魔女狩り聖女   作:甲乙

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末期をかたる

 カエルム教国の女神信仰は清貧を旨としている。その為、信仰の中心となる教会にも華美な装飾などは無く、それは大聖堂であっても例外ではない。どこまでも灰色の、石の色が続いた広大な空間。名の無い女神には偶像もまた無く、建ち並ぶ柱の所々に刻まれた精緻な彫刻だけがこの聖堂に許された唯一の装飾だ。

 壁際の椅子に座りながらその彫刻を眺めていたシスネは友人の派手な装飾銃を思い出し、かすかに頬を緩める。緩めてすぐ、また感じた視線に表情を正した。

 

 ――落ち着いて、落ち着いて

 ――大丈夫、大丈夫

 

 ともすれば痛みだしそうな腹に両手を当てて少しでも温める。目を伏せて何も見ないようにする。心の中で落ち着け大丈夫だと何度も唱え、浴びせられる視線に耐える。街の中では錯覚だと思うことができた。あるいは本当に錯覚だったかもしれないが、この大聖堂の中は違う。今もそこかしこから、聖女たちが、騎士たちが、職員たちがシスネに視線を向けている。その半分は好奇の視線で、そしてもう半分はとても嫌な視線だ。

 

 ――大丈夫、だいじょうぶ

 

 自分がこんな視線に晒されることに不満は無い。シスネはそれだけの事をしてしまったのだから。

 

『騎士殺しめ……っ』

 

 ついさっき会ったエイビスの言葉が耳から離れない。三年前から今に至るまで、彼女から詰られたことも殴られたことももう何度もあるが、未だに慣れることはない。慣れることなどあってはならないし、許されるべきでもないのだとシスネは思っている。すべては因果応報。何もかも身から出た錆。シスネレインという、この穢い女には相応な扱いなのだ。

 でも、それでも。

 

「……っ」

 

 何処からか、クスクスと笑う声が聞こえた。それがシスネを嗤っているように聞こえて、水ぐらいしか入っていないはずの胃が中身を逆流させようとする。腹と口を押さえて吐き気を堪えながら、固く目を閉じる。でも耳だけは働くことを止めてくれない。

 騎士殺しだ、騎士殺しが帰ってきたぞと、聞こえてきたその声が幻聴だったのかどうかシスネにはもう分からない。そんなことを言われるのも、そんな目で見られるのも当然のこと。そう納得してはいても、それに耐えられのかはまったく別の話で。シスネにはもう耐えられそうも――。

 

 

「待たせた」

 

 

 幻聴でないその声は、思いのほか近い位置から聞こえた。さっと身を起こして視線を上げると、霞んでいた視界に見慣れた黒髪が映る。

 

「大丈夫か?」

 

 彼の――レーベンの右目は包帯に覆われているが、それでもその顔がシスネを心配していることがはっきりと分かる。他の人たち、カーリヤやライアーでさえも彼の表情は分からないと言うが、シスネには手に取るように分かる。こんなに分かりやすい人なのだから。

 

「……何がですか」

「いや、腹を押さえていたから」

 

 反射的に険のある口調で返してやる。彼は気にした様子もなく「腹が減ったのか?」と冗談なのか本気なのか分からないことまで言ってきた。顔を見れば本気のよう。確かにシスネはもう二日ほど碌に食べていないが、元より少食な上に今は食欲など欠片も無い。

 ……と、そこで目の前の馬鹿が鎮痛剤を食料にしていたことを思い出す。薬には用量と用法があるのだとあれほど言って聞かせたというのに、まったく本当にこの馬鹿は!

