魔女狩り聖女   作:甲乙

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穢れ

 その晒し台の上から、私は彼の姿を探していた。

 あれだけ多くの視線に晒されながら羞恥に叫び出さずに済んだのはきっと、見てほしいと考えていたからだろう。

 本当は、彼に見てほしかった。だけど、私を見る騎士たちの中に右腕の無い騎士はいなかった。

 本当は、彼に罰してほしかった。だけど、私を鞭打った騎士はきっと彼ではなかった。

 彼の目で、罰せられる私を見てくれたなら。彼の手で、私を罰してくれたなら。

 彼は、私を許してくれただろうか。

 許して、また私の傍にいてくれただろうか。

 傍にいて、また私のことを求めてくれただろうか。

 

 

 そして、そんな彼を、私はまた――拒絶することができただろうか。

 

 

 ◇

 

 

 焼けるような背中の痛みで目覚めたと、シスネは思う。断じて悍ましい悪夢のせいなどではないと、そう言い聞かせた。夢の中で自分は何を考えていた。見られたいだの打たれたいだの、いくらシスネでもそんな異常な性癖までは無いはずだ。

 いや、そうではない。問題なのは、本当に悍ましいのは、穢いのは――。

 

「穢い……っ」

 

 両腕で自分を抱くようにして、背中に爪を立てる。包帯と寝間着ごしても走る鋭い痛みに頭を焼かれて一瞬、気が遠くなった。いっそまた気絶すれば楽になれるというのに、どれだけ傷を引っ掻いても痛みばかりで気を失うことはできない。

 やがてそれにも疲れたシスネは、寝台に仰向けで倒れた。窓幕(カーテン)も引いていない窓からは赤い光が差し込んでいて、殺風景な自室を照らしている。今朝まで過ごしていた独房とさして変わらないような部屋がやけにおかしくて、シスネはひとり笑った。

 

「何がおかしいのよ」

「っ!」

 

 自分しかいないはずの部屋で響いた声に、反射的にシスネは飛び起きた。寝台の上に座ったままで視線を声に向ける。その先に、入り口の扉を背にしたカーリヤがいた。扉によりかかりながら腕を組んでいる彼女の姿は女性的な魅力に溢れていて、本当に綺麗な人だと場違いな考えが頭に過る。

 

「……おはようございます」

「夕方だけど」

 

 他人の部屋に無断で、それも部屋の主が寝ている間に入ってくるなど不躾という範囲を越えているが、それを咎める気はシスネには無い。むしろ、それを期待して扉の鍵も閉めていなかったのだ。その鍵は今、後ろ手でカーリヤが閉めてしまった。

 コツリ、コツリと、彼女の洒落た靴が床を鳴らしながら近付いてくる。首や腕に着けられた装飾品が澄んだ音を鳴らす。赤い夕陽に照らされた金色の髪は燃えるように輝いていて、切れ長の目がじっとシスネを見下ろしていた。

 レーベンと特に親しかったであろう彼女は、きっとシスネを憎んでいるのだろう。憎んでいるから、今こうして報復に来たのだ。それも当然だとシスネは思う。あんな、ただ十回ばかり鞭打たれる様を見るだけで許せる訳もない。どんな私刑であれ受け入れなければならないとシスネは考えていた。

 やがて、カーリヤが寝台のすぐ傍に立つ。寝台で体を起こしただけのシスネはじっと彼女を見上げ、青い目を見返した。

 

「逃げないの?」

「逃げません。……言い訳もしません」

 

 恐怖を煽るような言葉にシスネは震える手を掛布の下に隠した。声は、震えていなかったと思う。彼女のスカートから覗く脚にはあの派手な短銃が括りつけられていて、それで殴られるにせよ撃たれるにせよ、一切の抵抗をしてはならない。シスネはそれだけの事をしたのだ。

 

「あなたの、好きなように」

「へえ?」

 

 カーリヤの碧眼が一層に剣呑な光を放つ。目を逸らさないよう必死にその目を見返しながら、シスネは掛布の下で両手を握り合わせた。だが「じゃあ両手を上げなさい」と命じられ、それも叶わなくなる。ゆっくりと両手を上げ、懲罰の時と同じ姿勢で次の言葉を待った。

 

「……っ」

 

 寝台に片膝を置いたカーリヤは、無言でシスネの脇腹に手を伸ばしてきた。病的に過敏な部位に指を這わされ、神経を直接撫でられたような悪寒が頭まで突き抜ける。必死に耐えるシスネを嘲笑うように、カーリヤの指は徐々に肌へめり込んできた。

 

「く……、っうぅ……!」

 

 逃げたい。暴れたい。彼女の手を振り払いたい。本能の底から湧き上がってくるような衝動を堪え、上げたままの手をぎゅうと握りしめた。いっそ拘束されていればどんなに楽だったか。シスネはこの責め苦に対し、自分の意思で体を晒し続けなければならないのだ。

