いつだって、死ぬ時のことを考えていた。
騎士である限り、魔女を狩り続けなければならない。
魔女がいなくなることはなく、己が騎士を降りることもきっとない。
だから、己はいつか魔女狩りの中で死ぬのだ。
いつか、必ず。
そればかりを考えて、生きてきた。
◆
激痛で目覚めた。
「――!? ぐ、あぐぉ……っ!」
「動かないで!」
全身、とりわけ右半身から殺到する痛みにレーベンは悶絶し、それをシスネが覆いかぶさるようにして押さえてくる。雨と泥と血の臭いと、それらに混じる澄んだ芳香に痛みが和らいだ気がした。
努めて冷静さを取り戻し、状況を確認しようとする。視界に映るのは暗さを増した曇り空と、悲痛そうな顔で見下ろしてくるシスネ。雨粒に顔を打たれていることからも、レーベンは地面で仰向けに倒れているようであった。
それにしても視界が暗い。否、狭い。右目を何かに覆われている感覚がし、それに触れようと右腕を動かす。その瞬間だった。
「ぐ……! が、」
「駄目だったら!」
激痛。痺れ。そして熱。右腕の端から走る痛みの奔流に再び悶絶し、再びシスネに押さえ込まれる。目覚めてからというもの、痛みばかりで何ひとつ状況を理解できない。
「なんだ、なにが、どうなった」
「……、あとで、後で話しますから、今は動かないで……」
何故か悠長なことを言い出すシスネは、短剣で自分の装束を裂いては端切れをレーベンの右腕に巻いているようだった。たしか彼女は医療道具と共に包帯も多く持ち歩いているはずだったが、それはどうしたのだろうか。既に何かに使ってしまったのか、あるいは魔女に――。
「魔女……、魔女はどうしたっ」
ようやく思い出した。あの魔女に、破戒魔女に止めを刺そうとした瞬間。あれがレーベンが覚えている最後だ。魔女は狩れたのか、それとも、まだ。
また押さえてこようとするシスネを押しのけようとし、そして見た。
「だめ……っ」
己の右腕の先を、見た。
「――」
手首から先は、まだあった。だがその手はもう、半分になっていた。
親指と、人差し指と、中指が。残った三本の指だけが、非現実的な姿で己を見返していた。
「――――、っ!」
「落ち着いて! 動いてはだめ!」
痛みと、痛みと、それ以上の衝撃がレーベンの脳髄を貫く。己の意思に関係なく暴れ出す体をシスネに押さえられ、叫び出したい衝動に駆られるが声はまるで出なかった。
「っ! ……静かにっ」
声は出なかったが、突然シスネに口を塞がれる。そのまま、全身を使ってレーベンを隠すように覆いかぶさってきた。「動かないで、おねがいだから」と何度も耳元で囁かれ、半分になった視界は彼女の白髪に覆われる。
その、シスネの髪と声で塞がれかけた視覚と聴覚が、悍ましい光景と声を捉えた。
『見て、見なさい』
歪みきった女の声。何本かの木を隔てた先を闊歩する、魔女。だがその姿はレーベンの記憶の中とは大きく異なる。
不定形だった泥の躰はたしかな形を持ち、それは元の聖女の矮躯を椅子のように飲みこみ、胴体となって支えている。
胴体からは白い脚がしなやかに伸びて地面を踏みしめているが、その数は一本のみ。もう一本の脚は胴体の上から伸び、泥で補強されて完全な腕と化している。
そして腕に握られる聖銀の剣。絶えず聖性を流されているのか、その刃は青白い炎を灯しているかのように輝いていた。
『見て、見て、見ろ』
隻腕隻脚の異形剣士。そんな姿と化した破戒魔女が、一本足で飛び跳ねながら木々の間を進んでいる。その動きは何かを探しているようで、それはきっとレーベン達に他ならない。
あれから何がどうなったのかは分からないが、
レーベンに覆いかぶさるシスネの体は震えていた。冷たい雨に打たれ続けたせいか、魔女に怯えているのか、あるいは別の理由か。何にせよ、己以上に動揺しているシスネの姿を見ているとレーベン自身は却って落ち着くことができた。
『見ろ、見ろ、私を』
歪んだ声が近付いてくる。それと共にシスネの体も震えを増し、痛いほどにレーベンの口と頭を押さえてくる。まるで、見つかればお終いだとでもいうように。
『見ろ、見ろ、見――』
泥に覆われた魔女の虚ろな双眸。それと、目が合った。
全身を貫く悪寒に体が突き動かされる。
上に乗ったままのシスネを抱きかかえ、体を横に転がした。
『見ぃろぉ――――っ!』
魔女の絶叫と共に雷鳴が轟き、雷光にも劣らない聖銀の輝きがレーベンの左目を焼く。地面を奔るそれは土を斬り裂き、小石を弾くことなく二分し、最後に太い木を縦に両断した。
「なん……っ」
出来上がったのは、地に刻まれた一本の直線。長々と続くそれは、降り注ぐ雨が絶えず流れ込もうとも水が溢れ出す気配も無い。それほどに長く、深く斬り裂かれた痕。
あまりに非現実的な光景に呆然とするレーベンを、幾分かは早く持ち直したシスネが抱き起こした。彼女はあの異常な斬撃を既に見ていたのかもしれない。
「立って! はやく……っ」
『私を――』
痛みと衝撃で未だに立ち上がれないレーベンを捨て置くこともせず、シスネはレーベンの腕を取って逃げようとする。だが背後からは、歪んだ声と刃鳴りが聞こえてくる。
