魔女狩り聖女   作:甲乙

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聖都の住人たち

 聖都グリフォネア。

 カエルム教国の中心であり、だが地理的には国土の最南端に位置している。教国を外界と隔てる二つの壁、北東に広がるアスピダ山脈からは最も離れ、南西に広がるシルト海には最も近い。

 その名が示す通り、今は旧聖都と呼ばれるポエニスこそが元は聖都であった。遷都が行われたのはおよそ百五十年前。魔女禍の発生による未曾有の混乱が生んだ暗黒時代、それが聖女と騎士の誕生により一応の終息を見せた頃のことだ。激闘と惨劇の跡が色濃く残るポエニスは聖都に相応しくないとされ、教国の南岸にあったごく小さな港町を元に新たな聖都が作られた。

 故にグリフォネアは教国の中心であり、そして最も新しい街でもある。魔女禍の後に作られた、教会を主軸とした教会による街。言い換えればそこは、聖女と騎士の街だった。

 

 

 ◆

 

 

 すれ違った女の長い白髪に、レーベンはまた目を奪われた。当然ながらそれはシスネではなく、視線を戻せば道行く人々の中にちらほらと白い髪が行き交っているのが見えてレーベンは溜息をつく。

 ポエニスを一昨日の夕方に発ってから丸一日と一晩。初めて足を踏み入れた聖都でレーベンがまず驚いたのは、人の多さでも街並みの美しさでも大聖堂の大きさでもなく、白い髪を持つ人々だった。シスネの真っ白な髪はポエニスでは非常に珍しく、レーベンも彼女以外に見たことはない。故に己の中で白髪とは彼女の代名詞のようになっていたのだが、聖都ではそこまで珍しくはないらしい。むしろレーベンの黒髪の方が珍しいのか、やけに視線を集めている気もする。あるいはボロボロの外套を纏った姿や、右目に巻かれた包帯のせいなのかもしれないが。

 

「君、聖都は初めてかい?」

 

 親しげな声に左目を向ければ、雑踏の中で小洒落た恰好をした老人が人の良さそうな笑みを浮かべていた。おそらくは妻であろう老女も傍に立っている。キョロキョロと田舎者のように街中を見回している姿を見られていたのだろうか。大きな街の年長者らしい親身なお節介というやつだ。

 

「……えぇ、ノール村から来たんですわ」

「ほう! それは長旅だったろうに!」

 

 お節介ではあるが、初めて聖都に来たことは事実なのだ。この際だから聞けることは聞いておこうと、教国の中で最も田舎である村の名前を出す。あの村で過ごした数日で耳に馴染んだ訛りを適当に真似すれば、老人は驚きと笑みを彫りの深い顔に浮かべた。

 村民を騙ることになったが、「ノール村から来た」のは間違いではないのだから嘘は言っていない。誰に言い訳するともなくレーベンは開き直った。

 

「山で目をやっちまいましてね、聖都に来れば良い薬も手に入るって聞きまして」

「お気の毒になぁ。なら大聖堂に行くと良い、あそこの医療者たちは騎士でなくても診てくれるぞ」

 

 相手が田舎者を名乗って気をよくしたのか、老人は嬉々とした様子で話してくれた。大聖堂の場所と行き方、よく効く薬屋、安い宿屋、美味い飯屋、その他諸々。三人で長椅子に腰掛けながらレーベンはひたすら相槌を打ち続ける。ありがたい話ではあるが、生憎そのほとんどはレーベンには関係のない話だった。そもそも金も持っていないのだから。

 右目も傷ついた程度ならともかく、完全に抉られているのだから治療の施しようもない。アルバットなら彼と同じ機械仕掛けの眼に置き換えることができるかもしれないが、一生あの姿になることはレーベンでも些か抵抗を覚える。

 故に、別の手段に縋ってレーベンはここに来たのだ。

 

「それにしても聖都はきれいな白髪の人が多いですね、俺は初めて見ましたわ」

「そうだろう、そうだろう。“白い髪は聖都美人の証”ってな」

 

「まあ私の髪も今に白くなるがね!」と白髪の混じった赤毛を掻きながら老人が笑う。その隣に座る老女の髪も真っ白で、口許に手を当てながら上品に笑っていた。

 老人が饒舌に続ける。かの「はじまりの聖女」キノノスもまた白い髪の持ち主であり、故に「白髪の聖女は良い聖女となる」などという根拠のない迷信まであるらしい。

 

「実は私の身内にも聖女がいてね、その子も白髪なのだよ。あぁそうそう、今の聖女長もだ!」

「……なるほど」

 

 聖女長。その名にレーベンの意識が尖る。

 

「聖女長は、とんでもなく腕の良い聖女さまと聞いてますね。たしかお名前は……」

「イグリット様だね。まあ私もお会いしたことはないんだが」

 

