魔女狩り聖女   作:甲乙

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最低の再会

『はじめまして』

 

 初めて会ったその人は、英雄譚から飛び出してきたような騎士だった。

 朝焼けを封じたような金の髪も、シルト海を切り取ったような青い目も、彫刻のように端正な顔立ちも、ずっと聞いていたいほど心地よい声も、何もかもが一瞬でシスネの心を奪い去っていった。

 

『僕はレグルスと言います。貴女は?』

 

 目も合わせられないほど恥ずかしいのに、目も離せないほど魅了されて。燃えだしそうな顔の熱さを感じながら、なんとか名前を言えたと思う。その後も、その人――レグルスといくつかの話をして、でもその内容はまるで覚えていない。このまま胸が破裂するんじゃないかと不安になるほどの鼓動で何も聞こえてはいなかったから。

 ただ。

 

『僕を、貴女の騎士にしてはくれないだろうか』

 

 ただ、レグルスのその言葉だけが、ふわふわとしていた頭に響いて。

 

『僕の、聖女となってはくれないだろうか』

 

 もう何も考えられないまま、わたしはその手をとった。

 

 

 ◇

 

 

「着いたぜ、聖女さんよ」

 

 忌々しい悪夢から目覚めると、忌々しい御者がニタニタとシスネを見下ろしていた。形だけの謝意を伝えながら荷台を降りると、「毎度あり」と嘲笑まじりの声と共に馬車は元の道を帰っていく。

 ポエニスから二人だけで馬車に揺られること丸一日。体を要求されるぐらいの覚悟はしていたが、予想に反して御者は触れてもこなかった。こんな痩せた体には食指も動かなかったのか、あるいは――。

 

『そんなにアレが死に腐る様を見てえってんなら連れていってやるよ』

 

 あるいは、シスネをここに連れてくること自体に愉しみでも覚えていたのか。あの卑屈な顔に隠されていた毒蛇のような笑みに、シスネはたしかな「同類」のにおいを感じ取っていた。

 

「穢い……」

 

 もうお決まりになった言葉を呟けば、吐いたはずの汚物が肚の底へ戻っていくような錯覚を覚える。そうやって鬱々と、三年間、シスネの穢れはシスネへと降り積もっていったのだ。

 あの夜、カーリヤと話していた時は自分の穢さも忘れられた。その後も、ほんの少しだけ自分の穢さを受け入れられた気がしていた。謹慎が解けるのが待ち遠しく、彼に会うことを楽しみにすら思っていた。

 でも結局はこの様だ。カーリヤにもライアーにもレーベンにも会えず、騎士長に、アルバットに、御者に、まるで自分の穢さを突きつけられたようで。

 

「どこに、いるの」

 

 だから、はやくレーベンに会いたかった。いやレーベンではなくても、誰でも良かったのかもしれない。自分の穢さを少しでも忘れさせてくれるのなら、誰でも。

 そんな自分が、シスネは好きになれそうもなかった。

 

 

 ◇

 

 

 久しぶりに足を踏み入れた聖都は、記憶の中と何も変わってはいなかった。そもそもシスネがポエニスへと異動になってから小半年と経ってはいないのだから、これほど大きな街がそうそう変わるはずもない。

 どこまでも広がるシルト海も、潮の匂いを孕んだ空気も、遠くに霞んで見える大聖堂も、整然とした街並みも、その間を走る水路も、そこを行き交う人々も……その人たちから浴びせられる視線も。

 

 ――大丈夫。気のせい、気のせいだから

 

 必死に、そう言い聞かせながら街道を歩く。

 シスネは視線が苦手だ。子供の頃からそうだったが、三年前からは特にそうだ。今すれ違った男性が振り向いた気がする、あそこで笑っている女性はシスネを見ている気がする、今にも、そこら中の人たちが一斉にシスネを指さして「騎士殺しだ」と、そう罵声と嘲笑を浴びせてくる気がして。

