魔女狩り聖女   作:甲乙

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ポエニスの烽火

 

 ポエニスは朝を迎えようとしていた。

 夜更けまで慌ただしく動いていた者たちも夜明け前にはようやく準備を終え、その後は皆がじっとその時を待っていた。

 ある者は周壁の上でまんじりともせず北を睨み続け、ある者は武器も抱えたまま死んだように眠る。またある者は自室で何かを綴り、またある者は一人静かに酒を傾けていた。

 聖女も騎士も、教会に属する者もそうでない者も皆、その時を待っていた。月は何事もないかのように寸分の狂いもなく沈み、夜明け前のもっとも空が昏くなる時、ついにそれは現れる。

 

「――来た」

 

 聖女か、騎士か、そのどちらでもなかったか。誰かが呟いた一言は音もなく教会中へと伝播し、もはや声もなく皆がただ持ち場へと急ぐ。皆が皆、顔に死相を浮かべながら。

 

 

 

 最初にはただ暗闇だけがあった。ポエニスの北に広がるナダ平原。昏い空の下、そこには何の影も見えはしなかった。周壁の上に陣取る者たちにも、周壁の外に陣取る者たちにも見えてはいなかった。

 見えてはいなかったのだ。だが聞こえてはいた。

 

 ■■■■■■━━━━

 

 まるで「ここにいる」と。そう報せているかのような声と共に太陽が顔を出し始める。

 

「来たぞ」

「あぁ、来た」

 

 誰かの呟きに誰かが返し、ポエニスが朝日に照らされ始める。

 

「来る、来るよ」

「もう来ている」

 

 ポエニスの北に聳える黒の小山。だが旧聖都の北側に山など存在しない。

 

「来る……来たぞ」

「来た! 見えたぞ!」

「あれが……ドーラ!」

 

 山としか言い様のない絶望的な巨体。いったいどれほどの年月を経れば、あれだけの永命魔女が生まれるのか。いったいどれほどの魔女を喰らえば、あれだけの共喰魔女が生まれるのか。

 竜に似ているとされた姿。なるほど確かに、割れたような咢を持つ頭部と長い首、巨体を地響かせる二本の前脚は御伽噺に登場する竜にも見えるだろうか。だが見る程にその異形は竜という恐ろしくも美しい空想種とは似ても似つかなかった。作りかけの粘土細工か、あるいは竜の粘土細工を無遠慮に捏ねまわしたような出来損ない。竜のような、竜ではないモノ。

 あれは、そう。魔女なのだから。

 

 ■■■■■■■■━━━━━━

 

 (そうだ)とでも応えたようにドーラが吼える。無数の獣と鳥と虫の鳴き声を混ぜ合わせ、雷鳴と地鳴りと嵐の風音を足し、最後に幾百人もの断末魔を加えればこのような声になるかもしれない。そしてその声に応えるように、ドーラの足元で蠢く異形たちも口々に叫び始めた。

 

『嬉しい! あぁ、ありがとう!』

『許さない、許さない、助けないから』

『やめて、どうしてそんなことを』

『あは、あはは! あは!』

 

 ある者は喜び、ある者は怒り、ある者は哀しみ、ある者は楽しそうに笑いながら。獣のような、虫のような、鳥のような、人のような姿の異形たちが。幾百の魔女たちが押し寄せてくる。

 

「あぁ……っ」

 

 誰かが漏らした小さな声。この上なく戦意を削ぐその声を咎める者はいない。誰もが内心では同じ心境だったのだから。

 どちらかなら良かったのだ。巨大魔女か、魔女の群れか、そのどちらかなら。ドーラだけだったならば皆で一気呵成に攻めかかれば狩れたかもしれない。魔女の群れだけだったならば、こちらも数を揃えれば押し返せたかもしれない。だが目の前にいるのは両方だ。

 ドーラに注力すれば周囲の魔女たちに押し潰されるだろう。だがドーラを無視すれば何をしてくるのか分かったものではない。両方を相手にしなければならないのだ。あの未知の巨大魔女と、平原を埋め尽くすような魔女の群れを。

 自分たちにそれが出来るというのか。だが出来なければ死ぬ。自分たちも他の者たちも皆死ぬ。退路は無い。逃げることもそのまま死を意味する。だが戦おうとそれは同じではないのか。

 往くも死。退くも死。どちらにせよ、今日ここで死ぬというのなら――!

