魔女狩り聖女   作:甲乙

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レーベンとシスネとその家族

 

「私は、痛みならそれなりに耐えられる自信があります」

 

 遠い目でシスネは言い、レーベンは彼女との魔女狩りを思い出す。主にレーベンが前に出ることが多かったが、彼女もまた魔女の攻撃に晒されることは少なくなかった。

 カクトの廃鉱山で魔女に引きずり回された時も、森の奥で左腕を引きちぎられそうになった時も、サハト村で黒蛇に群がられた時も、破戒魔女を前にレーベンを連れて逃げ回った時も、彼女は悲鳴こそあげても音はあげなかった。

 それは当然のことでもあった。彼女と同じく、かつて一人で魔女を狩っていたレーベンもよく知っている。苦痛に悶えて悲鳴をあげても助けなど来ない。助けてくれる仲間はいなかった。ならば耐えて、立ち上がるしかないのだから。

 

「ですが、」

 

 黒い瞳で、黒い夜空を見上げていたシスネが視線を下ろす。揃えられた膝の上に乗せた手は白く、その膝も腿も同じく白い。

 そこまで見てから、レーベンは目を逸らした。

 

「恥ずかしいのは無理なのです……っ」

「何と言うかその、すまん」

「こっちを見ない!」

「はい」

 

 わずかに視線を戻しただけで叱責が飛んでくる。シスネは叫んですぐに俯き、両手で顔を覆ってしまった。視界の端に映る彼女の首と耳、そして肩は月明りの下でも分かるほど赤い。それが分かるほど、彼女の装いは普段と異なる。

 何故こんなことになったのか。意味もなく暗い海面を眺めながらレーベンは追憶に耽った。

 

 

 ◆

 

 

「とりあえず脱ぎなさい。今すぐここで」

「なんで!?」

 

 シスネに手を引かれながら食堂らしき部屋に向かう途中、廊下に立ちはだかる長女ウルラはだしぬけにそう言った。当然シスネは御冠である。

 

「なんでって、あんた血だらけじゃない。旦那さんもさ」

「旦那じゃない。旦那じゃないってば」

「そんな格好で入られたら血腥くて食べられたもんじゃないでしょ?」

 

 ウルラの言葉は正論ではあったが、今すぐここで脱げというのは如何なものか。……もしかして己も脱がなければならないのだろうか。レーベンは不安になってきた。そんなレーベンの肩を親しげに叩く青年が一人。

 

「俺の服を貸すっス、こっちこっち」

「助かる」

 

 親指で近くの部屋を差す次男エンテ。背格好の似ている彼の服ならばレーベンも問題なく着られるだろう。至れり尽くせりである。

 レーベンが陽気な青年の後に続くと、一人残されたシスネを大小二つの影が取り囲んだ。

 

「じゃ、あんたにはこれ」

「……これコトラの服じゃない! 入らないでしょ!」

「平気平気。あんた乳ないしガリガリだし、ちょっと無理すれば入るって。乳もないし」

「そういう問題じゃ……て、何これ下着!?」

「今時の服はそんなもんよー」

「や、ちょ! コトラ、あなた勝手に……っ、スカート返しなさい!」

 

 きゃあきゃあ、ぎゃあぎゃあと背後から響く喧噪は扉を閉めるだけで聞こえなくなった。何らかの加工が施された扉なのだろうか。エンテは我関せずと爽やかに笑うのみだ。

 

「大丈夫なのか、彼女らは」

「平気平気、いつもあんな感じだったし」

「そ、そうか」

 

 慈悲は無いらしい。

 さりげなく手伝ってくれるエンテに助けられながら、レーベンは血で汚れた服を着替え始めた。……なるべく時間をかけて。

 

 

 ◆

 

 

「ちょっとエンテ、そこの皿とって」

「おかー、あー!」

「自分で取ってくれよ、食うのに忙しい」

「取ってやれ、一応は身重なんだ」

「こら中途半端に残すんじゃないよ! 全部食いな!」

「いやぁ、今日はもり沢山だな」

「どうぞ、あなた」

「ありがとう。うん、今日も酒が美味い」

「……、……」

 

 がやがやがやがや。

 幼い息子(シュカ)の世話をしながら器用に食事する長女(ウルラ)。見ていて小気味よい程に食べる次男(エンテ)。静かに手を動かしながら弟を諫める長男(サラベイ)。料理を豪快に取り分ける母親(メーヴェ)。大量に盛られた皿を前に苦笑する父親(パロット)。上品に酌をする祖母(グースィ)。それを優雅に呑む祖父(ロシノル)。レーベンから目を離さない三女(コトラ)

