シスネが赤子を抱いて帰ってきた。
「貴公……」
「そんな目で見ないでください……」
魔女の捜索、その七日目の朝。
もはや自室のような村長宅の客間で目を覚まし、シスネは魘されていたことが夢だったかのようにいつも通りだった。いつも通りに村長の妻と朝食を用意し、四人で食卓を囲んだ。捜索に向かう為に装備を身に着けている最中にシスネが呼び出され、そして戻ってきた時はその手に赤子を抱いていたのだ。
「……」
「お隣の若いご夫婦のお子さんなのですが、今日はお二人とも村の外に行く用事があるらしくて」
「……」
「本当は村長の奥様が面倒を見る予定だったのですけれど、今日はすこし腰の調子が悪いようで」
「……」
「……断れませんでした。本当にごめんなさい」
シスネが深々と頭を下げ、レーベンはただ黙って天井を見上げた。
「それじゃあ、行ってくる」
「お気をつけて。あと、これを」
「あぁ、うん」
村長宅の玄関で赤子を抱いたシスネに見送られる。彼女は白髪を結い、
……だが、これではまるで。
シスネの後ろでは村長夫妻が並んで朗らかに笑い、周囲の村人たちも微笑ましいものを見るような視線を注いでくる。「聖女と騎士とは夫婦同然の関係である」という誤った認識が深まってはいないだろうか。否、確実にそうなってしまっている。
「貴公という奴は……」
「だからもう何度も謝っているではないですか……っ」
視線に敏感な彼女はもう顔から火が出そうな勢いだ。それがまた初々しい若妻か何かのようで更に誤解を深めている気がする。「はやく行ってくれ」と黒い瞳に訴えかけられるまま、レーベンは足早に村を脱した。
◆
何の成果も無いまま、気が付けば太陽が真南に上がっていた。木陰で林檎を齧りながらレーベンは内心で焦りを募らせる。
――このままで良いのだろうか
良いわけが無い。魔女を捜す為に村の周辺を歩き回っているはずが、もはや惰性でただ歩いているような有様だ。老人の散歩でもあるまいし。
魔女が見つからないのは、まあ良い。元より魔女の異常減少に端を発した作戦なのだから、むしろ見つからない方が自然とも言える。だがもし万が一、魔女を見つけたら? 鈍りきったこの状態で魔女を狩ることが出来るのか?
己だけでなく、シスネもそうだ。あの聖女はもう捜索のことなど忘れてしまっているのではなかろうか。生真面目にすぎる彼女に限ってそれは無いと思いたいが、今朝のあの様子を見るにあながち杞憂とも言い切れない。
「――ぬんっ」
林檎の芯を放り上げ、落ちてきたそれに片手剣を一閃する。ボトリと、無傷の芯が地面に転がった。
「……これは、まずいな」
最後に魔女を狩ったのはもう何日前だろうか。握った片手剣はやけに重く感じた。
◆
実りの無い捜索を早々に切りあげて村に戻ると、笑顔の村人たちに出迎えられた。太陽が沈むには幾分はやく、各々の仕事を片付け始めた頃合いだ。
「なんや、今日は早いな」
「
「羨ましいわぁ、俺も若いころは――」
悪意は無いのだろう。嘲りではなく親しさからの揶揄いというものだ。だがつまりそれは、誤った認識が深刻に広まっているということでもある。だからといって言葉で否定することもできず、曖昧な答えで躱しながら村へと入る。
――そういえば
今になって気付いたが、今回の仕事では常にシスネと行動を共にしていた。以前のように二手に分かれることはなく、彼女もそうは言いださなかった。魔女狩りならばともかく、捜索ならば二手に分かれた方が得策だろうに。完全に気が緩んでいることを改めて認識し、村長宅を足早に目指した。
預かった赤子は既に母親が迎えにきた後らしい。シスネはただ、客間の寝台で寝息をたてていた。
「寝かしといてあげねぇの。大変やったんやで」
客間の外から村長の夫人が声をかけてくる。曲がった腰をさすりながら杖をついており、そのような状態をおしてまで言いに来られた手前、シスネを叩き起こすわけにもいかなくなった。これでは何のために早く帰ってきたのか分からないが、もうどうしようもない。なるべく音を立てないよう注意しながら装備を片付け、客間を後にする。
扉に手をかけながら寝台を見やる。白い掛布と同化するようにうつ伏せになった彼女の寝顔は穏やかで、悪夢に魘されてはいないようだ。
「……」
