魔女狩り聖女   作:甲乙

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生と死の一線

 四年前のあの時も、己ではどうにも出来なかった。

 

 あの廃村の奥にいた魔女もまた、破戒魔女だった。だが当時のレーベン達にとって破戒魔女とは英雄譚の中だけでの存在であり、それが駆け出しである自分たちの前に現れることなど無いと、何の根拠もなく信じていた。故にアレも多少は強力なだけの魔女であると、そう考えていたのだ。

 

 恐れを振り払うようにカーリヤが聖性を発し、それを受け取ったライアーが両手剣を構えて駆け出す。二人が魔女と戦う様をレーベンは遠巻きに眺め、それを更に遠くからヴュルガ騎士長が見ていた。

 怖気づいたわけではない。聖女がおらず、まともに戦うこともできない己が手を出したところで却って二人の邪魔になってしまうと考えていたからだ。レーベンは己の評価など知ったことではなかったし、己の生死に関しても同じだった。騎士となって一年、魔女狩りを悉く失敗しながら逃げ帰っていたのも己の命を惜しんでのことではない。もっと別の理由だ。

 

 ライアーが両手剣を振り下ろす。大柄な体躯を活かした一撃はカーリヤの聖性によって強化され、尋常な魔女であれば一撃で狩ることすらできただろう。だがアレは尋常な魔女ではなかった。

 レーベンはただ見ていた。だからこそ気付くことができた。魔女の周囲に散らばる聖女と騎士の死体。()()()()()()()()()()()()()()()

 気が付けば魔女に向かって駆け出していた。同時に、両手剣を砕かれたライアーが呆然と立ち尽くしていた。走る勢いのまま全力で蹴りを放つ。魔女ではなく、ライアーに。

 代わりに魔女と対峙しながら、倒れ伏した彼に叫んだ。

 

『無理だ! 逃げろ!』

 

 当時のライアーは今とは別人のように血気に逸っており、レーベンから見ても明らかに生き急いでいた。そんな彼だからレーベンの言葉には従わず、だがカーリヤがそれを止めた。

 彼女もまた今とは別人のような聖女だった。(おし)のように喋らず、常にライアーの陰に隠れ、その背中を哀しそうに見つめているような女だった。そんな彼女がライアーに叫び、その頬を引っ叩き、大きな体を引きずって離れていった。

 

 ――さて、どうする

 

 何も考えてはいなかった。ライアー達でも歯が立たない相手に、レーベンができることなど何も思い浮かばなかった。ただ迫ってくる魔女から逃げ回りながら、何か方法が無いか考えていた。

 そのまま逃げることも考えたが、逃げ道には騎士長がいた。レーベンはまだ戦っており、まだ死んでいないから。まだ審査は終わっていないから。あるいは、レーベンが逃げ出そうとすればその場で処分しようとしていたのかもしれない。騎士長の目はレーベンをただ見ていた。いつものように、誰に対してもそうするように、石ころか雑草でも見るような目で。

 その感情の無い目を見て、レーベンはひとり笑った。

 

 

 ◆

 

 

 空は分厚い雨雲に覆われており太陽の位置は分からないが、じきに日が沈む頃合いだ。月も見えない闇夜の中であの破戒魔女と戦うわけにはいかず、それまでに決着をつけなければならない。だがその前に確かめなければならないこともある。

 

「こっち!」

 

 レーベン達を見失い、ノール村に向かっていたらしい魔女の前にシスネが踊り出る。魔女が泥に覆われた双眸をシスネに向け、同時にシスネの短銃が連続して火を吹いた。

 連射、連射、連射。二丁の短銃をそれぞれ両手に握り、ろくに狙いもせずに引き金を弾く。彼女らしくもない雑な射撃は何発かが魔女の躰を逸れていくが、その全てを魔女の剣は弾き落とした。()()()()()()()

 それを木の陰から見ていたレーベンが、そっと身を乗り出す。シスネとは反対側、魔女の背後から短剣を音もなく投げ放った。だがそれも魔女の剣に斬り払われ、近くの木の幹に突き刺さる。

 

「便利なものだっ」

 

 魔女の躰は未だに半ば不定形、元は脚であったしなやかな腕は前も後ろもなく自在に動いている。それを認めながら愚痴と共に次の投擲を繰り出した。

 

『見て』

 

 魔女が剣を振るい、先ほどまでとは違い軽い音が響く。レーベンが投げたのは短剣ではなく、ただの石ころだったのだ。

 

『見てよ』

 

 投擲を続ける。次に投げ放ったのは、魔女狩りの中では完全に場違いな品。木々の間で適当に摘んできて束ねた、花束だ。

 