 

「総員、配置につけ」

 

 皆が一通り絶望し、それが自棄に似た覚悟へと変質した時、感情の無い声が響き渡る。大声を張り上げている訳でもないというのにはっきりと聞こえたその声の主は、周壁の外に佇んでいた。

 規格化された鎧の中でも最大級の重甲冑。纏う者の巨躯に合わせて作られたそれは大きく分厚く、まるで御伽噺の動く石像(ゴーレム)彷徨う鎧(リビングアーマー)のよう。兜に揺れる真紅の飾り房と同色の外套は象徴性故ではなく、ただ指揮者を判別させる為の物。だがそのような物など無くとも、その騎士の姿は戦場でも目を離せない程の威容を誇っていた。

 巨躯の騎士――ヴュルガ騎士長の静かな号令に従い、震え固まっていた者たちも動き始める。事前に決められていた配置、つまり騎士長は平原の中へ、騎士たちは騎士長の後ろに、聖女たちは自らの騎士の傍へと並んだ。

 ドーラは未だ遠くにいる。その巨大さから遠近感が狂いそうになるが、ポエニスの周壁からおよそ千歩は離れている。そのちょうど中間の位置に聖女と騎士たちは陣取っていた。

 彼らの作戦を知らぬ者には、それが自殺行為にしか見えなかっただろう。あの場にいるのは約百五十組。この戦いに参加した全ての聖女と騎士たちだ。ただ一人あの場にいない例外がいたが、それに気付いた者はいない。

 どちらにせよ、何の障害物も無い平原に並ぶ彼らはいずれ魔女たちに飲みこまれるのみ。魔女の群れの方が数は多く、そしてドーラを相手にすれば言うまでも無い。

 だが当然、彼らも騎士長もただそこで散ろうとしたわけではなかった。

 

「聖性を放て」

 

 騎士長の号令。同時に立ち上る青白い炎に似た輝き。聖女を伴っていないように見える騎士長の体からもそれは発せられた。それを疑問に思う間もなく、聖女たちが掌を自らの騎士へと向け聖性を放つ。並ぶ騎士たちの体と鎧が青白く輝き、朝焼けに照らされた平原の中で幻想的なまでの光景が浮かび上がる。

 周壁の上に並ぶ者たち――警備職員や技術者、指揮を執る上位職員たちも一時は状況を忘れ、その光に見入っていた。黒い魔女の群れに立ち向かう、輝く銀の騎士たち。それは一枚の絵のようですらあったのだから。

 だがそれを見ていたのは人だけではなかった。

 

 ━━■■━━■■■■■■━━━━━━

 

 ドーラの咆哮。そして変異。融け落ちたように開かれる咢から伸びる、どこまでも長大な筒。砲身。わずか五日間でカエルム教国の約三割の町と村を灰にした「砲撃」が今まさに放たれようとしていた。

 

「動くな」

 

 騎士長の号令。あの天災の如き攻撃を前にして待機を命じる声に逆らう者はいない。心身の髄まで刻み込まれた騎士長への恐怖と、一つでもしくじれば皆が死ぬのだという恐怖によって。

 ドーラの砲身が発火する。青白い光は間違いなく聖性の輝きであり、それはドーラが破戒魔女でもあるという証左であった。いかなる原理によるものか、あの砲身に滾る聖性によって砲撃は放たれるのだ。

 

「動くな」

 

 騎士長の声は揺るがない。自らが最前列へと立ち、今この国でもっとも死に近い場所にいるとは思えない無感情な声で。

 ドーラの砲身が傾く。水平ではなく仰角を上げるように。放物線を描く砲弾が、ちょうど騎士たちの中心を捉えるように。

 