『見ろ』と、歪んだ絶叫にレーベンはシスネを引き倒し、次の瞬間には頭上すべてが両断された。雷光が走ったと錯覚するほどの刃の輝き。雨音すら消えるかのような静寂の後、周囲の木々が一斉に
「はしれ……走れっ!」
悪寒を感じる間もなく立ち上がり、気付けばシスネの手を引いて走り出していた。レーベンが通り過ぎるのを待つこともなく両断された木々が次々と倒れはじめ、無我夢中で倒木を避け、乗り越え、潜りながら走り抜ける。
『見ろ! 私を見ろぉっ!』
癇癪を起こしたような歪んだ叫び。足を止めないまま振り返れば、自らが作り出した倒木の壁に魔女が剣を振り回していた。一本足のあの歩き方も速いとは言えない。追いつかれるまでには多少の猶予はありそうだった。僅かに生まれた余裕に気を緩ませることもなく、雨の中をひたすらに走る。
その間、「ごめんなさい」「ごめんなさい」と、レーベンに手を引かれるシスネはただずっと繰り返していた。
あても無く逃げ回る内に、見慣れた街道へと出た。更に進めば、もっと見慣れた機械剣が地面に突き刺さっている。そして、その周囲に広がる夥しい血の痕。あの戦いの跡は、雨に流されることもなく残っていた。
この血はきっと、己のものだ。
おそらくあの後、追い詰められた魔女は更に変異し、完全に魔女化した。そして、あの剣戟の範疇を逸脱した斬撃によって、レーベンは右手を半分失ったのだろう。
否、右手だけではない。レーベンは頭の右半分を覆う包帯に触れながら口を開いた。
「……右目は、どうだった?」
努めて穏やかな口調で尋ねたつもりだったが、シスネはびくりと細い肩を震わせる。
「本当のことを言ってくれ」
その反応だけで察してしまったが、レーベンは彼女の答えを待った。やがて、体と同じく震えた声でシスネが言う。
「……、……み」
「右目は、だめでした」
「あ、あと、右耳も……」
「――――」
指を失ったことを知った時ほどではなかった。だがそれでも、衝撃と喪失感に足元がふらつく。この包帯の下がどうなってしまっているのか、考えただけで気が遠くなる心地だった。
口を開いたことで歯止めが効かなくなったのか、シスネの口からは血のような言葉が溢れてくる。
「再生剤を、使いましたけど、傷が塞がっただけで……」
「こんな、こんなこと……、本当に、私のせいで」
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
レーベンの前にいたのは、もうレーベンの知っている聖女ではなかった。
こんな、弱々しく謝罪を垂れ流すだけの弱い女ではなかったはずだ。
彼女はいつだって、もっと……。
パン、と。乾いた音が響く。
力など入れていなかった。その余裕も必要も無かったから。レーベンに頬を叩かれたシスネはよろめくこともせず、ただじっと黒い瞳で見上げてきた。殴られることなど当然だと、むしろ「次」を求めるかのように。
だがそうではない。レーベンが望んでいたのはそうではないのだ。
細い肩を両手で掴む。端切れを巻かれただけの右手から血と痛みが滲み出るが、もう気にしてなどいられない。
「しっかりしてくれ! まだ終わっていないだろうが!」
シスネの肩を揺らしながら大声で怒鳴る。だがレーベンを見返す黒い瞳は暗く濁っており、あの強い光は欠片も見られない。
「俺達はまだ死んでいない、魔女も死んでいない! なら、まだやらなければいけないんだ!」
それでもレーベンは叫びを止められない。それはきっと、己にも言い聞かせていたからだった。
己は騎士で、魔女を狩り続けなければならない。いつか魔女狩りの中で死ぬ時まで、ずっと。
死ぬまで、死ぬ時まで。
「だから、俺に聖性をくれ」
「……っ」
レーベンの言葉に、シスネの瞳が微かに光を取り戻す。だがそれは拒絶の光ではなく、だが受け入れてもいない。拒絶よりももっと、暗い光だ。
シスネと契りを交わすこと。それはもう何度も拒絶されたことだった。レーベンとて上手くいくとは思っていない。もう何人もの聖女と試し、そして悉く拒絶反応を起こしているのだから。シスネともきっと適合はしないのだろう。だがまだ試してはいない。ならばもう、その可能性に縋るしかないのだ。
「今だけだ、今だけでいい」
「俺を騎士にしてくれなんて言わない」
「あの魔女を狩れるなら、それだけでいいんだ」
すべて本心だった。
あの魔女を狩る為なら死んでも構わなかった。あの魔女を狩って、ノール村の人々を守られるならそれで良かった。あの魔女を狩って、彼女を――。
だって、己は騎士で。そして彼女は、
「
「ちがい、ます」
雨が、止んだ気がした。
だが雨は止んでいない。絶えず降り続けている。そう錯覚したのは、レーベンの頭が現実を拒否したからだろうか。
今、なんと聞こえた?
彼女は今、なんと言ったのだ?
「……、……なにを」
結局は、そんな言葉しか出てこない。何の意味も無い、ただ現実を拒む言葉しか。
そんなレーベンに、シスネは現実を突きつけるように、自身に刃を突き立てるように、言葉を続けた。
「わたしは、聖女じゃ、ない」
雨が止まない。
止まない雨に、何もかもを洗い流されたように。
目の前の聖女は――女は、シスネレインは。
どこまでも虚ろに、わらってみせたのだ。