北に走り続けるにつれ、向かう先から様々な声が聞こえてきた。それは鬨の声であり怒号であり、そして悲鳴であり歪んだ魔女の声でもあった。聞こえる音は銃声が大半で、何かが爆発するような音すらも聞こえてくる。
まだ戦いは続いている。終わってはいないのだ、良い意味でも、悪い意味でも。
「なんとか間に合ったか」
「でも、あれじゃ通れません!」
遂に辿りついた最前線である周壁。そこはもうレーベン達の記憶の中の場所とはかけ離れていた。壁は半分以上が崩れ落ち、もはや防壁の体を成していない。元々あった通路は瓦礫で塞がれ、元々あった壁には大穴が開いて通路のようになっていた。どちらにせよ、瓦礫をかき分けて進むしかないのだろう。それが只人であったならば。
「つかまれ」
「またですか!?」
隣を走っていたシスネの細い腰を捕まえ、有無を言わせず抱え上げた。左腕に無理な荷重がかかるが、ひしと掴まってきたシスネの左手から聖性が流れ、その体も羽のように軽く感じる。跳ぶように三歩助走し、四歩目で大きく跳びあがった。
「…………っ!」
顔のすぐ横から漏れる、息を飲んだ声。それは瓦礫の山を高く跳び越えたことによる高さへの恐怖によるものだけではない。眼下に広がった、凄惨を極める光景のせいだ。
赤と黒。ただそれだけに尽きる。
騎士の屍、聖女の屍、銃隊の屍。原型を留めたものから留めていないものまで、魔女に群がられるものから既に捨て置かれているものまで。数えることも祈ることも忘れてしまいそうな程の、屍。そこから流れ出でた血が瓦礫の隙間へと染み込んでいる。
魔女の死骸、死骸、死骸。大きさも姿形も様々な、ひとつとして同じものはいない魔女の死骸。刃で斬り裂かれ、銃で穿たれ炎で焼かれ、ぐずぐずに溶けた黒い泥が瓦礫の隙間へと染み込んでいる。
赤と黒。血と泥。人と魔女の屍と死骸が、それ自体が地面だとでも言うように地を覆い尽くしていた。
「……あそこ!」
跳躍の高さが最高度になった瞬間の、一瞬の浮遊感。その中でシスネが鋭い声をあげ、右手の長銃で一点を指してみせる。そこには、倒れた騎士を引きずる聖女と、それに迫る数体の魔女が。
「つかまれ」
「ま――」
シスネの返事の前に、機械剣の引き金を弾いた。峰から噴き出る爆炎と加速する刃。手にしたそれに引っ張られるようにして、レーベン達は赤黒い瓦礫の山へと急降下する。迫る瓦礫の山が急速に視界を占有し、風音に叩かれる耳元で甲高い悲鳴を聞きながらレーベンは次の一手を打った。人差し指で更に引き金を弾く。
レーベン達が地面に着地するのと、青白い炎の刃が魔女たちを焼き斬り払うのはほぼ同時だった。墜落寸前に噴き出た青炎は落下の勢いを殺し、それらを転嫁したかのように炎を薙ぎ払う。
泥へと崩れ落ちていく魔女たち。今まさに魔女に捕らえられようとしていた聖女は姿勢を低くしていたことが幸いだったか、機械剣の一撃に巻き込まれはしなかったようだ。それが最も不安だったのだ。レーベンは内心で胸をなでおろした。
「キャナリー! 大丈夫!?」
「ぐへっ!」
腕から抜け出したシスネは、長銃の銃床をレーベンの脇腹に突き刺してから聖女の元へと向かう。さすがに無視できる痛みではなかったが、流れる聖性が傷だけは治してくれた。それでも痛いものは痛い。
そんなレーベンには目もくれず、シスネは知り合いらしい聖女と引きずられていた騎士の怪我を素早く検める。その際に騎士が痛みに呻き、彼がまだ死んではいないことがレーベンにも分かった。
「……、遅いよ、もうっ!」
こちらに顔を向け、くしゃりと表情を歪めた聖女がシスネの脇腹を小突く。シスネは聞くに堪えない悲鳴をあげたが、聖女はそれを見て泣き笑いのような表情を浮かべた。希望を見出したかのような、あるいは絶望が裏返ったような笑みだった。
