魔女狩り聖女   作:甲乙

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終わりの前夜

 

 ドーラの南進と、それに伴う被害は続いていた。偵察隊から送られてくる情報によれば、ドーラと魔女の群れは既にポエニスの眼前まで迫っている。このままであれば夜が明けるか明けないか、そんな時分には目視で確認できる距離まで近付いてくるだろう。

 もっとも、ドーラ自体が常軌を逸した巨体を有している上に、その「砲撃」は遥か遠くまで届くというのだから、目視できるか否かはそれほど重要ではないのかもしれないが。

 

「レヒト、ドロワ、デクシアの町の被害は甚大。生存者は五割もいないかと」

「例の砲撃か。悪夢のようだな」

「幸い、砲撃後に群れは素通りしたようです。聖都に避難するよりは、そのまま待機させるべきでしょう」

「近隣のリンク村と、ゴーシュの町は無事です。難民はそちらに誘導するよう指示を出しました」

「砲撃を受けた町と受けなかった町の違いは何だ? 進路に近いというわけでもなさそうだが」

「気になるのは分かりますが、もう時間が無い。ここで迎え撃つほかありませんよ」

 

 教会の本棟、その一階の会議室には昼夜を問わず情報が集まり、それらが矢継ぎ早に捌かれ続けていた。大きな机の上には教国の地図が広げられ、ドーラの位置を示す黒い石がポエニスからそう遠くない位置に置かれている。教国内の町や村の情報を示した資料が積み上げられ、様々な事柄が走り書きされた紙が針で留められているが、一部は床にまで散乱していた。

 机を囲む上位職員たちの顔には疲労の色が濃い。皆が決して若い年齢とは言えず、もう既に三日ほどはこの部屋から碌に出られていないのだ。倒れた者もいるが、いつまでも医療棟に寝かせているわけにもいかない。何せ命がかかっているのだから必死にもなる。

 唯一、表情を変えていないのは机の一角に腰掛ける男ぐらいなものだ。

 人間離れした巨躯は重厚な鎧を纏い、兜だけは傍らに置かれている。髪を剃り落とされた禿頭には巌のような強面が刻まれ、そこからは何の感情も読み取ることができない。火色の眼光はどこまでも冷たく、広げられた地図を見据えていた。

 

「ヴュルガ騎士長」

 

 会議室に入ってきた職員がまっすぐ男――ヴュルガの元に歩み寄り、何かを言った。それが漏れ聞こえていた幾人かの上位職員たちは眉を顰め、ある者は口を引きつらせる。程なくして部屋の扉が再び開かれ、室内の空気が変質した。

 

「こんばんわ、皆さん」

 

 夜の冷気にも似た、涼やかな声だった。

 キリキリと車輪が鳴る音と共に現れたのは、長い白髪を持つ異形の女。左半身を削ぎ落とされた体を車椅子に乗せ、年齢不詳の美貌も左半分は醜く爛れている。

 イグリット聖女長。聖都から招かれた聖女たちの長が、遂にポエニスへと到着した。

 

「状況は概ね存じております。明日の朝、皆でドーラを狩るのでしょう?」

 

 歌うような声で、遊興を楽しみにした少女のような口調で女は言った。自らが名付けた魔女を狩ると。

 遠目には美しい乙女のようにも見える右側の微笑と、遠目でも醜い左側の凶笑。それらが織りなした怪相に、幾人かの上位職員は目を逸らした。吐き気を催したのか、口元を押さえている者すらいる。

 氷色の瞳でそれを見たのか見ていないのか、どちらにせよ何が可笑しいのか、ころころと歪な声で笑いながら机の一角に着く。そこに座っていた職員は自ら椅子を持って場所を空けた。畏敬ではなく、忌避に近い動きであった。

 

巨大(おお)きな魔女に、魔女の群れ。そしてこちらも聖女と騎士の軍勢ですか。――ふ、ふふ」

 

 気が触れたような笑いに周囲がざわめく前に、薄暗かった室内が光に満たされた。

 青白い炎にも似た輝き。それは聖性の光に他ならず、それを発することが出来るのは聖女のみ。そして今この場にいる聖女は唯一人しかいない。

 

