魔女狩り聖女   作:甲乙

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魔女と騎士

 

 カーリヤにとってその日は、少しだけ憂鬱な日だった。

 母と喧嘩してしまった。理由はほんの些細なことで、癇癪を起こしたカーリヤは苛立ちのままに言葉を吐いて、家を飛び出した。扉の向こうの、怒ったようで哀しそうな母の顔を今でも覚えている。

 いつもは教会で勉強をする時間だったけど、行く気にはならなくて。だからブラブラと、町の隅っこの川辺を一人で歩いていた。

 やがて太陽が南に上って、教会の鐘も昼を報せてしばらく経ってから、幼馴染の少年が来た。カーリヤを探していたと。

 カーリヤはすぐに母への不満を少年に話して、すぐに悪いのは自分だと気付いた。なのにひどい事を言ってしまったと後悔するカーリヤの手を少年は握って、一緒に謝りに行こうと言ってくれた。

 小さくて弱虫でも、やっぱり少年はカーリヤの一番の友達だった。

 

 

 ※

 

 

 目を開ければ、燃えるように赤い空がカーリヤを見下ろしていた。

 

「……っ、あ、けほっ……ぐ、」

 

 息を吸おうとして、口の中に入っていた土と砂のせいで咳き込む。吐き出す為に体を起こして、たったそれだけの動きで体中が軋んだ。

 異様なほどに静かだった。死んだような静謐の中で、カーリヤが噎せる音だけが響く。

 周囲には何も無い。元々、開けた場所の街道を進んでいたのだ。あったのはぽつぽつと生えた木々ぐらいなもので、今はもうそれすら無い。何もかも、薙ぎ倒されてしまったから――。

 

「……ライアー?」

 

 ようやくカーリヤは思い出してきた。気を失っていたばかりな上、どこか現実味の無い光景のせいか頭がひどく鈍い。魔女を捜していて、魔女が大量に現れて、伝令の為に村を出て、その途中で……。

 

「……っ、ライアー!?」

 

 全て思い出した。

 軋む体も無視して立ち上がろうとして、左足にひどい痛みを感じて蹲る。スカートの切れ目から覗く腿には、白い骨。

 一瞬、自分の骨が飛び出ているのかと血の気が引いたけど、そうではなかった。自分以外の何かの骨が突き刺さっていたのだ。……それも充分にゾッとしない光景ではあったけれど。

 

「ぁぐっ!」

 

 息を吸って、一思いに引き抜く。幸い骨は短く、引っかかることもなく簡単に抜けた。出血も多くはない、傷口を手で押さえながら今度こそ立ち上がる。

 カーリヤの眼前に広がる異様な光景。真っ赤な空に照らされた赤い地面。そこら中に散らばっていたのは小石ではなく、骨の破片だった。もう元が何のどこの骨なのかも分からない、骨、骨、骨……。自分の脚に刺さっていたのもその一つなのだろう。むしろ一つしか刺さっていなかったことが奇跡のよう。

 だがカーリヤが探しているのはそんな物ではない。あの巨大な魔女ですらない。探しているのは、彼。誰よりも信頼する自分の騎士で、昔から一緒にいて、そして何よりカーリヤが守らなければいけない……。

 

「――ライアー!」

 

 すこしだけ離れた場所に、彼を見つけた。もう昔とは違う、大きな体を聖銀の鎧で包み込んだ姿。赤い地面に横たわる彼の傍に、目印のようにカーリヤの狙撃銃が突き刺さっていた。

 

「ライアー! 良かった、見つかって……」

 

 足を引きずりながら歩いて、彼の傍らに膝をつく。気を失っているらしい体に掌を当てて、聖性を流し込む。これで大丈夫。聖性さえ流せばどんな傷でも治る。どこか遠くへ飛ばされたり、土砂に埋まったりしていなくて本当に良かった。

 

「……ほんと、心配させないでよね! 昔から世話が焼けるんだからっ」

 

 安心のあまりに息をついて、そして次は憎まれ口が出てきた。そろそろ彼も目を覚ますだろう。目を覚まして、起き上がって、いつもみたいに鳶色の目で苦笑して、憎まれ口を返して、そして。

 

「…………ライアー?」

 

 返事が無かった。もう充分な量の聖性を流しているのに、彼の体は横たわったまま。

 ぴくりとも、動かない。

 

 

 

「――――――ぇ」

 

 

 

 顔を上げて、視線を動かして、彼の顔を見ようとして、誰かの口から小さな声が聞こえた。

 

「――、え? ……ぁあ、え?」

 

 誰かの声、カーリヤの声。

 彼の顔、ライアーの顔、それを見ようとしても、どこにも見えない。

 

「……あ、あぁ……?」

 

 無い。

 彼の顔が無い。

 ライアーの頭が、無い……?