 イグリット聖女長。レーベンとて初めて聞いた名ではないが、ポエニスで騎士として働く分にはほぼ無縁だったのだ。うろ覚えだった名前を頭に刻み直してから、会話が途切れた間を窺ってレーベンは長椅子から立ち上がった。

 

「そろそろ行きますわ。色々とありがとうございます」

「君も気をつけてな。……あぁそれと、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 立ち去ろうとしていた足が固まった。外套はボロボロだが、今も右腕があった場所を覆っているはずだ。振り返ったレーベンの左目に映る老人は変わらず人の良さそうな笑みを浮かべている。

 

「……見えていましたか」

「いや、歩き方だね。これでも医療者の端くれなんだ、それぐらいはすぐ分かるさ」

 

「だが北方訛りはなかなか上手かったよ」と朗らかに笑う老人とその妻。どうやら何もかもお見通しだったらしい。これも年の功というものなのだろうか。

 

「ではな。女神の導きのあらんことを」

 

 そう言って老人は矍鑠(かくしゃく)とした足取りで雑踏に消えていき、老女もそれに続く。姿勢の良い歩き方とその長い白髪に懐かしさを覚え、レーベンは左目を細めた。

 

 

 ◆

 

 

 海沿いに建てられた聖都は水の街でもある。高度な治水技術による水路が縦横に走り、街道を行き交う馬車と同じぐらい多くの小舟が行き来している光景はポエニスでは見られない。

 わずかに潮の香りも混じる水面に映る己の左腕を眺めながら、途方に暮れたレーベンは水路の傍に腰を下ろしていた。右腕の痛みはとうに引いたが、まだ立ち上がる気にはなれない。

 

「……どうしたものかな」

 

 つい先日、ポエニスの広場で零した独り言をまた呟き、レーベンは溜息をついた。

 

 

 

 つい先刻、やっとの思いでレーベンは大聖堂に辿りついていた。

 ポエニスよりも幅の拾い街道はポエニスよりも多い人出によって埋め尽くされ、未だふらつく体を杖で支えながら大聖堂を目指した。慣れない道に迷い、住人に道を聞き、門前の大階段も必死に這いあがってきたのだ。

 だというのに。

 

【入堂者は銀貨一枚を喜捨すること】

 

 大聖堂の入り口には無慈悲な看板が立てられていた。銀貨一枚とは、飯屋に行けばそれなりに上等な料理で腹を満たせるかといった程度の額だ。決して法外ではなく、充分に良心的と言えるだろう。だが今のレーベンにはそれが果てしなく高い。

 そもそも中に入るだけでなぜ金を取られるのか。むしろ己の方が施しを受ける側なのではないかと恨めしげに看板を睨みつけていると、門番らしい男がじろりとレーベンを警戒していた。

 男はポエニスと同じ黒い騎士装束を纏っており、傍に控えるように灰色の装束を纏った女も立っている。聖都では聖女と騎士が門番も務めるらしい。騎士というには細身な体つきを眺めながら、聖都の騎士は筋力よりも技量を重視するという噂は本当だったのかなどと、半ば現実逃避じみた考えにレーベンは耽る。

 世の理不尽を一通り嘆いた後、レーベンは出来るだけ愛想を良くしたつもりで門番に話しかけた。

 

「入るだけでも金が要るとは、聖都とポエニスは随分と違うらしい」

「……これも教皇猊下と聖女長の御体を守る為。どうかご理解いただきたい」

 

 更に詳しく話を聞くと、かつては入堂料など払わずとも誰でも教皇と聖女長に謁見できたらしい。だが明らかに謁見を求める程ではないであろう相談事をしに来る者や、ただ一目お会いしたかっただけなどという教徒が後を断たず、休む間も無くなってしまったのだという。それを防ぐ為に、安価ではあるが入堂料を必要とするように定められた。結果としてそれは上手く機能し、現在では本当に謁見を必要とする者だけが訪れるようになったのだと。

 

「だが俺のように銅貨の一枚も持っていない貧者はどうなるのか、貴方はどう思われる」

「……心中お察しするが、これも規則であれば」

 

 銀貨一枚など、それこそ一日でも働けばその倍は稼げるだろう。如何な貧者であってもその気になれば謁見できる、これはそういう制度なのだ。それはレーベンにも理解できるのだが。

 

「ならば、こんな体の俺にも出来る仕事はあるだろうか? 是非とも教えていただきたい」

「! ……ぬ、ぐ」

 

 外套を払い、空っぽの右袖を見せてやると門番は目に見えて狼狽えた。傍の聖女も痛ましいものを見るような目を向けてくる。

 もう一押しか、とレーベンがほくそ笑んだ時だった。

 

「その傷は、魔女による物か」

 

 固く怜悧な声に左目を向けると、反対側に立つもう一人の門番――騎士装束を纏った()がレーベンを見返していた。小柄ながらも、その鋭い視線にレーベンはどこか懐かしさすら覚える。

