魔女狩り聖女   作:甲乙

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こたえ

 シスネは、彼をどうしたいのだろう。

 

 

 

 気が付けば路地裏に座り込んでいた。どこをどう歩いてきたのかまるで覚えていない。血塗れになった彼を背負っていたらしいシスネの装束も血塗れで、ここに来るまでさぞ注目を集めていただろう。

「あの騎士殺しが、また騎士を殺した」と、今頃そんな噂が広まっているかもしれない。

 

『なんで……、なんで兄さんを殺したの……?』

 

 でも、その噂はすべて事実なのだ。違いと言えば、今シスネの膝に頭を乗せているレーベンがまだ死んでいないというぐらいで。

 無意識に彼の黒髪を撫でていた手を首筋へと滑らせれば、弱々しくもたしかに脈打っている。夕日に照らされていても青白い顔はまだ血に汚れたままで、残った左目も開く気配は無い。元から弱っていただろう身体にあの仕打ちだ。このまま目を覚まさない可能性すらある。

 イグリット聖女長の聖性に痛めつけられた、身体。

 

「……」

 

 すっと息を吸い、精神を集中する。目を閉じて自分の鼓動に耳を傾ける。脈打つ心臓が送り出す血に乗せて流すような感覚で、それを――聖性を発しようとする。

 

 遠くからかすかな雑踏と、水路の水音と、ゴミ箱の上に降り立つ(カラス)の羽音だけが聞こえた。

 

 レーベンの首に添えられたシスネの手に聖性の光は無い。指先ほども輝きはしなかった。当然だ。三年前のあの時から幾度となく試しても成功しなかったのだから。シスネはもう、聖女じゃないのだから。

 そもそも何故、今そんなことをしたのか。仮に、万が一、今ここで聖性を使えたとしてどうするつもりだったのか。彼を癒したかったのか、それとも。

 

『騎士として、いきる為に』

 

 彼は生きたかったのか、それとも死にたかったのか。シスネにはもう分からない。彼は何も話してはくれなかったし、今だって何も聞けはしない。でも、ひとつだけ確かなのは。

 

『ありがとう、レイを助けてくれて』

 

 カーリヤはシスネにそう言った。レーベンを治療し、生還させたことを感謝してくれた。

 でも。

 

「……ごめん、なさい」

 

 レーベンは一言も、シスネに「ありがとう」とは言わなかった。

 

『一度ならず二度までも、貴女は彼から死に場所を奪うのですか?』

『これから彼に、どのような生を歩めというのですか?』

 

「ごめんなさい……っ」

 

『今度こそ貴女は本当に、彼を“殺して”しまうのですか?』

 

 シスネは、彼をどうしたいのだろう。

 傍にいてほしい、でも傍にいると苛立つ。求めてほしい、でも受け入れたくない。苦しんでいるところを見たくない、でも生きていてほしい。

 シスネはいつだって矛盾だらけだ。三年前のあの時から、レグルスを殺した時から、……レーベンと会った時から。

 

「嫌い……」

 

 シスネはレーベンが嫌いだ。シスネはシスネが嫌いで、でもレーベンを見ていると少しだけシスネが好きになれて、そんなシスネとレーベンが何よりも嫌いだ。

 全部シスネのせいだ。レーベンがこんなに傷だらけで、今ももっと傷だらけなのはシスネのせいだ。

 全部レーベンのせいだ。シスネがこんなに苦しくて、もうずっと苦しいのはレーベンのせいだ。

 シスネがいなければ、レーベンがいなければ、シスネもレーベンもこんなに苦しまなかったのだ。

 

 なら、もういっそのこと――!