嗚呼(ああ)……まるで、はじまりの彼らの戦いそのものです」

「女神よ。名無き女神よ、今こそ感謝を捧げます」

(わたくし)もひとつの聖女として、この戦に全霊を注ぐとしましょう」

 

 氷色の瞳を爛々と輝かせながら聖女たちの長は冷たく涼やかな声で、だが高らかに歌いあげた。彼女の歪な痩身は燃えあがるように聖性の光を放ち続ける。

 この気狂いのような女が長年に渡って聖女長の座にあり続け、そして今この場に招かれたことには理由がある。それがこの室内を満たすような聖性の光。その桁外れの強さだ。

 聖女としての技量、つまりは聖性の扱いの巧さには個人差があるが、それは先天的な感覚によるところが大きい。それこそが聖女の資質であり、その点においてイグリットは正真正銘の天才(かいぶつ)であった。

 つまるところ、彼女は最高の戦力として招かれたのだ。この教国の存亡をかけた戦いに確実に勝利する為の切り札――「英雄」の一人として。

 

「無論、貴方もですよヴュルガ。久方ぶりに(くつわ)を並べようではありませんか」

「……」

 

 熱を孕んだ言葉と視線を向けられても、ヴュルガは表情を変えない。

 もう一人の「英雄」はただ黙したまま、常と変わらない無感情な視線を虚空に向けていた。

 

 

 ◇

 

 

「――っ」

「シスネ? どうしたの?」

「ぇ、あぁ、ごめんなさい」

 

 突然に背を駆けあがった悪寒に体を震わせたシスネは、傍らの聖女の言葉に頭を振った。根を詰め過ぎたのかもしれない。

 

「そう、そこの穴から弾を込めて。十発入るから」

「こう?」

「弾の向きに気を付けてね。入れたらこのレバーを――」

 

 シスネは他の聖女たちに長銃の扱いを教えていた。本来、聖女が銃を用いて積極的に魔女と戦うことは少ない。その為、せいぜい短銃の扱い方しか知らない者も多かったのだが、今はもうそのような事は言っていられなかった。

 

「練習する時は弾を抜いて。本当は試し撃ちもしたいけど……」

「弾を無駄にする訳にはいかないからね。ありがとう、あとは自分でやるから」

「ええ、しっかりねキャナリー。オーカ、弾込めはできた? クトレトラは大丈夫?」

 

 危なっかしい手付きで長銃を持つ聖女に助言しながら、必要最低限のことだけ教えていく。あともう数時間ほどで戦いは始まるかもしれないのだ。あれこれと教えても混乱の元でしかない。

 そんなシスネの姿を見て、聖女の一人がくすりと笑いを零した。

 

「すごいよねシスネは。先生みたい」

「分かる。銃の扱いも上手いしね」

「そうそう、あの鍛錬棟の時とか本当にかっこよかったんだから!」

「え、ちょっと、あの……」

 

 きゃあきゃあと場違いなほど姦しい声をあげ始める聖女たちに困惑していると、彼女らは更に高揚したのか、思い出したくない話まで持ち出してくる。

 

「“フッ……まあこんなものです。あんな的、止まって見えますよ”」

「私そんなこと言ってない……」

「“何度でもやってみせますよ。まあ、あなたには出来ないでしょうけど”」

「言ってないから! もう!」

 

 やたらと気取った声と仕草で自分の真似らしいことをやり始める聖女たちにシスネは憤慨した。昔からすぐに赤くなってしまう顔は今も熱を持っていて、それが余計に恥ずかしい。だいたい、そんな気障(きざ)な台詞を自分なんかが言ったはずも無いのだ。……いや、似たようなことは言ってしまっただろうか?

 

「あーもーほんとシスネ可愛い」

「わぶっ」

 

 その内に頭をかき抱かれて胸元に埋められる。その間にも何本かの手が、犬でも撫でるようにシスネの白髪をもみくちゃにしていた。こんな時にもう少し緊張感を持てないのだろうか。本当にこの人たちは!