 

「……――? ……??」

 

 無い。そんなはずがない。頭が現実を拒絶していた。

 ……現実? そんなはずがない。これが現実なはずがない。カーリヤは何も拒絶なんてしていない。現実から目を逸らしたりなんてしていない。

 だからこれは現実じゃない。嘘だ。何かがカーリヤを騙そうとして吐いた嘘。

 嘘だ。

 嘘だ、嘘だ、これは嘘。

 だってあり得ない。

 ライアーが、あのライアーが、こんな簡単に死――――。

 

 

『いや』

『死んじゃいや』

『いかないで、いかないで』

『だきしめて、ずっとここにいて』

 

 カーリヤを囲む、無数の歪んだ声。

 

 

 ※

 

 

 カーリヤが家に帰った時、すべては終わっていた。

 家が真っ赤だった。自分の家も、隣の家も、その隣の家も。夕日に照らされていたからじゃない、赤い塗料を塗りたくられたみたいに、家が真っ赤に染まっていた。

 赤い塗料の中に聖女と騎士がいた。二人はカーリヤに気付くと何かを言ったけど、カーリヤには何も聞こえていなかった。ただ見ていた。

 赤い塗料の真ん中に横たわる、黒いドロドロの何か。それに埋まった女の人の顔は、カーリヤと同じ空色の瞳を、虚ろにカーリヤに向けていた。

 怒ったようで哀しそうな、最後に見た顔のままで。

 

『お、かあ、さん』

 

 消えそうな声はカーリヤの物ではなかった。手を繋いだままの、少年の声。

 その視線を辿れば見慣れた顔がカーリヤを見返していた。赤い塗料の中で、顔が、顔だけで。一人だけじゃない。見慣れた顔が、見知った人の顔が、顔が、顔……。

 響き渡った絶叫が誰の物だったのかは、今でも分からない。

 

 

 ※

 

 

 カーリヤは夢を見ていた。

 夢に決まっている。

 だって、こんなのおかしい。

 あんな、山みたいに大きな魔女がいるなんて悪い冗談としか思えない。

 こんな、こんなにたくさんの魔女がいきなり現れるなんて。あれだけ捜しても見つからなかったのに。

 そんな、そんなことあるわけない。

 ライアーが、死んでしまうだなんて。

 

『いかないで、いかないで』

『おいていかないで』

『ずっと、ずっと、ずっと』

 

 カーリヤは悪夢(ゆめ)を見ていた。

 悪夢よりもずっと悪夢みたいな光景だった。

 赤い空の下の、赤い大地の上で。

 カーリヤを取り囲む、異形の影、影、影……。

 それらが口々に、次々と発する歪んだ声、声、声……。

 無数の……魔女。

 

「――――ライアー」

 

 彼の体を、揺する。

 

「起きて、ねえ、魔女よ、戦わないと」

 

 彼の体を、揺する。

 

「仕事よ。寝坊なんて駄目よ。お母さんに怒られちゃうじゃない」

 

 彼の体を……。

 

「こんな時ぐらいしっかりしないと。レイにだって笑われちゃうわ」

「あの馬鹿、魔女狩りの日だけは早起きなんだから」

「そんなの悔しいから、二人で起こしにいきましょうよ」

 

 彼は……。

 

「ライアぁぁ……」

 

 

 ひたり、と。

 

 

「――――ぁ」

 

 

 カーリヤの脚に触れる、冷たい泥の感触。

 

 

『いっしょに』

『みんな、いっしょ』

『あなたも』

 

 

 夢ではない。

 それを、断ち切られた脚の痛みでカーリヤは知った。

 

 

 ※

 

 

 それは、ありふれた悲劇だった。

 カーリヤとその幼馴染を襲った、この国ではごくありふれた悲劇。

 魔女化したカーリヤの母親はその目に映るすべてに牙を剥き、近隣の人々を無差別に襲った。町に常駐していた聖女と騎士はすぐに駆けつけ、それを討伐。負傷者は十二名、死者は母を含めて五名。町中で発生した魔女禍による被害としては少ない部類だったらしい。

 

『たいしたことはなかった』

 

 母を狩った聖女と騎士が教会の職員とそんな話をしていたのが、地面に座り込んだままのカーリヤにも聞こえた。

 たいしたことはなかった? 被害の数が? それとも魔女になった母の強さが? どちらにせよ、そんな言葉でカーリヤの悲劇は片付けられてしまった。だってこれは、ありふれた悲劇だったのだから。

 

 残ったのは二人だけだ。カーリヤと、幼馴染の少年だけ。

 

 彼もまた、カーリヤと同じように地面に座り込んでいた。虚ろな目で、真っ赤な塗料の中の、真っ赤な誰かの残骸から目を離さずに。元から痩せっぽちの体はもっと弱々しく見えて、瞬きしている間に消えて無くなりそうだった。

 ……カーリヤを置いて。

 

『――ごめんなさい』

 

 口から零れた謝罪は、誰に向けたものだったのか。少なくとも、母でも彼でも他の犠牲者でもなかったと、カーリヤは思う。

 彼が顔を上げて、色だけはいつもと変わらない鳶色の目をカーリヤに向ける。その目には何か、何かを見つけたような光を放っていた。

 

『そうだよ』

『わたしが悪いの』

『ぜんぶ、わたしのせいなんだよ』

 