「動くな」

 

 騎士長の声。

 ドーラの砲撃。

 朝焼けの空を青白く染めるほどの閃光と、数秒遅れて響く轟音。飛来する影。

 

「――散開!」

 

 初めて騎士長が叫ぶ。轟音の中でも響く大音声と同時、騎士たちは皆が自身の聖女を抱えて駆け出した。四方へと散り散りに。

 走る騎士の一人には、その飛来する何かが見えていた。銃弾をそのまま巨大化させたような骨の塊。周りにこびり付いた黒い泥は青白く輝き、最後の聖性を滾らせている。極限状態の集中が見せる停滞した視界は解け、骨の砲弾が遂に着弾した。

 

「――――!」

 

 閃光。振動。轟音。衝撃。一緒くたになって襲い掛かってきたそれらは騎士と抱きかかえていた聖女をも飲みこみ、嵐に吹かれた枯れ葉のように吹き飛ばす。冗談のような浮遊感はすぐに悪い冗談のような衝撃へと変わり、平原の地面をゴロゴロと転がり、一瞬遅れて吹き付けてきた土煙が追い打ちをかけてから、ようやく二人は止まった。

 

 

 ※

 

 

「……お嬢、生きてます……?」

「…………たぶん」

「はいはい、ちゃんと生きてますよっと……あいたた」

 

 半ば土砂に埋もれていた長身の聖女――シグエナが同じく埋もれた女騎士――エイビスを引っ張り起こす。だが鎧が重いせいで上手く立てないらしい未熟な騎士に対し、頭を撫でるようにして聖性を流してやった。

 

「あーひどい目に遭った。ちびりました? 絶対ちびったでしょ、お嬢」

「うるさい、貴殿もさっさと立て!」

「あ、否定はしないんですね」

 

 無言で足を蹴ってくる騎士に落ちていた槍を手渡してから、ようやく周囲を見回す。朦々と立ち込める土煙が風に流され、否応なしにその光景を見せつけてきた。

 

「うわぁ……」

 

 元より何も無い平原ではあったが、それでもここまでではなかった筈だ。ズルリと皮を剥がれたような剥きだしの地面だけが広がっている。これがドーラの砲撃。それもただ一発でだ。

 

「すんごいですね、ねーお嬢」

「……」

「お嬢ー?」

「……」

「戻ってこないとお尻なでちゃいますよー。もう撫でてますけど」

「……」

 

 重症だ。

 無理もないだろう。この娘はやっと見習いを脱したばかりの未熟者。魔女と直に対峙したこともなかったというのに、初めての魔女狩りがこれだ。段階も何もあったものではない。だからこうして呆然と立ち尽くすしかないのだ。

 

 ――まあ、だいぶ無茶な作戦ではあったけど

 

 ドーラが現れてからの数日で集められた情報。そこから導き出されたのは、「ドーラは聖性に反応して砲撃を行っている」という仮説だった。

 ドーラがここに到るまでに砲撃した町や村の唯一の共通点、それが聖女と騎士の有無。元より魔女には聖女を優先して狙うという習性があり、その点からも信憑性の高い説であった。

 そしてもう一点、「砲撃は二射目から威力が大幅に落ちる」ということ。これもまた灰燼と帰した町や村の被害状況を調べた末に立てられた仮説だ。魔女は常識外の存在ではあるが、それでも血肉を持った歪な生命体であることは変わらない。いかに巨大な魔女であれ、あれ程に強力な攻撃を短時間にそう何度も放つことは出来ないということだろう。

 故にこの作戦は立てられ、そして今まさに実行された。つまりは全ての聖女と騎士を囮にし、ナダ平原の真ん中に砲撃を放たせた。本格的な戦闘を前に無駄撃ちを誘い、ポエニスへの被害を最小限に留める為に。

 

「……おい、どこを触っている!」

「あ、起きた起きた」

 

