魔女狩りの際、「彼」はいつもその黒い外套を羽織っていた。
騎士は鎧の上から外套を羽織ったりはしない。魔女禍が蔓延する以前の大昔ならともかく、走り回り跳び回りながら魔女と戦うことが常の今では邪魔でしかないのだから。
『それ、何の為に着ているのですか』
あれは確か、ノール村で魔女の捜索を始めて間もない日だったか。間借りした村長宅の部屋で装備を身に着けている「彼」に、そう聞いたことがある。特に何の意味もない、何も考えず口にした問い。
「彼」が答えるには、その外套もまた技術棟の面々から購入した怪しげな試作品だったらしい。特に耐火性に優れ、魔女狩りに火を用いることが多かったから買ったのだと。
存外にまともな答えに拍子抜けした。シスネは「格好いいから」とか、そんな馬鹿な答えを期待していたから。そうしたら、いつもみたいに呆れた顔で罵ってやれたというのに。
八つ当たりのように弾薬を込めている間に「彼」は準備を終えてしまった。黒い騎士装束の上から申し訳程度に聖銀の鎧を一部だけ身に着け、その上から黒い外套を羽織ったいつもの姿。黒髪とも相まって、その姿は黒一色だ。
『あぁ、それと』
唐突に聞こえてきた声にシスネも逸らしかけていた視線を戻す。灰色の双眸と目が合い、その目は少年のように楽しげな表情で。
『騎士らしいだろう?』
『聞いた私が馬鹿でした』
シスネはそう、望み通りの顔で望み通りの答えを返すことができたのだった。
なんにせよ、その黒い外套はシスネにとって「彼」の象徴だった。
擦り切れ、ボロボロに酷使されたそれは騎士の外套というよりはむしろ鴉の羽を思わせたが、それもまた騎士らしくない「彼」には似合っているとシスネは思っていた。もちろん、そんな事は口が裂けても言わなかったが。
そして今、その黒い外套がまた目の前で揺れていた。
「――――……、……っ、レ」
「ぬぉあっ!?」
「ェベあっ!?」
黒い外套の主――レーベンの名を呼ぼうとしてすぐ、シスネは倒れ込んできた彼の体に押しつぶされた。目の前に外套と黒髪が迫り視界が黒い一色になる中で、彼の呻き声と金属音、そして魔女の歪んだ声を聞く。
『聞こえない! 聞こえないの!』
「くそっ重い! おいシスネ手伝ってくれ!」
『聞こえないよぉ!』
「頼むぞ聞こえてるのかおい!」
「……うるさいんですよっ!」
酸欠のせいで痛む頭に響く二つの声、その両方に向けて罵声を返しながら起き上がり、すぐ目の前に突き出された泥の針に息を飲む。だが寸でのところで翳された金属板が金属音を響かせ、シスネは事なきを得た。
「持ってくれ重いんだ!」
「重い重いうるさいんですってば!」
レーベンが左手だけで持っていた金属板――聖銀の大盾をシスネも支える。特に筋力に優れた騎士だけが用いるそれは見た目の通りに重く、二人が身を寄せ合えば隠れられる程には大きい。即席の防壁となったそれに隠れ、つまりは身を寄せ合いながら魔女の攻撃に耐え忍んだ。そうしなければ串刺しか、体を穴だらけにされる。それ程に魔女の攻撃は苛烈だったのだ。
『何なの! 聞こえないの!』
「くそが!
「針鼠というより
「足を出すな! 下がるぞ! 下がれ!」
大盾の上部に開けられた覗き穴から垣間見た魔女の姿は、確かに針鼠とも海栗ともつかなかった。強いて言えば半球状の海栗に手足を生やしたような形だが、それよりも今は彼の言う通り距離をとらなければならない。重い大盾を引きずりながら中腰でじりじりと下がる。そんな風に動かなければ魔女の針に貫かれてしまう。
『聞こえてよぉ!』
魔女の全身から伸びていた無数の手は、無数の針へと変質していた。その姿に相応しく全方位へと伸び、長く、鋭く、そして速い。その速さと間合いも加味すれば針というより矢だろうか? どれにせよ接近戦は危険極まりない。
「大丈夫か?」
「……足は動きますが、止血しておきたいですね」
大盾を構えながら下がり続け、盾を叩く音も聞こえなくなってきた辺りでレーベンが心配そうな目を向けてくる。視線を下ろせばスカートの右腿のあたりがぱっくり裂けており、覗く腿からは流血。布地を手繰り寄せてきつく押さえても、傷口はドクドクと脈打っていた。意外と深いのかもしれない。
「……そんなことより! あなたこんな所でいったい何を」
「そんなことより逃げるぞ。隠れられる場所がある」
「むぅ……っ!」
ようやく聞けたシスネの疑問はレーベンの正論に一蹴された。危険に次ぐ危険で頭に血が上っていたことを自覚し、負け惜しみで恥の上塗りだけは何とか避ける。代わりに変な声が出たが。
『聞こえない、どこ、どこなの』