 まるでポエニスの食堂のような。否、カーリヤに連れ出された酒場のような喧噪。これが一つの家族によって生み出されているという事実に、レーベンは呆気に取られていた。

 

「……賑やかだな」

「こっちを見たら刺しますよ」

「お、おう」

 

 何故か大きな食卓の中央に座らされたレーベンと、その隣の次女(シスネ)

 着替えが終わってからというもの、彼女は常にレーベンの死角、つまりは右隣から離れようとしない。言われなくとも己の狭い視界では彼女の姿も捉えられないのだが、何か固く尖った物で脇腹を突かれては生きた心地もしなかった。

 

「……」

 

 もっとも、実は正面の窓硝子に映る彼女の姿は丸見えなのだが。

 いつかのように高く結われた白髪。簡素な白い上衣には袖が無く、白い肩が大きくさらけ出されている。そしてやはり小さかったのか、ほとんど肌に張りつくような有様であり、前の(ボタン)もいくつか閉められていない。開いた胸元をなんとか閉じようとしたのか、青の襟締め(ネクタイ)だけがきつく巻かれていた。

 有体に言って、目のやり場に困る。むき出しになった細い首筋も白い肩も、華奢な身体の線と嫋やかな胸元の曲線も。彼女の方から見るなと言われてむしろ助かっていた。

 

「良い出来だと思わない?」

 

 煮込み(シチュー)をもそもそ口に運んでいると、ウルラが楽しそうに目を細めながら聞いてくる。いったいどちらのことを聞いているのか。おそらく料理のことではないのだろうが。

 

「……()()()ですね」

「でしょー?」

 

 どっちつかずの答えを返せば、ウルラが更に目を細める。彼女自身はなんとも思っていないようだが、あまり不躾な視線をシスネに送るべきではないのかもしれない。レーベンは努めて目の前の料理に集中することにした。

 

 ――それにしても

 

 医療者の家系である故か、あるいは単に人柄なのか。この家族は皆がレーベンへの気遣いに満ちていた。食卓に並ぶ料理にしても、左手しか使えないレーベンでも不自由しないような物ばかりが揃っているのだ。先ほども「晩飯を作り直す」と、そうメーヴェは言っていなかったか。本当に、己などには勿体ない。

 

「んん? なんだい、アンタ少食だねぇ」

「……申し訳ない。食べるのが遅いもので」

 

 メーヴェの言葉に適当な誤魔化しを並べる。レーベンの為にわざわざ準備してくれた彼女にだけは気付かれるわけにはいかない。口に運んだ煮込みを咀嚼すれば、魚肉の感触と、芋や豆の感触。熱くも冷めてもいない何かのスープ。それだけだ。

 レーベンの味覚はもう随分と前からひどく鈍っている。特に誰にも相談したことは無いが、原因はどう考えても薬物の過剰服用だろう。今はもう何を食べても食感しか感じることは無く、酒も飲めない。だがそれは一人で魔女を狩る為には必要な代償だったのだとレーベンは考えている。

 元より、魔女狩りだけの人生に食事を楽しむ余裕も必要も――。

 

「君」

 

 レーベンの思考は落ち着いた男声に遮られた。顔を上げれば、彫りの深い顔と目が合う。

 

「なにか?」

「この煮込みは良い香りだぞ。もっと鼻を使って、ゆっくり食べると良い」

 

 ロシノルはそれだけを言うと、洒落た形のグラスに入った葡萄酒を呷る。伊達男というものは何歳(いくつ)になっても何をしても絵になるな、などと考えながら煮込みを口に運んだ。相変わらず何の味もしないそれを咀嚼しながら、彼の言うように鼻から息を吸ってみる。その、瞬間だった。

 

「――? ……、味が」

 

 

 ◇

 

 

「味がする」

「はい?」

 

 さっきから膝にも届かないスカートの裾が気になって仕方が無かったシスネは、隣から聞こえた声に思わず顔を向けてしまった。向けてから慌てて釦も閉められない胸元をかき合わせるが、レーベンの右目は包帯に覆われおり、こちらを向いてもいない。ただ、視線を手元の皿に落としているようだった。

 

「どうしました? 何か変な物でも……」

「味がする」

「当たり前でしょう」

 

 客がいるからか、あるいは三年の間に趣味が変わったのか、久しぶりに食べた母の料理は随分と香辛料が効いている。どちらかと言えば濃い味付けが好みなシスネとしてはありがたかったが、彼はまさかこれでも物足りないのだろうか? そもそも鎮痛剤を豆のように食べていた男であり、よくあんな苦い物を――。