 

「あぁ、その通り」

「もしや、貴殿は騎士だったのではないか」

 

「立ち姿が違う」と続ける女騎士。まともに歩くことすら出来ない今のレーベンに立ち姿も何も無い気がしたが、騎士であったことは確かだ。沈黙で返すと、女騎士は整えられた金髪を揺らしながらレーベンに体を向けた。

 

「左様な深手を負うまで騎士として務められた貴殿には敬意を表する」

「ならば尚のこと、物乞いじみた真似はやめていただきたい」

「先達として、どうか我らを失望させてくれるな」

 

 時代錯誤な口調に反し、よく見れば彼女はレーベンよりもいくつか年下に見えた。聖都は聖女も騎士もポエニスより層が厚く、見習いを脱しただけでは魔女狩りに就けないという話を思い出す。彼女もまだ魔女と対峙したことは無いのかもしれない。

 女騎士の青い目はまっすぐレーベンを見据えている。その眼光は充分に鋭いが冷たくはなかった。

 

「……」

 

 青い眼差しに、結局は謝ることもできなかった友人を思い出す。左手で胸元を掴めば、服越しに二つの指輪の感触を確かめられた。これを売れば銀貨どころか金貨が何枚も手に入るだろうが、勿論そんなことをする気は無い。これ以上あの二人を裏切る気にはなれないのだから。

 深く溜息をついてからレーベンは無言で踵を返した。なんとかして入堂料を調達しなければならない。その前にまずこの大階段を無事に降りられるのかと、断崖でも前にした心地で足を踏み出した時。

 

「悪い、すぐ戻る」

「あ、おい! エイビス!」

 

 背後から男女の声が響くとほぼ同時に、細い腕の感触が腰に巻きついてきた。塞がった右側の視界に金色の髪が見え隠れする。

 

「下まで付き合おう。ゆっくりで構わない」

「……ありがたい」

 

 レーベンを支えてくれる女騎士――エイビスの体は思いのほか小さく、それこそシスネと同じぐらいに華奢だった。これで本当に騎士が務まるのかと心配になってきたが、聖性で筋力を底上げすれば問題ないのだろうか。

 

「あなたを女と見くびる気は無いが、聖都の騎士は皆が細身だな」

「そういう貴殿こそ、ポエニスの騎士にしては細身と見えるが」

「たしかに」

 

 華奢ではあるが鍛えてはいるのだろう。エイビスの小さな体は危なげなくレーベンを最後まで支えて見せた。大階段を降りきって一息ついていると、レーベンから体を離した彼女はじっと青い目で見上げてくる。

 

「悪く思わないでくれ。我らも門番の務めは果たさねばならないのだ」

「あぁ、なんとか稼いでくるとも」

「……また来ると良い」

 

 かすかな笑みをレーベンに向けた後、軽やかに大階段を駆けあがっていく背中を見送る。己はもうあんな真似を二度と出来ないかもしれないと考えると、肚の底の憂鬱がまた首を擡げてきた。首を振ってそれを考えないようにし、杖をつきながら街へと戻る。

 

「女の騎士とは、本当にいたのか」

 

 いるという話だけは聞いていたが、ポエニスの騎士は全員が男だったのだ。俄かには信じがたく、いたとしてもヴァローナやパボーネのような女傑を想像していたが、まさかあんな華奢な娘だったとは。

 だがきっと苦労も多いのだろうとレーベンは考える。あの若さにそぐわない古風な口調も「騎士らしく」見せる為のものなのかもしれない。かつては己もそうしていたように。

 

「だが、やっぱり最後は筋力だよなぁ」

 

 かつてはポエニス騎士の末席を汚していた身としても、やはりそこは譲れない。そう、レーベンは考えたのであった。

 

 

 ◆

 

 

 水路の脇で短い追憶に浸っていたレーベンはようやく重い腰を上げた。

 とにもかくにも金である。大聖堂に入れなければ遠路遥々ここに来た意味が無く、己の目的も果たせない。今こそカーリヤから貰った紙束が役立つのかもしれないが、必要なのは銀貨一枚。宿なしの身である以上は時間もかけられず、故に出来ることも自然と限られてくる。

 視線を巡らせれば、薄汚れた路地裏が見える。表通りにはゴミ一つ落ちていなかったが、その裏側ともなれば何処もこんなものだ。聖都とて例外ではない。否、聖都であればこそ汚濁もまた色濃いのかと、そんな小難しいことを考えながらゴミ置き場を漁る。金目の物などそう都合よく見つからなかったが、目当ての物なら見つかった。

 

「……、……」

 

 出来ることはごく限られ、故にそれはすぐレーベンの頭にも浮かんできた。

 ならばやるしかないのだ。例え、まったく気は進まなくとも。

 

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