溜息をひとつ零し、シスネに掛布をもう一枚かけてやってから、そっと扉を閉める。どちらにせよ、もう起こす気は無くなってしまった。
腰の悪い夫人を台所に立たせるのは気が引け、だからといってレーベンが代わる訳にもいかない。料理が不慣れ以前に、薬の影響で少なからず味覚も鈍っている己が味付けなどすれば何が出来上がるか分かったものではないのだ。
それでもやるしかないと無謀な覚悟を決めたあたりで、隣家の若い女が当然のように夕食の支度を済ませていった。「子供の世話をしてくれた礼」とのことだが、恐るべきは田舎の村人たちの連帯感か。もっとも、その連帯感のおかげでレーベンとシスネの関係を誤解した認識が急速に広まりつつあるのだが……。
どことなく気まずさを感じながら三人で食卓を囲んでいる最中、客間の扉が騒々しく開かれる音が響く。バタバタと廊下を走る音と何かに蹴躓いたような音も近付いてきた後、予想通りに焦った顔のシスネが居間に飛び込んできた。
「ご、ごめっ、いえその、も申し訳ありませんっ!」
勢いよく頭を下げ、ボサボサの白髪が床に垂れる。午睡というには長い時間を寝て過ごし、夕食の支度も何も出来なかったことを詫び続けるシスネに、夫妻は「ええって、ええって」と笑うのみだ。なかなか席に着こうとしない彼女を促す為にも、夫妻に代わってレーベンが皿に食事を取り分けた。
だが釘を刺すことは忘れない。
「貴公、後で話がある」
「…………、はぃ……」
叱られた子供そのもののように小さくなるシスネの姿は、どこか新鮮に見えた。
◆
客間の寝台に腰掛け、隣の寝台の上で正座したシスネと対峙する。判決を待つ罪人じみた暗い顔で俯いているが、よく寝たせいか顔色は良かった。
「魔女の話をしよう」
「はい?」
レーベンの言葉が意外だったのか、素っ頓狂な声が返ってくる。説教でも始まると思っていたのだろうが、レーベンとて一方的に叱責するつもりなどない。気が緩んでいるのは己も同じなのだから。
「最近の俺達はたるみ過ぎだ。そうは思わないか」
ぐ、とシスネがばつの悪そうな顔で俯く。当然ながら反論は無かった。
一日目はレーベンもシスネも武器を構えながら捜索を行った。いつどこから魔女が現れても戦えるよう気を張り詰めながら歩いた。二日目もまだ緊張は保っていた。だが武器はもう鞘に納め、背に担いでいた。三日目には既に気が緩み始めていた。四日目には二丁持っていたはずのシスネの長銃が一丁に減っていた。レーベンもいくつかの武器は置いていこうか真剣に迷った。
そして七日目の今日、もはやレーベンもシスネも何をしに来たのか分からない体たらくだ。緊張を取り戻す必要がある。
「だから、魔女の話をしよう」
「そう、ですね」
その為には魔女の話をするのが最も手っ取り早い。この国の民にとって魔女は恐怖と嫌悪の対象であり、それは聖女と騎士も例外ではないのだから。
パチン、と。シスネが両手で自分の頬を張った。それで意識も幾分かは切り替わったらしい聖女がキリと黒い瞳を向けてくる。……白い頬に赤い手形が残る間抜けな姿であったが、黙っておいた。
「それで、魔女の何を?」
「そうだな、」
聖女はどうか知らないが、騎士同士ではよく語られる話題がある。荒事を生業とする男ならば騎士でなくとも同じだろう。
「今までで、
「……っ」
シスネの瞳が不意に揺れる。だがそれは緊張というより、動揺に近いものに見えた。何かを言おうとする唇が、何度か開け閉めを繰り返す。
「……、……わ、たしは、やっぱり、前回の、あの魔女ですね」
ひどく歯切れの悪い口調だった。だが前回の魔女――ミルスという名だった、あの哀れな魔女は確かに手強く、そしてレーベンにとっても忘れられない魔女狩りとなった。
「永命魔女か、あれはひどい目に遭ったな」
「え、ええっ。生きていたのが不思議なぐらいです」
今思い出しても怖気を禁じ得ない。レーベン達が謎の何かによって発見できたことも、ライアー達が駆けつけてくれたことも、本当に運が良かった。
「それで、あなたは」
「あぁ、俺は、」
シスネが話を逸らすように水を向けてくる。何か隠しているのだろうが、今は彼女の過去を掘り返す為に話しているのではない。少しでも気を引き締められたのであればそれで良い。
