魔女狩り聖女   作:甲乙

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聖女と聖女擬き

 ――これは、本当にまだ誰にも話したことがない私の過去

 ――決して人に知られたくなかった、私だけの秘密

 

 

 端的に言ってしまえば、それは魔女につけられた傷だ。

 かつて、まだシスネが真っ当な聖女であった時、自分の騎士と最後に戦った魔女に。

 騎士レグルス。シスネと契りを交わした、最初で最後の騎士。彼が魔女の手にかかろうとした時、シスネは彼を介錯した。彼から贈られた、あの大短銃で。

 

 それは聖女と騎士の、真っ当な在り方だ。

 聖女と騎士は一対の存在。契りを交わした時から常に生死を共にする。だから、シスネもまたその場で自決するはずだった。

 

 だがシスネはそうしなかった。

 もう騎士はいないというのに、騎士がいなければ聖女はただの女でしかないというのに。彼の形見である銃を手に、魔女に立ち向かったのだ。

 

 あとは見ての通り。

 シスネは魔女をひとりで狩り、だが体にも心にも大きな傷を負った。その傷は自身の聖性をも狂わせたのか、もう聖性を扱うことはできなくなった。

 

 シスネは彼の仇を討った。

 そのかわり、聖女ではなくなってしまった。

 

 それでも、シスネは魔女を狩り続けた。

 どんなに止められても一人で魔女狩りに向かった。聖性が無くても、騎士がいなくても魔女は狩れるのだ。シスネ自身がそれを証明したから。

“騎士殺し”と呼ばれ、詰られても言い訳はしなかった。シスネがレグルスを介錯(ころ)したことは事実で、そして周囲から孤立することはむしろ好都合だったから。

 

 瞬く間に三年が経った。

 

 その間、当然シスネは誰とも組まなかった。契りを求めてくる騎士は何人かいたが、すこし拒絶してやるだけですぐに離れていった。それで良かったのだ。もうシスネは聖性を使えず、それを隠すにも丁度よかったから。

 シスネの騎士は、後にも先にもレグルスだけなのだから。

 

 

 

 ――そんな物語だったなら、どれだけ綺麗だったでしょう

 

 

 

 ここまでなら、レーベンにも似たような話をした。傷と聖性のことは伏せた上に所々を端折ってはいたが、大筋では同じ話をしてやった。

 彼はどう思ったのだろう? シスネのことを悲劇の聖女(ヒロイン)か何かだとでも思ったのだろか? もしそうなら、彼は本物の馬鹿だ。

 おかしいとは思わなかったのだろうか? 聖女が騎士を介錯することは当たり前のことだというのに、何故シスネだけが“騎士殺し”などと不名誉な渾名を付けられたのか?

 その矛盾に彼は気付いたのか気付かなかったのか、どちらにせよそれをシスネに問いただすようなことはしなかった。あの時に問われたところで、シスネは決して話さなかっただろうけど。

 

 

 ――でも、あなたには聞かせてあげます

 ――女どうしの秘密ですよ?

 ――ねえ、カーリヤ

 

 

 ◇

 

 

 シスネが全てを語り終えた時、窓からは月明りが差し込んでいた。ランプも灯していない部屋の中は青白い光に照らされている。

 隣に座るカーリヤの顔を横目で見る。乱れた化粧を落とした彼女の顔は普段と印象が異なり、月明りに照らされた横顔は神秘的な美しさを醸しだしていた。本当に綺麗な女性なのだ、この聖女は。

 あぁ、ずるい。と、シスネは思う。

 

「ずるい……」

「何が?」

 

 声に出ていた。だがもう取り繕う必要も無い。

 

「美人はずるいと言ったのですよ。あぁ妬ましい」

「いきなりどうしたのよ」

「顔も体も心も綺麗だなんて、本当にずるい人……。ひとつぐらい分けてくださいよ」

「……まあ、意外ではあったわね。あんたはもっと潔癖なのかと思ってたわ」

「はっ! 私なんかが潔癖だったらとっくに死んでいますよ。自分の穢さで狂い死にです」

 

 二人きりの部屋で、明け透け極まりない会話を交わす。それはひどく背徳的で、痛快だった。

 

「……で、あなたは?」

「え?」

「あなたの恥ずかしい話も聞かせろと言っているのです。不公平ではないですか」

「……仕方ないわね」

 

 家族にすら、ここまで話したことは無かった。マリナにも、……レーベンにも。

 

「へえ……。良いことを聞きました」

「ちょっと、何よその顔。まさか人に言う気じゃないでしょうね!」

「言いませんよ、知っているのは私だけで良いのです」

「……あんたって、本当に良い性格してるわ」

「どうせ穢い女ですから。元々、聖女なんて向いていなかったのでしょう」

 

 ずっと聖女に憧れていた。

 だから教会の門を叩いて、自分に聖女の素質があったと知った時は泣いて喜んだ。喜んで努力を重ねて、そして聖女となった。

 立派な聖女になりたかった。シーニュのように、キノノスのように、皆が憧れ敬う聖女のように。

 でも、そんなものは夢物語だった。

 現実には、シスネは一介の聖女でしかなかった。優秀な部類と評される、ただその程度の。そして今はもうそれですらない。

「騎士なき聖女」で「騎士殺し」の聖女擬き。それがシスネだった。

 

 ――あれ?

