魔女狩り聖女   作:甲乙

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五章 嵐の前に
カーリヤの退屈と祈り


 

「退屈だわ」

 

 そう愚痴を零すと、目の前を歩く大きな背中が少しだけ角度を変えた。変えただけで何も言ってはくれない。その態度にカーリヤはむ、と細い眉を吊り上げる。

 

「ねえ、退屈だわ」

 

 歩けども歩けども見えるのは木、木、木。豊かな森林が生み出す澄んだ空気に癒されたのは最初だけだ。まるで変化の無い風景にカーリヤはすっかり参ってしまっていた。

 魔女がいないのは良い。できれば見つからない方が良いとさえ思っているが、それとこれとはまた別の話というもの。いるかどうかも分からない相手を探すというのは、殊の外つらい。

 

 ――レイとシスネは、よくやれたわね

 

 報告書によれば、あの馬鹿と友人はこんな苦行みたいな仕事を七日も続けていたのだ。二日目で既に音をあげているカーリヤに比べればなんと根気強いことか。まあ、レーベンはああ見えて案外マメなところもあるのだが。ちなみにシスネは几帳面に見えて意外と抜けている。

 はーあ、と。疲れた溜息をつきながら足を動かす。お気に入りの踵の高い靴はさすがに履いていない。魔女狩りの際はいつも履き替えている武骨な長靴(ブーツ)に湿った土が貼りついて、なおさら足取りを重くしていた。右肩に食い込む狙撃銃を左肩に担ぎ直して、カーリヤはまた溜息をつく。

 

「おい頼むぞ。ちゃんと警戒してくれ」

「分かってるわよぅ……」

 

 前を歩くライアーに固い声で叱咤され、下ばかりを向いていた視線を上げる。視界に入ってきた相方は今日も全身鎧をきっちり着こみ、右手には抜き身の片手剣。兜の面頬(バイザー)だけを上げた頭を右へ左へと動かし、油断なく周囲を見回しながら歩いていた。まるで、すぐ近くに魔女がいるとでもいうような慎重さ。

 

 ――そこまでしなくても良いじゃない

 

 喉元まで上がってきた言葉を飲みこむ。昨日、似たような愚痴を漏らしたところ普段は温厚なライアーが烈火のごとく怒り出したのは記憶に新しい。……まるで()()()に戻ってしまったようで、心臓をぎゅうと掴まれる錯覚を覚えたカーリヤは涙を堪えるだけで精一杯だった。

 そんな彼も、すぐに正気に戻ったような顔で平謝りしてきたのだけれど。とりあえず尻を一発蹴るだけで許してやった。カーリヤは心が広いのだ。

 この辺境で魔女を探し始めてからというもの、ライアーはずっとこうだ。元から慎重ではあったけれど、今回の仕事では万に一つの失敗もしたくないとばかりにピリピリしている。もうすこし肩の力を抜いた方が良いと思った。

 

「……ね、ねえ?」

「なんだよ」

 

 恐る恐る声をかければ固い声が返ってくる。振り向いてもくれない。見慣れたはずの大きな背中がなぜか怖く見えて、カーリヤは怖気づいてしまう。

 

 ――休憩、しない?

 

「ごめん、なんでもない……」

 

 言葉尻は足音にも紛れそうなほど小さかった。右肩に担ぎ直した狙撃銃を抱くように握って、視線をぬかるんだ地面に下ろす。

 らしくない。ライアーもカーリヤも。いつもはもっと、緊張を飼いならしながら戦えていた。気を緩めず、でも張り詰めすぎず、そんな匙加減を二人ともが心得ていたはずなのに。

 ……こんな状態で、魔女に襲われでもしたら。

 

「……っ」

 

 カチャカチャと銃の部品が音を立てる。歩いているからじゃない、銃を握るカーリヤの手が――。

 

「あ痛っ!?」

 

 ゴチン、と。額に固く冷たい金属の衝撃。二歩ほど後退れば大きな背中が間近に見える。急に立ち止まったライアーにぶつかったのだとすぐに分かった。

 

「っ、ご、ごめんなさ……」

 

 やってしまった。失敗してしまった。何をしていると、気を抜きすぎだと、また怒られてしまう。昔のように、あの頃のように、彼の鳶色の目が自分を冷たく貫きそうで――。

 

「――悪い。休憩だ」

「……へ?」

 

 意外な言葉に顔を上げれば、いつの間にか振り返ったライアーが頭を掻こうとしているような素振りをして、兜に覆われた頭をゴンゴンと叩く。固く閉じられた両目の間を揉みほぐして、眉間の皺を伸ばしていた。開かれた鳶色の目は、ばつの悪そうないつもの眼差し。

 

「飯にしようぜ。新入りじゃあるまいし、これじゃ肩が凝っちまう」

「……ま、まだ早いんじゃない? でも仕方ないわねっ」

 

