魔女狩り聖女   作:甲乙

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消えたレーベン

 ゴロゴロと、シスネの足元に林檎が転がった。

 四日間の謹慎が解けた日の朝、シスネはさっそく医療棟に向かった。カーリヤから聞いていた病室へと足早に向かい、だがそこで見たのはすっかりと片付けられた無人の寝台だったのだ。

 

「うそ……」

 

 予想もしていなかった最悪の光景に、彼に剥いてやるか頭に投げつけてやるかしようと持参した林檎が手から滑り落ちる。

 だって、だってカーリヤは話をしたって。あれから四日しか経っていないのに、まさか死――。

 

「あの、お見舞いですか?」

「っ!」

 

 恐る恐る声を掛けてきた医療棟の職員を、シスネが掴みかからんばかりに質問責めにしたのはこの直後のこと。

 そしてレーベンの生存と、その除名処分を知ったのもその直後であった。

 

 

 ◇

 

 

 バンッと。蹴り破るように大きな扉を開け放つ。やってしまってから自分の愚行に後悔したがもう遅い。もう遅いからと開き直り、つかつかと部屋の主――ヴュルガ騎士長の前まで詰め寄った。

 

「騎士長……」

「なんだ」

 

 不躾なシスネの行動に対しても騎士長は動じた様子もなく書類に目を落としている。寛容なのではなく関心が無いのだろう。この男は、そういう人間なのだ。

 

「彼が、除名されたと聞きました」

「そうだ」

 

「だからどうした」と、そんな言葉すら吐かない。無感情、無関心。きっとこの男にとっては、シスネの言葉も感情も、何の価値も無い。だから怒ることすらない。

 

「なんで、何故です……何故、彼を」

「あの男はもう使えんからだ」

「――っ!」

 

 どこまでも淡々とした声は、だがシスネの臓腑を抉った。

 シスネにも分かっているのだ。ただでさえ聖性を受け入れられないという致命的な欠陥を持つレーベンが、あんな重傷まで負えば騎士としては再起不能だということぐらい。

 つまり、レーベンの除名はシスネのせいだと。騎士長は言外にそう言っていると、シスネはそう思った。

 

「そうではない」

 

 容易に血が上っていた頭も、その上から降ってきた声に一瞬で血の気が引く。いつの間に立ち上がったのか、騎士長の巨大な体はシスネのすぐ近くに立っていた。

 騎士長がシスネを見下ろす。シスネは、その時はじめて騎士長の目を間近から見た。

 

貴様(おまえ)たちが何を考えようと、(おれ)にはどうでも良いことだ」

「貴様たちが魔女を狩れるのか、狩れないのか」

「あの男は狩れん。それだけだ」

 

 その火色の眼光は色彩に反して死体のように冷たく、シスネの姿を反射しているだけでシスネを見てはいない。ただの景色、ただの影、ただの石ころ。そんなものでしかないから。

 

「……」

 

 ふらりと、シスネは踵を返した。きっともう、この男には何を言っても無駄なのだと分かってしまったから。無言で執務室を後にし、背後からは書類にペンを走らせる音だけがかすかに響いていた。

 

 

 ◇

 

 

 すれ違った騎士がギョッと振り返ったことが、背に感じる視線で分かった。それもそうだろう、騎士たちの居住棟の中を女が歩いているのだから。シスネ自身でさえ何故こんな所に来てしまったのかと自分を問い詰めたい気分だったが、来てしまったのだから仕方がない。シスネはまた開き直った

 当然だが初めて入った騎士棟の中は、聖女の居住棟とはだいぶ趣が違った。花や置物の多いあちらとは違い、こちらはひどく殺風景だ。本当にただ住む為の場所といったようで、建物自体の作りはほぼ同じなことを考えれば聖女棟の方が派手なのだろうか。

 

『あんたの部屋は地味すぎるわ。戻ってきたら覚悟しておきなさいよ』

 

 花の一輪も飾っていないシスネの部屋を見ながらカーリヤはそう言っていた。もしかしたら聖女棟の花や飾りは彼女の仕業なのかもしれない。今頃はアスピダ山脈で魔女を探しているだろう友人の無事を祈りつつ、彼女が戻ってきたら町に引きずり出される自分を想像してシスネはかすかに苦笑した。

