レーベンが周壁まで吹き飛んでいった。
「な、え、……ちょっと!」
「は、お、おい!?」
「うわぁ……」
シスネとエイビスとシグエナがそれぞれ驚き呆れた声を漏らし、それを聞く余裕もなくレーベンの眼前に石壁が迫る。
「ぬあっ、がっ!」
なんとか足を前に出し、壁に着地するようにして制止する。足に嫌な痛みが走ったが、すぐさま「線」を通じて流れてきたシスネの聖性が傷を治療していった。幻のように消える痛みと、冗談のような亀裂の入った石壁。
――これが、聖性か
青白い光を帯びる己の体を見下ろしながら、レーベンは改めて驚嘆する。
右腕を断たれ、右目を抉られ、腹に大穴を開けられ、あとは死に飲みこまれるだけだった己を更に襲ったシスネの狂乱と絶叫、そしてレーベンの怒りと暴露。
そんな、刃の応酬じみた契りを交わした末にシスネは再び聖女となり、そしてレーベンは遂に騎士となった。まったく、己にお似合いな、どうしようもない第一歩だったと本心から思う。
だが何にせよ、レーベンは聖性を得た。全身の傷も腹の大穴も嘘のように塞がり、そして何よりも、失った右目と右腕までもが蘇った。抉られた眼孔から眼球が、断たれた肩の断面から腕が「生える」という感触はできれば忘れてしまいたいものであったが、再び五体満足となれたのであれば安すぎる代償だ。
だがそれでレーベンが十全な騎士となれたのかと問われれば、答えは否である。
「力みすぎだ貴殿! もっと力を抜け!」
聖性による身体強化。それはレーベンの想像を超えていた。
レーベンはただ走っただけだ。現れた魔女との間合いを詰める為に、いつものように地面を蹴った。ただそれだけでレーベンの体は吹き飛んでしまったのだ。
「これ程、とはな……!」
己の体が暴れ馬にでもなったかのような感覚にレーベンは口を歪めた。だが御することが出来れば大きな武器となるだろう。否、御さなければならないのだ、魔女を狩る為に。騎士である為に。そして、彼女の隣に立つ為に。
「丁寧に体を動かすんだ! 力は最低げ……うわぁっと!?」
『すごい! すごいわあなた!』
「お嬢! 人の心配してる場合ですか!」
「エイビス下がって!」
レーベンがもたついている間に魔女はエイビスへと襲い掛かっていた。その四本の腕にそれぞれ握っているのは周壁の残骸。武器とも呼べないが充分な凶器であるそれを振り回しながらエイビスを追い回し、その魔女に二人の聖女が短銃を連射する。
未熟な女騎士と聖女二人、彼女らばかりに戦わせていては騎士の名が廃るというもの。いっそ足音を殺して歩くつもりでレーベンは慎重に足を踏み出し、今度こそ適度な速さで魔女と間合いを詰めることに成功した。
「ぬんっ」
渾身の振り下ろし。聖銀の両手剣が唸りをあげ、長大な刀身が魔女が握る石塊に直撃する。それはちょうど頭を守るような位置で掲げられていたが、あろうことかレーベンの一撃は石塊を両断してしまった。
だが。
『あぁ! すごい!』
「……くそが!」
視界を埋めつくすような黒い泥と、陽光に煌く聖銀の欠片。武器が砕けたのはこちらも同じだった。反射的に剣を手放しそうになったが、その前に右手を伝って流れる聖性が折れた刀身を修復し始める。今まで武器を使い捨てながら戦ってきたレーベンにとっては、感涙も禁じ得ないような聖性の恩恵。
だが。
「急いでくれ!」
「やってますよ!」
身の丈ほどもある両手剣の刀身は修復にも相応の時間を要する。それとて五秒とかからない僅かな時間ではあるが、魔女と肉薄して戦う騎士にとっては長すぎる時間でもあった。
『すごい!』
結局は、両断された石塊をそのまま振るってきた魔女に先手を取られる。苦し紛れに修復途中の剣を叩きつけて軌道を逸らせるが、それでまた刀身は砕けてしまった。魔女の石塊は健在。せっかく詰めた間合いをレーベンは再び離さざるを得なかった。