 

「! あなた、まさか味覚が……」

 

 思わぬ気付きに声をあげる。あれだけの過剰服薬、それこそ味覚が滅茶苦茶になっていても不思議ではない。匙を置いて、彼の右肩を掴もうとした手を寸でで止めた。そこは最も重傷な場所だ。

 仕方なく背中に手を回すようにしてこちらを向かせ、まるで抵抗しない彼の顔を見た時。

 

「え……」

 

 灰色の左目。そこから流れ落ちる透明な一筋。

 彼はただ呆然と、涙を流していた。

 

「なに、どうして泣いて……」

「……?」

 

 シスネの言葉で初めて気付いたかのように、レーベンは左手で目許に触れた。そして濡れた指先をまた呆然と眺める。

 

「?」

「???」

 

 なぜ泣いているのか自分でも分からない。

 そんな風にしか見えない彼の姿が、シスネにはひどく幼い少年のように見えた。

 

「……っ」

 

 胸の奥が締め付けられるような痛みを覚えてシスネは顔を歪ませる。ひどくきつい上衣が苦しくて、自分で結んだ襟締めをほどいて抜き取った。そんな時に横から伸ばされたウルラの手。そこから白い手巾(ハンカチ)を受け取る。

 

「拭いてあげな」

「……うん」

「優しくね」

「分かってる」

「そんで胸に埋めてあげれば一丁上がりよ」

「しないけど!?」

 

 平然と炸裂弾じみた言葉を投げてくる姉に叫び返す。いったい何を埋めろというのか、手か。まさか頭などと言うのではないか。そんなことをすればシスネは気絶する自信がある。そんなことを考えながら大きな声を出したことがいけなかったのか。

 パツンッ、と。

 

「あ」

「いっ」

 

 自分の胸元から飛び出した小さな影。それは勢いよくレーベンの額に当たった後、くるくると回りながら天井近くまで跳ねあがった。落ちてきたそれを、兄が平然と片手で受け止める。そしてそれは。

 

「……釦だ」

「……~~~~っ!」

 

 サラベイが代弁し、もはやシスネは声も出せない、ただただ、更に開いた胸元をかき合わせながら椅子に座り直し、母の手料理を自棄食いする。腹が立つほど美味しかった。

 まずエンテが噴き出し、ウルラが大きなお腹を撫でながら大声で笑う。サラベイは眼鏡ごしにどこか呆れたような視線を向けてきながら苦笑し、コトラはぷるぷると笑いを堪えていた。父は豪快に笑う母に肩を組まれながら少しだけ笑い、祖父と祖母は優雅な笑みを浮かべている。

 三年ぶりに会ったとは思えない、こんなシスネなんかを迎え入れた、記憶の中のままの家族。

 

「あたたかい、な」

「……作ったばかりですからっ」

 

 ゆっくりと味わうように食べ始めたレーベンの脇腹を一回だけ小突いてから、シスネは真っ赤な顔で食事を再開した。

 

 

 ◆

 

 

 賑やかな食事が終わった後、レーベンはある一室に招かれていた。小さな丸椅子に座らされ、目の前には白髪の優男。

 

「包帯は毎日変えていたのか?」

「いえ」

「だろうな、傷口が化膿している」

 

 舌打ちする優男――サラベイは不機嫌さを隠そうともしない。だがその手付きは淀みなく、レーベンの右腕に何かの薬を塗り、あっという間に真新しい包帯を巻いてしまった。その雰囲気から予想はしていたが、サラベイは本物の医療者のようだった。今のこの診療所の主も彼なのかもしれない。

 食事の後でシスネが彼と何やら話していたのはその為なのだろう。おそらくは医療棟を出てからというもの碌な治療も受けていないレーベンの診察を頼んでいたのだ。……当のサラベイはひどく嫌そうな顔をしていたのが印象的だったが。

 

「外すよ」

 

 次に右目の包帯を解くのはひょろりとした壮年の男性――パロットだった。馴染みとなってしまった圧迫感が徐々に無くなると同時に、頭の軽さが却って不安になってもくる。

 

「……ひどいな」

「……そうだね」

 

 遂に全ての包帯が外されるとサラベイが眼鏡の奥の目を顰め、パロットも同じく眼鏡ごしに悲痛そうな視線を向けてくる。

 レーベンは机に置かれた鏡を覗き、そこに右目から右耳にかけて大きな裂傷を負った己の顔を見た。良くも悪くも特徴に欠ける顔だと自負していたが、この上なく目立つ徴がついてしまった。