「みんな、死んじゃったのかと思った……」
そう言って、彼女自身の血と涙に濡れた目許を左手だけで拭う。聖女の右肩からは装束も貫いて骨が突き出ており、それが魔女の骨なのか彼女の骨なのかレーベンには分からない。ただ、その右腕は力なく垂れ下がっていた。
周囲を警戒しつつ戦場を見回す。どこに視線を向けても屍と死骸。視線を上げれば酷薄なまでに青い空が広がっており、夜明けからもうずっと彼女らは戦い続けていたのだ。レーベンとシスネが前線から離れた場所ではぐれ魔女を狩っていた時も、お互いに傷を抉り合っていた時も。
シスネが、ぎゅうと唇を噛んでいる姿が見えた。
「ごめんなさい……っ、遅くなって……」
「シスネの奢りだからね! 逃がさないから!」
「うん、絶対に」
「あたしだけじゃないよ! オーカは……死んじゃったけど、でもクトレはさっき見て――」
■■■■■■━━━━
幾百幾千の「声」を繋ぎ合わせたかのような咆哮。びりびりと肌に響くほどの大音声と共に、青空からの光が巨大な影に遮られていく。
「……っ、ドーラ……!」
聖女の唇から漏れ聞こえる、絶望を孕んだ声。周壁の上から覗き込んでいるような動きをしているそれに、シスネは呆然と黒い瞳を見開いていた。きっと己も、似たような顔をしていたのだろう。
巨大魔女ドーラ。レーベンは盗み聞いた話の中でしか知らず、夜明けの中で襲来した姿を遠眼鏡で見ただけの存在だ。カエルム教国の北半分を尽く蹂躙してきた、生ける災厄そのものの魔女が、ついに周壁まで辿り付いたのだ。
だがいつまでも呆けているわけにはいかない。
「下がれ!」
ドーラの巨体が崩れかけの周壁を押しつぶし始めた様が見え、レーベンはシスネの手を引く。その次の瞬間には砂の城のように周壁は崩され、瓦礫が頭上から降り注いできた。
「キャナリー!」
レーベンに手を引かれたシスネは聖女の右手を取り、だが咄嗟に掴んだらしいその手は傷を負っていたのか聖女が悲鳴をあげる。だが放すわけにもいかず、レーベンは流れる聖性に任せて二人の聖女を瓦礫の雨の中から引っ張り出した。石塊がぶつかり合う鈍い音が雨音のように響き、水飛沫のように砂塵が朦々と立ち込め、日の光すら遮られていく。
「っ!」
その最中で、シスネは弾かれるように空を見上げた。ほんの数瞬遅れて、レーベンも焼けつく視線を感じる。砂塵をも貫いて目に届く、青白い輝き。空を舞う恐るべき射手――破戒魔女。まったく休む間もありはしない。
「ここはまずい!」
「待って! まずは彼女を――」
遮蔽物の近くへ移動しようとするも、シスネがそれを止めた。振り返り、だがシスネの視線の先にも手の先にも聖女はいない。
聖女は右腕を垂らしながら、瓦礫の前に座り込んでいた。
「キャナリー……?」
新たに出来た瓦礫の山。その隙間からは、湧き水のように赤い鮮血が流れ出していた。聖女が必死に引きずっていた騎士の姿は、もうどこにも見えない。
空からは、青白い光が照準を定めている。
聖女が、ふらりと振り返る。
振り返り、くしゃりと、またシスネに笑みを向けた。
綺麗な弧を描いた眦に光る涙は、何色だっただろうか。
空の上で青い光が閃く。
ぱん、と。そんな音を立てて聖女の右腕が吹き飛ぶ。
同時に、聖女の左手は自決指輪に親指を押し付けていた。
それだけで、聖女は死んだ。
「キャナ――……」
ぐ、と。シスネが唇を噤む。名と共に吐きだそうとした何かを飲みこんだ彼女は、聖女が手にしていた長銃を掴み取り、乱暴に目許を拭って踵を返した。瓦礫の上に倒れ伏した聖女の亡骸もそのままに。
「行きましょう」
◆