 兜の奥から睨み上げてくる青い目に笑い返しながら、シグエナはさりげなく自身の体でエイビスの視界を塞ぐ。

 理に適った作戦ではあっただろう。ごく短時間に立てられた作戦であることを考えれば成果は上々だっただろう。だが当然すべてが上手くいく筈も無かった。

 視界の端に映っているだけで、動かない聖女か騎士の人影がいくつも見える。気を失っているだけかもしれないが、そもそも影すら見えなくなってしまった者もいるだろう。自分たちは運が良かった。偶々(たまたま)、砲撃の着弾点から離れた位置に立っていただけ。本当にただそれだけの偶然だ。

 

 ――文句を言っている場合じゃないか

 

 何にせよ生き残った。どのみち他に方法など無かった。無傷で勝てる相手などではない。ここで犠牲を出さなければ、砲撃されていたのはポエニスの方だ。そうなればそれだけで終わっていた。それだけは避けなければならなかった。

 そう、戦いはまだ始まったばかりなのだから。

 

「はいはいお嬢、お仕事の時間ですよー。早くおぶってくださいよー」

「くそ、わたしは馬じゃないんだぞっ」

 

 他の生き残りたちも同じように騎士が聖女を抱えながらポエニスへと戻っていく。体格差がまるで真逆のシグエナたちもなんとかそれに合流できた。

 

「あぁ重い! すこしは痩せないかまったく!」

「……言いますねえ、後ろから撃たれても知りませんよ」

「ほざけ!」

 

 この娘も思っていたよりは図太かったらしい。エイビスには見えないように微笑みながら、シグエナは改めて聖性を流す。

 目指す周壁の上では既に次の作戦が動きだそうとしていた。

 

 

 ※

 

 

「聖性の気配が九、いえ十人消えました。思っていたよりも少なかったですね」

 

 誰よりも砲撃の着弾点の近くにいたにも関わらず無傷な上、誰よりも早くポエニスに戻っていたヴュルガは耳元に涼やかな声を聞いた。

 声の主は自身の聖女――イグリットであり、その聖女は今ヴュルガの背中に括りつけられている。背負ったままの得物と並ぶ(はこ)、棺と呼ぶには小さなそれの中に納められているのだ。二人で共に魔女狩りにある際は常にこの姿。もう随分と昔からそうだった。

 

「――騎士ポジト、聖女プルス、騎士ネオ、聖女――」

「貴方たちに女神の導きのあらんことを」

 

 今の砲撃で逃げ遅れた聖女と騎士たちの名を口遊み、イグリットは最後に聖句で締めくくった。視界を完全に塞がれ、聖性の気配だけで個人を判別するなどもはや人外の所業と呼んでも良い。それが聖性という半ば超常の域にある(わざ)であってもだ。

 だがそれも今はどうでも良いこと。損耗は十組。ただそれだけの情報を脳に刻みながらヴュルガは次の号令を発した。

 

「銃撃準備」

 

 

 

「出番だぞ! 並べ並べ!」

「おいまだ上がってない奴がいるぞ! ロープあるか!?」

「駄目だ! 門を開けてやれ!」

「来るぞ! はやく構えろ!」

 

 最初の役目を終えた騎士たちが聖女を抱えながら周壁の上まで飛び上がり、駆け上がってくる。それと入れ違うようにして警備職員たちを主とした銃隊が周壁に並んだ。中には負傷したのか周壁の下に取り残された者たちもいるが、その全てを助け出すことは難しい。魔女の群れはもう、すぐそこまで迫ってきていたのだから。

 

「くそ……っ、駄目か」

「せめて撃ってやろう。俺がやる」

「いや……。たぶん自決した」

 

 瀕死なのかあるいは既に死んでいたのか、騎士の体を引きずっていた聖女が突然に倒れ伏す。おそらくは自決道具を使ったのだ。そしてすぐに黒波のような魔女の群れに騎士もろとも飲みこまれていった。あの聖女の判断は正しかったのだろう。

 

「引きつけろ。まだ撃つな」

 

