魔女狩り聖女   作:甲乙

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別れをかたる

 

 目の前に立つシスネはあの白服ではなく、見慣れた灰色の装束姿だった。

 細い体を締め上げるように何本ものベルトが巻かれ、それらにいくつもの武器が括りつけられている。三本の短剣と二丁の短銃。背には二丁の長銃と、脇に提げられた大短銃。

 長いスカートの裾から覗くのは簡素な短靴ではなく武骨な長靴(ブーツ)。左手の人差し指に光る自決指輪。白い髪は雑に束ねられ、尾のように揺れていた。レーベンを見つめる瞳の色は、黒。

 まるで聖女らしくない、レーベンが初めて見た時そのままの姿だった。

 気が付けばもう中央広場には誰もいない。粗方の難民は避難を始め、それに加われなかった者たちもまた別の場所に移ったのだろう。残っているのは二人だけだ。レーベンと、シスネだけ。

 

「隣、空いていますか」

 

 故にその問いに何の意味があるのかは分からず、ただレーベンは無言で肯定する。シスネもまた無言で長椅子へと腰掛けた。レーベンの死角ではなく左隣へと。視界の端に横顔が映り、すこし左手を伸ばせば触れられる、そんな位置に。

 

「置いていかれますよ」

 

 まっすぐ前を向いたままシスネが言う。レーベンも同じ前を向いたまま、それを聞いた。

 

「まさか、ここに残る気ですか」

「いや……」

 

 残る気は無かった。ここはいずれ戦場になる。己が残っていても邪魔にしかならない。だがレーベンはなかなか腰を上げられずにいた。女でもなければ健康体でもないため後回しにされていたのも理由の一つだが、それ以上に逃げる気が無かった。否、逃げる理由が無いのか。

 

「早ければ明日の朝にもドーラはやって来るそうです。その前にさっさと逃げて下さい」

「ドーラ?」

「例の巨大魔女のことです。そう呼ぶことになりました」

 

 ドーラという名はレーベンにも聞き覚えがある。

 曰く、この国で生まれた最初の魔女の名であるとされているが、根拠は無いのだという。どの史料にも英雄譚にもドーラという名は存在せず、ただ口伝えのみの噂話に等しい存在だ。わざわざそんな名前を付けるとは、いったい誰の意向だったのだろうか。少なくともヴュルガ騎士長ではないだろう。

 

「山のように巨大で、竜に似た魔女、だったか」

「そのようですね。誇張だと良いのですけれど」

 

 この二日間、難民に混じって過ごしていたレーベンでも断片的な情報は得ていた。

 アスピダ山脈から現れた巨大な魔女――ドーラは、常識外の存在である魔女の中にあって、更に常識を覆すような巨体を持つ。それは大木も遥かに通り越してもはや山に等しいなどと言われていたが、それは確かに誇張であることを祈りたくもなる。

 更には強力無比な遠距離攻撃まで行うことが可能で、いくつもの村と町が灰燼と帰したらしい。そして何よりも恐ろしいのは、敵はドーラだけではないということだ。

 

「魔女の数は百とも二百とも言われています。あれだけ捜してもいなかったのに、いったい何処に隠れていたのでしょうね?」

 

 皮肉まじりで嘆息しながらシスネは言う。そのどこか彼女らしくない態度は、隠しきれない動揺の表れなのかもしれない。

 それもそのはずだ。魔女の数も減った現在では、複数の魔女を同時に相手どる機会など殆ど無かった。そこに幾百もの魔女の群れである。例え国中の聖女と騎士を集めようと数の利を覆すことはできないだろう。

 そして大量の魔女が今まで何処に潜んでいたのか。レーベンは一つの仮説を立てていた。

 

「今思えば、あの頃にはもう始まっていたのかもしれないな」

 

 レーベンとシスネが強制的に組まされ、共に行うことになった初めての魔女狩り。あの頃には既に魔女狩りの依頼はひどく少なくなっていた。だというのに、カクトの廃鉱山で対峙したのは共喰魔女だ。しかもレーベン達をすぐには襲わずに隠れ潜むなど、魔女の性質に反するような奇行も目立った。