 いつも通りのライアーに心底ほっとした。手近な木の下に向かい、カーリヤはいそいそと背負っていた鞄を開いて昼食の準備を始める。

 まだ痛む額も、胸の奥に残る恐怖も水に流してあげることにした。カーリヤは心が広いのだから。

 

 

 ※

 

 

 武器は手元に置いたまま、用意していた軽食を口に運ぶ。朝までは降っていた雨も今は過ぎ去り、からりとした青空と濃い緑の匂いがカーリヤの五感を柔らかく刺激する。木漏れ日がぽかぽかと暖かい。

 

「良いところね」

「ん? あぁ」

 

 カーリヤの倍はあった食事をライアーは既に平らげていた。カーリヤなどまだ半分ほどしか食べていないというのに、ずいぶんな早食いだ。もう少しゆっくり味わえば良いのに。

 

「とんでもない田舎だし、歩いてばっかりは疲れるけど、こうやってのんびりする分には良いかも」

「……そうなのか?」

 

 どこか上擦ったライアーの声。顔を隣に向ければ、兜を外した彼が目を丸くしていた。

 

「なに、どうしたの?」

「い、いや。お前はその、てっきり聖都やポエニスみたいな街の方が好きなんだと……」

「? そうねえ、ポエニスも悪くないけど」

 

 残りのパンを口に放り込んで、口を動かしながら考える。

 元々、カーリヤとライアーはポエニスの西方にある町の出身だ。田舎と呼ぶには旧聖都に近く、都会と呼ぶには辺境、そんな小さな町。田舎とも都会ともつかないあの故郷が、カーリヤは嫌いではなかった。……母が魔女になってしまうまでは。

 頭を振って、パンを飲みこむ。

 

「――まあ、どっちも嫌いじゃないわよ。でもどうせなら賑やかな方が好みかも」

「そ、そうだよなっ。お前ならそう言うと思ってたぜ!」

「?」

 

「よかったよかった」と何故か胸を撫でおろしているライアーに怪訝な目を向けていると、カーリヤの脳裏にふと白髪の友人の姿が過った。そういえば。

 

「聖都といえば、シスネはグリフォネアの出なんだっけ」

 

 聖都グリフォネア。旧聖都に住むカーリヤたちでも、いやポエニスに住んでいるからこそ縁遠い街だ。多くの聖女と騎士を抱えるあの聖都に仕事で出向く機会など無いのだから。

 

「あぁ、そういやそうだっけか」

「なんかもう懐かしいわね、あの子が初めて来た時なんてレイの奴が……」

 

 シスネと出会った、あの朝の食堂。あれから小半年と経っていないというのに、もうずっと前のことに思えた。そしてあのレーベンに劇的な変化が訪れた日でもある。

 以前のレーベンは今よりもっと死んだような目をしていた。何事にも無関心で、そのくせ目を離すとすぐ魔女狩りに向かってはボロボロになって帰ってきて。どんなにカーリヤが叱っても、のらりくらりと躱すだけで。あの灰色の目はいつだって何もかもを遠くに見ていた。そんなレーベンも、シスネを見る目だけは明らかに違っていたのだ。

 

「ありゃ完全にほの字だったな。シスネがその……使()()()()ってのも関係ないんじゃないか」

「かもね」

 

 レーベンが新入り聖女や騎士を失くした聖女を見つけては「見合い」を申し込んでいたのは最初だけだ。その度に拒絶反応を起こしては医療棟に担ぎ込まれるものだから、本人も諦めてしまったらしい。だから、そのレーベンがあれだけ一人の聖女に執着したのは異常なことですらあった。もっとも、そのシスネも聖女ではなかったのだけれど……。

 

「ま、お似合いだよな。あの二人」

 

 からりとした口調でライアーが言う。二人の事情を鑑みれば皮肉とも聞こえるが、彼にそのつもりはないのだろう。確かに傍から見れば、冷たくあしらわれながらも熱心に言い寄る愚かな男と、そんな面白おかしい姿に見えなくもない。シスネだって、どこか満更でもなく見えるのだから尚更だ。

 でも、シスネの事情を知ってしまったカーリヤは違った。

 

「どう、かしらね」

 

 カーリヤだけは知っている。カーリヤにだけ、シスネは教えてくれたのだ。

 三年前、まだ普通の聖女だったシスネが自分の騎士を介錯した時。その時に何があって、シスネが何を思って、何をしたのか。その全てを、カーリヤに打ち明けてくれた。

 

『教えてあげますよ。私が、どれだけ穢い女なのか』

 

 あの夜、シスネは何度も何度も繰り返し自分を「穢い女」だと言った。確かにカーリヤが聞いた話の内容はそれなりに衝撃的で、何よりも意外ではあった。だから、そんなことはないと、そう簡単に言ってやることもできなかったのだ。それが心残りで、そして聞けなかったこともある。

