「隠れろ! また来る! また撃ってくるぞ!」
「シグエナ! しっかりしろ、シグエナぁ!」
「落ち着いて! 落ち着きなさい!」
レーベンは大して役に立つとも思えない大斧を盾として掲げながら空の光を注視し、肩から血を流したまま動かないシグエナの身体をエイビスが半狂乱で揺さぶる。そんな彼女の頬を、シスネの手が引っ叩いた。
「シ……」
「落ち着いて、エイビス。まずは彼女を安全な場所まで運ぶから、手伝って」
「ぅ、うん」
静かな、だが有無を言わせぬ口調でシスネが言い、頬を張られたエイビスは気が抜けたような表情でそれに従った。歳不相応に怜悧だった印象は消え去り、少女そのものの顔で。
そこらの男より大柄なシグエナの上半身をシスネが抱え、投げ出された両脚をエイビスが持つ。だが聖性を切られた彼女は鎧の重みに上手く動くことができないようだった。己が手伝うべきかとレーベンが考え始めた時にはもう、エイビスは何の躊躇いもなく鎧を脱ぎ捨ててしまっていた。随分と思い切りが良い。
「よし、急ぐぞ」
「あそこに行きましょう、壁の内側なら……」
シスネが視線で指した先には、高い石壁で囲まれた武骨な棟。そこはレーベンに馴染み深い場所で、知らぬ間にこんな近くまで来ていたらしい。なんにせよ、あの無駄に分厚い石壁なら多少は――。
『まって、追い出さないで』
向かう石壁の中から這い出てきた、魔女。
「くそが!」
「エイビス戻って!」
「わ、分か……」
大斧をそのまま振りかぶりながらレーベンは魔女に駆け出し、シスネが左手から聖性を発しながら短銃を抜き、エイビスが一人で何とかシグエナの身体を運ぼうとして。
レーベンは再び、空から焼けつくような「視線」を感じ。
「シスネ――」
その視線が、次は彼女に向けられているということを根拠なく確信し。
『まだ、ここに――』
ドンッっと、飛来した何かが魔女の躰に突き刺さった。
「伏せ――」
視線から彼女を逃そうと、そして魔女に突き刺さった「それ」からも逃そうと、彼女の体を地面に押し倒して。
爆風と、常軌を逸した速度の銃撃がレーベンの体を掠め、そして吹き飛ばした。
「あぁ、煙たい。威力は悪くないけれど、もう少し射程を伸ばさないと駄目だねぇ、これは」
激しくむせ返るエイビスの声に紛れ、粘ついたような男声とチュイイィィン……と奇怪な音が黒煙の中から響く。人の頭の高さで揺れる光は眼光を思わせるが、その位置も数も人間とは明らかに異なる。やがて煙が晴れ、燃え上がる魔女の赤黒い炎を背景にして、レーベンもよく知るその怪人物は現れた。
「久しぶり……でもないかい? まぁ、どうだって良いことかね」
言葉通り、至極どうでも良さそうに言いながらその男――アルバットは、手にしていた棒状の何かを地面に放った。先端から煙を吹き、引き金のような物も見えるそれは何らかの武器だったのだろう。先の魔女を狩った様を思い出せばそれは、さながら「飛ぶ炸裂弾」とでも呼べる代物か。
上げられた顔の上半分を覆う機械仕掛けの眼が再び奇怪な音を鳴らし、この場にいるレーベン達を流し見る。最後に、エイビスが抱える動かないシグエナにその眼が伸びた。
「……貸しなよ」
「な、貴殿は……あ、おい!?」
初めて見るアルバットの異様な姿に唖然としていたエイビスの手から、ぐったりとしたシグエナを奪い取る。気絶した聖女の大柄な体を軽々と担ぎ上げ、普段は曲げられている背筋を伸ばしたアルバットの体は意外な程に大きかった。
「まどろっこしい話は抜きさ。ワタシの部屋で治療しよう」
誰の返事も待たずにその建物――技術棟へと足早に戻っていくアルバット。まずエイビスが小走りで彼に続き、短銃をホルスターへ戻しながらシスネも歩きはじめる。
「……どうしました?」
「……あぁ、いや」
レーベンはじっと青空を見上げていた。あの恐ろしい狙撃を放ってきた聖性の光はもう見えず、その視線も感じない。
踵を返せば、黒い瞳と目が合った。シスネもまた、どこか思いつめた表情をしている。元より視線に敏感な彼女のこと、レーベンと同じく何かを感じたのかもしれない。
あの光からも視線からも、レーベンは懐かしさに似たものを感じていた。
◆
およそ十日ぶりに入ったアルバットの工房は相変わらず物で溢れかえっていた。ポエニス全体が様変わりしてしまった今となっては、この薄暗い地下室は時間が止まっているかのようだ。外では絶えず聞こえていた鬨の声や悲鳴も、ここには届かない。
中央の大きな机の上を埋め尽くしていた奇怪な品々を、アルバットは何の躊躇いもなく片手で全て薙ぎ落としてしまった。耳も劈くような金属音や破砕音が薄暗い室内に反響し、驚いた猫のように飛び上がるエイビス。だが即席の寝台となったそこにシグエナが寝かされると、すぐに青い目を不安に揺らめかせた。
