魔女狩り聖女   作:甲乙

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機械仕掛けの聖剣

 

 また一人、聖女が崩れ落ちた。自決したのではない。魔女の手にかかったわけでもない。突然、その膝から下が千切れ飛んで倒れたのだ。片脚を失った聖女の悲鳴が木霊する。

 聖女が倒れれば必然的にその聖性は途切れ、今まさに魔女と剣を交えていた騎士の体からも聖性の恩恵が失われる。突如として只人に戻ってしまった彼らは動揺する者、冷静に退避する者、地力だけで戦い続ける者、強化剤を使用する者など様々だったが、どれにせよ長続きはせず大半の者は倒れていった。

 戦場の狂熱に支配されたこの場で冷静さを保てる者はごく少なく、故にその現象の原因が何であるのかなど誰にも分からなかった。想像もできないだろう、それが銃撃――それも聖性を用いた、上空から放たれる常識外の狙撃だったなどと。

 

「これで五人目。やはり聖女だけを狙っているようですね」

 

 眼前に迫った魔女を一刀で狩り殺した巨躯の騎士――ヴュルガは、自身の背負った函から響く涼やかな声に聴覚を割いた。

 

「三時の方向、随分と高い位置から弾けるような聖性を感じました。聖性による射撃、おそらくはドーラの砲撃と同じでしょう」

 

 ドーラはあの長大な砲身と化した躰に聖性を漲らせ、それを利用して砲撃を行っていた。それと同じ要領で狙撃を繰り返す魔女――つまりは破戒魔女がいるのだ。ただ聖性の気配だけでそこまで判断した自身の聖女であるイグリットは、ヴュルガの背負った函の中から淡々と語り続ける。この惨禍の中にいながら、何事も無いかのように涼やかな声で。

 

「あぁ、それとヴュルガ……今、こちらを視ていますよ?」

 

 その言葉に、手にしていた得物――巨大な剣を掲げ、遥か遠方から放たれた狙撃を阻む。劈くような金属音と共に弾け飛んだ銃弾は背後にいた魔女の躰を貫いたが、既に無力化された敵に意識を割くほどヴュルガは酔狂では無い。

 

「そろそろ(えん)(たけなわ)でしょう。(わたくし)はいつでも構いませんので、なるべく早く来ると良いですね?」

 

 イグリットの声に焦りなど微塵も無いが、笑いを含んでもいなかった。常とは僅かに異なるその声音がその聖女の内心を現しているのかどうかは不明だが、それもヴュルガにはどうでも良いことだ。既に半数を下回って久しい自軍の戦況を脳内で再計算しながら、周壁の間近まで迫ってきたドーラの影に視線を向ける。

 前方に大きく割いた視覚の隅で、青白い炎が舞い散っていた。

 

 

 ◆

 

 

「っ、また光った! 急ぎましょう!」

 

 抜けるような青空の中でも見逃さないような、青白い閃光。空をゆったりと漂うようなそれを追って、レーベンとシスネは教会の敷地内を駆けていた。

 手練れの聖女であるシグエナを一撃で無力化した、あの恐るべき狙撃。当然だ、あんな遥か遠くから狙い撃たれれば、誰もが成すすべなく倒れるだろう。先にレーベン達を襲った狙撃とて、躱すことができたのはただの運でしかない。あのまま放置すれば被害は増え続け、ただでさえ劣勢な戦線は完全に崩壊してしまう。

 とはいえ。

 

「追ったところで、どうしたものかな」

「知りませんよ! あなたも考えてください!」

 

 並走しながら器用に脇腹を小突いてくる聖女に苦笑を返すこともできず、彼女の言う通りに何か手立ては無いか無い頭を捻る。

 空をゆったりと漂うような動きから、あの魔女――それも破戒魔女は何らかの飛行能力を有しているのだろう。だがレーベンが知る限り鳥のように空を飛べる魔女が現れた事例は無く、あり得るとすればカクトの共喰魔女のように、凧の要領で風に乗っている可能性が高いか。付け入るならば、そこしかない。

 僅かに見えた攻略の糸口をシスネに伝えようと口を開きかけ、だが足を止めた彼女に倣ってレーベンも身構える。

 