 そんな光景を見ていたにも関わらず騎士長の声は揺るがない。何の感情も無いようなその声は銃隊の士気を上げはしなかったが、代わりに音もなく水に沈んでいくかのような集中を齎してくれた。自分たちは只の歯車であり、ただ命令に従っていれば良い。手に持つ多種多様な銃器と同じものなのだと思い込むことができたのだ。

 

「まだ撃つな」

 

 平原が魔女に埋め尽くされていく。ぬらぬらとした黒い泥が沼のように広がってくる。カチカチと、引き金が震える音か歯の鳴る音が何人分も響いた。それでもまだ騎士長は号令を出してくれない。

 

「まだ撃つな」

 

 それは奇しくもつい先刻に騎士たちへと命じた号令に似ていたが、それに気付く者はいない。ただ彼らもまた皆が恐れる騎士長の声を待っていた。

 

『来て、こっちに来て』

『行くよ、いま行くよ』

『来ないで、来ないで』

『駄目よ、絶対に許さない』

 

 歪な声の、意味不明な言葉の羅列。教国の民なら皆が心の奥底に刻まれている魔女への嫌悪と恐怖をかき立てる声の波が聞こえてくる。それほど魔女はすぐそこまで迫っている。もうすぐそこに、今にもこの周壁を這いあがって、自分の目の前に躍り出てきそうな程に!

 

「撃て」

 

 銃隊の恐怖が理性を超えるのと、魔女の群れが有効射程に入るのとはほぼ同時だった。騎士長の号令に従った者もそうでない者も皆が引き金を弾き、周壁に並んだ彼らの武器が遂に堰を切った。

 銃声。銃声。銃声。絶え間なく響く雨音のように銃声が連なり、そして放たれた銃弾が文字通り雨のように魔女たちへと降り注いだ。ポエニスの武器庫に保管されていた物から聖都より取り寄せた物まで、実用化前の最新型から骨董品のような旧型まで。この国に現存するほぼ全ての銃がかき集められ、それらが一斉に火を噴いたのだ。

 

「撃て! 撃ちまくれ!」

「狙うんじゃない! とにかく撃てぇ!」

「弾だ! 弾を持ってこい! もっと!」

「やった! 当たったぞ!」

「ははっ! ま、魔女め! ぶぶぶっ殺してやるぇ!」

 

 魔女に対する恐怖が裏返り、更に銃声と硝煙の臭いが彼らを獣へと変えていた。皆が皆、恐怖と歓喜に顔を引きつらせながら血走った目を魔女たちへと向け、手にした銃を眼下へと向ける。撃たなければ死ぬ。殺さなければ殺される。誰もが死にたくはなく、誰もが魔女を恐れそして憎んでいる。ならば今ここで引き金を弾き続けることに何の躊躇いが要るというのか。死ね。死んでしまえ。殺される前に殺してやるとばかりに。

 銃声は鳴り続け、瞬きする間に幾十幾百もの銃弾が魔女に殺到する。歪な躰を無数の銃弾に貫かれた魔女が絶命し、その屍を踏みしだきながら別の魔女が周壁へと迫る。銃弾に紛れるようにして投下された焼夷弾が壁をよじ登ろうとしていた魔女を焼き払い、そこに撃ち抜かれた別の魔女が転がり落ちていく。銃声と、魔女の歪な悲鳴と、銃隊の怒号そして歓声。ポエニスは即席の煉獄と化していた。

 これが人間相手の戦であったのなら、とっくに決着はついていただろう。後先考えないポエニスの猛攻を前にして撤退を余儀なくされていただろう。だが相手は人間ではなかった。

 

 ■■■■■■■■━━━━━━

 

 最初の砲撃から沈黙を守っていたドーラが再び動き出した。足元の魔女を踏みつぶし喰らいながら前進し、巨大な砲身を傾ける。今度は空ではなく、周壁へと向かってまっすぐに。

 ドーラは聖性に反応して砲撃する。だがそれはあくまで仮説であり、あの巨大魔女が何を考え何を基準に動いているかなど誰にも分かりはしない。元より魔女とは常識外の存在であり、何をしてくるのか分からないのだから。

 