「だ大丈夫なのか? シグエナは助かるのか? なあっ」
「大袈裟だねぇ、肩を撃たれたぐらいで死んだりしないよ、ホラ」
面倒そうに言いながら、アルバットは無遠慮にシグエナの頬を何度か叩いた。聖女が嫌いだと言って憚らないこの変人ではあるが、女の顔を、まして怪我人の頬を張るという暴挙にはさすがのレーベンも閉口する。
だがそれが功を奏したのか、シグエナはかすかな呻きと共にその細い両目を開いた。
「……、……お嬢、なんですかこの人。犯されるんですか、私」
「し、シグエナ! わたしが分かるか!?」
「気色の悪いことを言わないでくれ。年増の聖女だなんて頼まれてもイヤだよ、まったく」
まだ青白い顔を皮肉げに歪めながら軽口を叩くシグエナと、心底イヤそうに返事するアルバット。この二人、相性が良いのか悪いのか。
「弾は抜けているけど、周りの骨が何本かイってるね。ここで治療してやっても良いけど、医療棟に行くことをおすすめするよ」
あの異常な威力を持った狙撃はシグエナの肩を貫通し、その衝撃だけで骨を砕いたらしい。あの時、レーベンが咄嗟に大斧を盾にしていなければ腕ごと吹き飛んでいたかもしれない。アルバットも口には出さないが、たとえ医療棟に行ったとしても完治するかどうかは怪しいところだろう。隣に立つシスネも、沈痛そうな顔をしている。
だがシグエナは、脂汗をかきながらも口の端を歪めた。
「丁度良いじゃないですか、お嬢。もうこのままここで
「そうだな、分かった!」
「うぇ、素直……」
「気持ち悪……」という呟きはエイビスには聞こえなかったらしく、アルバットの処置を手伝いながら甲斐甲斐しく世話をしている。
確かにこの技術棟は最前線からも離れている上に頑丈で、特にこの地下室まで魔女が入りこんでくる可能性は低い。わざわざ危険を冒して医療棟に向かうよりは、ここで戦いの終わりを待った方が安全だろう。ドーラが本格的な砲撃を始めれば分からないが、そうなってしまえばもう何処にいようとお終いだ。
一息ついたレーベンは室内を見回し、部屋の入り口近くの机に置いてある物が目に留まった。
「アルバット、これを借り……貰うぞ」
「構わないよ、どうせ返ってこないかもしれないしね」
それは鎧だった。他の騎士たちが身につけている規格化された装備一式ではなく、いくつかの防具だけしかない歯抜けの装備。作りかけの失敗作か何かなのかもしれないが、平服に外套を羽織っただけの状態よりはマシだろうと、レーベンはそれらを手に取った。
最低限の灯りしかない地下室でそれの色を明確に判別することは難しいが、その鎧の色は聖銀とは異なるように見える。じっと目をこらせば、銀とも黒ともつかない不思議な輝きを放っていた。
胸当てを着け、一つしか無い手甲は左手に。あとは膝当てを着ければ、それだけで終わりだ。それは奇しくも、かつてレーベンが選んだ装備と同じ組み合わせで――。
「……なあ、これは」
「聖銀と東のシデロス鋼を混ぜてみたのさ。聖銀の脆さを補えないかと思ったけど、どうにも中途半端になってしまってね。だがまあ、聖性を流せば修復はするはずだよ」
聞きたかったのはそれではないが、アルバットは勝手に語ってしまった。ならば、ただの偶然だと思うことにしてレーベンは黒い外套を羽織り直した。更に、鎧の傍に置かれていた革手袋や雑嚢も続けて身につけていく。何故か置かれていた聖銀の片手剣や手斧もいくつか拝借した。
シスネもまた、雑多な金属塊に紛れていた弾薬や炸裂弾をベルトに補充し、背負っていた長銃も交換していた。だがその中に混じっていた明らかに大きさが異常な弾薬を手に取ると、黒い瞳がアルバットの方を向く。
「ありがたく貰っておきたまえよ。“偶然見つかったゴミ”だそうだ」
「……、……そうですね」
レーベンの言葉に頷くと、巨大な弾薬――大短銃の弾もベルトに納めるシスネ。その薄い唇がポツリと何かを呟いたが、レーベンには聞き取れなかった。
使えそうな物を一通り拝借し、レーベンとシスネがそれぞれの装備を整えられた頃、雷鳴のような音がこの地下室にまで重く響いてきた。続けて軽い地震のような揺れも感じ、薄暗い天井からパラパラと埃が落ちてくる。
「なんだ……?」
「またドーラが暴れてるのかもしれませんねー」
エイビスが不安そうな顔で天井を見上げ、作業台に横たわったシグエナは緊張感の無さそうな声でそれに答える。だがその細い両目は天井か、あるいはその向こうをじっと見つめていた。
「元々、勝ち目は薄い戦いでしたけど……」