『駄目よ、もう駄目なの』

 

 歪んだ声。現れる魔女。だが両目を泥で覆われただけの姿から見て、魔女化からさほど時間は経っていない。故にその魔女が元は何者であったのかも容易に分かった。人の形をそのまま保った躰、それは教会職員の装束を着ていたのだ。

 

「そんな……っ」

 

 シスネが悲痛な声をあげる。

 この戦いの前にはほぼ全ての住人と、教会の女性職員たちも聖都まで避難していた。だが全員がそうであった訳ではなく、中には残った者もいる。それは絶対的に足りていない人手の為であり、本人の強い希望の為であったりもしたが、結局はこうなってしまった。

 教会の中からも新たな魔女が現れた。それ程までに戦況は悪化していたのだ。

 

『助けて、もう助からない』

『あなたのせいよ』

『あぁ、血が! 血が止まらないの!』

『帰りたい、家に帰らせて』

『ひどいよ、まるで呪いよ』

 

 時間も状況もレーベン達を待ってはくれない。瓦礫の陰から似たような姿の魔女たちが更に現れた。皆が一様に両目から黒い涙を流し、ゴキリゴキリとその躰の中で骨が変形する音を響かせながら。いつの間にか、レーベン達はそんな魔女の群れに取り囲まれていた。

 まるで、この世の終わりのような光景。

 

『元々、勝ち目は薄い戦いでしたけど……』

 

 技術棟の地下室に置いてきたエイビスの聖女、諦観を湛えたあの言葉がレーベンの脳裏を過る。

 

 ……最早すべて手遅れなのではないか。

 ……己ひとりが駆けつけたところで、戦況が大きく変わる訳もない。

 ……仮に勝てたとして、ポエニスは、この国は、もう。

 

『だぶぇっ』

 

 銃声と共に魔女の頭が弾け飛ぶ。同時に、緩く繋がったままだった「線」を通じて彼女の聖性が己の身を駆け巡った。

 

「何を呆けているのですか!」

 

 シスネの黒い瞳は、常のように強い光でレーベンを射貫いていた。その澄んだ声は、今までのようにレーベンを叱り飛ばしていた。

 

「……、敵は雑魚ばかりです! まとめて片付けてしまいましょう!」

 

 そう言って、また右手で長銃を回転させるシスネ。彼女らしくもない好戦的な口調はひどく上擦って聞こえた。流される聖性はひどく乱れ、それは何よりも雄弁に彼女の内心を示している。

 

「……、そうだな、試し斬りには丁度良いか」

 

 故にレーベンもそれに応えた。できるだけ酷薄に笑ったつもりで、背負っていた剣を手に構える。

 その異形の剣は、黒とも銀ともつかない異様な輝きを放っていた。

 

 

 ※

 

 

「期待には応えられそうもないな」

 

 この国を、ひいてはこの世界を変えるつもりだと語ったアルバット。その狂気の言葉に対し、気付けばレーベンも口走っていた。

 この狂人が目指していたのは、魔女禍の根絶。誰もが一度は夢見、そして二度と語ることはない真の夢物語。その為にこの男は全てを投げ打つかのように非聖性技術の開発に没頭し、その為にレーベンとも契約を交わしたのだ。

 成程たしかに、アルバットの語る仮説には信憑性があるのかもしれない。もし仮に聖女こそが魔女禍の原因なのだとすれば、全ての聖性技術を排することで新たな魔女が生まれることを無くせるのかもしれない。銃をはじめとした非聖性技術を押し上げれば、聖女がいなくても誰もが魔女を狩れるようになるのかもしれない。この稀代の天才なのであろう狂人ならば、それが為せるのかもしれない。

 

 だがそれに付き合えるかと問われれば、答えは否だった。

 

 レーベンにとってアルバットの言葉は、名の無い女神と同じだ。その存在と真偽を信じてはいないが、否定する気も無い。どちらにせよ、特別な存在でもない己には到底及びもつかない領域での話だとしか思えない。

 レーベンは英雄の器ではなく、そして世界を変えるような狂人でもなければ、それらに準じる何かでもないのだから。

 

