非現実的なまでの青空の下で、機械剣の刃が騎士の躰を深々と斬り裂いた。
「――貴公、」
呆然と、レーベンは呟く。
新たに生まれ変わった機械剣。聖性そのものを燃料とし、峰から噴き出す爆炎で加速し、その衝撃で刃を振動させる必殺の一撃。騎士にとっては初見の、それも絶好の機と距離から放った一撃は、その躰に深々と食い込んでいた。
――この距離、この機で、
騎士の左腕。その掌から手首を、前腕から肘までを、更に二の腕の半ばまで。
――止めただと!
その左腕の全てを
ぎちり、と。もはや使い物にならないであろう騎士の左腕が軋む。死肉となってなお収縮した筋肉が機械剣の刃を咥えこみ、掴んで放さない。
「――っ!」
呆けている間もない。ごく近い間合いから突きこまれる騎士の片手剣。腹に捻じ込まれようとしていたそれを左手の手甲で叩き上げ、胸当てを使って逸らす。間髪いれず放たれた蹴りは膝当てで受け、上段から打ち下ろされた片手剣を腰から抜き放った片手剣で受け流した。
「――――く、」
その攻防の最中で、レーベンの喉から引きつった笑いが漏れる。自棄になったわけではない。気が触れたわけでもない。だが正気とも言い難かったか。
それはきっと、歓喜だったのだから。
「ふ……へはっ!」
機械剣の引き金を弾く。騎士の左腕に捕らえられていた刀身から青白い炎が噴き出し、無残な姿となっていた左腕を今度こそ根本から焼却した。自由になった機械剣を振りかぶり、その隙を狙って飛来した刃を左手の片手剣で打ち払う。だが力負けした左手は剣を落としてしまい、だがそれで空いた左手を使ってレーベンは、その首筋に強化剤を打ち込んだ。
「ぐぁ……が……っ!」
レーベンの体には既に過剰な量の聖性が流されている。そこに更に強化剤を使った。未だかつて経験したことのない熱が全身を駆け巡り、まるで体が燃え上がるかのよう。更に振れ幅の広がった感情が、その歓喜を狂喜へと変える。
そして騎士と騎士の間で、刃が乱舞した。
レーベンはもはや全ての思考を置き去りにした。考える前に剣を振るう。何も考えずに引き金を弾く。黒銀の刃を、炎の刃を、破壊の刃を絶え間なく放ち続け、その全てが眼前の騎士には届かない。その絶望的な現実が、レーベンに更なる狂喜を与える。
凄い、と。
さすが、と。
見たか、と。
彼は、この騎士は、ライアーは!
俺の友達は、こんなに凄い
「――――!」
『――――!』
レーベンは叫んだ。あるいは笑った。己ではもう分からない。その時、レーベンの耳には何も聞こえてはいなかったから。
眼前の騎士も何かを叫んでいたのかもしれない。口どころか頭すら無くても、何か叫んでいたのかもしれない。だが聞こえない。レーベンに聞こえていたのは剣戟の音と、己の心音。
そして、パキリパキリと、己の内で何かが砕けていく音だけだった。
◇
――あの馬鹿っ!
短銃を連射して魔女を足止めしていたシスネは、目の前でまた馬鹿な真似を始めた馬鹿を内心で罵倒した。
聖性を流されたまま強化剤を使用。そんなもの、どう考えても自殺行為だ。興奮した暴れ馬の尻尾に、更に火を放つようなもの。現にレーベンは今、雄叫びとも哄笑ともつかない声をあげながら機械剣を振り回している。竜巻のような刃の応酬。刀身から噴き出た青い炎は剣風に煽られ、その勢いは増すばかりだった。
一度、聖性を切るべきだろうか?