『見てったら』

 

 欠片ほどの殺傷力も備えていないそれを、やはり魔女の剣は斬り払った。一度ではなく何度も、花の全てを斬り裂くまで。名も知らない雑多な花々が雨の中で散っていく。

 

「退け!」

 

 充分だった。

 シスネに合図し、別々の方向に逃げる。走りながら振り返れば、魔女はレーベンを追ってきてはいなかった。シスネの方かノール村に向かったのだろう。暗くなり始めた木々に紛れるように走り、合流地点へと向かった。

 

 

 ◆

 

 

「思った通りでしたね」

「厄介なことに変わりはないがな」

 

 魔女の進む道を大きく迂回し、ノール村まで半里ほどの場所でシスネと合流した。シスネを追うにしろ村に向かうにしろ、じきに魔女はここに来るだろう。それをここで迎え撃つのだ。

 

「これぐらいですか?」

「まあ、そんなものだろう」

「適当ですね」

 

 その為の仕掛けを二人で準備する。仕掛けと呼ぶには、あまりにも簡単な代物ではあったが。

 

「……できました」

「上出来だな」

「馬鹿にしているでしょう?」

 

 ガリガリと石で地面の土に線を引く。雨で消えないよう深く、しっかりと。そうたいして時間もかけずにその仕掛け――ただ地面に引かれた二本の線ができあがった。

 あとは待つだけだ。レーベンは機械剣に炸裂弾を装填、シスネは大短銃に弾薬を込め、二人で武器を手に木陰へと座り込んだ。

 無言で魔女を待つ。雨は徐々に勢いを緩め、だが止むことはなくしとしと降り続けている。魔女狩りの最中とは、それも破戒魔女を狩ろうとしている最中とは思えない、穏やかな時間だった。

 

「ごめんなさい」

 

 脱いだ外套を機械剣に被せていたレーベンは、すぐ隣から聞こえた声に顔を向けた。シスネは手にした大短銃を撫でながら、視線は銃に落としたまま言葉を続ける。

 

「あなたとの魔女狩りはいつも滅茶苦茶ですが。今回は格が違う」

「きっと、あなたの言う通りに逃げるのが正しかった」

「でも、私の私情に付き合わせてしまって……だから、ごめんなさい」

 

 レーベンも視線を機械剣に戻し、答えは返さないまま今までのことに思いを馳せる。

 思えば、シスネと最初に会ったのも魔女狩りの中であった。聖女と騎士らしい出会いと言えるだろうか。それから彼女と共に狩った魔女の数は片手で数えられる程のはずが、今まで一人で行ってきた魔女狩りよりよほど深くレーベンの記憶に刻まれている。最初は拒絶されていたシスネとの距離も徐々に――。

 

「いや、縮まってはいないか」

「何がですか」

「俺と貴公との仲が」

「……当たり前でしょう」

 

 シスネの声に聞き慣れた険が戻り、わざわざ体を離して座り直す。行き過ぎると雨に濡れるだろうに。

 

「魔女狩りの一度や二度で女が落とせるとでも思っているのですか。英雄譚の読みすぎですよ」

「聖女シーニュはいつもそんな感じだがな」

「あぁ……、あれはひどいですね」

 

 かの美聖女を題材とした英雄譚……というよりは恋物語は数多く、多感な少年から夢見がちな乙女まで虜にしてやまない。だが数が多ければその内容も玉石混交というもの、中には恋物語(ロマンス)など名ばかりの官能小説(エロス)まで作られている。

 

「嫌だ嫌いだと言うわりには、次の(ページ)ではもう落ちているではないですか。早すぎるでしょう」

「それは流石に早すぎ……いや待て貴公、それは恋物語じゃなくて官能――」

「っ、とにかく、あんな物を現実と混同しないことです。いいですね?」

「お、おう」

 

 彼女のひどく意外な一面を垣間見てしまった気がするが、聞かなかったことにした。あまり揶揄いすぎても報復が怖い。……報復される「次」があればの話だが。

 一度は止みかけていた雨が、再び強くなり始めた。

 

「……もし、俺が」

 

 喉から零れ落ちた声はひどく小さく、雨音にかき消されそうだ。だがシスネがこちらを向いた気配をたしかに感じた。

 

「もし、あの魔女を狩れたら、その時は……貴公は、」

 

 

『こっちを、見て』

 

 

 雨音に混じり聞こえた歪な声に、シスネが素早く立ち上がる。レーベンもまた言葉を飲みこんでそれに続いた。それぞれの手に剣と銃を構え、魔女の前に立ちはだかる。

 