「あぁ、まったく君には失望(がっかり)させられたよ。君ならワタシの優秀な礎になってくれると思っていたのだがね」

「それは誠に申し訳ないな」

 

 皮肉を半分、もう半分に本心からの謝罪を乗せて軽口を返す。この狂人がレーベンのことをどう捉えていたのかはもう分からない。分からないが、今この時を以て二人の契約関係は本当の意味で終わりを迎えたのだ。それだけは分かった。

 

「本当に残念だ。君はなんともつまらない、“普通の”騎士になってしまった」

 

 どの聖女とも適合できない、ごく稀にいるらしい落ちこぼれ。古い時代には処刑すらされていた異端者。

「聖女なき騎士」レーベン。彼が野望(ゆめ)の礎として利用しようとしていた男はもういない。

 だがそれで良い。それが良いのだ。

 何者でもない、凡百の騎士。それこそが、レーベンがずっと諦めていたものだったのだから。

 

「だから、これはかつての悪友(とも)へと送る、決別(わかれ)の品だよ」

 

 アルバットが差し出してきたそれを手に取る。

 黒と銀の不思議な輝き。武骨な片刃の刀身。片手剣でも両手剣でもない中途半端な大きさ。柄に設えられた、複雑怪奇な仕掛け。柄へと伸びる、二本の引き金。

 

「さようなら、騎士レーベン」

「いつか何処かの悲劇の中で」

「騎士らしく死んでしまうが良いさ」

 

 

 ◆

 

 

 明るい空の下で見たその剣は、かつてレーベンが片手で数えられる程の魔女狩りの中で、両手で数えられる程度の数だけ振るい、それでいて忘れがたい記憶をいくつも残していった機械仕掛けの剣――機械剣そのものだった。だがその形状はより洗練され、何よりも刀身の色が異なる。

 黒銀――東のシデロス鋼と聖銀を混ぜ合わせたというその未知の金属は、やはり得体の知れない輝きを放っていた。

 聖性技術を否定する天才にして狂人。そんな男が作った、最初で最後の聖銀武器だ。

 

「ぬんっ」

『ぢがっ』

 

 その機械剣を、そのまま振るう。片手剣と呼ぶには大きく、両手剣と呼ぶには小さい。中途半端な大きさのそれは、言い換えれば片手だろうと両手だろうと充分に振るうことができる。黒銀の刃で魔女の胸を斬り裂き、返す刀で首を刎ねた。

 

「しっ」

『いえ゛』

 

 奇怪な仕掛けを仕込まれているにも関わらず、その柄は振るうに何ら邪魔をしない。重心の位置は計算され尽くしたかのように、常にレーベンの手に適度な重さを預けていた。背後から飛び掛かってきた魔女を背中ごしに貫き、振り向きざまにその胸を蹴り飛ばす。

 

『もう間に合わない!』

 

 一呼吸の間に二体の魔女を狩り、軋み始めていた刀身が青白い光を帯びる。シスネの左手から繋がる「線」を通じた聖性がレーベンの体を巡り、それが新たな右腕から機械剣へと流される。聖銀と同じ性質を持つという黒銀は、瞬きする間に武骨で鋭利な刀身を再生させた。

 

『助けてよ!』

『あなたのせいよ!』

『呪ってやる!』

 

 歪んだ呪詛の声と共に集まってくる魔女たち。二体かそこら狩ったところでその数は一割にも満たず、今もまた瓦礫の陰から新たな魔女が這い出てきた。まるでキリがない。

 

「……あぁ、いま楽にしてやるとも」

 

 試し斬りは充分。元よりこの剣の真価は刃の鋭さでも堅牢さでもない。ベルトから掴み取った焼夷弾を柄の穴に装填カチン。

 

「……ぅん?」

 

 体が覚えていた動作を繰り返すも、手にした焼夷弾が柄に装填された感触がしない。魔女たちから目を離さないまま手を動かすも、カチンカチンと、噛み合わない金属音が虚しく響いていた。そうこうしている内に飛び掛かってきた魔女の胸をシスネの短銃が貫き、そこでようやくレーベンは己の手元を見た。

 そして愕然とする。

 

「どうしました! 何か」

「穴が無い」

「……はぁ!?」

 