 カーリヤの指が更にめり込む。奥歯を割らんばかりに噛みしめて叫びを封じ、目を開けて見返した彼女の顔は――。

 

「……ぷっ」

 

 カーリヤはもう辛抱堪らんとばかりに破顔し、あっさりとシスネの脇腹を開放してから寝台へと寝転んだ。そのまま、腹を抱えながら高らかに笑いだす。

 

「あっははっは……っ! ふふっ、あ、あんた何そんな本気(マジ)になってるのよ……っ! くっふふっ」

「え、あ、……え?」

 

 まるで自分の方が擽られているように笑い転げるカーリヤに、両手を上げたままのシスネがぽかんと口を開ける。よほど面白かったのかひいひいと涙まで流している彼女の姿に、揶揄われたのだとようやく理解したシスネの顔が怒りと羞恥で赤く染まった。

 

「な、何がおかしいのですかっ! 私は本気で……っ」

「え? 本気でやれって?」

 

 急に笑いをおさめたカーリヤが真顔で起き上がる。対してシスネは赤かった顔を一瞬で青褪めさせた。墓穴を掘った。悪手を打った。このまま笑って許してもらえば良かったというのにこの馬鹿!

 もう限界だった。だが逃げ出したシスネの腰をカーリヤの腕が蛇のように捕らえ、寝台へと引きずり戻される。三日月のように歪んだカーリヤの目に見下ろされながら、シスネは絶望的な声をあげた。

 

 

 

「あんた、使()()()()んですってね」

 

 自分にとっては懲罰と同等の苦痛と屈辱を味わうこと数分。ようやく開放されたシスネは、カーリヤの断定的な言葉に弛緩していた顔と意識に冷や水を浴びせられた。ゆっくりと身を起こして、警戒するように彼女と距離をとる。

 

「何を、」

「ライアーから……いえ、あの馬鹿から聞いたわ」

 

 曰く、レーベンの面会に行っていたライアーが「二人だけに」と内密にシスネの秘密を打ち明けられたのだという。そして、公開懲罰の直前にカーリヤもそれを知らされたと。

 もう(とぼ)けるだけ無駄なようだ。カーリヤと並んで寝台に腰掛けながら、シスネは自嘲に顔を歪ませた。

 

「……報告しますか」

「しないわよ。ていうか、そうじゃないでしょう?」

 

 呆れたような彼女の声に疑問を感じていると、指先で額を弾かれた。どことなくむず痒い痛みに額を押さえていると、更に呆れた溜息をつかれる。

 

「もし私がそれを知らなかったら、こんなものじゃ済まさなかったってことよ」

「……はい」

 

 レーベンがあれ程の重傷を負った一因はシスネが聖性を使えなかったことだが、残りは単にシスネの過失だ。彼の忠告に従って撤退していれば、ノール村を見捨てる決断を下せていれば二人とも無傷で生還できた。そうでなくとも、あの時にシスネが引き金を弾くことを躊躇わなければ、このようなことにはならなかったはずだ。

 聖性の有無はあくまで要因の一つに過ぎない。だがされど一つ、それがカーリヤが怒りを抑えられる一線となったらしい。彼がそこまで考えていたのかはともかく、結局はまたレーベンに助けられたのだ。

 

「馬鹿のくせに……」

「本当にね」

 

 思わず口をついて出た言葉は恩人に対する物としてはあんまりだったが、カーリヤは同意してくれた。

 

「まあ、でも。お互い様じゃない?」

 

 彼女の言葉にまた疑問を感じていると、また額を弾かれて、また呆れた声で続けられる。

 

「あの馬鹿が生きていたのは、あんたのおかげだってことよ」

「え……」

 

 彼女とライアーが医療者たちに聞かされたことによると、瀕死だったレーベンが生還できたことは幸運がいくつも重なった結果だそうだ。

 まず、重傷を負う直前に再生剤を過剰に服用していたこと。シスネが打った物も含めて三本も打たれた再生剤は、後の悪影響はともかくとして右腕からの出血を最低限に抑えてくれた。

 更に、降り続いていた雨。自爆に等しい攻撃を敢行した彼の体はおそらく炎上していたが、土砂降りの雨がそれを消し止め、大火傷を負った皮膚も冷やしてくれていた。

 加えて、レーベン達を素早く見つけてくれたノール村の人々。もし彼らが僅かな違和感を敏感に感じ取っていなければ、シスネが目覚めるまで彼は放置されていただろう。

 そして。

 

「ありがとう、レイを助けてくれて」

 