 

「傷痕はだいたい塞がっているけど……どうする?」

「このままで結構です」

 

 目立つから包帯を巻くかと、言外に聞いてくるパロットの気遣いはありがたいが断った。包帯も無料(ただ)ではないのだ。これ以上世話になるのも気が引ける。

 

「なら診察は終わりだ。お大事に」

 

 そう言って、サラベイはさっさと退室してしまう。礼を言う間もありはしなかった。どうも彼からは好意的に思われてはいないようだが、そもそもいきなり押しかけてきたのはレーベンの方なのだ。むしろ他の面々がここまで良くしてくれていることの方が不思議であり、彼の態度こそが自然なのだろう。

 一晩だけ宿を借りて、朝には出ていくべきか。元からそうするつもりではあったのだが。

 

「ごめんね。気を悪くしないでくれ」

「いえ……」

 

 申し訳なそうに苦笑しながら、包帯と薬品を片付けるパロット。どこか気弱そうな男性だが、その手付きは慣れたものだ。彼もまた医療者なのだろう。

 

「息子も、いつもはもう少し愛想があるんだけど……聖女や騎士を相手にすると、どうもね」

「……シスネ、レインさんのことですか」

 

「シスネで良いよ」と朗らかに笑うパロット。否定はしないということはやはり、三年前の事件が原因なのだろうか。片付けを終えたパロットは先ほどまでサラベイが座っていた椅子にゆっくりと腰掛けた。

 

「娘のことは、どこまで?」

「三年前に騎士を介錯したと」

 

 その他、シスネについて知った少ない事柄を並べる。“騎士殺し”と呼ばれるようになったこと、一人で魔女狩りを続けていたこと、そして聖都の教会ではあまり良い目では見られていないこと。聖性を扱えなくなっていることは伏せておいた。きっと家族にも教えていないのだろうから。

 黙って話を聞いていたパロットは右手で眼鏡の位置を直してから口を開く。その時、彼の右手にどこか違和感を覚えたがすぐに話が始まってしまった。

 

「実はね、あの子が家に帰ってきたのも三年ぶりなんだ」

 

 家族を知らないレーベンでも、それが異常なことだとは分かる。遠い町にでも行ったのならばともかく、ずっと同じ聖都にいたのだ。彼女が意図的に会わないようにしていたことは明らかで、その理由も容易に想像できた。

 

「だからね、今日は本当にびっくりしたんだよ?」

「……誠に申し訳ありませんでした」

 

 三年も帰ってこなかった娘が突然、襤褸雑巾のような男を連れて帰ってきたのだ。それは確かに混乱も避けられない。あの時、咄嗟に思いついた苦し紛れの要求が彼らにも迷惑をかけてしまったことをレーベンは自省した。

 パロットは相変わらず温和な笑みを浮かべながら眼鏡を拭いている。髪色も雰囲気もシスネとはまるで異なるが、その瞳の色だけは同じだった。

 

「でもね、」

 

「そっち逃げたわよエンテ!」

「おいシス姉! 手間かけさせんなっての! コトラそっち押さえろ!」

「放してよっ! そんなの着れるわけないでしょ!?」

「夜中に騒いでんじゃないよガキ共!」

 

 ドタバタドタバタと。数人が走り回る音と争うような物音と拳骨でも落とされたような音が過ぎ去り、すぐに静かになった。

 その中にひどく聞き覚えのある声も混じっていたという事実にレーベンは呆気にとられ、パロットは溜息をつきながらまた眼鏡を拭き始める。癖なのだろうか。

 

「まあ……その、あの子が元気そうで良かったよ」

 

 そうして、レーベンが抱いたのと似たような感想を口にする。

 確かに、家に帰ってからのシスネは色々な意味で別人のようだった。レーベンは話でしか知らないが、大抵の人間は家族とそれ以外の者に見せる顔が違うのだという。ならばあれもまた、シスネの別の顔なのかもしれない。

 ……もしや、それをレーベンに見られたくなかったのだろうか。だからあれほど嫌がっていたと?