「少しは加減して!」
「その加減が分からんと言っているんだ!」
シスネの叱責に大声で返す。その間にも魔女は石塊を振り回し続け、それを躱しながら武器の修復を待つが、一方的に攻撃され続ける現状にレーベンは歯噛みした。
聖性は身体能力を劇的に強化するが、それは己の身体が丸ごと別の何かに変わることと同じだ。普段は無意識に行っている力加減が役に立たず、まるで力を制御できていない。どんなに強力な力も、当てられなければ何の意味も無い。
聖銀武器も修復されるだけであって、不壊というわけではない。完全に砕けてしまえば修復に余計な時間を要してしまう。
聖性も聖銀も万能ではない。それを今になってレーベンは痛感した。
「話が違うぞ!」
「何の話だ!?」
八つ当たりのような愚痴に、近くにいたエイビスが叫ぶ。叫びながら、細かな動作で魔女の攻撃を慎重に回避している。その動きはレーベンなどより、よほど洗練されて見えた。聖都では聖女と騎士の修練にかなりの期間を費やすというが、彼女の動きもその賜物なのだろう。
聖性さえあれば、聖女さえいればレーベンも他の騎士たちと肩を並べられる。そんな幻想は容易に砕け散ってしまった。それも当然だろう、元よりレーベンは英雄の器などではなく、それどころか何においても他者より劣っている点の方が多い。何の訓練もなしに聖性を使いこなすなど出来るわけもなかったのだ。
「しっ!」
だいぶ力を抜いて振るった剣は狙いを外さなかった。だがその刃は魔女の腕の一本を浅く斬りつけただけで終わり、有効打を与えられたようには見えない。ならばと力を込めて振るえば、見た目よりも硬い魔女の躰に深く食い込む刃。だがその勢いのまま、また刀身が折れた。
「面倒な……っ」
『すごい、あぁ!』
レーベンが四苦八苦しながら試行錯誤する間にも魔女は暴れ続けている。縦横に振るわれる石塊が周囲に破壊をもたらし、最後はレーベン達を目掛けて石塊を放る。そしてまた別の石塊を手に取るのだ。周壁の残骸はそこらじゅうに転がっている。魔女にとってはまさに選り取り見取りであった。
『すごいわ!』
「ぅひぃ!」
横薙ぎされた石塊をエイビスは屈んで避ける。小柄な体格を活かした回避。どこか情けない声とは裏腹に流れるような動きで、更に間髪入れず反撃に移る。鎧に包まれた矮躯が青白く輝き、身の丈を超える長槍が、体格差を物ともせず魔女の胸に深々と突き刺さった。
『あず、ご』
「よ、よしっ!」
「お嬢! 退避!」
魔女の呻きとエイビスの歓声。それとほぼ同時に後方からエイビスの聖女が警告し、更に短銃で魔女を牽制する。エイビスは聖女の声に従い、跳び退った後の地面に魔女の拳が振り下ろされた。
見事な連携、というよりはあの聖女の支援が的確なのだろうか。どちらにせよ、今のレーベンとシスネよりは確実に良い動きをしている。おそらくは今日はじめて魔女と対峙したのであろうエイビスにすら劣るという事実には、さすがのレーベンも矜持に傷が付いた。
「ひどい話だ、なっ!」
「だから何の話だ!?」
八つ当たりそのものの愚痴と共に両手剣を振り下ろし、魔女の肩を抉る。またしても亀裂が入ってしまった剣を手に一旦退き、それと入れ替わるようにしてエイビスが槍を突き出す。彼女の体が一瞬だけ輝き、弾丸のように加速した穂先が魔女の肩――レーベンが付けた傷痕を更に抉った。
『すごえ! すごいぇあ!』
癇癪を起こしたように魔女が石塊を連続して振り下ろす。狙いはレーベンであり、反射的に全力で回避しようとしたレーベンの体がまた明後日の方向へと吹き飛んだ。
◇
「まーた飛んでっちゃいましたよ。すこしは加減してあげたらどうですかー?」