 だから、聖都にいた頃もほとんど街は出歩かなかった。大聖堂の中の自室と、魔女が出た場所を往復するだけの日々。生家にだって一度も帰らなかった。ポエニスへと移ってから多少はマシになったが、今度はシスネの白髪がひどく目立ったものだからやはり街に出向く気にはならなかった。

 

「……っ、ぅ」

 

 四方八方から浴びせられる視線の錯覚に吐き気を覚え、街道を外れて路地裏へと入る。水路の脇に屈んで嘔吐(えず)くも、喉からは何も出てこなかった。そういえば、ここ数日はろくに何も口にしていない。

 さらさらと水路を流れる透明な水を眺めて心を落ち着ける。水面の底から見返すように、見飽きた白髪の女が映っていた。

 子供の頃はこの白髪が嫌いだった。老婆みたいだと他の子供から馬鹿にされたから。少女になった頃は好きになっていた。「白髪の聖女は良い聖女だ」と聞いて、聖女へ憧れていたから。聖女になってからも誇らしかった。そして今は大嫌いだ。シスネにはきっと相応しくないから。

 小橋の手摺に凭れながら路地裏のゴミ置き場を眺める。二羽の(カラス)が、生ゴミか光物を啄んでいた。いっそあんな色だったら良かったのに。白とは正反対の、真っ黒な。そう、彼みたいな。

 

「……?」

 

 反対側の道から、人の声が聞こえた。どこも人の多い聖都は静寂なんていう物とは無縁だというのに、何故かシスネの耳へと引っかかる声。その声に、ひどく懐かしさを覚えた。

 ふらふらと薄暗い路地裏を歩き、建物の隙間から差し込む光に導かれるように進み、そして。

 

 

「「あ」」

 

 

 目が合う。

 街道へ出たシスネのちょうど足元に、小汚い男が座り込んでいた。

 泥か何かに汚れた靴と平服。ボロ布のような黒い外套。細く引き絞られた身体つき。特徴に欠けた顔立ち。灰色の左目と漆黒の髪。そして包帯に覆われた右目と、存在しない右腕。

 

「――――レ」

 

 ちゃりん。

 胸の内から湧き上がってきた感情の名前をシスネが自覚する前に、ひどく場違いな音を聞いた。

 

「誠に感謝する」

 

 足元の男――レーベンが、歩き去る誰かに頭を下げていた。彼の足元にはひび割れたスープ皿。その中には赤銅色の貨幣、つまりは銅貨が数枚。更に視線をずらせば、廃材らしい木板に炭で書かれたのであろう文字。

 

【私は五年間 騎士として教会に勤めました】

 

 シスネは、彼とその荷物の全てを路地裏に放り込んだ。

 

 

 ◆

 

 

 ドォンッ! ……と、そんな音がレーベンの耳元から響く。音の原因は建物の壁を突き破らんばかりに叩きつけられた白い両手であり、その持ち主はレーベンの眼前で項垂れ、ぶるぶると震えていた。

 つまるところレーベンは、突然に現れた白髪の女――シスネに路地裏へと連れ込まれ、建物と彼女との間に挟まれていた。頭の左右には彼女の両腕、目の前には彼女自身が壁となって立ち塞がり、逃げ場は無い。

 

「……あ、あ、あなたという人は……あなたという人は……っ!」

 

 項垂れたままのシスネから、おどろおどろしい程に低い声が聞こえてくる。はっきり言って逃げ出したい。

 

「い……い、いっ、いったい何をして、何をしているのですかぁっ!?」

 

 未だ顔は見えないが、白髪から覗く耳と首筋は真っ赤に染まっており、その体も声も震え続けている。もはや爆発するのは時間の問題、否もはや手遅れか。

 

「あ、あんな! まるで、物乞いみたいな……っ」

 