 

 そんな自分に、シスネは既視感を覚えた。誰か、そんな存在が他にもいなかったか。

 

『貴公、騎士はどうしたんだ?』

『……あなたこそ、聖女はどうしたのですか』

 

 はじめて会った夜、自分と同じだと思った。

 ……その異質さを見て、自分の異質さを知った。

 

『その口調は何なのですか』

『騎士らしいだろう?』

 

 いっそ滑稽なほどに、騎士らしく振舞っていた。

 ……その滑稽さを見て、自分の滑稽さを知った。

 

 ――あぁ、そうか

 

 彼とシスネはひどく、

 

「あんたって、レイと似てるわ」

 

 カーリヤが代弁した。

 

「……そうでしょうか」

「私も、最初はなんて正反対なんだろうって思ってたけどね。意外とあんたが馬鹿だったから」

「馬鹿で悪かったですね」

 

 お互いに小突きあいながら無遠慮に話す。小突きすぎるとまたひどい目に遭わされそうだから、程ほどにしておいた。

 

「いつも澄ました顔でかっこつけてるところとか」

「澄ました顔で悪かったですね」

「そのくせ、いつも必死なところとか」

「必死で悪かったですね」

「……フラっと、簡単に死んじゃいそうなところとか」

 

 足元に落としていた視線を横に向ける。彼女は何もない天井を見上げながら、ひどく哀しげな顔で続けた。

 

「レイの奴、騎士はやめないんだって」

「……え、」

 

 シスネの口から漏れた呟きは、レーベンが騎士をやめなかったことを驚く声ではなかった。むしろその逆。彼はきっと騎士をやめないだろうと、そう疑っていなかった自分に驚いていた。

 あの重傷で騎士を続けるなど正気の沙汰ではない。英雄譚のジャック・ドゥではあるまいし、右目と右腕を失った人間が戦える相手ではないのだ、魔女というものは。それを知らない彼ではないだろうに。

 だがそれでも、彼は騎士を決してやめないのだろうとシスネは確信していたのだ。何故なら、

 

『俺達はまだ死んでいない、魔女も死んでいない! なら、まだやらなければいけないんだ!』

 

 あの雨の中で聞いた叫びは、いっそ狂気的なものすら孕んでいたから。きっと彼は本当に死ぬまで魔女を狩り続ける気なのだろう。いったい何が彼を駆り立てるのか。魔女への憎しみ? 使命感? どれも違う気がする。

 そもそも、シスネはレーベンのことをほとんど知らない。あの野営の夜にだって、端折りに端折ったような短い話しかしてくれなかった。しかもその半分はライアーの背が低かっただのカーリヤの胸が大きかっただのと、彼自身の話ですらなかったのだ。……確かにライアーのことは意外で、カーリヤは不公平だと思ってはいたけれども。

 シスネが追憶に耽っていると、隣から押し殺した嗚咽が漏れ聞こえてくる。

 

「馬鹿よ、ほんとに馬鹿……っ」

 

 体を震わせながら抱えた膝に顔を埋めているカーリヤは、普段の自信に満ちた聖女とは別人のようだった。健気な少女のように可憐で、弱々しくて……。見ているだけで優越感に浸れそうな――。

 バチン、と。頬を張る音が暗い部屋に響く。

 

「……え?」

 

 カーリヤが肩を震わせながら顔を上げる。化粧の代わりに涙で彩られた顔は呆けたようにシスネを見ていた。

 対して、自分で自分の頬を張ったシスネは加減を誤り、舌を噛んでしまっていた。いくらなんでも、いくら相手がカーリヤであっても、この暗い情念のことまでは話したくない。

 

「わらひが、ひなせません」

「は?」

 

 立ち上がり、カーリヤの両手を取りながら言う。それは彼女の為であり、そしてシスネ自身の為でもあった。元より、他人の為だけに何か出来るほど綺麗な心は持ち合わせていないのだから。

 

「かへは、へったいに、しなへません」

「あの、シスネ? なに言ってるのかちょっと分からない……」

「ひゃから! かひぇ……ヘーヘンは、わらひが!」

「……っぷ!」

 

 そこで限界が来たのかカーリヤが吹き出した。強く両手を握っているせいか、顔も覆えずに笑いだす。

 

