魔女狩り聖女   作:甲乙

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望まれなかったもの

 騎士になりたくて騎士になったわけではない。

 

 物心がついた頃には教会の孤児院にいた。幼い頃からきっと賢くはなかったレーベンは、それが普通ではないのだと理解するまでに長い時間を要した。

 レーベンにとって、孤児院が帰る家であった。だが職員たちはそれを否定した。

「ここは君たちの家ではない。本当の家は魔女が壊してしまった」と、そう何度も語って聞かされた。

 レーベンにとって、孤児院の職員たちが親であり家族であった。だが職員たちはそれを否定した。

「我々は君の家族ではない。本当の家族は魔女が殺してしまった」と、そう何度も語って聞かされた。

 そうやって、幼少から騎士としての資質を育てようとしたのだろう。教会の傘下なのだから当然だ。

 

 だがそれをレーベンは理解できなかった。

 欠片も記憶に残っていない家を家と思うことなどできなかった。もう地図にも残っていない村を故郷と思うことなどできなかった。孤児院も家でないと言うのなら、レーベンの家は何処にも無かった。

 顔も名前も知らない両親を家族と思うことなどできなかった。面倒を見てくれる職員も、同じ釜の飯を食べる孤児たちも家族でないと言うのなら、レーベンの家族は誰もいなかった。

 騎士となる為の教育は、ひたすらにレーベンを孤独にしていった。

 すべて魔女が悪いのだと職員たちは言った。君の哀しみも寂しさも、すべては魔女に奪われたからなのだと、そう何度も語って聞かされた。

 

 だがそれもレーベンは理解できなかった。

 レーベンは魔女を知らない。見たこともない。親と思えない親が見たこともない魔女に殺されたと聞かされたところで、賢くもなかったレーベンにはまるで意味が分からなかった。レーベンにとって魔女は憎む相手ではなく、ただ絵本の中に出てくる悪役でしかなかった。だから哀しみも寂しさも、ひたすらレーベンの中へと降り積もるだけであった。

 

 レーベンには何も無かった。家も故郷も、親も家族も、憎む相手すら。

 あったのは道だけだ。目の前に敷かれた、騎士になる為の道。

 他には何もありはしなかった。

 

 

 ◆

 

 

 自室の整理はすぐに終わってしまった。元より寝る場所でしかなく、レーベンの私物はひどく少ない。その少ない私物を寝台の上に並べる。

 カーリヤから渡された紙束、ライアーから渡されたシスネの鏡、医療棟の職員から餞別のように渡された杖と鎮痛剤、ボロボロの鞄、焼け焦げた黒い外套。碌な物が無い上に、半分はつい最近に人から貰った物だ。あまりの少なさに自嘲してひとり笑った。

 笑ってから、それらを鞄の中に詰めていく。大量の武器を詰め込んでいた大きな鞄だったが、いま入っているのは紙束と鏡と鎮痛剤の瓶、ただそれだけだ。滅多に着ることのなかった平服に袖を通し、焦げと血の跡もそのままの外套を羽織る。右腕を隠すにはちょうど良いだろう。

 

「おっと」

 

 寝台脇の小机に置いていた、ライアーとカーリヤの結婚指輪を収められた木箱を手に取る。これを忘れるわけにはいかない。すこし考えてから、首に提げていた騎士証を取り外し、代わりに二つの指輪を鎖に通してから再び首に提げた。これだけの作業でそれなりの時間を要し、やはり隻腕とは不便なものだと思い知る。

 

「……」

 

 そこでふと、小机の引き出しを開ける。

 中にあったのは武骨で奇怪なひとつの機械。技術棟の面々に大枚を積んで手に入れた、写銀器だ。魔女の姿や痕跡を絵として残せれば何かの役に立つかと思ったが、結局は魔女狩りにはさして使えなかった。……これで撮った聖女たちの写銀を売った金で機械剣を手に入れたのだから、そういう意味では役に立ったと言えるだろうか。

 粉々に砕けた機械剣と例の写銀騒動のことに思いを馳せながら、引き出しから写銀器のみを取り出して鞄に詰める。鞄を肩にかけ、左手で杖をつきながら、最後にもう一度だけ部屋の中を見渡した。

 

「……」

 

 この部屋にいるのはレーベンだけだ。故に何を言うこともなく、空っぽの部屋を後にした。

 

 

 

