魔女狩り聖女   作:甲乙

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聖女たちの長

 そこは謁見の間と呼ぶには簡素に過ぎた。決して広くはない部屋だというのに、あまりにも物が少ないせいで寒々しい程に広く感じる。ただ、正面の壁織物(タペストリー)に描かれた教会の紋章だけがこの部屋に彩りを沿えていた。

 交差した二本の赤い剣。それを限界まで簡略化した、長短二対の直線だけで構成された紋章こそが教会の象徴だ。二本の剣が示す物は勿論、聖女と騎士である。その紋章の下で数名の人影がシスネ達を迎えていた。

 

「あら、懐かしい顔が」

 

 久しぶりに聞いた、記憶の中のままに涼やかな声。護衛らしき二組の聖女と騎士が無言で控える中に、その声の主がいた。

 この部屋には玉座どころか椅子の一つも無いが、その人物だけが椅子――簡素な車椅子に悠然と腰掛けている。

 清貧を現す灰色の装束。その意匠はシスネや周りの聖女が着ている物とは異なるが、それは特別という意味ではなく、ただ古い為に異なるのだ。だがその古装束を纏うのは、長い白髪と氷色の瞳を持った、ひどく若々しい女。

 いや、若々しいという言葉は正しくないかもしれない。人が魚や虫の姿を見ても、それがどれだけの月日を生きた個体なのか判別できないように、年齢というもの自体を感じさせない。そんな異様な風貌の、非人間的な美しさを持つ女だった。

 だがそれすらも彼女の姿を見れば些末事でしかない。

 

「久しいですね、シスネレイン」

 

 キイ、と軋んだ音と共に車椅子が一歩分近付いてくる。彼女自身が車輪を回したのではなく、傍に控えていた聖女が押したのだ。何故なら彼女にはそれができないのだから。

 彼女には左腕が無く、その長いスカートからも左足の靴は覗いていない。なだらかな曲線を描く胸の膨らみですら左右で異なる。左頬を中心として白い顔は無残に爛れており、左端が引きつった唇は歪な笑みを常に浮かべ、白髪から覗く耳も氷色の瞳も左側は欠損していた。まるで、左半身をまるごと削ぎ落されたかのような姿。

 それはシスネも聞いたことのある話だ。

 彼女はかつて聖女として戦い、魔女に捕らえられ、そして生還した。身体の左半分を失うほどの凄惨な拷問に晒されながらも自決せず、助けが来るまでひたすら耐え続けたという。

 それも全ては魔女を狩る為。自決してしまえばもう魔女を狩ることはできない。だから彼女は自決しなかったのだと。その傷をあえて晒すのも魔女の恐ろしさと悍ましさを知らしめる為。彼女のこの姿を一度でも見てしまえば、魔女は狩るべき敵であるとしか思えなくなるのだから。

 

「はい、お久しぶりです。聖女長……」

 

 イグリット聖女長。

 おそらく聖都に住む聖女と騎士たちの、少なくともシスネにとっての恐怖の象徴がそこにいた。

 

「こうして顔を合わせるのはいつぶりでしょう? たしか貴女が騎士レグルスを介錯した時でしたか」

「……っ」

 

 歪な顔に柔らかな微笑を浮かべながら、シスネの心を抉るような言葉を並べる聖女長。だが彼女に一切の悪意が無いことはシスネにも分かっている。レグルスの死もシスネの苦しみも、彼女にとって大した意味は無いのだろうから。

 彼女はそういう人だ。ヴュルガ騎士長が人の心を無慈悲に切り捨てる冷血漢ならば、イグリット聖女長は人の心を無意識に踏みにじる破綻者。騎士長が魔女狩りの為に他の一切を無視することに対し、聖女長は最初から魔女狩りしか見ていない。

 

「活躍は聞いていますよ。旧聖都(ポエニス)へ行かせたことは正解だったようですね」

「貴女の魔女狩りへの執念は素晴らしい」

「魔女の少ない聖都で遊ばせておくには惜しいというものですから」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 称賛に対して形だけ頭を下げて応えるが、当然シスネの心に喜びなど無い。それどころか間接的に貶められたような護衛の聖女と騎士たちから刺すような視線を感じる。彼らとて聖女長が恐ろしいだろうに、だからこそシスネが矛先となってしまったか。

 また痛み始めてきた腹を押さえていると、隣のレーベンが一歩前に出た。

 

「お話のところ申し訳ありませんが、聖女長」

「えぇ、えぇ、忘れてはいませんよ騎士レーベン。いえ、もう騎士ではありませんか」

 