シグエナの呟きには少なからず諦観が込められていた。レーベンもシスネも、あのドーラと名付けられた巨大魔女の姿は遠くからしか見ていない。ドーラの力を目の当たりにしたのはエイビスとシグエナであり、そして今この場で最も戦況を現実的に捉えられているのはシグエナだ。
その彼女の呟きに地下室の中に重苦しい沈黙が漂い、チュイイィと奇怪な音がそれを打ち消すかのように響く。
「バカを言うんじゃないよ、まだ何も終わっていないさ」
皆の視線の先にいるのは当然アルバットであったが、その言葉はこの変人には似つかわしくない熱を孕んでいるように聞こえた。
「……希望があるのは結構ですけどね。でももう、聖女と騎士の数はだいぶ減って」
「聖女なんかどうだって良いんだよ、大事なのはこっちさ」
聖女の目の前で、聖女をどうでも良いと断ずるアルバット。聖女嫌いのこの男らしい態度ではあったが、その声音に挑発の色は無く。その手に握られた武骨な鉄の塊――銃を掲げる。
「今回、お上や騎士長殿は上手くやったと思うよ。だからここまで互角にやり合えている」
「だがそれでも、彼らはきっと誤解しているんだろうさ。どれもこれも“聖女と騎士の力があってこそ”だとね」
「それは違う、断じて違う」
アルバットは静かに語っていた。だがその手に握られた銃はギチギチと軋み、その内心が決して穏やかでないことを示している。
「今この戦いを支えているのは聖女と騎士じゃあない」
「
今回の作戦についてはレーベンも盗み聞いていた。聖女と騎士たちを囮としてドーラを攪乱し、銃隊で魔女の群れを間引き、そして最後はやはり聖女と騎士たちで魔女を狩る。レーベンにはやはり聖女と騎士が主軸の作戦としか思えず、銃隊はその穴埋めや補助。そのような役目にしか見えない。
シスネはどう思うのかと視線を向ければ、彼女は何かに思い当たったかのような表情をしていた。すると徐に短銃を抜き、それをアルバットへと向ける。
「銃が……強力な武器さえあれば、聖女と騎士でなくても魔女を狩れる、と?」
「その通りさ」
アルバットもまた、手にした銃をシスネに向けた。お互い引き金に指をかけていないとはいえ、一触即発の空気が流れる。だというのに、この変人は更に空気をひび割れさせるような言葉を続けた。
「ワタシはね、聖女も騎士も皆いなくなるべきだと考えている」
カチリと、シスネが引き金に指をかける音を聞いた。レーベンもそれを止める気はせず、アルバットに剣を向けなかったのも、彼の指が引き金に触れていなかったからに過ぎなかった。指一本でも動かせば、その時はもう分からない。
努めて冷静であろうとするレーベンと銃を向けたままのシスネを前にして、アルバットの口上は続く。
「おかしいとは思わないかね?」
「何の前触れもなく魔女禍が発生し、そうしたら女神サマが手を差し伸べて聖女が生まれた?」
「御伽噺じゃあるまいし、そんな都合の良いことが本当に起こったと思うかね?」
この変人は――狂人は、全てを否定した。聖女と騎士を、教会を、この国を、カエルム教国すべてを。
「
「聖性が発見され、聖性技術が生まれ、そのせいで魔女禍が発生した」
「そう考えた方が、よほど自然だとは思わないかね」
聖性技術こそが、聖性こそが――聖女こそが魔女禍の元凶なのだと、狂人は語った。
「世迷言を言うなっ! そんな……何を根拠にそんな!」
「根拠? 無いよそんな物」
レーベン達とは反対側で話を聞いていたエイビスが食って掛かろうとし、シグエナが黙ってそれを止めた。振り向かずに答えたアルバットは語り続ける。
「だいたい、ワタシの仮説が正しかろうと間違っていようとそれも重要じゃない」
「確かなのは、非聖性技術でも魔女を狩れる。聖性など無くとも魔女は狩れるということ」
「それを、君たちは誰よりも知っている筈だがね?」
「……」
「……」
狂人の、機械仕掛けの眼のすべてがレーベンとシスネを捉えていた。あの眼を通してアルバットは何を見ているのか。レーベンとシスネに、聖女なき騎士と、騎士なき聖女だった二人に何を期待していたのか。
「……それで、非聖性技術だけで魔女を狩って、それでどうするつもりですか」
「愚問だよ。決まっている」
シスネの問いは形だけのものなのだろう。その答えはレーベンでさえ察しがついてしまっていたから。
「ワタシの望みは、魔女禍の根絶」
「故に、この国からすべての聖性技術を排し、その上ですべての魔女を狩り尽くす」
「
「その為にこそ、今のワタシは生きているのだよ」
かつて騎士であったというこの男のことを、レーベンは何も知らない。
かつて何を思って魔女を狩り、その果てに何を知り、そして狂ったのか。
レーベンも、他の者たちも、きっと誰も知らない。