でも。
――それじゃあ、勝てない
今レーベンが対しているのは、騎士ライアーの成れの果て。死体を魔女に操られ、だがその力も技も生前の彼そのもの。多くの魔女狩りを経験する実戦派の騎士が多いポエニスの中でも、十指に数えられていた実力者だ。世辞でも優秀とは言い難いレーベンとは役者が違う。
尋常な手段では勝ち目なんて無い。でも、あんな戦い方を続けていたらレーベンの体は……。
バキン、と不吉な金属音が響く。
「っ!」
余計な考え事をしていたシスネを咎めるように、砕かれた機械剣の破片がシスネの頬を掠める。雑念を振り払って聖性を注ぎ込み、折れた剣だけを振るい続けるレーベンが斬り殺される前になんとか刀身を修復できた。
もう魔女を足止めする余裕もない。右手の短銃を投げ捨て、押され始めた彼の背中を支えるように両手で聖性を流し続ける。見れば、魔女もまたその両手を騎士へと向けていた。それはまるで、シスネも魔女も真っ当な聖女のような姿で。
――あぁ、
思い出した。ずっと忘れていた。これは聖女になって一年後、そして聖女でなくなる一年前、シスネが本当の意味でレグルスの聖女でいられた頃の気持ちに似ていた。その手に銃なんて持たず、ただ一人戦う騎士の背中を見つめながら。騎士を信じて、全てを委ねて、それはなんて……。
――
シスネの胸には痛苦だけがあった。あんな傷だらけになって戦っている騎士に聖性を流すだけ、ただ見ているだけだなんて。それだけでレグルスを助けられているなんて思っていた過去の自分は、なんて穢い女だったのか。そしてそれは今も変わっていない。今もシスネはただ見ているだけではないか!
「……ふ、ざけ……っ!」
胸の中の痛苦は場違いな怒りへと。その怒りを前に進む力へと変え、シスネは足を踏み出した。
◆
一際大きな金属音と火花が散り渡り、レーベンの機械剣と騎士の片手剣がガッチリと噛み合った。
「ぐ……が……っ!」
『――――』
そのままギリギリと鍔迫り合うが、両者の剣は宙に制止したかのように動かなかった。地力では圧倒的に騎士の方が上、だが相手には左腕を失くしているという枷があり、それ故に生まれた拮抗。ならば後は、剣の攻撃性で勝るレーベンの方が有利――。
ごぼ、と吐いた血で溺れそうになった。
動きを止めたことで、体を酷使した代償が一気に襲い掛かってきたのだ。腕も脚も痛まない箇所はまるで無い。全身に塗れた血は騎士の剣によるものなのか、それとも限界を超えた動きによる自傷なのか。聖性による治癒は続いているというのに、それが追いつかない程にレーベンの体はボロボロだった。今もまた、力を込めた腕からパキリと何かが折れた音が響く。
――それが、どうした
引き金を弾く。刀身から噴き出た炎が騎士を、そしてレーベンの身を焼き始めた。
相手はライアー。己などより遥か高みにある本物の騎士。正攻法で勝てないことなど百も承知。尋常な手などいくら並べても彼には届かない。ならばもう、何もかもを積み上げるしかないのだ。今までずっと、そうしてきたように。
地力が足りないなら鍛え抜け。武器が足りないなら数を持て。それでも足りないなら薬を使え。使える物は何でも使え。それが己の血と命に等しい何かでも。
青白い炎は消えない。騎士を焼き、同じく焼かれていくレーベンの体は聖性によって治され、また焼かれていく。姿形こそ保ってはいても、内側の何かが致命的に削られていく。それでも退くことはできない。退路は常に無く、活路はいつだって前にしか無いのだから。
だがそれでも、限界はある。
拮抗していた剣が動く。当然のように、レーベンの方へと。
あれだけ全身を苛んでいた痛みが消えた。内側から響いていた破砕音も聞こえない。もう体のどこからも血が流れない。真っ白な灰のようにレーベンの全てが燃え尽きようとしていた。
どれだけ骨を削ろうと、血を絞り尽くそうと、何もかもを積み上げようと、届かないものは届かない。ただそれだけのこと。隔絶した実力差。変わらない現実。無慈悲な摂理。