 杖をつきながら、なんとか居住棟を出る。上位職員からは怪我が完治するまでなら住んでも構わないと言われてはいたが、レーベンは固辞した。そして昨日の夕方に除名を宣告されてから一日と経たない内に、こうして出てきたのだ。

 視線をつい隣の建物へと移す。聖女たちが住まう居住棟。彼女の部屋はたしか二階だったか。

 視線を戻して、再び杖をついて歩き出す。今も謹慎中の彼女が出てくるはずもないというのに、なるべく足早に居住棟から立ち去った。

 

 

 

 本棟にはほとんど人影が無かった。今も魔女狩りの依頼は無いのだから当然だろうか。何も貼られていない掲示板の前を通り過ぎ、暇そうに頬杖をついていた職員の座る受付へと向かう。

 

「……こちらが報酬となります」

 

 レーベンの顔を見ただけで硬貨の入った袋が出てきた。その膨らみを見るに、前回――最後の魔女狩りの報酬は相当に高額だったようだ。破戒魔女を狩ったという点が評価されたのだろう。更に、見舞い金か手切れ金か何かも追加されているのかもしれない。今となっては、もうどうでも良いことだ。

 袋を鞄に放り込むと、かわりに騎士証を無言で差し出す。職員もまた無言でそれを受け取り、机の下から(のみ)と金槌を取り出す。そしてそれを使い、レーベンの目の前でレーベンの騎士証を真っ二つに割って見せた。レーベンはその作業を、ただじっと眺めていた。

 結局、一度も目を合わせないまま最後の手続きは終わってしまい、これで本当にレーベンは教会の騎士ではなくなった。

 騎士でなくなった以上はみだりに教会の中をうろついてはいけないが、レーベンにはまだ行かなければならない場所がある。既に疲労を覚え始めた足を動かし、次の場所へと向かった。

 

 

 

「聞いたよ君ぃ、除名(クビ)になったんだって?」

 

 相も変わらず油臭い技術棟の、相も変わらず足の踏み場もない地下室。そこでアルバットは相も変わらず何かの機械を弄り回しながら無遠慮な言葉を吐いてくる。下手に慰めの言葉をかけられるより良いかと、レーベンはかすかに笑った。

 

「弁償の金だ。受け取ってくれ」

「いま手が放せなくてねぇ、そこらへんに置いておいてくれよ」

 

 こちらを見もせずに言うアルバットの言葉に従い、先ほど本棟で受け取った金をそのまま近くの机に置く。これで、この男とシスネの争いを止める為に炸裂弾を使った際の弁償も済ませた。用も済んだレーベンは無言で出口へと向かい、その背中にアルバットが声をかけてくる。

 

「義手ができるとしたら、あと七年ぐらい後かね」

「その時まだ君が生きていて、まだその気があったなら来ると良いさ」

「その様子じゃあ、無さそうだけど」

 

 妙に具体的な数字は、この変人の頭の中では既に義手を造る道筋が立っているが故だろう。頭のおかしい男ではあるが間違いなく天才でもあるのだ。

 だがアルバットの言う通り、レーベンがここに来ることはきっと無い。元より利害で成り立っていた関係、己が騎士でなくなった以上はそれも終わりだ。お互いに用済みとなった二人は、無言で最後の別れを済ませた。

 

 

 

 技術棟が敷地の奥に位置していた以上、出口へと向かえば必然的に教会の中を巡ることになる。それらの建物を、場所を眺めながらレーベンはゆっくりと歩みを進めた。

 

 

 技術棟。

「聖女なき騎士」であったレーベンにまず必要だったのは強力な武器だった。その為に他の騎士たちは滅多に寄り付かないここに出入りし、最新の装備や試作品、時には失敗作も同然の珍品までをも買い漁った。そんな折に、変人ぞろいの技術者の中でも特に変人扱いされていたアルバットと出会ったのだ。

 

『いやはや噂以上の変人じゃあないか君ぃ、是非ともワタシの実験動物になってくれたまえよ』

 

 あの男にだけは変人とは言われたくなかったが、その頭脳と技術には舌を巻かざるを得なかった。もし世界を変える狂人というものがいるとしたら、それはきっとアルバットのような男なのだろう。

 彼が目指しているものが何だったのか、結局レーベンには分からずじまいだった。

 

 

 医療棟。

 魔女狩りの後は怪我だらけだったレーベンは世話になりっぱなしで、ある意味では自室よりも馴染み深い場所であった。そういえば、あそこでシスネと数日にわたって同室になったこともあったか。それすらもう随分と前のことのように思える。

