一歩を踏み出す
ポエニスの戦いは続いていた。
幾度となく砲撃を受けた周壁は半分以上が瓦礫と化し、それらと同じ程の屍が散乱している。それは聖女の、騎士の、銃隊の死体であり、そして魔女の死骸でもあった。噎せ返るほどの死臭の中で、それでも戦いの終わりは見えてこない。
「くそっ! もう駄目だ!」
「逃げるったってどこ逃げるんだよ!」
「下がって! 治療しないと……!」
「まだだ、まだ……っ」
「おい! 誰か俺と組んでくれ! 仇討ちだ!」
「私が!」
魔女の群れは一向に数を減らさなかった。雨のような銃弾を浴びせられ、百組以上の聖女と騎士たちが狩り続けているというのに、まるで湧いてくるかのように魔女が現れる。
対してポエニス側は確実に数を減らしていた。警備職員を主とした銃隊は不慣れな魔女狩りにも死力を尽くしていたが、乱戦となってからの被害は甚大だった。潰走する者がいないのは、偏に退路が無いからというだけに過ぎない。
聖女と騎士たちは果敢に戦ったが、そのどちらかが欠けてしまえばもう一人も戦線を離れざるを得ない。相手を失くした者同士で組み、即席の連携でなんとか戦えても限界はある。
そして何より、ドーラは未だ健在だった。
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「散れ! 散れ――っ!」
何度聞いても悍ましい吼え声と、誰かの警告。そしてまた周壁の一部が豪快に弾け飛んだ。巨大な瓦礫が降り注ぐ轟音、立ち込める粉塵、誰かの悲鳴、何かが潰れる音……。崩れた陣形を整える間もありはしない、粉塵の中からまた魔女が侵入を果たし、それを迎え撃たなければならない。
更には。
『黙って! 黙りなさい!』
『わからない!』
『どうすればいいの!』
ドーラの巨体。その足元にあたる部分から泥の塊が剥がれ落ち、蠢くそれは次第に形を変えて魔女となった。脚のような物を生やし、やがて立ち上がった何体もの異形が周壁へと殺到する。
魔女を生む魔女。ドーラがいる限り魔女の群れは減らず、群れを薙ぎ払わない限りドーラに近付くことはできない。
戦線はもう伸びきっていた、あるいはもうとっくに崩壊していたのかもしれない。分断された者たちはそれぞれが必死に、ただ生き残る為に戦い続けていた。
※
振るわれた魔女の爪を屈んで躱し、相手の動きを利用する形でその顔面に槍を突き立てる。半分は狙い通り、もう半分は偶然の一撃。だが会心にして致命の一撃であったことは変わらず、動きを止めた魔女の躰はぐずぐずと崩れていった。
その様を見ていた小柄な女騎士――エイビスは、数秒後に自分の戦果をようやく自覚した。
「……や、やったぞ、……やった! ま、また狩れた!」
「はいはい、じゃあちょっと休憩しましょうねー」
「な!? おい待て、やめろまだ――」
見習いを脱して初めての魔女狩り。それがよりにもよってこの戦となった未熟な騎士は、今日はじめて魔女と直に対峙することとなった。
一体目は、銃隊に蜂の巣にされた魔女に止めを刺した。二体目は、瓦礫に押しつぶされて身動きのとれない魔女を滅多刺しにした。そして三体目で遂に、ほぼ無傷の魔女を、それも単身で狩ることに成功したのだ。
「何を考えている貴殿! お、おい早く聖性を!」
「慌てない慌てない、ゆっくり歩きましょうねー」
「ま、待て、置いていかないでくれ!」
だが喜びと興奮も束の間。自身の聖女であるシグエナが、魔女を狩る度に聖性の「線」を切ってしまうものだからエイビスは戦線を離れる破目になってしまった。聖性が無ければ鎧が重くてまともに動けないエイビスは、一人でスタスタと歩いていくシグエナの後を必死で追う。