魔女は彷徨うように中庭の中をゆっくりと歩いている。知覚範囲は狭いらしく、足も遅いことは救いだっただろうか。これ以上あの魔女を刺激しないよう、大盾を抱えながら二人でその場を後にした。
◇
レーベンに連れられて辿りついたのは、シスネにも見覚えのある場所だった。忘れようにも忘れられない場所とも言える。教会の本棟の裏手。ひどく日当たりが悪く、小石と雑草しかない広場の中央には人を拘束する為の晒し台。
「……嫌味ですか?」
「何の話だ」
もう完治している筈の背中に痛みを錯覚し、公開懲罰の恥辱を思い出す。顔を引きつらせるシスネをよそにレーベンは広場の中央へと足を進めていた。簡素で丈夫なだけの作りの晒し台。よりにもよってその下に空いた狭い空間が、彼の言う「隠れられる場所」らしい。
「適当に座ってくれ。薬を出す」
垂れ幕を捲って入った中には、いくつかの木箱が置かれていた。座れと言われても椅子は無く、仕方なくシスネは木箱の一つに腰掛ける。ガチャガチャと左手だけで箱を探る彼の後ろ姿を見ながら、シスネは呆れた声を出した。
「用意の良いことですね」
「こんな状況だ。大目に見てくれると助かる」
「いや、まあ、そうですけれど……」
どう考えても無断で持ち出したのであろう物資や武器の数々を見てシスネは言葉を濁らせた。自分もまるで同じことをしていたなど絶対に知られたくない。目を泳がせていると、包帯と再生剤を手にしたレーベンが傍らに屈みこむ。
「あったぞ、手をどけてくれ」
「自分で出来ますから触らないで。あと、あっちを向いていて下さい」
「そ、そうか」
こんな事を気にしている場合ではないのだろうが、見られたくないものは見られたくない。戦いの余韻も引いて余裕が出てきたということでもあるかもしれない。困ったような顔のレーベンが空間の隅を向いて座り込んだのを確認してから、シスネはスカートを捲り上げて治療を始めた。
「それで、こんな所で何をしているのですか? あなたは」
水筒の水で傷を洗い、沁みる痛みを堪えながら再生剤を打つ。手で傷口を押さえながらシスネは再びその疑問を口にした。大方、答えには予想がついていたが。
「魔女を狩っていた」
「そう、でしょう、ね……っ」
傷が熱を持ち、急速に塞がっていく感覚は未だに慣れない。傷口を掻きむしりたい衝動に耐え、予想通りの答えに苦虫を噛み潰す。……シスネの苦労をいったい何だと思っているのだろうか、この馬鹿は。
「あなたはもう騎士でもない上に怪我人なのですよ? 分かっているのですか?」
「だが職員も戦っているだろう」
「……は?」
出血しない程度には傷が塞がったことを確認し、化膿止めの軟膏を塗ってからきつく包帯を巻きつける。ついでにずぶ濡れの小鞄から縫合用の針と糸を取り出して、スカートも適当に縫い合わせておいた。
そこまで処置しながら、意味不明な答えを返してきた彼の後ろ姿にシスネは怪訝な目を向ける。
「教会の職員たちは避難していない。戦う義務があると、そういう命令だったらしい」
「でも、あなたは職員でもないですよね?」
「……職員になるつもりだった」
「つまり職員ではないですよね?」
「……」
あっさりと論破されたレーベンが落ち込んだ顔をしているのが、後ろ姿からでも分かる。それに対して達成感や優越感など湧いてはこず、シスネはただ呆れた溜息を漏らした。詭弁を並べるにしても、もう少しマシな理由を用意してほしい。
二人共が沈黙し、今ここが戦場であるということも忘れてしまいそうなほど静かな空気が流れる。耳を澄ませば、今も戦っている人々の声が聞こえてくるというのに。
いつまでもこうしてはいられない。スカートと肩掛けを絞って水を落とし、木箱に入っていた小汚い布で濡れた髪を簡単に拭いてから装備を整えようと更に中身を漁る。銃はともかく水浸しになった弾薬は使い物にならない。だがレーベンが準備していた物は聖銀武器か炸裂弾に焼夷弾、または薬物が殆どのようで……。
「……あなた、まさかまた――!」
ドォン、と。雷鳴にも似た音が聞こえた。
「っ!? 逃げ――――」
シスネの警告よりも悲鳴よりも速くレーベンが動き、怪我人とは思えない速さと力で体を抱えられて外へと飛び出す。
そして直後、飛来してきた何かが晒し台を吹き飛ばした。
「あぁ……っ!?」
「ぐぉ……っ!」
二人でもんどりうって固い地面を転がり、ほんの一瞬遅れて今度は晒し台の残骸が襲ってくる。それその物が断頭台のようにシスネの頭を掠めて悲鳴すら出ない。