「ほんと……、そっくりだわ、あんた達!」

 

 泣いているのか笑っているのか分からない顔で、カーリヤはけらけら笑う。シスネは笑われたことが面白くなく、彼とそこまで似ていると言われることは心外であった為そっぽを向いてやった。

 それがおかしかったのか、カーリヤはまた笑った。

 

 

 

「長居しちゃったわね、もう行くわ」

「えぇ、おやすみなさい」

 

 延々と取り留めの無い話を駄弁っていたら、すっかり夜も更けていた。酒の一本や菓子の一つもなく、よくこれだけ話が尽きなかったとシスネは内心で愕然としていた。

 カーリヤは欠伸と背伸びをしながら、入り口の扉に手をかける。

 

「あーあ、明日は早いってのに。またライアーがうるさいわね」

「魔女狩りですか?」

 

 ここ数日を独房で過ごしていたシスネに詳しい情報は知りようが無いが、そろそろ魔女の捜索も完了する頃合いだろう。教会の上層部が次の一手を打っていても不思議ではない。

 

「そうね、ちょっと大きな仕事だから、しばらく戻らないと思うわ」

「そうですか……」

 

 思わず口に出た言葉はひどく弱々しかった。まるで、彼女にしばらく会えないことが寂しいとでも言うような……。

 ハッと顔を上げれば案の定、カーリヤがニヤニヤと笑っている。

 

「えー何それ、今日はなんだか可愛いじゃないの、あんた」

「いつもは可愛くなくて悪かったですねっ」

 

 結局は灯りを点けなかった薄暗い室内でのこと、赤くなった顔も多少は隠せていただろうか。しっしと手を振ってやればカーリヤは扉を潜り、悪戯っぽい笑顔だけを覗かせていた。

 

「寂しいなら見送りに来てくれても良いのよ?」

「お生憎様。これからしばらく謹慎ですので」

「あら残念。……あ、そうそう」

 

 どこかわざとらしく呟いたカーリヤが手招いてくる。特に何も考えずに近付くと、ぐいと手を引かれた。

 月明りの下でも輝く金髪が舞い、鼻腔が香水と彼女自身の香りで満たされる。

 

「レイをお願いね」

 

 彼女の豊かな胸が、自分の薄い胸元で形を変える。それ程の強さで抱きしめられ、真剣な声が耳朶を打つ。

 お願いとは、どういう意味なのか。彼に騎士を諦めさせろということなのか、それとも別の意味なのか。だがどちらにせよシスネの答えは決まっていた。

 

「――はい」

 

 

 ◇

 

 

 開け放った窓辺に頬杖をついて、月を見上げる。

 明るい夜空に雲は見えず、きっと明日は良い天気になるだろう。長かった雨季もようやく終わったというのに自分だけは謹慎だ。まったく惨めなものである。

 

「今日で六日……七日?」

 

 一人で呟きながら日数を指折る。ポエニスに戻ってきてから今日でたしか七日が経っている。カーリヤは彼と話をしているのだから、もう意識は戻っているのだろう。経過が良ければそろそろ歩く訓練を始める頃だろうか。さっきカーリヤに渡した物が役立つと良いのだが。

 

「……会いたいな」

 

 四日後が待ち遠しい。謹慎が解けたらすぐ医療棟へ行こう。彼に会って、まずは謝って、許してくれなかったなら、どんな罰でも受け入れよう。彼が許してくれるまで。

 そして許してくれたら、また傍にいよう。近くも遠くもない、そんな距離で。それを彼が望まなくても。

 

「……く、ふふ」

 

 彼はシスネを拒絶するだろうか? でも拒絶したところで、シスネ以外の誰が彼の傍にいるというのか? シスネが聖性を使えないと分かったところで、誰の聖性も受け入れられないという彼自身の欠陥が無くなるわけではないのだから。

 おそらく、いやきっと、彼はまたシスネを求めるのだろう。それが分かっているから、あるいは単に馬鹿だから。そしてその時が来たら、また拒絶してやるのだ。決して受け入れてなどやらない。

 

「嫌い……ですから」

 

 シスネとレーベンは似ているのだろう。だからこそ嫌悪する。シスネが鏡に映る自分の姿を嫌うように、彼に自分の姿を見てしまうから。

 嫌悪するからこそ傍にいたい。自分と似ている、いや少しだけ自分より劣っている彼の姿を見ていたいから。その時だけ、ほんのわずかに自分を好きだと錯覚できるから。

 あぁ、本当にシスネという女は――。

 

「穢い……」

 

 結局なにも変わりはしない。当たり前だ。カーリヤに秘密を打ち明けたところで、シスネの穢い心が綺麗になるわけもないのだから。

 

「穢いなぁ……わたし」

 

 でも何故だろう。

 その穢い心は、妙に晴れやかだった。

 

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