 

「ご心配なく。誰かさんのように薬を食べる程ではありませんから」

「怒らないと言ったじゃないか……」

「何か言いましたか?」

 

 小声で愚痴りながら隣に腰掛けてきたレーベンの脇腹を小突いてやるが、固い筋肉の感触だけでまるで動じない。もしシスネが同じことをされればきっと飛び上がってしまうだろうに、不公平だと思う。

 

「薬を食べ物にするだなんて馬鹿な真似をする馬鹿は初めて見ましたよ、この馬鹿」

「そろそろ勘弁してくれないか」

「本当に馬鹿。このばーか」

「子供か……」

 

 本当に子供じみたシスネの罵声に対しても、レーベンは本気で落ち込んだような顔をしてくる。それがやけに可笑しくて、シスネはかすかに頬を緩めた。

 

「あぁ、そうだ」

 

 子供で思い出したのか、レーベンがあの少女――ミラと偶然に出会った話を始めた。

 ミラが市井の孤児院に移っていたということはシスネも初耳だったが、そこでも逞しく過ごしているようで安心する。そしていつか医療者になり、魔女禍も根絶したいという少女の夢。おそらく叶わないであろうその夢は、シスネにはひどく眩しい。

 

「……なれると良いですね」

「あの子の夢が本当に叶えば、聖女も騎士もいらなくなるが」

「結構なことではないですか」

「違いない」

 

 皮肉げにそう言って、二人で乾いた笑いを漏らす。シスネもレーベンも、もう聖女と騎士ではないのだから言いたい放題であった。こんなことが上位職員の耳にでも入れば懲罰ものだろう。

 

「それで、あなたは何と答えたのですか」

 

「何がしたい」という、かつてシスネがミラに投げかけた問い。それを今度はミラがレーベンに問うた。その答えをシスネは知りたい。無遠慮だと思う。踏み込みすぎだと、自分のことは碌に話さないまま何様のつもりだと思う。それでもどうしても知りたかった。それはきっと、彼が今こうして聖都に来た理由に違いないのだから。

 レーベンはなかなか答えてくれなかった。それなりに長い沈黙の後に彼は、

 

「秘密だ」

「……はぁ?」

 

 勿体ぶっておいてそれかと、シスネは呆れと怒りを同時に抱く。だが彼の横顔は今まで見たことがないほど真剣でもあった。

 

「秘密だが、このままじゃ叶わないことは確かだ」

「このままじゃあ、絶対に」

「だから俺はここに来た」

 

 それは答えにはなっていないように聞こえたが、同時に答えだったのだろう。それ程にレーベンの声は固く、何か得体の知れない覚悟を抱いているような声だったから。

 

「ここに、聖女長に会いに来たんだ」

「聖女長……」

 

 呆然とした言葉がシスネの唇から零れる。

 イグリット聖女長。最近まで聖都にいたシスネは当然その名前も知っており、会ったことだってある。教皇にも並ぶ権限を持つ聖女長に対して何を願う気なのだろうか。だが彼女は……。

 

「謁見を申し込んでいたのはその為ですか。……でもその、あの方は、あなたが思っているような人では」

「聖性の扱いについては凄腕だと聞いている」

「それは、そうですが」

「ならいい」

 

 そう言ってレーベンは会話を打ち切ってしまう。隣に座る彼を見るも、左目はもうシスネを見てはいなかった。そのどこか拒絶的な態度に胸騒ぎを覚える。

 

「……レ」

「そういえばな」

 

 再び声をかけようとした矢先、レーベンに言葉を遮られた。あからさまなそれに苛立ちを感じ、思わず口を挟もうとするも彼は更に言葉を続ける。

 

「ライアー達が結婚するらしい」

「そうですか。それよりも話はまだ…………へ?」

 

 自分でも間抜けな声だったと思う。だがそれだけ衝撃的な内容だったのだ。

 

「ラ、え、だ……っ、誰とですかっ」

「カーリヤに決まっているだろう」

「え、あ、はあ、いやそれは分かっていますけれどもっ」

 

 付き合いの短いシスネであっても、カーリヤ達がそういう仲であることはとっくに分かっていた。分かってはいたが……。

 その後もレーベンは、ライアーが聖都に家を建てる為にずっと倹約していたことや、今まさに行われている魔女の捜索が二人の最後の仕事となること、それが終わって初めて結婚を申し込む予定になっていることなど、ずいぶんと詳しく語ってくれた。そんな大事なことを何故カーリヤは教えてくれなかったのかと内心で憤慨していたシスネは、ホッと密かに胸をなでおろす。彼女も知らなかったのであれば仕方ない。……同時に、嫉妬と寂しさを覚えている自分の穢さを自覚した。