 森の奥の洞窟に閉じ込められていた魔女(ミルス)が突然に暴れ出したのも、無関係ではないのかもしれない。サハト村や他の場所で確認された多数の共喰魔女の存在も気になる。

 

「あの頃から、魔女は皆ドーラに引かれていたんじゃないか」

「アスピダ山脈にいたドーラの所に向かおうと、魔女が集まっていった」

「その途中で共喰いを始めて、数も減って」

「そして最後は皆、ドーラに喰われた」

 

 仮説が正しければ、ドーラは比類なき永命魔女であり、共喰魔女であり、そしておそらくは破戒魔女でもある。それだけの魔女を喰らっておいて、その中に破戒魔女が混ざっていないとは考えにくいのだから。

 黙って話を聞いていたシスネも「なるほど」と納得した様子だったが、補足するかのように口を開いた。

 

「案外、始まりはもっと早かったのかもしれませんよ」

「……あぁ、確かに」

 

 言われて思い出したが、シスネと初めて会った夜にも同じ場所に二体の魔女がいた。いつも通り一人で魔女を狩った後、岩陰で休んでいたところに彼女が転がり込んできたのだった。もしあれこそが始まりだったのだとすれば、運命か何かのような物すら感じてしまう。碌でもない運命ではあるが。

 シスネもそう考えたのか、吐息だけで笑うような声が聞こえる。レーベンもまた、かすかに笑ったと思う。

 

 

 

「村は……残念でしたね」

 

 ほんの少しだけ笑った後、ぽつりとシスネが呟く。元よりかすかでしかなかったレーベンの笑いは、残滓もなく消えて失せた。

 教国の中でもっとも辺境に位置したノール村。恵まれたとは言えない環境の、死が日常となっていた中でも逞しく生き、それでも温かい人々だった。家族を知らないレーベンでさえ不安になってしまう程の。

 そんな彼らだったから、一度は見捨てようとしたレーベンも足を止められたのだ。シスネの言葉に動かされたのだ。己で定めた生と死の一線を踏み越えて、破戒魔女を狩ったのだ。

 だが、それも結局は――。

 

「無駄ではありません」

 

 左目を向けても、シスネはただ前を向いていた。何かを睨みつけるように黒い瞳は光を放っている。

 

「無駄ではなかった」

「絶対に、ぜったい」

「無駄なんかじゃありませんから……っ」

 

 レーベンは一言も発してはいない。シスネもこちらを見てはいない。ならばそれは彼女の独り言で、それは自分に言い聞かせている言葉なのだろう。故にレーベンは何も言わず、ただ視線を前に戻した。

 およそ十五日。レーベンが破戒魔女を狩った日からノール村が滅んだ日までの日数だ。あの魔女を狩ろうと狩るまいと、きっとドーラは現れただろう。ならばその十五日間が、レーベンが身を捨てて得られた命の時間ということになる。

 その時間で、あの村の人々は何かを成せただろうか。それはもうレーベンには分からないことだ。ノール村だけでなくサハト村の人々も、その死後の安寧を祈るぐらいしか出来ることはなかった。

 

 

 

 会話は途切れ、ただ夕日だけが沈んでいく。正面から赤い光を浴びながら、レーベンは彼女が何をしに来たのか考えていた。

 既に装備を整えたシスネは今すぐにでも魔女狩りに向かえそうな様子だ。実際、ドーラと魔女の群れはすぐにでもやって来るかもしれない。こんな所で油を売っている暇は無いはずだ。

 

「……そろそろ行きますね」

 

 レーベンの内心を察したかのように立ち上がり、だが立ち去ることはせずレーベンの前に立つ。顔を上げれば黒い瞳がまっすぐと見据えてきた。

 

「これを」

 