 

「でも君は、あまり元気そうじゃないね」

 

 一通り苦笑した後、パロットが声と表情を引き締める。彼の黒い目は眼鏡ごしにレーベンを見透かすように、医療者の目を向けてきていた。

 

「……この怪我ですから」

「確かに重傷だ。でもそれ以上に、心が重傷なんじゃないかな」

「……」

 

 言い返す気にはならなかった。ただ、医療者である彼が「心」などという不確かな物に言及したことが意外だっただけで。

 

「息子のあの態度は謝りたいけど、僕も気持ちは同じなんだよ」

「君はきっと、もう生きることを諦めている。もう死んでも構わないって、そう思っている」

「違うかい」

 

「……」

 

 言い返す気にはならなかった。あなたに何が分かると、そう言い返すことは簡単だったが、それは何の否定にもなってはいないのだから。

 

「僕は医療者だ。父も息子も。あの子だって、教会に行く前はそれを目指していたんだ」

「僕たちの仕事は、患者の“助かりたい”を手助けすることだ。怪我と病気を治すことだけじゃない」

「今の君にはそれが無い。だから僕たちには、どうしようもできないんだよ」

 

「……俺は、」

 

 助かりたかったはずだ。助けてほしくて、怪我を治してほしくて聖都に来た。聖女長に頼んで、聖性を流してもらって、もし、もしそれで成功したら。また騎士になって、そして。

 また魔女を狩る。今度こそ死ぬまで。()()()()

 

「俺は……」

 

 要するに「助け甲斐が無い」と、彼はそう言っているのだろう。確かに、死にたがりの命を助けるほど無為な行いも無いように思える。

 だがこんな身体になってしまったレーベンに今更、他の道など……。

 

「見てくれ」

 

 いつの間にか下げていた視界にパロットの右手が差し出される。その手はいつかのレーベンのように、人差し指と中指が無くなっていた。

 

「……魔女に?」

「まさか。ただの事故だよ」

 

 治療の際、誤って傷を負ったことから何らかの病に罹ったらしい。そして結局は切断するしかなかった。息子のサラベイに診療所を任せ、自身は補佐に回っているのもその為なのだと。

 

「もちろん君の方が遥かに重傷だ。比べるのも馬鹿らしいぐらいにね」

「でも医療者になることは僕の夢でもあった。これからって時だったんだ」

「まだ若い息子に重荷を背負わせることにもなって、後悔してもしきれないよ……っ」

 

 興奮気味に語るパロットは何かに怒っているように見えた。それは過去の自分に対してなのか、あるいは運命と呼べるような物に対してなのか。医療者にとって指がどれほど重要かなどレーベンでも想像できる。彼もまた己の道を閉ざされてしまったのだ。

 左手を見下ろす。もう一本しか残っていない己の手を。

 

「どうやって、立ち直りましたか」

「立ち直ってなんかいないよ」

 

 顔を上げれば、複雑な表情で笑うパロット。その様々な感情が綯い交ぜになったような顔はシスネによく似ていた。

 

「解決してくれるのは時間だけさ。そして時間は生きていないと進まないんだ」

「だからちゃんと食べて、ちゃんと寝て、身体に気を付けて」

「君もどうか、()()()()ね」

 

 どこの診療所でも、医療棟でも、ついさっきサラベイからもかけられた定型句をパロットも口にする。だがそれを聞いたレーベンの心は、変わっていただろうか。

 

「……はい」

 

 少なくとも、頷ける程度には。

 

 

 

「あぁ、それとね、息子が君を嫌っている理由は別にあると思うよ」

 

 丸椅子から腰を上げようとしていたレーベンは、パロットの唐突な言葉に再び腰を下ろした。

 

「君が元騎士だからっていうのもあるんだろうけど、要はかわいい妹に変な虫がついたと思っているのさ」

「虫」

「そう、虫」

 

 確かにあの冷たい目は虫でも見ているかのようなものではあったが。

 当のパロットは相好を崩しながらまた眼鏡を拭き始める。そのいかにも面白そうな表情はウルラにもよく似ていた。

 

「あの子は昔っからシスネを可愛がっていてね。シスネが教会に行く時なんて――」

「聞こえてるぞ親父!」

「ぬぉ!?」

 

 今まで何処にいたのか。何故かレーベンの近くの扉が勢いよく開け放たれ、それに押し出されたレーベンは丸椅子から転げ落ちる。床に転がったまま見上げたサラベイの顔は相変わらず不機嫌な表情で、髪も肌も白い。だがその耳だけはひどく赤く見えた。

 そして舌打ちをひとつしてから手を差し伸べてくるその様が、あまりにもシスネにそっくりで。

 

「やはり、兄なんですね」

「誰が義兄(あに)だ。刺すぞ」

「えぇ……」

 

 ……なんとも物騒な兄妹であると、レーベンはそう思った。

 

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