『熱い! 燃えてるよ!』
短剣を手にシスネは広場を駆け回っていた。走るシスネの姿を魔女はその四つの目で追い続け、融けた手に構えた長銃の引き金を弾く。
「っくあっ!」
銃声と共に散弾が放たれる前に体を投げ出す。受け身を取りながら体を回転させ、勢いを利用してすぐに起き上がった。スカートの裾を散弾が掠めた感覚。ゾッとしない気分を抑え込みながら走り続ける。
これで九発目。拾ったのか魔女化する以前から持っていたのかなど分からないが、とにかくあの魔女が手にしているのは教会の長銃。シスネが用いている物と同型だ。ならばその弱点も自ずと知れる。
『どうして熱いの!』
「!」
魔女の声と、引き金が軋む音……を聞いた気がした。半ば勘でシスネは足を止め、ほんの一歩先の空間を散弾が通り過ぎていく。魔女の癖にシスネの動きを読んでいたのだろうか。だがそれこそが付け入る隙となってくれた。
「これで……っ!」
これで十発目。教会の長銃の装弾数は十発。つまりは弾切れだ。シスネはずっとそれを待っていた。両手に握った短剣を握り直し、魔女に向かって一直線に駆け出す。彼我の距離は十歩も無い。一気に距離を詰めて一気に仕留める。小細工をさせる前に狩り殺す!
『熱いぃ――っ!』
レバーを引く音。聞きなれた排莢と装填音。銃口と目が合う。
銃声。
「――――ぁぐあっ!?」
勢いに乗っていた体は簡単には止まらず、左腕を掠めた「散弾」はシスネの体を
「痛……っ、ぐ、うん……っ」
何に撃たれたにせよ、いつまでも寝てはいられない。足を止めた獲物など、銃を持つ者にとっては格好の的でしかない。シスネだったらその機を絶対に逃さない。
故にシスネは立ち上がり、そしてそれこそが答え合わせをしてくれた。左腕からポロポロと転げ落ちる何か。小石ではない。それは白く小さな、
――骨!?
骨だった。それで全てに合点がいく。歪んだ声と黒い泥、そしてもう一つ魔女の代名詞とも言える物。肥大化し、変形した骨。それは時に魔女が失った手足を補填し、あるいはまったく別の器官を成し、そして何よりも魔女の武器となる。
つまりあの魔女は自身の骨を弾丸としているのだ。何をどうすればそんな事が可能なのかなどシスネには知りようもなく、今この時においては瑣末事。重要なのは、あの魔女に弾切れは無いか、あったとしても随分と先であるということだ。
『燃えてる! 燃えちゃうよ! あぁ!』
「卑怯ですよそんなのっ!」
弾切れしない銃。そんな物シスネの方が欲しいぐらいだ。この三年、弾薬の管理にどれだけ苦労してきたか。銃の残弾を感覚で数えることも、装填を体に覚えさせることも、数えきれない程の訓練と実戦を積み重ねた末にやっと身に着けたというのに!
気前よく銃を乱射してくる魔女に場違いな怒りを覚えつつ、再びシスネは駆け出した。
駆け出しながら、もう一つの戦いを横目に見る。
四つ目の魔女とは異なり、多少は人としての形を残した隻腕の魔女。両腕が絡み合って成した右腕に二振りの剣を握り、巨大な鋏と化したそれを振り回している。
それと対するのもまた隻腕の男だった。右腕と、更に右目までも失くした元騎士――レーベンが聖銀の両手剣を片手に対峙している。
『寒い!』
「おぉあっ!」
ぶつかり合った聖銀武器が火花を散らす。すぐさま魔女は鋏を引き、その双刃を開く。人の首など容易に切断できそうな凶器が陽光に閃き、だが刃が閉じられる前にレーベンは跳び退っていた。笑いながら。
『冷たい!』
「ふへはっ!」
二本の足で立ち、泥と衣服の残骸しか纏っていない魔女は俊敏だった。右腕の鋏を引きずりながら肉薄し、それに対してレーベンもまた左腕の剣を引きずりながら突進する。笑いながら。
――あの馬鹿!