 

「喜ばしいことですけど……寂しくなりますね」

 

 口をついて出てきた言葉は、自分でも意外なほど弱々しかった。

 思えば、シスネがポエニスに行ってからの短い間にずいぶんと親しい人たちが増えた。カーリヤにマリナ、彼女らが仲を取り持ってくれた他の聖女たち、ライアーもロビンも、他の騎士たちも、そして……。

 

「そう、だな」

 

 だがその人たちは、皆いなくなるのだ。カーリヤとライアーはポエニスを去る。マリナとロビンは死んでしまった。他の聖女と騎士たちとだって、シスネ一人でこれまでのように良い関係でいられる自信は無い。

 そして、レーベンは。

 

「これは、俺の口から言うべき事じゃないかもしれないが」

 

 左目を石床に落としながらレーベンが語る。

 

「ライアーの家族を殺した魔女は……カーリヤの母親だったそうだ」

「え……っ」

 

 それは、よくある話だった。魔女禍と共に生きていくしかない教国では、本当によくある悲劇。魔女が生まれる原因が解明されない以上は、いつどこで誰が魔女になっても不思議ではない。同郷の出身だというあの二人が幼い頃からの近しい仲だったのなら、それも充分にありえる話なのだ。

 

「だから、俺が子供の頃に会った二人はいつも喧嘩していた」

「喧嘩といっても、ライアーが彼女を拒絶しているだけだったが」

「きっとそれも無理のないことなんだろう」

 

「俺には分からないが」とレーベンが続ける。彼が孤児で、家族というものを知らないという話はシスネも忘れてはいない。シスネだって家族は知っていても、その家族を魔女に奪われる悲しさまでは知らない。そういう、自分はこの国ではひどく幸運な人間なのだから。

 だが想像することはできる。昨日まで、ついさっきまで家族だった女が魔女に変わってしまう。そして友人を、その家族を襲う。あるいは襲われる。そんなこと、きっとシスネは耐えられない。

 

 ――カーリヤ……

 

 カーリヤも、ライアーも、いったいどれだけ悲しかっただろう。苦しかっただろう。まだ幼かった彼の悲しみと憎しみは、きっと遺されたカーリヤに向いてしまったのだ。それを誰が責められるというのか。そしてカーリヤもまた、その全てを自分のせいだと思い込んでしまった。

 友人とその親友の境遇を思い、悲痛な思いでいたシスネの耳に、どこか笑いを含んだような声が響く。

 

「だがまあ、今はもうあの調子だろう?」

「え? ……あぁ、はい」

 

 シスネは意味も無く高い天井を見上げた。きっと遠い目になっていただろう。

 あの日、ポエニスの食堂でシスネが最初に抱いた印象は「変な人たち」だった。カーリヤはその輝くような美貌に目を奪われ、そしてあられもない改造装束に本当は聖女ではなく娼婦か何かなのではないかと本気で疑ったことを覚えている。……あと、あの豊麗な肢体は不公平だとも。

 ライアーは聖都の騎士たちとは比べものにならないぐらい逞しい体型をしていて、騎士長ほどでなくともその大きな身体に恐怖を覚えていた。でも彼はとても紳士的で控えめで、むしろ破天荒なカーリヤに振り回されていることの方が多くて意外に思ったことを覚えている。

 レーベンは……。

 なんにせよ彼ら三人の仲は良く、暗く悲痛な過去など微塵も感じさせない。

 

「つまり、何が言いたいかというとだな」

 

 そのレーベンは、言葉を選ぶようにして左手で黒髪を掻いている。どこか必死なその姿を見ていると胸のあたりに擽ったさを覚え、気が付けばシスネはその手をそっと掴んでいた。

 

「つまり、何ですか」

「……つまり、」

 

 手を掴んで催促してやると、すっと息を吸った音の後で彼が顔をあげた。灰色の左目が、いつになくまっすぐシスネの瞳を捉える。

 