 横目で見たレーベンの左目はただ前を向いており、聖女長の言葉にも動じた様子は見られなかった。沈黙で返すレーベンに対し、聖女長の唇が右端も吊り上がる。充分に美しいと言える右側の微笑と歪み爛れた左側の笑い顔が混在した怪相に、思わずシスネは目を背けそうになった。

 

「貴方のこともよく知っていますよレーベン」

「聖女のいない身でありながら、狩った魔女の数は他の騎士たちと遜色ない」

「あの日、貴方を殺めなくて本当に良かった」

 

「ぇ――」

 

 無意識に口から零れた声を手で押さえ、顔を向けた先のレーベンはやはり動じた様子もなく頭を下げている。聖女長と会ったことがあるのか、あの日とは何なのか、殺めるとはどういうことか。今すぐ問いただしたくなる衝動を堪えながら表情と姿勢を正した。

 シスネもレーベンも傍らの聖女と騎士たちも沈黙を守る中で、何がおかしいのか聖女長だけがころころと笑う。だが声帯にも何らかの異常があるのか、涼やかな声と裏腹にどこか歪な笑い声で。ひとしきり笑った後で聖女長が車椅子に座り直した。

 

「前置きが長くなりましたね。それで、この(わたくし)に何用ですか?」

「率直に申し上げる」

 

 レーベンが更に一歩、前に出る。何故かシスネはそれに手を伸ばしそうになった。

 

 

「今ここで、貴女の聖性を頂きたい」

 

 

 無言のまま、護衛の聖女と騎士たちが驚愕の表情を浮かべた。

「ほう……」と、聖女長がまた歪な微笑を浮かべた。

「ば……!」と、シスネは時と場所も忘れて彼の左手を掴んでいた。

 

 聖女と騎士が共闘の関係を結ぶことを「契り」などと呼ぶが、特にそうした法や契約があるわけでもない。特に市井の人々からは誤解されがちで、聖女と騎士は互いに他の相手とは共闘できないと思われることが多くある。だが実際は聖性の流れが適合さえすれば誰とでも共闘は可能であり、それこそ一人の聖女が複数の騎士に聖性を流すことも理論上は可能なのだ。

 かつて、最初の聖女と騎士たちが魔女と戦った暗黒時代。当時は今と比べものにならない程に聖女も騎士も死者は多く、故に一定の相手と組むことなど非常に稀だったと言われている。何人もの聖女を愛したコルネイユや、聖女を使い捨ての道具としたジャック・ドゥなどその典型だろう。

 だがそれも昔のこと。現在では聖女も騎士も一人の相手と生死を共にすることが是とされており、添い遂げるようなその在り方が「聖女と騎士は夫婦のようなもの」などという誤解にも繋がるほどだ。

 

 故にレーベンの願いは暴挙そのもの。それこそ間男のそれにも似た恥ずべき行為だ。それをあろうことか、このイグリット聖女長に願うなど。まして彼女が契りを交わした相手は誰であろう、あのヴュルガ騎士長だというのに!

 

「馬鹿っ! いったい何を――」

「下がりなさい、シスネレイン」

「っ!」

 

 聖女長の声に威圧の色など欠片も無い。だというのにシスネの足は一歩後ずさり、だが手だけは放さなかった。心の奥底に刻まれた聖女長への恐怖に抗うシスネの手を、他でもないレーベンがそっと引き離す。そうして彼はもう、シスネの手の届かない所まで行ってしまった。

 レーベンが更に聖女長に近付き、護衛の騎士二人がそれを阻むように前に出るが、それも聖女長が手を上げて制した。

 

「私としては一向に構いませんが、よろしいのですか?」

「はい」

「結果は目に見えていますが、それでも?」

「はい」

「何の為に?」

「騎士として、いきる為に」

「素晴らしい」

 

 レーベンも聖女長も淡々と話を進めてしまう。シスネだけを置いて。そして気が付けばもう、二人の騎士に押さえつけられたレーベンが跪き、その眼前まで車椅子が近付いていた。

 

嗚呼(ああ)、なんということでしょう」

「シスネレインといい貴方といい、素晴らしい執念です」

「その覚悟、私も全霊を以て応えようではありませんか」

 

 聖女長の氷色の右目は、その色彩とは真逆のような熱を孕んでいた。どろどろに熔けた鉄のように粘ついたそれを一身に浴びながら、レーベンが左手を伸ばす。掲げられた聖女長の右手に向けて。

 

「――――」

 