間違いなくレーベンは強化剤を服用している。両手剣を片手で振り回していることも、目を血走らせながら笑っていることもその証拠だ。あの薬は一時的に筋力を底上げするが、感情の振れ幅が大きくなるという副作用がある。戦闘の高揚が更なる興奮を呼び、最後は冷静な判断もできなくなってしまう。
そんな劇薬をもう何年も過剰に服用していた馬鹿をシスネは知っている。そしてその馬鹿が今この状況で薬の用法と用量など守るはずがないのだ。
再度ぶつかり合う剣。互いの武器が弾かれ、次に振り下ろすのはレーベンの方が早かった。頭をかち割らんばかりの上段斬りはだが狙いが外れ、魔女の胸部を浅く斬り裂くに留まる。レーベンの攻勢は止まらない。次々と放たれる斬撃は致命傷こそ与えられなくとも、徐々に魔女を本棟の壁へと追い詰め始めていた。
例え強化剤を使っていたとして、利き腕を失くして間もない人間にあんな動きが出来るだろうか? その仕掛けは今も駆け回っているシスネにも見て取れた。全身を躍らせ、助走し、跳躍し、その勢いを余すことなく得物へ乗せる。それは一朝一夕で身に付くものなどではなく、それはきっと彼が魔女狩りの中で編み出してきた「技」なのだろう。聖女がいなくても、魔女を狩る為に。
『冷たいよぉ!』
バキン、と。銀の切っ先が宙を舞う。魔女の右腕には双刃を備えた鋏。レーベンの左腕には半ばから刃を失くした両手剣。単純な耐久力の差だ。二振りの剣を重ねている魔女の鋏に軍配が上がったというだけのこと。
「しぃっ!」
だがレーベンは怯まない。むしろ得物が軽くなって好都合とばかりに片手剣擬きを振り下ろす。
『寒いぃ!』
だがその一撃はまた狙いを外した。いや「避けられた」のだ。シスネにはそう見えた。
よくよく観察すれば、泥と襤褸の隙間から見える魔女の躰はしなやかに引き締まっている。何らかの肉体労働をこなしていたか、あるいは武術の心得がある女性だったのかもしれない。身につけた技術や癖といった物は魔女化した後もある程度は残る。それが凡そ最悪の形でレーベンの前に現れていた。
「く――っ!」
悪態とも笑いともつかない声をあげたレーベンが剣を投げ捨て、懐から薬――おそらく強化剤を取り出す。何本目か分からないが、彼の様子を見るに一本や二本で済まないことは確かだ。
あれ以上は命に関わる!
「やめ――――」
『熱いぃ!』
シスネの警告は魔女の声と銃声にかき消され、レーベンは空になった容器を乱雑に投げ捨てる。そして地面に突き刺さった斧を拾い上げ、また魔女へと突き進んでいった。
「あぁもう、この……っ!」
駆け回りながら骨弾を避けるにも体力が続かず、途中から大盾の陰に隠れていたシスネは苛立った声をあげた。延々と銃を撃ち続ける魔女の反則技も、何ひとつ顧みないレーベンの無茶も、まるで埒のあかないこの状況も何もかもが腹立たしい!