 差し出されたのは白い封筒。促されるまま左手で受け取り、その意外な重さに思わず目を落とす。

 

「聖都では私の家を頼ってください。そうしてもらえるよう手紙に書いてあります」

「こんな状況なので、もう人でいっぱいかもしれませんけど……」

「まあ、追い出されはしないでしょう」

 

 ただそれだけの要件の手紙がここまで分厚くなるわけもない。ならば他の要件も多分に含まれているということだ。例えば、家族全員に対して手紙を書けばこんな厚さになるだろうか。

 

「それと……これも」

 

 徐に装束の襟元を開き、細い鎖を引っ張り出す。しゃらりと音を立てて現れたのは、二つの指輪。

 

「……」

「……」

 

 無言でシスネがそれを見つめ、レーベンも無言でそれを見つめる。その指輪の持ち主となるはずだった二人。彼と彼女のことを今語れるほど己はまだ現実を受け入れ切れていなかったらしい。おそらくはシスネもまた。

 受け取ろうと左手を出し、だがその前にシスネが体を傾ける。ふわりと、彼女らしい澄んだ香りが鼻先を掠め、首に回されていた華奢な両腕はすぐに離れていった。固まるレーベンの首に提げられた細い鎖。そこには二つの指輪と、

 

「これは、」

「今度こそ受け取ってくれますね?」

 

 小さな聖銀片。表に刻まれた教会の紋章と、裏に刻まれた彼女の名前。聖女証。それを渡すということはつまり――。

 だが言葉を発しようとしたレーベンの口は既に塞がれていた。シスネの白い手で。

 

「だめですよ。黙って受け取ってください……お願いだから」

 

 彼女と初めて会った夜、あの時もこんな風に口を塞がれた。彼女は忘れているのだろうが、レーベンは覚えている。シスネと共にした魔女狩りは、共に過ごした日々はすべて。

 

 

 

 離れていく手を掴む。レーベンが己の意思で彼女に触れるのは何度目で、いつ以来だっただろうか。細い手首を確と掴み留めても、シスネは何も言わなかった。

 

「最後に、ひとつだけ聞きたい」

 

 立ち上がり、己より少しだけ低い視線と目を合わせる。黒い瞳を左目だけで見つめても、シスネはもう何も言わなかった。ただ、苦笑に似た表情を浮かべただけだ。

 

「良いですよ、何でも答えます」

「言ったでしょう?」

「あなたの望むことなら、何でもすると」

 

 シスネの言う償いとはレーベンの中ではもう終わったものだったが、彼女はそうでもなかったらしい。どちらにせよ、これが最後なのだとレーベンは思っていた。

 

 

「あなたは、なぜ魔女を狩っているんだ」

 

 

 はじまりは聖女への憧れだと言っていた。医療者の家系に生まれ、また医療者を目指していた彼女は聖女に憧れを抱き、自ら教会の門を叩いたのだと。騎士レグルスと契りを交わし、聖都の中でも優秀な一組と評され、そして三年前にレグルスを介錯した。

 そこまでは良い。聖女に憧れを抱くことも、聖女が自らの騎士を介錯することも決して珍しいことではない。問題はその後だ。

“騎士殺し”の汚名を背負いながら魔女を狩っていたのは何故だ。もう聖性を扱えず、どの騎士とも契りを交わせず、一人で魔女を狩っていたのは何故だ。

 

 やめてしまえば良かったのだ。魔女狩りなど。

 

 生きたまま役目を降りる聖女などいくらでもいる。当然だ。誰だって死は恐ろしく、聖女に至っては死より恐ろしい結末すら待っている。賞賛こそされなくとも、誰も責めはしない。

 そして何もかも忘れて、パロットが言ったように時間に解決させて、また医療者の道を進めば良かったはずだ。あるいはウルラのように誰かに嫁ぎ、人並の幸せを掴めば良かったはずだ。

 何故なら彼女はもう聖性を使えない。もう聖女ではなかったのだから。

 

「簡単ですよ」

 