 右手を見下ろす。当然そこには何も無く、カクトの廃坑で彼女に施された荒療治の痕も右腕ごと消えてしまった。こうなると案外寂しいものだと、レーベンは再び歩みだす。

 

 

 鍛錬棟。

 今日も騎士たちの唸り声と聖女たちの声援が外まで響いている。ポエニスの騎士たちは皆が筋骨隆々で、決して小柄ではないはずのレーベンでさえ華奢に見えたものだ。噂では、聖都の騎士たちは筋力よりも技量を重視しており細身の者が多く、故に女の騎士もいるらしい。実際に聖都の騎士と会ったことのないレーベンに真偽は分からなかったが、魔女を狩ってきた実感としては最後は筋力が物を言う気もした。

 物思いに耽っていると、背後から慌ただしい足音と荒い息遣いが近付いてくる。振り返る間もなく、見習い騎士の少年たちが汗を飛び散らせながらレーベンの脇を走り抜けていった。かつてはレーベンもああして、鍛錬棟の周囲をひたすら走り回ったものだ。やはり体力は全ての基本なのだから、是非とも頑張ってほしい。

 止まっていた足を踏み出そうとすると、入り口に建てられた石像に目が留まる。女騎士ヴァローナの像は今日もその鍛え上げられた肉体を誇らしげに見せつけていた。

 だがその肉体も最後は病によって見る影も無くなってしまったという。日に日に痩せ衰え、骨と皮だけになっていく己の姿にヴァローナは絶望し、そして絶望しきる前に「予防」されてしまったのだ。薬湯に混ぜられた毒に彼女が気付いていたのかどうかは、永遠の謎のまま。だがきっと彼女は気付いていたのではないかと、今のレーベンはそう思った。

 

 

 本棟。

 その地下にある武器倉庫もレーベンにとっては通い慣れた場所だ。あの倉庫番の彼は今もうんざり顔で武器を管理しているのか、あるいはレーベンがいなくなって清々しているのか。だがシスネも大量の弾薬を必要とする以上、彼に安息は無いのかもしれない。

 

『……すみません、別の銃に交換を』

『レバーの部品が劣化しています。弾詰まりしても知りませんよ』

 

 今思えば、あの時からおかしかったのだ。シスネに聖性が扱えていたのならわざわざ銃を交換する必要など無い、聖性を流して修復してしまえば良かったのだから。

 それに、シスネは一度も聖女とは名乗らず、その聖女証も装束の中に隠して見せようとはしなかった。それが彼女が自身に強いた最後の一線だったのだろうか。故にレーベンのことも騎士と認めなかったのか、単にレーベンのことが嫌いだったのかは今になっても分からない。

 

 

 聖堂。

 教会のもっとも入り口に近く、だがレーベンがもっとも寄り付かなかった場所。そこは今も多くの人々が訪れ、名の無い女神に祈りを捧げている。

 レーベンは女神の存在を信じてはいないが、否定する気も無い。多くの人々が共通の何かを信じるということは、それだけで意味のあることだ。なら女神の有無はさほど問題ではない――と、そんな風に思っていた。ライアーなどは魔女狩りの前に祈って験を担いでいたが、レーベンはそうしなかった。祈る理由も祈らない理由も無く、なら時間を他のことに使おうと、ただその程度の考えで。

 あるいは、今のこの様も女神に祈らなかった罰が当たったのだろうか。少しぐらいは祈っておけば良かったかと今になって後悔も覚えるが、全ては遅すぎた。

 

 

 ついに教会の入り口に辿り着き、レーベンは振り返る。

 他者からどう言われようと、ここはレーベンの故郷だった。故郷だと思える場所はここしか無かったから。たとえ、望んでここに来たわけではなくても。

 だがそれももう終わりだ。かつて家と故郷を失くした己が、また家と故郷を失くした。ただそれだけのことだった。

 教会の景色を左目に焼き付けるようにしてからレーベンは立ち去る。

 見送る者は、誰もいなかった。

 

 

 ※

 

 

 騎士になりたかったわけではない。だが強制されたわけでもなく、騎士になる為の道を進んだのは間違いなくレーベンの意思だ。理由は単純で何よりも下らない。ただ他にやりたい事も無かった、ただそれだけの、本当に下らない理由だった。

 レーベンはきっと空虚な少年だったのだ。何も無かったから、己の内にも何も生まれなかった。だからやりたい事も、行きたい所も、欲しい物も、会いたい人も、何も無かったのだ。