 こわかった。

 こんなに簡単に全てを壊してしまう魔女禍が。自分もそれに巻き込まれていたかもしれないという事実が。容赦なく母を狩った聖女と騎士が。魔女とその娘に向けられる、見知った人たちの変わり果てた視線が。魔女が。聖女が。騎士が。もうぜんぶが怖かった。

 でも何よりも怖かったのは、ひとりになること。

 もうカーリヤには彼しかいない。自分の傍にいてくれるのは、もう彼一人しか。

 

 ――わたしのせいだよ

 ――だから怒っていいよ。殴っていいよ

 ――それであなたが楽になれるなら、それで良いよ

 ――あなたの心は、わたしが守るから

 ――だから、だからそのかわり……

 

 

 

『いっしょにいて』

 

 ばきり。

 まずは足首だった。目の前に転がされたそれが誰の足首なのか一瞬カーリヤは分からなくて、そして一瞬後には嫌でも分からされた。

 

「い……っ、あ、あああぁぁぁ――――っ!?」

 

 激痛。恐怖。絶叫。

 爪なのか牙なのか、切り落とされたのか引き千切られたのか、そんなことはもう分からない。分からないほどカーリヤの心は乱れ切っていて、そしてカーリヤに群がる魔女の数は多かったから。

 

『いかないで』

 

 絶叫が止まない内から、もう片方の足首がどこかへ行ってしまった。これでもう、自分は二度と立って歩けないのだとカーリヤは理解してしまった。

 

『やめて』

 

 宙をさまよっていた両手が地面に縫い止められる。何か鋭いモノに何か所も突き刺されて、カーリヤはもう何の抵抗もできない。何もできないまま、ずっと嬲られる。殺されることもないまま、ずっと。

 

『死んじゃいや』

 

 一つだけあるのだ。カーリヤにできる唯一の抵抗。

 一つだけじゃない、いくつも嵌められた自決指輪。二個でも三個でも安心できなくて、ついには全部の指に着けてしまった御守り。指輪だけじゃない。もっと強力な自決腕輪だって、毒薬の入った首飾りだって。耳飾りだって。

 でも。

 

『ひとりにしないで』

 

 つるりとした棒状のそれが自分の脛だということに気付くまで時間を要した。その間、ずっとカーリヤは叫び続けていた。痛くて、怖くて。

 可愛いと、綺麗だと、美人だと、たくさんの人に言われても、彼だけは言ってくれなかった。そんな彼が一度だけ、綺麗な脚だと言ってくれた。あれはいつのことだったか、そう確か、あの廃村から逃げて、彼と殴り合いの喧嘩をして……。

 

「ラ゛、イア゛ァ……」

 

 彼が綺麗だと言ってくれた脚はもう無い。目の前で二本ともぐちゃぐちゃにされてしまった。

 綺麗な脚だと言ってくれた彼はもういない。目の前の、すぐそこで、動かないまま……。

 

「ご、めん……ざい」

 

 ついさっきまで動いていたのに。ついさっきまで喋っていたのに。ついさっきまで……喧嘩をしていたのに。

 ひどいことを言ってしまった。

 見損なったって、弱虫だって。今まで彼がどれだけ苦しみながら努力してきたのか、誰よりもカーリヤが知っていたはずなのに。そんな彼に、最後にかけた言葉があれだなんて、あんまりだ。あんまりだ!

 

「ごめ……ごめ゛ぇぇ――――っ!」

『ひどい』

『ひどい』

『あんまりよ』

 

 カーリヤに罰を当てるみたいに魔女たちが群がる。我先にと半ばから失くした両脚をその手でその爪でその牙で掴んで噛みついて切り裂こうと引き千切ろうと咬み砕こうと。

 それでも、誰もカーリヤの胸を貫こうとはしない。首を落とそうとはしない。頭を砕こうとはしない。

 魔女は、聖女を簡単には殺さないのだから。

 

「ごめん……ごめん……さい……」

 

 恐怖と苦痛に塗りつぶされたカーリヤの心には、ただ後悔と絶望だけがあった。こんな時の為にいくつも身に着けていた自決道具のことも忘れて。

 

「ごめん……」

 

 カーリヤはいつもそうだ。

 あんなに優しかった母にひどいことを言って、それが最後のお別れになってしまった。もしかしたら、それこそが母を魔女にしてしまったのかもしれない。

 あんなに傷だらけのレーベンを殴って、ひどいことを言ってしまった。一番つらかったのはレーベンのはずだったのに。

 あんなに、こんなに自分を守ってくれたライアーに……。

 

「ごめ……」

 

 カーリヤはいつもそうだ。

 臆病で、虚勢ばかり張って、本当に言いたいことは一言だって口にできない。

 だからこんなことになった。

 ずっと伝えたかったことも、ライアーに伝えられないまま。

 

 

「ごめんなさい…………ライアー……』

 

 

 ぽたりと。

 一滴。

 真っ赤な地面に、

 真っ黒な涙が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 聖女と騎士の物語は、いつだって悲劇で終わる。

 

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