だが何よりも最悪だったのは、突如として降ってきた何か――砲弾の着弾点にはレーベンが準備したいくつもの武器、そして炸裂弾と焼夷弾が積まれていたということだ。
チカリと、土煙の奥で小さな火花が散った様をシスネは見た。
「伏せて!」
「伏せろ!」
悲鳴と警告、そして爆音はまったくの同時。咄嗟にレーベンの外套を引き上げて爆風に耐えるも、それでも手に火傷を自覚する程の熱が貫通してくる。いや、それで済むだけ技術棟の面々は確かな仕事をしてくれたということだろうか。もっとも、あの炸裂弾と焼夷弾も技術棟の作品なのだが。なんにせよ、赤々とした炎の波はシスネ達を飲みこむことなく空へと消えていった。
「……大丈夫ですか?」
「……まだ死んでいない」
「怪我は無いか聞いているのですよ、馬鹿」
爆風と爆炎が過ぎ去ってからようやくシスネは身を起こす。片手でもたもた起き上がるレーベンを手伝いながら、こんな怪我人に馬鹿な質問をしてしまったと場違いに呑気な考えも頭を過る。
二人の視線の先では、晒し台だった場所に大きな篝火が出来上がっていた。
「これがドーラの砲撃か、恐ろしいな」
「半分はあなたのせいですけどねっ」
傍らで座り込むレーベンの脇腹を小突いてやりながらそう愚痴る。見れば広場のあちこちには燃える木材や木箱の残骸に混じり、聖銀の剣やら斧やらが突き刺さり散乱している。あれらの内の一つでもこちらに飛んできていれば、もう死んでいたかもしれない。珍しい幸運を噛みしめる一方で、そもそも本当に幸運であったならば砲撃の流れ弾になど襲われなかったと思い直した。
「本当にあなたといると碌な目に遭いませんね、この疫病神」
「お互い様だと思ってくれ」
ああ言えばこう言う。珍しく憎まれ口で反論してくる彼にムッとした顔を向けると、その横顔は緊張に張り詰めていた。その理由をシスネもすぐに知ることになる。
『熱い、熱いの』
今の爆発を聞きつけてやって来たとでも言うのか、広場に一体の魔女が入りこんできていた。隠れようとも思ったが唯一の遮蔽物であった晒し台は既に篝火と化しており、何よりも魔女の目は既にシスネの姿を捉えているようだった。
何よりも目を引く、頭部の大半を占めるように大きな目。それが四つ。ぐずぐずに融けた人体のような躰を不定形の脚で這うように進んでおり、そしてその手には。
「! 避け――」
シスネの悲鳴と銃声、そして金属音。レーベンが引っ張り起こした聖銀の大盾を、四つ目の魔女が手にした武器――教会の長銃から放たれた散弾が叩いた。
「魔女狩りの武器を魔女が使うか、まさに世も末だな」
「やめてください縁起でもない」
「確かに」
軽口こそ叩いているがレーベンの表情は固く、大盾を肩で支えながら足元の片手剣を拾い上げる。嫌な予感がした。
「……あなた、何を」
「決まっている、魔女狩りだ」
「っ! また馬鹿なことを! そんな身体で何をする気ですか!」
当然だがレーベンの怪我は何ひとつ治ってなどいない。右目は抉られ右耳も無い。利き腕を失い、歩くことすら困難なのだ。魔女と戦うなどもっての外で、だからシスネは彼の腕を掴んで放さない。
だがレーベンは剣を手放さず、そして運までもがシスネを嘲笑った。
『寒い……冷たいの……』
四つ目の魔女とは反対側、つまりは後方から聞こえる歪んだ声。
まだ人としての姿形を残した魔女だった。泥に塗れてはいても衣服の残骸らしき物を躰に纏っており、二本の脚でしっかりと立っている。顔も目許を泥に覆われているのみで、元の面影も見て取れる。だがその左腕だけは根本から消失していた。
『寒いよお……』
じょきり、じょきりと、魔女の右腕の双刃が雑草を断ち切る。魔女の左腕は無くなったわけではない、その両腕ともが右肩から生え、絡み合った二本の腕がそれぞれ聖銀の曲剣を握っている。曲線を描く二振りの刃が鋏のように擦り合わされた。
「あの蟹みたいな方は俺がやろう。異論は無いな」
「異論しかありませんよ……っ」
味方はおらず二体の魔女に囲まれた状況。逃げることは不可能。シスネ一人で両方を相手どることも不可能。ならばもうレーベンに戦わせるしかないのだ。どこかほくそ笑んでいるように見えるレーベンを一度睨みつけてから、掴んでいた手を離す。代わりに脇と腰の鞘から短剣を抜いた。
「あぁもう最悪です。あなたといるといつもこう!」
「そうか、良かったな」
珍しく肩を揺らして笑うレーベンは明らかに普段と様子が異なる。それに嫌な予感を感じ始め、問いただす前に前後の魔女が武器を向けてきた。
『熱い!』
『寒い!』
四つ目の魔女が散弾を放ち、隻腕の魔女が鋏を振り上げる。
シスネとレーベンは、同時に大盾の陰から飛び出した。