「あーあ、いつになったら終わるんでしょうねーこれ」
「おい貴殿! シグエナ! 何してるんだこんな時に!」
「こんな時だからですよー」
「はーどっこいしょ」と、大して疲れた様子もないというのに疲れた声を漏らし、瓦礫の一つに腰掛けて水筒を傾け始めるシグエナ。なんとかそれに追いついたエイビスが咎めてもまるで効いた気がしない。それどころか、エイビスの分の水筒まで渡してくる始末であった。
戦線は半ば崩壊し、エイビスはシグエナに誘導されるがまま徐々に周壁から離れてきていた。そのせいか見える範囲には味方も魔女もおらず、確かに休憩するには良い場所なのかもしれないが、エイビスは気が気でない。
「まだまだ先は長そうですし、近くに魔女はいませんし、休み休みやりましょうよー」
「ば……っ! な何を呑気な! 今もみんな戦って」
「あんな風には、なりたくないでしょう?」
ゆらりとシグエナの指が向いた先へと顔を向ける。向けて、すぐ後悔した。
「う……っ!?」
「最期まで二人で仲良く、ですか。……女神の導きのあらんことを」
崩れた周壁の側、何体も転がる魔女の死骸の中、折り重なって倒れた聖女と騎士の死体。騎士の体は損壊が激しく、それを聖性で治療しようとしたのか、聖女もまた血に塗れていた。そのままの姿勢で事切れた彼女は背後から魔女に刺されたのか、あるいは自決したのか。魔女の死骸の姿形は様々だが、中には人間だった時とそう変わらないような状態のものも混じっている。それはさながら、凄惨な虐殺の跡のよう。
すこし前のエイビスが憧れすら抱いていた、聖女と騎士の美しい死に様。だがそれはもう、今となってはただ無残なだけの屍にしか見えなかった。
こみ上げてきた物をなんとか押し留め、横目で自身の聖女を見やる。シグエナの細い目は、憐憫とも侮蔑とも言えない視線を二人へと向けていた。
「こんなものなんですよ、お嬢」
「聖女だとか、騎士だとか、なんだとか言ったって」
「結局は、こんな……こんな、糞みたいな
「……」
吐き捨てるような口調と裏腹に、シグエナの両手は祈るように組まれていた。四つの自決指輪がはめられた両手を。
エイビスに何が言えるだろうか。今日はじめて魔女狩りを体験したばかりの未熟な騎士が、既に十数年を魔女と戦ってきた歴戦の聖女に対して。……三人の騎士を介錯したという、この聖女に。
「……ま、もうどうでもいいことですけどね」
「今日でぜーんぶ終わりなのかもしれませんし」
「この際、パーッと戦ってサクッと死んじゃうのも良いかもしれませんね?」
そう言って、いつも通りの顔でケタケタ笑うシグエナ。そんな聖女に掛ける言葉など、どんな言葉も掛ける資格などエイビスには無くて。それでも放っておけなくて。
「シ――」
「お嬢!」
口を開いた瞬間、今までの力ない様子が嘘のようにシグエナが立ち上がる。呆けたままのエイビスに聖性が流され、全身を駆け巡る熱にエイビスの意識も一瞬で研ぎ澄まされた。シグエナは既に一方の空だけを見上げている。
「なんだ!?」
「何か飛んできます。魔女、いや……、――は?」
あれだけ重かった鎧の重みも感じなくなったエイビスも隣に並び、青い空に目を凝らす。
空を飛ぶ鳥……いや
「ぬぉあおぁ――――っ!?」
「きゃああぁ――――っ!?」
二人分の悲鳴がエイビスの目の前に墜落した。
「な、な……、な……!?」
衝撃で舞い上がった土埃が朦々と立ち込め、後ろから肩を引く手に導かれるまま距離をとる。短銃を抜いたシグエナの姿を見て、思い出したように長槍を構えた。
鳥のような姿にでもなった魔女が落ちてきたのかと思ったが、土煙の中から聞こえてくる声は歪んでなどいない。
「……あぁ、その、なんだ……死ぬかと思ったな」