 

 シスネの中で狂気が首を擡げる前から、シスネの手はレーベンの首を絞めていた。

 騎士としては細くて、何より弱りきった彼の首はシスネの手でも圧し折れそうだった。両手を回して、汚れた地面に押し倒して、体重をかけて、レーベンをこの手で――

 

 

「ころして、くれるのか」

 

 

 灰色の左目がシスネを見上げていた。

 いつ起きたのか。いま起きたのか。でももう、そんなことはどうでも良くて。

 

「殺して、ほしいのですか」

 

 口走った言葉は自分でも滑稽なほど震えていた。対してレーベンは虚ろな目を何度か瞬く。シスネの問いをじっと吟味するように。待ちきれないほどの時間を置いてようやくレーベンが答えた。

 

「いいや」

「なら何故っ」

 

 何故、あんな回りくどい自殺じみた真似をしたのか。聖女長の言う通り、結果など目に見えていたはずだ。今まで誰の聖性も受け入れられなかったレーベンが、今回に限って都合よく適合なんてするはずが無いと分かり切っていたはずなのに。奇跡でも起きない限り。そして奇跡なんて起きないと、この彼はよく知っていたはずだ。

 レーベンの左目は茫洋として、まだ完全に覚醒してはいないようだった。夢と(うつつ)の境を、あるいは生と死の境を行き来しているようで非常に危うく見える。それでも、いやだからこそ今の彼はシスネの問いにただ答えを返しているのだろうか。

 

「けがを、なおしてほしかった」

「また騎士に」

「だめなら、そのまま」

 

「馬鹿……っ」

 

 おそらく彼は賭けに出たのだ。分が悪いなんてものではない、それこそ自棄に等しい賭けを。

 もしも、万に一つ、聖女長の桁外れの聖性に適合することができたならば、失った右目と右手を治すことができたかもしれない。確かに過去にもそういった事例はあったという。だがそれは聖性の扱いが特に優れた聖女と、その聖女と高い適合率を持つ騎士がいたらの話だ。前者はともかく、後者はレーベンには荷が重すぎる。

 そして彼はそれも分かっていた。だからこそ、あの時に聖女長の手を放さなかった。失敗して、また生き永らえるぐらいならいっそ、と。

 

「なら、何故、手を放したのですか」

 

 舌を噛むような心地でシスネは問うた。分かりきった問いを。いったいどの口でそれを問うのか。

 レーベンは未だ夢現と生死を彷徨っているようで、半開きの左目でシスネを眺めながら、半開きの口で答えをただ口にする。

 

「あなたが、死ぬと」

「――――」

 

 乾いた血で汚れたレーベンの顔が、新たな鮮血で濡れる。噛み切ったシスネの唇から落ちた血が点々と、レーベンの顔を汚した。

 まただ。

 またシスネは彼から奪った。右目と右腕を奪い、騎士としての生を奪い、死に場所までをも奪った。そして今また、彼の決死の覚悟を無駄にしてしまった。何もかも聖女長の言葉通り、彼はシスネに本当の意味で“殺された”ようなものだ。

 

「なん、で」

 

 掠れた声が絞り出される。シスネの中に渦巻いていたのはお決まりの自責と後悔、そして筋違いも良いところな怒りだった。

 レーベンの首にかかったままだった両手を肩にずらし、弱々しい体を汚れた地面に押し付ける。

 

「なんで私の言うことなんて聞いたんですか!?」

「聞かなければ良かった! 私なんて見捨てれば……っ」

「あの時だって……!」

 

 あの雨の日、シスネは死ぬつもりだった。破戒魔女を遠くまでおびき寄せて、そこで魔女と刺し違えるか自決するかしようと思っていた。それが、自分の愚かな考えで彼に癒えない傷を刻んでしまった報いで、せめてもの贖罪だと思っていたから。

 でも魔女と刺し違えたのはレーベンの方だった。いったい彼はどういう思いでシスネを守るような真似をしたのか。むしろ殺されても文句は言えないようなことをシスネはしたというのに。

 思えば、いつだって彼はシスネを守ろうとしていた。初めて出会った夜も、廃鉱山でも、森の奥でも。こんなシスネを、彼は何故。

 

「私を、聖女だと思っていたからですか……?」

 

 それならまだ理解できた。シスネのことを聖女だと、それも「騎士なき聖女」だと思っていたならば。シスネを守り助けて、恩を売って、自分の聖女とするつもりだったのなら。

 でも彼は、シスネが聖女ではないと知ってからもシスネを守った。もう守っても何の見返りもないと分かっているのに。ついさっきも、自分を人質にとるような真似をしたシスネの要求を飲んでしまった。