 みたい、ではなく物乞いそのものである。レーベンとて気は進まなかったが、もはや形振り構う余裕も選ぶ手段もありはしなかったのだ。ちょうどそこのゴミ置き場で、器にする皿と看板の材料を拾えたことは運が良かったとレーベンは思う。

 

「何とか言ったらどうですかっ! 何とか言いなさい!」

「……なんとか」

「言うと思いましたよ! えぇ言うと思いましたともっ!」

 

 キンキンと間近で響く金切り声は路地裏で反響し、色々な意味で耳が痛くなってくる。やっと見られた彼女の顔はやはり真っ赤に染まっていて、黒い瞳は涙で潤んですらいた。叫び疲れたのかぜえぜえと息を吐いているシスネの姿がやけに可笑しくて、レーベンはかすかに笑う。

 

「何がおかしいのですかっ!」

 

 そんなレーベンの態度に業を煮やしたのか、シスネが足元のゴミを蹴飛ばす。それでも平手のひとつも飛んでこなかったのは、無意識にレーベンの怪我を慮っていたのだろうか。なんだかんだといって性根は優しいのであろう彼女の慈悲深さに――。

 

「そこに座りなさい」

 

 怒りが裏返った末に笑いを含んだ、本気で怒った彼女特有の声。無慈悲な声と無慈悲な視線で、無慈悲なシスネは汚れた地面を指さした。……やはり気のせいだったらしい。

 

 

 

 どれぐらい経ったのか。散乱したゴミの中で正座させられたレーベンへの説教はこんこんと続き、木箱の上で腕と脚を組んで座るシスネの黒い瞳は未だギラギラと輝いている。怪我人に対する仕打ちではないと思うが、彼女の怒りはまだ収まらないらしい。レーベンは遠い目で諦めた。

 

「もう本当に恥ずかしくて死ぬかと思いましたよ、えぇ」

「誠に、」

「は?」

「……()()()にも恥をかかせたようで申し訳ない」

「……え?」

 

 過去に散々咎められた定型句を言い直すと、組み替えようとしていたらしい彼女の足がぴたりと止まり、何故か虚をつかれたような顔をレーベンへと向けてくる。なんだかよく分からないが好機であった。

 

「すまないが荷物を返してくれないか。右手が痛むんだ」

「あ……っ」

 

 そう言うと、シスネは目に見えて狼狽えた。慌てた様子で鞄を開けると、鏡を持ってレーベンの前に屈む。そこまでしなくとも渡してくれるだけで良かったのだが。

 鏡に映った左腕を眺め、右腕の痛みが引くのを待つ。相変わらず安あがりで良い方法だった。

 

「たいしたものだ。こんな方法どうやって知ったんだ?」

「あ、これは、祖父から……」

()()()とご祖父にも感謝しきれないな、これを教えてくれなければ歩けもしなかった」

「え、あ、……あのっ」

 

 何故か急に歯切れの悪くなったシスネがまた上擦った声をあげる。左目を向けると、怯んだように目を逸らされた。そして、躊躇いがちに口を開く。

 

「その、さっきから、“あなた”って……」

「……あぁ」

 

 何を言い出すのかと思えば、ひどく些細なことだった。レーベンの口調が気になっていたらしい。

 

「もう、騎士じゃないからな」

「…………」

 

 鏡に映るレーベンを見ながら答えると、シスネは何も言わなかった。言わなかったが、鏡を持つ白い手がぎりと音を鳴らす。視線を上げると、彼女はひどく――なんとも言えない表情をしていた。怒っているような、泣き出しそうな、失望したような、そんな表情。

 その顔を直視できなくて、レーベンは適当に話題を振った。

 

「そういえば久しぶりだな。聖都(ここ)には何をしに来たんだ?」

 

 先程から気になってはいたのだ。シスネはおそらく謹慎が解けてすぐに聖都に来たのだろうが、いったい何の用事があるのだろうか。仕事であればポエニスからわざわざ聖都へ人が派遣される訳もなく、そうでなければ私用か。よく考えれば彼女は聖都の生まれなのだから、魔女がいない内に里帰りでも――。