「あなたも、あのエイビスという騎士と和解できる日が来るかもしれないと……そう言いたかった」

「――」

 

 シスネの頭に、在りし日の光景が過った。

 

 

 

『紹介するよ。この子は、』

『え、エ、エイビスといいますっ! あ、兄がいつもお、お世話に!』

『うん、まずは落ち着こうか』

 

『シスネレインさん、その……ひとつ、相談したいことが』

『……え? い、いいんですか?』

『では、よろしくお願いします、シスネ……さん』

 

『はい……わたし、決めたんです』

『聖女にはなれなくても、皆を魔女から守ることはできますから』

『わたしは、騎士になります!』

 

 

 

『なんで……なんで……』

『なんで、兄さんを殺したの……?』

『答えろっ!』

 

『お前のどこが聖女だ……!』

『穢い……! 穢らわしい女め!』

『この――騎士殺しがっ!』

 

 

 

 みしりと、レーベンの左手が軋んだ気がした。いつの間にか握りしめていたレーベンの左手から手を放すも、彼は何も言わない。呼吸を忘れていた肺腑に荒く空気を送り込むシスネをただじっと眺めていた。

 

「できると、思いますか」

 

 やがて整えられた息で、静かに呟く。こんな言い方は卑怯だと分かっていても言わずにはいられない。だがレーベンの返事も大概だった。

 

「……できると良いな」

「なんですかそれ」

 

 無責任な言葉にまた脇腹を小突いてやる。でもやっぱり身じろぎ一つしてくれなくてつまらない。だが結局これはシスネとエイビスの問題なのだ。レーベンにどうこう期待することではない。

 もう一度レーベンの左手をとる。赤い手形の跡を指先でなぞった。

 

「できると、良いなぁ……」

 

 許されるべきではないと思っていても、やっぱり許されたいと思う。ならシスネがどうにかしなければならないのに、そうする勇気もない。

 そんな自分は本当に、弱くてどうしようもなくて、そして穢い女だった。

 

 

 ◇

 

 

「お待たせしました。ご案内します」

 

 一時間ほどは待っただろうか。大聖堂の職員がレーベンの前に現れ、謁見室まで案内される。シスネも彼の手を引きながらそれに続いた。

 大聖堂の中は広く、シスネも行ったことのない場所は多い。謁見室もその一つだ。石造りの通路は長く、飾り気もないため風景の変化に乏しい。無限に続く回廊にでも迷い込んだ気分だったが、時折すれ違う市民や職員、または聖女と騎士が、ここが現実の建物であることを教えてくれた。彼等の多くはシスネに視線を向けてくるが、そのシスネに手を引かれるレーベンの方も気になるようだった。

 聖都では珍しい黒髪に、ボロボロの黒い外套。右目に巻かれた包帯といい、どこか不吉な印象を与えているのかもしれない。せめて外套を脱げばマシになるかもしれないが、そうすると今度は存在しない右腕が注目されるだろう。彼は視線を気にしているのかしていないのか、その左目はただ前だけを見ていた。

 

「こちらです」

 

 やがて辿りついたのは、何の変哲もない扉の前だった。今までいくつも並んでいた他の部屋の扉とまったく同じ。ただ「謁見室」と、簡素な札が貼られているだけ。

 レーベンが左手を扉にかけ、だが開くことなく止まった。そのまま何故かシスネの前に戻ってくる。

 

「持っていてくれ」

 

 レーベンが首にかけられていた細い鎖を引っ張り出す。その先には銀色の指輪が二つ通されていた。誰の何の指輪かなど聞くまでもない。言われるままにシスネは鎖を外し、二つの指輪を手に握る。

 

「……」

 

 その時、レーベンの左目に安堵の影が掠めたことをシスネは見逃さなかった。

 自分でも分からない焦燥と衝動が湧き上がり、気が付けばまた彼の左手を掴んでいる。

 灰色の左目がシスネと交差した。

 

「私も、一緒に行きます」

 

 

 

 背後で扉が閉められる。

 薄く小さな扉であるはずなのに、まるで鉄の城門が閉ざされたような幻聴をシスネは聞いた。

 

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