限界を迎えた機械剣の刀身に亀裂が入る。それと同時に、レーベンそのものにも亀裂が入ろうと、
「――――レーベン!」
澄んだ叫びと共に、首筋を熱が貫いた。
◇
一度だけ、イグリット聖女長から聖性の手ほどきを受けたことがある。
まずは基本となる「線」を繋ぐ方法。その性質は蜘蛛の糸に似ていて、一度繋いでしまえば聖性はある程度なら騎士の動きに追随してくれる。だからあとは騎士に対して大まかに掌を向けているだけで良く、才に優れた聖女ならそれすら意識のみで行える。
それよりも強く聖性を流したいのであれば、その手で騎士に触れれば良い。「線」を使うよりよほど簡単ではあるけれど、戦いの最中では難しい。身体強化よりも、傷の治癒に向いた方法。
そして、もっとも強く流す方法は……。
「づぅ……あぁ……っ!」
熱い。四つ目の魔女を狩った際、篝火に飛び込んだ時の比ではない熱がシスネを襲っていた。目も開けていられず、両手で顔を庇ってもその掌がじんじんと焼けつくような熱さ。
なんとか開いた片目の先では、レーベンが騎士と鍔迫り合っている。その剣から噴き出る炎が、強烈な熱を撒き散らしているのだ。なんとか進もうと脚に力を込めても、本能が拒むかのように一歩も前に踏み出せなかった。
でもそれでも、シスネは行かなければならない。
「ぐぅ……、ううぅぅ――――っ!」
下がろうとする脚を叱咤して無理矢理に前へと踏み出す。立ち止まるから余計に苦しむのだと自分を無理矢理に納得させてまた一歩踏み出す。そうやって這いずるように進み続ける内、急に襲い掛かる熱が和らいだ。
目の前で熱風にはためく黒い外套。耐火性に優れるという彼の象徴のようなそれが、持ち主ではなくシスネを守るかのように熱を遮っていた。それがまるで労いか何かのように思えて、考える前に外套の内側へと身を滑り込ませる。
それは奇しくも、レーベンが燃え尽きたように倒れようとしていた瞬間で。
「――――レーベン!」
彼の名を叫びながら、両手でその背中を支える。直接に触れた掌から、全力で聖性を流し込む。でも足りない。それでは足りないのだ。もっと、もっと強く聖性を流さなければ。
そして、その方法をシスネは知っている。
「立ちなさい!」
叫んで、シスネはそのままに口を開く。
口を開き、彼の首筋へと噛みついた。
◆
「が……っ!?」
痛覚という痛覚が麻痺していた中で、何故かその痛みだけはレーベンの中心を貫いた。灰のように崩れ落ちていた意識が一瞬で覚醒するほどの、強烈極まる気付け。そして熱。
まるで血に極上の火酒でも流し込まれたような、否、これはまさに――。
「立ちなさい! レーベン!」
耳元で澄んだ声が響く。振り返るまでもなく、考えるまでもなく、そこに誰がいるのかレーベンは知っている。きっと今、己の血で唇を汚した、聖女らしからぬ聖女が叫んでいる。
血に直接、聖性を流し込まれた。
どんな劇薬よりも強烈な、彼女自身の聖性が。
ぎしりと、機械剣の柄が軋む。感覚の失せていた指先――特に新たな右腕に力が籠る。それは灰の山に血の雫が染み込むかのように、レーベンに最後の力を与えようとしていた。
そして、何よりも。
「それでも私の騎士ですか――――!」
何の力も持たないはずの、彼女の言葉こそが。
「――――ぉ、」
相手はライアー。己などより遥か高みにある本物の騎士。
「ぉ、お、あ、あぁ」
鍛えた力、磨いた技、機械剣、強化剤、小細工、いくら積み上げても届かない。
「あ、ああぁぁぁ……っ」
血を絞り出し、骨を削りだし、体の全てを燃やし尽くしてもまだ届かない。
「が、あ゛あ゛あぁアァ――――っ!」
シスネの聖性、シスネの血、シスネの言葉、それでもまだ届かないというのなら。
「――――――――――――!」
あとはもう、己の意思しか残っていないではないか。