 

 

 

 部屋の扉に書かれた名札を目で追いつつ目当ての部屋を探し、それはすぐに見つかった。一階の奥の部屋、名札を剥がされた跡のある扉をそっと開ける。

 片付けられた無人の部屋がシスネを迎えた。彼のことだからひどく散らかった部屋を想像していたシスネは拍子抜けし、追放同然の仕打ちであっても部屋を片付けていく律儀さを意外にも思った。いや、なんだかんだといって体面を気にしている節もあったかもしれない。

 部屋の隅に置かれた寝台、その掛布にそっと手で触れる。何の温かみも残ってはいなかった。

 

 ――なにしてるんだろう、私

 

 白い掛布を涸れた眼差しで眺めながら自嘲する。もうここにいるはずもないと分かっているのに部屋にまで押しかけて。自分への置手紙か何かでもあると思ったのか? 彼はもうシスネが聖女ではないということを知っていて、しかもシスネのせいで騎士としての生命を断たれたも同然だ。そんな相手に何を言い残すというのか。あったとしても恨み言だろう。

 

 ――でも、一言ぐらい

 

 ふつふつと腹の底に湧いてきた身勝手な怒りを飲みこむ。

 いったい誰のせいでこうなったと思っているのか、でも一言ぐらいあっても良いのではないか、彼に何を期待しているのか、恨み言でも良いから話をしたかった、謝りたかった、怒りたかった、許してほしかった、傍にいたかった、傍にいてほしかった、求められて、それを拒絶したかった――。

 だが彼は一人でいなくなってしまった。シスネに一言もなく、シスネを求めることもなく。

 

 拒絶されたのは、シスネの方。

 

 ガン、と。寝台横の小机に拳を叩きつける音が響く。固い木を殴った衝撃が骨に伝わり、その痛みと自分の穢さ、そして筋違いの怒りにふるふると肩を震わせた。

 

 ――おちついて、落ち着きなさい

 

 寝台に腰を下ろし、胸に手を当てながら深く呼吸する。この数日というもの、どうにもシスネは精神の均衡を欠いている。堪え性が無いのは昔からだが、最近は特に自分や他者への怒りを制御できない。自分の中で何人ものシスネが暴れているようでひどく苦しい。

 こうして一人でいる時は尚更だ。カーリヤやマリナ、ライアーや……レーベンといる時はもうすこしはっきりとした自分(シスネ)を自覚できていた気がする。だが今はもう誰もいない。

 カーリヤとライアーはしばらく帰らない。マリナはもう帰ってこない。レーベンも……きっと帰らない。他の聖女たちともだいぶ親しくなれてはいたが、それもカーリヤが間に入ってくれていたからだ。特にあんな懲罰を受ける姿を見られた後のこと、どの顔を提げて会いに行けというのか。

 

「……?」

 

 八方塞りの袋小路に頭と腹が痛みだした頃、シスネの視界に見慣れた輝きが掠めた。先ほど殴った時に開いたのであろう、小机の引き出し。その中から銀色の光――聖銀の輝きがちらついている。考える間もなく手が動き、引き出しの中からそれを取り出した。

 それは。

 

「ぁ……」

 

 それは、景色を焼き付けた聖銀の板――写銀だ。それが二枚。

 一枚には二人の男女。茶髪の騎士と金髪の聖女。ライアーとカーリヤが、ただ連れだって歩いている。そんな日常を切り取ったような写銀。

 もう一枚には一人の女。シスネには見飽きた白髪の女が映っている。いったいいつ撮られたのか、物憂げな自分の横顔が映った写銀。

 もうずいぶんと前のことのように思える写銀騒動。あの時は聖女たちの姿絵を売り物にしたレーベンに対して、シスネは真っ直ぐに怒ることができた。……同時に、自分よりも穢い存在を見つけて仄暗い悦びを覚えたことを覚えている。

 カーリヤの写銀は男性(ライアー)も映っているから売り物にならなかったのだろう。ならシスネの写銀は? こんな地味で貧相な女の写銀など売れないと思ったのだろうか? なら何故捨てなかった? そして何故それをここに置いていった?

