「ライアー、俺の右手を掻いてくれないだろうか」
「無茶いうな」
無茶なのは分かっているのだ。なにせレーベンの右腕はもう無いのだから、存在しない部位を掻けるわけがない。だがそれならば何故、その右手がこうも痛んだり痒くなったりするのだろうか? もう馴染みとなってしまったその謎にまた悶絶している時、ちょうどライアーが面会に来た。
時刻は昼。朝から行われていた公開懲罰が終わり、一息ついてから来たのであろう。やはりというべきかカーリヤの姿は無く、ライアーもまたどこか元気が無い。
「どうした貴公、懲罰でカーリヤが何か面白いことでも――」
「悪い、その話は無しだ」
「お、おう」
いつになく固い口調で話を遮られてレーベンも口を噤む。公開懲罰にはポエニスの聖女と騎士すべてに参加する義務があるが、レーベンは怪我人ということで免除されていた。不幸中の幸いと言えるだろうか。流石のレーベンも、シスネが鞭打たれる姿を見たいとは思わない。
ライアーのこの様子を見る限り、シスネには相当に厳しい懲罰だったのかもしれない。彼の言う通り、あまり触れるべきではないのだろう。ドロドロの病人食を左手だけでノロノロと口に運びつつレーベンは考えた。
「あー、そのなんだ。最近どうだ、仕事の方は」
「おう、それなんだがよ」
あからさまに話を逸らしたが、ライアーは乗ってきた。部屋の隅から椅子を引いてくると、寝台の横で腰掛ける。
「明日から、結構デカい仕事に行くことになった」
「ほう」
彼が言うには、魔女の捜索はほぼ完了し、教会の上層部によって次の指針が決められたそうだ。
結果として、レーベン達が遭遇した分も含めて教国の北側で複数の魔女が確認された。よって今度はより範囲を絞り、北側に広がるアスピダ山脈周辺を集中して捜索することになった。参加者は腕利きの聖女と騎士たちが選りすぐられ、ライアーとカーリヤも選ばれたのだと。彼と彼女であれば当然であろうとレーベンは思う。
「それでよ……その、聞くのは悪いとは思うんだがな」
「気にするな。何でも聞きたまえよ」
レーベン達が遭遇した魔女についての情報を聞きたいのだろう。レーベンも医療棟で目覚めてから聴き取りは受けているし、シスネもそうだろう。それらを取りまとめた情報は他の者たちにも開示されているはずだが、彼はより詳細な内容を知りたいようだ。だがそれがレーベンの傷を抉るような真似になると遠慮しているあたり、実にライアーらしい。
もちろんレーベンとしては己が目と腕を失くした話であろうと、それが友人たちの役に立つのであれば一向に気にするつもりはない。ノール村での捜索からサハト村での魔女狩り、そして破戒魔女のことまで、なるべく詳しく話して聞かせた。
「――それで、その破戒魔女を相手にしてこの様というわけだ」
一通り語った後で彼の様子を見ると、椅子に座ったまま固い顔で考え込んでいた。やはり破戒魔女というものは特別に恐ろしいのだ。無理もないだろう。
「何か気になることでも?」
「あぁ……、サハト村にいたのは、共喰魔女で間違いないんだよな?」
だが意外にも、ライアーが気にしていたのは共喰魔女――サハト村で遭遇した魔女の方だった。あの半日に渡って焼かれ続けた上で目覚めた、頭から無数の蛇を生やしたような魔女。その後に遭遇した破戒魔女の印象が強すぎたせいでレーベンも忘れかけていたが、あれもまた充分に異質な魔女なのだ。
「おそらくはな。ただの魔女なら、あれだけ焼かれて生きているはずがない」
「実はな、他に見つかった魔女も共喰魔女なんだよ」
危うく匙を落としそうになった。
「……冗談だろう?」
共喰魔女、つまりは複数の魔女の融合体。それはもう存在自体が悪い奇跡のような物であり、つまるところ非常に珍しいのだ。それが何体も見つかったなど、異常としか言いようがない。
「しかも今回だけじゃない、前からちょくちょく見つかってはいたらしい」
