降りしきる雨の中、ただじっと魔女の足元を注視する。ズルズルと這ってくる泥の躰は、あと四歩ほどで地面に引いた線を踏みそうだ。
「まだ撃つな」
「合図してください、あなたに任せます」
作戦はごく単純、あとは機の問題だ。いつシスネが撃ち、いつレーベンが斬るか。その機。
「まだだぞ、まだ」
武器を構える二人にも気付いていないのか、変わらず魔女は這ってくる。あと三歩。
「まだだ」
魔女が這ってくる。あと二歩。
「まだ――」
あと一歩。
魔女が、線を踏む。
「撃て!」
雷鳴もかき消すような轟音。間近で発射された大短銃の銃声にレーベンの聴覚が麻痺し、極度の集中によって色彩も消える。加速した時間の中でレーベンの目は魔女の剣筋を追い、その切っ先が巨大な銃弾を弾き、そして砕けた様を確かに捉えた。
レーベンは機械剣の引き金を、
「――――っ!」
魔女の剣が再生した。
失敗だ。
魔女に向かって一直線に駆け出していた体を無理やり横に転がす。その爪先を魔女の剣が掠め、不可視の剣戟が草木を斬り散らしながら迫ってくる。雨水を振り飛ばしながら起き上がり、全力で距離をとった。
シスネが立てた仮説はこうだ。
『あの魔女は銃弾をすべて弾きました』
『でも、あの魔女――マリナにそんな技術は無いはず』
『それよりも、ただ本能で剣を振っていると考えた方が自然です』
魔女は人であった頃の癖や行動をそのまま続けることがあり、時にはその「技術」も残される。シスネと出会ったあの夜に狩った魔女が、石弓や山刀を扱っていたこともそうだ。
だがシスネが知る限り、聖女マリナに剣を扱う技術は無く、まして銃弾を斬り払うなどという人間離れした芸当は出来なかった。
故に、あの魔女はただ近付いてきた物を無差別に斬り払っている。そのような獣や虫じみた反射行動であると考えた方が自然であると、シスネはそう考えたらしい。
それを確かめる為にレーベン達は簡単な実験を行った。
まずシスネが正面から銃を乱射。魔女は的を逸れた銃弾も残さず、十二発すべてを弾ききった。
次にレーベンが死角から短剣を投擲。見えているとは考えにくいそれも弾かれた。
続いて小石の投擲。それすらも弾かれた。
最後の花束。どう見ても武器ではないそれを、あの魔女は執拗なまでに斬り刻んだ。
結果として、シスネの仮説は正しかったのだろう。あの魔女に死角は無く、ただ間合いに入ってきた物を無差別に斬り刻む。それが銃弾でも武器でも人でも花でも関係ない。ただただ細切れになるまで剣を振るい続けるのだ。
そして、それこそが脅威でもある。レーベンが見て取った魔女の間合いは、こちらより倍は広い。魔女の躰に人体の構造や剣技の理屈など関係あるはずもなく、間合いに入った瞬間にバラバラにされてしまう。魔女が剣を握っている限り、近付くことすらできないのだ。
『だから、あの剣をなんとかしないといけません』
『この銃なら剣を壊せましたが、聖性を使われれば台無しです』
『なら、方法は一つしか無い』
作戦はごく単純だ。シスネが大短銃を放ち、魔女がそれを弾く。剣は砕けるが、聖性で再生される。その間、二秒とないであろう時間に、レーベンが機械剣で仕留める。
やることは単純だが、その機が非常に厳しい。早すぎても遅すぎても機械剣は弾かれ、レーベンは細切れにされるだろう。その目安として地面に二本の線を引き、一方にレーベンが、もう一方に魔女が立った瞬間に撃たせたのだが……。
「大丈夫ですか!?」
「構うな、次だ!」
「はい!」
魔女から間合いを離し、仕切り直す。今は撃つのが早すぎた。間合いが遠すぎて、レーベンが機械剣を振る前に剣を再生されてしまったのだ。この期に及んで怖気づいているのか、臆病者め。
機械剣を構え直し、シスネも大短銃に銃弾を装填する。その手はぶるぶると震えていた。
「大丈夫か」
「構わないで、集中を!」
馬鹿げた威力の代償に反動も相当なものなのだろう。そもそも自決用の銃なのだから当然かもしれないが、製作者が製作者だ。元より使い手のことなど欠片も考慮されていない。
もっとも、あと何発も撃つことは無いだろう。きっと彼女の腕が壊れる前にレーベンが細切れになる。