――だめ、落ち着いて
目を閉じ、努めて体の力を抜きながら深く呼吸する。レーベンが冷静になれないというなら、シスネが冷静にならなければ。
まずは状況を整理する。シスネに残された武器は短銃が二丁と大短銃、そして短剣が三本。だが手持ちの弾薬は全て水浸しで使い物にならない。つまりシスネの手札は短剣だけだ。少しでも身軽になる為に、使えない装備は全て外しておく。
銃撃の間を見計らい、大盾の陰から周囲を見回す。辺りにはいくつかの聖銀武器が散乱しているが、それは剣や斧などシスネに扱えるかは分からない物が殆どだ。炸裂弾や焼夷弾もあっただろうが、それはもう晒し台だった篝火の中で燃料となってしまっている。
結局は何も変わらない。とにかく近付かなければ話にならない。肉薄し、短剣で仕留める。それしかない。だが周囲に遮蔽物は無く、この大盾も持ち運ぶには重すぎる。骨の散弾を撒き散らす魔女へ無防備に近付くのは危険すぎる。その為に弾切れを待っていたが、それも通じないのなら別の策が必要だ。
「……」
考える。目を閉じて必死に頭を回す。喚き散らす魔女の声も大盾を叩き続ける骨弾の耳障りな音も全て無視して考える。暗闇の中で騒音だけがシスネの頭に響く。
魔女の声。銃声。金属音。魔女の声。レーベンの声。篝火が弾ける音。金属音。銃声。
ピチョン、と。水が滴る音。
「…………」
決心が揺るがない内に、シスネは大盾の陰から立ち上がった。
※
この場の誰も知る由の無いことだが、四つ目の魔女と隻腕の魔女、この二体は元は女騎士であった。
その女騎士は聖都に属し、この戦いよりも前――異常な魔女の減少が起きる以前に魔女狩りへと赴き、そしてその先で魔女となった。
騎士としては珍しく銃を主な武器としていた女は、魔女狩りの最中で自身の聖女を誤射してしまった。すばしっこい魔女だった、夜間での戦いだった、聖女と
『熱い』と、『どうして』と、そう叫びながら自決した聖女の焼死体。焼け落ちた彼女の双眸は自分を睨んでいるようで……。
聖女の頭を抱いた女は、黒い涙だけを流しながら何処かへと去っていった。
『熱いの、どうして』
魔女はその四つの目を蠢かせながら獲物を待っていた。何を考えるでもなく、ただ魔女の本能と人であった頃の癖に従って長銃のレバーを引く。
魔女には分かっていた。この得物の扱い方も効果的な使い方も。思考によって理解するのではなく、本能によって分かっていた。獲物である聖女に飛び道具は無く、有効な遮蔽物もこの場には無い。ならば待てば良いのだ。痺れを切らして飛び込んできたところを、この得物で穿つ。
『熱い、熱い……』
四つの視線の先では大きな篝火がごうごうと燃えている。何故かその炎から目が離せないが、魔女はそれを不思議に思うこともない。ただ篝火の向こうで動かない聖女を待ち続けた。
どれだけ経ったのか。時間感覚など失くして久しい魔女にとっては数秒も数分も変わらず、長銃を向けたまま佇み続け、そして篝火の横から何かが飛び出した。
『熱い』
引き金を弾いて発砲。放たれた無数の骨が散弾となってそれを穿つ。弾け飛ぶ木材。燃え損なった晒し台の残骸。囮。
『熱いの』
魔女は何も動じない。ただ本能で聖女の動きを予測する。
道は二つのみ。篝火の右か左か。囮は右。聖女がどちらから来るかは不明。ならば両方とも見れば良い。四つの目が蠢き、左右それぞれを二つずつの目が睨みを効かせる。素早くレバーを引いて骨弾を装填。銃口は右のまま。勘。
また長くも短くもない時間が流れ、そして。
「あああぁぁ――――っ!」
『あづ――!』
聖女は予測の外から現れた。
◇
放たれた骨弾がまたシスネの左腕を掠める。本来の弾丸よりも威力は劣るが、それでも当たり所によっては致命傷だ。何より痛いが、全て無視する。シスネは元より痛みには強い。
今はとにかく前へ。次の骨弾を装填される前に!