「あぁ、そういえば俺もカクトで見た」
「つーか、お前らの狩った奴が最初みたいだぜ」
「なんと」
忘れもしない。シスネと組んで初めての魔女狩り、カクトの町の廃坑で討伐したのが共喰魔女だったのだ。当時のシスネは今以上にレーベンを拒絶しており、すったもんだの挙句になんとか魔女を狩った。だがまさかあの魔女狩りが、一連の異常現象の始まりだったとは。
「ま、そういうわけで。今度の仕事も厄介な魔女が出る可能性が高いってわけだ」
「貴公らなら問題ないとは思うが……気を付けたまえよ」
当然だが共喰魔女は危険で強力な魔女だ。なるほど、ライアー達のような精鋭が参加者として選ばれたのも頷ける。
「おう、死ぬのは御免だからな。……これが最後だしよ」
ようやく食べ終えた昼食を簡単に片付けていると、ライアーの言葉に思わず手を止める。
「……最後とは」
「あぁ、その、実はな」
ライアーがどこかそわそわした様子で身を乗り出してくる。大きな手を忙しなく合わせたり離したりしており、何か言いにくいことのようだった。その割に表情はどこか緩んでおり、いったい彼が何を言おうとしているのかレーベンにはまるで予想できない。
「結婚しようと思う」
故に、彼のその言葉はレーベンの頭を一瞬止めるには充分に衝撃的であった。意味も無く食器を重ね直してから、ようやく口を開く。
「誰とだ。パボーネ殿か」
「なんでだよっ! なんで俺があの鬼ババアと!」
パボーネとはポエニス教会の食堂に長年勤めている女傑のことだ。あの食堂は彼女の国であり、あの食堂の法とは彼女である。大原則として食べ残しは許されない。レーベンも一度、薬の副作用がひどくて食欲など欠片も無かった日に「食えば治る」という謎の暴論によって大量の食事を押し付けられたことがあり、結局は食べ終わるまでに半日を要した。
閑話休題。
「ではシスネか。貴公はひどい男だ、この間男め」
「お前あんまり
「誠に申し訳ない」
気が動転するとつい軽口が出てくるのは己の悪い癖だとレーベンは思っている。それで何度カーリヤにひどい目に遭わされたことか。最近ではシスネにも。ライアーにまで殴られれば寝台から降りられる日が更に遠のいてしまう為、咳払いをひとつして真面目な顔を作った。
「カーリヤとか。おめでとう」
「おう。……あいつにはまだ言ってないけどな」
そう言って精悍な顔を不安げに俯かせるが、断られることなどまず無いだろう。彼ら二人が想い合っていることなどレーベンですら容易に分かるのだ。むしろポエニスの者たちの間では「いつ結婚するんだ」と話題になっていたのをよく聞いていた。
「そうか……寂しくなるな」
教会も建前の上では「聖女と騎士は魔女狩りのみの関係であるべき」という方針をとっている。その為、聖女と騎士の婚姻は認められていないのだ。ならば共に役目を降りるしかなく、レーベンの数少ない友人たちは近い内に教会を去るのだろう。
「お前は、やっぱりやめねえのか」
今も寝台横の小机に置かれたままの、カーリヤが探してきた仕事が記された紙束。それを見つめながらライアーが苦しそうな声で言う。カーリヤといい、この世話焼きでお人よしな苦労人といい、本当に己などには勿体ない友人だったとレーベンは思う。
だが答えはもう決まっているのだ。
「あぁ。俺は騎士をやめない」
「……今度こそ死んじまうぞ」
「そうだな」
静かな心地で言えたと思う。
騎士となって五年。死にそうな目になど何度も遭ってきたが、今回ばかりは本当に死んだと思っていたのだ。だが偶然がいくつも重なり、そしてシスネの治療と行動によって九死に一生を得た。それを無駄にするとは思わない。むしろ、そうやって拾った命だからこそ、騎士を降りるという生に使う気は無かった。
レーベンに心変わりする気配が無いことを察したのか、椅子に座ったまま項垂れたライアーの両手が握り合わされる。ぎち、と骨肉が鳴る音が聞こえるほど強く。