『わたしを見て、見てよ』
脚から血を垂れ流しながら這う魔女。自壊現象による出血などまるで意に介しておらず、その剣には些かの鈍りも無い。
あと三歩、二歩、一歩、……。
「撃て!」
轟音。消える音と色。機械剣の引き金を――。
「っ!」
今度は遅すぎた。銃弾の前に機械剣を弾かれ、だがもう引き金は弾いてしまった。弾ける炸裂弾。加速する刃は的を逸れて地面に。刹那に遅れた銃弾が魔女の剣を砕き、再生する。
「――ぬああぁぁっ!」
暴れる機械剣を捻り、あえて体を刃に任せる。レーベンは錐もみするように吹き飛び、その背中に魔女の刃が殺到した。
連続する破砕音。衝撃と痛み。シスネの悲鳴。途絶えそうになっていた意識は、水溜まりに頭から着水することで覚醒した。
「げへあっは……っ!」
「立って! はやく!」
ぐるぐると回る視界に吐き気を覚える間もなくシスネに手を引かれて立ち上がる。後ろから刃音が鳴り、隣のシスネが呻いた。再び大きく間合いをとる。
「大丈夫ですか……っ?」
「なんとか、な」
背を襲った衝撃のわりに痛みは少ない。見れば背負っていた両手剣が鞘ごと輪切りにされていた。これが無ければ輪切りになっていたのはレーベンの方だ。ついに一度も振るわれることなく残骸となった哀れな剣を外しているとシスネも手伝ってくるが、その白かったはずの手は赤く濡れている。
「血が、」
「かすり傷です」
彼女の左肩から血が滲み、雨に濡れた灰色の装束を更にどす黒く染めていく。その白髪も一房が短くなっていた。もったいないと、場違いなことを考える。
シスネが呻きながら銃身を折り、水溜まりに落ちた巨大な薬莢がじゅうと蒸気をあげた。震える右手と負傷した左手では上手く装填できないらしく、レーベンもそれを手伝う。
「次で、次で決めましょう」
恐れを振り切るようにシスネが立ち、外套と肩掛けを脱ぎ捨てる。剥き出しになった右肩は青黒く腫れており、左腕にも切り傷が何本も走っていた。かすり傷などとんでもない、レーベンと同じく彼女もまた満身創痍だ。銃も支えきれないのか、木に寄りかかるようにして構える。
「あぁ、次で決める」
残骸になりかけの胸当てを外して放る。どの道、次でしくじれば後は無いのだ。機械剣に炸裂弾を装填。更にもう一個を装填してから肩に担ぐ。
「――」
その時、レーベンの中で湧き上がったものは何だったのか。二度の失敗で怖気づいたのか、あるいは自棄になったのか。半ば正気を失くした奇行だったのか、それとも最後になるかもしれない悪戯心か。
「貴公」
「はい」
「貴公が合図してくれ」
「は、……はい!?」
シスネの素っ頓狂な返事に、レーベンは肩を震わせる。喉から引きつった笑い声が漏れた。
「あ、あなたという人は! こんな時ぐらいまじめに……っ!」
「大真面目だぞ、俺は」
レーベンは英雄の器ではない。一か八かの賭けなど、ここぞと言う時に成功するとは思えなかった。それはシスネも同じなのかもしれない。だがどちらがより英雄に近いかと問われれば、それはきっとシスネの方だろう。
「だいたい、合図って何を基に」
「勘でいい」
「かん……」
気でも遠くなっていそうな声をあげながらシスネが銃を下ろす。呆れ果てたかのように項垂れ、大きく嘆息し、再び顔を上げた。
「……化けて出ないでくださいね」
「貴公は幽霊が苦手だからな」
「刺しますよ」
シスネが銃を構える。その姿は先ほどよりも力なく、だが余計な力も抜けたように自然な構えだった。それを見たレーベンも、だらりと機械剣を手に提げて構える。
『見て、見て、見て』
這ってくる魔女。だがレーベンはもうその距離を計らない。すべてシスネに委ねた。
「……走って!」
シスネの指示が飛ぶ。魔女までの距離はおよそ十歩。随分と遠い間合いだったが、レーベンは従った。駆け出しながら機械剣を担ぐ。
十歩、九歩、八歩……。レーベンは走り、魔女は動かず、シスネの声も聞こえない。
七歩、六歩、五歩……。レーベンは走り、魔女の脚が動いた気がした。シスネの声は聞こえない。
四歩、三歩、二歩……。レーベンは走り、魔女の脚が掻き消える。シスネの声は、