「逃げろ――!」

 

 誰かの叫びは轟音に消し飛ばされた。先の砲撃よりも威力は各段に劣るが、それでも古びた周壁の一角を吹き飛ばすには充分に過ぎる。放たれた巨大な骨の砲弾は聖性の炎こそ纏ってはいなかったが、その重さと速度だけを以て周壁を貫いた。

 そしてそれは戦いの潮目が変わったということでもある。

 

『ああ! ありがとう! ありがとう!』

『許さない、あなただけは許さない』

『ひどいわ、裏切ったのね』

『あははは! あっははははは!』

 

 降り注ぐ石片と土煙の中から歪な声がいくつも聞こえる。それらに混じり、幾人かの悲鳴と血肉の弾ける音が悍ましく響いた。

 

「くそ! 魔女が入って来たぞ!」

「だめだ、逃げろ!」

「助け……ぐあっ」

 

 ひび割れた壺から水が漏れ出すように、ドーラの開けた風穴は瞬く間に銃隊の防衛に綻びを生じさせた。人同士の荒事には慣れ、この数日で銃の扱いも学んではいても彼らは警備職員、魔女と対する力など有してはいないのだ。魔女狩りの狂熱は一瞬で消え去り、殺す者と殺される者は元の立場へと戻ろうとしていた。

 だがそれで全滅するようであれば、カエルム教国は二百年前に滅びていた。

 

『ありがとう、ありが――――』

『絶対に許さな――――』

『ひどい――――』

『あは――――』

 

 幾つもの声が一瞬で同時に消え去る。わずかに遅れてドチャドチャと泥が地面を叩く音が響き、今まさに魔女に群がられようとしていた職員はその姿を見た。

 

「……ヴュルガ、騎士長」

 

 人間離れした巨躯を更に膨れ上がらせたような過重装鎧。真紅の飾り房と外套。全身から立ち上る青白い聖性。そして何よりも、その威容も霞んで見えるような得物。剣と呼ぶのも烏滸(おこ)がましい聖銀の塊。大剣、否もはやそれは「巨剣」だった。

 ごう、と。騎士たちの長は何を言うでもなく叫ぶでもなくただ巨剣を振るう。巨大すぎる刃の通り道にあった物は魔女であろうと周壁の残骸であろうと何もかも一切合切が残骸と化した。刃に流され続ける聖性は切れ味を完璧に保ち続け、無尽蔵の体力はその剣腕に一切の翳りを見せない。更には見る者が見れば気付いたであろう、目を見張るような剣筋の精緻さ。断じて力任せなどではない、どこまでも洗練された剣理が群がる魔女に一切の反撃も回避も許さなかった。

 

「銃隊は退け。騎士隊は前に出ろ」

 

 端的な号令は作戦が次の段階へと進んだことを示していた。

 聖女と騎士を囮としてドーラを消耗させる第一段階。非聖性武器である銃を主として、騎士を温存しながら敵を間引く第二段階。そして周壁が破られることは想定済み、ここから先は小細工抜きの第三段階であった。

 

「さあ、始めましょうか」

 

 騎士長の背負った函から涼やかな声が響き、白い手が這い出てきた。函に押し込められた聖女長が口以外に唯一動かせる右腕、そこから閃光のような聖性が放たれる。その光は戦列を組んだ騎士たちの体を包みこみ、彼らの聖女からも送られた聖性を更に嵩ましていった。

 如何なる業か。人外の域にまで達したイグリットの聖性は自身の騎士だけでなく、その周囲の騎士たちまでをも十全に強化したのだ。聖都の中でも上位に位置する精鋭騎士たちがその身を二重に強化されれば、それは一騎当千と呼んで何の差し支えもない。

 

「攻撃開始」

 

 静かに響く英雄の声を皮切りに、騎士たちの雄叫びと魔女の声、そしてドーラの鳴声が響き渡る。

 太陽は登り始め、場違いなまでに青い空が戦場を照らし出す。晴天の元で、旧聖都はかつての大戦を再現しようとしていた。

 

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