そして、レーベンが話すことはもう決まっている。騎士となって五年、最も手強かった魔女は不動の存在としてレーベンに刻まれているのだ。聖女と騎士が恐れと共に語る、特別な魔女。共喰魔女と永命魔女に並ぶ、もっとも恐ろしい魔女のことを――。
バンッ、と。壁の向こうで荒々しく扉が開けられる音が響いた。
「爺ちゃん! 聖女さんらはいるけ!?」
壁越しでもはっきりと聞こえた声に、レーベン達は客間を飛び出した。
玄関にいたのは見覚えのある青年だった。たしか、去年から村の猟師として働き始めたという、村長夫妻の孫だ。今はもうこの家を出ているという話だった筈だが。
「ああ聖女さん! 大変なんや!」
「待てや、落ち着きね」
泡を食った様子でシスネに詰め寄ろうとする青年を村長が諫め、夫人が水の入ったコップを手渡す。なんやなんやと覗き込んでくる村人たちを刺激しないよう、レーベンがそっと扉を閉めた。……今度は窓という窓から顔が出てきて意味は無かったが。
水を飲み干して一息ついた青年に、シスネが穏やかに声をかける。
「何かありましたか?」
「……魔女や」
幾分かは落ち着いたらしい青年が、声を潜めて言った。だがその小声に夫妻が動きを止め、レーベン達も一瞬で意識を塗り替えられる。
「魔女が出たのですか? いつ見ました? 場所は?」
「あ、あぁ、いやごめん! 魔女はもうえん! もう大丈夫や!」
矢継ぎ早に質問を繰り返すシスネに怯んだように青年が慌てて付け足すが、話の内容はまるで要領を得ない。魔女がいたのかいないのか、どちらだと言うのか。
「……どういうことですか? あなたは魔女を見たのですか? 見ていないのですか?」
「俺は見てえんて! 見てえんけど、聖女さんが……」
「貴公、待て貴公、二人とも落ち着け」
「なんやってか? はっきり言えや!」
表情を険しくしたシスネが詰め寄り、そんな聖女に狼狽えた青年が更に意味不明なことを言い出し、思わず口を挟んだレーベンの言葉は何ら意味を成さず、余裕の無くなった村長が苛立った声をあげ、
ズガァン! と食卓をかち割らんばかりに杖が叩きつけられた音に皆が言葉を失くす。
「とりあえず、みんな座りね」
「「「「はい」」」」
夫人の一喝により、皆が椅子に腰掛けた。
夫人に促されるまま、青年が順を追って話しだす。
獲った獣肉を野菜と交換する為に朝から隣村へと向かい、昼頃には用を済ませて帰ろうとしたところ、その村の住人たちが一体の亡骸を運んできた。何事かと聞いてみると、その亡骸はレーベン達と同じように村の周辺を捜索していた騎士のもので、畑仕事の為に村の外に出ていた住人が偶然見つけたのだという。
そして、その亡骸のすぐ近くには、魔女の死骸があったのだと。
「相討ち、ということですか……」
「じゃあ、魔女はその騎士さんが狩ってくれたんやな? もうえんのやな?」
青年ははっきりと頷き、村長はほっと息をついた。騎士の死を悼むより魔女の死を喜ぶことを身勝手というのは簡単だが、誰だって魔女は恐ろしい。まして、村長としてこの村を守る義務があるのだから当然の反応だろう。その騎士とて、刺し違えてでも役目を果たしたのだ。立派な最期であったとレーベンは思う。
「その騎士の聖女は無事だったのですか?」
シスネが問いを続ける。だが青年は沈痛な顔で首を振った。
「死体の一部が、一緒に見つかったらしいわ」
「ほうか……」
夫人が手巾で目元を押さえながら鼻を啜る。「ありがとのう」と両手を握り、顔も名前も知らない聖女と騎士に祈りを捧げていた。
青年の話はそれで終わりだった。隣村の住人に被害は無く、聖女と騎士は死に、魔女も既に狩られたが、それでも一大事であったことは変わりない。早く報せなければと馬を走らせて大急ぎで戻ってきたのだという。
「騒がせてごめんの、聖女さん」
「いえ、報せてくださってありがとうございます」
報告を終えて肩の荷も下りた青年は村長宅を後にし、村長は広場に住人たちを集めていた。誤った噂が広まらないよう、先に情報を共有するらしい。夫人は先ほどの威圧感ある姿が嘘のようにヨボヨボと椅子に座り、シスネが淹れた茶を啜っている。レーベンはただ一人、考えを巡らせていた。
「あなたも、気になりますか?」
否、シスネも考えていることは同じだったらしい。ならば仕事を始めなければならない。
ぬるま湯のような平穏は、今日で終わりのようだ。