 

「――カーリヤなら、きっとこうしたかな」

「……っ」

 

 シスネを抱く聖女の囁きは、この場の全員に届いていた。そして皆に慕われていた彼女の死も、皆が既に知っていたことだ。カーリヤだけではない。ドーラによって奪われた他の聖女たちも。

 

「……、あー言ってた言ってた。とりあえず、ぎゅーってすればそれで安心するって」

「……、私もされたことあるわよ。なんかもう、すごかった!」

 

 ようやく解放されたシスネが見た彼女らの表情は笑顔だった。笑顔で、カーリヤの思い出を語っている。

 

「あれは反則だと思うのよ私。うちの騎士(やつ)もよく鼻の下伸ばしてたわ」

「わかるー」

「どうせなら一回揉んでおけばよかった」

 

 それが空元気による強がりだということが分からないシスネではない。それだけカーリヤは慕われた良き聖女で、そして今の状況は絶望に等しいのだから。

 

「まあとりあえずアレね。明日の仕事が終わったら皆で集合ね」

「お店どこにしようか。いつもの所でいい?」

賛成(さんせー)

騎士(おとこ)は抜きでよろしく」

「もちろん、シスネもね」

「え……っ」

 

 突然に向けられた視線に、シスネは胸元を探った。そこにあった聖女証の感触はもう無い。今日の夕方、「彼」に渡してしまったから。あの二人の指輪と、家族全員へ宛てた遺書と共に。

 この戦いから生きて帰られるとは、思っていなかったから。

 

「生き残ろう。みんなで」

 

 円になった聖女たちが手を重ねる。そして皆が最後の一人を待っていた。シスネを。

 

「――……」

 

 三年前、レグルスを介錯した日から殆ど他人と関わることは無かった。常に一人で過ごして、一人で魔女を狩っていた。それが“騎士殺し”と蔑まれる自分には当然だと思っていたから。

 でもそれは本当に、シスネが蔑まれていたからだったのだろうか。

 そんなこともあったと姉は言っていた。でもそれは最初だけだとも言っていた。もう三年も経ったのだと。気にしすぎなのだと。

 カーリヤとライアーはあんな事があったというのに、長い時間をかけて和解した。そして遂には将来を共にするところまで仲を深められた。

 もう二度と帰れないと思っていた家族は何の変わりもなく受け入れてくれた。もう合わせる顔が無いと思っていた聖女たちもこうして受け入れてくれている。

 本当は、聖都の人たちもシスネを拒絶なんてしていなかったのではないか。いたとしても、それは全員だったのか。それは今もそうだったのか。

 エイビスにはまだ許してもらえていない。だけどシスネは一度でもあの子に謝っただろうか。ちゃんと話をしただろうか。

 三年間、ずっと。

 

『あなたも、あのエイビスという騎士と和解できる日が来るかもしれないと……そう言いたかった』

 

 拒絶していたのは、シスネの方ではなかったのか。

 でももう、今更そんなこと……。

 

 

 

「ちょっとシスネー、空気読もうよー」

「せっかくカッコよく決めてたのに」

「罰として脇腹揉むから」

「――待って! ごめん、ごめんなさいっ!」

 

 思考と追憶に耽っていたシスネの意識は、脅迫そのものの言葉で現実に叩き戻された。シスネの弱点もこの場の皆が知ってしまっている。……主にカーリヤのせいで。

 慌てて皆の手に手を重ねる。こうしていると、聖女たちの顔がよく見えた。みんな、青褪めた顔に貼りつけたような笑みを浮かべている。不格好な、強がりの笑顔を。

 

「「「女神の導きのあらんことを」」」

 

 シスネの周りは綺麗な人たちばかりだ。強くて、弱くても強くて、心の綺麗な人たちばかり。

 穢いのはシスネだけ。いつだってシスネだけだ。

 

「……女神の導きの、あらんことを」

 

 こんな穢いシスネには、もったいない人たちばかりだった。

 

 

 ※

 

 

 男はうんざりしていた。

 もう真夜中だというのに仕事は一向に片付く気配が見えない。本棟の地下倉庫からあらゆる武器と弾薬を持ち出し、それを担いで周壁まで運ぶ。もちろん自分の足でだ。男はまだ若者と言って良い年頃ではあったが騎士でも警備職員でもなく、肉体を鍛える趣味があったわけでもない。その為、運動にも肉体労働にも不慣れな体は既に悲鳴をあげていた。