 みしり、と。鏡が軋む音が響いた。

 

「……本気で言っています?」

「お、おう?」

 

 シスネの顔にあの複雑な表情は無かった。代わりにあったのは分かりやすい怒りの顔だ。どうもまた逆鱗に触れてしまったらしいが、いったい何が駄目だったのかまるで分からない。心の機微に疎い自覚はあるが、彼女の気難しさも大概だとレーベンは思う。

 

「あなたを! 探しに来たに決まっているでしょう!」

 

 ついさっきのしおらしい様子はどこにいったのか、手にした鏡をバンバンと叩きながらシスネが喚く。今や大事な鏡なのだから割らないでほしい。元は彼女の物ではあるのだが。

 なんにせよ、ひどく気になる発言ではあった。自然と首を傾げながら、レーベンは尋ねる。

 

「何故だ?」

「……え?」

「何故、あなたが俺を?」

 

 シスネがまた一気に落ち着いた。忙しい女である。

 それは確かなレーベンの疑問だ。そもそもシスネは最初からレーベンを拒絶しており、更に己はもう騎士ですらない。嫌いな相手、それも既に縁も切れたと言って良い相手をなぜ追ってきたというのか?

 

「なんでって……」

 

 シスネは答えない。右へ左へと泳ぐ黒い瞳を左目で追っていると、不意に目が合う。目が合って、何故か白い顔を真っ赤に染め上げた。

 

「――言えるわけないでしょう! そんなことっ!」

「えぇ……」

 

 また逆上したように喚くシスネにさすがのレーベンも閉口する。本人にも言えないような理由でレーベンは追ってこられたというのか。過去に何か彼女にしでかしてしまったのか、心当たりはまるで――あるような無いような。

 

「というか、あなたこそ私に何か言うことがあるでしょう!?」

 

 胸に手を当てながら、身を乗り出すようにシスネが言う。そんな彼女の剣幕にレーベンは怯みながらも言葉に詰まる。言うことが無いわけではない。むしろ有りすぎるのだ。

 レーベンが最後に彼女と会ったのはもう十四日も前、ノール村へと続く街道で破戒魔女と対峙していた時まで遡る。あの雨の中での魔女狩りはレーベンの中で消えようもない記憶の一つだ。

 恐るべき破戒魔女を前にしてレーベンはシスネを連れて逃げ出し、他ならぬ彼女がそれを止めた。彼女の言葉に賭け、生死の一線を超えるように二人で戦いを挑んだ。その死闘の果てに結局は敗れ、聖女ではないことを明かしたシスネ。ひとり死に向かおうとした彼女を止め、代わりのようにひとり死に向かったレーベン。

 あれで己は死んだと思っていた。ようやく終わったと思っていた。今思えばそこまで悪くはない死に方だったかもしれない。

 だがレーベンは生きていた。誰であろうシスネがレーベンを生かした。生きてはいたが、結局はこの様だ。死ぬよりはマシだったのか、死んだ方がマシだったのか。レーベンにはもう分からない。

 だが確かなのは、もう会うことはないはずだったシスネが、今こうして目の前にいるということ。

 

「あぁ、その、なんだ」

 

 渇いた喉から掠れた声で絞り出すと、シスネの黒い瞳が痛いほどに見つめてくる。何かを恐れるような、期待するような、そんな目で。吸い込まれそうなほど黒く、強く輝く瞳。

 

『シスネって結構アレだぞ? お前のこと罵倒してる時とか、結構楽しそうだからな?』

 

 不意に思い出した友人の言葉。そういえば突然に現れたからというものシスネはほとんど叫びっぱなしで、その表情も目まぐるしく変わっている。それは随分と――。

 

「元気そうで何よりだ」

 

 思うままに口にしたその言葉はひどく無難で。だがそれを聞いたシスネがまたひどく複雑な顔をしたものだから、レーベンはまた笑った。

 

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