「まったく……えぇ、まったくですよ! 馬鹿なんですか! 馬鹿なんですよね!」
加えて片方は明らかに男の声であり、更にもう片方はエイビスもよく知っている声だった。かつては憧れたこともあり、聞いているだけで安心したこともあった、澄んだ声。
「だいたい……っ、何故わざわざ屋根を跳び越えたんですか!? 走れば良かったでしょう!」
「それは、まあ、あれだ」
「あれとは!?」
「一度やってみたかった」
スパーン! と、何かを叩いたような音まで聞こえてくる。平手で人の頭を全力で叩けばこんな音が鳴るかもしれない。どこか緊張感に欠ける声と音が行き交い、ようやく晴れてきた土煙から二人の姿が露わとなる。
エイビスは兜の奥から青い目を見開き、それを黒い瞳が正面から見返した。
「……っ! お前……」
「……、エイビス……」
土煙の中から現れた、白髪の聖女――シスネレイン。
エイビスが憎んでやまないこの女が、この場にいることは何ら不思議なことではない。例え聖女に相応しくない女でも、教会に属した聖女であることに違いはないのだから。その姿も、つい六日ほど前に大聖堂で遭遇した際とそう変わらないものであったが、何故かひどく懐かしさを覚える。
どこか、そう、まるで。雰囲気が、変わったような――?
「うん? あぁ、
「貴殿、は……、……――――は?」
更にもう一人。
黒い髪と灰色の目を持った、鴉羽のような黒い外套が目を引く男。それもまたエイビスに見覚えのある姿であったが、エイビスはまず見間違いを疑い、次に人違いを疑った。
「貴殿は……貴殿、か?」
「俺はレーベンというが?」
何故なら、エイビスが覚えているこの男――レーベンの姿は、ひどく痛々しいものであった。右目を包帯で覆い、右腕も失い杖をついていた、再起不能な深手を負った元騎士。
だというのに、今は。
「あぁ剣が折れた。頼めるか」
「ちょっと待ってください、人体と武器では感覚が違うのですから」
レーベンが
破れた袖から覗く肌は不自然に白く、その白さにエイビスは既視感を覚える。
「しかし軽いな。軽すぎて心配になってきた」
「本当に軽くなった訳ではありませんよ? 扱いには充分に気をつけてください」
「なるほど、だから聖都の騎士たちは技量を重視していると。そういうことか?」
「え? あ、あぁ、そうだな?」
急に話を振られたエイビスは曖昧な声を出しながら彼を見上げ、二色の双眸と目が合った。
「! そうか貴殿、それは……」
レーベンの双眸は左右で色が異なっていた。
左目は以前と変わらない灰色。そして包帯で覆われていた右目、その目を抉っていたのだろう傷はもうどこにも見られず、代わりに白い肌が傷痕のように広がっている。入れ墨じみたそれの中心で光る右目は、シスネレインの黒い瞳とまったく同じ色をしていた。
「欠損部位の再生ですか、よっぽど相性が良いんですね」
「私もはじめて見ましたよ」とシグエナが続ける。それはエイビスも聞いたことのある話だ。特に聖性の扱いに長けた聖女と、更に高い適合率を持つ騎士がいた場合、ちぎれ飛んだ四肢すらも再生することが可能なのだと。そして、そのような事は滅多に無いのだとも。
だがこの二人はそれを成したのだろう。そうでなければ、わずか数日であの深手が治るはずが無い。ましてや、完全に失った右腕が元に戻るなど。
シスネレインはレーベンと契りを交わしたのだ。……兄のことも忘れて。
「っ、やっぱり……お前という女は……!」
「――エイビス」
エイビスの内で燻り続けている憎悪がまた燃えあがろうとし、澄んだ声がそれに応える。
そして、シスネレインが短銃をエイビスに向けた。
「ぇ――」