 そっと、カーリヤに手を握られた。あの時、彼の血に塗れながら治療を続けた手を。

 最後にレーベンの生死を分けたのは、シスネの行動だったのだと。あの時、村人たちにも手伝わせて行った応急処置が無ければ、迎えを待たずに村を発った判断が無ければ、御者を脅してでも先を急いだ無茶が無ければ、彼は助からなかったのだと。

 

「レイがあんなことになったのは、シスネのせいかもしれないけど」

「あんなことになっても帰ってきたのは、シスネのおかげよ」

「だから、ありがとう」

 

 顔を上げて見たカーリヤの顔は優しく微笑んでいて、夕焼けに照らされた微笑は暖かな篝火のようで、きっと聖女の名は彼女のような女性にこそ相応しいのだと、シスネは思った。

 

 

 

 だが、だからこそ。

 

「やめて」

 

 シスネに、きっとその手を取る資格は無い。そんな温かい言葉を、優しい笑みを向けられるべきではないのだ。この、シスネレインという女は。

 

「やめてよ……私は、そんな……」

 

 だって、そうでしょう?

 私は思っていたじゃないか、いい気味だって。あんな目にあったのは、彼の自業自得だって。

 いい気分だったでしょう?

 彼がひどい目に遭って。嫌いな相手が死にかけて。もう二度と、戦えない体になってしまって。

 あぁ、そうだ。

 本当に私は彼を思って治療したのか? 彼の為に彼の体を切り刻んだのか?

 本当は、本当は。

 もっと彼に傍にいてほしかったから。

 もっと彼に求めてほしかったから。

 もっと彼を、拒絶したかったから!

 だから私という女は! シスネレインという、このどうしようもなく――。

 

「穢い……っ!」

 

 心の穢い女は!

 

 

 

「自虐禁止ぃ――っ!」

「ぎゃああぁぁ――っ!?」

 

 嫌というほど触られていた脇腹をまた鷲掴みされて、シスネは再び絶叫した。飛び上がった体を寝台に押し倒されて、見上げたカーリヤの顔にはもう聖女らしさは欠片も残っていない。

 

「あーもうグチグチグチグチとっ! 人が誉めてんのに何よその態度は!」

「あなたとりあえず揉めば良いと思ってませんか!? 思ってるんでしょう! ねえ!?」

「実際なんとかなってるじゃないの! これで足りないなら、今度は直接……」

「服は! 服の下からはやめて!」

 

 寝間着をまくり上げられそうになり流石に身の危険を感じたシスネがカーリヤの顔を押しのけ、見るに堪えない顔となったカーリヤも意地になったのか寝間着を掴んで放さない。組み打ちのような様相で寝台の上を転げまわり、ついには床に転げ落ち、それでもカーリヤはやめてくれない。

 元より短気なシスネの堪忍袋はあっさりと弾け飛び、野良猫の喧嘩じみた戦いは夕日が沈むまで続いた。

 

 

 

 ぜえぜえはあはあ。

 暗くなり始めた部屋の中、精魂尽き果てたシスネとカーリヤはようやく互いに手を放した。

 

「……気は済んだ?」

「……そっちこそ」

 

 もう色々とどうでも良くなってしまった。共に行儀悪く床に座り込み、並んで壁に背を預ける。

 カーリヤの整えられていた金髪は乱れ、化粧も落ちたり滲んだりでひどい顔になっている。シスネは長い白髪と質素な寝間着が乱れに乱れて、まるで幽霊のような有様だ。

 

「本当に、あんたってさ……、なんでそんな面倒な女なの?」

「……さあ? きっと性根が腐っているのでしょうね」

 

 手鏡を見ながらうんざりした顔でカーリヤが言い、半ば自棄になったシスネが吐き捨てた。

 

「何よそれ、開き直っちゃって腹が立つわ」

「それは誠に申し訳御座いません。開き直らないとやっていられないものでして」

 

 はん、と鼻で笑いながら嫌味ったらしく答えてやると、カーリヤはじとりと睨んでくる。暗い室内でもその碧眼は青く輝いていた。

 

「……その傷のせい?」

 

 彼女の言葉に、胸の傷を撫でる。懲罰の際に晒され、そして今また間近で見られた傷。いやよく考えれば、あの森で彼女とライアーに助けられた夜、あの時カーリヤ達には既に見られていたのだった。

 

「触れられたくない物かと思ってたけど……もうこの際、吐いちゃったら?」

「……そうですね」

 

 もう既に秘密は知られてしまった。なら、()()()()()()()だって吐き出しても良いかもしれない。

 そんな、気分だった。

 

「教えてあげますよ。私が、どれだけ穢い女なのか」

 

 誰にも話さなかったその秘密を、今日シスネは初めて他者に打ち明ける。

 それはここ数日で疲弊しきったシスネの精神が限界を迎えた証であり、そしてカーリヤへの友誼(ゆうぎ)の証でもあった。

 

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