 なら何故。堂々巡りに陥ったシスネの思考をせき止めたのは、平坦なレーベンの声。

 

 

「あなたに、惚れているから」

 

 

「…………はい?」

 

 

 耳に滑り込んできた、あまりに突拍子もない答え。口から零れたのはあまりに素っ頓狂な声。見下ろしたレーベンの目は、相変わらずぼんやりとシスネを見上げている。嘘を言っているようには、見えない。

 

「……あなたが?」

「あぁ」

「……私に?」

「あぁ」

「……惚れている?」

「あぁ」

 

 彼を押し倒したまま、左手で眉間を揉む。もう一度じっと目を凝らすも、彼はやはり虚ろな目のままだった。……よく考えれば、幻聴を疑ったのなら気にするべきは耳だったのだけれど。それ程までにシスネは混乱していた。

 シスネが黙ったことで再び眠りに落ちようとしていたレーベンを揺り起こし、彼の左目に映った自分と目が合うほど顔を近付けて問う。

 

「本当に?」

「あぁ」

「からかっています?」

「いいや」

「趣味が悪くありませんか?」

「……?」

 

 矢継ぎ早に質問を繰り返し、その全てにレーベンは平坦な口調で即答する。最後に思わず自虐的な皮肉を並べてしまったが、それは理解できなかったのか首を傾げていた。

 シスネの中で沸々と、得体の知れない感情が湧いてくるのを感じる。でも確かなのは、それが恋慕なんて綺麗なものではないということ。

 

「……そんな理由で、私を助けたのですか」

 

 様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合った、どどめ色のなにか。怒りか哀しみか、呆れか喜びか、もっとも近しいものを挙げれば、それは「安堵」か「失望」だったかもしれない。

 

「そんな理由で、あなたは……」

 

 騎士だとか、聖女だとか、そんなものは関係なく。ただシスネに惚れたから、好きだったから、と。たったそれだけの、そんな理由でシスネを守り、助けて、その末に全てを失くしてしまったのだ、この男は。

 こんな、どうしようもない女のために。

 

「……馬鹿ですよ、ほんとうに馬鹿」

「趣味が悪いにもほどがあります」

「いったい、どんな人生を送ってきたら、こんな私を……」

 

 自嘲とも嘲笑とも愚痴ともつかないシスネの独り言。だがそれすらも、未だ虚ろなままのレーベンは問われたのかと思ったのか。

 

「俺は――」

 

 そして彼は語りだした。

 あの夜に篝火の前で聞いた、彼の人生を端折った薄っぺらな話。あの時と同じ内容で、でも決定的に違う、「レーベン」の話を。

 最初から失くしていた家族と故郷。どこまでも続いた孤独。他に何も無いから選んだ騎士の道。それでも自分で選んだ道。二人の友人との出会い。

 何も無かった彼が進んだ道は、でも彼を拒絶した。騎士としては生きられず、ならせめて騎士として死のうとした。それすらも拒絶され、彼は生き残った。

 聖女なき騎士。多くの罵倒と少しだけの温かさの中で、それでも彼は戦った。いつか魔女を狩って死ぬ為に。騎士として死ぬ為に。死んで騎士になる為に。

 そして、あの月夜の森で――。

 

 

 ◇

 

 

「そんな折り、あなたと会ったというわけだ」

 

 そうレーベンが締めくくった時には日も沈みかけ、路地裏は赤い夕陽に照らされていた。ゴミ箱の上で二人の話を聞くようにとまっていた鴉も、飽きたのか建物の上へと飛び立っていく。羽音と共に抜け落ちた黒羽が一枚、ひらひらと舞っていた。

 シスネが視線を落とせば、いつからか膝の上に頭を乗せていた彼と目が合う。その灰色の左目はもうしっかりとシスネの瞳の芯を捉えており、いつの間にかレーベンの意識も覚醒していたようだった。