深く突き刺した機械剣の引き金を弾く。躰の内側から噴き出た青炎に焼かれ、歪んだ断末魔も無いままに魔女が崩れ落ちた。間近で燃え上がる炎はレーベンにも襲い掛かるが、火除けの黒い外套が、黒銀の胸当てが、そしてシスネの聖性が致命的な火傷だけは防いでくれる。刀身にこびりついた泥を振り払い、シスネの元へ急ぐ。死骸を前に十数える間もありはしない。
彼女もまた倒れた魔女に長銃を向けているところだった。既に原型を失くしていた頭部に更なる散弾を放ち、焼夷弾まで使って丹念に狩り殺している。振り返った黒い瞳と目が合い、無言のまま並んで走り出した。
これで何体の魔女を狩ったのか。
レーベンは機械剣を縦横に振るって魔女を焼き斬り、斬り潰し、時には片手剣や手斧も使って魔女を狩った。黒銀と聖銀の武器は聖性で修復され、それも待てない時は足元に転がっていた誰かの遺品と交換する。レーベン自身も無傷でいられた訳もないが、シスネから流され続ける聖性が鎧も肉体も同様になおしていった。
シスネは右手だけでひたすらに銃弾を放ち続け、焼夷弾と炸裂弾を何個も投げ放って魔女を狩っていた。弾薬が無くなればそこら中に倒れている銃隊の懐を漁り、時には銃ごと交換する。左手だけは常にレーベンへと向けられ、流される聖性は乱れに乱れていた。
――まだか
もう数えることすら馬鹿らしくなってきた魔女の死骸を押しのけ、レーベンは空の光を見上げた。ゆったりと漂うそれは徐々に高度を落としてきてはいるものの、それでも未だ点のようにしか見えない。
「まだですか……っ」
シスネもまた瓦礫の上に膝をつきながら空を見上げていた。白髪は血と泥に塗れ、顔は汗だくだが顔色はひどく悪い。再生剤を使い過ぎたのだろう。だが使わなければ血を失いすぎて戦えなくなる。レーベンと違い、彼女の傷は増える一方なのだから。
上空に陣取るあの破戒魔女が完全な飛行能力を有してはいないのだとすれば、いずれは地上へと降りてくるはずだ。ならばその時を逃さず狩るしか方法はなく、だが相手の滞空時間は予想以上に長かった。加えて、頻度こそ低いものの狙撃も続いているのだ。視線に人一倍敏感なシスネだからこそ避けられているようなもので、それもいつまで持つかは分からない。分の悪い根比べ。だが他に方法など……。
━━■■━━■■■■■■━━━━━━
更には、遂に周壁をも破ってドーラが侵入を果たした。こうして間近で見れば、それはもはや竜でもなんでもなくただの黒い泥の山にしか見えない。元からそうだったのか、あるいはあの巨大魔女であっても消耗はしているということなのか。後者であったほしいと切に願う。
今もドーラの足元では十数組ほどの聖女と騎士たちが取り巻きの魔女を相手に奮闘している。聖都でも選りすぐりの精鋭であるらしい彼らはその巧みな技量を以て魔女を狩り、互いに連携しながら細い糸のような戦線をかろうじて維持していた。
――任せるしかないか
元よりレーベンの実力など彼らには及びもつかない。あの連携の中に割り込んだところで邪魔になることは目に見えており、ドーラ本体の相手など言わずもがなだ。そんなものは己ではなく「英雄」の役目だ。
ちょうど今、複数の魔女を一刀で薙ぎ払ったあの巨躯の騎士のような。
※
吼えるドーラの咢が融けるように開き、長大な砲身が聖性の光を帯び始める。四体の魔女を一刀で斬り伏せたヴュルガは視界の中でそれを認め、状況を再計算した。
作戦の第一段階でドーラの致命的な砲撃を空撃ちさせ、第二段階で取り巻きの魔女を間引き、第三段階で更に魔女の数を削ってきた。それでも魔女の数は減らず、だがそれは決して無駄ではない。
今もドーラの足元から新たな魔女が生え出で、切り離されていた。まるで魔女を無限に産み落としているかのような光景だが、いかに魔女が常識外の存在であっても全能ではない。あれはただ単にかつて喰らい融合していた別の魔女を吐き出しているだけであり、文字通りに身を削っているのだ。現にドーラの巨体は徐々に縮んできており、今では周壁と同程度の大きさしかない。それでも充分な脅威ではあるものの、アレも決して無敵の存在ではないという証左であった。