「――覚えてるか、四年前のこと」
ゆっくりと顔を上げたライアーが口を開く。
忘れてはいない。ライアーとカーリヤの試金石。あの雨の廃村で対峙した破戒魔女。あの日は、己がはじめて騎士に近付けた日でもあったのだから。
「あの頃の俺は馬鹿でよ、魔女が憎くて憎くて仕方なかった」
自嘲するように、恥じるように笑いながらライアーが語る。確かに当時の彼は今とは別人のようで、常に殺気だっている近寄りがたい男だった。そして、そんな彼にカーリヤが黙って付き従っていたのだ。
だが魔女を憎んで騎士になった者は大抵そうだ。彼だけが特別というわけでもない。むしろレーベンのような者こそ少数派だろう。
「だからいつ死んでもいい。魔女をぶっ殺せれば後はどうでもいい。……そんな風に思ってた」
レーベンも直に見たわけではないが、当時の彼の魔女狩りは凄惨だったという。大きな両手剣を振り回し、命など要らないとばかりに捨て身で魔女を狩る。その鎧は常に魔女の泥と彼自身の血で赤黒く染まっていたと。狂戦士。彼がまさにそうだったのだろう。
「でもな……あの日、はじめて怖くなった」
魔女化した聖女――破戒魔女。極めて強力なあの魔女に対しては、ライアーでさえも歯が立たなかったのだ。そしてレーベンが割って入り、カーリヤが彼を連れて逃げた。
「あの後ひどかったんだぜ? カーリヤの奴が泣くわ叫ぶわ、殴ってくるわ蹴ってくるわでよ」
「そ、そうか」
レーベンはその時、破戒魔女と死に物狂いで対峙していた。当然、逃げた二人がどうしていたのかなど知るわけもなかったのだが、彼もまた結構な修羅場に瀕していたらしい。だが語るライアーの顔は晴れやかだった。
「馬鹿な俺に鬱憤が溜まってたんだろうな、それが一気に爆発したんだ」
「全然しゃべらなかったあいつが、まるでガキの頃に戻ったみたいでよ」
「それを見てたら俺も……急に死ぬのが怖くなったんだ」
結局、あの魔女狩りは失敗ということになった。ライアーもカーリヤも、応援のレーベンも魔女を狩ることはできず、審査役のヴュルガ騎士長が狩ったのだから当然だろうか。上層部にとっては期待を裏切られたという形になり、それからライアー達を特別視するようなことも無くなった。
だがそれによって、二人が徒に危険な仕事を押し付けられるようなことも無くなった。同時にライアーも自らの戦い方を改め、生き残ることを最優先するようになった。カーリヤが銃の腕を磨きだしたのもその時からだ。並以上の実力は持つが、特別ではない。そんな位置に彼らは収まったのだ。
そして四年。ライアーもカーリヤも五体満足のまま役目を降りようとしている。
「俺はもう魔女が憎いとは思わねえ」
「いや、思ってはいるかもしれねえけど、命まで懸けようとは思えねえ」
「……まあ要するに、焼きが回ったんだよ」
苦笑しながらライアーが言う。まだ二十三かそこらの彼が言うことではないだろうが、レーベンも同じように苦笑したつもりで笑った。つまり彼にもう悔いは無いのだ。
「で、その、つまり何が言いたいかっていうとだな」
過去語りにひと段落ついたところで咳払いをひとつ。顔を上げたライアーの鳶色の目が、レーベンの左目と交差する。
「死ぬんじゃねえぞ」
「俺みたいに、お前だって、気が変わる時が来るかもしれねえ」
「だからそれまで……死ぬなよ」
ライアーはもう止めなかった。レーベンが不自由な体で騎士を続けようとすることは止めず、だが死ぬなと、そう激励してくれていた。たとえ、それが無理だと分かっていても。
「……あぁ、そうだな」
だがレーベンも笑ったつもりで答えた。たとえ、それが無理だと分かっていても。
ライアーが握った右拳をレーベンに向け、レーベンもそれに左拳を合わせる。
そうして二人は、きっと守られることのない約束を交わした。