 二枚の写銀を懐に捻じ込むと、シスネは本当に空っぽになった部屋を飛び出した。

 

 

 ◇

 

 

「……久しぶりだねぇ、聖女サマ。何か用かね」

 

 技術棟の地下室。ゴミ溜めのような部屋の主である、機械仕掛けの眼を持つ変人――アルバットは開口一番に不機嫌さを露わにした。以前に会った時のことを考えれば当然だろう。

 シスネとて、この男と仲良くしたいなどとは思っていない。むしろ二度と会いたくはなかったし、できれば視界にだって入れたくない。そんな相手。

 だがそんな相手であろうと、彼の足取りを追う為には話を聞かなければならない。

 

「……、……まずは謝罪を。先日は、誠に申し訳ありませんでした」

「別にどうだって良いがね。用がそれだけならもう帰ってくれたまえ」

 

 こちらを見もせずに言い放たれる言葉に、シスネの頭に容易に血が上った。だが勿論ここで怒り散らしたりすれば全て水の泡だ。唇を噛み、手を握りこんで怒りを抑える。

 

「……っ、あなたに、お聞きしたい、ことがあります」

「あぁ、どこぞの“騎士殺し”にまた殺されかけた元騎士のことかい?」

「――――」

 

 気が遠くなりそうな怒りだった。頭が真っ白に、目の前が真っ赤になる程の怒り。誰にも触れられたくない傷痕を無遠慮に抉られたような激情に、足元すらふらついてくる。

 だがそれでもシスネは耐えなければならない。

 

「――そう、です。彼が、ど、どこに行ったのか、おしえては、くださいませんか」

 

 シスネは膝を折った。

 一度だけだ。こんな男に頭を下げるのは、この一度だけ。二度だなんてとても耐えられない。

 だからシスネは膝を折り、汚れた床に跪いた。一度だけだから、この上なく頭を下げる。もう二度と下げなくて済むように。

 

「おね、がい……します……っ!」

 

 両膝も、両手も、額まで床で汚しながらシスネはアルバットに懇願した。なけなしの自尊心がボロボロと剥がれ落ちていくような屈辱に叫び出してしまいそう。噛みしめた唇から血の味が鮮烈に広がった。

 

 

 

 シスネにとっては耐え難いほど長い時間が過ぎ、頭の近くで靴音と「これだから聖女は」という呟きが聞こえ、シスネの首に縄でもかけられたかのような感触が食い込んだ。

 

「ぐえっ!?」

 

 喉に装束の襟刳(えりぐ)りが食い込む感触と浮遊感。一瞬で直立の体勢にされたシスネの両足が床に着くと同時にその手は離れ、目の前には意外な程に大きなアルバットの影があった。襟を掴まれて持ち上げられたのだと遅れて気付く。

 髭に埋もれた口を不機嫌そうに歪めながら、アルバットは呆れた口調で口を開いた。

 

「知らないね、奴がどこに行ったかなんて」

「っ!」

「でもまあ考えそうなことは分かるよ。おおかた聖都にでも行ったんだろうさ」

 

 跪いて懇願までしたというのに手がかりが掴めなければ、それこそシスネは自分が何をするか分からなかった。だが幸いにもそうはならなかったらしい。

 

「諦めが早そうで諦めの悪い男だからね」

「聖都に行って、聖女たちに片っ端から“見合い”を申し込むつもりなのか」

「それとも……」

 

 何を考えたのか、チュイイと長さを変えるアルバットの眼。だがシスネはもうその言葉をほとんど聞き流していた。

 聖都グリフォネア。レーベンはおそらくそこに向かったのだ。

 

「ありがとう、ございます」

 

 一応は謝意を伝え、もう用は済んだと出口へ向かおうとしたシスネの顔めがけて何かが飛んできた。

 

「痛った!?」

「掃除していたらまた出てきたよ。もうゴミだから持っていくと良いさ。……あと、これも」

 