レーベンが青白く燃え上がっていた。
それが機械剣の炎が引火したのか、己の内側を駆け巡る聖性が齎した炎なのかはもう分からない。熱も何も感じない、いっそ静謐なまでの時間の中でレーベンはライアーと剣を交えている。
首の無い騎士。頭部を失ったライアーの死体。それが何故ここまで強力な騎士であり続けられるのか。その答えを今、レーベンは確信した。
聖性とは、意思を支える力。
それが正であれ負であれ、聖性はその意思をどこまでも駆り立てる。
故にライアーは止まらない。肉体にまで染みついた強靭な意思、それを魔女――カーリヤの聖性がいつまでもどこまでも駆り立てている。
彼はその命が尽き果てるまで彼女を守り、そして命が尽き果ててもなお守り続けているのだ。
――あぁ、貴公は、本当に
故に、だからこそ。
最上の敬意と殺意を以て、レーベンはその意思で最後の引き金を弾いた。
青白い爆炎が全てを吹き飛ばした。
同時に弾かれた二本の引き金。機械剣の力を最大まで引き出した炎と破壊の刃は、ライアーの剣を遂に粉砕した。刃も柄も、修復不能なまでに砕けた聖銀の欠片が散らばり、それらが地に落ちるより速く機械剣がライアーの体を斬り裂き、聖銀の鎧も焼き熔かしていく。
そして地面まで達した一撃が、機械剣の刀身ごと皆を足元から吹き飛ばしたのだ。
「ああぁっ!?」
眼前で炸裂した炎をレーベンは一身に浴び、背に組み付いていたシスネの悲鳴が遠ざかっていく。同時に剥がれ飛んでいった外套は彼女を炎から守ったようだった。その事実に安堵する。
だがそれと共に、レーベンの体から熱が失われた。
衝撃で聖性の「線」が切れたのだ。不相応な超人と化していた体が只人へと、それも傷だらけの半死人へと戻ってしまった。更に。
――腕、が
右腕が動かなかった。それだけではない。右側の視界が暗くなり、遂には何も見えなくなる。何が起こったのか。この土壇場で、レーベンは剣と右腕と右目を失くしてしまった。更に。
『――――』
ライアーはまだ倒れていなかった。
頭も、左腕も、剣も鎧も失くして、それでもなお残った右拳を振り上げている。
カーリヤと繋がった泥の「線」まで千切れ飛んでいるというのに、それでもこの
故にレーベンはそれに応えた。
退くことなど考えなかった。今この場から、この騎士を前に逃げ出すなど、そんなことはあり得なかった。いつだって負け続け、泥に塗れていた己であっても、今この瞬間だけは負けられなかった。
聖性が無い? 剣が無い? 右腕が動かない?
それがどうした。
聖性が無くても魔女は狩れる。武器が無くても戦える。
それを、
「ライアァァ――――――――ッ!!」
レーベンは残った左拳を振り上げ、
唸りをあげる、何の力も持たない、ふたつの拳がぶつかり合った。
――死ぬんじゃねえぞ
――あぁ、そうだな
ライアーが握った右拳をレーベンに向け、レーベンもそれに左拳を合わせる。
そうして二人は、きっと守られることのない約束を交わした。
静寂だけが二人の間にあった。
レーベンは突き出していた左腕をゆっくりと下ろし、ただそれだけの動きで崩れ落ちそうな両脚をなんとか踏みとどまらせる。
眼前で、遂に動かなくなったライアーのように。
「……」
ライアーはもう動かず、だが倒れもしなかった。頭を、両腕を、剣を、鎧もすべて失くしてなお、その二本の脚で立ち続けていた。
彼の聖女を、カーリヤを守り続けていた。
「……」
言葉も無く、レーベンは拳で彼の胸板を叩く。労うように放った最後の一撃が、遂にライアーを地に倒した。
「…………――」
非現実的な晴天の下、草花に包まれるように倒れた騎士の体。それを前に十数えるまでもなく、レーベンもまた草花の中へと崩れ落ち。
それを、誰かの白い両手が抱きとめてくれた。
――悪いな
結局、最後は彼女まかせだ。
己の名を呼ぶ、優しく澄んだ声を聞きながら、レーベンはようやく灰色の目を閉じた。