「斬って!」
シスネの声。機械剣の引き金。大短銃の轟音。
加速する刃。鼻先を掠める刃。砕け散る刃。
間近に迫る躰。黒い泥の躰。破戒魔女の躰。
斬り裂く、黒鉄の刃。
『みでえええぇぇ――――っ!』
魔女の悲鳴。
※
聖女マリナについて知っていることは殆ど無い。
聖女も騎士も入れ替わりは多く、いつの間にかポエニスにいたかと思えば、いつの間にかいなくなっている。そんな者たちをレーベンは何人も見ており、故にすすんで同僚たちと関わろうとはしなかった。ロビンとマリナも同様で、ただ随分と若いなと、ほとんど子供だなと、そんな風に思ったことは覚えている。
『貴公、忘れ物だ』
あれは半年前だったか、一年前だったか。魔女狩りの後だったレーベンは薬の副作用に苛まれながら、食堂で水を飲んでいた。その時、近くの席を立った小柄な聖女が机に
『ぁ……、』
失敗だったと思ったのは、聖女の怯えたような表情と、傍らの少年騎士が彼女を庇うように前に出る姿を見たから。だがもう引き返すわけにもいかず、ただ手巾を差し出したまま黙っていた。
『ありがとう、ございます』
やがて、聖女が恐る恐る手巾を受け取る。用も済み、関わるべきではないかと踵を返したレーベンの袖を小さな手が掴んだ。
振り返ると聖女はまた怯えを顔に滲ませたが、すぐに微かな笑みを浮かべ、
『噂は、当てになりませんね』
その噂とやらが気にならなかったと言えば嘘になるが、どうせ悪評だろうと、黙って食堂を後にする。背後から「こわかった」と泣き声まじりの声と彼女を慰めるような声が聞こえ、レーベンはげんなりと溜息をついた。
その後、出くわしたライアーとカーリヤからは「野盗か幽霊みたいな顔になっている」と怒られ、副作用がひどい時は食堂に行かないようにしようとレーベンは考えたのだった。
それから、それなりの月日が流れて。
もうずっと前のことにも思える写銀騒動。今思えば、大袈裟に泣き真似をしてレーベンへの制裁に手を貸していたのは彼女だったか。シスネに頭を叩かれる己の姿を見てけらけらと笑う顔はずいぶんと逞しくなっており、そして楽しそうであった。
◆
『見で……、見でよう……っ』
過度の集中と機械剣の衝撃で意識が飛んでいたレーベンは、すぐ傍から聞こえる歪んだ声に覚醒した。同時に、聖銀の剣を握った脚が眼前で蠢く。
機械剣は魔女の躰を深々と斬り裂いていた。だがまだ魔女は死んでいない。
「――おぉっ!」
片手剣を抜き放ち一閃。脚を斬り落とすことはできなかったが、剣を手放させることには成功した。泥の中に落ちた剣を掴み取って遠くに放ろうとするが、しかし。
『わだじをぉ……っ!』
もう片方の脚が、泥が、変形した骨が剣を掴んで放さない。それだけは決して渡さないとばかりに。
剣を奪い合っている内に聖性の光が走り、折れた刀身が再生されていく。それと同時に自らの聖性に侵された魔女の躰が血を噴き出すが、まるで意に介していない。命など要らないかのように、剣に聖性を注ぎ続ける。
「くそがっ!」
剣を奪うのは諦め、魔女の首に片手剣を突き刺す。半ば泥に飲みこまれつつある小さな頭を掴み上げ、もう一本の片手剣を、更に短剣も捻じ込んだ。
『みげっ、ぎでぇぇ――っ!』
それでも魔女はまだ死なない。聖性はまだ止まらない。剣は既に半分以上は刀身を取り戻していた。暴れる魔女の半身を抱きかかえ、倒れ込むようにして押し倒す。首に刺した剣の柄を押し上げ、泥の中から頭を引きずり出した。
「シスネ――ッ!」
彼女に向けて叫び、シスネは既に傍まで来ていた。遂に右腕が使えなくなったのか、左手だけで構えた大短銃を魔女の頭に向ける。
重みと痛みで震える銃身をレーベンも支え、強く魔女の額へと押し当てた。
狩った。
あとは、シスネが引き金を弾けば――。
「――――マリナ……っ」
震えるシスネの声。固まる指。
『わたしを、見て』
「シ――」
聖銀の刃。
――騎士さんってのは、みんなそんな死んだような目ぇしとるんか?
――若い者がそんな目ぇするもんやない
――死に神さまっちゅうのは、そういう目に引っ張られて来るんや