 結構な重さと固さを持つ何かが額にあたって悲鳴をあげたシスネの手に、ずしりとした紙箱が落ちてくる。それは銃の弾薬で、それにしては異様な重さから大短銃の弾だとすぐに気付き、更に袋もひとつ。ジャラリとした重い感触。硬貨だ。

 

「弁償代だって置いていったけどね。随分と多かったからその釣りだよ。もし会ったら渡しておいてくれ」

 

 それで今度こそ用は済んだのか、アルバットはシスネに興味を失くしたように作業を再開した。台座に置かれた銀色の剣のような物を弄り回しているアルバットに背を向け、シスネもまた出口へ向かう。

 お互い、それ以上の言葉は何も無かった。

 

 

 ◇

 

 

「失礼します」

「ううぇあぁっと!? って、アンタは……」

 

 教会内の馬車の待合所。そこであの小汚い顔をした御者を見つけたシスネは有無を言わせず馬車に乗り込んだ。

 御者の手には奇妙な機械――写銀器が握られており、更に何枚かの写銀を慌てた様子で懐に仕舞った。どうやら突然乗ってきたシスネに驚いただけではないらしい。何かしら後ろ暗いことでもしていたのだろうが、それも今はどうだって良いこと。

 

「聖都まで」

 

 ただそれだけを言い放って、アルバットから渡された硬貨の袋をそのまま投げ渡す。元はレーベンの物らしいが、使わせてもらうことにした。言うことを言ったシスネは座席に腰を下ろす。だが御者は向かいの座席から動こうとしなかった。

 

「……生憎ですけどね、これじゃあ足りねえんですわ」

 

 聞いてもいないのに喋ることには、この御者はつい先日にも聖都に行き、そして昨晩に帰ってきたばかりなのだという。ポエニスから聖都グリフォネアには、不休で馬車を走らせても丸一日かかる。そう何日も教会の馬車を私物化していては誤魔化しきれない――などと個性的な顔を更に歪めながら愚痴る御者に対して徐々にシスネは苛立ち始めていたが、その言葉のある一点にはたと気付く。

 

「あなたが聖都に乗せていったのは、誰ですか」

 

 それはきっとレーベンのことなのだろう。彼が除名されてすぐに聖都に向かったのだとすれば日数も一致する。確信を深めたシスネはもうすぐにでも出発したかったが、やはり御者は動いてくれない。

 

「だから足りねえって言ってるでしょうが。それとも何ですかい? 残りは体で払ってくれるとでも――」

 

 もう限界だった。舌打ちをひとつ叩き、御者の手を取って胸元へと押し当ててやる。脇腹の次ぐらいには敏感な部位に触れられる感触に悪寒が全身を駆け巡るが、無視してシスネは間近から御者を睨みつけた。

 

「っ、これで満足ですか。さっさと出してください」

 

 声の震えはなんとか抑えられた。御者はポカンと口を開けていたが、やがてあのニヤついた笑みではなく、ひどく獰猛な笑みを顔に浮かべた。鼠が蛇に変わったような、そんな変化。

 ギリ、と。胸に爪を立てられる。悲鳴はなんとか堪えた。

 

「後悔するぜ」

「あの騎士擬きはいつも死んだ目をしていたがね、あの日は格別だった」

「そんなにアレが死に腐る様を見てえってんなら連れていってやるよ」

「なあ? “騎士殺し”さんよ」

 

 毒蛇を彷彿とさせる嘲笑を睨み返し、胸を掴んだままの手を叩き払う。くつくつと喉を鳴らしながら御者台へと向かう背中を見送ってから、シスネは座席へ深く腰を下ろした。

 ジンジンと痛む胸を押さえると、早鐘を打つような鼓動を感じる。だというのに、その胸は底冷えするような寒気を感じていた。

 

「なにを、しているの」

 

 レーベンはなぜ聖都へ向かったのか。聖都で何をするつもりなのか。そしてシスネは、聖都で彼に何を言うつもりなのか。

 何を考える間もなくレーベンを探し、そして今から後を追おうとしている。何の答えも出せないままで、馬車はシスネを乗せて動き出してしまった。

 

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