 

「弾薬はこっちだ! 炸裂弾も! ……おい危ねえぞっ!」

「くそ、誰だこんなもの置いたやつは!」

「何なんだこのガラクタは……、技術棟の変態共め」

「据え付けしっかりやれよ! 反動で吹っ飛ぶぞ!」

「おい誰か聖女を見なかったか、部品が欠けちまった!」

 

 もう休んで寝てしまいたいが、それを周囲と状況は許してくれそうもない。飛び交う怒号と喧噪、あれだけ忌々しかった地下倉庫の静寂が懐かしくすら感じてしまう。もう二日前……いや三日前だったか? それからずっとこんな状態だ。碌な物も食べていないし、寝台でも寝られていない。

 重く深いため息をつきながら、男はもう何度目になるかも分からない階段を下りはじめた。少しでも気を抜けば転げ落ちてしまいそうだ。

 

「ねーお嬢、そろそろ行きません? いつになったら震えが止まるんですー?」

「ふ震えていないと、いい言っているだろうがっ!」

「じゃー早く立ってくださいよー」

 

 途中、通路の奥まった場所で変な二人組を見かけた。やたらと背の高い女は装束からして聖女のようだが、そうなると傍らで蹲っているのは騎士なのだろうか? それにしては随分と小柄な上に、しかも女の声だった。男が知る限り、ポエニスに女の騎士はいない。

 今回の作戦では、国中の聖女と騎士はその全てが動員されることになっている。ポエニス所属の者はもちろん、未だ無事な町に常駐していた者も、聖都の者達もだ。中には既に役目を降りていた聖女や騎士すら志願しているという話もある。ならばあの二人は、他の町か聖都から来たのだろう。適当に予想して男は再び歩き出した。どの道、自分などにはあまり関係のないことだ。

 

「こんな日も鍛錬するの? 今日ぐらい休んだ方が」

「やらせてくれよ。その方が落ち着く」

「長銃なんて初めて持ちました……。たしか、このレバーを引けば、」

「おい銃口をこっちに向けるな!」

「聖女長が来ているって本当なのか? 最後に一度お会いしてみるか」

「やめておけ。その……想像とは違うと思うぞ」

 

 作戦の要となるのは当然、聖女と騎士たちだ。男も知っているポエニス騎士に、知らない騎士も大勢いた。だがさっきの小柄な女騎士といい、おそらく聖都から来た騎士といい、やたらと細身な者が多い。充分に鍛えられてはいるのだろうが、過剰な程に筋骨隆々な者の多いポエニス騎士に比べればどうしても体格だけは見劣りするのだ。

 いや、一人だけいたか。中肉中背の、騎士としては小柄で、やたらと大量の武器と薬物を要求してきては男の仕事ばかり増やす、あの忌々しい……、

 

「ファイサン」

 

 いきなり呼ばれた自分の名前に男――ファイサンは驚いた猫のように飛び上がった。今は手ぶらだったから良いものの、もし炸裂弾でも抱えている時だったらと思うとゾッとしない。

 通路の暗がりに声の主はいた。黒い髪の、特徴に欠ける顔立ちの若い男。これまた特徴のない平服に黒いボロ布のような外套を羽織り、そのせいで暗闇にとけ込むように佇んでいる。

 彼を、ファイサンはよく知っていた。

 

「武器をくれ。あと炸裂弾と焼夷弾、薬もありったけ」

 

 よく知っていたが、今の彼はファイサンの知る騎士とはまるで違っていた。

 暗がりから出てきた彼の顔には、酷い裂傷が刻まれていたのだ。右目を完全に抉っているそれは右耳まで続いている。よく見れば、右袖にも中身が無いではないか。

 

「固いことを言うな」

 

 死にぞこないの亡者か、動き出した屍か。そんな姿になって戻ってきた元騎士は、再びファイサンの平穏を奪おうとしていた。

 

「俺とあんたの仲だろう。なあ?」

 

 ファイサンは気が遠くなる思いで溜息をつく。もう、うんざりだった。

 

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