 

「ひどい事をする」

 

 なんとなしに拾い上げた黒羽を弄っていたシスネの耳に、苦笑を孕んだような非難の声が届く。

 

「……何の話でしょうか」

(とぼ)けないでくれ」

 

 目を泳がせるシスネの頬に、下から伸びてきた彼の左手が添えられる。撫ぜるように下を向かされても、何故かその手を拒む気にはならなかった。

 何の話か、そんなもの決まっている。レーベンの意識が混濁しているのを良いことに、踏み込みすぎたことを根掘り葉掘り聞き出したことだ。彼の様子を見るに、自分が話してしまったことも覚えているのだろう。もしシスネが同じことをされたらと思うと、想像だけで憤死してしまいそう。

 

「誠に申し訳――」

「なんだって?」

「魔が差しました、反省しています、本当にごめんなさい……」

「言うつもりは無かったんだぞ、俺は」

「はぃ……」

 

 いつになく辛辣なレーベンの声。でもその口調は穏やかで、シスネを糾弾するような色はまるで感じない。灰色の眼差しは空虚なまでに優しくて、どこまでも静かに凪いでいた。もう全てが終わった末の静謐、彼は今その中にいるのかもしれない。

 

「それで、返事は?」

「はい?」

「言わせないでくれ恥ずかしい」

 

 恥ずかしいなどと言いつつ、レーベンの顔は青白いままだ。シスネの顔などすぐに赤くなってしまうというのに不公平だと思う。

 シスネに惚れているのだという彼の言葉。それの答えを返せということだろう。そんなもの決まっている。

 

「もちろん、お断りです」

「だろうなぁ」

 

 聖女だの騎士だのは関係なくレーベンが惚れているのだというのなら、シスネもそれらのしがらみは捨てて答えるべきだと思った。そして答えは否だ。シスネは彼に惚れてなどいない、だから彼の気持ちには応えられない。

 シスネの端的な拒絶に対しても、レーベンはただ穏やかに苦笑してみせた。まるで断られることが分かっていたように。

 ……シスネなら、きっとそんなに冷静ではいられない。()()()()()()()()()

 

「……なんで」

「うん?」

「なんで、そんなに落ち着いていられるんですかっ?」

 

 穢い人だと思っていた。

 口調ばかり取り繕って、言う事もやる事も品が無くて。何もかも見限ったような、諦めたような目をしていて、穏やかに見えて酷薄で。あの人とは、レグルスとは全然違って。模範的な騎士であった彼とは似ても似つかなくて。

 

「怒ればいいじゃないですか! 殴ればいいじゃないですか! 私を恨んでいるのでしょう!?」

 

 穢い人だと思っていた。

 外面は穏やかに取り繕っていても、内心ではシスネのことを恨んでいるに違いないのだ。シスネは彼に対してどうしようもない負い目がある。だからそれを盾にして、シスネに迫れば良いのだ。

 受け入れろって、殴らせろって、好きにさせろって、そう言えばきっとシスネは拒めない。何をどうされようと一切抵抗しない。他言だってしない。

 そうすれば、そうしてくれれば、きっとシスネだって。

 

「何故、か……」

 

 穏やかな目で、穏やかな声で、穏やかな手付きでシスネの白髪を弄るレーベン。

 そんな姿、見たくなかったのに。

 

「それはまあ、あれだ」

 

 きっとシスネだって、今までみたいに、彼を見下せたのに。

 

「惚れた弱みというやつだ」

 

 穢い人で、あってほしかったのに。

 

 

 ◆

 

 

「何故、か……」

 

 レーベンとて何も思わないわけでもない。まるで動かない顔のせいで誤解されがちだが、レーベンも人間なのだ。人並の感情はある。

 レーベンが右目と右腕を失くしたのは誰のせいか。シスネに全ての責があるとは思わないが、一因ではあっただろう。あの時、彼女が退くことを選択してくれれば、少なくとも引き金を躊躇わなければ結末は変わっていたかもしれない。