 その光景を目にした瞬間。肚の底に湧き上がった感情をシスネはよく知っていた。

 何故、彼はその手を別の聖女に向けているのか。……シスネが聖女じゃないから。

 何故、彼はその手をシスネに向けてくれないのか。……シスネが拒絶したから。

 何故、彼はその左目でシスネを見てくれないのか。……シスネを拒絶したから。

 穢くて、穢くて、穢い感情がいくつも湧き上がり、混ざりあって、溢れ出しそうなそれを必死に抑え込んで。そしてそれも、次の瞬間には青白い火花とレーベンの絶叫に塗りつぶされてしまった。

 

「……っ、ぐ、がっ……あ゛あ゛あぁ――――っ!」

 

 言動と行動はともかくとして、物静かな人だと思っていた。常に淡々とした口調で、よほどでない限り声を荒げることも大声を出すことも無かった。そのレーベンが、シスネの目の前で絶叫していた。

 聖女長の全身から溢れ出す凄まじい聖性の光。それが二人の手を伝ってレーベンの体に流されている様がはっきりと見える程の。だがそれは全て彼の体に流れ込まずに弾かれていた。そして行き場を失った聖性が火花となって、レーベンの体を焼いているのだ。

 

「聖性とは、もうひとつの血流のようなものです」

 

 部屋の中はレーベンの絶叫が反響しているというのに聖女長の声はいつも通りに涼やかで、そしてよく響いた。今も目の前では騎士に二人がかりで押さえつけられたレーベンの体がガクガクと痙攣しているというのに、それもまるで意に介していないような。

 

「しかしその流れは一定ではなく、誰もが少なからず歪んでいます」

「その歪みの形、それが近いほどに聖女と騎士の適合率は高いものとなる」

「しかし、これ程までに歪んだ聖性は私でも視たことがありません」

 

 絶叫が続く。痙攣が止まない。レーベンの目から鼻から耳から口から噴き出した血が撒き散らされ、その灰色の古装束と白い顔を赤く汚されても、聖女長は歪な微笑を浮かべたまま。

 

「もはや歪みというより、()()

「いっそ美しいほどに正反対の流れの持ち主なのですね、彼は」

「そして、この私の聖性は限りなく正道に近い流れであると自負しております」

 

「だから、これ程までに彼は苦しんでいるのですよ」と、聖女長は締めくくった。その間も、ずっとレーベンは叫び続けている。

 いったい、なにを

 いったい何をしているのか、この二人は。

 

「……聖女長」

「なにか?」

「もう、もう無理です。やめてください、これ以上は、」

「何故です?」

「…………は?」

 

 不敬も良いところの声と表情を、シスネは聖女長に向けてしまった。でももう、そんなことは気にならない。気にしていられない。

 

「何を言って……! これ以上は死んでしまいます!」

「その通り。それこそが彼の望みなのですから」

「あ、……え――――?」

 

 湧き上がった怒りも衝動も、ほんの一瞬で消えてしまう。

 なに? いま、何と言った?

 

「こうなることは分かっていたはずです」

「結果は火を見るよりも明らかだったはずです」

「それでも彼はこれを望んだ」

 

 

「今度こそ、騎士として死ぬ(いきる)為に」

 

 

 ――――あ、

 

 シスネの耳からも、レーベンの絶叫が消えて無くなった。

 その言葉は鋭利な刃のようにシスネの胸を貫き、だが精巧な鍵のように噛み合ってしまったから。

 

 

 

 命知らずな人だと思っていた。正気ではないとも思っていた。

 初めて会った夜、彼は碌な装備も無いままでひとり魔女に向かっていった。

 廃鉱山では、狂気の産物みたいな武器と薬を躊躇いなく使っていた。

 夜の森では、力の差も歴然な相手に何度も食らいついていった。

 破戒魔女には退こうとした。でも結局は、その身を挺して魔女を狩った。

 

 ――あぁ、そうか

 

 聖女と騎士の物語は、いつだって悲劇で終わる。

 なら騎士として生きることと、騎士として死ぬことに何の違いがあるのか。

 彼はきっと。彼はずっと。

 魔女と戦って、死のうとしていたんだ。

 

 

 

 そして、それを、シスネは。

 

 

 

「何の真似ですか? シスネレイン」

 

 掴んだ彼の左腕は血に塗れて、死体のように冷たく強張っていた。でも、シスネの方がよほど死体のような顔をしていたのだろう。それほどに、自分の唇から零れる声は低く震えていた。

 

「もうやめて……手を、はなして」

 

 どちらに対して言っていたのか。聖女長か、レーベンか。どちらにせよ、そのどちらもシスネの懇願を聞いてはくれなかった。聖女長は尚も聖性を発し続け、レーベンは尚もその手を掴んで放さない。悍ましいほど輝く聖性に焼かれながら、血と絶叫を撒き散らしながらも、聖女長の手を掴み続けている。