 シスネは、本当に簡単そうに答えてくれた。

 

「あなたと同じです」

「他に歩める道が無かったから、今さら医療者になれるとも思わなかったから」

「もう聖女でいる道しか無かったから」

 

 淡々と答える彼女の顔にはただ笑みだけがあった。それは自嘲であり、そしてレーベンを嘲笑うような笑みにも見えた。

 

「要するに、そう……ただの惰性です」

 

「本当ですよ?」と、首を傾げながらシスネは付け足した。

 レーベンはただ聞いていた。口を挟むことはなく、表情も変えずにただ聞いていた。だが忘れていたのは、シスネがレーベンの表情を何故か尽く見抜いてしまうということだ。

 

「失望しましたか?」

「もっと崇高で、健気で、綺麗な理由だとでも思いましたか?」

「残念でしたね、私はあなたが思っているような女ではなかったのですよ」

 

 失望。

 失望だったのだろうか。レーベンの内に湧いていた感情は。確かにそれもあったとは思う。だがそれだけだったのだろうか。

 シスネはわらっていた。まるでレーベンに失望されたことが面白くて仕方ないとでも言うように。白い手に隠された口許は喜悦に歪んでいるようにすら見える。

 彼女がそんなわらい方をすることは確かに、そう……意外だった。

 

「……あぁ、でもそうですね」

 

 ひとしきりわらった後で、シスネは自分の白髪を撫でた。腰まで伸ばされた真っ白な髪を。

 

「未練、もあったかもしれません」

「魔女を狩っていれば、いつかまた聖性が扱えるようになるかもしれない」

「今度こそ、良い聖女になれるかもしれない、なんて……」

 

“白髪の聖女は良い聖女となる”

 レーベンにとってシスネの象徴だったその長い白髪は、彼女にとっては未練の象徴だったのだ。

 

「でも……それも終わりのようですね」

 

 ふと力が抜けたようにシスネが呟く。その顔から笑みは消え、どこか憂いを帯びた無表情――シスネらしい表情へと戻った。

 

「もう全部、お終いなのかもしれません」

「……そうだな」

 

 現実を直視すれば、それはまさに絶望的だ。

 災厄そのものと言って良い巨大魔女ドーラと、幾百の魔女の群れ。勝ち目があるのか無いのかも分からないような、まさに前代未聞の戦い。その嵐の中でシスネが生き残る保証など何ひとつ無く、それどころかポエニスが、聖都が、カエルム教国そのものが滅ぶことも充分にあり得るだろう。

 レーベンもシスネも教国を出たことは無い。この小さな国が世界の全てだ。その世界はもう明日にでも滅ぶのかもしれない。

 世界の終末。それはあっけなく眼前へと迫っていた。

 

 

 

「もう、いいですか?」

 

 平坦な口調でシスネは言い、レーベンは無言でその手を放した。思いのほか強く掴んでしまっていたのか、彼女は胸元で自分の手首を撫でる。それは祈りの姿勢にも見えた。

 

「大嫌いでしたよ。あなたのこと」

 

 嫌いだと、そう言われたのは何度目だっただろうか。いつも通りの表情で、いつも通りの口調で、いつも通りのシスネは最後にそう言って、踵を返した。

 レーベンはただ黙っていた。無言で、表情も変えず、シスネに表情を見抜かれたのかも分からないまま。夕日の中を歩いていくシスネの背中を、ただ見ていた。

 彼女は、一度も振り返らなかった。

 

 

 ◆

 

 

 日が沈み、夜が訪れる。本来、旧聖都であるポエニスは夜であろうと完全に眠ることはなく、少なくない店や家々には灯りが絶えることはなかった。

 だが今やレーベンの周りは闇に閉ざされている。大通りに人影は無く、どの建物も窓は暗いままだ。まるでポエニスが一足先に滅んでしまったかのような静寂。

 

 

 

 静寂のまま夜は更け、月が大きくその位置を変えた頃。

 レーベンは立ち上がった。

 

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