隣に立つ、やたら背の高い女――シグエナと言うらしい聖女が呆れたような声でシスネを見下ろす。変に間延びした口調がひどく癇に障り、むっとしながら見ればシスネと同じように右手を自分の騎士へと向けていた。そこから伸びる、ぼんやりとした青白い光の「線」、それはシスネの物よりも幾分か細く見えたが、時折輝くように勢いを増している。
「……あまり話しかけないでください、気が散るので」
「話ぐらいできるでしょー?」
「だから、話しかけないで……っ」
シスネの言葉も無視してまた話しかけてくるシグエナに苛立ちが湧き、そのせいでまた聖性の「線」が乱れる。不必要に多く流れた聖性によって、力の増大し過ぎたレーベンの剣がまた折れていた。
シスネは聖性の制御に難儀していた。なにせ聖性を放つこと自体が三年ぶりで、しかも聖性の扱いというものはひどく感覚的だ。ついさっき再び聖性を使えるようになったばかりのシスネは、見習い聖女となんら変わらない。
加えて、シスネは聖性を「逆に」流していた。血流に乗せるように流すのではなく、血流とすれ違うようにして流す。その感覚は聖女にしか、そしてその難しさはシスネにしか理解できないだろう。
「……そんな変なやり方してるからでしょう」
シグエナには見抜かれたようだが、シスネも当然やりたくてこんなやり方をしている訳ではない。その理由はレーベンに、そしてシスネにあった。
イグリット聖女長は言った。「レーベンの聖性は真逆に流れている」と。歪みきった、いっそ美しい程に正反対の流れ。そんなレーベンだからこそ、今までどんな聖女とも適合しなかったのだ。
シスネの聖性もまた歪んでいる。三年前の事件はシスネの精神に深い傷を刻み、精神と強い結びつきがあるという聖性の流れにもまた致命的な歪みが生まれた。そんなシスネだからこそ、今まで何度試しても聖性が扱えなかったのだ。
そして今、その二つが奇跡か冗談のような合致を見せた。
あの土壇場でシスネの脳裏に走った閃き。思い付いてみれば、なぜ今まで気付かなかったのか不思議に思ってしまうほど簡単な解法。
「聖性が歪んでしまったというのなら、歪んだ流し方をすれば良い」
ただそれだけであっさりと聖性は放たれ、更にレーベンの歪んだ聖性にもこの上なく適合した。それこそ、完全に失った右目と右腕までもが再生するほどに。
だが。
「くそがっ!」
レーベンの剣が折れ、魔女の攻勢から逃れる為に退く。それだけの動きでレーベンは遠くまで跳び退ってしまう。
「あぁ、もう……っ!」
シスネの集中が乱れ、流される聖性もまた乱れる。
レーベンの動きが悪い原因は彼だけではない。シスネが適切に聖性を流せていないからだ。同じ強さを、同じ勢いで、常に一定の流れを維持することが基本。あるいは隣に立つシグエナのように騎士の動きに合わせ、あえて緩急をつけることで効率よく騎士を支援するという技術もある。
だが今のシスネにそんな真似はできない。聖性を逆に流すということは、文字を左右逆に書き続けるようなものだ。一朝一夕で身に付くものではなく、そもそもシスネの聖女としての技量も並でしかない。ただただ、聖性を切らさずに流すだけで精一杯だった。
パン、と聞きなれた銃声がすぐ近くから響く。それに続く、シグエナの冷淡な声も。
「あの魔女は私らで狩りますから、もうどこか行っててください。あのままじゃ死にますよ、彼」
死。その言葉にまた聖性が乱れ、八つ当たりするように隣の長身な影を睨みつける。シグエナはそんなシスネには目もくれず、右手で聖性を流しながら左手で短銃に弾薬を装填するという器用な真似をしていた。カチリ、カチリと、ホルスターに差した短銃に次々と込められていく弾薬。
「……」
シスネも左手で、ホルスターに差したままの短銃に触れた。
◆
「せいっ!」
エイビスの鋭い一撃が魔女の肩を抉り、遂にその腕の一本を斬り落とした。黒い泥だけで構成された太腕が地に落ちる前に、短銃による牽制が魔女の意識を逸らす。それを合図にしたかのように、エイビスが間合いを取り直した。