 レーベンの命を助けたのはシスネだが、それを心から喜べなかったことも事実だ。もう満足に戦えない身体で生き永らえるぐらいならば、と。そう思わなかったと言えば嘘になる。

 今回、聖女長に聖性を流してもらうという自殺行為を敢行したことも半分は自棄だが、もう半分は藁にも縋る思いだった。万に一つ、あの強烈な聖性と適合することができたならば、この身体も元に戻ったかもしれないのだ。失敗しても、それはそれで己の命を始末することができた。だがシスネはそれを良しとはしなかったのだろう。おぼろげに、彼女が聖女長を止めようとしていた様を覚えている。

 

「それはまあ、あれだ」

 

 そう考えれば確かにレーベンがシスネを恨むには充分な材料が揃っているように思える。もし医療棟で目覚めてすぐにシスネと会っていたならば、何か手酷いことでも言ってしまったかもしれない。彼女の言うように殴ってしまったかもしれない。レーベンも人だ。聖人ではないのだから。

 ある意味では幸いだったのだ。レーベンが目覚めた時にはシスネは独房へと入れられており、その後もすれ違いが続いて今日に到るまで実に八日。頭を冷やすには充分に長い時間だった。故にシスネを前にしても冷静でいられたのだろう。

 だが何よりも。

 

「惚れた弱みというやつだ」

 

 我ながら馬鹿みたいな理由だとは思うが、それが本心なのだから仕方がない。レーベンは聖人ではなく、故にその天秤も平等ではない。他の者なら許せなくても、シスネなら許せてしまう。本当に、ただそれだけの話だった。

 

「なにせ、馬鹿なので、な――」

 

 治まりかけていた眠気が再び襲ってきて、レーベンは欠伸まじりに答える。

 馬鹿だ馬鹿だと、いつも言われてきた。カーリヤから、ライアーから、そしてシスネから。これだけ言われるのなら、それはきっと事実なのだろう。

 だがまあ、それで彼女を恨まずに済むなら悪くない。そんな気分で、レーベンは再び目を閉じた。

 

 

 ◇

 

 

 路地裏が黄昏に沈もうとしている。

 再び意識を手放したレーベンの首筋に手を当てて脈を確かめ、その頭をそっと膝に置き直した。夕焼けに照らされた顔は血色も良く、午睡でもしているように安らか。そんなはずもないというのに。

 

「……穢い」

 

 穢い人だと思っていた。

 口調ばかり取り繕って、言う事もやる事も品が無くて、常識だって無くて。……だというのに、おかしな所でひどく真面目で。

 何もかも見限ったような、諦めたような目をしていて、穏やかに見えて酷薄で。……だというのに、捨てきれないような甘さも見せて。

 あの人とは、レグルスとは全然違って。模範的な騎士であった彼とは似ても似つかなくて。……だというのに、どこまでも騎士であろうとして。

 

「穢い……」

 

 穢い人だと思っていた。シスネと同じ、いやもっと穢い人だって。そうであってほしかったのに、シスネにはまるで見る目が無い。

 穢いだなんてとんでもない。彼はむしろ……。

 

「ひどい、人」

 

 レーベンはひどい男だ。今まで散々シスネに期待させて、失望させて。今になってこんな一面を見せるだなんて。最初から見せていたなら、きっとシスネは彼から逃げていた。もっと本気になって拒絶していた。

 穢い人だと思ったから傍にいたのに。シスネと一緒に、穢くあってほしかったのに。

 

「嫌いです……あなたなんか……っ」

 

 穢かったのはシスネの方。穢いのは、いつだってシスネだけだ。

 

「……っ、ぅぅ……!」

 

 堪えきれなくなった嗚咽を両手で塞ぐ。声は殺せても、目から溢れ出す物だけは止められなかった。

 音もなく流れた涙がレーベンの右目に落ちる。それは分厚い包帯に染み込んだだけで、眠る彼には届かない。

 見上げた空は建物に切り取られ、燃えるような黄昏に沈もうとしている。

 彼の髪のように黒い鴉だけが、シスネを見下ろしていた。

 

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