「“この戦いに勝てたら”なんて、こんな時に不吉な台詞を言わないでもらえますか」

「違いない」

 

 彼女らしくもない、どこか冗談めかした声は震えていた。それに答えた己の声は震えていただろうか。ただレーベンは渇いた笑いを漏らし、シスネも珍しくそれに笑って応えた。

 

 

 ※

 

 

 ヴュルガ騎士長が跳ぶ。その巨躯からは想像もできないほど軽やかに跳躍し、崩れかけの家屋の屋根に飛び乗った。そして、ほんの一瞬前に騎士長が立っていた場所を魔女の一撃が襲う。

 魔女の虚ろな視線が彷徨う。離れた場所から窺うレーベンと、屋根の上に佇む騎士長。弱い相手から屠ろうと考えたか、あるいはただ近い方の獲物を選んだのか、また己を追い始めた魔女に対し、レーベンはまた背を向けた。

 雨の中を、血と屍が散乱した廃村の中を駆けずり回る。背後から迫ってくる魔女の一撃を無様に転がって躱し、泥と血に塗れながらひたすら逃げる。家屋の角を曲がり、曲がり、曲がって魔女との距離を稼ぎ、足場になりそうな木箱を見つけると必死で屋根によじ登った。

 

 感情の無い視線がレーベンを見下ろす。

 

 奇しくも、そこは騎士長が立っていた屋根だった。屋根にしがみつくレーベンに手を貸すこともなければ、蹴落とすこともない。ただ見ている騎士長にレーベンもまた何も言わず、ただ屋根の上に立って剣を構える。そしてすぐに屋根の上まで追ってきた魔女に対し、大きく距離をとった。振るわれる魔女の一撃。だがそれはレーベンではなく、すぐ近くにいた騎士長に向けて振るわれた。

 この魔女狩りはライアーとカーリヤ、そしてレーベンを試す為の場だ。あの二人がどれだけの力と才を秘めているかを見定める為の場であり、そしておそらくはレーベンが処分されるか否かの最後の一線だったのだ。故に審査役の騎士長は一切手を出さず、だがそんな都合は魔女の知ったことではない。正気を失った魔女はただ本能に従い、獲物へと襲い掛かる。

 

 その相手が、どれほど恐ろしい男なのかも理解しないまま。

 

 魔女の一撃は空を切った。レーベンにはそうとしか見えなかった。魔女が振り下ろした爪は騎士長の体をすり抜け、壊れかけの屋根を打ち砕く。そのすぐ近くに佇む獲物に再び振るわれる一撃。またしても爪はすり抜け、半歩も離れていない場所に立つ騎士長は常と変わらない無表情で、その背に吊るした得物に手をかけることすらしない。紙一重で避けた、などというものではない。まるで理解不能の体捌きで魔女の攻撃を躱し続ける様に、レーベンは寒気すら覚える。

 アレはただの魔女ではない、聖性によって桁外れの力を得た破戒魔女だ。逆に、騎士長の巨躯は聖性の光を帯びていない。彼の聖女の姿は何処にも見えないのだから当然だ。つまり、あの恐ろしい魔女に生身で対峙しているのだ、あの男は。

 何度目かの攻撃に騎士長は再び跳躍、ぬかるんだ地面に音もなく着地した。魔女は相手が遠くへ逃げ去るとあっさり標的を変え、再びレーベンへと迫る。レーベンは魔女に背を向け、屋根から飛び降りた。

 

 レーベンの狙いは明白だ。

 あの魔女に立ち向かったところで勝ち目は無い。逃げることはあの騎士長が許さない。ならば両者を潰し合わせる。つまり、騎士長に魔女を狩らせる。それしか手は無かった。

 無論、言葉で助けを求めても無駄だろう。それどころか言葉を吐いた瞬間に斬り捨てられる未来が容易に想像できる。この死地から逃げ出しても同様だ。故にレーベンは魔女から逃げ回り、だが村から出ることはせず、ひたすら魔女を騎士長の元まで誘導する。

 要するに根比べだ。レーベンが魔女に殺されるのが先か、痺れを切らした騎士長が魔女を狩るのが先か。分の悪い勝負であり、更にレーベンは形だけでも戦う振りを続けなければならない。騎士長に敵前逃亡と判断されるか否か、そのギリギリの一線を保ちながら逃げる。魔女から大きく距離を開けてもならない。逃げられるか逃げられないか、その一線も保ちながら逃げる。

 

 生と死の一線。

 

