薪割りか草むしりぐらいしかなく、それも昨日終わってしまった。苦し紛れに村長の肩など揉んでいるが意外と好評である。おそらくは色々と察した村長が気を遣ってくれているのだろうが。
骨ばった村長の肩を揉みながら、台所を動き回るシスネの姿をぼんやりと眺める。白い髪を結いあげ、借りたらしい
「いーい嫁さんやねえ」
レーベンのすぐ傍から聞こえた声に、思わず手を止める。等間隔に鳴っていたシスネの包丁も一時だけ乱れて聞こえた。視線を下に向ければ、村長が朗らかに笑っている。
「……嫁ではなくて、聖女ですがね」
「似たようなもんやろ?」
「違うんけ?」と村長。
確かにそういった関係となる聖女と騎士は少なくない。カクトの町のマンダルとアナなどその典型で、事実上の夫婦として生活していたらしいのだ。故に聖女と騎士は皆そういう仲だという誤解は未だ多く、特にこの村のような田舎ともなれば尚更だろうか。
どう説明したものかと頭を悩ませていると、ゆらりとシスネが近付いてきた。
「私と彼は、そういう関係ではありませんよ」
よそった
内心で冷や汗を流すレーベンには誰も気付かず、「あらまぁ」と村長の妻もおっとりと驚きながらパンを切り分けていく。
「じゃあどういう関係なん?」
「聖女と騎――」
「ただの同僚です」
そこはもう嘘でも聖女と言っておけば済むのではないかと思うが、シスネには譲れない一線なのだろうか。
「それに、他の聖女と騎士にしても、皆が男女の関係という訳ではありませんから」
語りながらも、シスネの手は淀みなく食器を並べていく。四人分の食事の準備ができるまで然程の時間はかからなかった。
「聖女と騎士はあくまで魔女狩りの為の関係であり、それ以外ではない。それが教会の方針です」
「もっとも、」そう続けるシスネの黒い瞳に、どこか危うい光が走った気がした。そして、その光にレーベンは見覚えがある。
「そういう、模範的な騎士は、なかなかいませんが」
◆
村長夫妻と四人で食卓を囲むというレーベンにはどうも慣れない時間の後、玄関の扉が賑やかに叩かれる。村長が返事をする間もなく扉が開かれるあたりは、田舎特有の距離感というものだろうか。
「こんばんわー!」
「聖女さん、お話して!」
「いいやろ村長!」
なだれ込んできたのは幼い子供たちだった。他人の家だというのに我が物顔で踏み入ってくる図太さも田舎特有なのだろうか。旧聖都とはいえ、充分に都会の町で育ったレーベンには理解しがたい。その田舎の子供たちはあっという間にシスネを取り囲み、既に彼女の手をとって外に連れ出そうとしている。
「ほらほらあんたら、聖女さんはお疲れなんやで」
「えー!」
「大丈夫ですよ、行ってきますね」
無遠慮な子供たちに対して夫人もまた無遠慮に追い返そうとし、だがシスネは苦笑しながら玄関へと向かった。昨日にも同様のことがあり、シスネが開放されるまではそれなりの時間を要していたのだ。
レーベンも同行した方が良いかと一歩踏み出した瞬間、子供たちの何人かがびくりと肩を震わせる。中には目を涙ぐませる少女までいた。その反応に思わず足を止め、固まったレーベンの姿を隠すようにシスネが屈んで子供たちに視線を合わせる。
「じゃあ、外でお話しようか。でも昨日の約束は覚えてる?」
「「「聖女さんのことは、ぜったいに、くすぐりません!」」」
「うん、本当にお願いね。本当に」
心なしか遠い目になったシスネが両手を引かれて玄関から姿を消し、静寂の戻った室内にはレーベンと夫妻だけが残された。
「行ってもたなぁ」
ぷかぷかと煙管を吹かしながら村長が苦笑いし、手持無沙汰になったレーベンは村長の肩を揉む作業を再開した。
「この村の子供たちには、どうも嫌われたようです」
元より子供の相手が得意というわけではないが、少なくとも目が合っただけで泣かれる程ではなかったはずだ。以前、仕事で向かったワートの町では幼い少年と少女にそれなりに懐かれた記憶もある。だがこの村に来てからというもの、まるで己が怪物か何かにでも見えているかのような反応ばかりだ。
「そらあなぁ」
頭を捻るレーベンに対して、村長はさも当然のように呟く。
「気ぃ悪くせんと聞いてほしいんやけどな。騎士さんってのは、みんなそんな死んだような目ぇしとるんか?」
「目、ですか」