 

「はなして、放してよっ!」

「落ち着きなさい、シスネレイン。私は誰の手も掴んではいませんよ」

 

 聞き分けの無い子供でも窘めるように聖女長が言う。たしかに彼女の手はただ掲げられているだけで、それに指を搦めながら掴みこんでいるのはレーベンの方だ。細い指が今にも圧し折れそうなほど力を込められているというのに、聖女長は今も歪な微笑を浮かべている。わらいながら、彼を殺そうとしている。

 

「聖女長っ! もうやめてください! やめて!」

「断ります。彼にその意思がある限り、絶対に」

 

 言外に「止めたければ彼に手を放させろ」と、そう言っているのだと分かった。

 でも分かったところで、レーベンは苦痛に叫ぶばかりで何も聞こえていないように見える。ただただ聖女長の手を掴んで死に向かおうとしている。シスネがどんなに手を引っ張ってもびくともしない。シスネが無様にもがいている内に彼の叫びが小さくなってきた。苦痛が止んでいるのではない、死に近づいているのだ。

 もう時間が無い!

 

「あぁ……っ!」

 

 正気じゃない。レーベンも聖女長も正気じゃない。でもそれはきっと、今のシスネも同じことだった。

 カチリ。遂にシスネの左手から小さな音が鳴る。

 

 

 

「……手を、放しなさい」

 

 後ろから抱きつくように、彼の首に右腕を回す。そして彼の左目に見せつけるように、「それ」に左の親指を押し付けた。近くに立っていた二人の聖女がそろって小さな悲鳴をあげる。

 それはどの聖女にも配られる指輪だ。人差し指にはめて、小さな突起を指で弾けば針が飛び出す暗器じみた仕掛け。だがそれは他者を害する為の物ではない。

 

「本気ですよ……!」

 

 自決指輪。その毒針に親指を押し付け、シスネはレーベンに迫った。

 つまりは、このまま死ぬのならば自分も死んでやる、と。

 

 

 

 絶叫が止んだ。室内の皆が沈黙する中、シスネの荒い息遣いだけが響いている。

 レーベンは未だ手を放さず、シスネは親指を更に毒針へと押し付ける。指先の薄い皮が破れ、血に毒が届こうという刹那に。

 

「…………、……――――」

 

 シスネの震える声を聞いていたのか、聞こえていなかったのか。震える指を見ていたのか、見ていなかったのか。あるいはただ限界だったのか。

 レーベンの左目が白目を剥き、ずるりと左手も抜け落ちる。そのまま死体のような体をぐったりとシスネに預けて、気を失った。

 

 

 ◇

 

 

「それで良いのですか?」

 

 指輪の毒針を慎重に納め、動かなくなったレーベンを背負う。無言で部屋を後にしようとしたシスネの背に、涼やかな声が投げかけられた。振り返らないまま、足だけを止める。

 

「一度ならず二度までも、貴女は彼から死に場所を奪うのですか?」

 ――うるさい

 

「これから彼に、どのような生を歩めというのですか?」

 ――うるさい

 

「今度こそ、貴女は本当に、」

 ――うるさい

 

「彼を、“殺して”しまうのですか?」

 ――うるさい!

 

 内心で叫びながら振り返る。聖女長を精一杯にらみ返してやるつもりで目を上げ、そして目が合った。

 

「――――ぁ、」

 

 氷色の瞳。片方だけの瞳。変わらない歪な微笑を浮かべるだけの瞳を見て、根拠もなく確信した。

 

 ()()()()()()()

 

 聖女長には、きっとすべて見抜かれている。

 シスネが、レーベンに抱いている情念も。

 シスネが、もう聖性を使えないことも。

 シスネが、レグルスを介錯した本当の理由も。

 シスネが、どれだけ穢い女なのかも……。

 ぜんぶ、とっくの昔から見抜かれていて、その上でシスネに何もしなかった。

 だって、魔女狩りには関係ないから。どうだっていいことだから。

 シスネの嘘も偽りも、ぜんぶ分かった上で……。

 

「――――っ!」

 

 気が狂うような羞恥だった。

 焼け落ちるかのように顔が発火しながらも、凍りつくかのように頭からは血の気が引いていく。踵を返し、彼の体を引きずりながら扉を開ける。もう無理だった、もう一秒だってここにはいられない。

 

「女神の導きのあらんことを」

 

 どこまでも無様なシスネの姿を、イグリット聖女長は変わらない聖句で送り出す。

 消えられるものなら、今すぐにでも消えて無くなりたかった。

 この街からも、この国からも、この世界からも。

 もう、消えてしまいたかった。

 

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