 だがそんな理由で選んだ道であっても、進む内に己の道になった。ただ放り込まれただけの教会がいつしか第二の故郷になったように。体を動かすことは苦ではなかったし、木剣を振るうことも嫌いではなかった。暇つぶしに読み漁った英雄譚に出てくる騎士たちは皆が遠い存在としか思えなかったが、あの悪騎士(ジャック・ドゥ)だけは何故か親近感と憧れに似た感情を覚えた。己は何かしら欠けた人間なのだと、その頃には自覚していたのかもしれない。

 

 見習い騎士になった頃、孤児院に新しい子供が入ってきた。ひどく荒んだ目をした少年と、ひどく暗い目をした少女の二人組。とはいえ、ある程度の年齢で孤児となった子供は大抵そういうものだ。皆と同じようにすぐ馴染むだろうと、レーベンも含めて誰もが気に留めなかった。

 切っ掛けは、孤児院の裏手で二人が喧嘩している姿を見たことだった。喧嘩とはいえそれは一方的で、少年が少女を突き飛ばし、だが起き上がった少女は少年に近寄り、また突き飛ばされる。そんなことを繰り返していた。少年は顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、少女は青い目を涙で潤ませながらも傍にいようとする。

 そんな奇妙なやり取りを理解できる程レーベンは賢くなく、特に正義感らしいものも持ち合わせていなかったが、ただ何となく二人に声を掛けた。そして一言二言のやり取りがあった後で、当然のように殴り合いの喧嘩に発展した。三人まとめて放り込まれた物置の中でも取っ組み合いになりながら夜を明かし、気が付けば二人ともが少女に介抱されていた。ライアーとカーリヤ、ようやく二人の名前を聞いた頃にはもう朝になっていた。そしてレーベンに初めて友人ができた日の朝でもある。

 

 騎士としての修練を終え、レーベンがおよそ十六歳になった年、ついにその日がやってきた。

 俗に「見合い」などとも称されるそれは、見習いたちが聖女と騎士になるための儀式であり、最後の試練でもある。広場に適当に並ばされた後で、目についた相手と契りを交わす。ただそれだけの簡単な試練。失敗する者など、まずいない。

 始まってすぐにライアーとカーリヤが互いに駆け寄り、その手を取る。カーリヤの手から溢れ出した青白い聖性の光は、出会った頃より各段に大きくなったライアーの全身を包み込んだ。その成功を認めた職員たちが拍手と共に新たな聖女と騎士の誕生を祝い、レーベンも己のことも忘れて二人を祝った。

 そうしている内にも周りは次々と契りを交わし、レーベンも偶然目が合った少女に契りを求めた。その少女の顔は覚えていない。覚えているのは、その手を取った瞬間に全身を駆け巡った悪寒と激痛。そして真っ赤に染まる視界と、レーベンを嘲笑うように雲一つない空だけだった。

 

 レーベンは騎士になれなかった。

 

 聖性の流れには個人差があり、その流れの形が似ている程に聖女と騎士の適合率は上がるのだと、そう聞かされていた。そして誰の流れもそう大した違いは無く、大抵の者は誰とでも適合するのだとも。ましてレーベンのように拒絶反応まで起こす者は非常に稀で、聖女と騎士が生まれた古い時代には不吉な異端者として処刑されることもあったらしい。

 ならいっそ処刑してくれれば話は早かったのだが、慈悲深い上層部はレーベンを殺すことはしなかった。医療棟に担ぎ込まれた後、何人かの見習い聖女と「見合い」を重ねる。その全てで拒絶反応を起こし、その度にレーベンは目と鼻と耳と口から血を噴き出してのた打ち回った。その数が十人を越した辺りで病室には誰も訪ねてこなくなり、彼らもついに諦めたのだとレーベンは悟った。同時に、レーベンが聖女を得ることを諦めた日でもある。

 

 ライアーとカーリヤが見舞いに来た。二人はそれぞれが騎士と聖女の装束を纏っており、首からも証を提げている。レーベンはもう二人の姿を見ても何の感情も湧いてはこず、カーリヤは相変わらず泣きそうな顔で何も喋らず、ライアーは相変わらず不機嫌そうな顔をしていたがいつもの憎まれ口は聞けなかった。三者が沈黙のままで奇妙な見舞いは終わり、ただ明日から初めての魔女狩りに行くのだとライアーが町の名前を言い残していった。

 

 その夜、レーベンは医療棟を抜け出した。

 

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