 

 ――じゃあ、あんたにとってレイは……

 

 シスネにとってレーベンは何なのか。なぜ一緒にいるのか。シスネの言葉と行動には矛盾が多くて、見ているだけでひどく危うい。きっと、まだ何か隠していることがある。あんな、さも全てを打ち明けましたみたいな顔をして、なんとまあ食えない女だ。

 

「……っとに面倒な女っ!」

「いきなりなんだよ、おい!?」

 

 シスネのことを思い出している内に湧き上がってきた怒りのまま、食べ終えた林檎の芯を放り投げる。隣のライアーが大きな体を驚いた猫みたいに飛び上がらせた。

 

「あー腹たってきたわ。あの性悪女、今度は脇腹だけじゃ済まさないんだから」

「お前ら何やってんだよ……」

「腹たったら思い出したわ。レイの馬鹿にも説教しないと」

「……怪我人なんだから程ほどにな」

 

 二日前、教国でも最北端に位置する最も田舎の村――ノール村に到着した際、まず何よりも先に村民はカーリヤ達を質問攻めにした。

 

『騎士さんは!? 騎士さんは無事やったんか!』

『ほらあの黒髪の! 痩せっぽの!』

『聖女さんは来とらんのか! あの人の旦那やって!』

 

 ひどく訛った言葉とその剣幕にカーリヤは涙目になってしまったが、よくよく聞けば彼らはただレーベン達の身を案じていただけだった。レーベンの傷とシスネの懲罰のことは伏せ、とにかく二人は生きていることを伝えると皆が一斉に安堵の息と歓声をあげた。中には泣き出す者までいたのだ。あの二人はずいぶんと気に入られていたらしい。

 しかし「旦那」とはどういうことだろうかというカーリヤの疑問は、その後すぐ解決することになる。

 

『はー、別嬪な聖女(よめ)さんやなぁ!』

『騎士さんが羨ましいわ、俺ももうちょっと若ければ……』

『二人ともええ体しとるのぉ! 子供も沢山できるわ!』

 

 うはははは! ……と、下世話だが悪意のない言葉の数々に顔を真っ赤にしたカーリヤが助けを求めるも、ライアーは何故かひどく曖昧な表情(かお)をしていた。「聖女と騎士は夫婦みたいなもの」という誤解は田舎ほど根強いというが、まさかこれ程とは。

 そしてカーリヤの受難はまだ終わらなかった。

 

『すげえ! 本物や!』

『はあ!? なんやあれ、絵じゃなかったんか!』

『同じやって! ほら!』

 

 若者たちがしきりにカーリヤの姿と、手に持つ何かを見比べている。その聖銀の輝きにカーリヤはひどく見覚えがあった。

 

「まさか、こんな所まで流通してたとはなぁ……」

「流通とか言わないでよ蹴るわよ!」

「痛えよ! もう蹴ってんじゃねえか!」

 

 あの馬鹿が巻き起こした写銀騒動。あの時に売られていたカーリヤの写銀はこんな辺境にまで流れついていたのだ。さすがにレーベン自身がここまで売りに来たとは考えにくく、馬鹿に便乗した別の馬鹿がいたのだろう。まったく忌々しい。

 

「返してって言ったのに駄目だって……」

「まあ高かったらしいしな。銀貨五枚だっけか?」

「ちっとも嬉しくないわよ!」

 

 曰く、あまりに美しいから実在の聖女ではないと思っていた。曰く、理想の美女を描いた精巧な絵だと思っていた。曰く、聖女シーニュの想像図だと思っていた。

 そこまで誉められて悪い気がまったくしなかったと言ってしまえばそれは嘘にならないこともなかったが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。やっぱりレーベンが全て悪いのだ。

 

「仕事が終わったら二人まとめてお仕置きしなきゃ……」

「じゃあ、無事に終わらせねえとな」

 

 先に立ち上がったライアーに向かって手を差し出すと、何も言わなくても引っ張り起こしてくれる。スカートに付いた草を払おうとしたが、ライアーは何故か手――左手を放してくれなかった。そのまま、鳶色の目がじっとカーリヤの左手を見下ろしている。

 

「……なに?」

「あぁ、いや」

 

 声をかけるとパッと手を放された。どこか焦った様子で兜を被る彼の姿を眺めながら左手をさする。左手の指にはいつも通りの自決指輪。

 

「さ、あと半分だ。気を抜かずにな」

「はいはい」

 

 そうしてまた、剣と銃を手に歩き出す。前を歩く大きな背中を追って。

 

 ――どうか、魔女が見つかりませんように

 

 どうかこのまま退屈に終われば良い。そう、名の無い女神に祈りながら。

 

 

 

 でも、祈りは通じなかった。

 

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