そして今、その傷つき消耗した一つの生物が、唯一最大の武器を向けてきた。手負いの獣のように、追い詰められた窮鼠のように。巨大な砲身を、ヴュルガ唯一人に向けて。
「
この戦が始まってから初めて、ヴュルガは自身の聖女へと声をかけた。背負った函の中から笑ったような吐息が漏れ、イグリットの白い右腕から周囲の騎士へも向けられていた聖性が途切れる。それを合図とし、騎士たちは魔女に応戦しながら後退を始めた。
イグリットの右腕が首筋を撫で、そしてその爪を突き刺す。同時に割れた爪から流れる血がヴュルガの傷口へと流れこみ、イグリットと
ヴュルガの巨躯が青白く燃え上がる。
イグリットが操る桁外れの聖性。それと極めて高い適合率を有するヴュルガ自身の聖性。十数人もの騎士を同時強化していた流れをただ一人に集中し、更に「線」を介することなく血流に直接流し込まれる聖性。それが人の身における限界まで鍛え上げられた肉体に流し込まれた。
それはもはや「強化」ではなく「昇華」、あるいは「変質」だった。今この瞬間に限り、ヴュルガはヒトという生物種の軛から解き放たれたのだ。
ドーラの砲身が燃えあがる。その長大さからすれば、ほぼ零距離といって良い距離から、ヴュルガに向けて砲撃を放たんとする。
ヴュルガの体と剣が燃えあがる。諸手に握った巨大な聖銀剣。その巨躯を大きく捻りあげ、聖性を滾らせた巨剣を振るわんとする。
それは反発なのか共鳴なのか。両者の間で荒れ狂う聖性が小規模な嵐となって吹き荒れる。聖女も騎士も魔女も、誰ひとり何ひとつとしてこの場に割って入ることは出来ない。その領域に至れる存在など他にはいなかった。
■■■■━━━━━━!
ドーラが吼える。どこか無機質であった咆哮とは異なる、明確な殺意を感じさせる歪んだ叫び。砲身に走る聖性が炸裂し、青白い炎を纏った骨の砲弾が遂に射出された。
「――」
ヴュルガは声を発しなかった。重厚極まる兜の内側で、常と何ら変わらない巌の顔で、ただ一歩分だけ前に踏み込む。その僅かな距離で己の全てを爆発させ、聖銀の巨剣が遂に振るわれた。
砲弾と巨剣が激突する。
互いに聖性を滾らせたそれは互いを殺し尽くさんと一瞬の間に削り合いを始め、そしてまた刹那に決着はついた。
相殺。相討ち。聖性の輝きは失せ、骨と剣だけがそこにある。
ならばその後は、地に足を踏みしめていた方が勝つことは摂理そのものだった。
音がすべて掻き消えるほどの轟音。空気の壁を突き破った白い輪を宙に描きながら、弾き返された砲弾は元来た道を真逆に辿っていく。
つまりは、ドーラの砲身の中へと。
■■■■■■━━━━━━!
ドーラが叫ぶ。
吼えて、竜に似た巨大な頭が内側から弾け飛んだ。
故に、それは断末魔の叫びだったのだ。
◆
「やった……っ!」
背中合わせになっていたシスネが、絞り出すような歓声をあげる。彼女の視線を辿れば、ドーラの頭が弾け飛んだところだった。遅れて、沈黙していた精鋭騎士たちも得物を突き上げながら歓声をあげる。
「滅茶苦茶だな……」
いったいどんな魔法を使ったのか。なんにせよ竜にも似た魔女を人が討ち倒すという、御伽噺そのものの奇跡を成してみせた彼らはまさに英雄の名に相応しい。生き残りの聖女や騎士、銃隊も目に見えて士気を取り戻しており、残党に等しい魔女を狩り始めている。絶望的な戦いにも見えてきた光明。
だが。
チカリ、と。
ドーラの死骸に亀裂が入り、そこから青白い光が――。
「――!」
つかまれと、そう言う間もなくシスネの体を捕まえ。
巨大な爆風がすべてを、そして跳びあがったレーベン達を空へと吹き飛ばした。