 それは騎士となってからの一年、レーベンが魔女狩りの中で見極めようとしてきた物だ。

 騎士となった以上、命を惜しむ気は無い。いつか魔女狩りの中で死ぬのだ。魔女と刺し違えられるなら本望。魔女を狩る為に命を使うことに迷いは無い。

 

 だが無駄使いは御免だ。

 魔女を狩れないまま自分だけが死ぬ。それだけは嫌だったのだ。

 

 故にレーベンは見極めようとした。どこまで傷つくと戦えなくなるのか。どれだけ血を流すと動けなくなるのか。どこまで身を捨てれば、己が死ぬ前に魔女を狩れるのか。

 どれだけ止められようと魔女狩りに向かい、どれだけ詰られようと魔女から逃げてきたのは全てその為だ。英雄の器ではない己が、「聖女なき騎士」である己が、どうすれば魔女を狩ることが出来るのか。それを知る為に、痛みも罵りも耐えてきたのだ。

 

 レーベンは笑っていた。

 

 あの魔女は今まで見てきたどの魔女よりも恐ろしい。だがまだ殺されていない。

 あの騎士長は下手な魔女などよりもよほど恐ろしい。だがまだ殺されていない。

 一年の雌伏がようやく実を結んだと思った。泥に塗れながら見極めてきた一線、その上を踊るような心地に口の端が歪む。いつからか聞こえていた笑い声は、己のものだったのだと気付いた。

 この日、己はようやく騎士に一歩近づくことが出来たのだ。

 

 

 

 ――面白い子

 

 どれだけそうしていたのか。夢幻のような心地で生死の境を駆け回っていたレーベンは、どこからか聞こえた声に現実へと戻された。同時に、麻痺していた痛みと疲れが一気に襲い掛かってくる。とっくに限界を越えていた体が膝をつき、足元の水溜まりが赤く染まっていった。

 魔女もまた何故か死にかけだった。レーベンの剣はついに一度も魔女に触れなかったというのに、その躰は血に塗れている。それが自壊現象と呼ばれる破戒魔女の弱点だと知ったのは後のことだ。

 

 ――まだ死なせる時ではない。(わたくし)は、そう考えます

 

 怖気がするほど涼やかな声だった。雨と泥と血と屍に満ちたこの場には似つかわしくない、歌うような女の声。周囲を見回し、そして異様な光景に目を見開いた。

 騎士長が背負っていた函。小さな棺にも見えたそれから、白い腕が伸びていたのだ。曇天の元で輝くように白い腕が、白蛇のように騎士長の首に巻きつく。そんな中でも騎士長の顔は巌のように動かず、ただその巨躯から青白い聖性の光が溢れ出した。

 

 ヴュルガ騎士長の聖女。

 

 つれて来ていないとばかり思っていたその聖女が、ずっとあの函の中にいたという事実にレーベンは総毛立つ。何故わざわざそんな真似をしているのか、そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もう動けないレーベンには目をくれず、魔女が騎士長へと――あるいは函の中の聖女へと襲い掛かる。それ程にその聖性の光は強く、魔女の本能をかき立てるには充分に過ぎたのだろう。そして、その瞬間に魔女の運命は決したのだ。炎に惹かれた羽虫のように。

 

 騎士長が背の得物に手をかける。

 

 一際大きな雷鳴が響き、灰色に染まっていた廃村が白く照らし出される。光に眩んだ目を開いたその時にはもう、魔女は無残な死骸へと変わっていた。

 騎士長が無言でレーベンに顔を向ける。相変わらずその顔からは何の感情も読み取れない。その手には未だ得物が握られており、レーベンの生死もまた彼の手に握られている。その時、レーベンは初めて間近から騎士長の目を見た。

 

 燃える死体のような目だ。

 

 そう思って、レーベンは灰色の目を閉じた。

 

 

 ◆

 

 

 レーベンは灰色の目を開いた。

 

『見てよ、見て』

「……ああ、視えているとも」

 

 すぐ隣のシスネにも聞こえないような声で呟く。生と死の一線。それはレーベンにはっきりと視えている。

 今がまさに、その一線。逃げることができる最後の一線だ。

 だがシスネは逃げない。故にレーベンもここにいる。

 

 ――もしも、あの魔女を狩ることが出来たなら

 ――その時、貴公(あなた)は俺を認めてくれるだろうか

 ――今度こそ、俺は貴公(あなた)の騎士になれるだろうか

 

 声には出さないまま機械剣を構える。両手で握り、右肩に担いで、脚に力を込める。

 シスネもまた、大短銃をそっと構えた。

 

「行くぞ」

「えぇ」

 

 この日レーベンは初めて、己が定めた一線を越える。

 英雄でも、なかったというのに。

 

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