暗い銃口と、黒い瞳がエイビスを捉える。完全に不意をつかれたエイビスの体は硬直し、頭も真っ白になって何も考えられない。ただゆっくりと流れる時間の中で、シスネレインの指が引き金を弾く様をじっと見ていた。
『ずごえっ!』
銃声と、背後から聞こえる、歪んだ悲鳴。
「っ! お嬢!」
張り詰めた声のシグエナに肩を引かれながら、振り返りもせず距離をとる。十歩ほど走ってからようやく振り返り、そしてエイビスは自身が四体目の魔女と対峙したことを知った。
『すごい、すごいね』
人型に近い魔女だった。だがそれは魔女化が進行していないという意味ではない。むしろその逆、溢れ出した泥が全身を飲みこみ、人であった頃の面影は完全に消失してしまっている。縦にも横にも大きな、人並外れた巨漢のような姿だが、その腕は四本だ。
泥だけで成された躰。通常の魔女の倍はある泥の量。エイビスも知識だけで知っている。つまり、この魔女は……。
「シグエナ……あいつは、まさか」
「永命魔女です。面倒なんですよーこれ」
「あぁ分かるぞ。無駄に頑丈で敵わんな」
この場で最も場数を踏んでいるシグエナが心底面倒くさそうに零し、両手剣を肩に担いだレーベンもそれに並ぶ。自分の場所を取られたようでエイビスは面白くなかったが、それに不満まで抱く前に澄んだ声が耳朶を打った。
「エイビス、その……」
シスネレインは意外なまでに近くにいた。この三年、エイビスが詰め寄りでもしない限り近付いて来ようともしなかった、この女が。その一瞬、エイビスは自身が魔女と対峙しているという現実を忘れた。
「気安く呼ぶな……っ!」
兄の仇であるこの女を、エイビスは未だ許していない。許す気は無く、許せる気もしなかった。当然だ。だってこの女は、一度も……。
「っ! ……エイビス!」
一瞬たじろいだような黒い瞳は、だが次の瞬間にはまっすぐエイビスの目を向いていた。瞳の芯を捉えるような視線の強さに、エイビスは怒りを忘れる。
「その、私……あなたと、話したいことがあるの!」
「……ぇ」
だってこの女は、何も教えてくれなかった。何も謝らなかった。一度だって、エイビスと話を……。
「でもほら! 今は、それどころじゃないでしょう?」
「これが終わってから、もっとちゃんと、ゆっくり話したいの」
「だからその、だから……」
舌がもつれているような言葉は要領を得なかったが、その瞳だけは逸らさなかった。やがて、一度だけ深く呼吸したシスネレインが、ゆっくりと口を開く。昔と変わらない、澄んだ声で。
「生き残ろう、ぜったい」
見るからに恐る恐る、シスネレインは手を差し出してきた。見上げた黒い瞳はかすかに震えていて、だがやはり目だけは逸らしてこない。視線を下ろし、同じように震えている白い手を、エイビスは。
パン、と。
手を払い除けたエイビスはシスネレインの横を通り過ぎ、永命魔女と対峙しているシグエナ達の元へ足を進める。背後からは誰の声も聞こえない。まるで心臓も止まったかのように。
「……にげるなよ」
今度は、じゃりと振り返った音がすぐに聞こえた。エイビスは視線を戻さないまま淡々と続ける。
「何を勘違いしているのか知らないが、わたしはお前の事を何も許していない」
「だから
「覚悟しておくんだな」
腹の内から湧いた衝動だけを言葉にして投げつける。答えなんて聞く気も無かったエイビスは今度こそシグエナの元に向かい、背後からは一度だけ鼻を啜る音がかすかに聞こえた。
「素直じゃないんですからー」
「うるさい、放っておけ!」
いつも通りニヤニヤと見下ろしてくるシグエナを睨み返し、長槍を構える。大きな魔女を前にして、エイビスは一度だけ深く呼吸した。
元より、死ぬ気など無い。死にたくない理由が一つだけ増えた。ただそれだけの話だった。