長槍による徹底した一撃離脱。それがエイビス達の選んだ戦法のようだった。洗練こそされてはいてもまだ動きに躊躇いの残る彼女だが、それも聖女の的確な支援によって補われていた。エイビスには騎士としての確かな才が見て取れ、それを充分に磨いていることも分かる。彼女より随分と年上に見える聖女もまた間違いなく手練れだ。
チグハグに見えて、極めて相性の良い一組。少なくとも、レーベンとシスネよりはよほど――。
『あぁすごい!』
魔女の声と、何かが風を切る音。
飛来する、石塊。
「が……、……っ!」
修復途中の剣で斬り払って軌道を逸らせることには成功したが、代わりに折れた刀身がレーベンの側頭部を浅く抉った。一瞬遅れで頭がぐらりと揺れ、意思に関係なく体が膝をつく。
地面に点々と落ちていく、レーベンの血。
「――――……、ふ、へ」
その血の赤さがやけに可笑しくて、こんな様の己が滑稽で、そして吹っ切れた。開き直ったとも言う。
膝に手を置いて立ち上がる。ようやく修復された両手剣を杖がわりにして体を起こした。右目のあたりを手で撫でるも、血の感触だけで傷は既に無い。聖性による治癒でも失った血までは取り返せず、故に血が上っていた頭もすっかりと明瞭になっていた。
「あぁ、分かっていたとも」
いったい、何をのぼせ上がっていたのか。
聖性を得た? 騎士になった? だが己は誰だ? 騎士である前にレーベンはレーベンで、特別な才も無ければ賢くもない。そんなレーベンが、他の騎士と同じ戦い方をできるとでも思っていたのか?
違うだろう。
『すごい! すごいのね、あなた!』
徒手となっていた魔女の腕が別の石塊を手にとった。
レーベンには理解できる。魔女のその戦術はこの上なく合理的な方法だ。故にこそ、己も今までそうしてきたのだから。
両手剣を引き抜き、右手だけで構える。あとは「彼女」に聖性を――。
銃声。
『すごい! すごべ……っ』
魔女の左肩――腕の一本を落とされた方が爆ぜ、黒い泥が周囲に飛び散る。短銃の威力ではない。あれは長銃、それも散弾を最適な距離から撃ち込まれたのだ。
魔女がぐるりと頭を巡らせ、レーベンもそちらを見やる。そこに誰がいるのかなど、分かりきったことではあった。
清貧を現す灰色の装束。ほっそりとした体に巻かれた幾本ものベルト。それらに括りつけられた様々な武器。長い白髪と、黒い瞳。
「……」
がチャリン、と。無言でシスネは右手の長銃を回転させた。起点となったレバーが無理矢理に引かれ、右手だけで次弾を装填する。左手は、ずっとレーベンに向けられていたから。
再び長銃が火を吹き、エイビスに何度も突かれていた魔女の左肩を大きく抉る。シスネは曲芸のように長銃を回しながら連射し、そして遂に魔女の二本目の腕が地に落とされた。
『す……ごぇあっ』
魔女にはまだ二本の腕が残っているが、膝を折って倒れ伏す。立て続けに左側の腕二本を失うことで、平衡感覚を狂わせたのだろう。残った右腕二本で躰を起こそうとしているが、上半身が肥大化したような躰は重心の位置が高く、なかなか起き上がれないようだった。
その隙を逃さずエイビスが突きかかり、それを横目に見ながらシスネはレーベンの近くまでゆっくり歩み寄ってきた。
「無様なものですね」
「まったくだ」
罵倒とも自嘲ともつかない言葉に苦笑したつもりで返す。おそらく、否きっと、彼女はレーベンと同じ結論に至ったのだろう。彼女もまた英雄の器ではなく、聖女としての才も並でしかないのだから。
だがそれでも彼女は、一人で魔女を狩ってきたのだ。彼女自身のやり方で。レーベンと同じように。
「やれるな、貴公」
「あなたこそ」
レーベンは両手剣を担ぎ上げ、長銃を背に戻したシスネが短銃を抜く。一挙動で振り上げ、間髪入れず放たれた銃弾にも負けない勢いで、レーベンは魔女へと飛び掛かった。