「あああぁぁ――――っ!」
『あづ――!』
間近に迫った黒い泥と色の異なる二対の双眸。向けられる長銃を右手で払い除けながら魔女の躰へとがっぷり組み付いた。
「つ、かまえた……っ!」
荒く息を吐くシスネの顔は赤く、それは羞恥でも興奮によるものでもない。それは炎の中を走り抜けてきた故の軽い火傷であり、全身から立ち上る湯気もその為だ。
シスネは、魔女が銃の扱いに慣れていることに気付いていた。だから生半可な陽動では誤魔化しきれないと踏み、篝火の中を駆け抜けるという捨て身に打って出たのだ。何度も水に沈められてズブ濡れた髪と装束がここに来て役立った。もし乾いた体のままだったら今頃シスネは火達磨になっていただろう。
『熱い!』
「こっちの台詞ですよっ!」
なんにせよシスネは賭けに勝ち、だが後が無いことに変わりはない。だから何よりも先に、悪態と共に短剣を魔女の顔面へと突き刺した。
『あああ゛あ゛あ゛づいえぇ――――っ!』
泥に覆われ尽くした魔女の顔に口は見当たらないが、それでも悲痛な叫びを間近から聞いて耳が痛くなる。だがそれで容赦するほどシスネは甘くはなく、そして余裕も無い。四つの目の一つを潰した短剣を捻り、更に押し込んでいく。
『熱い! 熱いどうじでええぇぇ――!』
「ぐふぇっ!?」
悲鳴と共に鳩尾へと走る衝撃にシスネもくぐもった悲鳴をあげる。長銃を持つ魔女の右手とは逆の左手。ぐずぐずに融けたような丸い拳がシスネの腹を打ったのだ。
「……っ、この、さっさと……!」
怯みそうな体に叱咤してその場に踏みとどまる。もう後は無い。ここで間合いを放してしまえば今度こそ勝ち目は無くなってしまう。短剣を更に押し込み、柄まで埋まったそれを手放して二本目の短剣を手に取る。
そこから先はどこまでも泥臭い消耗戦だった。躰に組み付かれた魔女は鈍器となった長銃でシスネの頭を殴り、肉の薄い腹を何度も殴る。シスネは乱打に晒されながらも組み付いて離れず、二本目の短剣を、そして三本目の短剣を魔女の目に突き刺す。血反吐と泥を互いにかけ合いながら、魔女と聖女擬きの戦いは遂に膠着状態へと至った。
『あづい……どうじて……』
「はぁ……っ、ああ゛……っ、この、くっそ……!」
頭から血を流し、唇から涎と胃液が流れた跡もそのままのシスネは魔女に組み付いたまま荒く息を吐く。武器はもう無く、体力も底を尽きそう。やせ我慢も限界だ。
対する魔女も虫の息といった状態だった。三本の短剣を楔のように目に突き立てられ、最後の一つからも泥が涙のように流れている。ただでさえ融けていた躰は更に形を失おうとしていた。
『あ、づい――っ!』
最後の力を振り絞ったかのように、魔女が長銃を振り上げる。今までは片手で振るっていたそれを両手で握り、渾身の振り下ろしでシスネの頭を叩き割らんと――。
シスネの両手がバネ仕掛けのように動いた。
『どう……』
「うるさい」
ズブリと、シスネは長銃を最後の目に突き刺した。
『あ゛――――』
魔女に理解できただろうか。振り下ろされた長銃に手を這わせ、回転させて奪い取ったシスネの早業。役に立った機会など殆ど無く、あまりにも割に合わない危険な「技」を。
『熱い……どうして……』
遂に全ての目を失った魔女は、何かを探すように両手を彷徨わせる。そのまま融けた脚部を蠢かせて這いまわり、そしてその先には。
『あ、づい――…………』
大きな篝火へと自ら身を投げたかのように、魔女は炎の中で融けていった。
「……女神の導きのあらんことを」
赤黒い炎をあげる魔女の死骸を睨みながら十数えたシスネは、少しだけ体の力を抜いた。
まだ休めない。まだ終わっていない。はやくレーベンの加勢に向かわなくては。近くに落ちていた両手剣を拾い上げ、思っていた以上に重いそれを引きずりながら本棟の壁際に向かい。
「――――ぇ」
魔女に槍を突き立てながら、腕を斬り落とされたレーベンの姿を見た。