 ふざけるなとでも言いたげなシスネの声が聞こえるが、レーベンも内心で同じ叫びをあげていた。燃料となる焼夷弾や炸裂弾を装填する為の、柄に設えられていた穴。それがどこにも無かったのだ。

 

「ど、どういうことですか!? それじゃ何の意味も無いじゃないですか!」

「俺に聞かないでくれ!」

 

 背中合わせになって叫びながらそれぞれの武器を振るう。シスネの短銃が連続して火を吹き、魔女の脚を次々と撃ち抜いていく。装填し損なった焼夷弾を投げ、倒れた魔女を纏めて火炙りにした。

 

「いつもいつも怪しげな物ばかり受け取るからでしょう! 説明ぐらいちゃんと聞きなさい馬鹿っ!」

「そんな雰囲気でもなかっただろうが!」

 

 雰囲気が云々ではなく、聞く時間が無かったというのが正解だ。背後で弾薬を装填しているシスネの肘がレーベンの脇腹に突き刺さったが、それが偶然なのか故意なのかはもう分からない。ただの珍品と成り果てた機械剣を右手にしたまま、左手で抜いた片手剣で飛び掛かってきた魔女の腹を裂く。歪んだ悲鳴と共に吐き出された赤黒い血がレーベンの顔を汚した。

 

「あっ!?」

 

 背後から響く不吉な声。すぐさま振り返れば、シスネが魔女に組み付かれていた。既に短剣を魔女の首に突き立ててはいたものの、二体目の魔女はもうすぐそこに迫っている。その後ろには三体目が。

 

「くそが!」

 

 シスネに覆いかぶさっていた魔女を全力で蹴りつけ、聖性で強化されたその蹴りは小石遊びのように何体もの魔女を弾き飛ばしていった。だがそれでも魔女はまだ減らない。右からも左からも魔女が飛び掛かり、前からも後ろからも魔女が走り寄ってくる。シスネは倒れたままで、彼女を引き起こしてから抱えてこの場を離脱するのが先か、魔女に群がられるのが先か――。

 間に合わない。

 そう確信し、破れかぶれに振り回した機械剣の引き金を、レーベンの指は無意識に弾いて。

 

 

 ごう、と。

 青白い炎が周囲の魔女を焼き払った。

 

 

「なん……っ」

 

 身を起こしたシスネが呆然と声を漏らす。内心ではレーベンも同様で、青炎に焼かれた魔女たちは歪んだ声も漏らさないまま燃え落ちていく。機械剣の刀身から噴き出た青白い炎。その輝きは、聖性の光そのものだった。

 

『血が! 血がでたの!』

 

 驚いている暇も止まっている間も無い。正気を失くしている魔女たちは焼き尽くされた同類のことなど何ら気にしないまま襲い掛かってくる。レーベンもシスネも立ち上がり武器を構えた。この剣の真価が何なのか、それはきっとシスネも気付いたのだろう。

 

「頼む!」

「どうなっても知りませんよ!」

 

 自棄のような声と共に流れこむ過剰で雑な聖性。その光が右腕を通じて機械剣に流れこみ、その刀身を覆った頃合いに再び引き金を弾く。黒銀の刀身から解き放たれる青炎。

 

「熱っづ!」

 

 その尋常ならざる炎は魔女だけを焼く――などと都合の良いことはなく、平等にレーベンの右手も焼き始めたが、聖性が火傷をすぐさま治療していく。熱と痛みだけはそのままだが、気合いで耐えた。元の刀身の倍ほどに伸びた炎の刃が、次々と魔女を焼き斬っていく。

 いかなる仕掛けか。新たに生まれ変わった機械剣は聖性そのものを燃料としているようだ。いわば聖性技術と非聖性技術の間の子。歪に完成された混種獣(キマイラ)のような剣だったのだ。

 ならば、この二本の引き金の意味も自ずと知れる。

 

「伏せろ!」

 

 再び包囲を狭めてきた魔女の群れ。それに対して水平に機械剣を構え、中指を引き金にかける。全てを察したらしいシスネが無言で素早く身を低くし、レーベンは二本目の引き金を弾いた。

 

『だずけ――』

『あな――』

『まにば――』

 