意外な言葉に、己の目元を指先で触れる。レーベンの灰色の目は珍しい部類ではあるが、特別視される程ではない。瞳の色でいうならば、シスネやヴュルガ騎士長の方がよほど珍しい色をしている。
レーベンの様子を見て、察したように村長が続けた。
「町の人には分からんかもしれんけど、こういう所やと、“死”ってもんが身近なんや」
「魔女だけやなくて、獣でも、病でも、ちょっとした怪我でも、すぐ死んでまう」
「あの子らかて、家族や友達の一人や二人は亡くしとる子がほとんどや」
腐っても教会の一員であるレーベンにも耳の痛い話であった。当然だが、人々の生活を脅かすのは魔女だけではない。天災、獣害、疫病、野盗……そういった物から人々を守ることが国の務めではあるのだが、教国はいささか魔女狩りに傾倒しているきらいがある。故に魔女禍以外の問題に対しては後手に回ることが多く、この村のような辺境ともなれば尚更だろうか。
「だからまあ、“死のにおい”っていうかな、そういうモノに敏感なんや。特に子供らはな」
そしてレーベンの目からは死臭がする。故に子供たちから恐れられると、そういうことらしい。そのようなことを言われるのは初めてであった。
「若い
カン、と。村長が灰皿を煙管で叩く音が響いた。
◆
寝台の上で、じっと手鏡を見る。曇った鏡の中では、見飽きた灰色の目が己を見返していた。死臭どころか違和感すら覚えることはない。当然といえば当然だろう、これは己の目なのだから。自身の体臭を自分では感じ取られないように、仮にレーベンの目から「死のにおい」とやらがするとして、レーベン自身にそれを感じられる訳も無いのだ。
ならば、己でなければ感じられるだろうか。例えば、いま扉を開けて入ってきた聖女など。
「……珍しい、あなたでもそんな事をするのですね」
鏡を見ながら身繕いでもしていると思われたらしい。当のシスネは白髪もボサボサで、装束もどこか着崩れている。体力のあり余った子供たちを相手に奮闘したのだろう。そんな彼女の姿に苦笑したつもりで、先ほど村長から言われたことを掻い摘んで話した。
「俺の目は死んでいるらしい。貴公にもそう見えるのか?」
「そうですが?」
即答である。そして「やっと気付いたのか」とでも言いたげな口調であった。あまりに確信的な言い方に思わずシスネを見ると、黒い瞳が呆れた視線を返してくる。
「あなたが嫌いな理由は主に四つありますが、」
それは多いのか少ないのか。いやに具体的な数字に傷つく思いでいると、白い手がレーベンの頭に触れた。そのまま、掴むとも撫でるともつかない手付きで上を向かされる。
黒い瞳が、睨むようにその光を増した。
「その目が、私は特に嫌いです」
嫌いだと言われたその目で、シスネの瞳を見返す。いつ見ても吸い込まれそうな黒だと思った。
「……俺は貴公の目は好きだがな」
「口説いているつもりですか? 痛々しい」
この程度で取り乱すような聖女でないことは分かっていたが、この反応である。いくらレーベンであっても落ち込みそうな心地でいると、かすかにシスネが表情を歪めた。
「……もう寝ましょう。疲れました」
そう言って、レーベンの頭から手を離すと自分の寝台へと向かう。
この部屋は村長夫妻の厚意で貸してもらっているが、当然のように寝台が二つ並んでいた。シスネとしては不本意もいいところだろうが、まさかもう一部屋よこせなどと言えるわけもない。せめてもの抵抗として、掛布を吊るして部屋を二分しているのみだ。
「消しますよ」
「あぁ、おやすみ」
「……おやすみなさい」
ランプの灯りも消え、部屋の中は暗闇と静寂で満たされる。布一枚を隔てた向こう側から聞こえる、衣擦れとかすかな吐息を聞きながらレーベンも目を閉じた。
◆
「……っ、ぅぅ…………」
布一枚を隔てた向こう側から聞こえる、苦しげな声でレーベンは目を開けた。目を開けたが、それ以上何かをするわけでもなく、ただ暗い天井を見上げる。
こうしてシスネと寝室を共にして知ったことだが、彼女はずいぶんと夢見が悪いらしい。毎夜というわけではないが半分以上の夜はそうだ。ただレーベンが起きなかっただけで、本当はずっとこうして魘されているのかもしれない。
どちらにせよレーベンに出来ることは何もなく、彼女とて何も望まないだろう。出来るのは、ただ掛布を頭にかぶって聞かなかったことにすることだけだ。
「いかないで」と、悲痛な声から逃げるようにレーベンは目を閉じた。