 峰から噴出する青白い爆炎。振動し、甲高い残響音を響かせる刃。加速した機械剣の刃を、聖性で強化されたレーベンの右腕は最後までその軌道を御してみせた。一瞬で一回転したレーベンと機械剣は周囲の魔女の胴を狙い過たず斬り裂き、続く二回目の旋回と斬撃が両断された魔女の躰を抉り飛ばす。レーベン達を中心として、赤黒い泥が華のように飛び散った。

 円状の轍から砂埃を吹き上げつつレーベンが止まり、一拍遅れて降り注ぐ赤黒い泥と血の雨。更に遅れて、残された魔女たちの下半身がばたばたと倒れ始めた。最後に、レーベンの足元から歪んだ怨嗟が這いあがる。

 

『誰も助からない』

『全部あなたのせい』

『もう遅い、もう間に合わない』

 

 レーベンの傍らに落ちてきた魔女たち。半身を失ったそれらはその両の手で、赤黒い血と泥に塗れた、人間の女そのものに嫋やかな手で、レーベンの脚を掴んでいた。

 

「――」

 

 泥が流れ落ち、黒い涙だけを流す虚ろな双眸。

 そこには、黒い髪と二色の双眸を持ち、赤黒い泥に塗れた、悍ましい姿の騎士がいた。

 もしも、もしも。

 この国を、魔女禍を、何も知らない誰かがいたとして。

 その誰かのその目には、いったいどちらが怪物に見えるのだろうか。

 その目に、魔女狩りはどう映るのだろうか。

 その目に、この国の惨状は――。

 

 

 

 銃声が、次々と魔女の頭を撃ち抜いていった。

 咲き落ちた花のように、爆ぜた魔女の頭が地面に染みを作っていく。

 

「シ……」

 

 力ない声は一言も発せられないままかき消される。

 ぱぁん、と。銃声にも劣らない音が己の頬で弾けた。

 

「しっかりしなさい馬鹿っ!」

 

 シスネの白い左手で胸倉を掴み上げられる。そうまでされて初めて、レーベンは己が蹲っていたことに気付いた。

 

「まだ何も終わっていないでしょう!」

「私もあなたも――私達はまだ生きているのですから!」

「だったら……だったら……っ」

 

 それは、いつか己が吐いた言葉に似ていた。忘れもしない、あの日あの雨の中で。

 黒い瞳は震えて、だがレーベンの目を捉えて離さず。白い手も震えて、だがレーベンの胸倉を掴んで放さず。その澄んだ声も……。

 

「最後まで……やるのでしょう?」

 

 返事の代わりに、彼女の左手を取る。そっと手を放させ、だが逆に手を掴まれた。つい先刻に生え出でた、己の物とは思えないほどに白い右腕。既に大小の傷痕が刻まれたその中に残った、僅かに血を流すのみの小さな傷。

 それに、彼女はその唇を近付け――。

 

「――づっ!?」

 

 ばちり、と。全身の血流が弾けたような感触に身体が跳ねる。冷水か熱湯でも浴びせかけられたかのように、意識が痛いほど鮮明になった。

 聖性を流されたのだとだいぶ遅れて気付く。だがその感覚は今までと比べものにならない程……。

 

「目は覚めましたか?」

 

 そんなレーベンの姿を見下ろしながら、シスネは唇の端に付いた血を舐めとった。医療者の血筋とは思えない不衛生で、そして聖女とは思えない蠱惑的な所作。

 

「汚いぞ」

「穢い女ですから」

 

 軽口というには自虐的な言葉と共に差し出された手を取り、やっと体を起こす。シスネはそれ以上なにも言わず、視線で前を示してみせた。

 

「……行きましょう」

「……あぁ」

 

 散乱する魔女の死骸。かつての同胞たちも置き去りにレーベン達は走り去る。向かう先は北、この戦の最前線となる場所へ。

 レーベンは世界を守る英雄ではなく、世界を変える狂人でもない。何者でもない、凡百の騎士。ならば戦わなければならないのだ。この戦に飛び込んだ、ひとつの騎士として。

 この戦いに、勝ち目があろうと無かろうと。

 この世界に、未来があろうと無かろうと。

 

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